きみ

ユウリ(有李)

文字の大きさ
上 下
8 / 8

しおりを挟む
 いつものようにマサトのお墓を訪れると、先客がいた。

 ちょうど帰るところだったらしく、立ち上がる。

 長身で細身なそのシルエットを見て一瞬マサトかと思ったけれど、よくよく見ればそんなわけはなくて、そこにいたのは、中一の時のわたしのクラスメイトで、中学ではマサトと同じバスケ部だった森田タクヤくんだった。

 こちらを見た森田くんが、目を丸くする。

 転校してからも、わたしはバスケ部の試合の応援に行ったりしていたから、たぶんわたしのことを覚えてくれているんだろうと思う。

 わたしが転校するまでは同じマンションに住んでいて、小学校の頃は朝登校する時の班が一緒だったりもしたし。

「よ」

 少しの間を置いてから、森田くんが片手を上げた。

「あ。う、うん。久しぶり」

 わたしはつられるように、中途半端に胸の前あたりまで手を上げたものの、結局その手を持て余してしまって、すぐに下ろした。

「早いよな。あれからもう三年だなんてさ」

 あれ――マサトが、亡くなってから。
 でも、三年も、経ったっけ……?

 わたしは森田くんから視線をはずして、マサトのお墓へ目を向けた。

 墓石からは、三年という時間は少しも感じられないけれど。

 確かに、わたしはついこのあいだ、流されるまま入学した高校を流されるように卒業した。

 とりあえず、卒業できる程度の成績と出席日数だけをなんとか取って。

 それはつまり、中学校を卒業してから三年が経ったってことで、マサトがいなくなってからも、ほぼ同じだけの年月が経ったってことか。

 わたしは、こくりと頷くことで、森田くんへ返事をする。

「俺、大学でもバスケ続けるんだ」

「え?」

 思わず森田くんへ目を戻すと、目が合った。

 森田くんがにやりと笑う。

「バスケだよ。市田は俺のことなんか興味ないだろうけど、うちのチーム、一応全国大会でベスト8だったんだぜ」

 バスケ、の言葉に、大会の時のマサトの姿が甦る。

 森田くんからのパスを、ちらりとも見ないままキャッチしたマサトが、逆転のシュートを決める。
 直後の、試合終了のブザー。

 マサトの喜ぶ顔。
 ハイタッチ。

 その相手に、森田くんもいた。

「お、おめでとう」   

 言いながら、思わず、ずるいという気持ちが湧き上がる。

 マサトはバスケができないのに。森田くんだけ、ずるい。

 マサトは、高校でもバスケを続けるつもりだって、そう言っていたのに。

 感情のこもっていないお祝いの言葉に、森田くんは苦笑して肩をすくめた。

「市田の考えてること、なんとなくわかるよ。俺は勉強がからっきしだったから、マサトと同じところ受験するの諦めて、部活動推薦で高校決めたけどさ。県代表を決める試合、決勝の相手は市田の高校だったぜ」  

 マサトがいないバスケ部にはなんの興味もないから、そんなこと全く知らなかった。

 でも、マサトが通うはずだったうちの学校は、バスケットの強豪として有名だった。

 だからこそ、マサトはうちの高校を選んだんだから。

 マサトが入学していたら、決勝で森田くんと試合をしたのはマサトだったかもしれない。

 そして、わたしはそんなふたりの試合を、きっと見に行った。

 応援するのは、もちろんマサトだけだけど。

「マサトがいれば……」 

「決勝で戦えたら最高だったけどな。でも、マサトがいないからって、俺は立ち止まらない。行けるところまで、行ってみるよ。じゃあな、市田」

 笑顔でそう言い残して、森田くんはわたしの横をさあっと通り過ぎた。

 風が、わたしの髪を微かに揺らす。

 森田くんは、歩いてゆくんだろう。
 どんどん、どんどん。

 こうして、わたしたちから、遠ざかってゆくんだろう。

 でも、ずるい、なんて思う資格、わたしにはない。

 マサトだって、きっとそんなこと思うわけない。

 歩き出す直前、ちらりとマサトのお墓へ向けられた森田くんの瞳には、懐かしさや寂しさというものが、確かに浮かんでいた。

 それでも、こちらを向いた時の森田くんの瞳はまっすぐ未来を見据えていた。

 マサトが亡くなって三年が経つ今でも、森田くんがここに来ていたということ。
 マサトと一緒にやっていたバスケを、今でも続けているということ。

 森田くんはマサトのことを忘れたわけじゃない。

 マサトのいた過去を抱いたまま、進むことを決めただけなんだ。

 マサトと仲の良かった森田くんだからこそ。

 それは、とてもわたしにはできないことだけれど……。

 わたしは、森田くんがいなくなったあとの、お墓の前に立った。

 そっと、墓石に触れる。
 指先から伝わる、冷たい感触。

 ここはいつまでも変わらない。

 そしてわたしも。

 ふいに、「なあ、市田」と声をかけられた。

 振り向くと、森田くんが立ち止まってこちらを見ていた。

 なに? と訊き返そうと口を開いたけれど、森田くんが続けるのが先だった。

「マサトはきっと幸せだったよ」

 森田くんの言葉に、息を呑む。

 ついさっきまで穏やかだったのに、突然、強い風がざああっと吹き抜けた。

 わたしは思わず髪を押さえる。

「マサトは市田が笑っていてくれたら、それだけで幸せだっていつも言ってた。だから市田、ここに来る時は笑っていてやれよ。市田がそんなに哀しそうな顔をしてたら、マサトはきっと哀しむぜ」

