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1巻
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しおりを挟むプロローグ
「お疲れ様でした、失礼します」
週に一度のノー残業デーの水曜日、朝来陽菜は終業時間ぴったりに席を立ち、エレベーターホールに急ぐ。
到着したエレベーターにさっと乗り込み、ちらりと腕時計に視線を落とす。
午後五時三分。
(これなら、間に合いそう)
毎週水曜日。それは陽菜にとって特別な日だ。
バス通勤の彼女は、会社最寄りのバス停に立つと、やって来たバスに足取りも軽く乗った。
二月半ばの柔らかい夕暮れの中、一つ先のバス停にバスが停車する。すぐに陽菜と同じような仕事終わりの男女や学生たちが乗り込んできた。
毎日、変わらない光景。でも水曜日だけは、違う。
――あの人だ。
OLに次いでスーツ姿の若い男性が現れる。
その人を見つけた瞬間、バッグを握る陽菜の手にきゅっと力がこもった。
男性の年齢はおそらく二十代前半。新社会人ではなさそうだが、二十八歳の陽菜よりは年下だろう。
柔らかな黒髪に茶色がかったアーモンド色の目。形の良い眉も、すっと通った鼻筋も、驚くほど整っている。その上、彼を取り巻く雰囲気は柔らかい。
優しそうな顔立ちだから、というのはきっとある。
でも陽菜は、名前も年齢も知らないその人が、見た目だけではなく中身もとても優しい人だということを知っていた。
彼は、入り口付近の空いていた席に座ると、バッグから取り出した文庫本を読み始める。
けれど、次のバス停に到着する少し前に本をしまう。そして扉が開く直前に立ち上がり、さりげなく席を空けるのだ。
空いたその席に座るのは、決まって大きくお腹の膨らんだ女性だった。
今日も彼女は、愛おしそうに両手をお腹に添えて、バスに揺られる。
そして先ほどまでその席に座っていた彼は、何事もなかったように立っていた。
――初めは、偶然だと思った。
しかし、二回、三回と同じことが続き、彼のその行動が意図的なものだと察する。
彼の親切をきっと女性は知らない。そんなさりげない気遣いが素敵だと陽菜は思っていた。
彼に会えるのは水曜日のこの時間のバスだけ……
だから、水曜日は陽菜にとって特別な日なのだった。
1
『あんたほど見た目と中身にギャップがある女は、いないわよね。ある意味詐欺よ、詐欺。男に訴えられないように気を付けなさい』
それは、陽菜の親友、佐倉胡桃の言である。
詐欺なんてとんでもないと思うものの、陽菜は何も言い返すことができなかった。
たしかに陽菜は、名前こそ可憐だけれど、お世辞にも可愛らしい外見はしていない。
中高とバレーボール部に所属していたせいか、身長は百七十センチと女性にしては随分と高めだ。ヒールを履けば男性を越してしまうこともしばしばある。週の半分はジムに通っているため、身体に女性的な柔らかさがほとんどない。
さらに目鼻立ちがはっきりしているほうなので、世間一般では美人の部類に入るとも言われるが、かなり「キツイ」見た目だ。
ならばせめて、雰囲気だけでも柔らかくできないだろうかと、大学入学を機に初めてメイクを試し、「ゆるふわ系」を目指した。けれど、『あんたに可愛い系は似合わない』と胡桃に一刀両断されてしまったのだ。
代わりにと、ファッションセンスに優れた彼女は、陽菜に「綺麗系」メイクを教えてくれた。髪は一度も染めたことがなく、肩のあたりで切りそろえている。
以来、陽菜の見た目が「可愛らしく」なったことは一度もない。
――そんな中、「女王様事件」が起こった。
大学一年生の時、陽菜は学園祭のミスコンにエントリーされてしまったのだ。
自分の知らないところで申し込まれたため一度は辞退したのだが、先輩たちの「どうしても!」というお願いコールに負けて参加した。
綺麗な人ばかりエントリーされているし、すぐに落ちるだろうと気楽に考えていた陽菜は順調に選考を通過してしまう。そして、決勝戦の審査項目に「コスプレ」があったのだ。
なんでも、候補者に一番似合うであろう衣装を事前投票で決定したという。
陽菜に用意されていた衣装は、真っ黒なボンデージコスチュームと鞭、そしてピンヒールだった。上半身は、体にぴったりとフィットするレザー素材のノースリーブ。下半身は、同じくレザー素材のホットパンツに網タイツ。
そう、俗にいう「女王様コスプレ」である。
(こんな……こんな衣装、着られるはずないじゃない!)
