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第2章 転生令嬢たちは平穏な生活を望む。
01. 姉妹は思いを巡らせる。
しおりを挟むそれからの1年弱はあっという間だった。
ルチアはメラニーのもと淑女の教育に勤しんだ。
ほんの1年前までの14年間を平民として暮らしていたのだ。もちろん難航した。
それでもメラニーの粘り強い指導とルチアの諦めない姿勢で、彼女の所作と言葉遣いはどんどんと洗練されていった。
そして、長年の平民暮らしで荒れ果てていた肌や髪も使用人たちの気遣いや本人の努力により、すっかり美しく整った。
特に姉が融通したという最高品質の美容品の類が、ルチアの体に合ったようだった。
心身ともに随分と貴族令嬢らしくなったルチアは、何も知らぬ者が会っても彼女の出自には気づかぬだろうと思われるほどになったのだった。
対して、アーテルは家令とともに領地運営の勉強に励み、商品開発にも取り組んだ。
実母亡き後は諸々を家令が執り仕切っていてくれたものらしい。──とはいえ、いくら彼が優秀でも最終決定権がないために、最後は現在領主としての権限を与えられている父の認可を得ていたらしいが。
これらはいずれすべてアーテルが担うことになるのだからと、家令は前々からアーテルに勉強を勧めていたらしいが、当時のアーテルはそれを徹底的に拒否していた。
それを突然やはり勉強したいと申し出たものだから、当然のごとく家令は怪訝な顔をしていた。
だが、この前向きな心変わりは歓迎すべきものであったために、家令はすぐにあれこれ取り計らってくれた。
今では、アーテルも彼と一緒に領地に関する資料を見つつ、自分なりに考えてあれこれ考えを述べるまでになった。
まだまだ家令や亡き実母のようにはできないが、なるべく早く追いつこうと必死に努力を続けている。
そんな姉妹の息抜きは、毎日午後に行う二人でのお茶会だ。
今日も時計を気にしながら切りのいいところで勉強を中断し、いそいそと集まった。
「はぁ~、今日もお茶が美味しいですねぇ、お姉さま」
「ふふ、そうね」
二人だけであるからそこまで作法は気にせず、くつろいだ様子でお茶を楽しむ。
ちなみにお茶会の会場は、互いの部屋を交互に行き来している。今日はアーテルの部屋だった。
「昨日言っていた書き取りはどうなの?ルチア」
「やっと半分が終わりました。もうカップを持つ手もだるいです」
書き取りとは、文字の練習のことだ。
誰かにきちんと教わったわけではないルチアの字は、癖がひどく、所々つづりも間違う始末だったのだ。
所作に関しては一通り終えたため、次は文字に取りかかるのだと聞いていたのだ。
そしてそこは相手がメラニー。
尋常でない量の書き取りをさせられているらしい。
「でも、まだまだお姉さまの字と並べられたら泣きそうになるほどひどいので、がんばります!」
「あまり無理をしたら駄目よ。腱鞘炎になってしまうわ。──そうだ」
妙案を思いついたとばかりに、ぽんと軽く手を打つと、アーテルは侍女を呼んで何事かを命じた。
ここ1年ほどでアーテルの心変わりは使用人たちの間でも随分と評判になり、今では彼女に怯える者はいない。
むしろ、早く18歳の成人を迎えて家督を継いでほしいと願う者まで出てきた。──逆に言えば、彼女たちの両親は相変わらず、ということである。
やがて侍女が薄紫の小瓶を手に戻ってきた。
「お姉さま、それは?」
「ラベンダーの香油よ。新しく作ったの」
言いながら、アーテルは少量を手に垂らし、手のひらに伸ばしながら体温で軽く温める。
ルチアに声をかけて彼女の利き手を取ると、香油を塗り込むようにマッサージをした。
「筋肉が固まっているわ。随分と頑張ったのね」
「ふわぁあ⋯⋯気持ち──ッ、あたたたっ!」
「ごめんね。でもちょっとほぐした方がいいわ」
「いたっ!いけど気持ちいい!」
給仕役として控える侍女たちが、思わずといった風にくすくすと笑いをこぼした。
この1年ほどで、この姉妹はさらに仲良くなったと微笑ましく思っているのだ。
やがてマッサージを終えたアーテルは、最後に温めたタオルでルチアの手を包んで優しく拭い、自分の手も拭いた。
「ありがとうございます、お姉さま!すっごく気持ち──いや、少し痛かったけど⋯⋯でも気持ちよかったです!おかげで手が軽くなりました!」
「それはよかったわ」
「これ、婚約者の方にもされたら喜ばれると思います!」
