29 / 31
28
しおりを挟むラザル子爵夫人──オフィリアは、穏やかな表情で晩餐の様子を眺めていた。
末子の婚約者候補の令嬢が参加した晩餐である。
隣同士に座った彼らは、全体での会話を楽しみつつも、時折二人で何事かを話し合い、笑い合っている。
睦まじげに見つめ合うその様子が、母であるオフィリアには微笑ましい。
(⋯⋯まさか、こんな日が来るなんてね)
末子エリアーシュは、良く言えば大人びた、悪く言えば諦観した子供だった。
その聡さ故か相手の望みを汲むことが上手く、小さい頃からあまり手のかからない子だと言われていた。
騎士の家系に生まれた男児ということで、ラザル子爵家の三兄弟は幼い頃から騎士となるべく稽古をつけられた。
そんな中、才能が突出していたのは次男だ。
父や他の騎士たちにも褒められ、将来は素晴らしい剣士になるに違いないと期待されていた。
そんな次男に対し、三男のエリアーシュは、いつも二つ違いのそんな次男の影に隠れていた。
才能がないわけではない。
エリアーシュはただただ平凡だった。
だけど──母親であり、女だてらに騎士に囲まれて生きてきたオフィリアにはわかった。
エリアーシュは、あえてその能力──それも、尋常ならざる才能を隠しているのだと。
何事にも淡白なエリアーシュは、騎士としてのし上がることには惹かれなかったらしい。
稀代の騎士として名を馳せることもなければ、どうしようもない穀潰しになることもなく、ただ淡々と生きているようだった。
その理由に思い当たるものがあったからこそ、母親であるオフィリアはその生き方を咎めることはできなかった。
その原因は、おそらく次男だったからだ。
次男は、もともと非凡だった才能を研鑽によってさらに花開かせた、努力の天才だった。
加えて、天性の負けん気ももっていた。
それに対し、純然たる天才であったエリアーシュは、自らが労せず才能を発揮することは、兄である次男を潰すことになるとわかっていたのだ。
いつだったかに、長女であるウィレミナが言っていた。
『闘争心とか競争心とか、そういう類のものは次男がすべて持っていったみたいね』
まさしくその言葉通りだった。
二つ下の弟に負けることを、何事にも一番であることを求める次兄が許すわけがない。
だとするならば、その先に待つのは過負荷によって文字通り体を壊す次男の姿だ。
騎士として才覚を発揮することに特別な思い入れもなかったエリアーシュは、兄を潰すことよりも自らが埋もれることを選んだのだ。
そして、それによって自身に下された"平均以下"の烙印にも特に感慨をもつことなく、彼はこの16年間を生きてきた。
それに対し、本来は親である自分が何かしてやれなければならなかったのだろう。
だが、エリアーシュが真に熱中して打ち込めるものを見つけてやれることもできぬまま、ここまできてしまった。
──いや、本当は見つけていたのだ。
「──ああ。フィングレイ侯爵夫人ね。ええ、お父様の従妹よ」
騎士学校に入学してしばらく。
エリアーシュが突然フィングレイ侯爵家のことをオフィリアに尋ねてきたのだ。
他者に関心をもつことのなかったエリアーシュの質問に、たいそう驚きながら答えたのを憶えている。
「へぇ⋯⋯侯爵夫人の御子は?」
続けてそう尋ねたので、もしやと思ったのだ。
「ああ、嫡男の方は騎士学校に在学中のはずだったわね。それでなの?」
当たり障りのない人間関係しか築いてこなかったこの子が、とうとう仲の良い友達をつくったのかと思ったのだが──。
「え⋯⋯──ああ、うん」
その返事を聞いて、違ったのだと思った。
嫡男の方ではないということは──彼女が幼い頃に一度だけ会ったことのある、美しい少女の姿が過ぎった。
それと同時に、最近彼女が婚約したのだという話を聞いたことも。