しかしミスコン決勝戦をドタキャンする勇気は陽菜にはなかった。
――その結果、まさかの優勝。
生来のキツめな顔と、このミスコンの相乗効果で、陽菜の大学でのあだ名は「女王様」に決まってしまったのだ。
以降、告白してくる男性は増えたが、彼らは陽菜に対して一様に同じ願望を抱いている。
『朝来さんはしっかりしているし、頼りになりそう』
『あなたについていきます!』
『自分を叱ってくれませんか?』
草食系男子ならぬ、調教されたい系男子が殺到したのだ。
けれど、陽菜が派手なのは見た目だけ。当然、彼らの告白には応えられない。
しかしそれが一年以上続き、いい加減陽菜はあきらめた。
もしかしたら、実際の自分を知っても好きだと言ってくれる人もいるかもしれない。そう思った陽菜は、大学三年生の時に初めて告白を受け入れた。
そしてたったの三か月で『思っていたような人じゃなかった』という理由で、あっさり振られてしまったのだ。
それ以降も寄ってくる男性は皆似たり寄ったりだった。
就職をきっかけにイメージ脱却を図るものの、失敗。陽菜は今なお「従属系男子告白数」を更新中なのだ。
◇
「あ、朝来陽菜さん、僕と付き合っていただけませんか!?」
ある週の水曜日。いつもならバスに揺られているはずの陽菜は、突然の告白に固まった。
ほんの三十分前、浮かれて帰ろうとしていたところを、取引先の人間に突然呼び出されたのだ。
「……田中さん、どうして私なのでしょうか?」
「朝来さんならきっと、僕のことを調教……じゃなくてええと、引っ張っていってくれると思ったからです!」
調教。確かに今、そう聞こえた。しかしそれに触れるのはさすがに怖い。
「引っ張る……ですか?」
そう聞くと、取引先の営業である田中は「はい!」と意気揚々と返事をする。
「朝来さんはしっかりしているというか、逞しいというか、仕事をご一緒していて本当に頼りになる方なので……ああ、もちろん見た目が逞しいという意味じゃありませんよ!」
もじもじと照れながら俯く田中を前に、陽菜の笑顔は強張る。
(……また、これなのね)
ここは、田中に指定された会社近くのファミリーレストランだ。夕方なので店内は学校帰りの学生たちで賑わっている。スーツ姿のサラリーマンは数えるほどのそこで、田中は目立っていた。
陽菜は仕事の話だと思ったから呼び出しに応じたのに、突然の告白である。
「その、お互いにいい年齢ですし、可能であれば将来を見据えたお付き合いをしたいな、と……」
田中がやけに決意に満ちた瞳で見つめてくる。
百歩譲って「仕事の用事」と偽ったのはいいとしても、場所を考えてほしかった。
ひきつる頬をなんとか堪えて笑みを浮かべたまま、陽菜は毅然と言い放つ。
「ごめんなさい」
すると田中は見ているこちらが申し訳なくなるくらい、悲しそうに眉を下げた。
「えっと、それはダメ、ということでしょうか」
「……はい」
陽菜は深く頭を下げる。
「申し訳ありませんが、田中さんとお付き合いすることはできません」
「あは、あはは……そうですよね、僕なんかじゃ朝来さんに相応しくありませんよね」
「いえ、そんなことはっ!」
相応しいとか、相応しくないとか、そういう話ではないのだ。そう説明する前に、田中は自分で結論を出してしまう。
「いいんです。そもそも僕みたいな男があなたのような女性に告白すること自体、間違ってました」
「あのですね、田中さん、ですから――」
「僕なんか地味だし、これといった特技もないですから……。趣味と言ったら漫画を読むくらいです。朝来さんはプライベートで漫画なんて読まないでしょう?」
そんなことありません、という陽菜の言葉は、落ち込む田中には聞こえていないようだ。
会社の一部の人間からも「朝来さん、少女漫画とか全然興味なさそう」とか、「経済誌や新聞を読んでるイメージしかない」なんて言われることがあるけれど、とんでもない。
陽菜は漫画好きで、少女漫画雑誌を定期購読しているほどだ。
きつい見た目のせいか、男に興味がない、仕事一筋の女性と思われているらしいが、陽菜の中身はいたって平凡だった。
料理とお菓子作りが大好きだし、休日はゴロゴロして昼過ぎまで眠っていることもある。
そして、本当は恋愛に対して人並み以上に興味があった。
なぜなら二十八年間の人生で恋人がいたのは大学時代に一人だけ。それもお付き合い期間はたったの三か月間だ。
