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第十三幕 ~山崎の合戦~
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六月十日、摂津に行軍していた光秀は、羽柴軍迫るの報を聞き、戦略の変更を余儀なくされていた。
「そうか、あの男も天下を狙っておったと言う事か…」
報せを聞いた時に光秀は、瞬時に秀吉の考えを見抜き、その行軍の速さを誉めたという。
「羽柴軍は、織田信孝・丹羽長秀軍が合流して、合計三万以上の大軍の模様!」
対する明智軍は、およそ一万三千ほどであった。兵力差は、歴然としていた。
しかし、明智軍内で浮足立ち、離脱する将兵の姿は一人も無かった。光秀が如何に、家臣から信頼を得ていたかの証拠であっただろう。
「まさか、秀吉殿と、天下を争う事になろうとはのう…」
光秀は、一つの事を思い出していた。それは、光秀が坂本城を築城し、自分の領地を始めて持った頃の事であった。秀吉が不意に光秀の元へ、訪ねてきた事があったのだ。
「明智殿が建てた城を見物したくてのう」
秀吉は、そう言いながら、二、三人のお供だけを連れて、魚の燻製を手土産に、そのニコニコとした笑顔で城にやってきたのだ。
「これは、わしの所の漁師がこしらえた物じゃ。珍味ですぞ」
秀吉は、土産を光秀に渡すと、遠慮なしに城内に入って行った。光秀は、仕方なく、酒肴の用意をするよう命じるのだった。
「長浜の様子は如何かな?」
先年、秀吉も信長より北近江を領国に貰い、長浜城を築城していた。
「明智殿は、織田家の出世頭、ご昵懇になってもらいたくてのう」
「何をおっしゃるか。羽柴殿こそ、大殿の覚え目出度き、出世頭でござろうが」
何時しか、二人は、小さな酒宴を囲んでいた。光秀も秀吉の調子に合わせて、いつになく多弁になっていた。
「秀満はどこに居るのか?せっかく羽柴殿が来られたというのに」
「秀満殿なら、馬場にて見かけましたが…」
光秀が見ると、正室の熙子が酒を運んできていた。
「こちらは、妻の熙子と申す」
「熙子にございまする。羽柴様には、かようなもてなししか出来ず…」
「何をおっしゃる。勝手に押しかけた秀吉の顔を立ててくれた光秀殿と美味い料理と、美しい奥方が酌をしてくれるだけで、十分本望でずぞ」
秀吉は、酌をする熙子に頭を下げた。熙子もこの秀吉の飾らない人柄を良く思っていた。そして、光秀も同じ事を考えていた。
「のう光秀殿、大殿の天下布武をどうお考えか…」
それまで笑顔を絶やさなかった秀吉が、急に真顔になっていた。その様子に釣られて、光秀も真顔になっていた。
「信長公は、古今稀な名将にございまする。天下万民を安んじる君は他に非ず。この光秀、不詳の才なれど、大殿の目指す天下布武の為に、微力を尽くす所存也」
その明朗にして淀みなく語る光秀の弁才に、秀吉は感嘆の心地がしていた。しかし、次いで口にしたのは、別の事であった。
「光秀殿の心意気、大変結構に候えど、一つだけ気になり申す…殿は人を殺し過ぎる…」
そう絞り出すように言った秀吉の横顔を光秀は見た。この陽気さが取り柄のような男にしては、嘘のように能面のような無表情な顔であった。
(この男は、信長公を心底では、軽蔑しているのでは無いのか?)
この事で始めて、光秀は秀吉という男の、心の内に眠る本音を見た心地がしていた。
「民を安んじる政事を行うべきでしょうな」
酒は進み、二人は政治論を展開させていた。光秀は、民に配慮した政をしたいと考えていた。また、民が天下の根幹であるとも。
「貴殿が考えられるよりも、民草は逞しゅうござるぞ?」
秀吉はそう言って笑った。秀吉は、自分が一百姓より起こって来た男である。民の気持ち、考え、狡猾さのすべてを知っての言葉であった。
(民は弱く、守るもの…)
とする光秀の考えと、
(民は逞しく、導くもの…)
という秀吉の考えの違いが、
両者の明暗を分けたのかもしれない。秀吉が去った後、光秀は、秀吉も信長や自分の同じく、天下を観ている事に気がついていた。光秀と秀吉、相反する性質を持った両者であったが、信長は、この才能ある二人の武将を競い合わせる事で、両者の才能が、極限まで開花する事を意図していたのかもしれなかった。
光秀は、軍を山崎の地に進めていた。大山崎町という。かつては油などの商いで、成長した商業都市が存在した。ここは、桂川と宇治川と木津川の合流地点に在った為に、京を行き交う人々で賑わう、自由自治を認められた、特異な街でもあった。この街が日本史上において、重要な意味を持っている事は、実は余り知られていない。
山崎の合戦と言えば、その名に冠せられた街の名前よりも、そのすぐ近くに位置した、天王山という小さな山の方が有名である。しかし、歴史を分けた大戦では、この山が使われる事は、実際の所無かったに等しい。
大山崎は、商業都市であると共に自由自治都市であった事は、すでに述べた。この街では、大阪の堺街のように、町衆による合議制のような体制が取られており、特定の権力者を持ってはいなかった。歴史上に時代を超えては、稀に現れるこのような都市の出現は、実際の所は、金銭による力が大きかった事は明白である。
大山崎でも、歴代の権力者に莫大な資金を提供する事で、その自治を承認して貰い成り立っていた。それは、信長の時代にも矢銭を献上している事で、理解出来る。そして、信長を倒した光秀にも、大山崎町は近づき、ご禁制を入手する事に成功している。
ご禁制とは、時の権力者が発布する法制の事であるが、この大山崎町に発布されたご禁制とは、都市で戦をしない、略奪・狼藉を認めない、商いの保護など、要するに街の今までの自治を認める内容となっている。
そして、この商業都市が栄えたもう一つの理由が、情報網の正確さと速さであった。この大山崎の町衆は、何と秀吉からも、同様のご禁制を入手しているのである。
秀吉が軍勢を率いて、京に近づいているとの報せを光秀が知ったのは、六月十日の事であった。この時期に、早々に秀吉からもご禁制を入手出来ているという事は、この街の者たちが、光秀よりも誰よりも早く、秀吉の動きを把握していたからに他ならないであろう。
その大山崎町に秀吉の本隊が到着したのは、十二日の事であった。すかさず、秀吉は軍勢を大山崎の市内に駐屯させた。対する明智軍は、その前日から、この山崎方面に展開していたのにも関わらず、地の理である市街地と、天王山の麓には、軍を置いていない。
光秀は、ご禁制を考慮して、街の中には一兵も入れなかった。これからの光秀が目指す政治には、民の協力が欠かせなかったからであろう。
対する秀吉は、大山崎という地の利を、やすやすと手に入れている。秀吉は、あっさりと発布した自らのご禁制を破った分けであったが、なぜか町衆よりの反発は皆無であった。
「大山崎の皆様には、御苦労をお掛けするが、この筑前めに、どうか、どうか、主君の仇討ちをさせて下され」
涙ながらに訴える秀吉を前に、町衆も市街に軍勢を迎え入れるしかなかったのであった。
明智軍が展開したのは、大山崎の京方面への入口である東黒門から、勝竜寺城までの狭い街道が望める、御坊塚という場所に、光秀は本陣を置いている。
そして、明智軍の先手を務めるのは、家老である斎藤利三と阿閉貞秀、松田太郎左衛門ら丹波衆の隊であった。左手の天王山手前には、津田正時ら近江衆が、右手の淀川付近には、伊勢貞興ら旧幕府衆らが展開していた。
