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第二幕 ~悲願の成就~

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 永禄十一年(1568)七月二十五日、美濃国の立政寺に、越前朝倉氏の元より抜け出した、足利義昭一行は入った。恐らくは、光秀もこれに同行したはずである。

 そして、その二日後に、信長と義昭は、初対面を果たしている。信長は義弟であり、北近江の大名である浅井長政に、義昭の護衛を依頼し、自分は軍を派遣して、浅井勢より護衛を引き継ぐと、義昭らを護って美濃国まで入らせていた。

 この信長の、念には念を入れた忠勤振りに義昭は感じ入ったのか、

「この上は、万事、上総介殿にお頼みしたい」
 と会見時、しきりに労いの声を掛けていた。
「して、余が京に戻れる日は、何時頃になろうか?」

 義昭は、今までの経緯から、また越前で受けたように、のらりくらりとかわされながら、飼い殺しにされるのを警戒しており、その返答如何では、すぐにでも美濃を発って他国へ行く覚悟であった。

「ご心配には及びませぬ。御所様を上様と申し上げるも、年内には成りて候」
 信長は、そう言うと恭しく頭を下げてみせた。この言葉に義昭は狂喜し、側に控える側近の細川藤孝と、光秀も驚きを隠せなかった。

(道中での織田の護衛の統率の高さから見れば、それも叶うやもしれぬ)
 光秀は、心の中でそう考えていた

 同年九月七日、信長は、京の都へ向かう為に、大動員令を発動した。北近江の浅井長政、三河の徳川家康ら、同盟者を従えた総勢六万余の大軍である。ここまで来るまでに、信長は急に軍を動かしたのではなく、様々な手を打っている。

 まず、甲斐の武田信玄と、越後の上杉謙信に進物を送り、此度の上洛軍は、足利家再興の為、朝廷への勤皇の為と風潮し、後ろから攻められないように外交を重ねている。

 そして、大和の豪族である柳生宗厳と友誼を通じ、北伊勢を攻略して、信長の三男の信孝を神戸家の後継者と定め、弟の信包を上野城に入れ、甲賀の豪族たちにも、所領安堵を与えて味方を増やしている。

 信長と言えば、桶狭間の戦いに代表されるような、奇襲作戦を得意とする戦術家としての姿が先行している傾向があるが、それはほんの一例にすぎない。彼の真の得手は、その卓越した外交手腕にある所が大であった。

 戦を起こす前に、考えうるだけの戦略的な手立てを講じて、勝てる算段をつけてから輿を上げる。

 それを一つずつ、積み重ねて行くのである。それこそが、織田信長の基本的な考え方と言えた。そして、このやり方は、信長の生きているうちで、生涯変わってはいない。

(勝てない戦はしない!)

 これこそが、信長が戦における彼の信条と言えた。織田信長を論ずる時に、天才の一言で片づけてしまわずに、彼の行ってきた手立てを、一つ一つ見て見れば、信長がその時何を考えて、何を望んでそうしていたのかが、分かる気がするのである。

 織田軍六万余の大軍に対して、京への道に唯一人、立ち塞がる男がいた。南近江の大名である六角承禎その人である。近江の六角氏と言えば、宇多源氏である佐々木氏の嫡流の出であり、鎌倉の時代から守護として、南近江に君臨してきた名門である。この六角の当主である承禎が、信長の上洛に待ったをかけたのだ。

 最初、信長は、六角承禎も誼を通じようと試みた形跡がある。信長は、大軍を発する前に、二百五十騎からなる馬廻り衆らと進軍している。そして、承禎に対して、誼を通じて共に義昭公を擁立しようと持ちかけている。すぐに大軍を発っしなかったのは、相手を刺激しない為の信長なりの配慮であろう。

 六角氏は、信長に先んじて、楽市制を布くなど、先見性がある大名であった。その実力派大名を敵にするよりは、味方に引き入れようと考えたに違いない。しかし、承禎は、友好の使者を拒絶してしまう。六角氏は、先に京の都を占拠する三好三人衆らと手を結んでいた為であった。