それでも、陽菜の外見だけを気に入ってくれる男性とは付き合う気になれない。
「朝来さんなら、頼れると思ったんだけどなあ……」
なぜなら、彼らは超草食系男子、もとい陽菜に頼りたい「調教されたい系」男子だからだ。唯一、大学時代に付き合っていた彼は違ったが、なよなよした女は苦手だと公言する類の男性だった。
「あの、本当に田中さんがどうというお話ではないんです。漫画は私も好きですよ」
「それじゃあ、理由をお聞きしても……?」
田中と――否、彼のような男性となぜ付き合えないのか。それを正直に伝えることは、陽菜にはできなかった。
どうせ、素直な気持ちを告げたところで、信じてもらえないのだ。
陽菜は、何度使ったか分からない常套句を口にする。
「……今は仕事が楽しくて、誰かとお付き合いする気になれないんです」
(私には誰かを調教したり、女王様になるような趣味はないんです)
――なんて、馬鹿正直に言えるわけがない。
本音を言えば、男らしい人がタイプだ。
「だから、ごめんなさい」
陽菜は静かに頭を下げた。
◇
田中を残してファミレスを出た後、陽菜は会社に戻った。
――株式会社花霞。それが、陽菜の勤める会社だ。老舗ジュエリー販売会社である、その会社の商品企画部に陽菜は所属していた。
主な業務内容は、新たな商品の企画とその販売戦略を考えることだ。関係各所と連携して生産ラインを整えたり、広報の役割を果たしたりすることもある。華やかな印象とは裏腹に、山積する地味な事務作業をこなす部署だ。
特にここ一か月の忙しさは例年を超えていた。
花霞は来年の秋で創業五十周年を迎える。それを記念して、新ブランドの立ち上げが検討されており、社内でその企画コンペが開催されることになっているのだ。
陽菜は現在、この企画に全力を注いでいた。とはいえ、今のところいくつもの案が浮かんでは消えている。どれも自分の中で「これ!」といった決定的な何か、言うなれば芯のようなものが足りない気がするのだ。
中々良い案が浮かばす、焦りを感じ始めているのに、今日、もう一つ、焦りを感じ始める事柄ができた。
(……私もそろそろ真剣に考えたほうがいいのかしら)
『将来を見据えたお付き合い』
田中は確かにそう言っていた。
気付けば陽菜も二十八歳。入社から早六年以上が経とうとしている。
同期や先輩が恋愛に励んでいたその時間を仕事に費やした陽菜は、今や主任となっていた。
年齢からすると中々の出世らしい。
代わりに、「水曜日の彼」以外の楽しみといえば、ジムと帰宅後のビールだけだった。
自分なりに独身生活を謳歌しているつもりだったが、これではいけないのかもしれない。
現に、ここ一、二年は結婚式に呼ばれることがぐっと増えている。それに加えて、二十六歳を過ぎたあたりから告白の際に「将来を見据えて」の言葉を使われることが多くなった。
(あれ、もしかして私……のんびりしすぎ?)
ピタリとキーボードをタイピングする指が止まる。
そればかりが気になり陽菜は結局、その日の仕事はそこで終わりにして帰宅した。
翌日。
「ひーなさんっ!」
陽菜に声をかけてきたのは、四歳年の離れた後輩社員――小宮絵里だった。
「小宮さん、仕事中の名前呼びはダメよ。いつも言ってるでしょう?」
「残念でした。ちょうど今お昼休みになりましたよ。ランチ、行きましょ?」
苦笑交じりに小言を言うと、小宮はにっこり笑みを返す。
(まったく、ああ言えばこう言うんだから)
しかしそんなところも可愛いと思ってしまうのは、彼女が、陽菜が初めて正式に持った部下だからだ。ちなみに小宮は見た目も仕草も実に可愛らしい。緩く巻いた茶色の髪に流行りのメイク。百五十センチの小宮と百七十センチの陽菜が並ぶとまるで子供と大人だ。
「ごめんね。まだやりたい仕事が残っているから、今日はデスクで簡単に済ませるわ」
いつもの陽菜なら小宮の誘いに乗るところだが、あいにく今日はそんな気分になれなかった。
昨日の田中の告白が尾をひいている。告白は振るほうだって気力を消耗するのだ。
「ダメですよ、ちゃんと食べなきゃ。それに『休憩をしっかりとるのも仕事のうち』って教えてくれたのは陽菜さんですよ?」
確かにそう言った。間違いない。
陽菜が思わぬ切り返しに言葉を詰まらせていると、小宮は更に続ける。
「それに、聞きたいことがあるんです」