対する羽柴軍は、実質の大将である秀吉が、天神馬場近辺に本陣を構えた。そして、名目上の総大将であった織田信孝と副将の丹羽長秀が後詰として、後方に控える。
秀吉は、軍勢を三手に分けて進軍していた。まず、左手の天王山の麓には、秀吉の弟である羽柴秀長と、軍師の黒田官兵衛軍が構えた。中央の西国街道には、中川清秀と高山右近、堀秀政らの摂津衆が先陣を務める。そして右手の現在は住宅街になっている沼地と、淀川との狭間の小道を進むのは、池田恒興らの軍勢であった。
「これでも互角と言った所だろうか…」
戦闘開始が迫る中で、秀吉は不安に駆られていた。敵よりも有利な地の理を得て、敵に二倍以上の戦力を有しながらも、両軍の力関係を冷静に見極めようとしていた。
秀吉の不安材料として、自軍が大軍とは言っても、にわかな混成部隊である事、それに対して明智軍は、光秀を中心とした精鋭部隊であった。また、強行軍により、羽柴軍本隊が疲労困憊であり、今は戦を前に張りつめている緊張の糸が、いつ切れても可笑しくない状況にあった。これに対して、明智軍は、士気は高く、将兵の体力も十分であった。
「短期決戦に如かず!」
これが、秀吉が出した結論であった。秀吉は軍勢の陣形を、ちょうど←のような形の蜂矢の陣と、長蛇の陣の中間のような恰好を採用していた。この陣形は、攻撃と機動に特化している。初戦から勢いで押し、そのまま一気に勝敗を決しようと考えていた。
「戦は数に非ず」
とはよく聞く言葉であったが、この時の明智軍内にも動揺の色は感じられない。
本能寺の変後、明智軍において、光秀の才幹や器量は、神格化されていると言っても過言ではない状態にまで、味方の兵士から絶大な信頼を寄せられていた。光秀は、凸のような形の陣形を布いていた。魚鱗の陣にも似ている。これは、攻防一体の陣形であり、中央部分を厚くし、いつでもすぐ攻守の切り替えが対応出来る陣形でもあった。
前日の小勢り合いより、膠着状態が続いていた両軍であったが、翌十三日の正午頃に合戦の火蓋が切って落とされた。先に仕掛けたのは、光秀軍の先鋒である斎藤利三の隊であった。
利三は、戦上手で知られた光秀の腹心である。光秀が当初に立てた作戦では、先に先鋒部隊が東黒門に迫り、先制攻撃にて敵を圧倒する事にあった。敵の陣形が守勢に弱いと読んでの策である。
「よし、かかれーーっつ」
利三は、部隊に突撃を命令した。対するのは、中川清秀・高山右近・堀秀政らの部隊である。これらの武将たちは、元々は光秀組下の武将たちであった。光秀の謀叛に味方せずに、大返ししてきた秀吉軍と合流して、先鋒を任された部隊である。
彼らは、光秀と昵懇であったので、自らの潔白を証明するためにも、引くに引けない状態にあった。彼らを先鋒として、敵の囮となし、敵が餌に喰いついてきた所で、両側の部隊で敵を殲滅する秀吉の軍師である黒田官兵衛が起てた、辛辣な作戦であった。
利三が率いる明智軍先鋒部隊の突撃は、凄まじい勢いであり、敵の中川・高山隊を押しまくり、ついには、街の入口である東黒門に迫ろうかという勢いであった。戦の初手は、数において劣勢である筈の明智軍が優勢を維持していた。
(本当に勝てるのだろうか?)
自軍劣勢の報せを聞いた本陣の秀吉は、思わず弱気になっていた。勢いだけでここまで来てしまったものだが、とんでもない外れくじを引いてしまったのではないのだろうか?そんな気持ちが芽生え始めてしまっていた。
「あの信長公を倒した男!」
光秀に対する、その畏怖が恐怖となって、羽柴全軍崩壊にまで広がってしまう危険を有していた。
しかし、明智軍にそのまま押され切られてしまうかと思われた戦の行方は、ここから意外な方向へと進み始めたのであった。
羽柴軍の右翼を務める池田恒興らの部隊が、眼前の沼地を渡河し、光秀本隊に迫る動きを見せたためであった。この池田隊の動きで、味方との隊列が伸び過ぎて、挟撃の危険が生じた利三ら明智軍先鋒隊は、後方に退がる事を余儀なくされたのだ。
「一時、後退するのじゃ!」
そして、これを機に押されていた、中川・高山隊らは、形勢逆転とばかりに一気に斎藤隊を押し返そうと攻勢に転じたのであった。
「よし!これで一気に決めるぞ」
羽柴軍の左翼部隊であった黒田官兵衛と羽柴秀長の部隊も、これに乗じて戦に参加すべく、行軍を開始した。戦が開始されて、一刻余りで、形勢は完全に逆転したかと思われた。
「よし、このまま着いてくるのだ」
しかし、敵に押されて崩壊寸前のように見えた利三からは、笑みがこぼれていた。
「我が策の通り、敵部隊半ばまで達したら、一気に挟撃せよ」
そこには、本陣にて戦況を見つめる光秀の姿があった。これこそが、敵の大軍を破るために光秀が執った策略であったのだ。潰走するかのような斎藤隊の動きに操られるように、敵の先鋒部隊は、光秀の本隊と味方左翼・右翼の鉄砲隊が待つ、挟撃地点へと誘導されていたのであった。
「いかん!まずいぞ、返せ、戻せ!」
光秀の策に気づいた秀吉は、本陣にて大声で叫び続けていたが、その声が先頭集団にまで届くはずは無い。仕方なく、秀吉は、指示が届く所まで出るために、前線へと向かうのだが、味方部隊の熱狂に押されるように、自らもその計算にない、ただの猪突をするはめとなってしまっていた。佳境を迎えた戦の帰趨は、光秀の筋書き通りに進むかと思われた。
その時であった。
「ポツリ、ポツリ」
光秀の頭上に冷たい水が当る感触がした。次いで、それが雨であり、辺り一面を濡らすのに僅かな時間しか必要とはしなかった。
「突然の豪雨により、火縄銃が…挟撃出来ませぬ! 無念にござりまする」
使番の報せを聞かずして、光秀は敵が自軍の陣形を突き崩して、殺到してくるのを、この冷静沈着な智将にしては、珍しく暫し呆然と眺めていた。
そうこうしている内に、敵の右翼部隊である池田隊までもが、沼地を掻い潜って、明智軍に攻撃を開始していた。戦闘開始から僅かに一刻半余り。戦の勝敗は完全に決した。
光秀自身に、失念の刻はあっただろうが、それは僅かに一瞬の出来事であり、他者に気づかせようともしなかった。
「全軍、勝竜寺城に撤退する。天は味方せず…」
光秀は、自軍に撤退命令を下すと、暫くの間、雨の降りしきる空を恨めしそうに、見上げているのだった。
一方、天下分け目の大戦に大勝利を治めた秀吉は、上機嫌であった。全軍で勝鬨を挙げた後に、勝竜寺城に立て籠もった光秀を追撃すべく、行軍を再開していた。その途上、秀吉は、行軍する部隊を輿に乗って周り、味方に声を掛けては、労いの言葉を掛けていた。
「紀伊守苦労!」
秀吉は、先の戦で光秀本隊の横腹を突く、戦果を挙げた池田恒興にも声を掛けていた。
「筑前め!もう天下を獲った気でいやがる」
輿に乗って上機嫌で去って行く秀吉を、憮然とした表情で見送る恒興であった。
山崎の合戦で味方した諸将は、今も秀吉の部下ではなく、同じ織田家の朋輩に過ぎない間柄であった。戦に勝ったとは言え、光秀健在であるこの時に、羽柴軍はまだ一枚岩には成り得ていなかったのであった。
羽柴軍は、勝竜寺城を包囲していた。この城は、代々細川幽斎家の居城であった。光秀は、合戦前にこの勝竜寺城と近くの淀城とを急ぎ、応急処置的に復旧していた。両城とも小城で籠城に適さない城である。その城を復旧したのは、援軍が来た場合に、大軍を入れられるようにするためではなかったであろうか。
「援軍は、まだ来ぬか?…」
