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後日談

月学園の友人…②

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 ざわり、と出入口の方から風が蠢き、声がこぼれる。

「ん?」

 恐怖ではなかった。恐怖はもう少し早く伝わるだろう。
 だからこそショーティはのんびりとそちらへ視線を向ける。と。

「ショーティ!」

 ふわり、と場が和らぐ。
 声は青年のものであるが、低すぎず耳に心地よい。

「みつけた」
「カナン?」

 人波をするすると泳いできたのは、ふわふわの金髪にブループラネットの瞳。
 一見華奢な北欧系美少女を思わせるその人は、スペースパイロットとして月や宇宙ステーション間を飛び回っているタフな青年、カナン・フィーヨルドであった。
 やはり月学園で一緒だった友人だ。
 そして、先月、パートナーに心配をかけることになった“ちょっとした事件”の影の首謀者。
 首謀者は、まあ言い過ぎかもしれない。

「良かった~。電話しても繋がんねぇし、会えないかと思ったぜ」
「よくここがわかったね」

 実はプライベート通話はオフにしていた。今日は一人を満喫するためだったのだが、

「アーネストに聞いた」
「……あ、そう」

 ショーティは自分の耳のピアスに知らず、触れていた。
 このルビーのピアス、天然石でありながら実は特殊なもので、GPSも搭載されている。アーネストからのプレゼントであったが、なかなかの優れものなのだ。しかし。

「この3件に行ってみてダメだったらまた連絡くれって言われたけど、1軒めでビンゴだ」

 カナンは携帯通信デバイスの通信用メモ欄を掲げて、にっこりと花束のような笑顔をみせた。

「……そう」

 とたん、ショーティは先ほどとは違う重さで息をはき、敵わないなぁとつぶやく。
 ピアスで位置確認をすることなく、この状況でショーティの居場所を把握している。
 行動がばれていることに思わず苦笑だ。

「それで?今日はどう…ああ」

 問いかけて、すぐに理解する。
 カナンがニューヨーク ーここー にいる理由はただ一つだ。

「また振られた?」
「なんで?」
「だって、スイに会いに来たんだよね?」

 そう、またしてもスイ・カミノクラ。

 このカナン、見た目母譲りの北欧系美少女だが、中身はなかなかのイタリア系。
 好きなものは好きとはっきり言える彼は、これまた母親譲りの日本びいきも重なって、初対面のスイにいきなり、
『この出会いは運命だ!』と面と向かって言い放った。
 もちろん、まったくの友情だった。
 勘ぐる者がいるにはいたが、カナンという人物を知れば知るほどに恋愛と結びつかなくなる。そして、当初こそ疎ましく遠ざけていたスイもまた変わっていった。良い方に。
 とはいえ、きっけかがあったのだろうと推察はする。
 そして、それからの小さくも様々な事柄がさらにスイを変えたのだとも思う。

 スイは現在、ドイツを基盤に植物遺伝子学を専攻し研究している。なかなかの結果を出しているはずだ。
 学園入学当初から、【不愛想で協調性のかけらもない日本人】と悪しざまに、妬み半分言われていたスイ。
 そんなことを気にもせず、流されることもなく生きてきた。

 ……月学園。

 あの頃は本当に充実していた。しかし、戻りたくはないな、とショーティは思う。
 消したい過去はいくつかあるが、それも含めて自分自身なのだから、

 今や、宇宙狭しと飛び回るスペースパイロットのカナン。
 今や、ドイツを基盤に植物遺伝子学者として名を馳せているスイ・カミノクラ。
 今や、若輩ながら経営端で第一線を駆け抜けているアーネスト。

