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12. 夜会にて 〜首飾りの結末
しおりを挟む「撤回なさい、無礼者」
自分でも驚くほど固く冷たい声が出た。
メリルが呆けた顔をさらしている。──彼女をここまで直接的に罵ったのは、初めてだった。
「⋯⋯え?お義姉さま、どうしたの突然」
「先程の言葉を撤回しなさいと言ったのです。名家のご令嬢方に対して、あのような暴言⋯⋯恥を知りなさい」
「な、なんで?」
心底わからないと言いたげだった。
「だって事実でしょう?トリスタンだって言ってたわ、『女学院の令嬢は頭でっかちで口だけは達者だから面倒だ』って!」
──その言葉を、よりにもよって婚約者の前で言うか。
視界の端、うつむいた少女に気づく。
彼女がいることに気づいていなかったという訳はないだろう。
メリルは確実に、ティルダを見て表情を変えていた。
「まだ無礼なことを申しますか。その発言は、この場の方たちはもちろん、女学院に通うすべてのご令嬢方を貶めるものです」
「なによ、先に馬鹿にしてきたのはそっちじゃない!」
少しふらつくも勢いに任せて立ち上がり、顔を歪めてメリルは見下ろしてきた。
「そもそも、わたしは侯爵家の娘なのよ?そのわたしにそのように言ってくるなんて、そっちの方がよっぽど無礼だわ!」
令嬢たちを指差すという、禁忌の行動を堂々としながら言ってのける。
この娘は、と天を仰ぎたいほどの虚しさを覚えた。
あれだけ何度も何度も何度も言っているというのに、まだ言うのか。
「何度も言っているでしょう。貴女はフィングレイ侯爵家の娘などではありません。貴女の身分では到底許されぬ言動の数々、さすがに目にも耳にも余りますわ」
「それは、お義姉さまとお義母さまが認めたくないってだけでしょう?当主であるお義父さまが娘だと、そうおっしゃってるのよ」
「だとしても、貴女は当家の娘ではありません」
メリルは、物分かりの悪い子供に対するような、困った表情を浮かべた。
しかしそこに慈愛はなく、底には嘲りが透けて見えた。
「⋯⋯まぁ、お義姉さまも、お義母さまも、お義父さまにかわいがられているわたしが、憎いんでしょう、けど。⋯⋯でも、見苦しい、わ」
「その言葉、そっくりそのまま貴女に返しますわ」
そう言い返しながら、ふと気づいた。
先程から顔が白いと思っていたが、やはりメリルの様子がおかしい。
もともと息が上がっていたのは、例によって軽薄な子息でも捕まえてダンスをしていたからかと思っていたのだが。
それにしてもあれから時間も経っているし、言い合ったからにしても、不自然なほどに息が荒い。
「本当に、お義姉さまったら⋯⋯いじ、わ⋯⋯る⋯⋯」
「⋯⋯メリルさん?」
思わず声をかけたとき、メリルの華奢な身体が傾き、くずおれた。
辛うじて長椅子に取りすがり、床に倒れ込むことは避けたようだったが、その体はくたりとしていて力がない。
「ど、どうなさいましたの?」
令嬢方が驚いたように声を上げる。
近くの人々も異変に気づいたのだろう、にわかに騒がしくなる。──というよりはおそらく、言い合う私たちはしばらく前から悪い注目を集めていたのだろう。
私はとりあえず令嬢方に声をかけ、椅子にすがるメリルの身体を引き上げて長椅子に横たわらせた。
その顔からは完全に血の気が失せており、蝋のように白かった。
その胸元を見下ろして、ため息をつく。
「⋯⋯セシリア?彼女、どうしたの、突然」
「ええ、何と言うか⋯⋯自業自得というものよ」
「⋯⋯え?」
もしくは、身から出た錆。因果応報。
常よりも白い肌の上、変わらず美しく輝くブルーダイヤモンドを見やる。
それにしても、タイミング的にはあまりよろしくなかったかもしれない。
「大丈夫よ。魔力酔いをしただけでしょうから、すぐに治るわ」
さすがに心配そうにしている令嬢たちに微笑みかけ、首元を飾る見事なシャンデリアネックレスを外してやる。
「──セシリア!何をしている!」
そこへ、聞きたくもなかった声が割り込んできた。
「⋯⋯お父様」
珍しくも随分と早い登場だと思ったが、おそらくこの父も近くの休憩室にいたのだろう。
お歴々への挨拶もそこそこに、昔からの仲間と休憩室で煙草を吸うのが、母が実家に戻ってからの父の夜会での常態だ。
父は険しい顔つきで私を睨み据えている。
「セシリア、メリルに何をしたんだと聞いている。⋯⋯あぁメリル、可哀想に」
不愉快なことに、目の曇った父には私がメリルを害したようにしか見えていないのだろう。
「メリルさんが突然倒れたので、介抱していただけですわ」
「嘘をつけ!お前とメリルが言い争っていたと聞いたぞ!」
言ってから、目ざとく私の持つ首飾りに気づいたようだった。
「またその首飾りか!成程、そのことでメリルに腹を立てて手でも挙げたか。我が娘ながら恥ずかしい奴だ」
勝手に結論づけようとする父を睨めつけた。
「勝手な推論をおっしゃらないでください。私とメリルさんはただお話をしていただけですわ。確かに、お互いに少し熱くなっておりましたが、誓って手出しはしておりません。お疑いになるのならば、周りの方々に確認なさってください」
その言葉に、父は周りを見渡そうとして──すぐに視線を落とした。
今になってやっと、自分に向けられる厳しい視線に気づいたのだろう。
どこでもお坊っちゃま然とした振る舞いを崩さぬ父の評判は、社交界ではすこぶる悪いのだ。
「で、ではメリルはどうしたと言うのだ!」
「おそらく魔力酔いでしょう。この首飾りを着けたせいですわ」
「ま、魔力酔い⁉︎」
父が頓狂な声を上げる。
何を驚いているのだろうと、私は怪訝な目を向けた。
曾祖母が降嫁するにあたり、妹を溺愛していた兄王が授けた首飾りだ。持ち主に害がないよう、護りの術式が組み込まれている。
その動力源となるのは、ブルーダイヤモンドの周りに侍る、美しくカットされて宝石然としている魔石たちである。
そのため、首飾り自体が常に強い魔力を帯びていた。
「魔力値の高い方なら平気だったでしょうけれど、残念ながらメリルさんはそうではなかったようですね」
とは言っても、当時の王がかわいい妹のために財力にものを言わせて作らせた首飾りだ。並の魔力の持ち主では耐えられまい。
「──まさか、こうなることを想定していなかったなどとおっしゃいませんよね?」
父もこの首飾りの由来を知っていた。当然、常人には身に着けられぬ代物であることも。
だから私は謂れを知っているか確認したのだ。──もちろん、父はその意味するところに気づくことはなかったが。
睨み上げた父の顔は、心なしか青白い。
「いや、だって、まさか⋯⋯──マリアナの子なのに」
ひそりと呟かれた名は、聞き覚えのあるものだった。
やっと自らその名を出したかと、父には珍しく、今までボロを出さなかったことを褒めたいくらいだ。
これだけ人が集まっている。
他にもその名を聞いた人もいることだろう。
そして、聞いたなら確実に顔をしかめたはずだ。
マリアナ──結婚後は、マリアナ・ベルク男爵夫人となった。
貴族籍にある、ある一定以上の年齢の者で、その名を知らぬ者はおそらくいない。
数年前に不慮の事故で亡くなってからも、陰で囁かれるその悪評が絶えることはない女性。
元平民で、高位貴族の令息や豪商の息子、当時の王太子に至るまでを誑かした稀代の悪女。
何を隠そう、『ヴァリシュの断罪劇』の首謀者の名だった。
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