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第三章

15 少し間違ったやり方

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 笑い続けていたマーサンが俺の視線に気付いてこちらに視線を投げた。

「何か?」

「仮定の話だ。もし俺が了承したら、どうする?」

『クルス!』

「大丈夫だ、ツァル。ただの仮定だ」

「メ・ルトロの一員として働いてもらうよ」

「働くって、いったい何をするんだ?」 

「広く人間に精霊の存在をしらしめるんだよ。自分たちが間違っていたと気づかせるためにね」

「精霊のことなんて、誰もが知ってる」

「でも、忘れてしまっている」

 俺は息をのんだ。

「僕は精霊を感じることができる。それは僕が選ばれたということだ。選ばれた僕は、愚かな人間たちに精霊の存在を思い出させるという使命を帯びている。だから僕はメ・ルトロという団体を作り上げたんだよ」

「しらしめる、思い出させる、って随分と上に立った考え方だな」

「精霊が創った世界に住んでいながら精霊の存在を忘れ去るような人間と同等でいられるわけがない」

「少し意識を変えれば、人間だって精霊はとても身近な存在だと気付くことができるはずだ。精霊が存在感をとりもどせば、世界に精霊が増える。精霊の集う都市ヘルル・ド・シュテフスだけでなく、どこの町でも村でも、精霊の姿を見ることができるようになる。昔のように」

「理想論だね。それができなかったから、こうして世界は滅びようとしているんじゃないか」

「それでも、精霊と強引に契約をして、その力を使って何も知らない人間を恐怖に陥れ、金を巻き上げるようなことには賛同しかねる」

「なんだ。知っていたんだね。でも、それは間違いだよ。金を巻き上げることが目的なんじゃない。精霊の存在を忘れてしまったことを深く後悔してもらいたいだけなんだ。ひどい目にあえば、嫌でも精霊の存在を忘れることなどできなくなるからね」

「それは間違ったやり方だ」

「じゃあどうしろって言うんだい? もう時間がないのは君もわかっているんだろう? 僕があえてアラカステルでメ・ルトロを結成したのは、ここには愚かな人間どもが大勢いるからだよ。ここは世界で一番精霊を迫害している地区だ」

 蒸気機関車の黒光りする姿を思い出す。
 あの力強い汽笛を。

 鉄橋の美しい姿を思い出す。
 鉄で造られた、丈夫で、でも繊細さを併せ持つあの姿を。

 道に並ぶガス灯を思い出す。
 その光は揺らぐことのない、頼りがいのある光に見えた。

 確かにアラカステルは精霊の住みにくい場所だ。

 俺も、ここに来るまではアラカステルがあんな無謀なことさえしなければと思っていた。

 煙を吐き出し、世界を汚すなんて、なんと愚かなことだろう、と。

 けれど人が作り出したそれらの物からは、確かな意思を感じた。

 人の可能性を感じた。

 それが、俺には眩しく見えたんだ。

 精霊にとってここの環境は劣悪だろう。

 けれどこの地区には公園が多い。

 精霊樹にきれいな水を与え、気を配っていればあるいはここまでひどい状況にはならなかったかもしれない。

『クルス?』

「世界に残された時間があと僅かだとわかっているのなら、今すぐにここの精霊たちを解放してくれ」

 マーサンが目を丸くする。

「唐突だね」

「この世界を失いたくないと思うのなら、それが良策だ」

「精霊を解放したら世界が滅びないという根拠を教えてくれないかい?」

「俺たちがなんとかする。そのために精霊の力が必要だ」

 マーサンが目を眇める。

 鋭い視線が俺を射る。

 俺はその視線を正面から受け止めた。

「なんとかする? どうやって?」

「どうにかして。そのために俺たちは精霊の集う都市ヘルル・ド・シュテフスを巡ってきた」

「随分と曖昧だね」

「可能性があるのならそれに賭けたいと思うのは、おかしなことじゃないはずだ」

「断る」

「マーサン!」

 思わず声が大きくなる。

 世界の崩壊を前に、自己の利益だけを追求している場合じゃないはずだ。

 世界がなくなってしまえば、そんなものになんの意味もないのに。

「僕はね、小さいころから精霊が見えた。両親ともに精霊を感じることができたから、それがとても自然なことだったんだよ。この世界は精霊が創った世界。精霊なくしては存在し得なかった世界。そんなのは誰もが知っていることで、改めて誰かが教えるほどのことじゃないはずだった。僕は普通に精霊と話をしたし、精霊の話を親にするように友人にも話していたよ。まさか、気味悪がられているなんて思いもしなかった」

 マーサンの言葉に、俺は思わず息をのんだ。

 そんな俺をちらりと見やって、マーサンは続ける。

「近所の人たちが、表立っては何も言わないけれど、陰でこそこそと精霊憑きがどうこうって話をしていることに気付いたのは、しばらくたってからだった。精霊を身近に感じる僕たちのほうが自然で、感じられない人のほうが本来少ないはずなのにね」

 自分の家族を思い出した。

 王家に生まれた俺の周囲にいたのは、精霊を感じられる人ばかりだった。

 精霊はとても身近で、そこにいるのが自然な存在だった。

 マーサンと俺の過去がかぶる。

「だから僕はね、そんな愚かな人間に負けるわけにはいかない。正しいのは僕だ。精霊が見える僕のほうなんだよ」

「マーサン……」 

「僕は間違っていない」

 けれど俺とマーサンとは徹底的に違うんだ。

 マーサンはそんな自分を家族以外の人には受け入れてもらえなかった。

 俺は誰からも受け入れられた。

 俺にはマーサンの気持ちはきっとわからない。

 けれど精霊のことをすっかり忘れ去ってしまった人間たちには違和感を覚える。

 何故もっと精霊のことを鑑みることができないのか。

 何故自分たちが今この場所にいられるのかということに思い至れないのか。

 何故、精霊を自分とは無関係の存在だと決め付けるのか。

 かつて精霊はあんなにも身近にいたはずの存在なのに。

「あんたの考えを全て否定することはできない。けれど全てを受け入れることもできない。今、あんたがしてることは、精霊のためじゃない。精霊が見えない人間に復讐しているだけだ。精霊のことを思うのなら、まずはここにいる精霊を全て解放するべきだと思う。そして強引に契約した精霊たちを自由にしてやってほしい」

「復讐?」

「そうだ。復讐だ。そんなことのために精霊の自由を奪い、強制的に契約をすることこそ愚かと言えるんじゃないのか?」

 マーサンの表情が強張る。

 一瞬、怒り出すのかと思った。

 けれどそこでマーサンはふいと俺から視線を逸らし、天井を仰ぎ見た。

「僕が愚かだって?」

 吐息と共に、声がこぼれる。

 精霊は復讐なんて望んじゃいない。

 精霊は無理やり自分たちのことを思い出してほしいとは思っていない。

 俺は無言で頷いた。

『精霊を解放しろ。おまえは少しやり方を間違っただけだ。これから正しい方法を見つけ出せばいい』

 ツァルが静かな声音で告げる。

「僕が間違っていた?」

 マーサンが呟いたとき、大きな破壊音が室内に響き渡った。
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