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第2章 転生令嬢たちは平穏な生活を望む。
05. 姉は戸惑う。
しおりを挟む「⋯⋯殿下は何を考えていらっしゃるのですか?」
第二王子殿下の御成りからしばし。
管弦楽団が演奏を始めたため、アーテルはアドルファスの誘いを受けてダンスホールへと踏み出した。
相手のリードに身を委ね、ゆったりとした音楽に合わせて足を動かしながら、ひそりとアドルファスに声をかける。
どことなくいつも以上に硬い表情だった彼は、微かに眉をひそめた。
「⋯⋯どういうことでしょう」
「妹は初めて殿下にお目にかかったはずです。それなのに、あそこまで殿下がご興味を示される理由がわかりません」
いや、薄々感じている理由はあるのだ。
ヒロイン然としたルチアが、やはりヒロインだったから──だが当然、そんな理由は現実世界においては罷り通らないはずだ。
だから、どうしても納得できる理由を求めてしまう。
「⋯⋯レイフォード殿下のお考えを私はすべて把握しているわけではありません」
「アドルファス様、」
「ですが、一時の戯れでないことは確かだと思います。──あの御方は、そのようなことはなさいませんから」
きっぱりと言い切ったアドルファスの肩越しに、件の王子の姿が見えた。
結局、彼はルチアと踊ることを断念し、自身の婚約者候補の一人だった令嬢を誘ったようだ。
ルチアは予定通り父と踊るか──としたところを、レイフォードが自身の侍従の一人を相手に推薦した。もちろん婚約者のいない令息だ。
とはいえ、ルチアが注目を集めてしまったことは間違いない。
レイフォードと踊る令嬢も、彼に手を取られながらも牽制するようにルチアの方を睨んでいたし、周囲の人々も彼女に厳しい目を向けていた。
(戯れでないとしても、ルチアが望まぬことなら喜ばしくないわ。あの子だって、王子様に誘われたことに喜ぶどころか、完全に困っていたもの)
顔を青くしながら助けを求める視線を寄越した少女の姿を思い出す。
アーテルの心ここに在らずの様子に気づいたのだろう、アドルファスが小さく咳払いをした。
「ルチア嬢は、数年前に伯爵家にやって来たと聞きましたが?」
「ええ、その通りですわ。それまであまり恵まれた暮らしをしてこなかったようです。屋敷に来てからもしばらくは、私も辛く当たってしまいましたし⋯⋯」
言ってから、アーテルは目の前の青い瞳を見上げた。
「それでも今では、私の可愛い妹です。過去に辛い思いをさせてしまった分、幸せになってほしいと願っています」
「⋯⋯随分と大切になさっているのですね」
「ええ。──ですから、王子殿下と言えど、あの子を苦しませるようでしたら容赦いたしませんわ」
紅い瞳に力をこめ、きっぱりと言い切ったアーテルに、寸の間アドルファスは固まった。
その表情も、ややあって緩む。
「⋯⋯王子殿下の侍従である私にそのようなことをおっしゃるなんて、貴女は余程怖いもの知らずのようだ」
「侍従の方だからこそ申し上げましたのよ?殿下の手綱をしっかりと握ってくださいませ」
「これは手厳しい」
アドルファスはくつりと笑う。
それは、以前まで見せていた好青年然とした姿とは毛色の違うもので。
「まぁ確かに、レイは暴走しすぎた。後で小言を言っておくから、それで今回は勘弁してもらいたい」
突然砕けた口調に、アーテルは目を丸くした。
「⋯⋯それが素なの?」
思わず尋ねれば、彼はふっと吐息を漏らすように笑う。
「そう言うアーテル嬢こそだろう。高慢ちきなご令嬢かと思いきや、完璧な淑女の姿を見せてきて、最終的には王子殿下の侍従に苦言を呈するなんて」
「アドルファス様、それは──」
「ドルフでいい。親しい者はそう呼ぶ。⋯⋯それに、言葉遣いもそう畏まらなくて構わない。ずっとそれでは息が詰まるだろう」
なんて、視線を逸らしながら彼は言う。
それに、ふっと笑みがこぼれた。
「⋯⋯それでしたら、ドルフ様。私のこともどうぞアーテルと」
このやりとりだけで、なんともよそよそしかった二人の関係が少し前進したように思えた。
相手を見下していたせいで、腫れ物扱いで接せられていた1年と少し前が嘘のようだ。
(政略結婚でも幸せになった例はたくさんあるわ。私たちもそうなれるかしら⋯⋯)
今の自分たちを亡き実母が見たらどう思うだろう。
この政略に基づく婚約という縁は、彼女がアーテルのために遺してくれたものの一つなのだ。
(そういえば⋯⋯お母様からはこの婚約が結ばれた経緯を聞いたことはなかったわね)
というより、昔のアーテルは常に生前の実母に反発していたのだ。そもそもの親子らしい会話をした覚え自体ない。
才色兼備と言われ麗しの薔薇と評された母は、実の娘であるアーテルに非常に厳しかったせいだ。
領地運営や特産品の開発などで多忙を極めた母は、家族と共に過ごす時間が少なかった。
母親や妻としてではなく、領主や家長としての顔を優先させた結果、娘は性格を捻じ曲げ、夫は外に女をつくってしまった上に、最終的には母自身の死に結びついたのだと思うと救われない。
(⋯⋯今の私なら、もう少しお母様に歩み寄って接することができたのかしら⋯⋯?)
