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25. 母と娘 〜母の憂鬱
しおりを挟む「──そう、分かったわ。ありがとう、フィリップ」
書簡に落としていた目を上げ、座るよう勧めても断って立ったままだった老齢の使用人を見やる。
「シンシア様には如何なさいましょう」
伝えるのか、伝えるとしても誰が、ということだろう。
私は少しだけ考えて、一度頷いた。
「お母様には私が伝えるわ。⋯⋯少し心配だけど」
微かなため息とともに吐き出せば、私たち母子を主人と見定めて付いてきてくれた彼もまた、気遣わしげな表情を浮かべた。
私たちが公爵家に来てから、もう1ヶ月近くが経とうとしていたが⋯⋯
──母は、離縁等々の手続きを終えてからは、一人で自室にこもることが多くなっていた。
フィリップとそんな話をしていると、母付きの侍女が慌てたようにやって来た。
彼女から伝言を聞くと、すぐに伺う旨を返事して、身だしなみを確認すると、フィリップを連れて部屋を出た。
そうして向かった母の部屋は、彼女が嫁いだときからそのまま残してあったらしい。
母が好きなように家具等を揃えたというその部屋だが、上等な調度品は時の流れなど感じさせない。しかもその雰囲気は自分の好みに近いものがあり、親子というものの不思議さを感じた。
そんな中──机とソファが置かれた応接用のスペースに、母が座していた。
「お待たせしてしまい、申し訳ありません」
「いえ、いいのよ。突然だったのはこちらだわ」
下げた頭を上げつつ、不躾にならない程度に、対面に座す母を上目遣いでこっそり窺う。
常よりも輝きのない髪に、少し痩けた頬、青白い肌に気づいた。
"月の女神"と讃えられた美貌も今は翳って、実年齢よりも若く見えた容貌には憔悴の色が濃い。
人払いをして、一人だけ残したフィリップに茶の用意をお願いし、私も母の向かいに腰を下ろした。
「実は私からもお話があったので、ちょうど伺おうかと思っていたのです」
「そう⋯⋯その話というのは?」
「⋯⋯先日の件についての沙汰が下ったようなので、お伝えしようかと思って⋯⋯」
そう言うと、母の表情が強張ったのが分かった。
彼女はやがて、白い顔のまま頷く。
「分かったわ。先に話してちょうだい」
「⋯⋯分かりました」
まずは、メリルを養女にすると唆し、他家にもそのように話して婚約話を進めようとした詐欺罪に問われている、元父のトビアス・フィングレイ侯爵である。
「侯爵は、他家の皆様を惑わし混乱させたということで、婚約話をしたお家に対しての賠償金の支払いと、自領の屋敷での半年間の謹慎、そして──降爵と、それに伴って一部の領地の返還が言い渡されたようです」
多額の税収があったエンシーナに加えて、他の領地も失うのだ。フィングレイ家は、この賠償金の支払いで一気に傾くことだろう。払い切れるだろうかとの心配すらある。
元父がどのようにこの危機を乗り切るかだが──正直、やることなすこと裏目になる元父の手腕に、まったく期待はできない。
「20年前の件もあり、奪爵も検討されたそうですが⋯⋯今回の謀りには実害がなかったということで、国王陛下がたいへんなご厚情をくださったようです。もちろん、次はないものと思われますが」
元父は養女だとしてメリルの婚約者を探していたが、どの家も元父の言葉をまともに聞かず、相手にしなかった。
そんな風に最初は愚か者の世迷言だと捨て置かれていたようだが、多くの家に声をかけて回ったことでさすがに問題になり、第一騎士隊が出張る事態となってしまったのだ。
詰所に連れて行かれた元父は、そこで婚約話をもちかけた家がどこであったかの事実確認等を行ったようだ。家ではあんな態度の元父だったが、大変なことになっているとの自覚はなんとか生まれたのだろう、取調べには素直に応じたらしい。
そうして聴取が終わると、騎士団でこってりと絞られたということだ。
その後、元父は王都の屋敷に戻ったようだが、人が減って閑散とした様子に驚いていたことだろう。
それでも下された処罰に従い、速やかに自領へと引っ込んだはずだ。もしかするともう着いた頃だろうか。
20年前の断罪劇後、祖父であった先代の侯爵や母の尽力や献身により、なんとか評判をもち直しつつあったフィングレイ家は、また落ち目の家となった。
他の貴族たちは波が引くようにさらに離れていくことだろう。
むしろ、この状況下で近づいてくる者がいるならば、逆に怪しいのだが⋯⋯母や家令がいなくなり、丸裸状態の父にその辺りの判断がつくのか疑問である。
青白い顔の母は、元夫の情けなさすぎる現状を聞いても、眉ひとつ動かさなかった。侯爵家のことはもう完全に吹っ切ったと見ていいだろう。
そのことに、ほっとした。
次は、あちこちでフィングレイ侯爵家の養女だと吹聴した、自称サイラスの娘のメリルである。
「メリルは、今も厳しい取調べが続いているようです。お祖父様暗殺に関わった者たちの中で、現在も無事で騎士団の手にあるのは、サイラスと彼女だけですから」
そんなメリルだが、取調べを行うこと自体にも難儀しているらしい。
下手な男性騎士に当たらせると、分かりやすく媚を売ったり色目を使ったりするらしく、万が一が起こらないよう、最近では枯れた老騎士か女性騎士が取調べを担当しているとのことだ。
そうやってやっと取調べがまともに進むかと思ったら、彼女はまた何やら喚き始めたようである。
『このような尋問が許されると思っているの?サイラスの娘というのも仮の姿よ。わたしは、本当は王族の血を引いているの。しかも、王位継承権ももつような直系の血よ?アンタたちみんな、不敬罪で処刑してやるわ』
