天下静謐~光秀奔る~

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第七幕 奸賊暗躍す

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 その日、永禄五年(1562年)五月十九日は、前日夜半より降り出した雨の影響で、地面はぬかるみ、田んぼでは蛙たちの大合唱が続いていた。

 この時期ともなれば、弥生時代の昔より、大陸から稲作が伝わってからというもの、田植えの時期であったことは、現代でも変わらぬ風景であったかもしれない。

 この雨を古くは、聖徳太子の時代より、建てられたと伝えられる教興寺周辺の農民たちが、望んでいたかと聞けば、複雑な表情をする者が後を絶たなかったであろう。そう、農民たちには分かっていたのである。雨が降る事の意味を。

 雨を、それこそ固唾を飲んで待ち望んでいた男が、飯盛山城に居た。三好長慶である。この時の三好勢と畠山・六角勢との様子を振り返って見ると、久米田の戦いでの敗北の後、敗走した多くの三好勢は、岸和田城を諦めて、本国である四国の阿波へと戻っていた。

 そして、六角勢は、京周辺を戦わずして制圧する事に成功し、畠山勢は、長慶のいる飯盛山城を包囲していた。

 六角勢に対するために、京に配置されていた三好義興と松永久秀は、久米田の敗戦を聞くと、戦わずして山崎方面へと撤退し、将軍義輝も京を離れた。三好勢は、絶体絶命かと思われた。長慶は、それでも籠城を決め込んで、動こうとはしない。

 態勢は決したかに思われたが、京を撤退していた長慶の嫡子である義興と久秀とは、摂津方面にて、国人衆に激を飛ばして、兵を募る事に成功していた。

 また、阿波へと落ち延びていた、三好勢の生き残りたちも、態勢を立て直して、飯盛山城方面へと再び集結し始めていた。そして、三好勢と畠山勢が再び、教興寺付近にて対峙した時には、三好勢六万余、対する畠山勢が四万余と、当初劣勢であった兵力を覆すまでに膨れ上がっていた。

 この事は、長慶の待つ姿勢が見せた胆力と、その嫡子である義興の力が大きかった。特に義興は、京を六角軍に制圧されたものの、敵の勢いを悟り、無駄な戦を避けて、兵力を温存する事に成功し、そして、敵の主力である畠山勢を倒す事に、兵を集中するため、六角軍を無視して見せた。

 これは、副将として随行している松永久秀の力による所も大きかったであろうが、この辺の戦のポイントを見極める冷静な戦略眼は、父親の長慶譲りのものだろうと思われる。義興は、この時まだ二十二歳の若武者であった。

 長慶が雨を待っていた事は、先に述べた。敵の畠山勢の主力の一つが、雑賀衆と根来衆からなる四千丁もの火縄銃を有する鉄砲隊であった。四千丁と言えば、信長が長篠の戦いで武田の騎馬隊を打ち破るのに、かき集めたのが三千丁の火縄銃と言われている。

 この戦いは、その長篠の戦いより、十年以上前の出来事である。この四千丁という数は、恐らく戦国時代を通じて、これ以上に導入された例は稀有である。

 長慶は、久米田で副将である三好実休を失って、火縄銃の怖さを、身を以て知っている。火縄銃の弱点は、雨で使えなくなることなのは、当然ながら知っていただろう。長慶は、堅牢を誇る飯盛山城に立て籠もりながら、ひたすら雨が降り続く、梅雨の時期が来るのを待ち続けていたのである。

 そして、この周辺の農民たちは、雨が降れば、戦が起こり、自分たちの田畑が荒らされるであろうことを、予感していたのではないだろうか。

 長慶は、城の一室に着座して、雨が降るのをただひたすらに待っていた。外は、昨日から降り続く雨で辺り一面が濡れ、田畑では蛙が大合唱を続けていた。そんな、一見するとのどかな風景も、戦の殺伐とした空気を消す事は出来ないでいた。

