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変わらない日々

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 満月が木の葉の隙間から覗き、地面にまで淡い光を届ける中、ザザザッと木々を縫うように駆ける男が居た。

 黒髪黒眼。身長百七十程の男……'時宗黒(トキムネクロ)'は常に周囲を警戒しながら森を駆けていた。

「っっ!!」

 背後より殺気を感じ取った黒は、勢いそのまま前方の木を駆け上がり身を捩りながら跳ぶと、目前を矢が過ぎり、木に突き刺さる。

「ふぉっふぉっふぉ~!!黒やぁ!どこに行くつもりじゃ?」

 片足を木の枝にかけぶら下がって居る小柄な老人は、弓に矢をつがえ、その先を黒へと向けていた。それを見た黒はニヤリと笑いながら、老人に向けて駆け出した。

「もう逃がさねぇぞ!」

 現在。'時宗家'の所有する山では、時宗黒とその祖父に当たる老人が鬼ごっこをしていた。黒が鬼。老人が人。しかし、この鬼ごっこは普通の鬼ごっこではなかった。

「鬼討ったり。じゃの!」

 躊躇などなくバシュッ!と放たれた矢。老人の元へ向けて風の如く駆ける黒は、飛来する矢の着弾点を察し、スライディングする。
 集中し、引き伸ばされた一秒の中。飛来する矢はスライディングした黒の頭の上を過ぎった。

「なぬっ!?」

 驚き行動の遅れた老人。その様子を見て勝ちを察した黒はしかし。正面方向の木の下にある落ち葉溜まりから覗くボウガンの鏃が、月明かりをキラリと反射したのを見た。

「っっ!?くそっ!」

 目を見開いた黒は、自らが罠にかかった事を理解し、直ぐに真横へ跳んだ。
 同時の事であった。カシュッ!と、機械的な音が鳴り、放たれた矢は黒の足を掠り、鮮血を散らせながらも、背後の木に深く突き刺さって止まった。

「いっつ!!」

 痛みに顔をしかめた黒は地面に手を伸ばし反転。着地の衝撃を抑えては、バッ!と老人の方向を見た。

「可愛い可愛い孫を殺す気か!?」

「ふぉっふぉっ!でないと生ぬるいじゃろう?」

 片手で木にぶらぶらとぶら下がっている老人は、黒が矢を避けた事に喜んでいた。しかし、今は鬼ごっこという名の修練の最中。老人は猿の如く樹上に消え、トットと移動して行く。

「チッ!待て!」

 逃げようとしている老人を追おうと、走り出そうとした黒であったが、グンッ!と地面にあった縄に足を取られてしまう。

「なっ!?いつの間に!?」

 とっさに地面へ突き出した手は残念な事に、そのまま地面へ飲み込まれてしまう。落とし穴が設置されていたのだ。

「ちょっっ!?」

 為す術もなく落ちた黒は、穴の中で反射的に掴んだ物を見て、目を見開く。自分の右手が掴んでいる物、それは先が鋭く尖った竹槍であった。掴む事が出来ずに落ちていたら死んでいたと知れた。

「あ……有り得ねぇ。」

 黒は驚いていた。それは、思わぬ所に罠があった事に、罠の殺傷性が高い事に、そして何よりも。祖父の先読み能力がヤバい事に。

「ふぉっふぉっ!黒や。まだまだ詰めが甘いの。」

 ギッギッと徐々に引き上げられていく黒は、木の枝から逆さ吊りにされる。

「なんで、俺があそこに行くって分かった?」

「それはの。主が油断しているからじゃ。」

 ザッザッと吊られている黒の下に現れるは、忍者の様な黒い装束を身に纏う、禿げた頭が眩しい腰の曲がった小柄な老人……黒の祖父に当たる者であった。

「油断してるからとかじゃねぇ。なんで分かったかって聞いてんだよ。」

「ふぉっふぉっ!」

「笑って誤魔化すな!」

 すると、老人はスッと真顔になり、細めた瞳で木の葉の隙間から覗き、自らの頭を照らす満月を見た。

「月は全て見ておる。黒が罠にかかる瞬間な。」

「……。……だからなんで分かったかって」

「それより黒……。逆さ状態で辛くないのかの?」

 老人は黒の言葉を遮り、すっとぼけた表情で聞く。
 黒は苛立ちを隠せないで居るが、直ぐに体を揺らし始め、勢い付けては木の枝を片手で掴んだ。

「ったく。いつ、どうやったらこんなにキツく縛れんだよ。」

 自らの右足をキツく縛る縄を、腰から抜き出したナイフで切断しては、地面にトッと着す。

「いてっ。」

 黒が左足を地面につけた時、ビリッと痛みが走った。そこでようやく、ボウガンの矢に掠った事を思い出した黒は、目の前で罠を埋めようと背を向けしゃがんでいる祖父を見た。

「てめぇも落ちろ。」

 一瞬の躊躇もせず、黒は老人の背を蹴ろうと足を伸ばしたが、ズボッと穴に突っ込んだのは自分であった。

「……?!?」

 片足を穴に突っ込んでいる黒は困惑していた。
 確かに祖父の背を捉えていたと言うのに、絶対外しようがない距離なのに、自分は完全な死角に居たと言うのに、祖父は今、黒の目の前で、によによと笑って居るのだ。