どうしてそんな話が飛び出したかと思えば、メリルは自身の本当の本当の父として、20年前の断罪劇で事実上の島流しに遭った元王太子殿下の名前を挙げたという。
取調べに当たっていた騎士はさすがに対応に困り、ラザル卿に助けを求めたらしい。
そのため、不承不承ながらラザル卿が尋問を交代したそうだ。
『それが事実であれば大変なことだ。すぐに血縁関係を判定する術で確認の上、陛下にご報告しよう』
『何よ!王家の血を引く者の言葉が信じられないとでも言うつもり⁉︎』
『たいへん失礼なことだが、王族の落胤だと騙る愚か者も多いのでな。見つけ次第、王族に対する不敬罪で即刻処断しているのだ。頭の痛いことに、そのような痴れ者ではないと証明せねば、陛下にまで話を通せない。
⋯⋯では、術の準備をさせるので、しばし待たれよ』
そんな術などまだ研究途中で確立されてなどいないのに。真面目にそう言い切ったラザル卿に、何も知らないメリルは、顔を真っ青にして慌てたらしい。
『じょ、冗談よ!そんなのもわからないなんてつまらない男ね!』
『そうか。こんな状況で冗談を言う者の神経など理解したくもないがな。さて⋯⋯王族に対する不敬罪も罪状に加えておくぞ』
『冗談だって言ってるでしょ!流しなさいよ!』
などと、無駄なやり取りを重ねて罪を増やし続けているらしく、手間がかかってしまっているらしい。
結局お前の父親は誰なんだとラザル卿が問えば、再びサイラスの名前を挙げたらしい。
彼女にとっては元王太子の娘だという話は、おそらくとっておきの奥の手だったのだろう。だが、王族の名を軽々しく出せぬと分かり、それ以外で一番身分の高い者にしたようだ。
サイラスはメリルに、プライセル公爵家に養子に入る予定のラザル卿の次男と現プライセル公爵が死ねば、自分の娘であるメリルに爵位が回ってくると話したらしく、彼女は頑なにそれを信じているらしい。
サイラスは廃嫡されていると言っても、それでも娘の自分には継承権があるのだと言って聞かない。
そもそも何故サイラスが今ごろ改めて公爵位を狙いに来たかだが、おそらく、彼の血を引くかもしれないメリルが現れたからだろうということだった。
自分は廃嫡されたが、自分の子であるメリルであれば爵位継承に喰い込める──そして、ついでに自分の廃嫡を撤回させれば公爵になれると、愚かにもそう考えたのだろう。
横領によって大金を手にした男は、本来は得られるはずだった権威をも手に入れたいと、思い上がったものらしい。
そのためには養子に入る予定だったラザル卿の次男が邪魔だったために、まず殺した。
その上で、メリルを跡取りとして指名させるため、公爵との話し合いの席を設けようと持ちかけたが──当然、公爵は今さら話すことはないと、門前払いで突っぱねた。
その対応に激怒したあの男は歯止めが利かなくなり、どうせなら現公爵も殺して成り代わろうと考えたのではないか──あまりに短絡的だが、自分中心に考えているあの男らしいといえばらしい。
もちろん、例え一族の血を引く者すべてが死に絶え、プライセル公爵家が途絶えることになろうとも、サイラスとメリルに爵位がもたらされることは、絶対にあり得ないのだが。
しかし、メリルの本当の父だが、おそらく本人も─もしかすると母親も─誰なのか知らないのではないか、というのがラザル卿の言だ。
母親が男性関係に奔放であったために、誰が父親か予想がつかないか、与太話ばかりを娘に聞かせていたか、血縁関係など確認しようがないからとメリルが好き放題に騙っているか。──あるいは、そのすべてか。
「──あの子も、可哀想な子ね」
ぽつりと、母が呟いた。
その言葉に思わず眉を顰めてしまう──確かに頭が可哀想な子ではあるが、その所業はもはや周囲の同情を誘いもしない。
私の表情に気づいたのだろう、母が苦笑をこぼした。
「もともとは、私たち親世代が残した禍根が原因なのよ。きっと、あの子があそこまで歪んでしまったのも」
その言葉を聞いて、なんとなく、母が何を思い悩んで部屋にこもっていたのか、分かった気がした。
お母様、と常よりも儚い姿になった女性に呼びかける。
「確かに、生まれる環境は選べません。ですが、何を理想としてどう生きるかは、自分で選べます。 ⋯⋯少なくとも、私はそうやって生きてきました」
ラザル卿は脅すために極刑という言葉を出したが、メリルはおそらく死刑にまではならない。
あの迂闊さを見る限り、サイラスが計画した公爵暗殺については、漏洩を恐れてほとんど何も知らされていないだろう。
予定していた取調べが彼女の自業自得で長引いてはいるが、通り一遍の尋問が終われば、刑の執行へと動くはずだ。
おそらく、国外追放になるらしい──もっとも、ただのメリルである彼女には、いくつか条件が付けられるようだが。
命を繋いだ彼女が、その後どう生きるか──
過去を忘れて心機一転とは、彼女の性格上いかないだろう。
おそらく遠い異国の地で、恨み嫉みに囚われながら、母国の誰かを憎みながら生き続けるのではないか、と思う。
そしてその、けして満たされることも幸せになることもできないだろう生き方は、自らは労せず、他者のものを奪い、誰かを踏み台にすることで何者かになろうとした彼女に対する、本当の罰なのかもしれない。
もう会うこともないだろう。
それでも、そんなこと言えた立場ではないかもしれないが、──そうならなければいい、と。
控えめに願っておいた。
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