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第三章
2 自由都市に蔓延する病
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アラカステルは、予想以上に劣悪な状況だった。
空気の悪さもさることながら、死病が蔓延しつつあることがわかった。
しかも、ラドゥーゼを滅ぼした病と、アグの町に甚大な被害をもたらした病、おそらくその両方が流行している。
道行く人々は顔の半分を布で覆い、足早に通り過ぎる。
なかには発熱のせいか、意識の朦朧とした状態でふらふらと歩いている人もいる。
俺は思わず眉をひそめた。
「ひどいな」
サリアの襟巻きがずれかけているのに気づき、俺はそっと襟巻きを引っ張り上げて、サリアの鼻を隠した。
「あ、ありがと」
「念のためだ」
「そうだね」
道端には、襤褸をまとい、座り込んでいる人が何人もいる。
肌に痣が浮かび上がっている者、水のような吐瀉物に塗れ、呻いている人。
体内に吸い込むのを躊躇するほどの異臭が漂う。
ぴくりとも動かない塊は、生きているのか死んでいるのかもわからない。
ラドゥーゼの悪夢が甦り、俺は目を逸らした。
ラドゥーゼは温暖な気候に恵まれた都市だった。
果実を多く栽培していたけれど、冬小麦を育てたり、家畜を飼ったりもしていた。
五つの大きな湖に囲まれた、美しい都市。
けれどのちに街の様子は急変化する。
ラドゥーゼにたどり着いた俺は、しばらくの間救済院で面倒をみてもらった。
やがて仕事をみつけ、空き部屋を借りて自立した。
その僅か数ヵ月後、貧民街で死病による最初の犠牲者が発生した。
世話になった救済院の人たちも、次々と死んでいった。
死にゆく他人に関わっても、自分が疲労するだけだ。
看病し、看取り、墓を作り、祈る。
俺がどれだけ身を削って看病しても、多くの人が死んでいった。
親切にしてくれた近所のおばさんも、元気に走り回っていた子どもたちも、みんな。
俺が徹夜で看病した男は、なんとか一命を取りとめると、さっさと家を捨てて都市を去った。
廃墟と化した都市で、俺は決意した。
もう、他人には関わらないと。
「大丈夫?」
サリアの心配そうな声が耳に届く。
「ああ」
「何かできればいいんだけど……」
治療薬はない。
死病に罹った場合、助かるかどうかは本人の生命力と運にかかっている。
『迂闊に近付くなよ。もしここでおまえに倒れられたら困るんだ』
「その時は置いていって」
「そんなこと言うな」
ついさっき、もう二度と置いていかないと約束したばかりじゃないか。
「……ごめん。大丈夫だよ、気をつけるから。でも、何もできないなんて……。ただ見ているだけなんて、そんなの……」
そう言うサリアの目には薄っすらと涙が浮かんでいる。
「頼む。サリアがもし発症したら、俺もペリュシェスへは行けない」
サリアが頷くのを確認して、俺は小さく安堵の息を吐いた。
「この先の広場に精霊の寄る辺があるの」
今歩いているのは、街の中を流れる川の北岸にある目抜き通り。
ほぼ等間隔にたてられているのはガスの燃焼により発する光を利用した灯りらしい。
両脇に並ぶ店のほとんどが閉められており、看板の華々しさとの対比に寂寥感が募る。
精霊の気配は全くと言っていいほどない。
「わたしの泊まっている宿のご主人がいい人でね、場所を訊いたら地図を描いて……」
『つけられているようです』
サリアの声を遮り、鉄剣が短く告げた。
サリアが息をのむのがわかった。
「ドッツェたちか?」
『それはわかりません。が、ヴァヴァロナ人が好む大きな剣を腰に下げています』
「数は……ふたりだな」
振り向かずに後方の気配を探ると、確かに人の気配がある。
