【完結】義妹とやらが現れましたが認めません。〜断罪劇の次世代たち〜

福田 杜季

文字の大きさ
上 下
39 / 42

【後日譚①】辺境行きの馬車の中で

しおりを挟む

──その馬車の中は、奇妙な緊張感と悲愴感に満ちていた。

大型の幌馬車には、ぎゅうぎゅうに人が押し込まれていた。季節が季節ならその熱気に耐えられず、早々に茹だって何人か倒れていたことだろう。
向かい合うように設置されたベンチには、走行時の衝撃を吸収するスプリングのような気の利いたものが設置されているはずもなく、当然のようにクッションの付いていない硬い座面は、目的地に近づくにつれて悪化していく路面の状況を的確に教えてくれた。

その馬車の中に、トリスタン・フィングレイはいた。

侯爵家の嫡男─と言っても、すでに降爵が決定している─であっても、平民を含めたその他大勢と待遇が変わることはない。
何故ならこの馬車が向かう地は、爵位や身分というような国の中央で権威をもつものが一切役に立たぬ土地であるからだ。

中央からはただ『辺境』と、時には侮蔑をこめて呼ばれる地──カルヴァート辺境伯領。
この幌馬車に押し込まれた年若い騎士たちは、その地へと送られているのだ。
この国で最も魔物による脅威に晒されている地へ。

カルヴァート辺境伯領は国の西端、魔の森と呼ばれる鬱蒼とした森と接している。
そこは隣国との緩衝地帯であるのだが、隣国がこの森を越えて攻め入ってきたことは歴史上ない。
なぜなら、その森が文字通り魔窟であり、人の世の理から外れた場所であるからだ。

辺境伯は有事に備えて兵をもつことを許されていたが、その屈強な私兵はすべて魔物を退けるためにのみ使われている。
それでも慢性的な人手不足で、国の計らいによりこうして年に数度、国が擁する騎士団から一定数が派遣されていた。
貴族家の嫡男以外の騎士たちが、騎士人生のうちどこかで最低2年は辺境へと送られるのだが、嫡男以外であるのは死亡率がどの任地よりも高いからだ。

だから、死地と呼んでも大げさではない辺境行きの幌馬車の中は、静かで重い沈痛な空気で満ち満ちているのだ。
ある者は青い顔でただただ震え、ある者はぼんやりと虚空を見つめ、またある者は俯いて何事か呪詛を唱えている。

ちなみにだが、貴族家の嫡男以外にも辺境への派遣から逃れる方法がある。
辺境行きの声がかかる前に、騎士団内である程度の地位まで出世してしまうか、辺境伯家に対して一定額以上の献金を行うかだ。
だから、将来声がかかることに備えてコツコツ給金を貯める者や、金に余裕があって子供が可愛い家などは、その手段を取ることが多かった。

そう思えばこの馬車の中にいるのは、金が貯まり切る前に声がかかった者か、実家に金を工面する余裕がなかった者か、──自分のために金を出すことを、親が惜しんだ者か。
辺境行きから逃れたかった者で、しかも本人が家の金を当てにしていたとなれば、その落胆や絶望ぶりは想像するに余りある。

だから、その中においてトリスタンは完全に異色だった。
彼は同乗の騎士たちの様子を見たり、悪路に苛まれる尻の痛みにため息をついたりする余裕があった。
それは、彼が受動的にこの馬車に乗せられたわけではなく、能動的に乗ったからに他ならない。

彼は、座った股ぐらに置いた袋に視線を落とした。
そうして、この馬車に乗り込む前、辺境行きの騎士たちが家族と最後の別れを惜しんだ騎士団詰所の一角にある広場を思い出した。


周囲には、泣き顔の者ばかりだった。
見送りに来た家族と別れを惜しみ合う──これが今生の別れになるかもしれないから。
特に、この王都近郊の騎士を集めて出発する隊は、他の地域よりも死亡率が高い─王都近郊は比較的治安がいいからか、騎士も軟弱だと言われている─から、より不安が強いのだろう。
そうやって涙を流す者がいる一方、どうせ見送りは来ぬからとさっさと馬車に乗り込む者もいる。
一人で呆然と突っ立っている者は、その決心もつかずにいるのか、それとも家族が見送りにも来てくれなかったのか。