「時が来た!」
 長い沈黙の後で、長慶はそれのみを言った。居並ぶ重臣達は皆一斉に頷いた。最早、軍議などを長々としている場合ではなかった。

 三好家が誇る歴戦の猛者たちには、次に自分たちが行うべき事が何かを心得ていた。各々の部隊がすでに整っていた準備に手抜かりがないかを今一度確認すると、手筈通りに出撃を開始した。法螺貝も鳴らさず、軍太鼓もない。旗指物はかろうじてしているものの、その軍隊はまるで、お通夜の行列のように、粛々と城から進んで行くのだった。

 しかし、その兵士一人一人の目にはまるで悲壮感はなく、勇壮とも狂気ともつかない熱気のようなものが、周りに伝わってくるかのようだった。

 畠山勢の敗因を挙げるとするならば、二つの事が考えられた。まず、一つ目は時を逸した事である。畠山高政は、勇将と言える。先の久米田の戦いでの戦振りは、そう言って差し支えない。

 しかし、彼が勇将である事が、そのままこの教興寺での戦いの敗因となった事は、歴史的な事実だと言える。畠山軍は、先の戦いで三好実休を討ち取るというこの上ない戦果をあげた。しかし、この事実が畠山軍を誇らしめ、ついには増長させる要因となった。彼らは、自分たちが強く、音に聞こえし三好軍が案外脆く、脆弱であると思い込んでしまっていた。

 これは、
「三好軍は、恐怖の余り、城に立て籠もっているのでは?」

 という疑念から、ついにはそうであるに違いないと思い込んでしまったのである。そうなるのは、岸和田城を落とし、飯盛山城を取り囲んで、六角軍が京の都を制圧し、その兵力差が圧倒的に広がった時、疑惑から確信へと変わった筈なのである。

 そして、
「城はすぐに落ちる」
 という妄想を畠山軍の誰しもが持つようになっていった。

 しかし、城は落ちない。もう少し、もう少しと思っているうちに、三好軍は、再集結を終えてしまい、いつしか倍以上の兵力差があった両軍の数も、三好軍が畠山軍のそれを追い抜き、三好軍は、戦わずして形勢を逆転させる事に成功していたのだ。

 畠山高政がこの事実に気づいたときには、畿内はもうすでに雨季に入り始めていた。

 そして、第二の理由である。それは六角軍にあった。京を制圧した六角義賢は、それから軍事行動を停滞させた。と言うか、はっきり言って何もしなかったと言っていい。京の都を勢力下に治めたという事実を持って、これに満足してしまったらしい。

 そして、六角軍に対峙していた三好義興と松永久秀の軍は、飯盛山城の三好本軍に合流すべく、すでに京を離れていた。畠山高政は、六角義賢に対して、再三、兵をこちらに向けるように要請した。最後の方は、ほぼ悲鳴に近かったであろう。

 しかし、義賢は、
「京の都は、国の要。ここを討ち捨てては行けぬ」

 と言うもっともらしい言い訳をして、京に居座ってしまっていた。この点を見ると、畠山と六角との主導権争いである事が分かる。先に久米田の戦いにおいて、戦果をあげたのは畠山である。

 このまま事が進めば、三好軍の崩壊は時間の問題であった。六角義賢は、それを考えていた筈である。三好長慶を失脚させた後に、天下の権勢を握るのは誰か?という事を。

 そして、高政への牽制の為に、京に居座り、自らの権力を誇示しようとしたのではないだろうか?

 しかし、この義賢と高政の醜い主導権争いのために、一度は三好軍を崩壊の危機に追いやりながらも、みすみす逆転の機会を与えてしまっていたのであった。高政にしろ、義賢にしろ、戦略の勝機というものを見誤ったと言える。

 義賢にしてみれば、せっかく京に居るのならば、朝廷と幕府という、正義を自らに与えてくれる者を、手中に収めるべきだったのに、それをしていなかった。

 これにより、畠山・六角軍は、官軍になり損ねてしまった。

 そして、三好軍対畠山・六角軍の争いは、室町幕府内の、単なる家臣同士の勢力争いと言う建前となってしまった。そして、これらの経緯を眺めていた幾内の豪族達は、次々と三好軍に旗色を替えていくのである。

