13 / 74
第一章
12 精霊の宿る長い三つ編み
しおりを挟む
「ここで人がたくさん亡くなったんだね。南では、まだ死病は流行していなかったのに」
サリアの視線が地面に落ちている。
「旅人ってのが、どこから来たのか、だな。エスーハから旧街道を通る道は使わなかったんだろう。ここに来るまで、死病が流行ったという村はなかった。アグの村へ至る道は旧街道か水路しかないようだから、上流から来たか、旧街道をリファルディア方面から来たかだな。この先、気をつけたほうがいいかもしれない」
サリアがこくりと頷く。
いつも元気なサリアだけに、沈んでいるその様子が痛々しい。
きっと、亡くなった多くの人のことを思い、胸を痛めているんだろう。
サリアの頭に手を伸ばしかけて、はっと我に返る。
うつむいているサリアは気づいていない。
俺は中途半端に浮いた自分の手の平をまじまじと見た。
頭を撫でて慰めようだなんて、俺らしくない。
苦笑して、手を引っ込める。
くくっとツァルの笑い声が聞こえた。
視界に赤い影が現れる。
『慰めてやればいいのにさ。俺は知らんふりしといてやるぜ』
「余計なお世話だ」
一蹴して、俺は前方に視線を向けた。
今夜、屋根のあるところで寝るのは諦めることになるだろう。
野宿に適した場所を探さないといけない。
旧街道は森の中を細々と続いている。
北へ進めばやがてリファルディアに着く。
要する時間はおよそ一ヶ月。
ここまで、危険な動物と遭遇することはなかったけれど、森の中に夜行性の動物がいないとも限らない。
特にこのアグは森の深い場所にあたる。
できれば野宿は避けたかったけれど、止むを得ない。
「このまま、旧街道を行けばいい?」
サリアが笑顔を浮かべてこちらを見る。
その笑顔が、元気を出そうと自分に言い聞かせてなんとか浮かべた笑顔に見えて、痛々しい。
「ああ、日暮れまでに野宿ができる場所を探さないといけないから、急いだほうがいいかもな」
ふたり並んで、北へ向けて歩き出す。
『人間は大変だよなぁ』
ツァルが他人事のように言う。
自分は俺の眼球の中でふわふわ浮いているだけなんだからいいよな。
「おまえはちっとも大変そうじゃないけどな」
『世界中を巡って精霊に声をかけてるんだぞ。大変だろうが』
「実際に足を使って巡ってるのは俺じゃないか」
『俺のおかげで命拾いしたんだから、そのくらいは手伝え』
「その、さも当然っていう態度が気に入らない」
『やるのか、おい』
ツァルが挑発するように言う。
サリアがはらはらと俺を見ている。
俺は気持ちを落ち着かせるために深呼吸した。
「やらないさ。記憶を喰われるのはごめんだからな」
そもそも、やるって何をだ。
眼球の中を漂う糸くずと殴り合いの喧嘩ができるわけでもないだろう。
『ちっ、つまらねえヤツだぜ』
ツァルの舌打ちが聞こえた。
なんとでも言えばいい。
「あっ!」
サリアがふいに大きな声を上げて、右手の森の中へ視線を向ける。
『精霊だな』
「なんでこんな場所に精霊がいるんだ?」
精霊たちは汚濁を嫌う。
今のこの世界は穢れが多く、精霊が存在しにくくなってきているのだ。
精霊の集う都市だけが、精霊の寄る辺のもつ場の浄化作用により清浄に保たれている。
「人間と契約をした精霊じゃないかな?」
気配を探ると、そこには確かに精霊と共にこちらに近付いてくる人の気配があった。
「誰だ!?」
低い声で誰何する。
と、かさりと茂みが揺れた。
森の中から人影が現れる。
栗色の髪の女の子だった。
素顔をさらし、長い髪を一本の三つ編みにして胸の前にたらしている。
髪の色と同じ栗色の瞳が、落ち着きなくきょろきょろと動いている。
「あ、あの……」
その子が、消え入りそうな小さな声を出す。
『髪だな』
女の子の髪に精霊が宿っているのがわかった。
見事な髪だ。
編んだ状態で腰まであるのだから、ほどけばかなりの長さになるだろう。
「こんにちは。何か御用?」
サリアが小首を傾げながら問う。
「あの……あの、もしお困りでしたら、あの……」
要領を得ない喋り方に、つい、いらいらしてしまう。
ツァルと言い合いになって、気持ちがささくれたままの状態だからだと思いたい。
「アグの村の人だろ? 俺たち、今村を追い出されてきたばかりなんだけど。用があるならはっきり言ってくれ」
ついきつい口調になってしまう。
「すっ、すみませんっ! あの、宿のことでお困りでしたらうちにいらっしゃいませんかっ!?」
頬を林檎のように赤く染めて、少女は一息に言葉を吐き出した。
サリアの視線が地面に落ちている。
「旅人ってのが、どこから来たのか、だな。エスーハから旧街道を通る道は使わなかったんだろう。ここに来るまで、死病が流行ったという村はなかった。アグの村へ至る道は旧街道か水路しかないようだから、上流から来たか、旧街道をリファルディア方面から来たかだな。この先、気をつけたほうがいいかもしれない」
サリアがこくりと頷く。
いつも元気なサリアだけに、沈んでいるその様子が痛々しい。
きっと、亡くなった多くの人のことを思い、胸を痛めているんだろう。
サリアの頭に手を伸ばしかけて、はっと我に返る。
うつむいているサリアは気づいていない。
俺は中途半端に浮いた自分の手の平をまじまじと見た。
