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第九幕 そして一乗谷へ
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「ここが一乗谷か!」
「とても栄えておりまするなぁ」
「活気があって、人々も生き生きとして居りますわ」
光秀たち三人は、越前国の一乗谷に着いていた。この時期の一乗谷と言えば、「第二の京」と言われる程の商業的、文化的にも発展した都市であった。
その越前国を治めるのが朝倉氏であり、現当主義景は、初代宏景より数えて十一代目であり、越前国を有するようになった孝景より数えて五代目にあたる。その朝倉氏の越前での治世は、百年にも及ぶ。
元々、朝倉氏と言えば、その昔は日下部氏を名乗り、その祖を景行天皇や孝徳天皇に求めると言うほどの名門である。平安末期に、朝倉氏を称するようになった。
それが、室町期になると、越前国の守護であった斯波氏の被官となり、その守護代を務めるようになってくる。この点は、共に斯波氏の守護代を務めた織田氏や甲斐氏と同じような流れである。
そして、応仁の乱の後には、主家を超える力を有するようになり、越前国を実質支配し、遂には幕府より、守護職を正式に認められるまでになっていたのであった。
そして、その支配地の主要都市として一乗谷があった。この一乗谷であるが、その名が示す通り、守り易く攻めにくい天然の要害となっており、この一乗谷の都市すべてが城と言って差し支えない程であった。
正に北陸の都そのものであり、治安は安定し、国は富み、民は栄えていた。後世、義景は凡将の代表とでも言うべき評価を受けているが、この時期の同時代の人々からの評価は決して悪くはない。それどころか、
「朝倉のお館様が居れば、我らの生活は安泰じゃ」
と領民も家臣たちも皆が思っているほどの力を発揮して、国を安定させていた。
義景は、この一乗谷を一種の独立国のような形で、中央とは全く異なった地域国家を発展させて行きたかった節があり、彼の凡将としての評価は、結果として敗軍の将になったからのそれであり、風雲児織田信長と敵対してしまったからだと言ってしまえば、それまでの事であった。しかし、ここではこの話題には触れず、後日の話しとする。
朝倉氏の越前国の支配と隆盛を作り出した、一族の名将と謳われた朝倉宗滴はすでに亡くなっていたが、朝倉氏は、今が隆盛の絶頂にあったと言っていい。光秀たちが到着したのは、そんな時期の時であったのである。
到着してから一週間が過ぎていたが、光秀は、未だに義景との対面を果たせないでいた。これには事情がある。着いて早々に光秀は、一乗谷城で義景に面会を請うた。もちろん将軍義輝からの推薦状を持参してである。
「お館様は、多忙であられる。面会したくば、逗留する旅籠を記入し、呼ばれるのを待て」
応対した小役人に偉そうにそう言われて、さもありなんと旅籠で待っていたのだが、それから一週間が過ぎてしまっていた。
「どういう事にございましょうか?」
秀満などは、若さゆえか何もやる事がない鬱屈なのか、つとにイライラが募っているようであった。光秀は、何度か使いの者を出したのだが、それも無しのつぶての状態であった。
「賄いをお渡しなされましたか?」
見かねた宿の主人がそう光秀たちに聞いてきたのは、次の日であった。主人の話しによれば、朝倉の当主ともなると、来客も多く、また多忙ゆえに一日に会える人数も決まっており、外部から来た人間は、特に役人に賄賂を渡さねば、いつまで立っても面会日は訪れぬものらしいのだ。
「上様直々の推薦状があるのだぞ」
光秀は、上様まで蔑ろにされたと憤りを感じたが、そんな物は、この越前では何の役にも立ちそうになかった。
「数年前にも、幕府よりのご使者が来られましたが、出す金などないと申されて、工面なされなかったので、結局お館様には会えず帰られました」
恐ろしく幕府の権威を失墜する出来事であるが、これがこの時の現実というべきものであった。
「仕方ない」
光秀は、そう溜息混じりに吐息すると、賄いを秀満に持たせて、小役人に渡してやることにした。そうすると効果適面と言うべきか、それとも露骨すぎるのを非難すべきか、義景との面会は、三日後と決まったという報せがその日の夕刻には、光秀達がいる旅籠に届けられたのである。
「これが、大名のなさりようでしょうか?」
熙 子までもが、呆れ果ててそう呟いたのだが、この地が、それだけ平和だとする証拠かもしれず、どの時代でも汚職官僚や役人というものは、跋扈するものらしかった。
「ともかくも会ってくるか」
光秀にとって、朝倉義景との運命の対面は、何とも言えない最悪な事態から、すでに始まっていたのであった。
城に入ってから光秀は、一室にて一人、一刻余りは待たされていた。その間、誰も来ないし、もちろん茶なども出ない。光秀は、じっと座って待っている。
部屋の中に目をやると、松竹梅を模った襖絵や、高価そうな調度品が置かれていた。しばらくそのまま待たされていると、二人の男が小姓らを引き連れて部屋に入ってきた。光秀は平伏する。男たちが上座に座るのを横目で確認していた。
「面を上げよ」
やや気怠そうな声が聞こえてきて、光秀は言う通りに顔をあげた。
「義景である」
上座の男はそう名乗り、そのまま押し黙ってしまった。その表情は、無表情で光秀の顔を一瞥もしようとはしない。
「私は、朝倉景鏡である。さて、明智殿と申されたか。当方には、仕官をお望みとか?」
義景の手前に座った男が、光秀に声を掛けた。その顔は、眼が鋭く吊り上り、眉は太く、眉間は深い。一見して怜悧で狡猾そうな印象を光秀は持った。この朝倉景鏡は、朝倉家の総大将を務める一門の重鎮である。当主義景に代わり、内外に指揮を振るっていることは、光秀は事前の情報ですでに知り得ていた。
「今までどうなされていた?」
「主家が没落後、一族離散の憂き目にあい、某は諸国を巡り、兵法、築城術、砲術などの技術を習得致し申した。その後、京に居わす将軍家の元に留まっておりましたが、時勢を見るに、越前朝倉家こそ仕えるに足る主君と考え罷り越しました。将軍家直筆の推薦状もございますれば、何卒、よしなにお頼み申し上げる」
光秀は深々と頭を下げた。明朗闊達にして、淀みなくしゃべり、その弁舌に関して醸し出す雰囲気や、礼法を自然に身に着けている点など、見るべき者が見れば、光秀の人物が分かったであろう。
内心、景鏡もその事には気づいていた。その点は、さすがに朝倉の総大将である。しかし、この景鏡という男は、他人を疑う事が趣味とでもいうべき性格が捻くれた男であった。景鏡は、心とは別の事を話し始めていた。
「ふむ、中々見事な口上、あっぱれである。貴殿も申した将軍家の推薦状は、先ほど目を通し申したが、果たして本当でござろうか?いや、書状が偽物と疑っているわけではない。上様の筆跡は、某も拝見した事がある。本物であろう。しかしだ、この書状に書いてある、明智光秀儀、砲術の妙手たり、優れた武士でありそうらば、と記している」
「しかるに、それだけ優れた人材であれば、なぜ?将軍家で登用なさらなかったのかが疑問なのだが、この儀如何に」
「お答え申し上げる。成程、景鏡様の申し状、一々ごもっともと存じ上げる。しかるに、足利将軍家の現状は、有体に申し上げれば、恐れ多くも、内々にも事欠く有様にて、人を雇うゆとりがあり申さぬ。この光秀、将軍家の事情を察し、退転致した次第にございまする」
「ならば、将軍家にゆとりが無くとも、三好修理にはあろうが」
「三好は、好きになり申さぬ」
「何と?明智とやら、三好は好かぬか。これは傑作じゃ!わははははっ!」
ここまでの光秀と景鏡とのやりとりを、無言で見ていた義景は、急に腹を抱えて笑い出した。義景は苦しそうに大笑いすると、何事もなかったかのように座り直した。
「明智とやら、そなたはおもしろき男じゃのう。余は、気に入ったぞ」
義景がそう言ったのが契機となり、景鏡の考えに一つの変化が訪れていた。
「宜しい、殿もああ言って居られる。明智よ、そなたを当方で召し抱えるとしよう。しかし、件の書状にあるそなたの力量が分かるまでは、仮とする。よいな!」
「万事、景鏡に任せる。大儀であった」
その義景の言葉が、面会の終わりを告げていた。二人は、入って来たときのように再び小姓たちを引き連れ部屋を後にした。その間、光秀はずっと平伏したままであった。
何はともあれ、光秀は朝倉家への仕官が決まったのである。しかし、しばらくの間は仮雇いと言う事は、それまでの給金は出ないと考えていた方がよく、光秀にとっては、しばらくの生活をどうするかの方が気がかりとなった。
(要するに、早く力を示せと言うわけだな。面白きかな)
城を出て、熙子と秀満の待つ宿の戻る道中、光秀はこれから訪れるであろう新しい生活に思いをはせ、武者震いのする心地であった。
「さて、困った事になったぞ」
朝倉家への仮仕官の決まった光秀達は、さっそく越前での新たな生活を始めていた。当面の間は支度金など出ず、自給自足の生活となるが、これは、浪々の身から慣れた事であり、何とかなるだろう。