光秀は何度も確認していた。その援軍とは、一体誰の事であっただろうか?光秀て義絶した細川藤孝、忠興親子だろうか?峠にて、日和見をしている筒井順慶だろうか?それとも…
「皆、よく戦ってくれた。天は我に味方せず。負け戦の責は、余の不明にある」
軍議の席にて、光秀はそう言って、諸将を労いながらも、味方に感謝と謝罪の言葉を口にしていた。
「初戦は敗れ申したが、まだ決着はついてはおりませぬ。この城を抜け、坂本に帰って捲土重来を御計りあるべし」
溝尾庄兵衛が、光秀を励ますように進言した。周りの諸将もそれに皆が賛同していた。
「相分かった。坂本に…家族の元に帰ろう…」
光秀の「家族」という言葉に反応して、嗚咽を漏らす者も居た。明智家の者にとって、本能寺の変は、謀反というよりも、自分たちが生き残る唯一の選択肢であった。
(家族と一族の命運を護る為…)
これが、光秀以下の土岐明智家が信長を討った、ただ一つの理由である以上、家族のために戦った兵士たちが泣くのには、十分な理由であっただろう。
六月十三日夜半過ぎ、光秀以下数十名の部下たちは、密かに勝竜寺城を抜け出していた。光秀は、この脱出に際し、一部の守備兵を残して、全軍に坂本への撤退を指示していた。
「後の事は、お任せあれ」
勝竜寺城に残る守備隊を指揮するのは、藤田伝吾であった。
「伝吾、頼んだぞ…坂本で待っておる」
そう絞り出した光秀の顔には、苦渋の色が見て取れていた。
光秀は、城抜けるの際し、数人ずつの小集団を作り、闇夜に紛れて、敵の目を欺き逃亡する手筈であった。
城を包囲していた羽柴軍は、高松城からの大返しから、ずっと動き続けていた為に、疲労が頂点に達しており、敵城の前で居眠りする兵士が多勢に上っており、明智軍の逃亡をやすやすと許す結果を生じさせていたのだ。
光秀達は、一路坂本城を目指していた。
「ここは、どの辺りであろうか?」
「小栗栖にて候」
そこは、京都の伏見付近に位置する野道であった。ここを抜ければ、坂本は目と鼻の先にある。
「上様、お顔の色が優れぬご様子…」
庄兵衛が横で馬に乗る光秀を気遣う。その光秀は、土気色の顔をしており、息も荒く、肩で息をしている。
「何でもない…」
光秀は、そう答えたが、明らかに様子がおかしい状況であった。
「進軍止まれ!」
庄兵衛が前衛部隊に大声を掛けた。自分が乗る馬を止めて、光秀を無理やり馬上より下ろした。
「何をする!」
光秀は、抵抗しようとするが、力なく、少し暴れた為に、庄兵衛に引きずり下ろされるような恰好となった。
「御免相らえ!」
庄兵衛は、光秀に対しそう言うと、光秀の着ている甲冑を無理やり引き剥がしてしまった。
「やはり!山崎からで御座りまするか?」
甲冑を脱がされた光秀の上半身は、血の色で真っ赤に染まっていた。
「なぜ、早くおっしゃらなんだ?」
庄兵衛は、光秀の胸倉を掴みながら、嗚咽するかのように、声を絞り出していた。医者に診せるまでもなく、致命傷を受けているのが理解出来た。
「流れ弾よ。わしは砲術を極めたと思うていたが…皮肉なものよ…あと少し、坂本までは…持つと、思っておった…」
光秀は、庄兵衛の腕を抱くように掴み、ようやく声を絞り出して言った。
常人であれば、そこで倒れて、そのまま死を迎えていただろうが、光秀は、その傷を誰に話す分けでもなく、甲冑より血が流れ出ぬように、布を幾重にも巻いて、今まで顔一つ変えずに、激痛に耐えていたのであった。
「何事じゃ?」
その時、進軍が止まったのを合図に、前方と左右から、何十もの松明が蠢いているのが見えた。
「敵襲也!」
先鋒の武者が叫んだ。土民による落ち武者狩りであった。この戦国時代では、敗者は常に死と隣合わせであった。土民・農民と言っても、竹槍で襲ってくる素人の事ではない。何度も足軽として、戦を経験した玄人の武装した集団が、それであった。或いは、盗賊の類であったかもしない。
しかし、この時代のどの地域でも、大差なく、落ち武者狩りで鎧兜や刀・槍、鉄砲などを奪い、村の武器とした者達がいたのは確かな事であっただろう。或いは、追いはぎなどで、刀剣を売って一代を築いた者も居たのかもしれない。
「殿、敵は蹴散らし申した」
さすがは、明智家の生き残りの精鋭部隊であった。土民の襲撃を切り抜け、追い散らしたのであった。
「庄兵衛よ。もう行けぬゆえ、ここでよい…」
主のその言葉に庄兵衛は一つ頷いた。そして、両手を合わせる光秀の後ろに来ると、鞘を払って、太刀を構えた。
「我が首は、西教寺に葬れ」
光秀は、それだけを言うと、静かに目を閉じた。そして、庄兵衛は、ゆっくりと太刀を大きく振りかぶる。
と、その時であった。
「こんな死に様で良いのかね?」
その声がした方に目をやると、光秀は信じられない姿を目にした。
「上様…?」
光秀が目にしたのは、死んだ筈の信長の姿であったのだ。
「お主には、これからの世の中を見届ける責があろう…」
そう言いながら、近づく姿を見て、一瞬だけ信長に見えた男が誰であるか、光秀は理解した。
「よい、我が友である」
その男に抜刀しようと、刀に手をかける家臣たちを、光秀はか細い声で制止した。
「浜松は、どうであったか?」
「万事、お主の思惑通りじゃ。追っ付け援軍も来よう」
その人物は、光秀が家康へ使者として立てた、御門重兵衛であった。
「十兵衛死ぬのか?」
「人は、誰しも、死ぬものじゃ…」
「今死ねば、天下はどうなる?」
「その事で、お主に二つの事を頼みたい。友としての、最後の頼みじゃ…」
重兵衛は、立ち上がる事の出来ない光秀の元に片膝をついた。
「聞こう!」
「我が一族の供養を…それと、天下を見届けよ…」
重兵衛の右手にしがみつくような体勢になると、絞り出すように、光秀は語りかける。
「十兵衛、わしに坊主にでもなれと申すか?お主は、すべての厄介事を押し付ける気だな」
光秀は、ニヤリと笑った。重兵衛も笑っていた。その様子を庄兵衛も、他の生き残った家臣たちも黙って静かに見守っていた。
「庄兵衛、庄兵衛よ。もう目が霞んで…よく見えぬ。最後の言葉をお主が伝えよ。生きよ!生きて、土岐明智家の桔梗の花が咲くを…絶やしては、ならぬ」
「御意にて候!」
庄兵衛は、空間に差し出された、光秀のその右腕を両手で握りしめた。
「よかった。これでよい…これで…最後に子供たちの顔なりと、見たかったものじゃ…」
それが、戦国武将、明智光秀の最期の言葉であった。享年五十五、とも六十七歳とも伝わる。光秀が残した業績は、敗者であるがゆえに、歴史の闇に消えてしまい、今日では、そのほとんどは知れない。
しかし、丹波・福知山など、未だに光秀を名君として、その治政を偲ぶ人々も、確かに存在するのである。
御門重兵衛は、その光秀の亡骸と共に、いずこかに姿を眩ませたまま歴史の中へ消えた。一方、溝尾庄兵衛は、他の者たちを糾合して、坂本城まで無事に帰還していた。
「よく、無事であったな」
庄兵衛らを出迎えたのは、明智秀満であった。山崎の敗戦を知ると、安土城を抜け出して、敵の包囲網を潜り抜けて、坂本へ帰城していたのだ。
「何とも無念で御座る」
庄兵衛はそう言って肩を落とした。
「覚なる上は、明智家の最期を見せつけようぞ!」
秀満は、そう叫ぶと、周りの家臣たちは一斉に雄叫びをあげて、士気を鼓舞していた。
「お待ち下され。亡き殿の遺命をお伝え致しまする。殿は申された。生きよ!生きて土岐明智家を絶やす事なかれと…」
その庄兵衛の言葉に、この城のすべての時間が停止してしまったかのような、沈黙が訪れていた。
「おおっ殿」
