次期社長と訳アリ偽装恋愛

忍び寄る不穏な影

８

何とかその日の仕事を終え、家に帰るとソファに倒れ込んだ。
今は何もやる気なんて起きない。
立花さんにどうやって別れを告げたらいいのか、目を閉じてボンヤリと考えていた。

どれぐらい時間が経ったのだろう。
ピンポーンとインターホンが鳴っているのに気づく。
帰ってきた時と違い、すっかり日が落ちて部屋の中は真っ暗だ。
立ち上がって電気をつけてからモニターを見ると、そこには立花さんの姿があった。

どうして？
今日は会いたくなかったのにという、いつもとは違う負の感情が押し寄せる。
居留守を使ってしまおうか、なんて考えたけど社長の『出来れば早めに別れて欲しい』という言葉が頭を過る。
私はなにひとつ心の準備も出来ないまま鍵を開けた。

「梨音ちゃん、どうしたの？電話にも出ないから心配したよ」
「……っ、心配かけてすみません。スマホをバッグに入れっぱなしだったから着信に気がつきませんでした」 
「何もないならいいんだ」

立花さんは私を抱き寄せる。
この腕の温もりから離れたくない。
だけど、立花さんには縁談の話があるから手放さないといけない。

私のことを大切に想ってくれている人に別れを告げないといけないなんて辛すぎる。
胸が苦しくて息が詰まる。
でも、遅かれ早かれ私と立花さんは別れないといけないなら今しかないんだ。
私から別れを切り出さなきゃと気持ちを奮い立たせる。

「あの、今忙しくされているのは海外支店の件に携わっているから……ですか？」
「どうしてそれを？」

今は営業部だけど、先日、立花さんは海外に行っていた。
海外支店をと社長が言っていたし、何かしら関係があるんじゃないかと思ったんだ。

「……社長から聞きました」
「社長って親父から？」

私が黙って頷くと、立花さんは顔を歪める。

「親父から他に何か言われた？」

私はそれには答えることなく視線を逸らした。

「親父が何を言ったのか分からないけど、梨音ちゃんが心配することはない」

安心させるように言ってくれたけど、立花さんの縁談の話を聞かされてこのまま何も知らない振りは出来ない。
『未練なんて一切残らないよう、キッパリと別れを告げてくれ』という社長の言葉を思い出し、私は重い口を開く。

「立花さんに縁談の話があることを聞きました」
「……っ、それは親父が勝手に決めたことで俺は納得していない」
「でも、その話はあるんですよね？」

立花さんは押し黙る。
それは肯定してることと同じだ。
だけど、私は立花さんを責めるつもりは一切ない。
きっと立花さんは優しいから私のことを考えて今まで言い出せなかったんだと思う。
私が身を引けば全て丸く収まるんだ。

次の言葉を口にしたら取り返しがつかないことになることは分かっている。
だけど、言わないと駄目なんだと自分に言い聞かせた。