家族は見送りに来ぬだろうと分かりきっていたトリスタンは、特に感傷に浸ることなく馬車に乗り込もうとした。
その背に、予想外にも声がかかったのだ。

「トリスタン!」

久方ぶりに聞いたその声に、思わず振り返ってしまった。
その先には──白い顔色をした母親と姉、それに付き添う元家令がいた。

「母上、姉上⋯⋯」

ぽかんとして彼女たちを呼べば、母がすぐさま駆け寄ってきた。

「よかったわ、間に合って」
「⋯⋯どうしてここに」
「辺境行きの馬車が今日出ると聞いたからよ」

淡々と答える姉の顔を睨む。

「そうではなくて、何故俺なんかのところに──」

言い差したトリスタンに、姉が布包みを押しつけた。

「餞別よ。お母様に感謝なさい」

思わず受け取れば、それなりの重さが腕にかかる。
それを見下ろしていると、腕を組んだ姉がため息をついた。

「⋯⋯元お父様は、どう騙くらかしたの」
「え?」
「この辺境行きのことよ。騎士団もさすがに許諾なりは取っているでしょう。貴方は跡取りですもの」

トリスタンはしばらく俯いていたが、やがて口を開いた。

「⋯⋯愚かな行動により、辺境に飛ばされることになったと」
「あくまで騎士団からの辞令だと、嘘をついたわけね」

相変わらず姉は遠慮がない。
セシリア、と横から母が咎めるように名を呼ぶ。

「そんな風に誤魔化すのなら、大人しく騎士を辞めていればよかったのでしょう。どうしてそこまでしてしがみついたの」
「⋯⋯出来のいい姉上には分からないだろうな」

思わず憎まれ口が飛び出した。
姉はどういう意味だとばかりに眉を釣り上げて首を傾げる。

「姉上のように頭の出来のよくない自分は、武働きでないと手柄が挙げられない。⋯⋯愚かな行動の始末をつけるには、騎士であることは必要だと思っただけだ」

だから、と彼は言葉を続ける。先程言い切れなかった言葉を。

「父上には、3年以内に手柄を挙げて、無事に帰るとも伝えてある」
「⋯⋯随分と軽く言うのね」

姉が顔を顰める。

「辺境伯領よ?そこで手柄を挙げるってことは、魔物との戦闘で武勲を挙げるってことなのは分かっているわよね?⋯⋯トリスタン貴方、魔物と戦った経験はあるの?」
「⋯⋯訓練で何度か」

姉は額を押さえて深々とため息をついた。

「⋯⋯まだ夢見がちなところは治っていないようね」
「では聞くが、それ以外に俺に何ができる」
「そのくらい自分で考えなさい。貴方ももう子供ではないでしょう」

姉はぴしゃりと切り捨てる。

「セシリア、そのくらいになさい。貴女だって、トリスタンをやり込めるためだけに私について来たわけではないでしょう?」

母の言葉に、確かにとトリスタンも思う。
姉が母の付き添いとはいえ、わざわざ自分に会いに来るとは思わなかった。
姉は険しい顔つきのまま、ふぅと息をついた。

「⋯⋯手柄を挙げる、ね。あの男を追ったわけでも、死にに行くつもりでもないようね」
「それは、もちろん⋯⋯」
「自意識過剰な妄言吐きになるつもりはないと言うのなら⋯⋯──辺境伯軍のグイドという人物を訪ねなさい」

突然飛び出した名前に、トリスタンは寸の間固まった。

「⋯⋯グイド?それは⋯⋯」
「ラザル子爵様が辺境にいた頃にお世話になった方らしいわ。平民出身だけど一部隊を任せられるほどの実力者で、誰よりも魔物の生態や倒し方に詳しいと」

ラザル子爵──アルフレート・ラザル第一騎士隊長騎士団長への昇進も噂される騎士である。
貴族としてはそこまで家格の高くない彼がそこまで昇り詰めようとしているのは、若い頃に辺境で立てた武勲が大きいとも言われていた。

「と言っても、辺境伯軍でも有名な変わり者で、たいそう気難しい方らしいわ。貴方には難しい相手でしょうね」

姉は、トリスタンが騎士学校時代に他者と打ち解けられなかったことから、そんなことを言うのだろう。

だが、今の彼にはそんな言葉も気にならなかった。むしろ、刺々しい言葉も以前の自分の態度を思い出せば、当然だとしか思わなかった。

それどころか──こんな自分に対して、無駄になる可能性も想定した上で、求めないと手に入らないだろう情報を得て、それを与えるためだけにこの場に現れてくれたのだと、そこまできちんと想像できたから。