「聞きたいこと?」
「昨日、ファミレスで田中さんと一緒にいらっしゃいまし――」
「わーっ!」
「ファミレス」と「田中」。その二つのキーワードに陽菜はすぐさま立ち上がり、大きな声で小宮を遮った。
「絵里ちゃん待って、ストップ!」
フロアに残っていた社員の視線が集まる。
陽菜は、こほん、とわざとらしく咳払いをした。名前呼びはダメと注意したばかりなのに、自分が呼んでしまった。
「絵里ちゃ――じゃなくて、小宮さん」
陽菜は頬を引きつらせたまま小宮と向き合った。
「やっぱりランチ、行きましょうか」
後輩は可愛らしい笑顔で、「はい!」と元気よく返事したのだった。
二人は会社から歩いて数分の喫茶店に入った。陽菜がさあどうしたものかと考えていると、小宮にさっさと話を切り出される。
「それで陽菜さん、やっぱり田中さんを振っちゃったんですか?」
「……昨日、あのお店にいたなら聞こえていたんじゃないの?」
「はい。田中さんが陽菜さんに告白したところまでは聞いちゃいました。それ以上は失礼かと思って、お化粧室に行って戻ってきたら、もの凄ーく凹んだ顔をして帰る田中さんとすれ違ったんです。ああ、陽菜さんまた振っちゃったのかぁ、と」
基本的にノリが軽くて陽菜に対しても気安い態度の小宮だが、彼女は業務とプライベートの切り替えが実に上手だ。そんな小宮が昨日のことを言いふらすとは微塵も思っていない。
それでも陽菜はどうごまかすかばかりを考えている。
「陽菜さん、やっぱり草食系男子が苦手なんですね」
「そんなことないわよ?」
小宮は、「またまたあ」と可愛らしく肩をすくめる。
「じゃあどうして田中さんがダメなんですか? 陽菜さん、今彼氏いませんよね?」
「……え、ええ」
今、どころか恋人なんてもう何年もいない。
更に言えば過去にもたった一人だけ。
――恋愛の話は、苦手だ。
小宮を始め女性社員は恋バナが大好きだが、陽菜はいつも聞き役に徹している。自分のことを聞かれた時は「忙しいから」「仕事が楽しいのよ」と笑顔でかわしていた。
入社以来、ずっとそれで乗り切ってきたのに。
「田中さん、確かにぱっと見は地味だけど優しそうだし、大手広告代理店勤務ですよ? かなりの好条件だと思いますけど……。草食系でもいいと思うのになあ」
珍しく小宮はくいさがる。
彼女の言いたいことはとてもよく分かった。陽菜だって彼が草食系だから断ったのではない。しかし彼は、ただの草食系ではなかったのだ。
――調教してほしいって言われたの……
(そんなこと、言えないわ)
いや、正しくは「調教」と言いかけただけではあるが。
個人的なお付き合いはお断りしたが、彼は大事な取引先の社員。今後、小宮と仕事をする可能性は大いにある。迂闊なことを言って変な印象を与えては田中にも失礼だ。
陽菜は昨日の田中同様、小宮に対しても使い慣れた言い訳をした。
「今はお仕事が楽しいから、恋人を作る気にはなれないの」
常套句にもかかわらず自分の中に違和感が残る。
本当は恋愛に興味があるし、恋人もほしい。
ところが悲しいことに、陽菜に興味を持ってくれる人は特殊すぎるのだ。
「陽菜さん、甘い! そんなこと言ってたら、あっという間におばあさんになっちゃいますよ!」
しかし、陽菜の気持ちが分かるはずもない小宮は、更に追い打ちをかけた。
「そんな、おおげさよ」
「そんなことないです。陽菜さんだって前に言ってたじゃないですか。働き始めると一年なんてあっという間に過ぎちゃうって。私それ、最近凄く実感してるんです」
「あなたが実感するには早いんじゃない? だってまだ二十四歳でしょう?」
「『まだ』だけど『もう』二十四歳です。本格的に婚活を始めようとしたら、私より若い人、たくさんいますもん」
「婚活って……絵里ちゃん、確か彼氏がいたわよね?」
「別れました」
「あら、でもこの間、二人で温泉旅行に行ったってお土産くれなかった?」
「そんなこともありましたね。……他に好きな人ができたそうです。ちなみに二か月ほど、二股されていました。同じ温泉に、私より先にその子と行っていたみたいなんですよ。しかも浮気相手は私の親友。あ、違った。『元』親友です」
「――最低ね」
陽菜は基本的に人の恋愛に立ち入らない。何かを言えるほどの経験がないため、適切な言葉が浮かばないのだ。
それでもこれくらいは分かる。