 高政にしてみれば、城を取り囲んだ時点で、長慶らと講和に持ち込むべきであった。そうすれば、自分たちに有利な条件で、話しを進められ、自らが権力を手中に治められたかもしれないのだ。戦は、時期を読まねば勝てない。両者は、それを読み違えたのであった。

 三好軍の最初の攻勢は、小雨の降る中、まだ夜が明けきらぬ明朝前の時間より行われた。三好軍の先方は、三好三人衆の一人である三好政康率いる部隊である。

 これらが、畠山軍の前衛に配置されていた、紀州国人衆の部隊に襲い掛かったのである。最初の頃、戦はしばらく一進一退を繰り返していた。三好勢は、まだ摂津衆が到着していない状況にあったので、数の上では畠山勢に分があったはずである。

 しかし、畠山勢は、攻勢に転じる事をためらっていた。戦が始まる前日に、畠山勢に加わっている河内守護代の湯川直光と、河内国人衆の棟梁である安見宗房とに、謀反の噂が流れたからである。

 これが本当ならば、畠山勢は、攻勢に転じて前衛部隊が前に進んだ時点で、前衛と中堅と後詰との距離が離れて、隊列が間延びした時、味方の裏切りに合うという致命的な状況となるために、疑心暗鬼に陥って、動くに動けなかったのだ。

 恐らくというか、ほぼ確実にこれは、三好方が流した流言であっただろうが、これらは、三好義興と松永久秀が、摂津衆を率いて参陣するまでの時間稼ぎのために行った事であり、畠山高政は、そこに気づくべきだったのである。

 しかし、この流言の巧妙さは、指揮系統が総大将に統一されない、国人衆の寄合所帯という畠山勢の内情を突いた点にあり、畠山高政にしても、流言を信じてはいないが、万一の事態に備えるために、出来るだけ裏切りがやりにくい布陣を布くといった消極的な戦法に出るしか、対応の仕方がなかったのである。

 これは、畠山高政という猛将の、積極性を削ぐという思わぬ効果をもたらした。従って、この戦いの当初の構図は、三好勢が仕掛けて、畠山勢が応戦するといった、一進一退を繰り返す、平凡な戦いに終始していたのであった。

 これが、劇的な展開を迎えるのは、正午過ぎ頃であった。三好勢が待ちに待った、援軍が到着したのである。

 三好長慶の嫡男の義興と松永久秀が、京を撤退してから、独自に集めていた摂津衆の兵を加えて、三好勢は敵に対して、圧倒的な戦力を展開する事に成功する。

「よし、戦は一進一退じゃ。ここが戦の勝機ぞ。横から突っ込めば敵は崩れる。この戦、我らの勝利じゃっ!」

 まずは、松永久秀が率いる部隊が、敵の側面から一気に突撃を開始した。次いで、三好義興の率いる軍も攻勢に加わり、夕方近くには三好勢が大攻勢に転じた。畠山勢は、その攻勢を支える術を、もう持ち合わせてはいなかったのである。

 まず、雨に濡れて鉄砲が使えなくなった雑賀衆と根来衆の兵が瓦解し、早々に撤退してしまっていた。そして、もっとも悲惨であったのは、湯川直光率いる湯川衆であったろう。湯川直光は、敵の流した流言により、事実無根ながら、味方からも疑われる結果となってしまっていた。

(疑念を晴らすには、勝つよりな!)
 湯川直光は実直な武将である。

 疑われる事は、武士の恥と信じていた。部下が制止するのを無視して、前線に立ち続け、三好勢の攻勢を何度か押し返していた。しかし、衆寡敵せず、ついには敵に討ち取られてしまった。

 大将を失った湯川衆は、総崩れとなり、堤防の一部が崩壊したことにより、三好勢という巨大な洪水が押し寄せ、結果として、湯川衆の壊滅が全軍の崩壊へと繋がってしまったのである。