「ちなみに、知っていると思うけれど、フィングレイ侯爵のご令息とご令嬢には、もう婚約者がいるのよねぇ」
そこでどうしてそんな返しをしてしまったのかと、本当に悔やまれた。
だがそのときのオフィリアは、初めて何かを欲しがったように見えたエリアーシュが後々傷つかぬようにと、牽制することしか思いつかなかったのだ。
「へぇ⋯⋯やっぱり高位貴族は違うね」
エリアーシュは何でもないようにそう返していたが、その胸中を思うとオフィリアは堪らなくなるのだ。
──だから、それから3年後。
次男の死に続いて友人である侯爵夫人の離縁を聞き、エリアーシュと腹を割って話そうと決めたのだ。
「⋯⋯お話とは何ですか、母上」
母の私室に呼び出されたエリアーシュは、怪訝そうな顔をしている。
オフィリアはソファに座らせると、頭の中で順序を組み立てていた話を早速持ち出した。
「二番目のお兄様に、プライセル公爵家への養子入りの話が来ていたのは知っていますね?」
「はい⋯⋯ですが、兄上が亡くなられて立ち消えになりましたよね?俺は相応しくないですし」
欲がないと言うよりは、興味がないのだろう。
エリアーシュは淡々と答えた。
「そうでしたが、少し事情が変わりました。お父様の従妹であるフィングレイ侯爵夫人が離縁し、プライセル公爵家に戻りました。⋯⋯それで、彼女のご令嬢が公爵家の後継と決まったようです」
告げた途端、明らかにエリアーシュの目の色が変わった。
これほどまでに何かに食いつく息子の目を、オフィリアは見たことがなかった。
「そのため、ご令嬢の夫──すなわち、公爵家の婿養子になる相手を探しているそうなのです」
「⋯⋯母上、そのご令嬢のお名前は⋯⋯」
珍しくも掠れたエリアーシュの声に、オフィリアは小さく頷いた。
「セシリア様とおっしゃるそうです」
──そう聞いたときのエリアーシュの瞳を、どう表現すればいいのだろう。
それまでの彼の目には、世界が無彩色でしか映っていなかったというように。まさにそのとき、色を得たとばかりに瞳が輝き出したのだ。
「エリアーシュ、畏れ多くもお前も候補に入れていただいたようです。ですが、プライセル公爵家は騎士団長を輩出するような武家の名門中の名門です。はっきり言って、お前では実力不足でしょう。⋯⋯お父様と相談した限りでは、候補から外していただこうかと──」
「相応しくなります」
すべて言い終える前に、エリアーシュがさえぎった。
その瞳には、変わらず強い光がある。
「必ず、プライセル公爵家に相応しい騎士になります」
「⋯⋯口では何とでも言えましょう」
呆れたようにオフィリアが言っても、彼の目の光は変わらなかった。
「5年以内に今の分隊の長になります。10年以内にいずれかの隊の長に。そして──15年以内に騎士団長になりましょう」
具体的な年数を挙げて言うエリアーシュの言葉には力があった。
オフィリアはしばらく黙り、やがて嘆息した。
「もう一つ、条件があります。シンシア──セシリア嬢のお母様は、彼女が幸せな結婚をすることを望んでいます。それは──」
「それこそ問題ありません」
エリアーシュは言い切った。
「プライセル公爵家に相応しい騎士となり、セシリア嬢を誰よりも幸せにする夫になると、この命に懸けて誓います」
その言葉は、あれほど何事にも淡白で執着しなかった息子と、同一人物とは思えぬほどの熱量と眼力とによる誓約だった。
「──いいでしょう。エリアーシュ、今の言葉をゆめゆめ忘れないようになさいね」
堅く厳しい声と表情でそう釘を刺したオフィリアだが──その胸中は、安堵と喜びにあふれていた。
(──本当に、こんな日が来るなんて)
何度目かの実感を覚えながら、年若い二人を眺める。