親友と浮気なんて、彼女をバカにするにもほどがあった。
「別れて正解よ。……うん、婚活、いいじゃない。そういう場で探すのも悪くないと思うわよ」
「本当にそう思います?」
「もちろん」
大丈夫。絵里ちゃんなら、きっといい人が見つかるわ――そう陽菜が言いかけた時だった。
「なら陽菜さん。コレ、行きませんか?」
小宮はスマホの画面をこちらへ向ける。その画面を見た陽菜は、目を見開いた。
「――これ、婚活パーティーの参加受付メールよね?」
「はい。私が申し込んだやつです。来週土曜日の午後六時から、ホテルのレストランを貸し切ってのビュッフェ形式だそうです。なんとレストランはイタリアンで、星付きです!」
男性の参加可能年収ラインや年齢など、小宮は流れるように説明する。
なんでも、普通に生活していたら中々知り合わないだろう男性たちが参加するらしい。それだけで小宮の本気度が伝わってくる。
「『行きませんか?』って、申し込んだのはあなたでしょう?」
「はい。でもその日、友達の結婚式が入っていたのを忘れてて」
「忘れてたって……あなたが?」
仕事でも滅多にミスをしない小宮が、そんなうっかりをするなんて信じられない。
しかし話を聞くと、彼女は元カレと別れてすぐに勢いで申し込んでしまったのだという。
「あんな男よりいい人見つけてやる! って頭に血が上っちゃったんです。キャンセルするのはもったいないし……主催者に確認したら、代理参加も可能だって。――だから陽菜さん。私の代わりに行ってくれませんか?」
そう言って小宮は凄みのある顔で笑ったのだった。
◇
帰宅中のバスの中、片手にスマホを持った陽菜は、小宮から転送されたメールをじっと見つめた。
時刻は午後八時を回ったばかり。水曜日以外は残業が当たり前なので、これでもいつもよりは早い時間帯だ。
この時間の車内は仕事終わりの会社員で混みあっている。当然空いている席はなくて、陽菜は入り口の少し後方に立っていた。
本音を言えば座りたいけれど、すし詰め状態になる満員電車に比べればずっといい。
(婚活、かあ)
『「まだ」だけど「もう」二十四歳です』
小宮の言葉を聞いた時、正直なところドキリとした。
そんなことを言ったら陽菜なんてアラサーだ。
三十代になるのが嫌なわけではない。職場には四十を過ぎても輝いている先輩がたくさんいる。
(でも、恋愛初心者のアラサーとは違うのよね)
――恋がしたい。
恋は、女性を美しくする。可愛らしい子はよりいっそう華やかになるし、あまり垢ぬけていなかった子もキラリと光り始めるのだ。そんな女性を見る度に陽菜は「いいなあ」と思う。
しかしいざ自分に置き換えると、「また見た目で判断されたら」と考え、気後れしてしまうのだ。
社会人になって二、三年目くらいまでは誘われた合コンに顔を出すこともあったけれど、陽菜を「いい」と言ってくれるのは外見を気にいる人ばかり。
いつしか諦めの境地になっていた。
陽菜はもう一度、メールに視線を落とす。突然のお誘いは保留にしてあるものの、もしかしたらこれがきっかけになるかもしれない。
男性はいずれも好条件な人たちだというが、陽菜は、恋人に必要以上のお金や学歴を求めていなかった。条件は、陽菜を見た目で「頼れる女王様キャラ」と判断しない人。
少し我儘を言えば、男らしく自分を導いてくれる人がいい。
更に夢を見ていいのなら――
(――あの人が、恋人だったら)
そう、想像した時、バスが停車した。数人が降りると、一気に乗客が乗り込んでくる。
気になっているあの男性が乗ってくるバス停だ。乗客の中に彼がいればいいのにと思いつつ、水曜日のあの時間帯ではないので無理だろうと、陽菜は視線を再びスマホへ向けようとした。
その時、視界の端に一人の男性の影が映る。
「あっ……!」
突然声を上げてしまい、乗客の数人が驚いたように陽菜を見た。しかし陽菜にそんなことを気にする余裕はなく、視線をただ一点に――あの男性へ向ける。
抜群に整った顔立ちの彼は、混みあう車内の流れにそって乗り込んできた。
そしてなんと、固まる陽菜の隣に立ったのだ。
会えるはずがないと思っていた人。今さっき「恋人だったら」と想像したばかりの人が、すぐ側にいる。
(嘘、でしょう……?)
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