偽りのフィアンセは獲物を逃さない

結祈みのり

文字の大きさ
上 下
2 / 17
1巻

1-2

しおりを挟む

「あの?」
「それが必要なのは、君の方だと思うけど」
「え……?」
「目が赤いよ」
「こ、これは!」

 小百合は慌てて顔をそむけようとする。しかしその寸前、男性の指先が小百合のあごに触れた。

「それに……今にも泣きそうな顔をしてる」

 予期せぬ行動に逃れる隙もなかった。男性は、目を見開く小百合のあごを親指でくいっと持ち上げたのだ。

「綺麗なドレスを着た女性がホテルのバーで一人飲んでいる。その上、涙目ときた。どうしたの? もしかして失恋でもした?」
「なっ……あなたには、関係ありません!」

 小百合はパシン! と男性の手を払った。

(なんて失礼な人なの)

 図星をさされてかっとなる。赤い目をしてにらむ小百合を、男性は余裕たっぷりの様子で見返した。

「その様子だと、正解か」

 本当に、どこまでもデリカシーのない男だ。こういうやからに遠慮はいらない。

「酔っぱらいに絡まれるのは好きじゃないの。それにもう一度言うけれど、私が泣いていようと……それがどんな理由であろうと、あなたには関係ないわ」
「ああ、ないね。でも、気にするなって言う方が無理な話だ」
「……どうして?」

 偶然、隣に居合わせただけの自分を、なぜそんなに気にかけるのか。

「だって、酷い顔だ」

 返ってきた声はやはり、からかうような響きがあった。その声に小百合は無言で立ち上がる。

「さっきの彼女があなたを叩いた理由がよく分かったわ。あなた、失礼過ぎるのよ。……最低ね」
「待って、君――」

 背中を向ける小百合を呼び止める声がしたけれど、振り返ることはない。

(最悪だわ)

 触れられた場所が熱く感じるのも、心臓がドキドキしているのもきっと気のせいだ。



   Ⅱ


 姉夫婦の結婚式から三ヵ月。九月のとある日曜日、小百合は炎天下にさらされていた。

「暑い……」

 黒の日傘を片手にため息をつく。近年まれに見る猛暑に加え、連日最高気温が各地で更新されていて、九月はまだまだ夏の気配が色濃く残っている。

(ああ、ビールが飲みたい……)

 昔から暑いのは、大の苦手だ。アスファルトに反射した熱がなんとも憎らしい。日傘に加えて全身には日焼け止め、両手にはしっかりとアームカバー。日焼け対策は万全だが、全身をガードしているのが暑苦しくて、一歩歩くごとにうんざりする。
 こんな炎天下の中、小百合が向かう先は実家である。小百合のマンションから実家までは電車と徒歩で三十分。仕事ならばタクシーを使用するけれど、プライベートでは節約出来る部分は極力するようにしている。経営者とはいえ、会社はまだまだ軌道に乗り始めたばかり。贅沢ぜいたくは敵だ。
 今日、実家に帰る理由は他でもない、母に呼び出しをされたからだ。母の美冬は、三ヵ月前の結婚式にいたく感動したらしい。それはいいのだが、厄介なのは、その熱が今度は小百合に向かってしまったことだ。

「……母さんったら、お見合いは考えてないって何度も言ったのに」

 姉の結婚式以来、小百合は、母から頻繁ひんぱんにお見合いの話を持ち掛けられていた。
 確かに披露宴の時「紹介したい人がいる」と言っていたが、そんなことすっかり忘れていた。

(まさか、あれが本気だったとはね)

 あまりにも勧めてくるものだから、おかげでここ最近は、すっかり実家から足が遠のいている。
 しかし母は、諦めなかった。

(母さんも、私のことは放っておいてくれればいいのに)