頭を撫でて慰めようだなんて、俺らしくない。
苦笑して、手を引っ込める。
くくっとツァルの笑い声が聞こえた。
視界に赤い影が現れる。
『慰めてやればいいのにさ。俺は知らんふりしといてやるぜ』
「余計なお世話だ」
一蹴して、俺は前方に視線を向けた。
今夜、屋根のあるところで寝るのは諦めることになるだろう。
野宿に適した場所を探さないといけない。
旧街道は森の中を細々と続いている。
北へ進めばやがてリファルディアに着く。
要する時間はおよそ一ヶ月。
ここまで、危険な動物と遭遇することはなかったけれど、森の中に夜行性の動物がいないとも限らない。
特にこのアグは森の深い場所にあたる。
できれば野宿は避けたかったけれど、止むを得ない。
「このまま、旧街道を行けばいい?」
サリアが笑顔を浮かべてこちらを見る。
その笑顔が、元気を出そうと自分に言い聞かせてなんとか浮かべた笑顔に見えて、痛々しい。
「ああ、日暮れまでに野宿ができる場所を探さないといけないから、急いだほうがいいかもな」
ふたり並んで、北へ向けて歩き出す。
『人間は大変だよなぁ』
ツァルが他人事のように言う。
自分は俺の眼球の中でふわふわ浮いているだけなんだからいいよな。
「おまえはちっとも大変そうじゃないけどな」
『世界中を巡って精霊に声をかけてるんだぞ。大変だろうが』
「実際に足を使って巡ってるのは俺じゃないか」
『俺のおかげで命拾いしたんだから、そのくらいは手伝え』
「その、さも当然っていう態度が気に入らない」
『やるのか、おい』
ツァルが挑発するように言う。
サリアがはらはらと俺を見ている。
俺は気持ちを落ち着かせるために深呼吸した。
「やらないさ。記憶を喰われるのはごめんだからな」
そもそも、やるって何をだ。
眼球の中を漂う糸くずと殴り合いの喧嘩ができるわけでもないだろう。
『ちっ、つまらねえヤツだぜ』
ツァルの舌打ちが聞こえた。
なんとでも言えばいい。
「あっ!」
サリアがふいに大きな声を上げて、右手の森の中へ視線を向ける。
『精霊だな』
「なんでこんな場所に精霊がいるんだ?」
精霊たちは汚濁を嫌う。
今のこの世界は穢れが多く、精霊が存在しにくくなってきているのだ。
精霊の集う都市だけが、精霊の寄る辺のもつ場の浄化作用により清浄に保たれている。
「人間と契約をした精霊じゃないかな?」
気配を探ると、そこには確かに精霊と共にこちらに近付いてくる人の気配があった。
「誰だ!?」
低い声で誰何する。
と、かさりと茂みが揺れた。
森の中から人影が現れる。
栗色の髪の女の子だった。
素顔をさらし、長い髪を一本の三つ編みにして胸の前にたらしている。
髪の色と同じ栗色の瞳が、落ち着きなくきょろきょろと動いている。
「あ、あの……」
その子が、消え入りそうな小さな声を出す。
『髪だな』
女の子の髪に精霊が宿っているのがわかった。
見事な髪だ。
編んだ状態で腰まであるのだから、ほどけばかなりの長さになるだろう。
「こんにちは。何か御用?」
サリアが小首を傾げながら問う。
「あの……あの、もしお困りでしたら、あの……」
要領を得ない喋り方に、つい、いらいらしてしまう。
ツァルと言い合いになって、気持ちがささくれたままの状態だからだと思いたい。
「アグの村の人だろ? 俺たち、今村を追い出されてきたばかりなんだけど。用があるならはっきり言ってくれ」
ついきつい口調になってしまう。
「すっ、すみませんっ! あの、宿のことでお困りでしたらうちにいらっしゃいませんかっ!?」
頬を林檎のように赤く染めて、少女は一息に言葉を吐き出した。
0
お気に入りに追加
22
あなたにおすすめの小説
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
恋人に夢中な婚約者に一泡吹かせてやりたかっただけ
棗
恋愛
伯爵令嬢ラフレーズ=ベリーシュは、王国の王太子ヒンメルの婚約者。
王家の忠臣と名高い父を持ち、更に隣国の姫を母に持つが故に結ばれた完全なる政略結婚。
長年の片思い相手であり、婚約者であるヒンメルの隣には常に恋人の公爵令嬢がいる。
婚約者には愛を示さず、恋人に夢中な彼にいつか捨てられるくらいなら、こちらも恋人を作って一泡吹かせてやろうと友達の羊の精霊メリー君の妙案を受けて実行することに。
ラフレーズが恋人役を頼んだのは、人外の魔術師・魔王公爵と名高い王国最強の男――クイーン=ホーエンハイム。
濡れた色香を放つクイーンからの、本気か嘘かも分からない行動に涙目になっていると恋人に夢中だった王太子が……。
※小説家になろう・カクヨム様にも公開しています
美少女に転生して料理して生きてくことになりました。
ゆーぞー
ファンタジー
田中真理子32歳、独身、失業中。
飲めないお酒を飲んでぶったおれた。
気がついたらマリアンヌという12歳の美少女になっていた。
その世界は加護を受けた人間しか料理をすることができない世界だった
元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~
おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。
どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。
そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。
その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。
その結果、様々な女性に迫られることになる。
元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。
「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」
今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。
身代わり婚~暴君と呼ばれる辺境伯に拒絶された仮初の花嫁
結城芙由奈
恋愛
【決してご迷惑はお掛けしません。どうか私をここに置いて頂けませんか?】
妾腹の娘として厄介者扱いを受けていたアリアドネは姉の身代わりとして暴君として名高い辺境伯に嫁がされる。結婚すれば幸せになれるかもしれないと淡い期待を抱いていたのも束の間。望まぬ花嫁を押し付けられたとして夫となるべく辺境伯に初対面で冷たい言葉を投げつけらた。さらに城から追い出されそうになるものの、ある人物に救われて下働きとして置いてもらえる事になるのだった―。
旦那様は大変忙しいお方なのです
あねもね
恋愛
レオナルド・サルヴェール侯爵と政略結婚することになった私、リゼット・クレージュ。
しかし、その当人が結婚式に現れません。
侍従長が言うことには「旦那様は大変忙しいお方なのです」
呆気にとられたものの、こらえつつ、いざ侯爵家で生活することになっても、お目にかかれない。
相変わらず侍従長のお言葉は「旦那様は大変忙しいお方なのです」のみ。
我慢の限界が――来ました。
そちらがその気ならこちらにも考えがあります。
さあ。腕が鳴りますよ!
※視点がころころ変わります。
※※2021年10月1日、HOTランキング1位となりました。お読みいただいている皆様方、誠にありがとうございます。
【完結】私だけが知らない
綾雅(要らない悪役令嬢1/7発売)
ファンタジー
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。
優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。
やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。
記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。
【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ
2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位
2023/12/19……番外編完結
2023/12/11……本編完結(番外編、12/12)
2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位
2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」
2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位
2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位
2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位
2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位
2023/08/14……連載開始
【電子書籍化進行中】声を失った令嬢は、次期公爵の義理のお兄さまに恋をしました
八重
恋愛
※発売日少し前を目安に作品を引き下げます
修道院で生まれ育ったローゼマリーは、14歳の時火事に巻き込まれる。
その火事の唯一の生き残りとなった彼女は、領主であるヴィルフェルト公爵に拾われ、彼の養子になる。
彼には息子が一人おり、名をラルス・ヴィルフェルトといった。
ラルスは容姿端麗で文武両道の次期公爵として申し分なく、社交界でも評価されていた。
一方、怠惰なシスターが文字を教えなかったため、ローゼマリーは読み書きができなかった。
必死になんとか義理の父や兄に身振り手振りで伝えようとも、なかなか伝わらない。
なぜなら、彼女は火事で声を失ってしまっていたからだ──
そして次第に優しく文字を教えてくれたり、面倒を見てくれるラルスに恋をしてしまって……。
これは、義理の家族の役に立ちたくて頑張りながら、言えない「好き」を内に秘める、そんな物語。
※小説家になろうが先行公開です
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる