楽園 空中庭園編

木野恵

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コロッセオ

イフリート

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 アトランティスからコロッセオへ飛んでいる間、穏やかな追い風に恵まれていた。

「ウンディーネ、重たくない?」

 抱えてもらって飛ぶのは二度目。

 一度目は失意の中でノームに、今回はコロッセオへ向かいながらウンディーネに抱えてもらって。

 一度目は心に余裕がなくて気が回らなかったが、今回はちゃんと気にかける余裕があった。

「平気だよ! ヒロくんって風の加護受けてるのかな? なんだか軽いね?」

 ウンディーネがニコニコしながら問いかけてきた。

 風の加護……モモたち風の妖精からもらった祝福のことかな?

「風の妖精たちから祝福された覚えはあるよ」

「え? 妖精の祝福レベルじゃない気がするんだけどなー」

 ノームがこちらをじっと見ている。

 もしかして何か見えるのかな?

「うーん……どの妖精かが目的のものに与えたマナの加護を君に与え直したように見えるよ。妖精たちが目的のものに与えるマナは精霊からの加護同然だからね」

 モモのことが頭に浮かんだ。

 気球にマナを与えて消えたように見えていたけれど、もしかしたらあのあとしばらく意識があって、気球から僕の方へマナをくれたんだろうか。

 実際のところはわからないが、モモ以外にそんなことをしてくれそうな妖精が頭に浮かばないのだった。

「君はこの世界では恵まれているね。あっちではかなり不運だったから今こちらに迷い込んでるんだろうけどさ。このままこっちにいてもいいんじゃないかな? 妖精がここまでしてくれるなんてめったにないことだよ? 元の世界に戻らないでシルフの元へ妖精を探しに行ってもいいんじゃないかな?」

 気持ちがぐらぐら揺れてくるのを感じるが、辛くても、苦しい思いをするとしても、真の元へ行きたい気持ちに変わりなかった。

 もちろん、帰る前にモモにも会っていきたい。

 ユグドラシルを登る目的が一つ増えただけ。

「すごく魅力的な提案だけど、僕はやっぱり帰らないといけない。ううん、帰りたいかな。やらないといけないことがあるのもそうだけど、真くんに会いたいんだ。もちろん、心当たりのある妖精にも会いにいきたい。会ってお礼を言っていっぱい話してからあっちに帰ることにしようと思う」

 ノームは真剣なまなざしで見つめていたけれど、ニッと笑ったかと思えばいつものように明るく話してくれた。

「覚悟決まってるじゃん。うまくいくといいね! シルフの加護があれば登るのだいぶ楽になるんじゃないかなー? 過信は良くないけどさ。風のマナ、大事にとっときなよ。むやみに祈っちゃだめだからね?」

 ノームからの忠告を深く胸に刻み込む。

 腕力の乏しい僕にとって大事な切り札なんだ。

 もし本当にモモが僕へ加護をくれたのであれば、無駄にしてはいけない。ちゃんと登るためだけにとっておかないと。

「コロッセオが見えてきたよー!」

 ウンディーネの言葉で地上へと目を向けると、確かに、あっちの世界にもあるような石の建造物がでかでかとそびえたっていた。

「あれね、カルデラを改造して作ったらしいよ。真ん中が闘技場とか露店、ステージ、いろんな用途のある広場で、周りの壁が居住地兼職場になってるらしい。どっかに温泉あるらしいんだけどどこだろうね?」