 連日の電話の帰省要求。結局、折れたのは小百合だった。電話でいくら断っても、母は諦めない。ならば直接、自分の口からはっきりと断ろうと決めた。

「……やっと着いた」

 ひたいにじんだ汗をハンカチでぬぐうと自然とため息が漏れる。
 最寄りの駅から約十五分。閑静な住宅街の中で一際ひときわ存在感を放つ建物が小百合の実家だ。
 美冬の趣味で建てられた洋風の家は、まさにお屋敷。小百合は門の前に立つと呼吸を整え、インターホンを押した。すると何秒も経たないうちに、『小百合ちゃん!』と嬉しそうな声が返ってくる。

『わざわざ押さなくてもいいのに。すぐに開けるわね』

 小百合が玄関のドアに手をかけるより前に、内側から開かれた。

「おかえりなさい! 結婚式以来ね、会いたかったわ」

 中から現れたのは、スーツ姿の美貴子だ。彼女は軽く小百合にハグをしたのち、にこりと笑う。

「全然顔を見せないから心配してたのよ。お仕事が忙しいって母さんから聞いているけれど、ちゃんと食べてるの?」

 過保護な姉に小百合は苦笑した。

「大丈夫よ。それより姉さんこそ、その格好。日曜日なのに、今から会社にでも行くの?」
「そうなの。ほら、結婚して恵介さんもうちに入社したでしょう? これを機に私も父さんから少しずつ業務を引き継いでいるの。その関係で少しバタバタしていてね」
「その……恵介さんも、今日は出社してるの?」
「ええ。夫婦揃って休日出勤ね」

 美貴子は肩をすくめた。一方、小百合は内心ほっとする。吹っ切ったとはいえ、結婚式以来の恵介との再会に密かに緊張していたのだ。

「でも、出かける前に会えて良かった。近いうちにまた顔を出してね」
「分かった、約束するわ」

 美貴子は「絶対よ?」と念を押した後、小百合の横を通り過ぎようとする。その時、気づけば小百合は「姉さん!」と呼び止めていた。

「姉さんは今、幸せ?」

 不意打ちの質問に、美貴子は驚いたように大きく見開いた後、

「幸せよ。とっても」

 と、ふわり、と花がほころぶように微笑んだのだった。


「小百合さん、おかえりなさい!」

 両親は――特に美冬は、娘の三ヵ月ぶりの帰省を歓迎した。
 姉と揃って大袈裟だなあと内心苦笑しつつも、帰りを喜んでくれるのは嬉しい。

「ただいま、母さん。父さんは?」
「リビングにいるわ。さあ、早く上がって。お茶の準備は出来てるわよ!」

 若干テンションの高い母と静かに微笑む父親。この雰囲気ならば、「お見合いは今のところ考えていない」と切り出しやすい。
 しかし、甘かった。母親がご機嫌な理由は、他にあったのだ。
 それは、リビングルームのソファに座り、両親と談笑して少し経った頃だった。

「それでね、小百合さん。電話で話していたお見合いのことだけれど……」

 ――来た。
 ソファに座った小百合は身構える。

(ここではっきりと断っておかないと)

 今日は、そのためにわざわざ帰ってきたのだから。

「母さん。私、やっぱりまだ結婚するつもりは――」
「来週の水曜日、二十時。場所は逢坂ホテルで決まったから、よろしくね」

 一瞬、時間が止まった。

「……今、なんて?」

 空耳だ。空耳に決まっている。
 今の小百合は、グラスの中のアイスティーをこぼさないようにするのがやっとだった。ほんの少しでも気を抜いたら、間違いなく絨毯じゅうたんはびしょ濡れになっていただろう。

「だから、来週の――」
「そうじゃなくて! 来週お見合いがあるなんて聞いてないわ!」
「あら、今言ったわ」

 美冬は、あっさりと答える。

「先方が、お仕事の関係でどうしても休日は時間が取れないから、平日を希望されているの。小百合さんも、その日は落ち着いているって言っていたでしょう?」
「それは、言ったけど……そうじゃなくてっ!」

