量子の檻 - 遺言の迷宮

6章

量子の檻

まばゆい光が消えると、神藤葉羽と望月彩由美は、これまで見たこともないような空間に立っていた。周囲は無限に広がる宇宙のようで、しかし同時に microscopic な量子の世界のようでもあった。
「ここが...真実の世界？」彩由美が息を呑んで周りを見回した。
葉羽も同じく驚きの表情を浮かべていた。「信じられない...私たちは今、現実と量子の狭間にいるんだ」
二人の周りには、無数の光る粒子が舞っている。それらは時に波のように広がり、時に粒子として凝縮する。まるで、シュレーディンガーの猫の思考実験を目の当たりにしているかのようだった。
「葉羽くん、あれは...」彩由美が指さす先には、巨大な立方体の構造物が浮かんでいた。
葉羽は目を凝らした。「量子コンピューターだ。しかし、これほど巨大なものは見たことがない」
二人が近づくと、立方体の表面に映像が浮かび上がった。そこには地球の姿が映し出されている。しかし、その地球は常に変化していた。平和な世界から戦争の絶えない世界へ、環境破壊された世界から自然豊かな世界へと、絶え間なく変化を続けている。
「これは...並行世界？」葉羽が驚きの声を上げた。
その時、背後から声が聞こえた。
「正解だ、神藤葉羽」
振り返ると、そこには先ほどの科学者が立っていた。しかし今や、彼の姿は半透明で、まるでホログラムのようだった。
「あなたは...」彩由美が言葉を詰まらせた。
科学者は静かに説明を始めた。「私は、この量子コンピューターのプログラマーの一人だ。我々は、並行世界を観測し、操作することに成功した」
葉羽は目を見開いた。「それは...人類の運命を左右する力だ」
科学者はうなずいた。「その通りだ。しかし、その力は両刃の剣だ。使い方を誤れば、全ての世界線を破壊することもできる」
彩由美が不安そうに尋ねた。「でも、なぜ私たちがここに？」
科学者は二人をじっと見つめた。「お前たちには、特別な才能がある。量子の世界と現実世界を橋渡しする能力だ。我々は、その能力を持つ者を長い間探していた」
葉羽は眉をひそめた。「つまり、私たちに何かをしてほしいということか？」
「その通りだ」科学者は答えた。「我々は、この量子コンピューターを正しく操作できる者を必要としている。お前たちの選択が、全ての世界の運命を決めることになる」
突然、空間全体が揺れ始めた。科学者の表情が曇る。
「時間がない。敵対勢力が、この場所に侵入しようとしている」
「敵対勢力？」葉羽が問いただした。
科学者は急いで説明した。「この技術を悪用しようとする者たちだ。彼らは、自分たちに都合の良い世界線だけを残そうとしている」
彩由美が決意の表情を見せた。「私たち、何をすればいいの？」
科学者は量子コンピューターを指さした。「あのコンピューターを操作し、全ての世界線を守らなければならない。しかし、それには大きなリスクが伴う」
葉羽は彩由美の手を取った。「どんなリスクだ？」
「お前たちの意識が、量子の世界に閉じ込められる可能性がある」科学者は重々しく言った。「二度と元の世界には戻れなくなるかもしれない」
葉羽と彩由美は顔を見合わせた。言葉を交わす必要はなかった。二人の目に決意の色が宿る。
「やります」二人は同時に答えた。
科学者はうなずいた。「では、急いで」
葉羽と彩由美は量子コンピューターに向かって歩き出した。その瞬間、周囲の空間が激しく歪み始める。
「敵が来た！」科学者が叫んだ。
葉羽は彩由美の手を強く握った。「準備はいいか？」
彩由美はうなずいた。「うん、一緒なら何でもできる」
二人が量子コンピューターに触れた瞬間、強烈な光が彼らを包み込んだ。彼らの意識は、無数の世界線の中へと引き込まれていく。
葉羽と彩由美の意識は、量子の海を漂い始めた。彼らは無数の可能性、無数の世界を同時に体験していた。喜びに満ちた世界、絶望に沈んだ世界、そして両極端の間の無数の世界。
「これが...全ての可能性」葉羽の声が、量子の波動となって広がる。
「すごい...でも、どうやって守ればいいの？」彩由美の思考が返ってきた。
その時、彼らは気づいた。自分たちの意識が、量子コンピューターそのものになっていることに。
「僕たちが、守護者になるんだ」葉羽が理解した。
二人の意識が一つになり、全ての世界線を包み込む。敵対勢力の侵入を感じ取り、それを跳ね返す。世界線の分岐点で、最適な選択へと導く。
しかし、その作業は途方もなく複雑で、二人の意識は限界まで拡張されていた。
「葉羽くん、もう限界かも...」彩由美の意識が揺らぐ。
「諦めるな！」葉羽が叫ぶ。「僕たちにしかできないんだ！」
二人は必死に踏ん張った。そして、ついに...
全ての世界線が安定し、敵対勢力の脅威が去った瞬間、葉羽と彩由美の意識は元の姿に戻り始めた。
目を開けると、二人は再び研究所のような空間にいた。科学者が安堵の表情で彼らを見つめている。
「やり遂げたな」科学者が静かに言った。
葉羽と彩由美は、疲れ切った様子で互いを見つめ合った。
「終わったの...？」彩由美が小さな声で尋ねた。
葉羽はうなずいた。「ああ、僕たちは全ての世界を守ったんだ」
科学者が二人に近づいてきた。「お前たちの働きのおかげで、量子の檻は守られた。全ての可能性、全ての世界線が安全になった」
「でも、これからどうなるんですか？」葉羽が尋ねた。
科学者は微笑んだ。「それは、お前たち次第だ。量子の世界と現実世界を行き来する能力を持つお前たちには、二つの選択肢がある」
「二つの選択肢？」彩由美が首を傾げた。
「ああ」科学者は続けた。「一つは、ここに残り、永遠に量子の檻の守護者となること。もう一つは、元の世界に戻り、普通の生活を送ること。ただし、この体験の記憶は失われる」
葉羽と彩由美は、再び顔を見合わせた。今度は、決断にわずかな迷いがあった。
「どうする？」葉羽が静かに尋ねた。
彩由美は少し考え、そして微笑んだ。「私は...葉羽くんとならどちらでも幸せ」
葉羽も微笑み返した。「そうか...」
彼は科学者に向き直った。「私たちは...」