(うつけに頭など下げられるか!)
 そういう思いが、彼の心の内に確かにあったのであろう。信長は仕方なく、岐阜に取って返して、大号令を発したのであった。

「我が観音寺城は、難攻不落の要塞にして、十八からなる支城もある。織田が支城を攻略している間に、他の城から挟撃すれば、いかな大軍とて堪るまい」

 六角勢の敵に対抗する基本戦略は、正にこれであった。そして、敵が十八ある支城を攻めあぐねて戦が長期化すれば、そこに京から三好勢の援軍が来る。そうすれば、敵を撃退し、あわよくば信長の首を獲れるであろうと。

「この十八ある支城が、厄介でありまするな」
 織田勢は、敵を前にして評定を重ねていた。そこには、信長の主だった家臣が集まっていた。

 まず、先の発言をしたのは、家老の鬼柴田こと柴田勝家。その横には、逃げ佐久間と渾名された佐久間信盛。

 そして、重臣の一人である丹羽長秀。新参者ではあるが、先の北伊勢攻略を担当し、見事に戦果を上げた滝川一益など、織田家を支える錚々たる面々が、一同に会していた。そして、その場に客将として、光秀も参加していた。

「お館様に申し上げまする。この秀吉を先鋒にお命じ下さりませ。見事、和田山城を落としてご覧に入れまする」
 末席に控えていた秀吉は、進み出ると大声を上げた。

「控えよ藤吉郎。和田山城は、敵の支城の先手なりて、そこを攻めれば、他の城より総攻撃を受けるわ」
 上席に座る柴田や佐久間らが、秀吉の意見を諌めた。

「ご両者のご意見は御最もなれど、我が城を攻め、敵に挟撃される間に、大殿が敵の本城を攻め取れば、本懐は成し得ましょうぞ」

「藤吉郎よ、自ら囮になると申すか?」
「御意!」
 信長からの問いに、秀吉は短く答えた。その場はざわつき始めていた。命を危険に晒してまで、功名を得ようとする、秀吉らしい作戦と言えた。

「明智は如何に?」
 秀吉の対面に座る光秀に、信長が声を掛けた。光秀は一瞬、秀吉を見ると信長に向かって座り直し、一礼してからこう述べた。

「敵の支城総てを攻略する必要は無し。十八支城の内、その要となるは箕作城でござる。されば、他の支城は捨て置き、一挙にこの城を叩けば、本城は丸裸も同然と存ずる。しからば、他の支城も自ら降りましょう」

 光秀は、ゆっくりと答えた。そして、優雅な動作で信長に再び一礼し、元のように座り直した。光秀の発言に、その場にいた諸将の誰もが内心で驚き、一言も発する事が出来なくなっていた。

 唯一人、信長を除いて…。

「明智の申し分、我の考えに通ずる。意は決したり。藤吉郎に先手を命じ、箕作城の攻略を命ずる。良いか秀吉、一日で落とすべし!」
「御意!ありがたき幸せ」

 信長より命は下った。その場にいた諸将の背筋に戦慄が走った。
 九月十二日の早朝、ついに戦端は開かれた。そして、信長の立てた作戦は、光秀が示唆した策よりも、より辛辣だったと言える。

 信長は、兵を三隊に分けた。稲葉良通の隊を和田山城へと向かわせ、柴田勝家と森可成率いる隊を観音寺城へ、そして信長自ら率いる主軍は、箕作城へと向かった。

 信長の元には副将として、木下秀吉、滝川一益、丹羽長秀が従った。言うまでもなく、稲葉隊は囮であり、柴田・森隊は敵を牽制するためである。

 箕作城での戦いにおいて、秀吉が先鋒を務めた。木下隊二千三百が北口から攻め、丹羽隊三千が東口より攻めかかった。しかし、城は堅固な山城であり、七時間の激戦の後に、木下隊は追い返されてしまった。

 秀吉は内心、相当に焦っていたはずである。信長より、一日で落城させろと厳命されているのである。城攻めに手こずれば、敵の援軍が来る。そうすれば、挟撃されて、織田軍は壊滅的な犠牲を出すであろう。そのすべての責任が秀吉に来るのである。まず、死罪は免れないであろう。