 そんな友人たちのそばにいられる自分自身を少しだけ誇りに思う。

「ショーティ?疲れてんのか?」
「ぁ………」

 カナンの横で考えに耽ってしまい、思わず、

「ちょっとね」とつぶやく。
「僕さ、アフリカから戻ったばかり、なんだよね」
「うん。けど、電話が繋がらないなら飲んでるかもって」
「————アーネストが?」

 カナンの語尾を奪い問いかけると、うんうんと頷く。

「オレさ、明日っからまた飛ぶんだ。んでスイに電話したらニューヨークにいるっていうだろ。会いにこない選択肢はない」
「相変わらず好きだねぇ」

 カナンの言葉に、呆れたようにしかし、わかってはいるのだと言いたそうにショーティはグラスを傾ける。

「うん、オレ、ずっとそばにいてやるって約束したからさ」
「宇宙に飛んでちゃうくせに」
「そうだけど、そん時はちゃんと言ってくるってメッセージ残してるだろ。黙っていなくなったりしてないぜ」
「あ、そう。ラブラブでいいけど、こんなんじゃスイが結婚した時、どうするのさ」
「なんで?結婚したって友情は続くだろ?スイが守りたいものも含めて守ってやるんだ」
「じゃ、カナンが結婚したら?」
「スイとスイが守りたいもの、そしてオレが守りたいもの、すべてひっくるめて守るし、好きだって言ってやるんだよ」
「何それ……」

 本音でそう語っているカナンに、思わず肩をすくめる。
 これで本音なのだから、ショーティに何が言えるはずもない。しかし。

「でも、そんなスイに振られたんだ?」

 少し皮肉を交えて問いかける。

「違うって。もうちょっともうちょっと、って言って」
「まちぼうけ?」
「うん。そしたらアーネストが暇ならショーティに会ってくればってさ。それにオレ、まだわんこのお礼、してなかったからさ」

 カナンは言いながらも店員に、

「白ワイン!」と注文を叫ぶ
「ほんと、あんときは助かったよ。ありがとな」

 言葉とともにふわりと金髪が揺れた。
 周囲の視線がちらちらと窺うように振り返るが当の本人は相も変わらず全く気にせず、

「オレさ、預けて4日目…5日目かな。ショーティん家に行ったんだぜ。そしたら、ショーティまだ寝てるって」

 ゆらゆらと揺れる氷に、差し出される白ワインが映る。カナンの声を聞きながら、そんな様をみつめていたショーティはふ、と引き戻された。

「………ん?………いつ…?」

 聞き逃してしまったカナンの言葉を反芻するように自分の中で繰り返すと、

「だから、わんこ、預けて4日いや、5日……まぁ1週間くらいん時かな。行ったらアーネストが、ショーティはまだ寝てるって」

 柔らかな笑顔を浮かべるカナンは、ショーティの頼んだドライフルーツをひょいと口に放り込むと美味しそうに咀嚼する。

「朝っていうより昼に近かったんだけどさ」
「………え……っと」

 ショーティの背筋をひんやりとした何かが通った。そのまま怪訝に眉根が寄っていく。

「あ、そだ!そん時のアーネストがさあ、なんかめちゃ色っぽかったんだぁ」

 ワイングラスを掲げたままキラキラしたブループラネットがショーティを捉えた。

「ショーティにも見せたかったぜ」

 そのまま、まるで語尾にハートマークさえ見えそうな揚々とした表情で、思い出すように告げながら、ワインをこくんと飲み込む。

「……んと………」
「なんて言うかさ、見てるだけでドキドキするんだよ。アーネストが人気あんの、わかるよなぁ」
「えっと……」

 動揺していた。妙な思いあたりがショーティの脳裏をよぎる。

「なんだろなぁ……大人の色気?」

 そんなショーティに気づくこともなく、カナンはもはや独り言のようにつぶやく。

「昔からそんなとこあったけど…うん、あの日はなんか特別な感じしたし」

 それは。

【“……なくしていた記憶を取り戻したんだ”】

 不意にショーティの耳の奥でよみがえったのは言葉と………感覚。
 パートナーの繊細な指先が頬を滑るような感触。

 それはあの朝のことか!?

「あ、そっか!一緒に住んでんだから見たことあるか」

 カナンの視線が再びショーティを捉えた。

「家にいると、無防備になんのかな」

 これがカナン・フィーヨルドの恐ろしさだ。
 まっすぐな瞳でみつめ、悪気もなくメンタルを削ってくる。

「えっと…、カナン」
「やっばいよな」

 こくん、とまた一口。ゆらゆらと琥珀色にも似た白ワインが妙にショーティの心をくすぐり、

「……」
「…ん?…あれ、ショーティ?……珍しいな、飲みすぎか?顔が赤い…むぎゃ!」

 まだ言うか、とカナンの白い両頬をつまみ、ぎゅっと横に引っ張った。
 このくらいは許されるはずだ!

「痛いなぁ、何すんだよ」
「カナン…お礼を言いに来たんだよね?」

 話を変えないと憤死する、とショーティはやや慌てて言葉を紡ぐ。

「…うん。オレそう言ってるだろ?」

 言ってない!と叫びそうになったが、話が戻りそうなので口をつぐむ。

「ショーティのとこで飼ってくれるんだろ?オレ、あの後も仕事でしばらく地球にいなかったし、明日から1か月半くらい戻ってこれねぇかな。だからさ、ほんと助かった」
「面倒見られないなら安請け合いしないでよ」
「でもなんとかなっただろ」
「なんとかしたの、僕らがね!」

 叫んだ瞬間、ん?と考え込む。
 僕ら…?いや、アーネスト…か?

「うん、だからありがと」

 やはりそんなショーティには気付かず、カナンはとびきりの笑顔で告げる。
 ショーティは思わず頭を抱え込んだ。

「ショーティ?」

 月学園の頃から変わらない響き。
 自分には到底まねできないその素直な対応。
 がばっ、と音が響かんばかりの動作で顔を上げるショーティは、カナンの前に置かれたワイングラスを握りしめた瞬間、ぐい、と一息で飲み干した。

「ショーティ!?」

 驚いたカナンを横目に、タン!とテーブルにグラスを置くと、

「————ワイン飲みたいなら頼めばいいのに。白でいいのか?」

 目を丸くしたまま状況がわからずに、それでもすぐに笑顔を見せるカナンは、店員に向き直った。
 これがカナン・フィーヨルドなのだ。十分に知っているはずなのだが、もはやどうしてよいのかショーティにはわからない。そして、

「白…」とカナンが声を上げようとした時、すっと二人の前に白ワインが2つ差し出される。
「ん?」
「あちら様からです」

 馴染みの店員が微苦笑を浮かべて告げる。ショーティがそんなものを受け取るはずはないと十分に知っているのだが、どうも押し切られたようで、すみません、と小さく声に乗せる。
 視線を向けると30歳前半にもなろうかという美女二人組がそこにいて、軽く手を振っていた。

「……カナンと一緒だとこんなこともあるのか」

 ショーティは少しだけ驚いて、更に目の前のワイングラスを見る。

「……カナン、デバイスー携帯ー」
「ん?ほい」

 グラスの中の琥珀色が軽く揺れていた。冷えたグラスが少しだけ色を変えている。
 室内の温度が上がっているのだろう。
 人がさらに増えたのか。
 カナンから借りた通信用デバイスを解放、目当ての人物を探りあてるとすぐ様コール。
 5回のコールから留守電に。それを繰り返すこと同じく5回。
 ようやく相手が出た。

「いますぐ、時間作って」

 有無を言わさず、そう告げると返答を待たずに通話をオフ。それからワインを一息に飲み干す。もちろん、2つとも。

「ショーティ?」
「さ、行こう」
「え?」
「あ、カナン」

 驚いているカナンを置いて席を立ったショーティであったが、不意に思い直し、先ほどの女性を指先で示した。

「はい、お礼」
「ん?…えっと、ありがと」

 ショーティから女性へと不思議そうにしながらも振り返るカナンは、手を振りながらお礼にはつきもののとびっきりの笑顔を添えた。
 きゃあ、と女性たちの色めきだった声が聴こえたが、