 日没頃には、この戦の大勢は、ほぼ決まっていた。敵の全軍崩壊を確認して、三好勢は、勝鬨の雄叫びをあげた。これが一年近くに渡って、繰り広げられた戦いの顛末であった。最後には、わずか半日で勝敗が決まってしまった。この点は、後世に天下分け目と言われた関ヶ原の戦いと類似する点である。

 この後、京に残っていた六角義賢は、畠山軍敗れるの報に驚き、長慶に詫びを乞い、それが許されると、すぐに京を撤退し、自領の近江へと引き上げていった。最大の敵対勢力であった畠山勢を打ち破り、これで、三好長慶に対抗出来る勢力は、この京洛、近畿地方には居なくなったと言ってよかった。

 この戦いの後、長慶は、名実ともに天下人と呼ばれるようになっていくのである。しかし、一度陰りを見せ始めた、三好家の隆盛は、長くは続いていかないのであった。


 教興寺の戦いの後に、光秀は、将軍義輝の許しをもらい、根来寺に居るはずの御門重兵衛を探しに旅立っていた。先の戦で、根来衆が敵方の畠山勢に加担した事実を確かめる為であった。確かめて、どうなる事でもないのかもしれないが、光秀には、確かめずにはおられなかったのである。

 久しぶりに根来寺を訪ねた光秀であったが、重兵衛は留守で、頭の津田監物も居らず、他に事情が分かりそうな者も居なかったために、悲願を果たせずに寺を後にせざるをえなかった。

「さて、どうしたものか…」
 光秀は、仕方なく、堺の街に向かうべく街道を往くのだった。堺には、重兵衛がその昔、用心棒をやっていた納屋がある。あそこならば、重兵衛の手がかりが掴めるかも知れない。

 光秀は、堺へと急いだ。そして、もう堺の街が見えてきそうな、峠に差し掛かった時に異変は起こった。明らかに光秀を狙う武士の姿をした男たちが、目の前に五名現れた。そして、光秀の後ろからも数名の男たちが現れた。

(しまった!)
 光秀は、男たちの姿を見ただけで、事の次第を理解した。

 この男たちは、間違いなく三好家の放った刺客であろう。堺の街は、三好家のお膝元である。こうなる事は、予想できた。やはり、この間の三好義興と松永久秀が、三好実休戦死の報復を計っての事であることは、明らかだった。

(絶体絶命というやつか…)
 光秀が居る場所からは、身を隠す所も、地の利を活かせそうな場所も見当たらなかった。

 今、光秀がいる街道の真ん中は、多人数で一斉に襲い掛かられたら、どんな達人でも一溜りもないであろう。しかも、男たちの所作や仕草の一つ一つが、十分な手練れである事を光秀に教えていた。光秀は、警戒しながら、刀を構えるが、周りを刺客たちにすっかり囲まれて、刺客たちは、光秀に襲い掛かるタイミングを今か今かと図っていた。

 その時であった。
「ドドーーーーンッ」

 突然銃声が鳴り響き、今まさに光秀に襲い掛かろうとしていた、光秀の正面に居た男が前のめりに倒れた。その一瞬の隙を見逃さずに、倒れた男の、向かって左側にいた男に、光秀は襲い掛かり、袈裟懸けに一刀の元に打ち倒した。

 そして、斬った刀を体ごと引いて、すぐ後ろに立っていた男の腹に刀を突きたてた。
「ドーンッ」

 光秀が二人目を倒した直後にまた銃声が鳴り響いて、今度は、元の光秀が居た位置の背後側にいた男の一人が倒れた。

「ウオオオオオオオオッ」
 光秀は、雄叫びをあげながら走りより、倒れた仲間を呆然と見ている両脇の二人を一瞬の間に二人とも斬ってすてた。

「いかん、引くぞ!」
 合図の言葉とともに、残された刺客たちは退散していった。そこには、刺客たちの返り血を浴びて、荒々しく息をする光秀と、刺客たちの成れの果ての姿が転がるだけとなっていた。