 そこで秀吉は、策を講じた。その七時間激闘を演じたその日の夜に、夜襲を仕掛けたのである。秀吉は、松明を何百本も焚かせると、一斉に火をつけさせ、点火を合図として一挙に城へ襲い掛かったのである。木下隊を撃退して、一安心していた敵の守備隊は、まさかその日の夜に、夜襲があるとは思わず虚を突かれた。

 そして、何百と言う松明の灯りを見た兵士たちは、大軍が押し寄せてきたと勘違いして、浮足立ってしまった。これで形勢は決まり、本当にわずか一日にして、箕作城は落城したのであった。

 これには、和田山城の城兵も驚き戦わずして逃げ出してしまった。この報せを聞いた六角承禎と、その息子の義治は戦意を喪失して、観音寺城を脱出し、逃亡したのである。

 ここに、鎌倉の時代より、南近江に君臨してきた守護大名の六角氏は、信長の前にあっけなく滅んだのであった。
 戦は、光秀が予見した通りの運びとなって、織田方の圧倒的勝利で幕を閉じた。

 この観音寺の戦いは、単に大名同士の勢力争いと言うだけではなかった。信長にとって、

(天下布武!)
 を旗印にした最初の戦いであり、その戦いに完勝出来たことは、特に重要な事であった。

「旗が揺らめいておるな…」
 天下布武の文字が書かれた旗を眺めながら光秀は呟いた。織田信長という男の、凄さを光秀がその眼で目撃した、最初の戦いでもあった。

 同年、九月二十六日、足利義昭を奉じた織田信長は、京の都へ上洛を果たした。織田軍の圧倒的な軍事力を前にして、都を支配していた三好勢は、戦わずして京を明け渡し、撤退したのだ。そして、十月十八日に義昭は、晴れて念願であった征夷大将軍に任じられた。

 前公方である、三好勢が奉じた足利義栄は、その前に急死していた。これにより、信長は約定通り、年内に義昭を将軍職へ就任させる事に成功したのだった。

「よくぞ!よくぞ!ここまで…」
「ようやく、京に戻って来られた…」
 京に上洛を果たした後に、再会した光秀と細川藤孝は、手を取り合い互いに涙を流して、労苦を労わりあった。

 二人にとっても、義昭にとっても、念願の正統なる足利幕府の再興は、悲願でもあり、武士としての一分であったのだ。

「藤孝、光秀、皆よ。良くぞ…良くぞ果たしてくれた。これで、兄(義輝)も浮かばれようぞ…」

 光秀は、その義昭からの言葉に、涙ながらに呑めない祝杯を干していた。無事に新公方となった義昭は、最大の功労者である信長に対しては、

(御父、織田弾正中殿)
 と感謝状を賜り、副将軍職への就任を打診し、その忠勤に報いようとしたが、信長はこれを断っている。

「信長殿の御謙遜よ」
 都人はそう称えた。また、信長は上洛に当って軍律を厳しくし、落し物を拾うだけでも打ち首としたため、いきなり大軍が押し寄せて、恐怖に脅えていた京の人々も、これには安堵し、信長を一層称える事となった。

 この時光秀は、信長と再会した時に感じた、信長こそが幕府再興の君となるという予感が現実の物となって、感無量の心地であった。

 そう、この時はまだ…


「殿、何を考えておいでか?」
 その言葉に、光秀は現実に引き戻された。
「秀満か… 何、昔の事を思い出しておったのだ」

「殿、今は斥候の帰りを待っておる所。物思いに深ける時ではござりませぬぞ。事が成れば、殿は天下様に御成り遊ばすのです」

 秀満の言葉に、光秀は静かに頷いた。しかし、光秀は心の中では別の事を考え始めていた。

(昔は天下を左右するなど、思いもよらぬ事であった。私はただひたすら、その時の事を懸命にしていただけなのだ。そう、あの時のように…)



 何時の時代にも、一つの成功例が、その後の通例を作って行くのは歴史的な事実であるのだろうか?事件が起きたのは、年が明けて永禄十二年(1569)一月五日の事であった。

