君の未来に私はいらない

南 コウ

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第二章 日常に溶け込んでいく

第十話 やってはいけないこと

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 学校帰りにコンビニに立ち寄ると、朝陽は真っ先にアイスコーナーへ向かった。じっくりとアイスを吟味した後、ソーダ味のアイスを取り出す。

「夏といえば、やっぱこれだよね!」

 俺は朝陽からアイスを受け取った後、自分用のチョコクランチのアイスを取り出して、レジで会計を済ませた。

 ちなみに、金はこの時代の俺の財布から拝借した。もともと自分のものだし問題はないはずだ。そもそも俺はお小遣い帳なんてものを付けるようなマメな性格ではないから、減ったことにすら気付かないだろう。

 コンビニの袋をぶら下げて、炎天下の中に舞い戻る。この暑さでは家に着く頃にはアイスが溶けているだろう。そう思っていたのは俺だけではなかったようで、朝陽は俺のシャツを引っ張った。

「ねえ、そこの公園でアイス食べよ。パンダの遊具がある公園、この時代にもあるよね?」

 朝陽が話題に上げた公園は、すぐにピンときた。バネでぴょんぴょん跳びはねるパンタの遊具のある公園だ。

「あの公園もこの時代にあるぞ。ついでにパンダも」

「やっぱりそうなんだね。どうりで年季が入っているわけだ!」

 朝陽は納得したように頷いた。俺が子どもの頃に遊んでいた遊具を、娘である朝陽も知っているというのは妙な感覚だ。歳の差は二十五歳もあるはずなのに、同じ時間軸で幼少期を過ごした感覚になった。

 公園にやってくると、朝陽は例のパンダに寄り掛かり、ソーダ味のアイスに齧りついた。俺も朝陽の隣でチョコクランチのアイスをかじる。チョコレートのほろ苦さとヒヤッとした冷たさが口いっぱいに広がった。

 朝陽は棒アイスを器用に食べながら、話を振ってきた。

「そういえばさ、昨日言いそびれたことがあった」

「言いそびれたこと?」

 俺が首をかしげると、朝陽は軽い調子で話を続けた。

「過去を変えるようなことはしちゃダメだよ。未来が変わっちゃうかもしれないから」

「それって、未来で得た情報を悪用して金儲けするとか、そういう話か?」

「うん、まあ、そんな感じかな。あと不用意に人を助けるのもよくないんだって。マニュアルに書いてあった」

 朝陽をタイムスリップさせた連中が危惧しているのは、未来が書き換わってしまうことだろう。たとえば、俺がこの時代で事故死するはずだった人間を救ってしまえば、本来死ぬべきはずだった人間の未来が変わってしまう。それだけでなく、周囲の人間にも影響を及ぼす可能性がある。

 ひとつの事象は小さなものだったとしても、周囲に影響すれば大きな事象になる。湖に雨粒が落ちて波紋が広がるように。

 過去を変えてはいけないのは、朝陽に指摘されるまでもなく分かっていたことだ。俺は誰にも影響を与えないように息を潜めながら、未来へと変えるその日を待つだけでいい。

 自分のすべきことなんてとっくに理解していた俺は、朝陽の忠告を軽くあしらった。

「分かってるよ。この時代にいる間は下手なことはしない」

「さっすが、話が早い!」

 朝陽にバシンと肩を叩かれた拍子にアイスを落としそうになったが、何とか持ちこたえた。



 実家に戻ると、母さんが少し遅めの昼食を用意していた。メニューは冷やし中華。朝陽は相変わらず美味しそうに麺を頬張っていた。

 腹が膨れると抗いようもない睡魔に襲われ、居間の畳でうたた寝してしまった。目を覚ました頃には、太陽が傾き始めていた。

 寝ぼけたまま自分の部屋に向かうと、畳の上でうつ伏せになって寝転ぶ朝陽がいた。手元には、A4サイズのノートがある。それが何なのかは、一瞬で理解できた。

「おい、何勝手に見てるんだよ」

「これって小説だよね?」

 慌てて奪い返したものの、中身を知られてしまった。指摘されて、一気に顔が熱くなる。

 俺は日和以外には小説を見せたことはない。もちろん、新人賞に出したときは別だが、リアルで関わる人間に見せていたのは日和だけだ。

 だからこそ他人に盗み見られたとなれば冷静ではいられない。一番デリケートな部分に土足で踏み込まれた感覚だ。

「出てけ」

 俺は朝陽の腕を掴み、立ち上がらせる。そのまま部屋の外に追いやろうとした。

「そんなに怒らないでよ! 私、パパが小説を書いていることを馬鹿になんてしないよ!」

 俺が本気で怒っていることに気付いた朝陽は、焦りを浮かべながら弁解した。しかし、そんな言葉で気が収まるはずはない。

「いいから出てけ」

 先ほどよりも強い口調で警告しながら、朝陽を部屋の外まで押し出した。そのまま、乱暴に音を立ててふすまを閉めた。

「ごめんなさい……勝手に見て」

 ふすまの向こうで朝陽が小さく謝る。先ほどまでの能天気な口調とは異なり、遠慮がちな声色だった。朝陽が反省しているのは伝わってきたが、俺は返事ができなかった。

 ふすまの向こうからは、まだ足音が聞こえない。朝陽はまだいるのだろう。俺は大袈裟に溜息をついた。

 溜息がふすま越しに聞こえたせいか、朝陽はもう一度、「ごめんなさい」と小さく謝る。それからたどたどしく言葉を続けた。

「私ね、パパが小説を書いていたことを最近知ったんだ。あ、最近っているのは、私がいた時代の最近っていう意味ね」

 俺は朝陽の言葉に耳を傾ける。こっちが返事をしないことを見越してか、朝陽は話を続けた。

「パパの部屋の押し入れからA4サイズのノートを見つけて、読んでみると全部小説だった。私、すごくびっくりしたんだよ。未来のパパは、小説なんて書いていなかったから」

 小説を書いていない。その言葉は失望という影を残した。

 そうか、十七年経っても夢を叶えられていなかったのか。それどころか、夢を追いかけることも辞めたんだな。その事実は、心に重く圧し掛かる。未来への希望を失うとは、こういうことを言うのだろう。

 だけどその兆しは感じていた。日和が亡くなってから、俺は一度も小説を書いていない。朝陽と生活するのに必死過ぎて、小説の存在すら忘れていたのだ。きっとそこから、書けなくなったのだろう。

 俺はその場にしゃがみ込み、頭を抱えた。自分が追いかけてきた夢は、その程度だったのか。その程度だったのなら、もっと早く見切りを付ければよかった。そうすれば、日和を追い詰めることだってなかったのに。

 失望と後悔に苛まれて、まともに息ができなくなる。ふすまの向こう側では、朝陽が静かに言葉を続けた。

「ごめんね、私のせいだよね」

 俺が返事をできずにいると、徐々に足音が遠ざかっていった。

 その日の晩は、俺と朝陽の間に気まずい空気が流れていた。朝陽はタイミングを見計らって声をかけようとしていたが、俺は気付かないふりをした。

 だけど布団に入る頃には、朝陽を避ける自分に嫌気が差した。娘と喧嘩をしていつまでも不貞腐れているなんて情けない。

 明日になったら全部水に流して、何もなかったかのように振舞おう。そんなことを考えながら眠りについた。
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