「甘いのぉ。甘い甘い。主は動物を射抜く時も、大声で「今から打つぞ」言うて仕留めるのかの?」

「……。黙って……やる。」

「じゃろう?何故わざわざ口にしたのじゃ?」

「……。」

 黒は答えることが出来なかった。
 祖父の意地悪い笑みから、黒が何を言っても諭してやろうと言う意思を感じたためである。

「ぁあ!俺が悪かった!」

「ふぉっふぉっ!謝れるのは良い事じゃの!」

「チッ!」

 その時、老人のはめている黒い腕輪からチリリ……。と音が鳴る。それは、修練終了を知らせる音。それを聞いて、黒は微かに嫌な予感がして、頬を引きつらせる。

「時間じゃの。罰として、わしが仕掛けた罠を全部解除してから帰ってきなさい。」

 そう言って立ち上がった老人は、穴に片足突っ込んだままの黒を置いて、ザッザッと歩き出した。
 祖父の言動を見て、サァァ……と血の気が引いてしまう黒は、祖父の丸まった背を見ながら声を発する。

「な、なぁ!爺ちゃんは?爺ちゃんは何するんだよ?」

 ザッ。と足を止めて振り返った老人は、黒に分かるようにキョトンとした顔になる。

「帰るのじゃが?」

「有り得ねぇ!片足穴に突っ込んだままの孫を森に置いて行く奴があるか!?」

「戦争では当たり前じゃったぞ!」

「過去を見るな!今を見ろ!」

 すると、老人はスッと真顔になり、木の葉の隙間から見える満月を見た。

「月は全て」

「見ているだよな!?聞いた聞いた!今は月じゃなくて爺ちゃんが見るんだよ!」

「じゃの。」

 ザッ!と樹上に消えては、音も立てずに去って行く祖父に、黒は「まっ!」と手を伸ばすも、それが掴むのは虚空であった。

「……有り得ねえ。」

 ボソリと呟いた黒の愚痴は、静かな夜の森に吸い込まれて消えてしまった。

 --
 -

「ただいまぁ……。」

 へとへとになって帰って来た黒が、ガラッと家の戸を開けた時。暗い廊下の奥からカチッと音が鳴った。直後。吊られた丸太が、黒の目の前から迫り来る。

「はぁ……。」

 迫り来る丸太をしゃがむ事で回避した黒は、タイミングを見て跳躍し、戻って来た丸太を右足で受け止め、その勢いを利用しては、廊下の奥まで跳んで行く。

 ガシャ!ガシャ!と床から突き出る竹槍は、丸太回避後、そのまま直進していれば串刺しであった事を黒に伝える。

 トッと木造の床に右足から着した。

「ふぅ……。家にまで仕掛けるなよな。」

 黒が呟き歩き出そうとした時。

「黒!!」

 覇気のこもった女性の声が家中に響き渡ったと同時の事。障子の奥から黒い刃が突き出ては、ガガガッッ!!と横一文字に振るわれ、刃が迫り来る。

「なっ!?」

 驚き目を見開いた黒は、リンボーダンスの如くグィィ!!と背中が床に触れるくらいギリギリまで反らすと、黒い刃が目の前をギリギリで過ぎる。黒い刃はの上を過ぎると障子の奥に消えてしまう。

「危ねぇなぁ……。」

 黒がそのまま後転すると、先程まで頭があった場所を、薙刀の石突が突きつけられ、その威力は壁に突き刺さりヒビを作る程。

(まだ終わってない!?)

 最初の横薙で終わると思っていた黒だが、壁にヒビを作った石突を見ては、身の危機を感じた。黒は、すぐ様動き出そうとしたが、既に遅かったようだ。

「っっ!?」

 首筋にヒヤリと金属の感触がした。見ると黒い刃が当てられていた。

「ば、婆ちゃん。今は修練外だろ……?」

 降参を示す様に両手を上げる黒は、ボロボロにされた障子の奥に居る者へ向けて話しかけた。もちろん。声を震わせながら。

「如何なる時も油断は禁物です。いいですね?」

 スッと退けられた刃は、障子の奥に消え、スー……と障子が開かれる。

「黒。」

 そこには門下生から武道が達者過ぎて、'天災婆'と称される程の実力者、黒の祖母が居た。

 上から糸で吊り上げられてるのでは?と思える程真っ直ぐな背に、腰まで届く長い白髪を先で一つに束ね、氷の如く冷めた瞳が黒を睨む。自然と足が震えてしまうのは、どれだけ黒が祖母を怖れているかを示していた。