 この時、新将軍となった義昭の居城はまだ出来ておらず、仮御所として、本国寺が使用されていた。最初に異変に気付いたのは、冬の寒さに凍える手に、息を吹きかけて、しのいでいたであろう、見張りの門兵たちであった。遠方で篝火が見えて、それが何十にも何百にも増えて行くのを見て、それが軍事行動である事に気が付いたのだ。

「敵襲にござりまする!」
 その変報を聞いた時に、光秀は、本国寺に詰めていた。光秀はこの時期、京奉行の要職を務めながらも、義昭の元にも、足繁く伺候していたのである。

「三好三人衆か?」
 この時期に、京周辺で軍勢が勝手に出現するはずもなく、その疑問は当然と言えた。しかし、敵の軍勢の中に、堺町衆が集めた兵がいる事が発覚すると、それは少しの驚きをもって迎えられた。 これより以前に、信長の命令で堺の商人たちに対して、金子の徴収を行っていたのだ。

「先程の二万貫徴収に対する報復か?」
 これは、信長でも想定外の事だったのではないだろうか?

 およそ商人にとって、金銭を取られる事は、命を削られる事と同等である。金は商人の魂であり、商談で金子の貸し借りをするならともかくとして、信長は、それを急に上から来て、その堺町衆の存在を踏みにじるに等しい行為をしたのだ。堺町衆は、はっきりと信長に拒絶の意を示したと言えた。

「敵はどうやら、前公方様を弑逆あそばした事で、味を占めてござるな」
「光秀よ。余は兄上と同じように殺されるのか?」
「上様。その時はこの光秀が介錯仕るゆえ、潔いご最期を!」

 光秀の物騒な言葉に、義昭が乞うように光秀を見たが、光秀はニヤリと笑みを浮かべただけで、その場を辞した。

「門の守りを固めよ。敵の襲来までに具足を揃えよ」
 光秀は、すぐ様に兵を集めると、素早く下知を下し始めた。現在の大本山本圀寺とこの時の本国寺とでは場所が異なる。現在建っている本圀寺は、現在の山科区にあり、天智天皇陵墓より、少し北に上がった所に建っている。

 ちなみに本圀寺は、徳川光圀の母を祀ったのを縁として、その偏諱を賜り、現在に至るまで、本圀寺の名称を使用している。

 この時、光秀が居た本国寺は、これより少し、南西の方角に位置する場所にあった。現在では住宅地となっている。そこより西に行くと清水寺があり、また北に進むと銀閣寺が見えてくる。

 ここは、日蓮宗の総本山であり、西の祖山と謳われて、当時は多くの僧侶が集う場所であった。しかし、戦での防備には、向いているとは言い難い。

「四方より囲まれぬ事だけが幸いだな」

 光秀がそう独語して、寺の北側を流れる淀川の支流に目をやった。光秀は、急ぎ援軍の使者を方々に派遣し、自らは徹底抗戦の準備を進めた。ここで、敵の三好三人衆方の思い通りにさせるわけにはいかないのであった。

 三好勢は、合計で五千を超える大軍であった。それを二手に分けて、三好康長を大将として、南大門から攻めよせた。もう一方は、大宮を経由して、北から攻める部隊の先鋒を務めるのは、薬師寺貞春であった。この薬師寺部隊は、本国寺がすぐに落ちると考えて、最初から力攻めを始めていた。

 一つには、余り、攻めるのに時間をかけ過ぎると、織田勢の援軍が来る事が考えられるために短期決戦を選んだのだ。その目論見自体は悪くない。

 しかし、対する本国寺は、守備兵が百名程度の小勢でしかなかったが、ここで予想外の健闘を見せる二人の武者がいた。若狭国衆の山県源内、もう一人を宇野弥七である。

 二人は、まずに味方より十名の少数部隊を募り、そのすべてに等しく槍を持たせて、また自らも槍を奮って、敵の攻め手に玉砕覚悟の突撃を繰り返した。これが、三好勢の気勢を制する恰好となり、敵は攻めるのを躊躇し始めていた。