「姉上──恩に着ます」

素直に口から滑り出た言葉は、しかし、彼女には予想外だったのだろう。姉はしばし固まっているようだった。
その隙に、トリスタンは母に向き合う。彼女は少し、涙ぐんでいた。

「母上も、わざわざありがとうございます」
「⋯⋯命を大事にしなさいね、トリスタン。遠い地からではありますが、貴方の無事を毎日祈っています」

母が手を伸ばし、トリスタンの手を包み込んだ。掲げたそれに額をつけるようにして、祈りを捧げる。
どこまでも母の慈愛に溢れたその言葉と行動に、トリスタンは深く礼を返した。

返しながら──どうして以前の自分は、姉の言葉や母の愛情を素直に受け取ってこれなかったのだろうと、苦い後悔を感じていた。

別れを惜しむ人々の間を割くように、出発の合図となる鐘が打ち鳴らされた。

トリスタンは改めて、見送りに訪れたかつての家族に向けて頭を下げた。

「武運を祈っているわ。くれぐれも健勝で」

最後に、母が万感の思いをこめ、震える声でそう言った。
初めて見たかもしれない母の涙が、いつまでも焼きついて離れなかった。


出発した馬車は、一刻も早く荷を運ばねばならぬとばかりに、まともな休憩も取らずに進む。
激しい揺れに悩まされる馬車の中、股ぐらに置いた頂き物の袋の中には、衣類や乾燥させた果物等の捕食、そして金貨が入っているのを確認していた。
愚かな息子に渡すにしては、上等すぎるものたちだった。

「──早く、帰れるように頑張らないと」

ぽつりと呟けば、近くの者がこちらを窺う気配を感じたが、その視線もすぐに逸れた。
もとより、この馬車に乗る者で他者を気にかける余裕のある者などいない。

トリスタンの脳裏には、最後の姉の一言が残っていた。

『3年と言わず、なるべく早く手柄を立てて戻りなさい。さもなくば、あのお父様がフィングレイの家を潰してしまうわよ』

思い出して、微かに笑みが零れる。

それならば、なるべく早く、なるべく大きな手柄を立てなければ。
たとえ父が家を潰してしまっていても、自分の手柄だけで爵位をもらえるような、そんな武勲を。
しおりを挟む
感想 47

あなたにおすすめの小説

【完結】英雄様、婚約破棄なさるなら我々もこれにて失礼いたします。

ファンタジー
「婚約者であるニーナと誓いの破棄を望みます。あの女は何もせずのうのうと暮らしていた役立たずだ」 実力主義者のホリックは魔王討伐戦を終結させた褒美として国王に直談判する。どうやら戦争中も優雅に暮らしていたニーナを嫌っており、しかも戦地で出会った聖女との結婚を望んでいた。英雄となった自分に酔いしれる彼の元に、それまで苦楽を共にした仲間たちが寄ってきて…… 「「「ならば我々も失礼させてもらいましょう」」」 信頼していた部下たちは唐突にホリックの元を去っていった。 微ざまぁあり。

〈完結〉遅効性の毒

ごろごろみかん。
ファンタジー
「結婚されても、私は傍にいます。彼が、望むなら」 悲恋に酔う彼女に私は笑った。 そんなに私の立場が欲しいなら譲ってあげる。

悪役令嬢ですか?……フフフ♪わたくし、そんなモノではございませんわ(笑)

ラララキヲ
ファンタジー
 学園の卒業パーティーで王太子は男爵令嬢と側近たちを引き連れて自分の婚約者を睨みつける。 「悪役令嬢 ルカリファス・ゴルデゥーサ。  私は貴様との婚約破棄をここに宣言する!」 「……フフフ」  王太子たちが愛するヒロインに対峙するのは悪役令嬢に決まっている!  しかし、相手は本当に『悪役』令嬢なんですか……?  ルカリファスは楽しそうに笑う。 ◇テンプレ婚約破棄モノ。 ◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。 ◇なろうにも上げてます。

いっとう愚かで、惨めで、哀れな末路を辿るはずだった令嬢の矜持

空月
ファンタジー
古くからの名家、貴き血を継ぐローゼンベルグ家――その末子、一人娘として生まれたカトレア・ローゼンベルグは、幼い頃からの婚約者に婚約破棄され、遠方の別荘へと療養の名目で送られた。 その道中に惨めに死ぬはずだった未来を、突然現れた『バグ』によって回避して、ただの『カトレア』として生きていく話。 ※悪役令嬢で婚約破棄物ですが、ざまぁもスッキリもありません。 ※以前投稿していた「いっとう愚かで惨めで哀れだった令嬢の果て」改稿版です。文章量が1.5倍くらいに増えています。