 光秀は、返り血を洗い流すために近くの小川を見つけて、体を清めていた。
「居るのだろう?出て来いよ!」

 体を手ぬぐいで拭いながら、光秀は独り言を言った。すると光秀の独り言に応えるかのように、後ろの茂みがガサガサとなり、そこから一人の男が現れた。御門重兵衛であった。

「やはり、お主であったか。先ほどの銃の加勢はそなたであろう。おかげで助かった。礼を言う」

 光秀は、そう言うと、重兵衛に対して頭を下げた。
「・・・」

 しかし、光秀の言葉に重兵衛は、一言もなく、その表情は、この不遜な男には珍しく、何とも悲しげな様子だった。
「すまぬ!」

 やっと重い口を開いた重兵衛であったが、ただその一言を言うと、再び黙ってしまった。

「やはり、何か事情があると見える。聞かせてもらおう」
 光秀は、重兵衛の言動にただごとではない何かを察知した。

「我らは、あの男に嵌められたのだ」
「あの男とは誰だ?」
「あの久秀じゃ!」

 重兵衛の話しによると、久米田の戦の前に、畠山高政より使者が来て、戦に加勢してもらいたい旨を伝えてきた。当初、将軍家と敵対する畠山勢に味方する義理もなく、反対意見が多勢を占めた。

 しかし、使者は一つの書状を提示した。
 そこには、将軍義輝の直筆と花押とが押されており、三好家の今までの将軍家に対する圧迫と専横を連ねており、畠山・六角に対して、助けを乞う文面となっていた。

 そして、書状はもう一枚あり、それが松永久秀からのもので、自分が幕府の御供衆となって、将軍義輝より寵愛を受け、恩義を感じている事。幕臣として三好家の専横を許せず、畠山・六角と手を組み、三好家を内側より、破って見せる。ついては、幕府の鉄砲隊を組織する根来衆にも戦に加わってもらいたい旨が書かれていた。

「すべては、あの男による策略であったのか」
 光秀は驚愕の事実に、ただただ驚いていた。

「しかし、もしこれが三好長慶による策略で、久秀を動かしたのだとすると、三好家は、その策略で三好実休を失った事になるぞ。一体、根来寺にはどのような下知が飛んでいたのだ?」

「うむ。あの時、畠山からは、敵の裏手に周り、身をひそめて、敵本陣が手薄になった時を狙えと言われておった。どうやら、最初から大将首を狙う目的で、我ら根来衆に声を掛けたらしいのだ」

「件の戦のあと、わしは疑問に思いこの件を探ってみた。そして、興味深い文を手に入れたのだ」

 そう言うと、重兵衛は、懐より一通の文を出し、光秀に手渡した。
「何と、これは!」

 そこには、さらに驚愕の事実が書かれていた。
「重兵衛よ、これは、久秀が畠山らに三好実休の部隊の内情を示した書状ではないか?」

「さればよ。久秀は、三好家より幕府の実権を握ろうと画策し、久秀にとって邪魔となる三好実休の殺害を企てたのだ。それも、自らの手を汚さずに、戦で戦死するというごく自然な方法を用いてな」

 それを聞くと、光秀は腕組みをして考えこみ始めた。この久秀の一連の計略の悪どさは、最初に、将軍義輝からの畠山らへの真の書状を見せる事で、根来衆を信用させ、その次に、自らの意図を含んだ計略を実行した事にあった。

「十兵衛よ、どうやら久秀はこの事を知ったお主とワシとを亡き者にし、すべてをお主のせいにするつもりだぞ。さて、どうする?」

 重兵衛の言葉を聞いて、考え込んでいた光秀は腕組みをやめ、目を見開いて、重兵衛に言い放った。
「久秀には、それ相応の報いをくれてやろう」

 十兵衛と重兵衛は互いに頷きあい、再び二人で歩きだすのだった。

 光秀と重兵衛は、二人並んで歩いていた。
「一体、どこに向かうと言うのだ」
 重兵衛は、前を歩く光秀に聞いた。その顔には、多少の嫌味が込められていた。

「芥川山城だ」
 光秀は、後ろを振り返らずに、さも当たり前のように言い放った。

「芥川山城だと・・・ と言う事は?」
「ああ、三好義興に会う。重兵衛よ、覚悟するんだな」

 最後の言葉を光秀は、重兵衛の方を振り返りながら言った。その顔には、少し意地悪な顔に見て取れた。芥川山城だと聞いた重兵衛は、内心でさすがに絶句していた。まさか、今一番光秀と重兵衛を殺したがっている人物に会いに行くというのだから。