無邪気に放たれたルチアの一言に、アーテルは思わずむせそうになった。
「ルチア。さすがにそれは、ちょっと⋯⋯」
「どうしてですか?王子殿下の侍従をされていますし、わたし以上に疲れていらっしゃるんじゃないかと思ったのですが」
「それは、そうなんだけど⋯⋯」
きょとんとした顔のルチアに、アーテルは上手く言い返せなかった。
ルチアは、姉とその婚約者はたいへん睦まじいと思っているらしい。
アーテルとアドルファスとのお茶会は、月に一度、短いときで半月に一度程度の頻度で続いているので、そこだけを見ると世間一般としては仲の良い部類に入るのだろうが。
(ルチアはアドルファス様とのお茶会の雰囲気を知らないからそんなことが言えるのよ⋯⋯)
侯爵邸で社交界デビュー前の貴族子女を集めたお茶会の後、二人きりでのお茶会をしたが、それ以降行う二人のお茶会も基本的に同じような雰囲気になってしまっている。
アドルファスはいつもむっつりとした様子で、互いに言葉少なにお茶を飲み、菓子を食べるのだ。
(あれだけ好青年という様子だったアドルファス様は、何故だかすっかり無口な方になられたし⋯⋯それでもどうして定期的にお茶会をしているのかしら)
彼も辛くはないのかと思うのだが。
それでも、お茶会が終われば手紙をやりとりし、気づけば次の約束が取り付けられてしまう。
(──ああ、それでも。たまに優しい笑顔を見せてくださるのはうれしいわ)
お菓子があんまり美味しかったり、ちょっとした話が面白かったりしたとき。
思わずアーテルが笑みをこぼせば、彼も優しく笑ってくれるのだ。
その笑みがアーテルには、いつもとてもまぶしく見える。
「──次にわたしが婚約者の方にお会いできるとしたら、来月のデビュタントのときですね!以前にお会いしたときはご挨拶をできなかったので、そのときに改めてきちんとご挨拶させてください!」
ルチアの言葉で、アーテルは現実に引き戻された。
来月にある年始の集いで、この年に社交界デビューを迎える貴族子女が宮殿に一堂に会し、一種のお披露目会のような舞踏会を行うのだ。
16歳で社交界デビューとなるアーテルとルチアの姉妹、そしてアドルファスもそれに参加することになる。
「⋯⋯そうね」
「楽しみですね!」
ルチアは屈託なく笑うが、アーテルの胸の内には言いようのない暗雲が立ち込めたように思った。
アーテルもルチアも、とうとうデビュタントを迎える。
そしてここからは、結婚相手探しの非常に大事な時期となる。
貴族の子女の中でも特に高位の家になると、18歳の成人までにはほとんど婚約者を決めてしまうのだ。
しかし、ルチアにはまだその相手がいない。
アーテルは、何としてでも彼女に相応しい相手を見つけようと、一人心に誓ってはいるのだが──。
物語のヒロインのような妹、悪役令嬢のようだった姉──意地悪な姉の婚約者が、可愛らしい妹に乗り換えるなんて、そんな"定番"の話が前世の記憶にこびりつくように残っているけれど。
(⋯⋯それならそれでいいのよ。ルチアが幸せになれるなら)
そう思ったアーテルの胸の内──どこかが軋むように痛んだ。
屈託なく笑った笑顔の下、ルチアは遠い記憶になりつつある『白薔薇は愛の中で咲き誇る』のあらすじを必死に掘り起こしていた。
(わたしの記憶が確かなら、ヒロインはデビュタントの舞踏会から数ヶ月後の王立学院の入学式で、第二王子と出逢う。──それが、物語のスタート)
物語が始まるということは、以前に感じた『物語の強制力』がもっと強く働いてしまうことになるかもしれない。
だから、完全に自分の自由に動ける時期は、あとほんの少ししかないのだ。
(王立学院入学後に第二王子との恋愛フラグを発生させないためには、舞踏会をうまく利用しないと!)
舞踏会のその裏では、令息も令嬢も婚約者がいない者は、将来の嫁探し夫探しに奔走するという。
ルチアはもちろん、アーテルを貶める可能性のある第二王子と恋に落ちるつもりはない。
それに加えて、『気になっている令息がいる』という状態であれば、より第二王子の目に留まりにくいだろうと考えたのだ。
(1年かけて身につけた礼儀作法で、次こそお姉さまに迷惑をかけないことと、仲良しの異性をつくること!これが今回の目標ね!)
ルチアは心の中で呟き、必ずややり切ってみせると、アーテルに見えぬ位置で拳を握りしめた。
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