 来週の仕事はそれほど立て込んでいない。近々の予定を聞かれた時にそう答えたのは確かだが、その時は母がこんな強硬手段に出るなんて思わなかったのだ。

「時間まで約束してあるなんて、嘘でしょう……?」

 その上まさか、本人の知らないうちに日程まで決定しているなんて。お願いだから、自分の聞き間違いであってほしい。しかし対面のソファに座った美冬は、「本当よ」とにこにこと微笑む。
 まるで悪びれる様子もない母の態度に、小百合は怒るより前に毒気を抜かれてしまった。

「お相手のお名前は、逢坂瑞樹おうさかみずきさんとおっしゃるの」
「ちょっと待って、逢坂ってまさか……」
「その『まさか』よ。逢坂ホテルの跡取りでいらっしゃるわ。年齢は、小百合さんの二歳年上で三十歳。ちょうどいいと思わない?」

 一体、何が「ちょうどいい」というのか。
 断るつもりのお見合いが既に決定していて、しかも相手はあの逢坂ホテルの御曹司……

(あ、頭痛い)

 あまりの展開に理解が追いつかない。その間も「本当に良い方なのよ!」と揚々ようようと続ける美冬に、小百合はたまらず母の隣で苦笑する父・宮里正史まさしをじろりと見た。

「……父さんは、どう思ってるの。こんなの急過ぎるわ」

 娘の低い声に、正史は肩をすくめる。

「確かに急なのは間違いないね。でもまあ、小百合も初めからはね付けないで、話だけでも聞きなさい。母さんだって、良かれと思ってしたことなんだから」
「だからって、いくらなんでも展開が早過ぎるのよ……」

 父は、昔から母にとても甘い。何年経っても妻を大事にする父は素敵だと思う。でも、それとこれとは話が別だ。小百合がいよいよへこんでいると、父は苦笑しつつ続ける。

「今回の話は、逢坂さんから『是非に』と持ち掛けてきたんだ」
「どうして? 姉さんならともかく、私は宮里グループの人間じゃないわ。逢坂瑞樹さん……? その人に会ったこともないのに」

 不思議なのはそこだ。逢坂ホテルの御曹司なら結婚相手は引く手数多あまたのはず。仮に宮里グループとの関係を強固にしたいのであれば、社外の人間である小百合は対象外のはずだ。

「『一目惚れ』だそうだ。美貴子の結婚式で小百合を見て以来、ずっと気になっているんだって」
「……待って。私、逢坂さんとお話しした記憶なんてないわ。大体、挙式に招待したのは逢坂社長――逢坂瑞樹さんのお父様で、息子さんの名前はなかったはずよ」
「彼は、逢坂ホテルの跡継ぎなんだ。あの日、ホテルにいても何もおかしいことはないだろう?」
「それは、そうだけど……」
「もう! そんなこと気にしなくていいじゃない。一目惚れなんて、素敵だと思わない?」

 父の隣で美冬がうっとりと片手を頬にあてる。だが、冗談じゃないと小百合は思った。
 この時小百合の脳裏によぎったのは、記憶の奥底に押し込んでいた存在だった。

(同じことを、あの人も言っていたわ)

 初めて付き合った人も、「一目惚れ」したと小百合に告白した。当時、世間知らずの小百合はそんな一言に舞い上がって、浮かれて……その結果が、今だ。
 一目惚れなんて、小百合が最も信用出来ない言葉のうちの一つだ。

(結局は、見た目が好みだった、ってだけじゃない)