 すかさず光秀らが鉄砲を撃ち、敵を倒す。そして、その間に弓隊が矢を間断無く射かけるのである。槍による接近戦と鉄砲と弓による、後方からの援護射撃が上手く行き、一度に三十余名の三好勢を倒す戦果まであげてしまうのであった。

「この調子だ。敵は怯んだぞ」
 そして、敵の先鋒隊の一部が、一度撤退するのを見た山県と宇野は、敵の追い打ちをかけようと走り出していた。しかし、それは敵の誘いの手であったのか、二人が追い打ちとして寺の正門を潜った時に、三好勢の弓隊が矢を放っていた。

 次の瞬間、二人の全身には、何本もの矢が刺さっていた。三好勢からは、歓声があがった。しかし、死んだかと思われた山県と宇野は、持っていた槍を刀に持ち替えて、お互いの体に刺さったままの矢を、何本か切り落とした。そして、宇野は、その切り落とした矢を敵に向かって投げた。

 それを合図として、山県と宇野は、尚も敵中に斬り込み、数人を倒すまるで剣舞の舞を踊って見せた。そして、最後は、寺の正門の前でどっかりと腰を降ろし、そして二人ともに息が絶えた。しかし、その眼光は、未だに敵を睨みつけたままであった。

「それ、今だ。放てーーーっ」
 光秀の合図で、鉄砲の轟音と矢が、空間を切り裂く音と共にその場を支配し、三好勢を次々と倒していった。

「いかん!引け引けーっ」
 敵の武将、薬師寺貞春は、一度後退して態勢を立て直すべく、兵を引いた。
「これで時間を稼げますな」
 光秀の横で、秀満が語りかけた。

「もう少しの辛抱じゃ、もう少しじゃ…」
 光秀は、秀満にそう答えたが、それは、自分自身に言い聞かせているかのようであった。



「ぬかったわ!」
 突然信長の怒号が聞こえてきた。信長が、三好勢による本国寺襲撃の報を聞いたのは、翌日の事であった。信長は、事の詳細な報告を最後まで聞かずに、大声を出してその場に立ち上がると、まず障子に蹴りを入れて破壊し、たまたま自分の一番近くにいた小姓の一人も蹴り飛ばすと、

「具足持てーっ」
 そう大喝するが早いか、すぐにその場を駆け出していた。お付きの者たちは、何とか信長に追いつきながら、歩く信長に具足を着せていった。

 しかし、これが殊の外難作業であって、容易には具足を着せられない。何せ、当の信長本人は、立ち止まってはくれないのである。

 しかも、もたもたしていると、その都度、信長より,張り手や蹴りを見舞うのである。信長が厩屋に着く頃に、ようやくすべてを着せ終わると、お付きの者達は、一人は鼻血をたらし、一人は髷がボサボサに、もう一人などは、なぜそうなったのか、この冬の寒い夜に,半裸の状態であった。お付きの者達は、互いの状態を見て、呆然とするしかなかったであろう。

「出る!」
 信長は、それだけを言うと、単騎で,雪の吹きすさぶ中を駆け出して行った。慌てて、近習の者数名が後を追うのだった。

 信長が叫んだ通りに、これは信長らしからぬ失態であった。彼は、三好勢を京より追い落とすと,摂津方面にも軍勢を出して、京周辺をあっと言う間に平定してみせた。そして、敵は,すぐには反撃して来ないと思い、岐阜城へと戻っていたのである。

 信長の読み通りに,三好勢は最初、反撃するよりも、態勢を整えるために兵を募る事を優先していた気配があった。しかし、信長が京より帰った事を知ると、考えを変えたのだ。

 信長は、京周辺に軍勢を展開していたので、京の都と、将軍義昭への警護の兵まで割く余裕がなかったである。これを好機と捉えた三好勢が、一度の成功に味を占めて、もう一度将軍弑逆を計画し、実行に移したのである。

「こちらの兵が少のうございまする。せめて千名は必要かと…」
 信長は、吹雪を駆けながら、京での光秀とのやりとりを思い出していた。

「そのような余裕などは無いわ。ならば、そなたが…」
 信長は、そこまで思い出すと、なぜか考えるのをやめた。

(あの明智光秀という男ならば。過大な期待は禁物だが…)
 もし、この襲撃が成功し、また幕府より将軍が失われる事になれば、それは信長の政略の根幹を覆す程の大事であった。

(天下布武!)

 その信長の政治的な正義が崩れるのである。それは何としてでも、避けねばならぬ所であった。信長は、後方より信長に追いつこうとする味方に目も呉れず、ひたすらに雪道を駆け続けるのであった。

 戦の形勢が動いたのは、日付が替わって未明の頃であった。三好勢が兵の態勢を整えてもう一度攻勢に討って出たのである。

「明智殿…もうこれ以上は持ち堪えられぬぞ」
 敵の再度の攻勢に、味方の士気が崩れそうになるのを、光秀は必死で抑えていた。
「もう少し、もう少しの辛抱じゃ」

 そう光秀は明確な意図があって、何かを待っていたのである。そして、光秀の待つそれは、朝陽の眩しさと共にやってきたのであった。

「ドドーーッ、ドーーーンッ」
 辺りを何十もの銃声が木霊した。それと同時に、後方の三好兵たちがバタバタと倒れていった。にわかの敵の出現に、三好勢は色めきだった。その謎の鉄砲隊たちは、一斉射撃の後に、三好勢へ突撃を敢行し始めた。

「よし!これじゃ、これを待っておった。行くぞ!」
 光秀は歓喜して、鉄砲隊の突撃に合わせて敵を挟撃するべく、討って出たのである。三好勢は、大混乱を起こして総崩れとなった。

「殿―っ、殿は何処に?」
「おおっ!お主たち。良く帰って来てくれた」

 それは敵に奪われていた、細川藤孝の勝竜寺城奪還のために、細川隊に合流していた光秀直臣の兵たちであった。それを指揮するのは、明智次右衛門、三宅藤兵衛、溝尾庄兵衛たちであった。

「殿、よくぞご無事で。殿のご下知通りに、勝竜寺城落城後にすぐに取って返しましてございまする。道中で三好勢の襲撃を知り、肝を冷やしましたわい」

 光秀は、本国寺の守備兵が少ない事を危惧し、信長に進言したが断られたために、やむなく自分の直属の兵だけでも、大事に備えて、すぐに引き返すように計っていたのであった。

「細川殿や、摂津国衆の伊丹親興殿、池田勝正殿、荒木村重殿たちの兵も、援軍としてこちらに向かっておりまする。逃げた三好勢は、そちらに任せましょう」

「そうか、それは祝着なり」 
 光秀は、そう答えると息をふーっと吐き出した。次右衛門からの報告に、光秀はやっと安堵の心地が付けた様子であった。

 戦の趨勢はついた。当初優勢であった三好勢は、光秀たちの奮闘により、本国寺を攻めあぐねて翌日を迎え、そこに細川隊と摂津国衆の援軍が加わり、形勢は完全に逆転した。三好勢は、敗走を重ねて、残りの兵たちも、細川隊の追撃で手痛い損害をこうむったのである。

 そして、戦の趨勢がついた翌日に、信長は単騎で雪の中を駆け、三日の行程を二日で京に到着した。着いた時に、信長の周りには、わずか十数名のお供しかいなかった。途中で凍死者が数名出るほどの過酷な行程を、なりふり構わずに駆けて来たのであった。

「三好勢の勢いは凄まじく、我らも苦心致しましたが…」
「上様は、ご無事か?」
 京に着いた信長は、家臣からの報告よりも、まずは、義昭の現状の確認を知りたがった。

「信長が来たからには、ご安心を」
「信長よ、良くぞ来た。良くぞ…」
 信長のなりふり構わぬ上洛は、将軍義昭を喜ばせた。義昭からすれば、自らの体も厭わぬ信長の姿を、忠義心の現れだと映ったであろう。