 風に負けないように、声量を上げた森田くんの言葉が胸に響いて、はっとする。

 マサトがいなくなってしまったんだもの。

 笑えないのなんて当たり前。

 哀しんでいるんだから、哀しそうな顔になってしまうのだって当然だ。

 でも――。

 確かに、マサトはいつも言ってた。

 わたしの笑顔が好きだって。

 そう言ってくれていた。

 わたしはマサトの笑った顔が好きだった。嬉しそうな顔が大好きだった。

 それと同じように、マサトも。

『ゆかにはいつも笑っていてほしいんだ』

 吹きすさぶ風の中なのに、マサトの声が、すぐ傍できこえたような気がした。

 マサト――。

 視界がぼやける。

 こらえきれず、あふれ出した涙が足下に落ちる。

 でも。

「そうだね。そう、森田くんの言う通りだね。わたし、笑ってないと」

 わたしはがんばって笑顔を作った。 

 ちょっとぎこちなかったかもしれないけれど、精一杯、笑ってみた。

 涙は止まらないけれど、それでも。

「ああ。市田が笑ってれば、マサトだってきっと笑ってるさ」

 森田くんが、力強く頷く。

 思い出した。わたしが笑っている時、いつだってマサトも笑っていたことを。

「……森田くん、ありがとう」

 いつしか、風はやんでいた。

「マサトと親友の俺が、いつまでもマサトを哀しませっぱなしにしとくわけにはいかないからな」  

 じゃ、と手を上げて、森田くんが踵を返す。
 森田くんはもう振り返らず、今度こそ本当に立ち去ってしまった。

 その背中を見送ってから、わたしはお墓へと向き直った。

 まだ、心から笑うなんてできない。マサトのことを吹っ切るなんてできない。

 それでも――。

 わたしはぐっと掌で涙をこすった。

 今度ここに来る時には、笑顔で来よう。
 その次ここに来る時も、その次も。

 それでいいんだよね? マサト。

『そうだよ。だから笑って、ゆか』

 マサトの声に導かれるように、わたしはお墓に向かって笑いかけた。

 さっきより、ちょっとはましな笑顔になったかもしれない。

「ありがとう、マサト」

 わたしの声に優しく応えるように、そよりと吹いた風を追って空を仰ぐと、そこには雲ひとつない澄んだ青空が、どこまでも広がっていた。


しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

あなたには、この程度のこと、だったのかもしれませんが。

ふまさ
恋愛
 楽しみにしていた、パーティー。けれどその場は、信じられないほどに凍り付いていた。  でも。  愉快そうに声を上げて笑う者が、一人、いた。

人生を共にしてほしい、そう言った最愛の人は不倫をしました。

松茸
恋愛
どうか僕と人生を共にしてほしい。 そう言われてのぼせ上った私は、侯爵令息の彼との結婚に踏み切る。 しかし結婚して一年、彼は私を愛さず、別の女性と不倫をした。

婚約破棄の甘さ〜一晩の過ちを見逃さない王子様〜

岡暁舟
恋愛
それはちょっとした遊びでした

義理姉がかわいそうと言われましても、私には関係の無い事です

渡辺 佐倉
恋愛
マーガレットは政略で伯爵家に嫁いだ。 愛の無い結婚であったがお互いに尊重し合って結婚生活をおくっていければいいと思っていたが、伯爵である夫はことあるごとに、離婚して実家である伯爵家に帰ってきているマーガレットにとっての義姉達を優先ばかりする。 そんな生活に耐えかねたマーガレットは… 結末は見方によって色々系だと思います。 なろうにも同じものを掲載しています。

【完結】愛も信頼も壊れて消えた

miniko
恋愛
「悪女だって噂はどうやら本当だったようね」 王女殿下は私の婚約者の腕にベッタリと絡み付き、嘲笑を浮かべながら私を貶めた。 無表情で吊り目がちな私は、子供の頃から他人に誤解される事が多かった。 だからと言って、悪女呼ばわりされる筋合いなどないのだが・・・。 婚約者は私を庇う事も、王女殿下を振り払うこともせず、困った様な顔をしている。 私は彼の事が好きだった。 優しい人だと思っていた。 だけど───。 彼の態度を見ている内に、私の心の奥で何か大切な物が音を立てて壊れた気がした。 ※感想欄はネタバレ配慮しておりません。ご注意下さい。

断罪される一年前に時間を戻せたので、もう愛しません

天宮有
恋愛
侯爵令嬢の私ルリサは、元婚約者のゼノラス王子に断罪されて処刑が決まる。 私はゼノラスの命令を聞いていただけなのに、捨てられてしまったようだ。 処刑される前日、私は今まで試せなかった時間を戻す魔法を使う。 魔法は成功して一年前に戻ったから、私はゼノラスを許しません。

ある国の王の後悔

黒木メイ
恋愛
ある国の王は後悔していた。 私は彼女を最後まで信じきれなかった。私は彼女を守れなかった。 小説家になろうに過去(2018)投稿した短編。 カクヨムにも掲載中。

運命の強制力が働いたと判断したので、即行で断捨離します

下菊みこと
恋愛
悲恋になるのかなぁ…ほぼお相手の男が出番がないですが、疑心暗鬼の末の誤解もあるとはいえ裏切られて傷ついて結果切り捨てて勝ちを拾いに行くお話です。 ご都合主義の多分これから未来は明るいはずのハッピーエンド?ビターエンド? 小説家になろう様でも投稿しています。 誤解ありきのアレコレだからあんまり読後感は良くないかも…でもよかったらご覧ください!

処理中です...