上 下
12 / 22
第1章 転生令嬢たちは決意する。

12. 妹は仕出かす。

しおりを挟む

お茶会の正式な開始時刻になったらしく、主催のクレヴィング侯爵家令息のアドルファスが現れて、会場に声をかけた。

「皆様、たいへん長らくお待たせいたしました。用意が整いましたので、これからお示しする席にお座りください」

アドルファス・クレヴィングは、くすんだ金髪に蒼玉サファイアの瞳の美丈夫だった。
第二王子の侍従と言いながら、護衛の任も兼ねているからだろう。体つきは文官と言うよりも武官に近い。
ともすると厳つく見られそうな青年だが、口元に浮かんだ柔らかな笑みがそれを和らげていた。

その姿は、当然、ルチアの前世の記憶にある姿絵と同じだ。──なぜだか、今はどこか疲れた様子に見えるものの。

そして、用意が整ったというのは建前で、実際は正式な開始前に自由な歓談の時間を取ってくれていたのだろう。
この後は性別や家の格によって座席が割り当てられるため、与えられた席を飛び越えての交流は難しいからだ。
事実、お茶会用の席はルチアたちが到着する前からすでに整えられている様子だった。

「ヴェインローゼ伯爵家のアーテル様とルチア様はこちらのお席へ」

示されたのは、令嬢たちの中では最上位の者たちが集まるテーブルだった。
今回のお茶会に参加する子女の家格は、最高で侯爵家のようだ。
下手な侯爵家よりも財力があると言われる筆頭伯爵家のヴェインローゼ家としては、当然の位置だろう。

「よかったわ、ルチア。不安な思いをさせてごめんなさいね」

着席の間際、アーテルがルチアにだけ聞こえる小声で言う。
その一言でルチアは涙がこぼれそうになった。
先程の、言ってしまえば無礼講の時間にルチアと離れてしまったことを、姉は後悔しているのだろう。

ルチアだって、大丈夫だと頷いたものの実際は心細くてたまらなかった。
その後、姉は何やら小難しい話を周りの令嬢と始めてしまって、もう顧みてもらえないのだろうと覚悟を決めていたのだが。

(ありがとう、お姉さま⋯⋯)

その一言だけで救われた。
周りは麗しい笑みの下で何を考えているかわからない、貴族令嬢という生き物ばかりだ。
その中でどう振る舞うべきか、圧倒的に経験則の足りないルチアにとって、アーテルが傍にいることはこの上なく心強い。

それに、ルチア自身も慢心していたのだ。
自分は『白薔薇は愛の中で咲き誇る』という話の主人公ヒロインなのだから、と。

(普通に考えればそうよね。主人公補正なんて存在しない。わたしは、貴族の中においては最下層なんだわ)

男爵家の庶子を母親にもち、父親と母親とはもともと不倫の関係。不義の子と呼ばれる生い立ち。
そして、十数年間を平民として暮らしていた。

そんな背景をもちながら、普通の貴族令嬢として扱ってもらえる、それどころか、ヒロインとしてちやほやされると思い上がる方がおかしかったのだ。
物語の中のヒロインルチアがあまりにキラキラしていたから、その当然のことを見失ってしまっていた。

(心を強くもって、少しでも貴族令嬢らしく振る舞わなければ。お姉さまに迷惑はかけられない)

決意をこめて、ルチアは凛と顔を上げる。
だが──その手は、想像以上のプレッシャーに震えてしまっていた。


「先程の香水のお話、もう少し詳しく聞かせていただいてもよろしいかしら?」

テーブル毎に挨拶を終えると、早速侯爵家の令嬢がアーテルに話を振った。
アーテルも待ち構えていたのだろう、もちろんだとばかりにその話に応じる。

──そんな姉たちのやりとりだが、ルチアには遠い出来事のように朧げにしか聞こえていなかった。

所作を間違えてはならないと、自分の一挙手一投足に集中することで精一杯だったのだ。
他の令嬢たちが次の食べ物に手を伸ばしたのを横目で確認し、自分も最後に取り分けようとする。

何とかなっているか──と思ったときだった。

「──ア、ルチア」

アーテルが小声で必死に名を呼び、テーブルに隠れたルチアの脚をそっとつつく。
それで我に返ったルチアは、自分の皿に取り分けようとしていたケーキを落としてしまった。
それは白いテーブルクロスの上で一度跳ねて、アーテルの方に落っこちた。

「あっ──!」

ルチアの顔からさっと血の気が引く。
落ちたケーキは白いクロスにジャムの跡を残し、アーテルの膝上で無惨に崩れてしまっていた。
クリームやケーキ生地などがぐしゃぐしゃになった残骸が、美しいワインレッドのドレスを汚している。

「ご、ごめんなさい、わたし──!」
「いいから。アンネロッサ様のご質問にお答えしなさい」

潜められているが、姉の強い言葉にはっとして顔を上げれば美しい微笑を浮かべた令嬢と目が合った。

豪奢な金の巻毛に翠玉エメラルドの瞳をもつ、華やかな美女だった。
その顔に浮かぶのは確かに笑みなのだが──それにはどうしようもない凄みがあり、柔らかさなどは微塵も感じられなかった。

そして──その顔に、ルチアは見覚えがあった。

「わたくしのお話を聞いていらした?ルチア様」

『白薔薇は愛の中で咲き誇る』の作中で、ヒロインのルチアと第二王子殿下を取り合うライバル──トレンメル侯爵令嬢アンネロッサだった。

ルチアは顔を青くして言葉を失ってしまった。──おそらく、ルチアが自分の所作に気を遣って神経をすり減らしているときに、何か話を振られたのだろう。それに彼女は気づけなかったのだ。
──結果的に、格上の令嬢の言葉を無視したことになる。

「ご、ごめんなさい。あの、わたし──⋯⋯聞いて、おりませんでした⋯⋯」
「あら、そう。では別にいいわ」

震える唇で何とか謝ったルチアに、アンネロッサは興味を失ったとばかりにふいと顔を逸らした。
その顔は、次いでアーテルに向く。

「アーテル様、そのままではせっかくのドレスに染みがついてしまいますわ。別のお部屋をお借りしてはいかがかしら?」
「えぇ、そうですわね⋯⋯」

姉たちの会話が別世界の出来事のように思える。
心臓が飛び出てしまったのではないかと思えるほどに鼓動の音はうるさく鳴り響いているのに、手足は血が通っていないように冷え切ってしまっていた。

動けないルチアの耳に、密やかな嘲笑が刺さった。

「いやだわ、侯爵令嬢でいらっしゃるアンネロッサ様のお話を聞いてらっしゃらなかったのかしら」
「ひどく真剣にケーキを選んでいらしたものね。まぁ、お姉さまのお膝の上に落としてしまわれたけど」
「本当にひどいお方だわ。アンネロッサ様のお言葉を無視した上に、お優しいアーテル様に嫌がらせまでなさるなんて。やっぱり生まれが卑しいと違うわね」

周囲の令嬢が侮蔑の眼差しとともに囁く言葉が、ルチアの心に追い討ちをかけていく。
やってしまった、どうしようと、それだけが頭の中でぐるぐる回って。目の前が真っ暗になる。

──その瞬間、だった。

ぱしゃり、と。血の気の失せたルチアの耳に、なぜか水音が聞こえた。
何だろう、と思ったときにはドレスに隠れた脚に違和感を覚えた。

「あら、ごめんなさい。こぼしてしまったわ」

隣に座る、どこか冷たい姉の声。脚に感じる濡れた感触。
──それでやっと、アーテルがこぼした紅茶がルチアのドレスにかかったのだとわかった。

それにしても、『こぼした』なんて生やさしい表現に収まるような様子ではない。
狙って勢いよくカップを倒さなければ、ルチアのドレスまで濡れなかっただろう。
幸い紅茶はだいぶ冷めていたようで、濡れた布がまとわりつく不快感と冷たさだけがある。

それでも、その状況下においてまだルチアは呆然としていた。

「ああ、もう。姉妹そろってドレスを汚すだなんて恥ずかしいわ。皆様、申し訳ありませんが、私どもは別室をお借りしてこの見苦しい姿を少々直して参ります。なるべく会の終了には間に合わせますので、そのときはまたよろしくお願いいたしますわ」

言うが早いか、アーテルは立ち上がって優雅に一礼する。
他の令嬢たちが呆気に取られて動けない間に、アーテルはルチアの腕を引っ張って無理に立たせると、そのまま颯爽と歩き出した。


「──アーテル嬢⁉︎」
「アドルファス様」

テーブルの騒ぎが伝わったのだろう。アドルファスが歩み寄ってきた。
彼はアーテルの汚れたドレスに気づき、目をみはった。

「それは⋯⋯」
「お恥ずかしい話ですが、粗相をいたしましてこのような状態なのです。たいへん申し訳ありませんが、どこか一室をお借りできませんか?」
「あ、あぁ⋯⋯侍女に案内させよう」

アドルファスは早口で告げたアーテルに面食らいながら、彼女に腕を引かれたルチアに気づき──彼女のドレスも紅茶か何かで無惨に濡れてしまっているのを見て唖然とした。

「アーテル嬢、それは、」
「では失礼いたします」
「し、失礼します」

困惑するアドルファスに構わず、アーテルと、遅れてルチアは一礼すると、案内の侍女すら置き去りにする勢いでさっさと会場を後にした。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

(完)婚約破棄と白い子犬

恋愛 / 完結 24h.ポイント:14pt お気に入り:353

【完結】義妹とやらが現れましたが認めません。〜断罪劇の次世代たち〜

ファンタジー / 完結 24h.ポイント:191pt お気に入り:1,156

処理中です...