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29 【完】
しおりを挟むその日は、朝から良い日和だった。
セシリアは精緻なレースをふんだんに使った白を基調としたドレスを着て、母から譲り受けた首飾りを身につけた。
そんなセシリアに付き添う母や祖父もそれぞれ正装に身を包んでいる。
そうして三人は、公爵家の馬車に乗り込んで王都の中心に位置する大教会へと向かった。
本日そこで、セシリアとエリアーシュの婚約式が行われるのだ。
この国の婚約式は、両家の近しい親族が集まり、立会人のもと書類の取り交わしが行われる。
立会人は、中立的な第三者として聖職者に依頼することが多い。
特に貴族の婚約であれば王都の大教会で行うのが常だった。
公爵家の馬車が大聖堂に到着すると、すでに子爵家の馬車も着いているようだった。
待ち構えていたように正装した麗しい青年騎士が歩み寄ってくる。
「おはようございます。本日はよろしくお願いいたします」
馬車から降りる公爵家の女性陣に手を貸しながら、エリアーシュが微笑む。
最後に降りたセシリアは、彼に向けて笑い返した。
「ありがとうございます。こちらこそ、本日はよろしくお願いいたします。⋯⋯それと、おめでとう、エル。大金星を上げたそうね」
「耳が早いね」
例によって取ったままの手を離してくれないエリアーシュに後半は小さな声で囁けば、彼は照れくさそうに笑った。
この間、エリアーシュが訓練とはいえ小隊長に一対一で勝利したというのだ。
それ以外にも、彼は次々と実績を積んでいるという。
「言っただろう?セシリアが傍で笑っていてくれれば、俺は何でもできるって」
耳元に吹き込まれるように囁かれ、セシリアは顔を赤くした。
晩餐会での一件以来、エリアーシュはさらに距離を詰めてくるようになっており、セシリアがたじろぐこともままあった。
「ふふ。仲がよろしいようで結構ね」
「そうね。だけど、あまり迫り過ぎては嫌われるわよ、エリアーシュ」
「わかってます、母上」
母親同士が楽しそうに笑い合う姿を見て、エリアーシュが苦い顔をする。
対して、我に返ったセシリアは衆前で何をやっていたのだろうと余計に頬を赤くした。
「お迎えがいらしている。行きましょう」
ラザル子爵が声をかけ、一団はぞろぞろと聖堂内へ移動した。
通されたのは、大教会内に存在する祈りの場の一つだった。
婚約式のためだけに貸し切りになっているらしく、二家以外に人はいない。
部屋の広さのわりに立派なステンドガラスが見下ろすそこで、両家は向かい合わせに着席し、婚約に関わる書類の確認と署名を行った。
最後に立ち会いの聖職者が内容を確認し、頷いた。
「確かに確認いたしました。それではこれにより、エリアーシュ・ラザルとセシリア・プライセルの婚約が調いましたことを宣言いたします」
その言葉を聞いた瞬間、セシリアはエリアーシュを見た。
彼もちょうどその瞬間にセシリアの方を向いたらしい。視線が交わる。
そして──どちらからともなく頷き合い、微笑みあった。
折角だから大教会を見学したいと申し出たセシリアにエリアーシュも従い、二人して奥にある大聖堂へと向かった。
セシリアは何度か来たことがあるものの、じっくりと見学するのは初めてらしい。
隣できょろきょろ辺りを見回す彼女を愛おしく思う。
だからこそ──もう傷つけてはならない、絶対に護り抜かなければと思う。
『アイリスの件は暴走したあの子が全面的に悪いんだけれど。エリアーシュ、あんたにも責任があるってことはわかるわね?』
晩餐会の後、姉が厳しい声で言った言葉がよみがえる。
ティレット伯爵令嬢はあの後、伯爵邸に着いてからも「自分は悪くない」と言い張り、自室に籠城して大変だったらしい。