「信用出来るのか?」
「正直言うと分からない。これは賭けだ。しかし、このまま何もしなければ、遅かれ早かれ、俺たちは、敵の刺客の餌食になるだろう。だとすれば、ここで敵の大将に会い、事の次第を確かめるのも術というものだ」

「三好義興という男はどういう人物なのだ?」
「義興は、三好長慶の嫡子で歳は確か、二十二、三歳だろうと思う。若さゆえに、血気に逸る事が無きにしも非ずだが、父親に似て、冷静沈着で将来を嘱望されておる。先の戦でも的確な采配ぶりで、味方の窮地を救う大功を立てた程だ」

 光秀と重兵衛は、道中で長い間語り合っていた。光秀らが事の次第を義興に伝えても、信じてもらえるとは限らず、また話を聞いてもらう間もなく、誅殺される危険すらある。まして、城にたどり着くまでに、再び刺客に襲われるかもしれなかった。

 しかし、光秀の考えでは、久秀に一矢を報いるには、これが今考えられる一番の術であった。久秀は、最近では、何かにつけて義興に付き従っている。それは、三好家の次代の当主を今の内に手なずけて、自分の意のままに操ろうとの魂胆が見え隠れするのだ。

 しかし、光秀が先に述べた通り、義興は、今後、名将に成長できる逸材である。久秀の悪意を恐らくは見抜いてはいないだろうか?光秀は、義興の聡明さに賭けようとしていたのだ。

「重兵衛よ、城が見えて来たぞ」
 二人は、まだ遠くに見える芥川山城を、目を細めて眺めていた。その視線の先に見える物は、自らが目指す未来か。それとも久秀の悪意か。まだこの時の二人には、はっきりとは分からないでいた。

「重兵衛は、城の外で待機していてくれ」
 芥川山城の近くについた二人は、手筈を確認し合っていた。まず、城には光秀一人だけで行くことに決めた。何せ、重兵衛は、三好実休を射殺した張本人であるのだから、のこのこと顔を出すわけにはいかなかったのだ。そして、久秀が、何かを仕掛けてこないかを城の外で見張り、何かあれば城内の光秀と合図を交わす手筈となっていた。

「よし、行くぞ」
「十兵衛よ、達者でな」
「重兵衛、お主こそ」

 そう言って、二人は別れた。光秀は、城の門前に堂々と立った。
「幕府直臣、明智十兵衛光秀。城主に面会したく、罷り越した。開門願いたい」
 光秀は、門番と城内に聞こえるように、大声で呼ばわった。

 芥川山城と言えば、元々は、能勢氏の居城として築城された城だ。これが、時代を経て細川晴元の手に入り、その後、晴元を追放した三好氏の手に落ちた。

 当初、長慶は、この城を一族の三好孫十郎に与えたが、この孫十郎に謀反の疑いがかかると、これを攻めたてた。城を落とした後は、長慶が一時期、自分の居城とした後に、この城を嫡子である三好義興に譲っていた。

 芥川山城は、名前が示す通りに山城であり、三つの小高い山嶺からなっている。その一つ一つに要害としての城郭が備えられており、1573年に廃城となるまでに、いくつかの大きな戦を体験しているが、どの戦においても力攻めで落とされたことがない。

 細川晴元が長慶に追放された際は、無血開城であり、三好孫十郎を攻めた時も、兵糧攻めによる最後は開城であった。そのどちらも攻めて側であった三好長慶は、この城が力攻めでは到底落とすことが出来ない要塞であった事を知っていたのであろう。