次に住処だが、これも、所謂オンボロと言うやつだが、とても屋敷とは言えない住居を提供して貰えた。雨風をしのぐには、これで十分であった。しかるに、光秀の困っていることには、別の理由があったのだ。新しい住居での生活が始まってから、光秀は、積極的に他者との交わりを持とうと務めていた。
田畑がないので、近くの農家で農作業を手伝う傍ら、米や野菜などを分けてもらい、農民たちとも、その中で触れ合いを持とうと自ら動いていた。そして、空いた時間に、他の朝倉家の武士たちを訪ねて歩き、ある者には鉄砲を教え、またある者とは連歌に興じたりした。
そして、ここ朝倉家でも京の都を真似てか、茶の湯が流行しており、光秀が茶の湯を嗜むと分かると、京仕込みの腕を買われて、開催される茶会に引っ張り凧となっていた。
光秀が困っているのは、その茶会は、持ち回りで茶会の主人を務める、いわゆる主催者をやる事が決まっており、茶会の費用は、その主人役が用意せねばならない。そして、その茶会の主人役が光秀に回って来たのである。
「さて、どうしたものか?」
光秀は、先程から思案を重ねているが、何とも金がない。京の都を出るに辺り藤孝から餞別を貰ってはいたが、温泉への湯治や、越前に着いてからの旅籠への思わぬ長逗留、そして、本来不必要な賄賂など、意図せぬ出費がかさみ、何とも金が底を尽きそうであった。
ともかくも無い袖は振れぬ次第であったのだ。
「順番を替わってもらうか。それとも断る口実を考えようか」
そう考えて光秀は、首を横に振った。どれも今の光秀の状況では難しかった。光秀は新参者であり、まだ本雇いとなっていない、いわゆる客分の身分であった。
しかも、給金が出ぬ以上は、本当の客分よりしまつが悪かろう。この茶会は、この時代の武士の嗜みとして、いわゆる現代風に言わば、サロンのような物だっただろう。
こういう男の付き合いというものでの振る舞いの仕方一つで、出世に影響してしまうのは、昔も現代も時代は関係なく一緒ではなかろうか。
とにかくも、光秀にとって、今度の茶会の主人役は、これからの越前での任務に支障が出るかもしれない。
否、しくじれば、十中八九そうなるだけの重要な出来事であった。しかも、光秀の方から、件の茶会に参加した以上、断るわけにはいかなかったのである。
「このような時に弥平次が居れば・・・」
三宅弥平次秀満は、この時越前には居なかった。光秀の命で、京にいる藤孝宛への書状を持たせて、越前での現状を報告するべく、旅立っていたのだ。秀満は役に立つ青年である。ここに居たならば、きっとこんな時にも何か知恵を出してくれたであろう。
そうでなくとも、光秀と秀満の双方が方々に頼んで、賄いの金や物を用意出来たかもしれない。
しかし、光秀一人では、その暇もなかった。茶会は二日後である。これから方々に根回ししていくのに時間が足りなかったのだ。
これには、事情があった。本当は、今回の茶会は、別の人物が主人役を務めるはずであった。しかし、その者が急遽、当主義景の使いで越前を留守にすることになったのだ。茶会の日時は、もうすでに他の者たちに伝えている。今さら中止するわけにはいかないと、代役を立てる事になったのだ。すると、
「明智殿ではどうであろうか?」
一人の顔役が言い出し、他の者たちも明智殿ならばと、皆が同意した。光秀は断れなくなってしまった。そして、思案をすれども日付だけが過ぎ、今日に至るのであった。
明智光秀と言う男は、果断に決断し、行動力も優れた武将であったが、こういう奥向きな諸事はどうしていいのか分からない点は、いつの世の亭主と変わらぬ体たらくであった。
「殿、茶会の御仕度なら、すべて私にお任せ下さい」
縁側で思案にふける光秀が振り返ると、熙子が傍に立っていた。
「任せろと言っても、お前がどうするのだ?」
「貴方様、侍たるものそのような雑事に御心を悩まさずとも、奥向きの事は、妻の私に言うて下さりませ。きっと無事に用意を致しましょうものを」
熙子は、そう言って力強く自分の胸を手の平でポンっと叩いた。光秀は、他に思案もなく、不安ながらも
「お前がそうまで言うのなら」
と熙子に一任する事にした。そして、光秀は、茶会で使うつもりの京から持ってきた茶器を一通り並べると、それらを一つ一つ手に取り、丹念に磨いていった。茶器の中には、将軍義輝より拝領した物も含まれており、光秀自身が買い求めた物などがいくつかあった。
茶器を磨き終わると、光秀は、おもむろに紙と筆を取り出し、何やら書き始めた。その書き初めには、
「上様、一筆申し上げ候」
と題されていた。
光秀は、この茶会が失敗に終われば、その話は朝倉家中に広まり、必然的に仕官話が無くなるものと覚悟していた。さりとて、それからおめおめと京に戻ることも出来ず、進退を窮する事態となるのは明白であった。場合によれば、腹を切る事で、自らの進退を明らかにする必要に迫られる事にもなりかねなかったのだ。
そうなった時の事を考えて、自らの覚悟の程を、将軍義輝宛てに残そうと考えて不思議ではなかったのである。光秀にとって、今度の茶会は、正に命を懸けた戦場と同じであったのだ。
そして、茶会当日を迎える。茶会の準備は、本当に熙子が取り仕切る事となり、そればかりか、主の光秀には、準備の邪魔だからと、
「森で肴になりそうな鳥など、取ってきて下さいまし」
と熙子に家を追い出されてしまっていた。光秀は、熙子の言う通りに狩りに出掛けて、鳥を何匹か仕留めた後に家に戻ってみると、中に熙子の姿はなく、上がってみても何一つ用意などされては居なかった。しかし、光秀は熙子を責める気持ちにはなれなかった。
「不甲斐ない私を気遣っての言葉だったのだろう。所詮我が家では、大人数は招待するゆとりはない」
光秀は、懐に入れていた将軍義輝宛ての書状をグッと握りしめて、覚悟を決めた。
「殿、お帰りになりましたか。準備はすでに整っております」
熙子の声が聞こえて、光秀は振り返った。そこには、手ぬぐいを頭に巻いて、たすきを掛けた熙子の姿があった。
「熙子よ、一体今までどこに行っておったのだ?準備などと、どこにもされて居らぬではないか?」
「殿、この家ではせいぜい五、六人しか入りませぬ。茶会は別の場所に準備致しました。さあ、こちらに」
狐にでもつままれた心地で、光秀は、熙子に背中を押されながらその場所へと向かった。二人が家を出て、少し進んで行くと、ある小高い丘の上に寺が建って居り、その裏には見事な桜が咲く場所があった。
「な、なんと!」
光秀は、思わず目を見張った。そこには、桜の大木の下に、煌びやかな宴席が設けられていたのだ。
「明智殿、これは見事な宴席でござるな」
「これは、唐土の桃園の義を模した物に違いない」
「これほどに格別な茶会は、始めてじゃ」
すでに集まっていた朝倉家の家臣たちは、口ぐちにそう言い囃していた。そして、皆に促されて、光秀はその上座に座った。
「この度は、明智家の茶会にご出席頂き、恐悦至極でございまする。皆々様方には、日頃の憂さを、大いに晴らして下さいますよう」
光秀が口上を述べると、茶会が始まり、会は滞りなく進んでいった。時期は丁度、桜の散り際の季節となっており、客人が呑む茶碗の中に桜の花びらが入り、茶会を彩る演出を見せていた。茶会の途中には、連歌も供され、会は大盛況の内に幕を閉じた。
「今日は、良き日であった。これもすべてそなたのお蔭ぞ」
「殿もさぞ、お疲れにございましょう」
家に戻った光秀と熙子は、二人で今日の労を厭いあった。
「そなたも疲れたであろう。片付けなどは明日にし、今日の所は休もうとしようぞ」
光秀は、帰ってからも休むことなく、家事をこなそうとする熙子を見かねて、声をかけていた。そう光秀に言われた熙子は、
「はい」
と言うと、頭に掛けていた手ぬぐいを取った。
「そなた!その頭は、髪は?髪はどうしたのだ?」
手ぬぐいを取った熙子の頭を見て、光秀は驚いた。その頭には、昨日まで在ったはずの髪が無かったのである。熙子の髪は、美濃一と謳われた程の、腰まで伸びた綺麗な印象的な黒髪があったのだが、それがバッサリと、肩口まで切られて無くなってしまっていたのだ。
「まさか、今回の事で髪を?」
「そのように指をさしてじっと見ては、はずかしゅう御座います」
熙子は、光秀のために自慢の髪を売って、茶会の支度を整えていたのだ。女の髪は命と昔から言うが、この時代には、女の髪は高値で売れた。当時としては、カツラにするには、人工的な物などなかったし、筆なども馬の尻尾や人の髪などが用いられていた事から、日常的に髪の売買はあったと見て良い。
しかも、女性の長くて美しい健康的な黒髪はもっとも価値が高く、熙子の髪はそれには打ってつけであったのだ。
熙子は出来るだけ金の掛からぬように、普段から懇意にしている住民や、村の農民などにも声をかけて準備を進め、それでも足りない分を、自分の髪を売って工面していたのだった。それは、城持ちの武家の姫君として生まれた女にとって、どれほど屈辱的な行為であっただろうか?
「熙子よ、お前と言うやつは。何という…」
光秀は、それ以上の言葉が出てこなかった。光秀は、熙子を抱き寄せた。抱きしめずには居られなかった。光秀の目には、自然と涙が溢れていた。
「熙子よ、わしはそなたに二つの事を誓うぞ。一つは、そなたをきっと大名の奥方にしてみせる事、二つ目は、わしは、そなたと添い遂げる。側室は持たぬぞ」
「殿、うれしゅうございます」
二人は、見つめ合ってしっかりと抱きしめあった。熙子の目にも、いつしか涙が止めどなく溢れていた。
「月さびよ 明智が妻の 話しせむ」
これが有名な松尾芭蕉が詠んだ俳句のエピソードである。光秀は、熙子の内助の功に助けられながらも、どうにか越前での生活を送り始めていた。
何とか越前での暮らしに慣れてきたころ、光秀にとって一つの転機となる出来事が起こる。光秀は、何か手柄を立てなければ仕官への道が開けぬ。そう、手柄を立てる機会、戦が起こったのである。
この当時、隣国同士の越前と加賀では、膠着状態が続いていた。当時の加賀国は、長享二年(1488年)に守護職であった富樫政親が、本願寺門徒らによる一揆により殺害されて、それからずっと支配者のいない国「百姓の持ちたる国」となっていた。
そして、その一揆勢と朝倉家は何度も小競り合いをしては和睦し、またそれを破棄しては戦になりを繰り返していた。この時も、加賀の一揆勢が越前国へと侵攻してくる気配を見せていた。光秀は、その防備の任に着くこととなったのである。光秀は、青蓮華景基と言う朝倉家の重臣の旗下に置かれる事となった。
「敵に夜討ちの気配があり申す」
光秀は、景基にそう進言したという。景基の家臣たちは、誰も新参者の光秀の言を信用しようとしなかった。
「某は、先刻偵察に行き申した。敵は、篝火を焚ち広げ、炊煙が数多く上がっており申した。これは、夜討ちへの準備と見て間違いござらん」
この時より、数刻前の事である。光秀は、秀満と共に敵の偵察に出ていた。
「煙が立ち登っておる」
最初、山の上より敵の軍勢を見ていたのだが、
「様子を探りたい。もそっと近づこう」
光秀は秀満にそう言うと、山の麓まで下りて、敵の軍勢がすぐ直近で見れるぐらいの距離まで近づいていった。二人は、林の中にいた。
「敵の数は、如何ほどでござりましょうや?」
「何とも分からぬ。しかし、すごい篝火の数じゃ。これは、夜討ちがあるやも知れぬぞ」
「夜討ち?それが本当ならお味方にお知らせせねば」
「確かめる方法は一つじゃ」
光秀はそう言うと、横にいる秀満にニヤリと笑い、何の備えもなしに、敵の陣がある方へと歩き始めた。
「殿?何を!」
光秀の行動を見て焦りを覚えた秀満は、光秀を連れ戻すべく、すぐにその後を追ったのだが、時すでに遅しであった。
「何じゃ貴様らは!」
すぐに見張りの兵卒に見つかってしまった。秀満は、光秀に戻るように促したが、光秀は、一向に気にする気配を見せなかった。
「良いぞ、良いぞ、南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏」
それどころか、ニコニコしながら、意味不明な言葉と経文を唱えて、陣中の中へとズカズカと入って行くのである。そして、適当な四、五人の農民兵たちの元へと近づいていった。
「御坊はどちらに?」
「御坊様方は、ここよりずっと南に行った本陣に戻りなされたぞ」
「そうであったか。急いで来たものが、行き違いになってしもうたわ。ところで、今晩の夜襲の件は、本陣には伝えておるのか?」
「へい、そう聞いとりますがな」
光秀が余りに自然に振舞うもので、近くにいた兵たちは、不思議と誰も疑わなかった。これは、門徒衆の中に、光秀たちのような浪人が数多く居たためであろう。
「カマを掛けてみたが当たりであった。さっそく戻って言上しよう」
そして、秀満とともに悠々と敵の陣中を引き上げてきたのであった。
「もし、夜襲がなくとも備えあれば憂いなし。上手く行けば、敵を一挙に撃退出来申そう」
防備の任に当たった大将の青蓮華景基は、この光秀の進言を受け入れる事に決めた。
光秀は、作戦を考えた。まず、敵が夜襲を掛けてくるとして、攻めてくる場所は、味方の本陣のある街道に沿った道を使ってくるだろう。
夜襲をするにあたっては、「兵は神速を尊ぶ」ことが肝心であった。行軍に時間のかかる脇道や、けもの道を使えば、敵に夜襲のあるのが知られる確率が高くなってしまうからだ。この事から、光秀が立てた作戦は、こうであった。
まず、敵が本陣へと最短の道で進んでくる。敵はよもや、夜襲作戦が漏れているとは、思っていない筈だから、こちら側が眠りこんでいると思っている筈である。なので、本陣の守りを固めつつ、敵に気取られぬように兵を配置しておく。
そして、敵が攻めてきた所を、逆に弓隊をもって散々に打ち破るのである。敵は、すぐに退却して行くだろう。そして、敵が退却する時に使うはずの街道で狭間道になっている所の両脇に鉄砲隊を配置し、敵の兵が半ばを過ぎるのを待って、これを狙撃するのである。
もし、仮に敵の本陣への攻撃が予想以上に激しい時は、両脇の伏兵で本陣へと急行し、その背後を襲う手筈を取った。
作戦は決まった。光秀の見事な作戦に陣中の武将たちは、皆、驚嘆した。しかし、ここで、一つの問題が生じる。伏兵の指揮を誰が執るかについてであった。この部隊にも鉄砲隊が在り、それを指揮する者は、朝倉家譜代の家臣ではあったが、身分だけで選ばれた男で鉄砲の技術を持ち合わせてはいなかったのであった。ましてや、その指揮など、高度な作戦を行いながら、慣れぬ鉄砲隊を率いての伏兵など、すぐに出来る物ではなかった。
「致し方ない、この光秀と横にいる秀満とで仕ろう」
光秀は、本陣を自分が離れる事を少し危惧したが、鉄砲隊の左翼、右翼に分かれてその教授方として、帯同することとなった。しかし、本陣の重臣たちは、口ぐちに、光秀らが出しゃばる事に難色を示した。
「たかが農民どもの一揆風情に大げさな」
その言葉の節々に、そういう侮蔑の思いが感じとれた。しかし、光秀は、この一向一揆という集団を甘く見てはいなかった。この本願寺を発生とする一向一揆は、来世での幸せのため、極楽浄土へと行くために、現世で如何に仏に尽くすかを説いていた。
そして、その際たる苦行とも言うべきものが、一向一揆の戦で死ぬことであった。何ともおかしな話ではあったが、一揆に参加する門徒たちは、戦で死ねば、極楽浄土に行けて、来世で幸せに暮らせると信じて疑がっていないのである。
「南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏」
そう唱えながら、時には、数千から何万もの死を恐れぬ集団が、襲い掛かってくるのである。その様は、異様な恐ろしい地獄の集団に思えた。まだ、光秀が諸国を巡って旅をしている時に、何度が一向一揆の戦振りを拝見する機会があり、その恐ろしさを体験していたのであった。
光秀は、その経験から、重臣たちのように、正面から決戦をする気には為れなかったのである。なるべく、正面からの戦闘を避けて、敵の勢いを削ぐことを戦略の根幹と考えた方がいい。光秀はそう見ていた。
「他に妙案があれば、そうなされよ。しかし、刻限は直ぐに来ますぞ」
誰もこれには口をつぐんで動こうとはしなかった。重臣たちは、
(夜襲がなければ、新参者め、どうしてくれようか)
と内心恨めしさを秘めていたが、光秀は、毛ほども感じてはいなかった。
(こちらは、最初から命がけで越前まで来ているのだ。どう思われようと、ここで武勲を立てなければ!)
光秀の思いは強い。この戦は、千載一遇のチャンスだと光秀は感じていた。そして、夜半過ぎの事、光秀たちの隊の見張りの者が、敵の影に気づいたのである。手筈では、この敵をやり過ごし、本陣の味方に追われて戻ってきた所を襲撃することになっていた。しかし、
「今、この敵を襲えばよいのではないか?」
この隊の隊長を務める武将がそう言ってきたのである。しかも、それを光秀に相談せずに、実行に移そうとしていたのであった。光秀は、鉄砲隊が構える前に立ちはだかり、何度も同じ説明をするはめとなった。
「今回の作戦は、敵を越前侵攻より総撤退させるがためでござる。しかるに、今ここで敵に鉄砲を仕掛けても、成程、敵は驚いて、退却はするでしょう。しかし、与える損害は、大したものとはならず、敵は退却した後に陣を立て直し、もっと多くの人数を繰り出して来るかもしれませぬぞ」
光秀は、何度も繰り返し説得した。その胸中では、反対側の隊についた秀満も、苦労しているだろう事を想像していた。光秀の考えによれば、にわか仕込みの鉄砲隊では、敵に命中する確率は低く、即席で光秀と秀満による、一発目の命中率を高める術が施された物の、それも付け焼刃に過ぎなかった。砲術は、日頃からの鍛錬が物を言うことを、光秀以上に知る者はいなかったのである。
ともかくも、夜襲を仕掛けてきた敵が、本陣より思わぬ反撃に合い、ほうほうの体で退却するも、さらに追い打ちを鉄砲隊により、掛けられたとすると、
「朝倉方は、相当な備えがあるのではないか?」
と敵に思わせる事が出来、うかつに攻めて来れなくなる。その敵の心理を突いた作戦と言えた。光秀の説得のおかげで、鉄砲隊は無事、当初の作戦通りに進められる事となった。
「オオーーーッ!」
「うおーーー!」
本陣方面より、鬨の声が上がるのが、遠くからでも良く聞こえた。
どうやら手筈通り始まったようであった。ここで、味方の本陣部隊が、敵に苦戦するようならば、すぐに助けに向かわねばならなかった。光秀は内心、自らの恐怖と勇気とが、せめぎ合っているのを感じていた。無理もない。光秀にとって、これほど大規模な合戦の実質の指揮を執ったのは初めての経験であったのだ。
しかも、味方は修練を良くした精鋭部隊だとは、とても言えないのである。しかし、そのような自らの不安は、敵味方関係なく、誰にも気取られるような事があってはならないのであった。光秀の心中は、気の弱い者では、とても耐えられそうにないほどの、ストレスがかかっていた事だろう。しかし、光秀は信じていた。己の力量と、今までの経験とをである。
「明智殿、敵が戻って来ましたぞ」
光秀たちが待っていると、案の定、敵の軍勢が味方に阻まれて戻ってきていた。
「まだだ、まだ待て!」
光秀は、鉄砲隊を構えさせ、じっと敵の行軍が半ばに達するのを待っていた。反対側の秀満も同じ態勢を取っている。この点、この主従は、阿吽の呼吸がすでに出来上がっていた。
「よし、今だ撃てーーーっ」
「ドドーーーーンッ!」
「ババババババーーーーーンッッ!」
光秀の合図と共に、銃声がその辺り一体に鳴り響いた。その銃声が合図となり、反対側の秀満の隊も散々に敵に撃ちかけた。敵は分断され、各個に撃破されていった。
そして、敵に撃ちかける味方の中でも、光秀と秀満との技量は飛び抜けており、味方から驚嘆の目で見られていた。戦闘が始まり、二刻が経過すると、夜も白じみ始めて、その頃には、敵もすっかり退却してしまっていた。戦は、朝倉方の大勝利に終わった。
「勝鬨だ。勝鬨と挙げよ!」
「エイエイオー!エイエイオーーー!」
光秀の合図とともに、味方の隊は、勝鬨の雄叫びをあげた。そして、それに応えるように対岸にいる秀満の部隊も、勝鬨の声を挙げるのだった。
この戦いは、加州の一戦として、越前中に知れ渡る事となった。そして、光秀は、その勝ち戦の功労者として、青蓮華景基の推挙を受け、再び朝倉家当主、義景と対面する運びとなった。
「明智光秀か、覚えておるぞ。此度の戦における活躍見事なり。そなたの忠義心、真に殊勝である」
再会した義景は、終始上機嫌であった。そして、そこで義景より、光秀の砲術の腕を披露するように下知が下された。どうやら、景基が光秀の鉄砲の腕を吹聴した結果らしかった。光秀は、それを畏まって受けることにした。
その砲技披露の儀は、明智軍記に詳しい。明智軍記は、後世に書かれた物語であるため、そのまま史実として、受け止められないが、描写がリアルなため記述する。
義景は、奉行の印牧弥六左衛門という男に命じ、安養寺という寺の下に、所謂射的場を築かせた。的の背後に土を盛って築くのをアズチと言い、そこに一尺四方の的を立てさせる。その距離二十五間(約45.5m)通常は、十五間の距離で行うので、どれだけ遠いかが分かるであろう。
記録によれば、光秀の砲技披露は、四月九日の午前十時ごろに始まった。
的の数は全部で百枚あった。光秀は、上座に座る義景に一礼すると、慣れた手つきで、鉄砲を取り出した。そして、上向きにした銃口から、黒色の火薬を注ぎ込み、玉入れ道と言われる箇所に鉛玉を入れて、持っていた竹棒で、素早くこれを突き固めた。
そして、素早い手さばきで火蓋を閉じると、点火した火縄を火ばさみに差し込み、狙いを定めた。そして、火蓋を切って、一息をハアーっと吐ききると、引き金を引いた。
「ドーンッ」
光秀の指が動くと同時に銃声が木魂した。弾は、的の中心を見事に射抜いていた。
「おおーーーつ」
歓声とどよめきが聞こえてきたが、光秀の耳には届かなかった。
神経を研ぎ澄まし、集中していた。光秀は、約一刻の間に射撃する事、百回。その内、的の中心を射抜くこと六十八回。残り三十二発も、すべて的に当たっているという恐るべき神業であった。これには、義景始め、居並ぶ重臣たちも驚嘆の余り、度胆を抜かれた。
「光秀、天晴れである。許して遣わすゆえ、余に仕えよ」
光秀は、恭しく頭を下げた。しかし、内心では、義景のその傲慢な性格を軽蔑の目で見ていた。このお方は、高みから見物しているだけだ。大地に足を下ろし、民百姓と共に生きられるお方ではない。
「果たして、今の世にそのような君主が居るだろうか?」
光秀は、心の中で考え込んでいた。
そして、京に都にいる、真の主の事に思い至るのであった。義景は、即座にその場で光秀を召し抱える事を決め、同時に、百名の鉄砲隊の隊長に光秀を任命したと記されている。光秀は、ようやく、越前での本懐の一つを遂げる事となった。
「とても栄えておりまするなぁ」
「活気があって、人々も生き生きとして居りますわ」
光秀たち三人は、越前国の一乗谷に着いていた。この時期の一乗谷と言えば、「第二の京」と言われる程の商業的、文化的にも発展した都市であった。
その越前国を治めるのが朝倉氏であり、現当主義景は、初代宏景より数えて十一代目であり、越前国を有するようになった孝景より数えて五代目にあたる。その朝倉氏の越前での治世は、百年にも及ぶ。
元々、朝倉氏と言えば、その昔は日下部氏を名乗り、その祖を景行天皇や孝徳天皇に求めると言うほどの名門である。平安末期に、朝倉氏を称するようになった。
それが、室町期になると、越前国の守護であった斯波氏の被官となり、その守護代を務めるようになってくる。この点は、共に斯波氏の守護代を務めた織田氏や甲斐氏と同じような流れである。
そして、応仁の乱の後には、主家を超える力を有するようになり、越前国を実質支配し、遂には幕府より、守護職を正式に認められるまでになっていたのであった。
そして、その支配地の主要都市として一乗谷があった。この一乗谷であるが、その名が示す通り、守り易く攻めにくい天然の要害となっており、この一乗谷の都市すべてが城と言って差し支えない程であった。
正に北陸の都そのものであり、治安は安定し、国は富み、民は栄えていた。後世、義景は凡将の代表とでも言うべき評価を受けているが、この時期の同時代の人々からの評価は決して悪くはない。それどころか、
「朝倉のお館様が居れば、我らの生活は安泰じゃ」
と領民も家臣たちも皆が思っているほどの力を発揮して、国を安定させていた。
義景は、この一乗谷を一種の独立国のような形で、中央とは全く異なった地域国家を発展させて行きたかった節があり、彼の凡将としての評価は、結果として敗軍の将になったからのそれであり、風雲児織田信長と敵対してしまったからだと言ってしまえば、それまでの事であった。しかし、ここではこの話題には触れず、後日の話しとする。
朝倉氏の越前国の支配と隆盛を作り出した、一族の名将と謳われた朝倉宗滴はすでに亡くなっていたが、朝倉氏は、今が隆盛の絶頂にあったと言っていい。光秀たちが到着したのは、そんな時期の時であったのである。
到着してから一週間が過ぎていたが、光秀は、未だに義景との対面を果たせないでいた。これには事情がある。着いて早々に光秀は、一乗谷城で義景に面会を請うた。もちろん将軍義輝からの推薦状を持参してである。
「お館様は、多忙であられる。面会したくば、逗留する旅籠を記入し、呼ばれるのを待て」
応対した小役人に偉そうにそう言われて、さもありなんと旅籠で待っていたのだが、それから一週間が過ぎてしまっていた。
「どういう事にございましょうか?」
秀満などは、若さゆえか何もやる事がない鬱屈なのか、つとにイライラが募っているようであった。光秀は、何度か使いの者を出したのだが、それも無しのつぶての状態であった。
「賄いをお渡しなされましたか?」
見かねた宿の主人がそう光秀たちに聞いてきたのは、次の日であった。主人の話しによれば、朝倉の当主ともなると、来客も多く、また多忙ゆえに一日に会える人数も決まっており、外部から来た人間は、特に役人に賄賂を渡さねば、いつまで立っても面会日は訪れぬものらしいのだ。
「上様直々の推薦状があるのだぞ」
光秀は、上様まで蔑ろにされたと憤りを感じたが、そんな物は、この越前では何の役にも立ちそうになかった。
「数年前にも、幕府よりのご使者が来られましたが、出す金などないと申されて、工面なされなかったので、結局お館様には会えず帰られました」
恐ろしく幕府の権威を失墜する出来事であるが、これがこの時の現実というべきものであった。
「仕方ない」
光秀は、そう溜息混じりに吐息すると、賄いを秀満に持たせて、小役人に渡してやることにした。そうすると効果適面と言うべきか、それとも露骨すぎるのを非難すべきか、義景との面会は、三日後と決まったという報せがその日の夕刻には、光秀達がいる旅籠に届けられたのである。
「これが、大名のなさりようでしょうか?」
熙 子までもが、呆れ果ててそう呟いたのだが、この地が、それだけ平和だとする証拠かもしれず、どの時代でも汚職官僚や役人というものは、跋扈するものらしかった。
「ともかくも会ってくるか」
光秀にとって、朝倉義景との運命の対面は、何とも言えない最悪な事態から、すでに始まっていたのであった。
城に入ってから光秀は、一室にて一人、一刻余りは待たされていた。その間、誰も来ないし、もちろん茶なども出ない。光秀は、じっと座って待っている。
部屋の中に目をやると、松竹梅を模った襖絵や、高価そうな調度品が置かれていた。しばらくそのまま待たされていると、二人の男が小姓らを引き連れて部屋に入ってきた。光秀は平伏する。男たちが上座に座るのを横目で確認していた。
「面を上げよ」
やや気怠そうな声が聞こえてきて、光秀は言う通りに顔をあげた。
「義景である」
上座の男はそう名乗り、そのまま押し黙ってしまった。その表情は、無表情で光秀の顔を一瞥もしようとはしない。
「私は、朝倉景鏡である。さて、明智殿と申されたか。当方には、仕官をお望みとか?」
義景の手前に座った男が、光秀に声を掛けた。その顔は、眼が鋭く吊り上り、眉は太く、眉間は深い。一見して怜悧で狡猾そうな印象を光秀は持った。この朝倉景鏡は、朝倉家の総大将を務める一門の重鎮である。当主義景に代わり、内外に指揮を振るっていることは、光秀は事前の情報ですでに知り得ていた。
「今までどうなされていた?」
「主家が没落後、一族離散の憂き目にあい、某は諸国を巡り、兵法、築城術、砲術などの技術を習得致し申した。その後、京に居わす将軍家の元に留まっておりましたが、時勢を見るに、越前朝倉家こそ仕えるに足る主君と考え罷り越しました。将軍家直筆の推薦状もございますれば、何卒、よしなにお頼み申し上げる」
光秀は深々と頭を下げた。明朗闊達にして、淀みなくしゃべり、その弁舌に関して醸し出す雰囲気や、礼法を自然に身に着けている点など、見るべき者が見れば、光秀の人物が分かったであろう。
内心、景鏡もその事には気づいていた。その点は、さすがに朝倉の総大将である。しかし、この景鏡という男は、他人を疑う事が趣味とでもいうべき性格が捻くれた男であった。景鏡は、心とは別の事を話し始めていた。
「ふむ、中々見事な口上、あっぱれである。貴殿も申した将軍家の推薦状は、先ほど目を通し申したが、果たして本当でござろうか?いや、書状が偽物と疑っているわけではない。上様の筆跡は、某も拝見した事がある。本物であろう。しかしだ、この書状に書いてある、明智光秀儀、砲術の妙手たり、優れた武士でありそうらば、と記している」
「しかるに、それだけ優れた人材であれば、なぜ?将軍家で登用なさらなかったのかが疑問なのだが、この儀如何に」
「お答え申し上げる。成程、景鏡様の申し状、一々ごもっともと存じ上げる。しかるに、足利将軍家の現状は、有体に申し上げれば、恐れ多くも、内々にも事欠く有様にて、人を雇うゆとりがあり申さぬ。この光秀、将軍家の事情を察し、退転致した次第にございまする」
「ならば、将軍家にゆとりが無くとも、三好修理にはあろうが」
「三好は、好きになり申さぬ」
「何と?明智とやら、三好は好かぬか。これは傑作じゃ!わははははっ!」
ここまでの光秀と景鏡とのやりとりを、無言で見ていた義景は、急に腹を抱えて笑い出した。義景は苦しそうに大笑いすると、何事もなかったかのように座り直した。
「明智とやら、そなたはおもしろき男じゃのう。余は、気に入ったぞ」
義景がそう言ったのが契機となり、景鏡の考えに一つの変化が訪れていた。
「宜しい、殿もああ言って居られる。明智よ、そなたを当方で召し抱えるとしよう。しかし、件の書状にあるそなたの力量が分かるまでは、仮とする。よいな!」
「万事、景鏡に任せる。大儀であった」
その義景の言葉が、面会の終わりを告げていた。二人は、入って来たときのように再び小姓たちを引き連れ部屋を後にした。その間、光秀はずっと平伏したままであった。
何はともあれ、光秀は朝倉家への仕官が決まったのである。しかし、しばらくの間は仮雇いと言う事は、それまでの給金は出ないと考えていた方がよく、光秀にとっては、しばらくの生活をどうするかの方が気がかりとなった。
(要するに、早く力を示せと言うわけだな。面白きかな)
城を出て、熙子と秀満の待つ宿の戻る道中、光秀はこれから訪れるであろう新しい生活に思いをはせ、武者震いのする心地であった。
「さて、困った事になったぞ」
朝倉家への仮仕官の決まった光秀達は、さっそく越前での新たな生活を始めていた。当面の間は支度金など出ず、自給自足の生活となるが、これは、浪々の身から慣れた事であり、何とかなるだろう。
次に住処だが、これも、所謂オンボロと言うやつだが、とても屋敷とは言えない住居を提供して貰えた。雨風をしのぐには、これで十分であった。しかるに、光秀の困っていることには、別の理由があったのだ。新しい住居での生活が始まってから、光秀は、積極的に他者との交わりを持とうと務めていた。
田畑がないので、近くの農家で農作業を手伝う傍ら、米や野菜などを分けてもらい、農民たちとも、その中で触れ合いを持とうと自ら動いていた。そして、空いた時間に、他の朝倉家の武士たちを訪ねて歩き、ある者には鉄砲を教え、またある者とは連歌に興じたりした。
そして、ここ朝倉家でも京の都を真似てか、茶の湯が流行しており、光秀が茶の湯を嗜むと分かると、京仕込みの腕を買われて、開催される茶会に引っ張り凧となっていた。