「上様…」
「光秀様」
嗚咽がその部屋中から聞こえる。その場に居た精強を誇る武者たちは、皆涙を流していた。最後の最後まで、明智光秀という殿様は、家臣と家族の事を気遣っていた。その事実に胸が苦しくなってしまったのだろう。
「皆、急ぎ脱出の手配を致せ」
秀満が意を決したかのように、立ち上がった。
「皆で城を出るのか?」
一部始終を聞いていた、光秀の嫡男である十五郎光慶が尋ねた。
「若殿は、姉君らとともに、急ぎ出られよ。後はこの弥平次にお任せあれ」
「殿、何をおっしゃります!」
話しを立ち聞きしていた、光秀の娘で秀満の正室となっている倫子が、目の前に現れて抗議する。
「上様の御遺訓である。務めを果たすべし」
「ならば、殿もご一緒に…」
その妻の哀願にも、秀満は首を縦には振ってはくれなかった。秀満は、味方を一人でも多く逃がすために、自らが囮となるつもりであったのだ。
「さあお早く!」
横から庄兵衛が、光秀の家族らを促していた。
「お主は行かぬのか?」
「秀満殿こそ!わしはあの世で、殿がさっさと逝ってしまった事を、責めねばならぬでな」
二人は、見合うと笑った。
これから旅立つとは思えぬ程の、爽やかな笑顔であった。光秀が精魂を込めて築城した坂本城は、堀秀政の軍に攻められて、秀満自らが城に火を放ち、灰燼と帰した。
その後、十五郎は仏門に入り、生涯を過ごしたとの記録もあるが、定かではない。秀満の妻子たちは、一部が土佐へと逃れて土着し、その子孫には、幕末に活躍する、桔梗紋の英雄を輩出したとする伝説が残っている。
その他の光秀の重臣と家族であるが、明智次右衛門は、本能寺の戦いの時に受けた傷の療養中であったが、光秀敗死の報せを受けると、光秀に殉ずるために自害して果てた。
また、勝竜寺城に立て籠もった藤田伝吾は、羽柴軍に大兵力で攻められ、見事な玉砕を遂げていた。もう一人の家老である斎藤利三は、山崎合戦の後に光秀と逸れて、近江堅田まで逃れていたが、羽柴軍に発見捕縛され、市中引き回しの後に斬首された。
「これが似ておるか?それともこっちか?」
秀吉は掃討戦を開始していた。利三斬首後に、光秀に似た首を利三と共に、本能寺にて晒す事で、光秀のニセ首に、信憑性を与えて、誇らしげに自分の功を誇っている。
光秀を裏切る事で、家名を保とうとした二家は、対照的な結果を残している。筒井順慶は、秀吉から大和国を安堵されていたが、三十六歳の若さで病死した。次代を養子の定次が継いだが、秀吉の逆鱗に触れて、改易されている。
一方、細川家は、玉子を幽閉して秀吉に恭順の意を示した事で、家名は保たれた。その後、玉子も許され、大名家として明治維新まで存続している。光秀の血脈は、娘の玉子の元で、脈々と現代まで受け継がれているのであった。
「時すでに遅し。無念なり…」
そして、光秀の同盟者であった家康は、光秀救出のために兵を発していた。六月十五日には、岡崎から鳴海に達しており、そこで光秀敗死の報を聞いた。家康は無念であった。光秀に重臣一同、命を助けて貰いながら、同盟者として何も出来ずに終わってしまった。
ここで家康は、奇妙な行動に出ている。軍を更に西に向けたのである。従来の説通りに、家康が光秀を討つために西陣したのであるならば、ここで兵を退く筈であった。そして、家康が光秀救援に遅れたのには、雨のために橋が流されていたためと、東陣にて甲斐侵攻に時間を遣い過ぎてしまったからであった。
「あの城を燃やしてしまえ!」
家康が命じたのは、信長が天下布武の象徴として築城した、安土城その物であった。
家康は、領国へ帰る時に、味方に引き入れていた伊賀者の精鋭を使って、西陣において先発していた部隊とともに、城に火を放ったのである。
(天下人に、このような華美な城は必要なし!)
家康にとって、安土城は脅威の象徴であった。これを破壊する事で、織田家の勢力を少しでも削ぎ、信長の記憶を彼方へと押しやっておきたかったのかもしれない。
そんな、徳川軍の動きに秀吉は警戒心を露わにしている。安土城を破壊した者が誰であったのかを秀吉が知っていたかは定かではないが、疑っていたのは間違いないであろう。
「すべて終戦した為、帰陣あるべし」
秀吉から強く嗜められ、家康は六月二十日になって、やっと兵を退いた。斎藤利三が十七日に斬首され、その前に坂本城が落城したのを見届け、明智軍壊滅を目の当たりにした為であった。
これで、光秀が目指した新しい国造りの夢は潰えた。しかし、この物語は、まだ少しだけ、その夢の欠片のような物を残したままである。
「そうか、あの男も天下を狙っておったと言う事か…」
報せを聞いた時に光秀は、瞬時に秀吉の考えを見抜き、その行軍の速さを誉めたという。
「羽柴軍は、織田信孝・丹羽長秀軍が合流して、合計三万以上の大軍の模様!」
対する明智軍は、およそ一万三千ほどであった。兵力差は、歴然としていた。
しかし、明智軍内で浮足立ち、離脱する将兵の姿は一人も無かった。光秀が如何に、家臣から信頼を得ていたかの証拠であっただろう。
「まさか、秀吉殿と、天下を争う事になろうとはのう…」
光秀は、一つの事を思い出していた。それは、光秀が坂本城を築城し、自分の領地を始めて持った頃の事であった。秀吉が不意に光秀の元へ、訪ねてきた事があったのだ。
「明智殿が建てた城を見物したくてのう」
秀吉は、そう言いながら、二、三人のお供だけを連れて、魚の燻製を手土産に、そのニコニコとした笑顔で城にやってきたのだ。
「これは、わしの所の漁師がこしらえた物じゃ。珍味ですぞ」
秀吉は、土産を光秀に渡すと、遠慮なしに城内に入って行った。光秀は、仕方なく、酒肴の用意をするよう命じるのだった。
「長浜の様子は如何かな?」
先年、秀吉も信長より北近江を領国に貰い、長浜城を築城していた。
「明智殿は、織田家の出世頭、ご昵懇になってもらいたくてのう」
「何をおっしゃるか。羽柴殿こそ、大殿の覚え目出度き、出世頭でござろうが」
何時しか、二人は、小さな酒宴を囲んでいた。光秀も秀吉の調子に合わせて、いつになく多弁になっていた。
「秀満はどこに居るのか?せっかく羽柴殿が来られたというのに」
「秀満殿なら、馬場にて見かけましたが…」
光秀が見ると、正室の熙子が酒を運んできていた。
「こちらは、妻の熙子と申す」
「熙子にございまする。羽柴様には、かようなもてなししか出来ず…」
「何をおっしゃる。勝手に押しかけた秀吉の顔を立ててくれた光秀殿と美味い料理と、美しい奥方が酌をしてくれるだけで、十分本望でずぞ」
秀吉は、酌をする熙子に頭を下げた。熙子もこの秀吉の飾らない人柄を良く思っていた。そして、光秀も同じ事を考えていた。
「のう光秀殿、大殿の天下布武をどうお考えか…」
それまで笑顔を絶やさなかった秀吉が、急に真顔になっていた。その様子に釣られて、光秀も真顔になっていた。
「信長公は、古今稀な名将にございまする。天下万民を安んじる君は他に非ず。この光秀、不詳の才なれど、大殿の目指す天下布武の為に、微力を尽くす所存也」
その明朗にして淀みなく語る光秀の弁才に、秀吉は感嘆の心地がしていた。しかし、次いで口にしたのは、別の事であった。
「光秀殿の心意気、大変結構に候えど、一つだけ気になり申す…殿は人を殺し過ぎる…」
そう絞り出すように言った秀吉の横顔を光秀は見た。この陽気さが取り柄のような男にしては、嘘のように能面のような無表情な顔であった。
(この男は、信長公を心底では、軽蔑しているのでは無いのか?)