「ふぉっふぉっ!!婆さんは厳しいのぉ。そんな事してはこの家が黒に取って居心地悪くなってしまう。」

 ぬっと、黒と祖母の間から現れる祖父。
「貴方……。いつの間に。」と気配を感じ取れなかった事に驚く祖母を無視して、黒は躊躇なく無言で蹴り飛ばした。

「ぐっ!?」

 蹴られ廊下の奥に飛ばされた老人は、ふわりと後方へとび、トットッと衝撃を殺して行き、やがて止まる。

「うぅ……黒。痛いぞ。」

 腹を擦りながら戻って来た祖父の胸ぐらを掴みあげる黒の顔には、憎しみが色濃く現れていた。

「おうコラジジィ。どの口が言ってんだ?家中至る所に罠を仕掛けているのは誰だろうなぁ?」

「はて?なんの事だかの。」

「しらばっくれても無駄だ!いい加減、トイレとか風呂に、何重にも連鎖する罠仕掛けるのやめろ!居心地の居の字すらねぇわ!!」

 そう。人の枠を超えた祖母、'時宗家'に婿入りしたこの老人が普通な訳がなく、祖母と同じく、他の追随を許さない程の罠の腕前と、生存術を極めているのだ。そんな彼を黒は心の底で'狂乱爺'と呼んでいる。

 訳は簡単だ。

「ふぉっふぉっ!!昨日仕掛けたやつは傑作だったわい!!まさか、黒が気絶するとは思いも寄らなんだ!!」

「てめっ!!あんなに説教したのに反省してねぇじゃねぇか!?」

「反省……?したかの?……あー!新しい罠の考案に悩んでるのがそう見えたのかの?早合点は良くないぞい!」

「こ、このクソジジィ……!」

 祖父は反省をしない。
 何度黒を病院へ送ろうとも、何度天災婆に怒られようとも。どれだけ説教したとしても、直ぐに罠を仕かけ、かかれば「うひょひょい!」と笑い狂うのだ。

「婆ちゃんもなにか」

「説教中でも罠のことを考えるとは……流石、罠のプロですね。」

「っっ!?てめっ!?話聞いてたか!?

「それに比べ黒は手が出るのが早すぎです。もう少し他人の事を思いやりなさい。」

「おいおいおい!!数分前の自分に言ってやれよ!?ブーメランが刺さってるぞ!?」

 祖母の矛盾に食らいつく黒であったが、祖母がキョトンとした顔で周囲を見た時点で嫌な予感がした。

「ブーメランなどどこにもありませんよ?」

「くっ!ジェネレーション!!」

 下唇を噛み悔しそうにしている黒見ては、祖父も祖母もくすりと笑う。

「黒。三時間後に修練を始めます。それまで休憩していなさい。」

 ピリッと祖母の雰囲気が切り替わっては、うんざりとする黒。

 彼は今年で齢二十歳を迎える。そんなめでたい日が、丁度今日である事は、この場に居る全員が知らないし、覚えていない。

 それは何故か、十の頃より修練修練。一五になっても修練修練。二十になっても修練修練。未だにまだまだ修練修練。就職したくとも修練修練、足掻いたとしても修練修練。

 めでたい日であろうとも修練を欠かす事は許されないのだ。

 二人の化け物に後継を強要されて、面接に辿り着く事すら困難な黒は、もう我慢の限界であった。

「せめて睡眠時間をもう少しだけ」

「「甘えは死の原因。何時いかなる時でも自らの限界を決めてはならない。」」

 ヘラヘラ笑っていた祖父ですらもキリッと雰囲気を変え、'時宗家'の家訓を述べた。

「……あんまりだ。」

 それに対し黒はうなだれるしか無かった。

「じゃ、俺寝るわ。」

「おやすみの。」

「おやすみなさい。」

 がっくしとうなだれたまま、黒は階段を登って行く。一段目を踏んだ直後、真横から吸盤付きの矢が放たれ、こめかみに直撃する。

「クソッ!!」

 苛立ち任せに吸盤付きの矢を取り、投げ捨てる黒であるが、前を向いた直後、ペタンッ!と額に直撃する吸盤付きの矢。ゴンッ!と背後の壁にぶつかる黒は、祖母に「静かに!」と怒られ、祖父に「もう深夜三時じゃぞ!」と理不尽に注意される。

「はぁ……まじやってらんねぇ。」

 黒は大きくため息を吐くしかなかった。
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