光秀が困っているのは、その茶会は、持ち回りで茶会の主人を務める、いわゆる主催者をやる事が決まっており、茶会の費用は、その主人役が用意せねばならない。そして、その茶会の主人役が光秀に回って来たのである。
「さて、どうしたものか?」
光秀は、先程から思案を重ねているが、何とも金がない。京の都を出るに辺り藤孝から餞別を貰ってはいたが、温泉への湯治や、越前に着いてからの旅籠への思わぬ長逗留、そして、本来不必要な賄賂など、意図せぬ出費がかさみ、何とも金が底を尽きそうであった。
ともかくも無い袖は振れぬ次第であったのだ。
「順番を替わってもらうか。それとも断る口実を考えようか」
そう考えて光秀は、首を横に振った。どれも今の光秀の状況では難しかった。光秀は新参者であり、まだ本雇いとなっていない、いわゆる客分の身分であった。
しかも、給金が出ぬ以上は、本当の客分よりしまつが悪かろう。この茶会は、この時代の武士の嗜みとして、いわゆる現代風に言わば、サロンのような物だっただろう。
こういう男の付き合いというものでの振る舞いの仕方一つで、出世に影響してしまうのは、昔も現代も時代は関係なく一緒ではなかろうか。
とにかくも、光秀にとって、今度の茶会の主人役は、これからの越前での任務に支障が出るかもしれない。
否、しくじれば、十中八九そうなるだけの重要な出来事であった。しかも、光秀の方から、件の茶会に参加した以上、断るわけにはいかなかったのである。
「このような時に弥平次が居れば・・・」
三宅弥平次秀満は、この時越前には居なかった。光秀の命で、京にいる藤孝宛への書状を持たせて、越前での現状を報告するべく、旅立っていたのだ。秀満は役に立つ青年である。ここに居たならば、きっとこんな時にも何か知恵を出してくれたであろう。
そうでなくとも、光秀と秀満の双方が方々に頼んで、賄いの金や物を用意出来たかもしれない。
しかし、光秀一人では、その暇もなかった。茶会は二日後である。これから方々に根回ししていくのに時間が足りなかったのだ。
これには、事情があった。本当は、今回の茶会は、別の人物が主人役を務めるはずであった。しかし、その者が急遽、当主義景の使いで越前を留守にすることになったのだ。茶会の日時は、もうすでに他の者たちに伝えている。今さら中止するわけにはいかないと、代役を立てる事になったのだ。すると、
「明智殿ではどうであろうか?」
一人の顔役が言い出し、他の者たちも明智殿ならばと、皆が同意した。光秀は断れなくなってしまった。そして、思案をすれども日付だけが過ぎ、今日に至るのであった。
明智光秀と言う男は、果断に決断し、行動力も優れた武将であったが、こういう奥向きな諸事はどうしていいのか分からない点は、いつの世の亭主と変わらぬ体たらくであった。
「殿、茶会の御仕度なら、すべて私にお任せ下さい」
縁側で思案にふける光秀が振り返ると、熙子が傍に立っていた。
「任せろと言っても、お前がどうするのだ?」
「貴方様、侍たるものそのような雑事に御心を悩まさずとも、奥向きの事は、妻の私に言うて下さりませ。きっと無事に用意を致しましょうものを」
熙子は、そう言って力強く自分の胸を手の平でポンっと叩いた。光秀は、他に思案もなく、不安ながらも
「お前がそうまで言うのなら」
と熙子に一任する事にした。そして、光秀は、茶会で使うつもりの京から持ってきた茶器を一通り並べると、それらを一つ一つ手に取り、丹念に磨いていった。茶器の中には、将軍義輝より拝領した物も含まれており、光秀自身が買い求めた物などがいくつかあった。
茶器を磨き終わると、光秀は、おもむろに紙と筆を取り出し、何やら書き始めた。その書き初めには、
「上様、一筆申し上げ候」
と題されていた。
光秀は、この茶会が失敗に終われば、その話は朝倉家中に広まり、必然的に仕官話が無くなるものと覚悟していた。さりとて、それからおめおめと京に戻ることも出来ず、進退を窮する事態となるのは明白であった。場合によれば、腹を切る事で、自らの進退を明らかにする必要に迫られる事にもなりかねなかったのだ。
そうなった時の事を考えて、自らの覚悟の程を、将軍義輝宛てに残そうと考えて不思議ではなかったのである。光秀にとって、今度の茶会は、正に命を懸けた戦場と同じであったのだ。
そして、茶会当日を迎える。茶会の準備は、本当に熙子が取り仕切る事となり、そればかりか、主の光秀には、準備の邪魔だからと、
「森で肴になりそうな鳥など、取ってきて下さいまし」
と熙子に家を追い出されてしまっていた。光秀は、熙子の言う通りに狩りに出掛けて、鳥を何匹か仕留めた後に家に戻ってみると、中に熙子の姿はなく、上がってみても何一つ用意などされては居なかった。しかし、光秀は熙子を責める気持ちにはなれなかった。
「不甲斐ない私を気遣っての言葉だったのだろう。所詮我が家では、大人数は招待するゆとりはない」
光秀は、懐に入れていた将軍義輝宛ての書状をグッと握りしめて、覚悟を決めた。
「殿、お帰りになりましたか。準備はすでに整っております」
熙子の声が聞こえて、光秀は振り返った。そこには、手ぬぐいを頭に巻いて、たすきを掛けた熙子の姿があった。
「熙子よ、一体今までどこに行っておったのだ?準備などと、どこにもされて居らぬではないか?」
「殿、この家ではせいぜい五、六人しか入りませぬ。茶会は別の場所に準備致しました。さあ、こちらに」
狐にでもつままれた心地で、光秀は、熙子に背中を押されながらその場所へと向かった。二人が家を出て、少し進んで行くと、ある小高い丘の上に寺が建って居り、その裏には見事な桜が咲く場所があった。
「な、なんと!」
光秀は、思わず目を見張った。そこには、桜の大木の下に、煌びやかな宴席が設けられていたのだ。
「明智殿、これは見事な宴席でござるな」
「これは、唐土の桃園の義を模した物に違いない」
「これほどに格別な茶会は、始めてじゃ」
すでに集まっていた朝倉家の家臣たちは、口ぐちにそう言い囃していた。そして、皆に促されて、光秀はその上座に座った。
「この度は、明智家の茶会にご出席頂き、恐悦至極でございまする。皆々様方には、日頃の憂さを、大いに晴らして下さいますよう」
光秀が口上を述べると、茶会が始まり、会は滞りなく進んでいった。時期は丁度、桜の散り際の季節となっており、客人が呑む茶碗の中に桜の花びらが入り、茶会を彩る演出を見せていた。茶会の途中には、連歌も供され、会は大盛況の内に幕を閉じた。
「今日は、良き日であった。これもすべてそなたのお蔭ぞ」
「殿もさぞ、お疲れにございましょう」
家に戻った光秀と熙子は、二人で今日の労を厭いあった。
「そなたも疲れたであろう。片付けなどは明日にし、今日の所は休もうとしようぞ」
光秀は、帰ってからも休むことなく、家事をこなそうとする熙子を見かねて、声をかけていた。そう光秀に言われた熙子は、
「はい」
と言うと、頭に掛けていた手ぬぐいを取った。
「そなた!その頭は、髪は?髪はどうしたのだ?」
手ぬぐいを取った熙子の頭を見て、光秀は驚いた。その頭には、昨日まで在ったはずの髪が無かったのである。熙子の髪は、美濃一と謳われた程の、腰まで伸びた綺麗な印象的な黒髪があったのだが、それがバッサリと、肩口まで切られて無くなってしまっていたのだ。
「まさか、今回の事で髪を?」
「そのように指をさしてじっと見ては、はずかしゅう御座います」
熙子は、光秀のために自慢の髪を売って、茶会の支度を整えていたのだ。女の髪は命と昔から言うが、この時代には、女の髪は高値で売れた。当時としては、カツラにするには、人工的な物などなかったし、筆なども馬の尻尾や人の髪などが用いられていた事から、日常的に髪の売買はあったと見て良い。
しかも、女性の長くて美しい健康的な黒髪はもっとも価値が高く、熙子の髪はそれには打ってつけであったのだ。
熙子は出来るだけ金の掛からぬように、普段から懇意にしている住民や、村の農民などにも声をかけて準備を進め、それでも足りない分を、自分の髪を売って工面していたのだった。それは、城持ちの武家の姫君として生まれた女にとって、どれほど屈辱的な行為であっただろうか?