この事で始めて、光秀は秀吉という男の、心の内に眠る本音を見た心地がしていた。
「民を安んじる政事を行うべきでしょうな」
酒は進み、二人は政治論を展開させていた。光秀は、民に配慮した政をしたいと考えていた。また、民が天下の根幹であるとも。
「貴殿が考えられるよりも、民草は逞しゅうござるぞ?」
秀吉はそう言って笑った。秀吉は、自分が一百姓より起こって来た男である。民の気持ち、考え、狡猾さのすべてを知っての言葉であった。
(民は弱く、守るもの…)
とする光秀の考えと、
(民は逞しく、導くもの…)
という秀吉の考えの違いが、
両者の明暗を分けたのかもしれない。秀吉が去った後、光秀は、秀吉も信長や自分の同じく、天下を観ている事に気がついていた。光秀と秀吉、相反する性質を持った両者であったが、信長は、この才能ある二人の武将を競い合わせる事で、両者の才能が、極限まで開花する事を意図していたのかもしれなかった。
光秀は、軍を山崎の地に進めていた。大山崎町という。かつては油などの商いで、成長した商業都市が存在した。ここは、桂川と宇治川と木津川の合流地点に在った為に、京を行き交う人々で賑わう、自由自治を認められた、特異な街でもあった。この街が日本史上において、重要な意味を持っている事は、実は余り知られていない。
山崎の合戦と言えば、その名に冠せられた街の名前よりも、そのすぐ近くに位置した、天王山という小さな山の方が有名である。しかし、歴史を分けた大戦では、この山が使われる事は、実際の所無かったに等しい。
大山崎は、商業都市であると共に自由自治都市であった事は、すでに述べた。この街では、大阪の堺街のように、町衆による合議制のような体制が取られており、特定の権力者を持ってはいなかった。歴史上に時代を超えては、稀に現れるこのような都市の出現は、実際の所は、金銭による力が大きかった事は明白である。
大山崎でも、歴代の権力者に莫大な資金を提供する事で、その自治を承認して貰い成り立っていた。それは、信長の時代にも矢銭を献上している事で、理解出来る。そして、信長を倒した光秀にも、大山崎町は近づき、ご禁制を入手する事に成功している。
ご禁制とは、時の権力者が発布する法制の事であるが、この大山崎町に発布されたご禁制とは、都市で戦をしない、略奪・狼藉を認めない、商いの保護など、要するに街の今までの自治を認める内容となっている。
そして、この商業都市が栄えたもう一つの理由が、情報網の正確さと速さであった。この大山崎の町衆は、何と秀吉からも、同様のご禁制を入手しているのである。
秀吉が軍勢を率いて、京に近づいているとの報せを光秀が知ったのは、六月十日の事であった。この時期に、早々に秀吉からもご禁制を入手出来ているという事は、この街の者たちが、光秀よりも誰よりも早く、秀吉の動きを把握していたからに他ならないであろう。
その大山崎町に秀吉の本隊が到着したのは、十二日の事であった。すかさず、秀吉は軍勢を大山崎の市内に駐屯させた。対する明智軍は、その前日から、この山崎方面に展開していたのにも関わらず、地の理である市街地と、天王山の麓には、軍を置いていない。
光秀は、ご禁制を考慮して、街の中には一兵も入れなかった。これからの光秀が目指す政治には、民の協力が欠かせなかったからであろう。
対する秀吉は、大山崎という地の利を、やすやすと手に入れている。秀吉は、あっさりと発布した自らのご禁制を破った分けであったが、なぜか町衆よりの反発は皆無であった。
「大山崎の皆様には、御苦労をお掛けするが、この筑前めに、どうか、どうか、主君の仇討ちをさせて下され」
涙ながらに訴える秀吉を前に、町衆も市街に軍勢を迎え入れるしかなかったのであった。
明智軍が展開したのは、大山崎の京方面への入口である東黒門から、勝竜寺城までの狭い街道が望める、御坊塚という場所に、光秀は本陣を置いている。
そして、明智軍の先手を務めるのは、家老である斎藤利三と阿閉貞秀、松田太郎左衛門ら丹波衆の隊であった。左手の天王山手前には、津田正時ら近江衆が、右手の淀川付近には、伊勢貞興ら旧幕府衆らが展開していた。
対する羽柴軍は、実質の大将である秀吉が、天神馬場近辺に本陣を構えた。そして、名目上の総大将であった織田信孝と副将の丹羽長秀が後詰として、後方に控える。
秀吉は、軍勢を三手に分けて進軍していた。まず、左手の天王山の麓には、秀吉の弟である羽柴秀長と、軍師の黒田官兵衛軍が構えた。中央の西国街道には、中川清秀と高山右近、堀秀政らの摂津衆が先陣を務める。そして右手の現在は住宅街になっている沼地と、淀川との狭間の小道を進むのは、池田恒興らの軍勢であった。
「これでも互角と言った所だろうか…」
戦闘開始が迫る中で、秀吉は不安に駆られていた。敵よりも有利な地の理を得て、敵に二倍以上の戦力を有しながらも、両軍の力関係を冷静に見極めようとしていた。
秀吉の不安材料として、自軍が大軍とは言っても、にわかな混成部隊である事、それに対して明智軍は、光秀を中心とした精鋭部隊であった。また、強行軍により、羽柴軍本隊が疲労困憊であり、今は戦を前に張りつめている緊張の糸が、いつ切れても可笑しくない状況にあった。これに対して、明智軍は、士気は高く、将兵の体力も十分であった。
「短期決戦に如かず!」
これが、秀吉が出した結論であった。秀吉は軍勢の陣形を、ちょうど←のような形の蜂矢の陣と、長蛇の陣の中間のような恰好を採用していた。この陣形は、攻撃と機動に特化している。初戦から勢いで押し、そのまま一気に勝敗を決しようと考えていた。
「戦は数に非ず」
とはよく聞く言葉であったが、この時の明智軍内にも動揺の色は感じられない。
本能寺の変後、明智軍において、光秀の才幹や器量は、神格化されていると言っても過言ではない状態にまで、味方の兵士から絶大な信頼を寄せられていた。光秀は、凸のような形の陣形を布いていた。魚鱗の陣にも似ている。これは、攻防一体の陣形であり、中央部分を厚くし、いつでもすぐ攻守の切り替えが対応出来る陣形でもあった。
前日の小勢り合いより、膠着状態が続いていた両軍であったが、翌十三日の正午頃に合戦の火蓋が切って落とされた。先に仕掛けたのは、光秀軍の先鋒である斎藤利三の隊であった。
利三は、戦上手で知られた光秀の腹心である。光秀が当初に立てた作戦では、先に先鋒部隊が東黒門に迫り、先制攻撃にて敵を圧倒する事にあった。敵の陣形が守勢に弱いと読んでの策である。
「よし、かかれーーっつ」
利三は、部隊に突撃を命令した。対するのは、中川清秀・高山右近・堀秀政らの部隊である。これらの武将たちは、元々は光秀組下の武将たちであった。光秀の謀叛に味方せずに、大返ししてきた秀吉軍と合流して、先鋒を任された部隊である。
彼らは、光秀と昵懇であったので、自らの潔白を証明するためにも、引くに引けない状態にあった。彼らを先鋒として、敵の囮となし、敵が餌に喰いついてきた所で、両側の部隊で敵を殲滅する秀吉の軍師である黒田官兵衛が起てた、辛辣な作戦であった。
利三が率いる明智軍先鋒部隊の突撃は、凄まじい勢いであり、敵の中川・高山隊を押しまくり、ついには、街の入口である東黒門に迫ろうかという勢いであった。戦の初手は、数において劣勢である筈の明智軍が優勢を維持していた。
(本当に勝てるのだろうか?)
自軍劣勢の報せを聞いた本陣の秀吉は、思わず弱気になっていた。勢いだけでここまで来てしまったものだが、とんでもない外れくじを引いてしまったのではないのだろうか?そんな気持ちが芽生え始めてしまっていた。
「あの信長公を倒した男!」
光秀に対する、その畏怖が恐怖となって、羽柴全軍崩壊にまで広がってしまう危険を有していた。
しかし、明智軍にそのまま押され切られてしまうかと思われた戦の行方は、ここから意外な方向へと進み始めたのであった。
羽柴軍の右翼を務める池田恒興らの部隊が、眼前の沼地を渡河し、光秀本隊に迫る動きを見せたためであった。この池田隊の動きで、味方との隊列が伸び過ぎて、挟撃の危険が生じた利三ら明智軍先鋒隊は、後方に退がる事を余儀なくされたのだ。
「一時、後退するのじゃ!」
そして、これを機に押されていた、中川・高山隊らは、形勢逆転とばかりに一気に斎藤隊を押し返そうと攻勢に転じたのであった。
「よし!これで一気に決めるぞ」
羽柴軍の左翼部隊であった黒田官兵衛と羽柴秀長の部隊も、これに乗じて戦に参加すべく、行軍を開始した。戦が開始されて、一刻余りで、形勢は完全に逆転したかと思われた。
「よし、このまま着いてくるのだ」
しかし、敵に押されて崩壊寸前のように見えた利三からは、笑みがこぼれていた。
「我が策の通り、敵部隊半ばまで達したら、一気に挟撃せよ」
そこには、本陣にて戦況を見つめる光秀の姿があった。これこそが、敵の大軍を破るために光秀が執った策略であったのだ。潰走するかのような斎藤隊の動きに操られるように、敵の先鋒部隊は、光秀の本隊と味方左翼・右翼の鉄砲隊が待つ、挟撃地点へと誘導されていたのであった。
「いかん!まずいぞ、返せ、戻せ!」
光秀の策に気づいた秀吉は、本陣にて大声で叫び続けていたが、その声が先頭集団にまで届くはずは無い。仕方なく、秀吉は、指示が届く所まで出るために、前線へと向かうのだが、味方部隊の熱狂に押されるように、自らもその計算にない、ただの猪突をするはめとなってしまっていた。佳境を迎えた戦の帰趨は、光秀の筋書き通りに進むかと思われた。
その時であった。
「ポツリ、ポツリ」
光秀の頭上に冷たい水が当る感触がした。次いで、それが雨であり、辺り一面を濡らすのに僅かな時間しか必要とはしなかった。
「突然の豪雨により、火縄銃が…挟撃出来ませぬ! 無念にござりまする」
使番の報せを聞かずして、光秀は敵が自軍の陣形を突き崩して、殺到してくるのを、この冷静沈着な智将にしては、珍しく暫し呆然と眺めていた。
そうこうしている内に、敵の右翼部隊である池田隊までもが、沼地を掻い潜って、明智軍に攻撃を開始していた。戦闘開始から僅かに一刻半余り。戦の勝敗は完全に決した。
光秀自身に、失念の刻はあっただろうが、それは僅かに一瞬の出来事であり、他者に気づかせようともしなかった。
「全軍、勝竜寺城に撤退する。天は味方せず…」
光秀は、自軍に撤退命令を下すと、暫くの間、雨の降りしきる空を恨めしそうに、見上げているのだった。
一方、天下分け目の大戦に大勝利を治めた秀吉は、上機嫌であった。全軍で勝鬨を挙げた後に、勝竜寺城に立て籠もった光秀を追撃すべく、行軍を再開していた。その途上、秀吉は、行軍する部隊を輿に乗って周り、味方に声を掛けては、労いの言葉を掛けていた。
「紀伊守苦労!」
秀吉は、先の戦で光秀本隊の横腹を突く、戦果を挙げた池田恒興にも声を掛けていた。
「筑前め!もう天下を獲った気でいやがる」
輿に乗って上機嫌で去って行く秀吉を、憮然とした表情で見送る恒興であった。
山崎の合戦で味方した諸将は、今も秀吉の部下ではなく、同じ織田家の朋輩に過ぎない間柄であった。戦に勝ったとは言え、光秀健在であるこの時に、羽柴軍はまだ一枚岩には成り得ていなかったのであった。
羽柴軍は、勝竜寺城を包囲していた。この城は、代々細川幽斎家の居城であった。光秀は、合戦前にこの勝竜寺城と近くの淀城とを急ぎ、応急処置的に復旧していた。両城とも小城で籠城に適さない城である。その城を復旧したのは、援軍が来た場合に、大軍を入れられるようにするためではなかったであろうか。
「援軍は、まだ来ぬか?…」
光秀は何度も確認していた。その援軍とは、一体誰の事であっただろうか?光秀て義絶した細川藤孝、忠興親子だろうか?峠にて、日和見をしている筒井順慶だろうか?それとも…
「皆、よく戦ってくれた。天は我に味方せず。負け戦の責は、余の不明にある」
軍議の席にて、光秀はそう言って、諸将を労いながらも、味方に感謝と謝罪の言葉を口にしていた。
「初戦は敗れ申したが、まだ決着はついてはおりませぬ。この城を抜け、坂本に帰って捲土重来を御計りあるべし」
溝尾庄兵衛が、光秀を励ますように進言した。周りの諸将もそれに皆が賛同していた。
「相分かった。坂本に…家族の元に帰ろう…」
光秀の「家族」という言葉に反応して、嗚咽を漏らす者も居た。明智家の者にとって、本能寺の変は、謀反というよりも、自分たちが生き残る唯一の選択肢であった。
(家族と一族の命運を護る為…)
これが、光秀以下の土岐明智家が信長を討った、ただ一つの理由である以上、家族のために戦った兵士たちが泣くのには、十分な理由であっただろう。
六月十三日夜半過ぎ、光秀以下数十名の部下たちは、密かに勝竜寺城を抜け出していた。光秀は、この脱出に際し、一部の守備兵を残して、全軍に坂本への撤退を指示していた。
「後の事は、お任せあれ」
勝竜寺城に残る守備隊を指揮するのは、藤田伝吾であった。
「伝吾、頼んだぞ…坂本で待っておる」
そう絞り出した光秀の顔には、苦渋の色が見て取れていた。
光秀は、城抜けるの際し、数人ずつの小集団を作り、闇夜に紛れて、敵の目を欺き逃亡する手筈であった。
城を包囲していた羽柴軍は、高松城からの大返しから、ずっと動き続けていた為に、疲労が頂点に達しており、敵城の前で居眠りする兵士が多勢に上っており、明智軍の逃亡をやすやすと許す結果を生じさせていたのだ。
光秀達は、一路坂本城を目指していた。
「ここは、どの辺りであろうか?」
「小栗栖にて候」
そこは、京都の伏見付近に位置する野道であった。ここを抜ければ、坂本は目と鼻の先にある。
「上様、お顔の色が優れぬご様子…」
庄兵衛が横で馬に乗る光秀を気遣う。その光秀は、土気色の顔をしており、息も荒く、肩で息をしている。
「何でもない…」
光秀は、そう答えたが、明らかに様子がおかしい状況であった。
「進軍止まれ!」
庄兵衛が前衛部隊に大声を掛けた。自分が乗る馬を止めて、光秀を無理やり馬上より下ろした。
「何をする!」
光秀は、抵抗しようとするが、力なく、少し暴れた為に、庄兵衛に引きずり下ろされるような恰好となった。
「御免相らえ!」
庄兵衛は、光秀に対しそう言うと、光秀の着ている甲冑を無理やり引き剥がしてしまった。
「やはり!山崎からで御座りまするか?」
甲冑を脱がされた光秀の上半身は、血の色で真っ赤に染まっていた。
「なぜ、早くおっしゃらなんだ?」
庄兵衛は、光秀の胸倉を掴みながら、嗚咽するかのように、声を絞り出していた。医者に診せるまでもなく、致命傷を受けているのが理解出来た。
「流れ弾よ。わしは砲術を極めたと思うていたが…皮肉なものよ…あと少し、坂本までは…持つと、思っておった…」
光秀は、庄兵衛の腕を抱くように掴み、ようやく声を絞り出して言った。