 無意識にこぶしに力が入る。顔を強張こわばらせる娘に父は穏やかに続けた。

「逢坂ホテルと宮里グループの付き合いが長いのは、小百合も知っているね?」

 小百合は小さく頷く。新卒で一般企業に就職した小百合は、家業にはほとんど関わっていないけれど、逢坂ホテルと懇意こんいにしているのは知っていた。

「正直、逢坂ホテルは大口の取引先でもあるし、一度承諾したことをこちらの都合で『やっぱりなしに』とは言いにくい部分もある」
「それは……確かに、そうだろうけど」

 小百合も会社を経営する身。会社にとって信頼がいかに大切かは、多少なりとも分かっているつもりだ。だからこそ、「そんなの私に関係ないわ」とは、言えなかった。

「小百合が絶対に嫌だというのなら無理強いはしないよ。でも、私も彼を知っているが本当に気持ちの良い男性でね。どうだろう。一度だけでも会ってみないか?」

 性急な母とは違う父の勧めに、わずかに良心が揺れる。

「もちろん、実際にお会いして小百合が『違う』と感じるようであれば、仕方ない。その時は、父さんから先方にお断りする」
「でも……」

 やはり、急なお見合いなんて気乗りがしなくて、小百合は渋る。そんな娘に、正史はすっと目を細めて言った。

「――それとも、どうしてもお見合い出来ない理由があるのかな?」
「え……?」
「例えば、私や母さんが知らないだけで、実はお付き合いしている人がいるとか。まさか、親に言えないような相手じゃないだろうね?」

 何を言うかと思えば、見当違いもいいところだ。

「そんな人、いません」

 小百合が否定すると、正史は「なら良かった」と笑みを深める。

(……何?)

 この時、小百合は違和感を覚えた。小百合に語りかける父の声は穏やかだけれど、目の奥は笑っていないように見えたのだ。そしてそれは、気のせいではなかった。

「もしかしたら、小百合は恵介君のことが好きなんじゃないかと思ってね」
「……え?」

 ――父は今、なんと言った?
 固まる小百合と、笑みをたたえる正史。

「やだわ、あなたったら!」

 沈黙を破ったのは、美冬だった。彼女は呆れたと言わんばかりに肩をすくめる。

「そんなことあるわけないじゃない。ねえ、小百合さん?」
「え……あ……」

 同意を求められて、答えに詰まる。
 ――父は、私の恵介さんへの気持ちに気づいていた?
 一気に心臓が早鐘を打ち始める。小百合は、頬が強張こわばりそうになるのをくっとこらえた。

(落ち着いて)

 深呼吸をしてなんとか気持ちを整える。正史がなぜ突然こんなことを言ったのかは分からない。でも、ここで動揺した姿を見せてはいけないことだけは、間違いなかった。

「恵介さんのことは好きよ。もちろん、『家族』としてね」

 目の奥を光らせる正史を、小百合は見返す。そんな娘を正史はじっと見据えた後、にこりと笑んだ。

「それもそうか。いやなに、母さんじゃないが、小百合があまりに男性と縁遠いように見えたから、まさかと思ってね。それに昔から随分と恵介君を慕っているようだから」
「私が高校生の時からお世話になってるんだもの、当然だわ」
「確かに、それもそうか」

 その答えにほっとする。この流れでお見合い話もなかったことにならないか――そう思ったのも、つかの間だった。

「――それなら、お見合い出来ない理由はないということだ」
「……あ」
(ど、どうしよう)

 これ以上かたくなにお見合いを断れば、今度こそ父に不審がられる。この状況で小百合が返せる答えは、一つだけだ。

「……母さんには何度も言ったけど、今は仕事を一番に頑張りたいし、まだ結婚するつもりはないの。そんな状態でお会いしても先方に失礼だと思うけど、それでもいいのね?」
「もちろん、それで構わないよ」
「……分かったわ。一度だけでいいなら、お会いします」

 かくして、小百合の初めてのお見合いが決まったのである。


   ◇―*◆*―◇


 そして、約束の水曜日。小百合の会社、株式会社マリエ・リリーズの入るオフィスからお見合い会場の逢坂ホテルは、電車を乗り継いで三十分の距離だ。

(待ち合わせは、二十時。十九時に出れば余裕ね)

 父の手前、遅刻なんてもってのほか。会うだけ会って、早めに終わらせようと心に決める。
 終業時刻の十八時、業務用のパソコンに視線を落としていた小百合は、顔を上げる。