後悔は先に立たない。
それでも、自身への満足な説明なしに勝手に決められた婚約への当てつけのようにアドルファスへ接していた以前の自分とは、今は違うのだ。
今の自分であったなら、もう少し母親と良好な関係を築けただろうか──考えても詮無いことと思いながらも、どうしても考えてしまうことを止められなかった。
アーテルがアドルファスとのファーストダンスを終えたときだった。
これまた予想外の人物が近づいて来た。
「トレンメル侯爵令嬢」
先に気づいたのはアドルファスだった。
彼が軽く見張った目が向く先、華やかな金髪の美少女──アンネロッサ・トレンメル侯爵令嬢が立っていた。
彼女はここまでエスコートして来たらしい青年に何事かささやくと、彼は微笑してこちらに礼をし、そのまま去っていった。
面差しが似ていたから、おそらく兄弟か何かだろう。
「お久しぶりでございます、アンネロッサ様」
「ええ、お久しぶりね、アーテル様。届けていただいた香水、とても素晴らしいわ。またお願いします」
「ありがとうございます。光栄です」
アーテルは笑顔で応じるも、内心は気が気ではなかった。
第二王子の婚約者候補筆頭と噂される彼女が、このタイミングでわざわざ商品のお礼だけを言いに来たわけがないだろうからだ。
「⋯⋯アーテル様の妹君⋯⋯ルチア様だったかしら?」
「ええ、はい」
「殿下が何をお考えかはわかりかねますが⋯⋯ご苦労なさると思いますわ」
やはり、第二王子がルチアに近づいた件についてだろう。アーテルは苦笑した。
「殿下のお戯れでしょう。当家にも妹本人にも、そのような気はございませんわ」
「貴女がたにその気がなくとも、婚約者候補と言われる令嬢がたの家がどう思うかが問題なのではなくて?」
「それは⋯⋯」
その通りだ。そして、アーテルはそれを危惧していた。
「殿下の兄君は、隣国の王女と婚約なさいましたから。第二王子殿下の婚約者が誰になるかは、長らくたいへんな関心ごとでしたわ。そこに候補でもなかった令嬢が突然割って入るだなんて、前代未聞ですもの」
「⋯⋯ええ、おっしゃる通りです」
第二王子の兄──実質上の次期王位継承者とされる第一王子が国内から婚約者を選ばなかった時点で、第二王子の婚約者に選ばれる家が影響力を強めるだろうと言われていたのだ。
そして、第二王子もそれをわかっていたからこそ、今まで婚約者を決めなかったのだろうと思われる。
「面白く思わない家は必ず出てくるでしょう。お気をつけになって」
「⋯⋯ありがとう、ございます」
だからこそ、続いたアンネロッサのその言葉が意外だった。
他人事のような、そんな温度を感じたのだ。
訝しげな表情のアーテルに気づいたのだろう、アンネロッサがふっと笑った。
「どなたを選ぶかは殿下の自由ですもの。わたくしども候補と言われる者たちだって、周囲が勝手にそう言っているだけですわ」
「それは⋯⋯」
「気を遣ってくださらなくても結構よ。⋯⋯殿下にご挨拶に伺いたいので、これで失礼いたしますわ」
そう言って踵を返してから、ふと、アンネロッサは動きを止めた。
「⋯⋯次にお会いするとしたら王立学院ですわね。そのときはよろしくお願いします」
「こちらこそ、⋯⋯仲良くしていただけるとうれしいです」
軽く振り返ったアンネロッサは目を丸くし、ふわりと笑った。
「ええ。こちらこそ」
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