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16. 20年越しの断罪劇 〜父の勘違い
しおりを挟む「なっ⋯⋯なん、だと⋯⋯⁉︎」
あまりの衝撃に呼吸もままならぬと言いたげに、父は意味もなくはくはくと口を動かす。
その様子を、母は冷めた目で眺めていた。
「お尋ねしますが、あれだけのことをなさっておきながら、私がそのような手段に出ないと、本当にそう思われていたのですか?それは⋯⋯」
母はその先を言わなかったが、何を言おうとしたか、私にはすぐに分かった。私も何度も父に対して思ったことだったからだ。
──なんておめでたい、と。
「だ、だとしてもこの紙に書いてあった条件はなんだ!いくらお前の実家が公爵家とはいえ、こんな無茶苦茶な条件を呑ませられると思っているのか!」
無茶苦茶な条件とはどれだろうと、その紙に書かれていたことを知る私は、内心首を傾げた。
まず間違いなく、私の親権の主張は違うだろう。父ならば喜んで差し出すはずだ。
あとは、まさかとは思うが──
「このありえない賠償金の額に、加えてエンシーナまで奪うつもりか⁉︎ 馬鹿にするのも大概にしろ!」
エンシーナとは、ここ10年ほどで一躍有名になった、美しい海岸線を誇る国内きっての高級リゾート地である。
フィングレイ侯爵家が税を徴収する広大な土地の中でも、特に税収が高い場所でもある。
父のその言葉にも母はまったく動じることなく、むしろ深々とため息をついてみせた。
「無茶苦茶ではございません。貴方もご存知のはずの条件です。左の紙をご覧になってください」
「なんだと⋯⋯?」
不承不承ながらも父が左端の紙を見れば、その顔がさらに青ざめていく。
「思い出されましたか?その紙には、例のヴァリシュ魔法学院での騒動のときに、フィングレイ侯爵家がプライセル公爵家に示した賠償の内容が記してあります」
いわゆる『ヴァリシュの断罪劇』の際、マリアナについた貴公子の側に、愚かにも父がいたのだ。
騒動後、当時のフィングレイ侯爵─父の父─は、プライセル公爵─母の父─に伏して詫びながら、その紙に書いてある賠償を申し出たという。
多額の賠償金と、広大なフィングレイ侯爵領から好きな地を与える─公爵家はエンシーナを選んだ─という、破格の内容であった。
プライセル公爵家は武家として名高く、祖父に代表されるように、何人もの騎士団長を輩出している、まさしく名門であった。
それに加え、母は王太子妃候補にもなった才覚と、"月の女神"と讃えられる美貌を合わせもつ、才色兼備の令嬢として社交界で評判だった。
引く手数多の公爵家令嬢と一人息子との縁談を取り付けた際は、侯爵家はお祭り騒ぎになったらしい。
だからその破格過ぎる賠償には、せっかく繋いだ公爵家との縁を無かったことにしたくないフィングレイ侯爵家の必死さがにじんでいるのだ。
「こ、こんなことは知らない!こんなもの、デタラメだ!」
往生際の悪い父は、2枚目の紙もこれまたビリビリに破いてしまった。
しかし、いくら足掻こうとも母の余裕は崩れない。崩れようがなかった。
「あらあら。破いたところでごみが増えるだけですわ。正式な書類は国に預けてあります。それは写ですので、何をしようとも関係ありませんのに」
「違う!これはお前が改竄した偽物だろう!」
口角泡を飛ばしながら、父は叫ぶ。
「エンシーナはプライセル公爵家になど渡っていない!私が爵位に就いたここ10年ほどで価値を高めてきた土地だ!それをこのような機会に掠め盗ろうなどと、盗人猛々しい!」
「無知をさらすのもいい加減にしてくださいませ。⋯⋯本当に、何もご存知ありませんのね」
父の主張に、母はぴしゃりと言い切ってから、可笑しそうに笑った。
「エンシーナは、20年前の賠償時にプライセル公爵家名義の土地になっております。しかし、私がフィングレイ侯爵家に嫁ぐにあたり、賠償で逼迫した侯爵家の財政を心配した私の父が、侯爵家に一時的に貸し与えていたに過ぎません。それを離縁に際し返してもらう、それだけの話ですわ」
「そ、そんな馬鹿な⋯⋯!」
「私の言葉を疑われるならば、国にお問い合わせください。公的にもそうなっております」
愕然とする父に、追い討ちとばかりに母が畳みかける。
「それに、エンシーナのことをさも自分の手柄のようにおっしゃらないでください。あの地を今のような有名観光地にしたのは、私であることをお忘れなく」
それは事実である。
フィングレイ侯爵家は広大な領地こそ持つものの、その土地はほとんどが農耕地となっている。
その中にあってエンシーナは、海の近くのために塩害が酷く、農地としては適していないとして長い間持て余されていた。
それを母は、むしろその砂浜や海岸線の美しさに目をつけ、賠償の際に摂取し、風光明美な観光地として整備した。
今日のエンシーナがあるのは、間違いなく母の手腕によるものだった。
「もちろん、エンシーナの整備にはプライセル公爵家の資金を使っております。それなのに、その収益はフィングレイ侯爵家に入れて差し上げておりました。むしろ感謝していただきたいくらいですわ」
断罪劇の賠償のために、フィングレイ侯爵家の財政は大きく傾いた。
それを支えたのは、母であったというのに。
父はその努力を知ろうともせず、領地運営にも興味を示さず、収入が増える理由を考えずに当然と思いながら、浪費をし続けた。
──エンシーナを失うと、フィングレイ侯爵家は再び傾くのだろう。
母は言わなかったが、母が注力したのはエンシーナだけだ。
最初は、祖父が亡くなって父が爵位を継いでから、侯爵領すべてに何らかの手を加えようとしていたのだが、これまた父の愚かな行動によってそれを止めている。
だから、将来離縁することを見据えて、侯爵家が利することがないよう、離縁後にも手元に残る土地にしか、力を注がなかった。──故に侯爵家は潤沢な財政には成り得ず、多少の倹約が必要であったのだが。
──それもこれもすべて、父の愚かな行動によるものだ。
とうとう行動を起こすに至り、どこか晴れ晴れとした表情の母から、何も気にせず安穏と日々を送っていた父へと視線を移す。
魂が抜けたように呆け、椅子に寄りかかって座る父が、どこまでも哀れで滑稽だった。
「──めない」
しばらく呆けていた父の瞳に微かに光が戻ったかと思ったら、ぽつりと何事かを呟いた。
母が怪訝そうに眉を寄せると、瞳の光は強くなり、もたれかかった椅子から背を起こし、強く机を叩いた。
「認めない!離縁など、けして認めないぞ!」
叫んだ勢いのままに立ち上がり、母に詰め寄ろうとする。
その間に家令がすっと身を割り込ませたために掴みかかることはなかったが、父の目はギラギラと異常に輝いていた。
「離縁などしてたまるか!そもそも、お前が私と離縁するという正当な理由はなんだ⁉︎ 何もないだろう‼︎」
──この父は、何を言っているのだろう。
あれだけの無体を母に働いておきながら、それでも自分には非がないと思っているのだろうか。
「⋯⋯離縁をする正当な理由がないと、本当にそうおっしゃるのですか?」
「当然だ!お前の自己都合による離縁であれば、むしろ慰謝料を払うべきはお前だろう!」
父は語気荒くそう言うが──母を庇う家令までもが、哀れそうに父を見ていた。
母は大きくため息をつくと、眼光鋭く父を見据えた。
「──私を愚弄するのも大概になさい」
氷のような声が響く。
その瞳には、嫌悪以外の感情は浮かんでいなかった。
「最後の紙をご覧くださいませ」
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