「熙子よ、お前と言うやつは。何という…」
光秀は、それ以上の言葉が出てこなかった。光秀は、熙子を抱き寄せた。抱きしめずには居られなかった。光秀の目には、自然と涙が溢れていた。
「熙子よ、わしはそなたに二つの事を誓うぞ。一つは、そなたをきっと大名の奥方にしてみせる事、二つ目は、わしは、そなたと添い遂げる。側室は持たぬぞ」
「殿、うれしゅうございます」
二人は、見つめ合ってしっかりと抱きしめあった。熙子の目にも、いつしか涙が止めどなく溢れていた。
「月さびよ 明智が妻の 話しせむ」
これが有名な松尾芭蕉が詠んだ俳句のエピソードである。光秀は、熙子の内助の功に助けられながらも、どうにか越前での生活を送り始めていた。
何とか越前での暮らしに慣れてきたころ、光秀にとって一つの転機となる出来事が起こる。光秀は、何か手柄を立てなければ仕官への道が開けぬ。そう、手柄を立てる機会、戦が起こったのである。
この当時、隣国同士の越前と加賀では、膠着状態が続いていた。当時の加賀国は、長享二年(1488年)に守護職であった富樫政親が、本願寺門徒らによる一揆により殺害されて、それからずっと支配者のいない国「百姓の持ちたる国」となっていた。
そして、その一揆勢と朝倉家は何度も小競り合いをしては和睦し、またそれを破棄しては戦になりを繰り返していた。この時も、加賀の一揆勢が越前国へと侵攻してくる気配を見せていた。光秀は、その防備の任に着くこととなったのである。光秀は、青蓮華景基と言う朝倉家の重臣の旗下に置かれる事となった。
「敵に夜討ちの気配があり申す」
光秀は、景基にそう進言したという。景基の家臣たちは、誰も新参者の光秀の言を信用しようとしなかった。
「某は、先刻偵察に行き申した。敵は、篝火を焚ち広げ、炊煙が数多く上がっており申した。これは、夜討ちへの準備と見て間違いござらん」
この時より、数刻前の事である。光秀は、秀満と共に敵の偵察に出ていた。
「煙が立ち登っておる」
最初、山の上より敵の軍勢を見ていたのだが、
「様子を探りたい。もそっと近づこう」
光秀は秀満にそう言うと、山の麓まで下りて、敵の軍勢がすぐ直近で見れるぐらいの距離まで近づいていった。二人は、林の中にいた。
「敵の数は、如何ほどでござりましょうや?」
「何とも分からぬ。しかし、すごい篝火の数じゃ。これは、夜討ちがあるやも知れぬぞ」
「夜討ち?それが本当ならお味方にお知らせせねば」
「確かめる方法は一つじゃ」
光秀はそう言うと、横にいる秀満にニヤリと笑い、何の備えもなしに、敵の陣がある方へと歩き始めた。
「殿?何を!」
光秀の行動を見て焦りを覚えた秀満は、光秀を連れ戻すべく、すぐにその後を追ったのだが、時すでに遅しであった。
「何じゃ貴様らは!」
すぐに見張りの兵卒に見つかってしまった。秀満は、光秀に戻るように促したが、光秀は、一向に気にする気配を見せなかった。
「良いぞ、良いぞ、南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏」
それどころか、ニコニコしながら、意味不明な言葉と経文を唱えて、陣中の中へとズカズカと入って行くのである。そして、適当な四、五人の農民兵たちの元へと近づいていった。
「御坊はどちらに?」
「御坊様方は、ここよりずっと南に行った本陣に戻りなされたぞ」
「そうであったか。急いで来たものが、行き違いになってしもうたわ。ところで、今晩の夜襲の件は、本陣には伝えておるのか?」
「へい、そう聞いとりますがな」
光秀が余りに自然に振舞うもので、近くにいた兵たちは、不思議と誰も疑わなかった。これは、門徒衆の中に、光秀たちのような浪人が数多く居たためであろう。
「カマを掛けてみたが当たりであった。さっそく戻って言上しよう」
そして、秀満とともに悠々と敵の陣中を引き上げてきたのであった。
「もし、夜襲がなくとも備えあれば憂いなし。上手く行けば、敵を一挙に撃退出来申そう」
防備の任に当たった大将の青蓮華景基は、この光秀の進言を受け入れる事に決めた。
光秀は、作戦を考えた。まず、敵が夜襲を掛けてくるとして、攻めてくる場所は、味方の本陣のある街道に沿った道を使ってくるだろう。
夜襲をするにあたっては、「兵は神速を尊ぶ」ことが肝心であった。行軍に時間のかかる脇道や、けもの道を使えば、敵に夜襲のあるのが知られる確率が高くなってしまうからだ。この事から、光秀が立てた作戦は、こうであった。
まず、敵が本陣へと最短の道で進んでくる。敵はよもや、夜襲作戦が漏れているとは、思っていない筈だから、こちら側が眠りこんでいると思っている筈である。なので、本陣の守りを固めつつ、敵に気取られぬように兵を配置しておく。
そして、敵が攻めてきた所を、逆に弓隊をもって散々に打ち破るのである。敵は、すぐに退却して行くだろう。そして、敵が退却する時に使うはずの街道で狭間道になっている所の両脇に鉄砲隊を配置し、敵の兵が半ばを過ぎるのを待って、これを狙撃するのである。
もし、仮に敵の本陣への攻撃が予想以上に激しい時は、両脇の伏兵で本陣へと急行し、その背後を襲う手筈を取った。
作戦は決まった。光秀の見事な作戦に陣中の武将たちは、皆、驚嘆した。しかし、ここで、一つの問題が生じる。伏兵の指揮を誰が執るかについてであった。この部隊にも鉄砲隊が在り、それを指揮する者は、朝倉家譜代の家臣ではあったが、身分だけで選ばれた男で鉄砲の技術を持ち合わせてはいなかったのであった。ましてや、その指揮など、高度な作戦を行いながら、慣れぬ鉄砲隊を率いての伏兵など、すぐに出来る物ではなかった。
「致し方ない、この光秀と横にいる秀満とで仕ろう」
光秀は、本陣を自分が離れる事を少し危惧したが、鉄砲隊の左翼、右翼に分かれてその教授方として、帯同することとなった。しかし、本陣の重臣たちは、口ぐちに、光秀らが出しゃばる事に難色を示した。
「たかが農民どもの一揆風情に大げさな」
その言葉の節々に、そういう侮蔑の思いが感じとれた。しかし、光秀は、この一向一揆という集団を甘く見てはいなかった。この本願寺を発生とする一向一揆は、来世での幸せのため、極楽浄土へと行くために、現世で如何に仏に尽くすかを説いていた。
そして、その際たる苦行とも言うべきものが、一向一揆の戦で死ぬことであった。何ともおかしな話ではあったが、一揆に参加する門徒たちは、戦で死ねば、極楽浄土に行けて、来世で幸せに暮らせると信じて疑がっていないのである。
「南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏」
そう唱えながら、時には、数千から何万もの死を恐れぬ集団が、襲い掛かってくるのである。その様は、異様な恐ろしい地獄の集団に思えた。まだ、光秀が諸国を巡って旅をしている時に、何度が一向一揆の戦振りを拝見する機会があり、その恐ろしさを体験していたのであった。
光秀は、その経験から、重臣たちのように、正面から決戦をする気には為れなかったのである。なるべく、正面からの戦闘を避けて、敵の勢いを削ぐことを戦略の根幹と考えた方がいい。光秀はそう見ていた。
「他に妙案があれば、そうなされよ。しかし、刻限は直ぐに来ますぞ」
誰もこれには口をつぐんで動こうとはしなかった。重臣たちは、
(夜襲がなければ、新参者め、どうしてくれようか)
と内心恨めしさを秘めていたが、光秀は、毛ほども感じてはいなかった。
(こちらは、最初から命がけで越前まで来ているのだ。どう思われようと、ここで武勲を立てなければ!)