 だからこそ、この芥川山城を三好家にとっての重要な拠点の一つとした事実が、それらを物語っていると言えた。

「よく、一人で来られたものだな」
 上座では、義興が不機嫌な表情をしていた。その右手には扇子を持ち、時折それを少し半開きにして、またすぐ閉じるという動作を繰り返していた。

 扇子を閉じるたびに生じるピシャッピシャッという音が、下座で控える光秀まで届いていた。その音が、両者の間に存在する緊張の糸を、なお一層高めていた。

「その襖の向こうには、帯刀した猛者たちが、わしの合図を待っている。この意味が分かろう。如何にお主が鉄砲の妙手とはいえ、武器も持たずに数多の兵を相手には出来まい」

 蔑むような義興の言葉にも、光秀は、平伏してじっと耐えていた。光秀にとっては、この状況になるのは、承知の上での事だった。この部屋に通される前に当然の事ながら、武器になるものは、脇差も含めて、全て取り上げられていたのだ。

「さあ、要件を聞こうか?」
 まるで、勝ち誇るかのように、義興は、そう切り出した。光秀は、義興の言葉を聞くと、頭を上げ、ツツーーと少し後ずさりした。そして、おもむろに着ていた小袖を脱ぐと、下に着ていた白装束が露わになった。光秀なりの覚悟の現れのつもりであった。

 そして、その白装束の左の袖口をの端を破ると、そこに、あらかじめ縫いつけてあった二通の書状を取り出し、自分の前に置いて並べた。

「お検め下さりませ」
 光秀は、それだけを言うと、再び平伏して、その後、言葉を発しようとはしなかった。義興の側に控えていた近習の小姓の一人が立ち上がり、光秀が手前に置いた書状を取り上げ、恭しく義興に手渡した。

「これは、真か?」
「御意!」

 書状の中身を見た義興は、それだけを思わず口にしたが、その右手の親指と人差し指とで、自分の顎をずっと撫ぜ続けていた。そして、おもむろにフフッとだけ微笑すると、

「明智よ、大義であった」
 それだけを言い残し、その部屋を後にしてしまった。廊下を勢いよく掛ける、義興の足音が鳴り響いていた。光秀は、ただ一人、その部屋に取り残された。

「ふうーっ」
 義興が去ると、光秀は一つ大きく息を吐いて、その場に大の字で倒れこんだ。そこには、それを咎める者など誰もいなかった。

「どうであった?」
 城を無事に出た光秀は、重兵衛と落ちあった。
「五体満足で帰って来られた。が、首尾の程は分からぬ」

「これからどうなると思うのか?」
「皆目見当もつかぬが、一つだけはっきりとしていることは、義興は、決して久秀を許さぬと言う事だ」

 光秀は、自分が言った言葉を頭の中で反芻して、少し体が紅潮していくのが自覚できた。つまりは、三好家で粛清が起こり、そしてその対象があの久秀になるだろう。

 三好家は、その家族間の連帯によって、ここまで伸し上がってきたのだ。どんなに功績があっても、武勲を立てていても、役に立つといっても、決して身内を裏切る者を許しはしないであろう。

 義興は、あの時、書状の内容を見て笑っていた。
「久秀を誅殺する、大義名分が出来たと喜んだのだ」

 と光秀はそう思いたかった。後の事は、三好家の人間でなければ、どうする事も出来ぬ事だ。

「おれはこれから京に戻り、事の次第を上様に言上する。重兵衛よ、お主は、三好家と久秀の事をもう少し探ってはもらえぬか?」

「分かった。ここは、おぬしに貸しを作るためにやってやるさ」
 光秀と重兵衛は、互いにニヤリと笑った。そして、二人は別れた。


「なんと?? 三好義興が死んだ?」
 京の都に戻ってきた光秀は、とてつもなく以外過ぎる事実を、藤孝より聞いた。

「先ほど、早馬にて報せが入った」
「死因は?」
「体中に黄疸が出来、急に苦しみだして、そのまま息を引き取ったらしい」

 光秀が義興と会ってからまだ数日しか経っていない。しかも、光秀が義興に久秀の企みを伝えた直後の変死である。久秀がその死に関与していると見て、まず間違いはなかった。

「それでは、修理大夫殿(長慶)がだまってはおるまい」
 長慶からして見れば、嫡男を謀殺されたかもしれないのだ。確たる証拠がなくとも許せるはずではなかった。しかし、どうもそうではないらしかった。

