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【幕間②】彼と、ある騎士
しおりを挟む──彼に初めて会ったのは、確か7つかそこらのときだった。
遊びに行った祖父の家、でも姉のように祖父とずっと一緒にいるのは苦痛で、逃げるように庭の散策に出かけたのだ。
季節の花々が咲き乱れる美しく整備された庭を、なるべく本邸から遠ざかるように歩く。
森のように木々が生い茂った一帯、その中にぽっかりと口を開けた空き地にたどり着くと、やっと人心地つけたように感じて、そこにあった切り株に座り込んだ。
「──男?」
どれくらいそうしていたのだろう、ふとかけられた声に顔を上げる。
そこには、どこかで見たような髪と瞳の色の、背が高くがっちりした体付きの男の人が立っていた。
勝手にこんなところまで来てしまった負い目から、慌てて事の顛末を語った。──母と姉とともに祖父の家に来たこと。何となく邸にはいづらくて庭に出てきたこと。人のいない方へ向かってここにたどり着いたこと。
彼は思案げに話を聞いていたが、やがて満足そうに頷いた。
「──シンシアの子だな」
その言葉に首を傾げた。確かに、シンシアは自分の母の名だった。
でも、ここ数年はその名を誰の口からも聞いていない──自分たちはお母さまと呼ぶし、使用人たちは奥様と呼ぶし、父は⋯⋯そもそも呼んでいるところを聞いたことはない。
だから、久しぶりに聞いたその名がどこか不思議に思えた。
そこから、彼とは色んな話をした。というより、自分が一方的に喋った。
厳しい祖父母と一緒に暮らしていること。母に甘えることが許されないこと。父は自分たち子供にあまり興味がなさそうなこと。3つ上の姉は出来が良いこと。いつも比べられて自分は辛い思いをしていること。
母のことを知っているということが、安心と信用に繋がったのだろう。
何より、彼は自分と同じ髪と瞳の色をしていたから。
彼の話も聞きたいとねだれば、彼はぽつぽつと話してくれた。
昔、この邸に住んでいたこと。1つ下に出来の良い妹がいたこと。比べられて嫌な思いをしたこと。それでも実力でいろいろなものを得たこと。それなのに、嵌められてすべてを失ったこと。
自分の境遇と似ている気がして、より親近感を覚えた。
信じていた婚約者や家族に裏切られ、罠に嵌められてあらゆるものを失っていく過程には、自分まで悔しく悲しい気持ちになった。
そうして、ふと、相手の名前を知らないことに気づいた。
自分だって名乗っていない。
彼にそう言えば、苦笑が返った。
お互いに知らない方がいい──そういう意味のことを言われる。
どうしてか分からなくて首を傾げていると、彼が腰に剣を提げていることに気づいた。
剣を持ち歩いていい職業なら知っている。
「おにいさんは、騎士なの?」
問えば、彼は自分の腰の剣を見て、そして頷いた。
思わず羨望の眼差しで見上げれば、持ってみるかと剣を外して手渡してくれる。
だが、本物の剣の想像以上の重さに、まともに持ち上げることすらできなかった。
彼は笑って、今度は木でできた剣と交換してくれた。
それはなんとか持ち上げることができたので、昔見た祖父の真似をして何度か振ってみる。
すると彼は、もっとこうするとよくなると、あれこれとアドバイスをしてくれた。
その通りになるように夢中で剣を振っていると、やがて彼はこう言ってくれた。
「なかなか筋がいいな。精進すれば立派な騎士になれそうだ」
──そんな褒め言葉は、初めてかけられた。
密やかな感動が胸のうちに広がった。
もっと剣を教えてもらいたかったのに、戻った方がいいと止められた。
さらに、自分と会ったことは誰にも話すなと口止めされる。
「ここに来ればまた会える?」
悲しい気持ちで尋ねれば、彼は頭を撫でてくれたが、何も言ってくれなかった。
促されて、後ろ髪を強く引かれながらも邸の方へと戻った。
気づけば、途中から泣き出していた。
それから、自分は騎士を目指した。
勉強ではまったく姉に敵わなかったが、別の道もあると気づけたのだ。
同居の祖父母は自分の選択にいい顔をしなかったが、それから数年後に亡くなったので、どの学校に入るか揉めずにすんだ。
母方の祖父は応援してくれているようだった。祖父も昔、騎士だったのだ。
12歳で騎士の学校に入学した。
周りは自分を遠巻きにして陰口を叩くような嫌な奴らばかりで、そんな奴らにおもねるよりはと、孤立しても馬鹿にされても一人で過ごした。
そんな日々の中で、彼に再会した。
騎士団の方の見学に行ったときだった。
案内役の一人に彼がいた。
見学を終えて解散してから、彼に声をかけた。
彼が誰かは、もう分かっていた。
騎士団のとある部隊に籍を置いていることを知り、次からはそこに会いに行くことにした。
そこで、初めて会ったときに聞いた話を、もっと詳しく聞くことができた。
騎士学校に入学する前に、深刻な顔をした母からも似たような話を聞いていたが、驚くほど違う内容だった。
──初めて、身内を心の底から軽蔑した。
母と、その母の言うことをすべて信じているらしい姉を、憎悪した。
やがて、自分には義姉ができた。
もしやと思って彼に話すと、連れてくるように言われた。
義姉も彼を知っているようだった。
彼に引き合わせると、しばらく二人で話をしていた。どんなことを話したのか、自分には教えてくれなかった。
別れ際、彼は自分に言った。
「いいか。お前も騎士なら、命に換えても彼女を護り抜け」
義姉のことは好きでも嫌いでもなくて、ただあまりの唐突さへの驚きと困惑だけがあった。
それでも、彼が言うならば否やはない。
そのくらい、彼の存在は自分の中で絶対的なものになっていた。
彼の命に騎士の礼で応えると、彼は満足そうに笑った。
「じきに"時"はくる。そのときまでメリルを頼んだぞ、トリスタン」
「お任せください──伯父上」
彼の名は、サイラス。
今は名乗ることを許されなくなってしまった姓は、プライセルという。
実の妹と婚約者に罠に嵌められ、実の父親からも見捨てられて公爵家から勘当され、次期騎士団長の座から追い落とされて閑職に左遷された、悲劇の人だった。
彼を貶めた悲劇は、俗に『ヴァリシュの断罪劇』と呼ばれた──
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