三村みむらさん、相川あいかわ君。お疲れ様、時間よ。今日はもう上がれそう?」

 小百合の声かけに、向かって右側のデスクにいる三村が「んー!」と大きく両手を上げて伸びをする。

「急ぎの案件もないですし、私はこれで上がらせてもらいます。あー疲れた、肩がばっきばき!」

 それを見て苦笑するのは、向かって左側のデスクにいる相川だ。

「三村さん、年よりくさいですよ。一応、まだ二十代でしょ」
「……相川君。それ、私だから許すけど、他の会社で言ったらセクハラ案件だから」
「はいはい、気を付けます」

 大袈裟に怒った表情を見せる三村と、そんな彼女を適当になだめる相川。見慣れたいつものやりとりに小百合は苦笑する。
 株式会社マリエ・リリーズの社員は、全部で三名。社長の小百合と事務担当の三村、そして営業担当の相川である。三村と相川とは、小百合が新卒で入社した会社で知り合った。
 三村は小百合の一年、相川は二年後輩。いずれも小百合が独立すると決めた時、みずからついてくると言ってくれた、いわば小百合の同志のようなものである。立場的には経営者と従業員ではあるものの、二人は親しみを込めて未だに「社長」ではなく「小百合さん」と呼んでいる。

「小百合さん、俺も今日はこれで上がれます。もし何か手伝うことがあれば、残りますけど」
「ありがとう、でも大丈夫よ。私もこの後予定があるし、十九時には帰るつもりだから」
「そうですか? じゃあ、失礼しますね。お疲れ様でしたー」

 相川が帰ると、待ってましたとばかりに三村が「小百合さん!」と身を乗り出してくる。

「三村さん、どうかした?」
「ズバリ聞きます。小百合さん、もしかして……彼氏、出来ました?」
「ど、どうしたの、急に」

 不意打ちの問いに小百合は固まる。それを三村は肯定ととらえたらしい。

「やっぱり! そうだと思ったんです、いつもはパンツスーツなのに今日に限ってスカートなんですもん。お化粧もいつもよりバッチリだし、ネイルも変えましたよね」

 確かに今日の小百合の格好は、普段よりも気合の入ったものだ。
 普段は動きやすさを重視したパンツスーツが多いが、今日は夜の予定を意識してワンピースを着ている。普段は簡単にハーフアップにしている髪の毛は、編み込んでアップにした。昨夜、仕事終わりにネイルサロンに行ったのも合っている。

「今日はやけに目が合うなあと思ったけど……よく気づいたわね?」
「そりゃそうですよ! 小百合さん、仕事の時はシンプル系が多いでしょう? でも、今日はそんなに可愛いから」

 さすがにお見合いにいつもの格好で行くのははばかられる。先方も小百合が仕事終わりで行くのは承知しているので、あまり華美にならない程度にお洒落しゃれしてみたのだけれど。

「……変かしら?」
「全然! すごく可愛いです!」

 やけに力説する三村に小百合は「ありがとう」と苦笑した。以前の会社からの知り合いということもあり、三村との付き合いは深い。昼休みにランチに行くのはしょっちゅうだし、休日に買い物に出かけたこともある。そんな気安さもあり、小百合は素直に言った。

「実は今日、この後見合いがあるの。だから最低限、失礼にあたらない格好をしてきただけよ」

 残念ながら彼氏が出来たわけではないのだ、と伝えると、三村はぽかん……と小百合を見つめる。

「お見合いって。小百合さん、結婚するんですか……?」
「両親の仕事関係で仕方なくね。でも、お断りするつもり」

 今回のお見合いは、あくまで両親の顔を立てるためのものだ。それだって、父に恵介への気持ちを疑われてさえいなければ、断っていたかもしれない。

「適当に食事を楽しんで、すぐに終わると思うわ」
「なーんだ、やっぱりそういうことかあ」
「『やっぱり』って?」
「あっ、ごめんなさい! 深い意味はないんです。ただ小百合さん、結婚には興味なさそうだったから、『お見合い』なんて意外で少し驚いて。でもご両親の関係なら納得です」