ドッツェたちだとしたら、思ったよりも少ない。
こちらにとっては好都合だけれど、待ち伏せされている可能性がある。
俺はサリアと目を見合わせた。
『二手に分かれましょう』
『合流場所は?』
「これ、宿の場所」
サリアがローブの内ポケットから折りたたまれた紙切れを取り出した。
開くと精霊の寄る辺という文字と、黒く塗りつぶされた印があった。
「川を東に向かったら、クゾン橋っていう鉄橋があるの。その橋の北岸。わかる?」
地図は大雑把なものだったけれど、なんとかなりそうだ。
「主人の名前は?」
「ピーチェさん」
「わかった。じゃあ、追っ手をまいたらそこに向かおう」
話しているうちに、開けた場所に出た。
精霊の寄る辺のある広場だ。
精霊樹を中心に抱く塔は、いつ倒れてもおかしくないくらいに傾いている。
念のため精霊を探すけれど、ひとりもいない。
「やっぱり無駄足か」
『近いうちにまたひとつ、精霊の集う都市が消えるっていうことがわかった』
ここの精霊樹はもうもたない。
このままでは、あと一ヶ月もすれば朽ちてしまうだろう。
「ここまでひどくなる前に、手が打てたはずなのに」
『この街の奴等には、精霊のことなんか気にする暇はなかったのさ。新しいものを追うのに精一杯だったんだろ』
『残念です』
沈黙が落ちる。
周辺に精霊の姿はない。
ツァルが生み出した赤い光がいつものように精霊の寄る辺の中に消える。
アラカステルでの、俺たちの用はこれで済んだことになる。
明日の早朝には発てる。
あとは尾行者をまいて、宿に着くだけだ。
広場には少なくない人の姿があった。
右手の大通りから、広場に馬車が入ってくるのが見える。
サリアに目配せをすると、小さく頷いた。
「じゃあ、あとで」
「うん」
俺たちは同時に駆け出した。
馬車の前をぎりぎりで駆け抜ける。
ばかやろう、という怒声が聞こえたけれど、気にしている場合ではない。
放射状に伸びる通りのうち、サリアは右手、俺は左手の通りに駆けこんだ。
空気の悪さもさることながら、死病が蔓延しつつあることがわかった。
しかも、ラドゥーゼを滅ぼした病と、アグの町に甚大な被害をもたらした病、おそらくその両方が流行している。
道行く人々は顔の半分を布で覆い、足早に通り過ぎる。
なかには発熱のせいか、意識の朦朧とした状態でふらふらと歩いている人もいる。
俺は思わず眉をひそめた。
「ひどいな」
サリアの襟巻きがずれかけているのに気づき、俺はそっと襟巻きを引っ張り上げて、サリアの鼻を隠した。
「あ、ありがと」
「念のためだ」
「そうだね」
道端には、襤褸をまとい、座り込んでいる人が何人もいる。
肌に痣が浮かび上がっている者、水のような吐瀉物に塗れ、呻いている人。
体内に吸い込むのを躊躇するほどの異臭が漂う。
ぴくりとも動かない塊は、生きているのか死んでいるのかもわからない。
ラドゥーゼの悪夢が甦り、俺は目を逸らした。
ラドゥーゼは温暖な気候に恵まれた都市だった。
果実を多く栽培していたけれど、冬小麦を育てたり、家畜を飼ったりもしていた。
五つの大きな湖に囲まれた、美しい都市。
けれどのちに街の様子は急変化する。
ラドゥーゼにたどり着いた俺は、しばらくの間救済院で面倒をみてもらった。
やがて仕事をみつけ、空き部屋を借りて自立した。
その僅か数ヵ月後、貧民街で死病による最初の犠牲者が発生した。
世話になった救済院の人たちも、次々と死んでいった。
死にゆく他人に関わっても、自分が疲労するだけだ。
看病し、看取り、墓を作り、祈る。
俺がどれだけ身を削って看病しても、多くの人が死んでいった。
親切にしてくれた近所のおばさんも、元気に走り回っていた子どもたちも、みんな。
俺が徹夜で看病した男は、なんとか一命を取りとめると、さっさと家を捨てて都市を去った。
廃墟と化した都市で、俺は決意した。
もう、他人には関わらないと。
「大丈夫?」
サリアの心配そうな声が耳に届く。
「ああ」
「何かできればいいんだけど……」
治療薬はない。
死病に罹った場合、助かるかどうかは本人の生命力と運にかかっている。
『迂闊に近付くなよ。もしここでおまえに倒れられたら困るんだ』
「その時は置いていって」
「そんなこと言うな」
ついさっき、もう二度と置いていかないと約束したばかりじゃないか。
「……ごめん。大丈夫だよ、気をつけるから。でも、何もできないなんて……。ただ見ているだけなんて、そんなの……」
そう言うサリアの目には薄っすらと涙が浮かんでいる。
「頼む。サリアがもし発症したら、俺もペリュシェスへは行けない」
サリアが頷くのを確認して、俺は小さく安堵の息を吐いた。
「この先の広場に精霊の寄る辺があるの」
今歩いているのは、街の中を流れる川の北岸にある目抜き通り。
ほぼ等間隔にたてられているのはガスの燃焼により発する光を利用した灯りらしい。
両脇に並ぶ店のほとんどが閉められており、看板の華々しさとの対比に寂寥感が募る。
精霊の気配は全くと言っていいほどない。
「わたしの泊まっている宿のご主人がいい人でね、場所を訊いたら地図を描いて……」
『つけられているようです』
サリアの声を遮り、鉄剣が短く告げた。
サリアが息をのむのがわかった。
「ドッツェたちか?」
『それはわかりません。が、ヴァヴァロナ人が好む大きな剣を腰に下げています』
「数は……ふたりだな」
振り向かずに後方の気配を探ると、確かに人の気配がある。
ドッツェたちだとしたら、思ったよりも少ない。
こちらにとっては好都合だけれど、待ち伏せされている可能性がある。
俺はサリアと目を見合わせた。
『二手に分かれましょう』
『合流場所は?』
「これ、宿の場所」
サリアがローブの内ポケットから折りたたまれた紙切れを取り出した。
開くと精霊の寄る辺という文字と、黒く塗りつぶされた印があった。
「川を東に向かったら、クゾン橋っていう鉄橋があるの。その橋の北岸。わかる?」
地図は大雑把なものだったけれど、なんとかなりそうだ。
「主人の名前は?」
「ピーチェさん」
「わかった。じゃあ、追っ手をまいたらそこに向かおう」
話しているうちに、開けた場所に出た。
精霊の寄る辺のある広場だ。
精霊樹を中心に抱く塔は、いつ倒れてもおかしくないくらいに傾いている。
念のため精霊を探すけれど、ひとりもいない。
「やっぱり無駄足か」
『近いうちにまたひとつ、精霊の集う都市が消えるっていうことがわかった』
ここの精霊樹はもうもたない。
このままでは、あと一ヶ月もすれば朽ちてしまうだろう。
「ここまでひどくなる前に、手が打てたはずなのに」
『この街の奴等には、精霊のことなんか気にする暇はなかったのさ。新しいものを追うのに精一杯だったんだろ』
『残念です』
沈黙が落ちる。
周辺に精霊の姿はない。
ツァルが生み出した赤い光がいつものように精霊の寄る辺の中に消える。
アラカステルでの、俺たちの用はこれで済んだことになる。
明日の早朝には発てる。
あとは尾行者をまいて、宿に着くだけだ。
広場には少なくない人の姿があった。
右手の大通りから、広場に馬車が入ってくるのが見える。
サリアに目配せをすると、小さく頷いた。
「じゃあ、あとで」
「うん」
俺たちは同時に駆け出した。
馬車の前をぎりぎりで駆け抜ける。
ばかやろう、という怒声が聞こえたけれど、気にしている場合ではない。
放射状に伸びる通りのうち、サリアは右手、俺は左手の通りに駆けこんだ。
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