お二人共、どうぞお幸せに……もう二度と勘違いはしませんから

結城芙由奈@2/28コミカライズ発売
恋愛
【もう私は必要ありませんよね?】 私には2人の幼なじみがいる。一人は美しくて親切な伯爵令嬢。もう一人は笑顔が素敵で穏やかな伯爵令息。 その一方、私は貴族とは名ばかりのしがない男爵家出身だった。けれど2人は身分差に関係なく私に優しく接してくれるとても大切な存在であり、私は密かに彼に恋していた。 ある日のこと。病弱だった父が亡くなり、家を手放さなければならない 自体に陥る。幼い弟は父の知り合いに引き取られることになったが、私は住む場所を失ってしまう。 そんな矢先、幼なじみの彼に「一生、面倒をみてあげるから家においで」と声をかけられた。まるで夢のような誘いに、私は喜んで彼の元へ身を寄せることになったのだが―― ※ 他サイトでも投稿中   途中まで鬱展開続きます(注意)

婚約破棄をされた悪役令嬢は、すべてを見捨てることにした

アルト
ファンタジー
今から七年前。 婚約者である王太子の都合により、ありもしない罪を着せられ、国外追放に処された一人の令嬢がいた。偽りの悪業の経歴を押し付けられ、人里に彼女の居場所はどこにもなかった。 そして彼女は、『魔の森』と呼ばれる魔窟へと足を踏み入れる。 そして現在。 『魔の森』に住まうとある女性を訪ねてとある集団が彼女の勧誘にと向かっていた。 彼らの正体は女神からの神託を受け、結成された魔王討伐パーティー。神託により指名された最後の一人の勧誘にと足を運んでいたのだが——。

【完結】陛下、花園のために私と離縁なさるのですね?

ファンタジー
ルスダン王国の王、ギルバートは今日も執務を妻である王妃に押し付け後宮へと足繁く通う。ご自慢の後宮には3人の側室がいてギルバートは美しくて愛らしい彼女たちにのめり込んでいった。 世継ぎとなる子供たちも生まれ、あとは彼女たちと後宮でのんびり過ごそう。だがある日うるさい妻は後宮を取り壊すと言い出した。ならばいっそ、お前がいなくなれば……。 ざまぁ必須、微ファンタジーです。

転生悪役令嬢に仕立て上げられた幸運の女神様は家門から勘当されたので、自由に生きるため、もう、ほっといてください。今更戻ってこいは遅いです

青の雀
ファンタジー
公爵令嬢ステファニー・エストロゲンは、学園の卒業パーティで第2王子のマリオットから突然、婚約破棄を告げられる それも事実ではない男爵令嬢のリリアーヌ嬢を苛めたという冤罪を掛けられ、問答無用でマリオットから殴り飛ばされ意識を失ってしまう そのショックで、ステファニーは前世社畜OL だった記憶を思い出し、日本料理を提供するファミリーレストランを開業することを思いつく 公爵令嬢として、持ち出せる宝石をなぜか物心ついたときには、すでに貯めていて、それを原資として開業するつもりでいる この国では婚約破棄された令嬢は、キズモノとして扱われることから、なんとか自立しようと修道院回避のために幼いときから貯金していたみたいだった 足取り重く公爵邸に帰ったステファニーに待ち構えていたのが、父からの勘当宣告で…… エストロゲン家では、昔から異能をもって生まれてくるということを当然としている家柄で、異能を持たないステファニーは、前から肩身の狭い思いをしていた 修道院へ行くか、勘当を甘んじて受け入れるか、二者択一を迫られたステファニーは翌早朝にこっそり、家を出た ステファニー自身は忘れているが、実は女神の化身で何代前の過去に人間との恋でいさかいがあり、無念が残っていたので、神界に帰らず、人間界の中で転生を繰り返すうちに、自分自身が女神であるということを忘れている エストロゲン家の人々は、ステファニーの恩恵を受け異能を覚醒したということを知らない ステファニーを追い出したことにより、次々に異能が消えていく…… 4/20ようやく誤字チェックが完了しました もしまだ、何かお気づきの点がありましたら、ご報告お待ち申し上げておりますm(_)m いったん終了します 思いがけずに長くなってしまいましたので、各単元ごとはショートショートなのですが(笑) 平民女性に転生して、下剋上をするという話も面白いかなぁと 気が向いたら書きますね

処理中です...