光秀の思いは強い。この戦は、千載一遇のチャンスだと光秀は感じていた。そして、夜半過ぎの事、光秀たちの隊の見張りの者が、敵の影に気づいたのである。手筈では、この敵をやり過ごし、本陣の味方に追われて戻ってきた所を襲撃することになっていた。しかし、
「今、この敵を襲えばよいのではないか?」
この隊の隊長を務める武将がそう言ってきたのである。しかも、それを光秀に相談せずに、実行に移そうとしていたのであった。光秀は、鉄砲隊が構える前に立ちはだかり、何度も同じ説明をするはめとなった。
「今回の作戦は、敵を越前侵攻より総撤退させるがためでござる。しかるに、今ここで敵に鉄砲を仕掛けても、成程、敵は驚いて、退却はするでしょう。しかし、与える損害は、大したものとはならず、敵は退却した後に陣を立て直し、もっと多くの人数を繰り出して来るかもしれませぬぞ」
光秀は、何度も繰り返し説得した。その胸中では、反対側の隊についた秀満も、苦労しているだろう事を想像していた。光秀の考えによれば、にわか仕込みの鉄砲隊では、敵に命中する確率は低く、即席で光秀と秀満による、一発目の命中率を高める術が施された物の、それも付け焼刃に過ぎなかった。砲術は、日頃からの鍛錬が物を言うことを、光秀以上に知る者はいなかったのである。
ともかくも、夜襲を仕掛けてきた敵が、本陣より思わぬ反撃に合い、ほうほうの体で退却するも、さらに追い打ちを鉄砲隊により、掛けられたとすると、
「朝倉方は、相当な備えがあるのではないか?」
と敵に思わせる事が出来、うかつに攻めて来れなくなる。その敵の心理を突いた作戦と言えた。光秀の説得のおかげで、鉄砲隊は無事、当初の作戦通りに進められる事となった。
「オオーーーッ!」
「うおーーー!」
本陣方面より、鬨の声が上がるのが、遠くからでも良く聞こえた。
どうやら手筈通り始まったようであった。ここで、味方の本陣部隊が、敵に苦戦するようならば、すぐに助けに向かわねばならなかった。光秀は内心、自らの恐怖と勇気とが、せめぎ合っているのを感じていた。無理もない。光秀にとって、これほど大規模な合戦の実質の指揮を執ったのは初めての経験であったのだ。
しかも、味方は修練を良くした精鋭部隊だとは、とても言えないのである。しかし、そのような自らの不安は、敵味方関係なく、誰にも気取られるような事があってはならないのであった。光秀の心中は、気の弱い者では、とても耐えられそうにないほどの、ストレスがかかっていた事だろう。しかし、光秀は信じていた。己の力量と、今までの経験とをである。
「明智殿、敵が戻って来ましたぞ」
光秀たちが待っていると、案の定、敵の軍勢が味方に阻まれて戻ってきていた。
「まだだ、まだ待て!」
光秀は、鉄砲隊を構えさせ、じっと敵の行軍が半ばに達するのを待っていた。反対側の秀満も同じ態勢を取っている。この点、この主従は、阿吽の呼吸がすでに出来上がっていた。
「よし、今だ撃てーーーっ」
「ドドーーーーンッ!」
「ババババババーーーーーンッッ!」
光秀の合図と共に、銃声がその辺り一体に鳴り響いた。その銃声が合図となり、反対側の秀満の隊も散々に敵に撃ちかけた。敵は分断され、各個に撃破されていった。
そして、敵に撃ちかける味方の中でも、光秀と秀満との技量は飛び抜けており、味方から驚嘆の目で見られていた。戦闘が始まり、二刻が経過すると、夜も白じみ始めて、その頃には、敵もすっかり退却してしまっていた。戦は、朝倉方の大勝利に終わった。
「勝鬨だ。勝鬨と挙げよ!」
「エイエイオー!エイエイオーーー!」
光秀の合図とともに、味方の隊は、勝鬨の雄叫びをあげた。そして、それに応えるように対岸にいる秀満の部隊も、勝鬨の声を挙げるのだった。
この戦いは、加州の一戦として、越前中に知れ渡る事となった。そして、光秀は、その勝ち戦の功労者として、青蓮華景基の推挙を受け、再び朝倉家当主、義景と対面する運びとなった。
「明智光秀か、覚えておるぞ。此度の戦における活躍見事なり。そなたの忠義心、真に殊勝である」
再会した義景は、終始上機嫌であった。そして、そこで義景より、光秀の砲術の腕を披露するように下知が下された。どうやら、景基が光秀の鉄砲の腕を吹聴した結果らしかった。光秀は、それを畏まって受けることにした。
その砲技披露の儀は、明智軍記に詳しい。明智軍記は、後世に書かれた物語であるため、そのまま史実として、受け止められないが、描写がリアルなため記述する。
義景は、奉行の印牧弥六左衛門という男に命じ、安養寺という寺の下に、所謂射的場を築かせた。的の背後に土を盛って築くのをアズチと言い、そこに一尺四方の的を立てさせる。その距離二十五間(約45.5m)通常は、十五間の距離で行うので、どれだけ遠いかが分かるであろう。
記録によれば、光秀の砲技披露は、四月九日の午前十時ごろに始まった。
的の数は全部で百枚あった。光秀は、上座に座る義景に一礼すると、慣れた手つきで、鉄砲を取り出した。そして、上向きにした銃口から、黒色の火薬を注ぎ込み、玉入れ道と言われる箇所に鉛玉を入れて、持っていた竹棒で、素早くこれを突き固めた。
そして、素早い手さばきで火蓋を閉じると、点火した火縄を火ばさみに差し込み、狙いを定めた。そして、火蓋を切って、一息をハアーっと吐ききると、引き金を引いた。
「ドーンッ」
光秀の指が動くと同時に銃声が木魂した。弾は、的の中心を見事に射抜いていた。
「おおーーーつ」
歓声とどよめきが聞こえてきたが、光秀の耳には届かなかった。
神経を研ぎ澄まし、集中していた。光秀は、約一刻の間に射撃する事、百回。その内、的の中心を射抜くこと六十八回。残り三十二発も、すべて的に当たっているという恐るべき神業であった。これには、義景始め、居並ぶ重臣たちも驚嘆の余り、度胆を抜かれた。
「光秀、天晴れである。許して遣わすゆえ、余に仕えよ」
光秀は、恭しく頭を下げた。しかし、内心では、義景のその傲慢な性格を軽蔑の目で見ていた。このお方は、高みから見物しているだけだ。大地に足を下ろし、民百姓と共に生きられるお方ではない。
「果たして、今の世にそのような君主が居るだろうか?」
光秀は、心の中で考え込んでいた。
そして、京に都にいる、真の主の事に思い至るのであった。義景は、即座にその場で光秀を召し抱える事を決め、同時に、百名の鉄砲隊の隊長に光秀を任命したと記されている。光秀は、ようやく、越前での本懐の一つを遂げる事となった。
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