 一流企業のご令嬢だとそういうお付き合いもあるんですね、と三村はうんうんと頷く。

「でもせっかくの機会ですし、初めからお断り前提ってもったいなくないですか? 小百合さんずーっと彼氏いないですし、もしかしたらこれが運命の出会いになるかも!」
「運命の出会いって……そんな、漫画や小説じゃないのよ?」

 苦笑すると、三村は「何を言ってるんですか!」とビシッと指を小百合に突きつける。

「出会いは一期一会いちごいちえ! だからこそお客様同士の出会いも大切に! ……これ、前の会社に入った時、小百合さんが初めて私に教えてくれたことですよ? なのに小百合さんったら、自分のことはてんで無頓着なんですもん。ダメですよ、お客さんだけじゃなくて、自分も大切にしなきゃ!」
「粗末に扱ってるつもりはないけど……」
「とにかく、もっと自分に興味を持たないと! せっかくのお見合い、楽しまなきゃ損ですよ?」

 余計なお世話、と思えないのはやはり気安さゆえだろう。小百合は「分かったわ」と曖昧あいまいな笑みを向けて、今日は友人と食事をする予定だという三村を見送った。
 賑やかな三村が帰ると、途端にオフィスは静寂に包まれる。

「『やっぱり』かあ……」

 三村の言葉に他意はないと分かっている。しかしそう言われてしまうのもどうなのだろう。
 結婚を斡旋あっせんする立場の人間が、自身の結婚には無頓着。
 実際、「社長が未婚」であることが仕事に影響を与えたことも、なくはなかった。
 結婚相談所を利用しても、残念ながら成婚に至らない例は当然存在する。その中には、まれに「マリエ・リリーズに原因がある」と主張する人もいた。そんな中、小百合が言われて最も困るのは、この一言。
 社長が未婚だと知っていたら、登録なんてしなかった、というものだ。
 とはいえ、婚活コンサルタントは既婚でなければならない、なんて決まりはない。それでも気にしてしまうのは、全て自分の問題。人の結婚は前向きにとらえられるのに、自分は結婚したいと――恋人が欲しいと思わない。
 恋人が出来れば肉体的な関係も発生する。それは、小百合にとってはトラウマ同然だ。
 キスまでなら、多分、大丈夫。でもそれ以上――異性と素肌を触れ合うのは、怖い。
 あの時の経験は、小百合の中に深く根付いてしまった。普段は、仕事と自分は切り離して考えている。でもふと冷静になった時、恋をしたいと思わない自分を、まるで欠陥品のように感じてしまうことがある。
 小百合の好みのメイクや服装は、清楚系よりセクシー系。そんな見た目もあって、過去の恋人たちは、小百合が異性との肉体経験がないとは思わなかったらしい。しかし初体験の苦い記憶を理由に小百合は、彼らと深く付き合うことを拒んでしまった。でも、それだけではない。

(心のどこかで、恵介さんと比べてしまってた)

 別れの原因は、誠実に向き合うことのなかった小百合にも十分にある。

(……吹っ切った、つもりなんだけどなあ)

 恵介への気持ちは、結婚式の夜を最後に思い出にした。でも、だからと言ってすぐに「さあ、彼氏を作ろう!」とも思えなくて。
 ――もしも、感情の全てを持っていかれるような恋が出来たら。
 ――この人しかいらない、そんな人が現れたら。
 恵介への気持ちは淡くて幼いものだった。だから小百合は、「この人だけが欲しい」なんて強い感情は知らない。でももしも、そんな人が目の前に現れたら……?

(……なんて、ね)

 そんな人物がいたら、今回のお見合いを受けることも、そもそも父に恵介への気持ちを疑われることもなかっただろう。そんなことを考えているうちに、時間は予定の十九時。小百合はオフィスを出たのだった。


 時間には余裕をもって出たが、ホテルの最寄り駅まであと一駅、というところでそれは起きた。

『お客様にお知らせいたします。ただいまこの列車は――』

 車内にアナウンスが響く。どうやら次の駅でトラブルが起きたらしく、小百合を乗せた電車は、目的の一つ前の駅で停車してしまったのだ。その後も電車が動き出す様子はなく、駅のホームには乗車を待つ人が溢れてきている。小百合は腕時計に視線を落とした。十九時二十分。時間には少しだけ余裕はあるが、このまま待っていたら遅刻してしまうかもしれない。ならば、と小百合は一駅手前のここで降りて、タクシー乗り場へと向かった。
 だが駅の改札から出た瞬間、足が止まる。タクシー乗り場には、既に乗車を待つ人の大行列が出来ていた。この時点で十九時三十分。順番が来る頃には待ち合わせ時刻を過ぎてしまうかもしれない。小百合はスマホのアプリを立ち上げて、ホテルまでの道順を確認する。

(この時間なら、歩けばまだ間に合うわ)

 列から離脱すると、足早に歩き出す。しかし今日に限って、ワンピースに合わせて高めのヒールを履いているため、なんとも歩きにくい。ホテルに着いて、身だしなみを整える間もなくお見合い開始……なんてことは、絶対に避けたい。そのためにも、せめて五分前には到着したかった。
 そんな小百合の願いが通じたのだろうか。進行方向からこちらに向かってくるタクシーが目に入る。「空車」と表示されているのを見て、ほっとした。

(良かった、なんとか間に合いそう!)

 片手を挙げてタクシーを止めようとした、その時だった。不意に小百合の目の前に、スーツ姿の男性が割り込んでくる。その人物は、呆気に取られる小百合をよそに大きく手を挙げた。
 タクシーは、当然のように彼の前に停車する。小百合は慌てて男性を呼び止めた。

「ちょっと、それには私が……」

 私が乗ろうと思っていたのよ――そう言いかけた言葉は、振り返った男性の顔を見た瞬間、どこかに行ってしまった。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

甘すぎるドクターへ。どうか手加減して下さい。

海咲雪
恋愛
その日、新幹線の隣の席に疲れて寝ている男性がいた。 ただそれだけのはずだったのに……その日、私の世界に甘さが加わった。 「案外、本当に君以外いないかも」 「いいの? こんな可愛いことされたら、本当にもう逃してあげられないけど」 「もう奏葉の許可なしに近づいたりしない。だから……近づく前に奏葉に聞くから、ちゃんと許可を出してね」 そのドクターの甘さは手加減を知らない。 【登場人物】 末永 奏葉[すえなが かなは]・・・25歳。普通の会社員。気を遣い過ぎてしまう性格。   恩田 時哉[おんだ ときや]・・・27歳。医者。奏葉をからかう時もあるのに、甘すぎる? 田代 有我[たしろ ゆうが]・・・25歳。奏葉の同期。テキトーな性格だが、奏葉の変化には鋭い? 【作者に医療知識はありません。恋愛小説として楽しんで頂ければ幸いです!】

包んで、重ねて ~歳の差夫婦の極甘新婚生活~

吉沢 月見
恋愛
ひたすら妻を溺愛する夫は50歳の仕事人間の服飾デザイナー、新妻は23歳元モデル。 結婚をして、毎日一緒にいるから、君を愛して君に愛されることが本当に嬉しい。 何もできない妻に料理を教え、君からは愛を教わる。

元彼にハメ婚させられちゃいました

鳴宮鶉子
恋愛
元彼にハメ婚させられちゃいました

ハイスペック上司からのドSな溺愛

鳴宮鶉子
恋愛
ハイスペック上司からのドSな溺愛

辣腕同期が終業後に淫獣になって襲ってきます

鳴宮鶉子
恋愛
辣腕同期が終業後に淫獣になって襲ってきます

ドSな彼からの溺愛は蜜の味

鳴宮鶉子
恋愛
ドSな彼からの溺愛は蜜の味

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にエタニティの小説・漫画・アニメを1話以上レンタルしている と、エタニティのすべての番外編を読むことができます。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。