これほどまでに心からの笑顔を浮かべる息子の姿を、オフィリアは知らなかった。
(ありがとう、セシリアちゃん⋯⋯)
エリアーシュが令嬢の耳元で何事かを囁くと、途端に彼女の顔が真っ赤になる。
家族で囲む晩餐でもあることを忘れていないかしらと、それを見て少しも呆れはするが。
(──願わくは、この未来の夫婦に幸多からんことを)
オフィリアは、心の底からの願いを胸中で呟いた。
51
お気に入りに追加
763
あなたにおすすめの小説

【完結】幼い頃から婚約を誓っていた伯爵に婚約破棄されましたが、数年後に驚くべき事実が発覚したので会いに行こうと思います
菊池 快晴
恋愛
令嬢メアリーは、幼い頃から将来を誓い合ったゼイン伯爵に婚約破棄される。
その隣には見知らぬ女性が立っていた。
二人は傍から見ても仲睦まじいカップルだった。
両家の挨拶を終えて、幸せな結婚前パーティで、その出来事は起こった。
メアリーは彼との出会いを思い返しながら打ちひしがれる。
数年後、心の傷がようやく癒えた頃、メアリーの前に、謎の女性が現れる。
彼女の口から発せられた言葉は、ゼインのとんでもない事実だった――。
※ハッピーエンド&純愛
他サイトでも掲載しております。

【完結】愛していないと王子が言った
miniko
恋愛
王子の婚約者であるリリアナは、大好きな彼が「リリアナの事など愛していない」と言っているのを、偶然立ち聞きしてしまう。
「こんな気持ちになるならば、恋など知りたくはなかったのに・・・」
ショックを受けたリリアナは、王子と距離を置こうとするのだが、なかなか上手くいかず・・・。
※合わない場合はそっ閉じお願いします。
※感想欄、ネタバレ有りの振り分けをしていないので、本編未読の方は自己責任で閲覧お願いします。

王子殿下の慕う人
夕香里
恋愛
【本編完結・番外編不定期更新】
エレーナ・ルイスは小さい頃から兄のように慕っていた王子殿下が好きだった。
しかし、ある噂と事実を聞いたことで恋心を捨てることにしたエレーナは、断ってきていた他の人との縁談を受けることにするのだが──?
「どうして!? 殿下には好きな人がいるはずなのに!!」
好きな人がいるはずの殿下が距離を縮めてくることに戸惑う彼女と、我慢をやめた王子のお話。
※小説家になろうでも投稿してます
幼馴染み同士で婚約した私達は、何があっても結婚すると思っていた。
喜楽直人
恋愛
領地が隣の田舎貴族同士で爵位も釣り合うからと親が決めた婚約者レオン。
学園を卒業したら幼馴染みでもある彼と結婚するのだとローラは素直に受け入れていた。
しかし、ふたりで王都の学園に通うようになったある日、『王都に居られるのは学生の間だけだ。その間だけでも、お互い自由に、世界を広げておくべきだと思う』と距離を置かれてしまう。
挙句、学園内のパーティの席で、彼の隣にはローラではない令嬢が立ち、エスコートをする始末。
パーティの度に次々とエスコートする令嬢を替え、浮名を流すようになっていく婚約者に、ローラはひとり胸を痛める。
そうしてついに恐れていた事態が起きた。
レオンは、いつも同じ令嬢を連れて歩くようになったのだ。

【完結】婿入り予定の婚約者は恋人と結婚したいらしい 〜そのひと爵位継げなくなるけどそんなに欲しいなら譲ります〜
早奈恵
恋愛
【完結】ざまぁ展開あります⚫︎幼なじみで婚約者のデニスが恋人を作り、破談となってしまう。困ったステファニーは急遽婿探しをする事になる。⚫︎新しい相手と婚約発表直前『やっぱりステファニーと結婚する』とデニスが言い出した。⚫︎辺境伯になるにはステファニーと結婚が必要と気が付いたデニスと辺境伯夫人になりたかった恋人ブリトニーを前に、ステファニーは新しい婚約者ブラッドリーと共に対抗する。⚫︎デニスの恋人ブリトニーが不公平だと言い、デニスにもチャンスをくれと縋り出す。⚫︎そしてデニスとブラッドが言い合いになり、決闘することに……。