「これを普請したは誰じゃ?」
 義昭の元を辞した信長は、半壊した本国寺の修築を進める様子を見て、声をかけていた。

「それは、明智殿の采配にございまする」
 さりげなく、信長の側によって丹羽長秀が声をかけた。
「光秀をこれへ」
 それを聞いた長秀の横にいた秀吉が、瞬時に反応して、修繕の指揮を執る光秀の元へ向かった。

「光秀、御前に!」
 光秀は、信長の前に来ると地面に片膝と片手をついて、礼を取った。

「明智殿は、此度の戦で冷静沈着な指揮を執り、また自らは鉄砲で敵を仕留め、侵入した敵兵の数名を瞬時に切り捨てるなど、撃ってよし、斬ってよしの活躍だったと聞き及びまする」

 長秀の横から秀吉がしゃしゃり出て、信長が聞いてもない事を報告する。
「その時、藤吉郎は何をしておったか?」

 この信長の問いには、さすがの秀吉も言葉がなかった。丹羽長秀も秀吉も急変を聞いて、駆けつけた時には、もう戦は終わっている状態だったのだ。
「寺の修繕、誰がやれと言うた?」

 この信長の一言にそこに居た人間は、一瞬にして固まってしまった。光秀を持ち上げた秀吉も、誉められこそすれ、光秀が問われるとは、思っても見ないことだったのだ。

「拙者の独断にございまする。この寺は防備が手薄ゆえ、いつ何時、また敵が襲撃して来るやも…」

「この寺の木材を使って、御所を直せ」
 信長は、光秀の言葉が終わらぬ内に自らの要件を切り出す。言われた光秀も側にいた秀吉も長秀も、一瞬信長の意図を掴めずに困惑していた。

「聞こえなんだか?そなたに城普請を命ずる。京に己の屋敷も構えよ。そこで、指揮を取れ」
 そう言うと、信長はそこを去るべく、足早に歩を進めようとした。

「金子の用立ては?」
 非礼を承知ながら、光秀はその信長の背に問いかける。城や屋敷を建てるのに、莫大な金がかかるのは、当然の事だった。

「二千五百貫じゃ」
「はっ?」
「不服か?そなたはこれより、信長の臣でもある。心せよ」

 信長は、今度こそ、それ以上を言わずに光秀に背を向けて、去って行った。その姿を長秀と秀吉は、信長を追いつつ、平伏して頭を下げる光秀にも、視線を向けずにはいられないでいた。

 当時の信長の家臣団の中で、秀吉は二千貫であり、二千五百貫の給金と言えば、織田家の高級将校に匹敵するものであった。これにて光秀は、将軍家に仕えながら、信長にも正式に武将の一人として、取り立てられる事になったのである。
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 榎本艦隊北上せず。  それによって、戊辰戦争の流れが変わり、五稜郭の戦いは起こらず、土方歳三は戊辰戦争の戦野を生き延びることになった。  生き延びた土方歳三は、北の大地に屯田兵として赴き、明治初期を生き抜く。  また、五稜郭の戦い等で散った他の多くの男達も、史実と違えた人生を送ることになった。  そして、台湾出兵に土方歳三は赴いた後、西南戦争が勃発する。  土方歳三は屯田兵として、そして幕府歩兵隊の末裔といえる海兵隊の一員として、西南戦争に赴く。  そして、北の大地で再生された誠の旗を掲げる土方歳三の周囲には、かつての新選組の仲間、永倉新八、斎藤一、島田魁らが集い、共に戦おうとしており、他にも男達が集っていた。 (「小説家になろう」に投稿している「新選組、西南戦争へ」の加筆修正版です) 

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七瀬京
歴史・時代
宣教師に「見世物」として飼われていた私は、この国の人たちにとって珍奇な姿をして居る。 それを織田信長という男が気に入り、私は、信長の側で飼われることになった・・・。 荘厳な安土城から世界を見下ろす信長は、その傲岸な態度とは裏腹に、深い孤独を抱えた人物だった・・。 『本能寺』へ至るまでの信長の孤独を、側に仕えた『私』の視点で浮き彫りにする。

アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)

三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。 佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。 幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。 ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。 又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。 海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。 一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。 事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。 果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。 シロの鼻が真実を追い詰める! 別サイトで発表した作品のR15版です。

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