常人であれば、そこで倒れて、そのまま死を迎えていただろうが、光秀は、その傷を誰に話す分けでもなく、甲冑より血が流れ出ぬように、布を幾重にも巻いて、今まで顔一つ変えずに、激痛に耐えていたのであった。
「何事じゃ?」
その時、進軍が止まったのを合図に、前方と左右から、何十もの松明が蠢いているのが見えた。
「敵襲也!」
先鋒の武者が叫んだ。土民による落ち武者狩りであった。この戦国時代では、敗者は常に死と隣合わせであった。土民・農民と言っても、竹槍で襲ってくる素人の事ではない。何度も足軽として、戦を経験した玄人の武装した集団が、それであった。或いは、盗賊の類であったかもしない。
しかし、この時代のどの地域でも、大差なく、落ち武者狩りで鎧兜や刀・槍、鉄砲などを奪い、村の武器とした者達がいたのは確かな事であっただろう。或いは、追いはぎなどで、刀剣を売って一代を築いた者も居たのかもしれない。
「殿、敵は蹴散らし申した」
さすがは、明智家の生き残りの精鋭部隊であった。土民の襲撃を切り抜け、追い散らしたのであった。
「庄兵衛よ。もう行けぬゆえ、ここでよい…」
主のその言葉に庄兵衛は一つ頷いた。そして、両手を合わせる光秀の後ろに来ると、鞘を払って、太刀を構えた。
「我が首は、西教寺に葬れ」
光秀は、それだけを言うと、静かに目を閉じた。そして、庄兵衛は、ゆっくりと太刀を大きく振りかぶる。
と、その時であった。
「こんな死に様で良いのかね?」
その声がした方に目をやると、光秀は信じられない姿を目にした。
「上様…?」
光秀が目にしたのは、死んだ筈の信長の姿であったのだ。
「お主には、これからの世の中を見届ける責があろう…」
そう言いながら、近づく姿を見て、一瞬だけ信長に見えた男が誰であるか、光秀は理解した。
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重兵衛の右手にしがみつくような体勢になると、絞り出すように、光秀は語りかける。
「十兵衛、わしに坊主にでもなれと申すか?お主は、すべての厄介事を押し付ける気だな」
光秀は、ニヤリと笑った。重兵衛も笑っていた。その様子を庄兵衛も、他の生き残った家臣たちも黙って静かに見守っていた。
「庄兵衛、庄兵衛よ。もう目が霞んで…よく見えぬ。最後の言葉をお主が伝えよ。生きよ!生きて、土岐明智家の桔梗の花が咲くを…絶やしては、ならぬ」
「御意にて候!」
庄兵衛は、空間に差し出された、光秀のその右腕を両手で握りしめた。
「よかった。これでよい…これで…最後に子供たちの顔なりと、見たかったものじゃ…」
それが、戦国武将、明智光秀の最期の言葉であった。享年五十五、とも六十七歳とも伝わる。光秀が残した業績は、敗者であるがゆえに、歴史の闇に消えてしまい、今日では、そのほとんどは知れない。
しかし、丹波・福知山など、未だに光秀を名君として、その治政を偲ぶ人々も、確かに存在するのである。
御門重兵衛は、その光秀の亡骸と共に、いずこかに姿を眩ませたまま歴史の中へ消えた。一方、溝尾庄兵衛は、他の者たちを糾合して、坂本城まで無事に帰還していた。
「よく、無事であったな」
庄兵衛らを出迎えたのは、明智秀満であった。山崎の敗戦を知ると、安土城を抜け出して、敵の包囲網を潜り抜けて、坂本へ帰城していたのだ。
「何とも無念で御座る」
庄兵衛はそう言って肩を落とした。
「覚なる上は、明智家の最期を見せつけようぞ!」
秀満は、そう叫ぶと、周りの家臣たちは一斉に雄叫びをあげて、士気を鼓舞していた。
「お待ち下され。亡き殿の遺命をお伝え致しまする。殿は申された。生きよ!生きて土岐明智家を絶やす事なかれと…」
その庄兵衛の言葉に、この城のすべての時間が停止してしまったかのような、沈黙が訪れていた。
「おおっ殿」
「上様…」
「光秀様」
嗚咽がその部屋中から聞こえる。その場に居た精強を誇る武者たちは、皆涙を流していた。最後の最後まで、明智光秀という殿様は、家臣と家族の事を気遣っていた。その事実に胸が苦しくなってしまったのだろう。
「皆、急ぎ脱出の手配を致せ」
秀満が意を決したかのように、立ち上がった。
「皆で城を出るのか?」
一部始終を聞いていた、光秀の嫡男である十五郎光慶が尋ねた。
「若殿は、姉君らとともに、急ぎ出られよ。後はこの弥平次にお任せあれ」
「殿、何をおっしゃります!」
話しを立ち聞きしていた、光秀の娘で秀満の正室となっている倫子が、目の前に現れて抗議する。
「上様の御遺訓である。務めを果たすべし」
「ならば、殿もご一緒に…」
その妻の哀願にも、秀満は首を縦には振ってはくれなかった。秀満は、味方を一人でも多く逃がすために、自らが囮となるつもりであったのだ。
「さあお早く!」
横から庄兵衛が、光秀の家族らを促していた。
「お主は行かぬのか?」
「秀満殿こそ!わしはあの世で、殿がさっさと逝ってしまった事を、責めねばならぬでな」
二人は、見合うと笑った。
これから旅立つとは思えぬ程の、爽やかな笑顔であった。光秀が精魂を込めて築城した坂本城は、堀秀政の軍に攻められて、秀満自らが城に火を放ち、灰燼と帰した。
その後、十五郎は仏門に入り、生涯を過ごしたとの記録もあるが、定かではない。秀満の妻子たちは、一部が土佐へと逃れて土着し、その子孫には、幕末に活躍する、桔梗紋の英雄を輩出したとする伝説が残っている。
その他の光秀の重臣と家族であるが、明智次右衛門は、本能寺の戦いの時に受けた傷の療養中であったが、光秀敗死の報せを受けると、光秀に殉ずるために自害して果てた。
また、勝竜寺城に立て籠もった藤田伝吾は、羽柴軍に大兵力で攻められ、見事な玉砕を遂げていた。もう一人の家老である斎藤利三は、山崎合戦の後に光秀と逸れて、近江堅田まで逃れていたが、羽柴軍に発見捕縛され、市中引き回しの後に斬首された。
「これが似ておるか?それともこっちか?」
秀吉は掃討戦を開始していた。利三斬首後に、光秀に似た首を利三と共に、本能寺にて晒す事で、光秀のニセ首に、信憑性を与えて、誇らしげに自分の功を誇っている。
光秀を裏切る事で、家名を保とうとした二家は、対照的な結果を残している。筒井順慶は、秀吉から大和国を安堵されていたが、三十六歳の若さで病死した。次代を養子の定次が継いだが、秀吉の逆鱗に触れて、改易されている。
一方、細川家は、玉子を幽閉して秀吉に恭順の意を示した事で、家名は保たれた。その後、玉子も許され、大名家として明治維新まで存続している。光秀の血脈は、娘の玉子の元で、脈々と現代まで受け継がれているのであった。
「時すでに遅し。無念なり…」
そして、光秀の同盟者であった家康は、光秀救出のために兵を発していた。六月十五日には、岡崎から鳴海に達しており、そこで光秀敗死の報を聞いた。家康は無念であった。光秀に重臣一同、命を助けて貰いながら、同盟者として何も出来ずに終わってしまった。
ここで家康は、奇妙な行動に出ている。軍を更に西に向けたのである。従来の説通りに、家康が光秀を討つために西陣したのであるならば、ここで兵を退く筈であった。そして、家康が光秀救援に遅れたのには、雨のために橋が流されていたためと、東陣にて甲斐侵攻に時間を遣い過ぎてしまったからであった。
「あの城を燃やしてしまえ!」
家康が命じたのは、信長が天下布武の象徴として築城した、安土城その物であった。
家康は、領国へ帰る時に、味方に引き入れていた伊賀者の精鋭を使って、西陣において先発していた部隊とともに、城に火を放ったのである。
(天下人に、このような華美な城は必要なし!)