「三好長慶は、呆けたらしい」
 そう噂されるようになったのは、それからしばらくしてのことだった。城の自室に籠り、例え重臣や身内が来ようとも、誰とも会おうとはしなくなっていた。

 唯一、久秀だけが面会を許される立場となっていたのだ。長慶は、気鬱の病にかかり、それからしばらくすると、言語も不明瞭になっていき、床に臥せることが多くなってしまったという。皮肉な話しであった。息子を殺したであろう男しか、今は頼るべき者がいないのであった。

 そんな時に、またもや三好家を揺るがす事件が起きるのである。安宅冬康誅殺事件である。冬康は、三好四兄弟の三弟であり、一族の生き残りとして、この時、並ぶものがない重鎮であった。

 久秀からして見れば、目の上のたんこぶ以外の何者でもなかったろうと思われる。その冬康が、長慶の現状を聞きつけ、慰安に訪れたのであった。

「兄上に会わせてほしい」
「殿は、どなたにもお会いになりませぬ」
「久秀よ、兄上のご病状に取り入り、一家を操るつもりであろうが、この冬康が来たからには、そうはさせぬぞ」

 久秀は、長慶の自室の前で着座して、冬康を一歩も入れない構えだった。そんな久秀を冬康は、睨みすえている。両者には、一触即発の緊張が流れていた。

「冬康が来たか。構わぬ、通せ」
 奥の部屋から長慶のとは思えぬ程、弱々しい声が聞こえてきた。その声を聞いて、久秀はしぶしぶ横にずれた。冬康は、その声があまりにも力なく響いてきたので、一瞬、部屋に入るのを躊躇した。

「兄上、お久しぶりでございまする」
 冬康は、部屋に入ると横に臥せる長慶を見た。そこには、天下人と世に謳われた、あの三好長慶の姿はなく、一人の、年齢よりも遥かに老けて見える、一人の病人がいるだけだった。冬康は、その姿に絶句し、涙を堪えるのに必死の様子だった。

「兄上、今は病に臥せっている時ではございませぬぞ。養生し、一日も早く回復してくだされ」

 長慶と冬康との対面は、わずか数分で終わった。それが、兄弟にとっての最後の対面になろうとは、この時の二人は、意図してはいなかっただろう。

 冬康は、長慶の病状のこともあり、これ以上、久秀に思い通りにさせぬために、暫く城に留まる事とした。そして、幾日かが過ぎたある日の事である。その時、冬康は、連れだった家臣十八名とともに別室にいた。

「殿、大殿のご様子は如何に?」
「日に日に悪くなっておる。昨今では、食事も満足に取られぬらしい」

「後継者の義継様(十河一存の息子で養子)はご若年、ともなれば、ここは殿のお出番ですぞ」

「そのような事は、分かっておる。何としてでも、三好家を盛り立てて行かねば」

 冬康と重臣達にとっては、ごく当たり前の会話だっただろうと思われる。そこに居た誰しもが、主家の事を憂いて、語り合った中でのやり取りであったのだ。

 しかし、これを久秀の近習が、聞き耳を立てて聞いており、その内容を久秀に報告したことで、久秀は、長慶に冬康謀反の疑いありとして、讒言したのである。これを聞いた長慶は、もはや正常な判断を下せる状態になく、久秀に押し切られる形で命は下ってしまった。

 そして、久秀の命で手勢が集められると、有無も言わさずに、冬康一党を残らず惨殺してしまった。まさか、兄長慶の存命中にその居城において、殺される事になろうとは、冬康にとっては、思いもしないことだっただろう。この事で松永久秀は、三好家において、その権勢を阻む者は居なくなり、ますます久秀の力が増すこととなってしまったのだった。
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