【完結】貴方が好きなのはあくまでも私のお姉様
すだもみぢ
恋愛
伯爵令嬢であるカリンは、隣の辺境伯の息子であるデュークが苦手だった。
彼の悪戯にひどく泣かされたことがあったから。
そんな彼が成長し、年の離れたカリンの姉、ヨーランダと付き合い始めてから彼は変わっていく。
ヨーランダは世紀の淑女と呼ばれた女性。
彼女の元でどんどんと洗練され、魅力に満ちていくデュークをカリンは傍らから見ていることしかできなかった。
しかしヨーランダはデュークではなく他の人を選び、結婚してしまう。
それからしばらくして、カリンの元にデュークから結婚の申し込みが届く。
私はお姉さまの代わりでしょうか。
貴方が私に優しくすればするほど悲しくなるし、みじめな気持ちになるのに……。
そう思いつつも、彼を思う気持ちは抑えられなくなっていく。
8/21 MAGI様より表紙イラストを、9/24にはMAGI様の作曲された
この小説のイメージソング「意味のない空」をいただきました。
https://www.youtube.com/watch?v=L6C92gMQ_gE
MAGI様、ありがとうございます!
イメージが広がりますので聞きながらお話を読んでくださると嬉しいです。
結婚しても別居して私は楽しくくらしたいので、どうぞ好きな女性を作ってください
シンさん
ファンタジー
サナス伯爵の娘、ニーナは隣国のアルデーテ王国の王太子との婚約が決まる。
国に行ったはいいけど、王都から程遠い別邸に放置され、1度も会いに来る事はない。
溺愛する女性がいるとの噂も!
それって最高!好きでもない男の子供をつくらなくていいかもしれないし。
それに私は、最初から別居して楽しく暮らしたかったんだから!
そんな別居願望たっぷりの伯爵令嬢と王子の恋愛ストーリー
最後まで書きあがっていますので、随時更新します。
表紙はエブリスタでBeeさんに描いて頂きました!綺麗なイラストが沢山ございます。リンク貼らせていただきました。
どうも、死んだはずの悪役令嬢です。
西藤島 みや
ファンタジー
ある夏の夜。公爵令嬢のアシュレイは王宮殿の舞踏会で、婚約者のルディ皇子にいつも通り罵声を浴びせられていた。
皇子の罵声のせいで、男にだらしなく浪費家と思われて王宮殿の使用人どころか通っている学園でも遠巻きにされているアシュレイ。
アシュレイの誕生日だというのに、エスコートすら放棄して、皇子づきのメイドのミュシャに気を遣うよう求めてくる皇子と取り巻き達に、呆れるばかり。
「幼馴染みだかなんだかしらないけれど、もう限界だわ。あの人達に罰があたればいいのに」
こっそり呟いた瞬間、
《願いを聞き届けてあげるよ!》
何故か全くの別人になってしまっていたアシュレイ。目の前で、アシュレイが倒れて意識不明になるのを見ることになる。
「よくも、義妹にこんなことを!皇子、婚約はなかったことにしてもらいます!」
義父と義兄はアシュレイが状況を理解する前に、アシュレイの体を持ち去ってしまう。
今までミュシャを崇めてアシュレイを冷遇してきた取り巻き達は、次々と不幸に巻き込まれてゆき…ついには、ミュシャや皇子まで…
ひたすら一人づつざまあされていくのを、呆然と見守ることになってしまった公爵令嬢と、怒り心頭の義父と義兄の物語。
はたしてアシュレイは元に戻れるのか?
剣と魔法と妖精の住む世界の、まあまあよくあるざまあメインの物語です。
ざまあが書きたかった。それだけです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる