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第5話 八つ当たり

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 翌日。千流が鞄を両手で提げて通学していると、近くで鳴ったクラクションの音にふと瞳を動かす。
 白い車が、自分が通る道に沿って停められていた。特に車に特別な興味を持っていない者にとっては普通の家庭が使用するような普通の車だが、千流はそれを見て、その中にいる運転手と目が合うと、身体を緊張で固くした。


 日常でも家の事でも、その男は千流にとってあまり会いたくない人物だった。
 それでも事情が事情なだけに無視できず、千流は動揺を顔に出さず車に近付いていく。

 開かれた助手席の窓から覗けば、灰色のスーツをきこなした男が無表情に近い顔で声をかけてきた。


「おはよう」
「……おはようございます。善光よしみつ様」


 拒絶の感情を悟られないように、なるべく丁寧な対応を心掛けた。
 彼は後神ごかみ善光――彼も自分と同じ、古くから伝わる退魔師の家の長男で、今は千流の婚約者だ。


「送ってやる」
「……お仕事は、大丈夫なんですか?」
「たまたま見かけたから。ついでにな」
「ありがとうございます」


 本当は乗りたくはないが、立場上仕方ないので招かれるまま車の助手席に乗った。昔の風習にとらわれたままの退魔師家系はずっと閉鎖された男尊女卑社会のままだ。


「……最近はどうだ?」
「……特に、変わりはありません」
「そうか」
「……善光様は」
「変わりない」


 沈黙を挟み、ポツポツとしたぎこちない会話のやり取り。信号が朱になる度、その隙にこの場から逃げ出せないだろうかと窓の外の景色を見て思う。
 運転していてこちらを見ない善光に、それでも千流が自分の立場を考えて作り笑いを浮かべ話をしている間でも彼は少しも笑わない。
 名家の長男長男と囃し立てられ大事にされ、なによりも家の名誉を優先する人間。



(千幸姉さんとの婚約を破棄させられたときも、きっとこの人はこんな感じ。……身体の関係があったって)



 千幸は幼い頃から定められた相手である善光のことを慕っていた。たとえそれが、親が勝手に決めた運命の相手であろうとも。
 だが、男などそういうものかもしれない。身体を開く女の覚悟など知らず、過去の女を忘れられる――


「……千幸は、どうしてる」


 姉のことを想っていた時に丁度よく姉の名前が彼から出てきたことで千流はどきりとした。


「え……?」
「大学で」
「……大学、ではよくわかりません。私は高校生なので。家では元気にしています」
「そうか」


 それきり、なにも話さなくなった善光。

 姉を気にかけているような初めての言葉に少し戸惑った千流だったが


「正当な退魔師の家系はどんどん潰えている。千広の教育に力を入れてもらわないとな」
「……」


 制服のスカートの上に乗った千流の拳に、力が入った。



(……心配なのは姉さんじゃなくて、家の未来――ね)



 叫びだしたい衝動を、必死に抑えた。










 南実先(みなみさき)高等学校に、ブレザーを着た生徒たちが次々門を通って登校する。

 校内では空手部の朝練習を終えたばかりのガートルード・ランフランクが三年A組の教室に入ろうとしたとき、登校してきたブロンドのクラスメートに呼び止められ足を止めた。


「あれ。ブレザーは」
「あー……。……チンピラにやられた」
「えっ」
「俺は手出してねーけど。ブレザーは派手にざっくりいったな」
「ざっくりって?」
「だから。ポン刀みたいなやつで、ざっくり」
「? ポントー?」
「日本刀。ジャパニーズカタナ。サムライソード」
「……それは、警察に行かないとだめなんじゃ」


 自分の身を心配しているブロンドの友人の背後。強い殺気を感じたランフランクは微妙に瞳を動かし、そして心底うんざりした面になる。


「おい。そろそろ教室入ろうぜ」
「え……? ああ、そうだね」


 何故か一年なのに三年の廊下を歩き、しかも不機嫌丸出しにこちらに向かって早足で迫ってくる昨夜のチンピラから、ランフランクは上手く友人を誘導し逃げる。


「待ちなさいよ淫魔! ツラ貸しなさいよ!!」
「?」
「おい、振り返んな! あいつやべーぞヤクザレベル」
「こら! あ――!! そこの金髪白人!! あんたも人間じゃないでしょ!! あんたも淫魔ってわけ!?」


 千流の言葉が言い終わらないうちにピシャリとランフランクが教室の扉を閉める。
 彼女の扉越しからの科白に、「な?」と言わんばかりに見てきたインキュバスに、ブロンドの少年は察した顔になった。
















 放課後、千流の家――阿山狩家の稽古場。

 相手のいない一人稽古。弟の千広は未だに学校から帰ってこないため、千流の苛立ちをぶつける先は虚のみ。


 自分でもわかるほど多少雑に竹刀を振り、それでも自分の中のフラストレーションを解消できればそれでいいと思い始めた稽古だというのに、視線を感じてふと見やれば、いつの間にか祖母がそこにいた。



「……千流。なんて竹刀の振り方です」
「……すみません」

 

 本当なら、うるさいと喚き立てたかったが咄嗟に一度喉の中を締めて怒りを噛み殺し、言葉だけで謝る。


「心を研ぎ澄ませなさい。無心を忘れず」
「……はい」
「でなければ人でない者たちに足元をすくわれますよ」
「はい」


 無心。無心。無心。無心。昔から何度もいい聞かせられたその二文字。
 祖母は無心にこだわりすぎて、人の心を失くしてしまったのではないかと千流は時々思うことがある。

 父もそう。あの、今の千流の婚約者もそう。表情も心もまるで氷のように。



「……千流」



 その時、凛とした涼やかな声が自分と祖母の間に割って入る。千流の昂った苛々が声に出そうになる寸前、それはある意味で助けの声だった。



「貴方のスマホが鳴っていたわ。部屋に置きっぱなしにしてないで。任務の知らせかもしれないから早く確認して」
「……」



 千流は竹刀を片付け、扉の外へと姿を消した姉の後を追いかけるように稽古場を後にする。

 稽古場から自分の部屋に向かおうとした千流だったが、廊下の角の影にひそむ人影にふと気配で気付き、足を止めてその主を確認する。



「……どうしたの、千幸姉さん」
「ふふ」



 千幸は唇に人差し指を当てて、いたずらっぽく千流に微笑んだ。



「このまま、外に」
「え?」
「息抜きよ、息抜き。お婆様に内緒で。コンビニのイートインで何か食べましょ」
「え? えぇー?」



 戸惑いながらも姉の手に引かれるままになる千流、



「あっ、でもスマホ――」
「嘘よ、嘘。着信なんて来てないって。私、気になってるスイーツがあるの!」



 姉妹は物音に気を付けながら、逃げるように靴を履いた。









 
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