だが、それが決定打となって彼女は伯爵家の後継から外された。
姉曰く"アイリスのような華はないが実直で勤勉な"次女が、代わりに伯爵家を継ぐこととなったらしい。
侯爵家の次男と進んでいた婚約話は、次女へとすり替わって、それでも問題なく進んでいるということだ。
それを知ったアイリスが、今度は後継に戻してくれと抗議して大変らしいが──さすがにそこから先は伯爵家の問題だ。
だが、余罪のあったアイリスに継承権が戻ることは、間違ってもないだろうとウィレミナは断言していた。
とは言え、そもそもアイリスに付け入る隙を与えたのは完全にエリアーシュの失態だ。
溝が深まる前に取り返せたからよかったものの、泣き別れになっていた可能性もあったのだ。
「──すごい⋯⋯」
大聖堂に着いた。
多くの椅子が並ぶ奥、壁面全体を使って作られた壮大なステンドガラスに、思わずといった風情でセシリアが感嘆する。
そんな彼女の手を引いて、エリアーシュは真っ直ぐにステンドガラスに向かって進んだ。
「式はここで挙げようか」
「え?」
「たくさん招待して、セシリアが俺の花嫁だってことを知らしめないと。⋯⋯だって、セシリアはこんなに綺麗なんだから」
冗談めかしつつも、その目は真剣そのものだった。
セシリアは照れながらも、小さく首を振った。
「小さなところでいいわ」
「⋯⋯どうして?」
「⋯⋯私の素敵な旦那様を、あまり他の人に見せたくない⋯⋯から⋯⋯」
言いながら恥ずかしくなったらしい。声が尻すぼみになる。
落ち着いてきていた彼女の頬がまた赤く色づいた。
「エルの気持ちもわかるわ。⋯⋯確かに色々あって不安にもなったけれど。だけど、いい勉強にもなったから」
「いい勉強って?」
「あんまり考え過ぎたら駄目ってこと。何か悩んだり困ったりしたら、すぐにエルに相談すればよかったのだから」
予想外の言葉に、エリアーシュは目を丸くした。
彼女が"色々"をそう解釈しているとは思わなかったのだ。
「私、誰かに頼るのってすごく苦手だったみたい。⋯⋯家のことがあって、絶対に弱音は吐けないと思っていたから」
セシリアの告白に、エリアーシュは視線を前に向けた。
「俺も⋯⋯格好とか体裁にばかりこだわってしまっていた。セシリアに格好悪いところは見せられないって。⋯⋯何より大事にしなければならなかったのは、セシリアのことだったのに」
「⋯⋯それなら、お互い"いい勉強"だったのね」
笑ってくれるセシリアに、エリアーシュも頷いた。
気づけばステンドガラスの真下に来ていた。
神々しいまでの光が二人に降り注いでいる。
「セシリア。君には情けない姿も見せるかもしれない。それでも、共に生きてほしい」
真っ直ぐに目を見つめて言ってくれたエリアーシュに、もちろんとセシリアも頷く。
「私も、また迷うかもしれないし、悩むかもしれない。それでも、私とずっと一緒に生きてくれる?」
エリアーシュも力強く頷いてくれる。
「もちろん」
その返答に、心からの笑顔を見せてくれたセシリアに向き直り、エリアーシュは彼女の腰を抱いて密着した。
突然近づいた顔同士に焦る彼女に、エリアーシュはいたずらっぽく笑う。
「──私エリアーシュ・ラザルは、心からの愛と献身をセシリアに捧げると誓います」
慌てふためいていたのは、エリアーシュが真剣な顔でそう告げるまでだった。
セシリアは、はっとしたように動きを止めると、同じく表情を引き締めた。
「私セシリア・プライセルも、心からの愛と献身をエリアーシュに捧げると誓います」
見つめあった婚約者たちは、心底しあわせそうに微笑みあった。
すると、片方の影が寄り、もう一方は一瞬驚いたようにのけぞったが──
──やがて、静かに影が重なった。
Fin.
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