家康にとって、安土城は脅威の象徴であった。これを破壊する事で、織田家の勢力を少しでも削ぎ、信長の記憶を彼方へと押しやっておきたかったのかもしれない。
そんな、徳川軍の動きに秀吉は警戒心を露わにしている。安土城を破壊した者が誰であったのかを秀吉が知っていたかは定かではないが、疑っていたのは間違いないであろう。
「すべて終戦した為、帰陣あるべし」
秀吉から強く嗜められ、家康は六月二十日になって、やっと兵を退いた。斎藤利三が十七日に斬首され、その前に坂本城が落城したのを見届け、明智軍壊滅を目の当たりにした為であった。
これで、光秀が目指した新しい国造りの夢は潰えた。しかし、この物語は、まだ少しだけ、その夢の欠片のような物を残したままである。
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(あらすじ)
○わたし(亀)は、政略結婚で、17歳のとき奥平家に嫁いだ。
その城では、親信長派・反信長派の得体の知れない連中が、ウヨウヨ。そこで出会った正体不明の青年武者を、やがてわたしは愛するように……
○同い年で、幼なじみの大久保彦左衛門が、大陸の明国の前皇帝の二人の皇女が日本へ逃れてきて、この姫を手に入れようと、信長はじめ各地の大名が画策していると告げる。その陰謀の渦の中にわたしは巻き込まれていく……
○ついに信長が、兄・信康(のぶやす)に切腹を命じた……兄を救出すべく、わたしは、ある大胆で奇想天外な計画を思いついて実行した。
そうして、安土城で、単身、織田信長と対決する……
💬魔界転生系ではありません。
✳️どちらかといえば、文芸路線、ジャンルを問わない読書好きの方に、ぜひ、お読みいただけると、作者冥利につきます(⌒0⌒)/~~🤗
(主な登場人物・登場順)
□印は、要チェックです(´∀`*)
□わたし︰家康長女・亀
□徳川信康︰岡崎三郎信康とも。亀の兄。
□奥平信昌(おくだいらのぶまさ)︰亀の夫。
□笹︰亀の侍女頭
□芦名小太郎(あしなこたろう)︰謎の居候。
本多正信(ほんだまさのぶ)︰家康の謀臣
□奥山休賀斎(おくやまきゅうがさい)︰剣客。家康の剣の師。
□大久保忠教(おおくぼただたか)︰通称、彦左衛門。亀と同い年。
服部半蔵(はっとりはんぞう)︰家康配下の伊賀者の棟梁。
□今川氏真(いまがわうじざね)︰今川義元の嫡男。
□詞葉(しよう)︰謎の異国人。父は日本人。芦名水軍で育てられる。
□熊蔵(くまぞう)︰年齢不詳。小柄な岡崎からの密偵。
□芦名兵太郎(あしなへいたろう)︰芦名水軍の首魁。織田信長と敵対してはいるものの、なぜか亀の味方に。別の顔も?
□弥右衛門(やえもん)︰茶屋衆の傭兵。
□茶屋四郎次郎(ちゃやしろうじろう)︰各地に商店を持ち、徳川の諜報活動を担う。
□佐助︰大人だがこどものような体躯。鞭の名人。
□嘉兵衛(かへい)︰天満屋の番頭。
松永弾正久秀︰稀代の梟雄。
□武藤喜兵衛︰武田信玄の家臣。でも、実は?
足利義昭︰最後の将軍
高山ジュスト右近︰キリシタン武将。
近衛前久(このえさきひさ)︰前の関白
筒井順慶︰大和の武将。
□巣鴨(すがも)︰順慶の密偵。
□あかし︰明国皇女・秀華の侍女
平岩親吉︰家康の盟友。
真田昌幸(さなだまさゆき)︰真田幸村の父。
亀屋栄任︰京都の豪商
五郎兵衛︰茶屋衆の傭兵頭
五十五年の夢(明智光秀編、第一)
いずもカリーシ
歴史・時代
明智光秀、本能寺の変の謎を解き明かす新説です!
タイトルの五十五の夢は、明智光秀の辞世の句の一部です。織田信長と明智光秀について、本能寺の変と山崎の戦いを中心に描く新説を物語風に書きました。読んで頂けると嬉しいです。
【プロローグ 斎藤利三】
明智光秀の家臣である斎藤利三は、一つの目的をもって羽柴秀吉に捕まります。利三により語られる本能寺の真相とは、何だったのでしょうか?
【第1章 決戦前夜】
利三は、山崎の戦いの前夜を思い出していました。この戦いで光秀はある作戦を練ります。
そして、亡き煕子を想う光秀の涙を見ました。
【第2章 本能寺】
悲劇へと繋がった背景を描きます。
信長は義昭を将軍としましたが、幕府は過ちを繰り返し自滅します。信長は当初副将軍職を辞退し不干渉の方針も最後は方向転換を余儀なくされました。
そして、見落としていた事実に気付いた光秀は強い衝撃を受け、ある決断をしたのです。
【第3章 山崎決戦】
秀吉軍は光秀の策にはまります。しかし、秀吉が抜擢した一人の若き将により光秀の作戦に齟齬が生じました。決戦は最後の山場へ向かいます。
【第4章 終戦】
想定外の光秀の奇襲に対し、秀吉の対応は常識はずれでした。二人の天才の戦いは遂に決着します。負けたときこそ人の器量は試されるのです。
【エピローグ 人の過ち】
光秀の犯した致命的な過ちが明らかとなり、本能寺の謎は解けました。過ちを繰り返さぬために、そして悲劇の連鎖を絶つために光秀は何をしたのでしょうか?
そして、利三は最愛の娘との別れを迎えるのです。
織田信長、明智光秀と本能寺の変は謎が多く様々な説が存在します。ただ、その説の多くは信長や光秀にスポットを当て過ぎているため、成功も失敗も全て二人(特に信長)が原因になってしまっています。
良かれと思い頑張ったことが、結果的にはうまくいかず辛い思いをしたことは誰にもあると思います。
歴史も同じではないでしょうか。その背景や置かれた環境をよく調べて、何を思い、何を目指し、場合によっては何かに追い込まれ、やった結果どうなったか考えると、新しい説が生まれる気がします。
これは今の困難な時代にも言えることで、物事をいろんな側面から見ることの大切さは高まってる気がするんです。
(小説家になろう、カクヨムでも掲載しています。)
【双槍信長の猿退治】~本能寺の変の黒幕は猿だった。服部半蔵と名を変えた信長。光秀、家康!真の天下布武を共に目指すのだ!~【完結】
みけとが夜々
歴史・時代
一五八二年、本能寺にて。
明智光秀の謀反により、燃え盛る炎の中、信長は自決を決意した。
しかし、光秀に仕えているはずの霧隠才蔵に助けられ難事を逃れる。
南蛮寺まで逃げおおせた信長は、謀反を起こしたはずの明智光秀と邂逅する。
そこには徳川家康も同席していた。
そして、光秀から謀反を起こした黒幕は羽柴秀吉であることを聞かされる。
忠臣からの裏切りを知った信長は、光秀・家康と手を組み、秀吉の討伐を胸に動き出すのだった。
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