「うん、上出来」

 そのまま歩き出すショーティにつられるようにしてカナンも歩き出す。
 店を出て大通りまで歩きタクシーを拾う。



≫≫≫≫≫


 そして、降りたのはアーネストの仕事場である建物の前だった。
 そのまま門番に口利き、呼び鈴を押して待つこと数分、開かれた扉から出てきたのは金茶の髪をさらりと揺らし、すっきりとした佇まいはさすがイギリス貴族と言わんばかりのアーネスト。
 そしてその後方、現れたのは生粋の日本人。
 黒髪に黒い瞳で黄色人種ではあるが、その肌はやや色白で。アーネストほど背は高くなく、学者肌に多い細身の体躯はしかしスレンダーと言えばその通り。

 少し、精悍さが増しただろうか。

 ふっとショーティは自問する。
 学生時代のスイ・カミノクラはもう少し野暮ったい印象があった気がした。が。

「スイ!」

 そんな思考を吹き飛ばさんばかりに、カナンがいつになく嬉しそうな響きで名を呼ぶと、勢いつけて駆け寄った。少しだけ複雑な思いは、飼うことになった子犬を思いだしたからだが、

「……ごめんね、スイ。無理言って」

 全くそう思っていないだろう響きでショーティも声をかける。

「あーうん。まぁいい頃合いでもあったし」

 そしてその言葉に軽く苦笑を浮かべるスイに、

「ほっとくとカナンがお姉さま方にお持ち帰りされそうだったからさ」
とショーティは肩をすくめる。そのまま、
「アーネストも。邪魔してごめん」

 アーネストに向き直る。

「いや。本当にいいタイミングだったよ。それよりもショーティ」
「ん?」

 にこりと笑みを浮かべるアーネストを無防備に見上げたショーティは、

「おかえり」
「!」

 柔らかな響きの言葉ととっておきの笑顔に、不意を食らい言葉に詰まった。
 いや、まさしくそれはそうなのだが、意図せず的を射る…いや、意図しているのか、そんなアーネストの行動がただひたすらショーティの動揺を誘い、これが勝てない所以だろうかと二の句も告げず、真っ赤な顔で凝視したまま、

「た、ただいま」

 思わず言いよどむ。
 それを見たカナンはきょとん、と首を傾げた。

「ショーティってさ、昔からアーネストの前ではいい子になるよな」
「は!? ならないよ!」
「いい子って…フィーヨルドお前何を言ってるんだ」

 ショーティ=いい子、のイメージのないスイは怪訝な様子でカナンに向き直る。

「ん…いい子っていうか…素直?……なんか可愛いのな」
「!…カ、ナ、ン、に言われたくない」

 スイだけではなくアーネストもまた、おや、と少し楽しそうな笑みを見せた。

「ごはんに行くんでしょ、カナン!食べたいのある?」

 その姿を目の端で捉えたショーティは慌てて話題転換を試みた。
 これ以上は自分の身が持たない。そして、それは簡単にすり替えられる。
 一番素直なカナンの成せることだ。

「すし!」

 ほぼ即答の満面笑顔。
 その姿に、三人は一瞬固まり、それから、はははと笑い声をあげた。
 どこか懐かしい感じもしたが、ショーティは肩の力が抜けていくことを覚え、通信用デバイスから近所のすし店を探し出す。そして道案内画面から三人に視線を向けるとその頭上に今も輝く月の姿を捉えた。
 ここは月ではなく地球だ。そして日々進んでいく日常。

「…やっぱり、うん、悪くないな」
「ショーティ」

 ふっと思わず笑みと同時に言葉がこぼれた。そして、名を呼ばれたショーティはその一歩を踏み出すのだった。


           月学園の友人 END
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