 ノームからの説明を聞いていると、降り立つ前から楽しみになってきた。

 イフリートを早く解放したいという気持ちがある反面、この領地を知りたい気持ちも湧き上がってくる。

「じゃーど真ん中に降りちゃおうか!」

 それはちょっとまずいんじゃないかな? とウンディーネに抗議するまでもなく、急降下していってしまった。

「ダメだよウンディーネ! ここはアトランティスと事情が違うんだからー!」

 ノームの叫びも虚しく、僕らはコロッセオのど真ん中へと降り立った。



 ロープでぐるぐる巻きにされた状態で周りをケモ耳や尻尾の生えた人たちに囲まれながら深くため息をついた。

 ちゃんと止められなかったことを酷く後悔していると、ウンディーネがわあっと泣き叫びはじめた。

「イフリートー! 会いにきたのになんて仕打ちするのー!」

 周りを取り囲んでいる人々は怪訝そうな顔でウンディーネを見つめている。

「イフリート様のご意思とは無関係です。水の精霊がこんな体たらくとは……アトランティスは平和ボケしすぎなのでは……。まあ良い、精霊二体手に入れられて好都合だ」

 柴犬っぽい耳とカラスの尾羽が生えた男の人が胸の前で腕組みをしながら仁王立ちしている。

 凛々しい顔つきに黒い髪の毛、柴犬っぽい耳はきつね色をしている。

「私のことを悪く言ってもアトランティスのみんなのことを悪く言うのは許さないぞ!」

「ええ、もちろんです。精霊だけで領民のあり方を悪く言うのは間違いですからね。このポンコツ精霊めが!」

「ひどーい!」

 シリアスな展開だと思っていたのにコントのようなやり取りが繰り広げられ、思わず吹き出して笑ってしまった。

「くっ。プハハハ!」

 腕組みしている人と涙目になっているウンディーネがこちらを向いた。

「ヒロくんひっどーい!」

「お前は笑い所がわかるやつのようだ」

 ウンディーネは涙をぽろぽろとこぼしているが、腕組みをしている人は大笑いだ。

 ウンディーネの肩を持つべきだとわかってはいるけれど……。

「だってねえ、ウンディーネが悪いんだもんね。このお花畑がー! 頭お花畑はドライアドの特権だと思ってたけどウンディーネも大概だね」

 ノームが急にウンディーネを罵倒しだしてどぎまぎしてしまった。

 事実でも泣いている子相手にそんな……。

「ノームのばかあ!」

 ウンディーネはもっと泣いてしまった。

 泣き顔を見ていると、申し訳ないと思いつつ水の精霊らしさを強く感じてしまった。

「いや、バカはお前だろ」

 組んでいた腕をほどいてやれやれといったようなしぐさをしながら柴耳の人があきれながら突っ込みをいれている。

「ほんと、同情するよ。こんなぽんこつに抱きかかえられて領地のど真ん中に降りた気分はどんなもんだ?」

 こちらをまっすぐ見つめて問いかけられたので緊張しながらゆっくり考えて口を開いてみる。

「どうなるかと思ったけれど、拘束されただけですぐ殺されないだけじゃなく、こうして会話ができると思いませんでした」

 柴耳の彼は顎に手を当て、少し考えながら相も変わらずこちらを見つめていたかと思えば、フッと口角を上げて微笑んだ。

「お前、なかなか面白そうな男だな。さすがに捕まえてすぐ処刑なんて野蛮なことはしないぞ。だが……そうだなあ、お前らのためにもそこのポンコツ精霊だけは折檻しとくべきか?」

「ひどいよー!」

 柴耳の人は僕たちから取り上げたショベルの持ち手部分をウンディーネの頬にぐりぐり押し付け始めた。

 ウンディーネが痛がっていないことから、そんなに強く押し付けていないようだ。

 むぐぐと言いながらされるがままのウンディーネは泣き止んでいたけれど、少し不服そうだ。

「じゃあ、わかりやすくポンコツ精霊サマがなにをしたか教えて差し上げましょう。侵略行為と思われても仕方のないことをなさったんですよ? 他領地の精霊がコロッセオのど真ん中にいきなり舞い降りて警戒されない、捕まらないと思ってらっしゃったのですか? 他二人は解放しましょう。縄を解いてやってくれ」

 柴耳の人が指示を出すと、後ろから猫耳と猫尻尾の生えた三毛柄と白毛の女性二人が縄を解きに来てくれた。

「あの、お名前を教えていただけませんか?」

「俺か? 俺はクロウ=ウルフだ。コロッセオの領主をやっている。空中庭園と同じでコロッセオの領民も自分の特徴が名前になってるんだぞ」

 柴犬の耳だと思っていたけれど、狼の耳だったのか。尾羽はカラスのものであっていたらしい。

「お前の名前は?」

「僕は悠木裕樹です。生い茂った木々のように豊かな心になれるようにという願いを込めています」

 アトランティス式の自己紹介をしてみると、クロウは口の端を上げて笑った。

「良い自己紹介だ。俺もそういう風に名乗ってみたいもんだが……名前が浮かばないんだよな。それはさておき、ミケ、シロ、この二人を案内してやれ」

 縄を解いてくれた猫の女性二人がお辞儀をしてくれた。

 なるほど、三毛猫と白毛の特徴があるからそのままの名前なんだ。

「ショベル返して、イフリートのとこへ連れてってよ。面白いもの見せてあげるよ?」

 クロウとミケ、シロに対してノームがお願い事をし始めているのに対し、クロウが返事をした。

「構わんが……ウンディーネの折檻とイフリートの元へ同行するの、どちらを優先すべきか悩ましいな。ああ、良い考えがあるぞ」

 クロウはウンディーネに追加で縄を巻き始めた。

 新しい縄の先にあるのはタイヤだろうか。

「コロッセオ10周したら許します」

「ひぎゃあ」

 クロウは満足そうな顔をしながらこちらへ歩いてきた。

 後ろの方ではウンディーネが一生懸命タイヤを引きずりながらコロッセオの壁へと走って行っている。

「三人でイフリート様のところへ客人を案内するぞ」



 案内をしてもらいながらウンディーネのことを案じていると、ノームが顔を覗き込んできた。

「大丈夫だよ。精霊だから死なないよ。へたれてるかもしれないけど」

「そ、そう? でも、悪気はなかったのにそこまでするの?」

「私はとめたもの。聞いてくれなかったからウンディーネが悪い」

 本当にそうかなと思いつつ、止めようともしてなかった僕も悪いのではないかと聞こうとしたそのときだ。

「ついたぞ。イフリート様のおられる場所だ」

 探すまで大変だと思っていたからあっさり会えることに拍子抜けしてしまった。

 精霊ってこんなに会うのが簡単だったのか。

 空中庭園ではかなり厳しそうな印象を受けていただけに、アトランティス、コロッセオと気楽に精霊と会える領地が続いて印象が180度変わりそうになっていると……。

「おーい、イフリート! 手合わせじゃねえけど会いに来たぞ。出てきてくれー」

 今まで精霊たちは様をつけて敬語で話しかけられていることが多かっただけに、目を丸くしながら見てしまった。

 そういえば、折檻のためだと思っていたけれど、ウンディーネに対してもところどころ敬語じゃなかったな。

 クロウが呼びかけてすぐ、白い翼と白い輪、鉄紺色の短くてぼさぼさな髪の毛をした天使のような青年が現れた。

 火だから赤色の髪かと思っていたけれど鉄紺色なんだ。

 少しだるそうにしながら髪を片手でぐしゃぐしゃとしている。

「お前なあ、いっつもいっつも手合わせ手合わせうるさいかと思えば……今日はどうしたんだ?」

 ぼうっとした目でこちらを見たかと思えば、ノームを見た瞬間カッと見開いたので体をびくつかせてしまった。

「ノーム!? え?! 空中庭園のやつらがお前を解放したってのか? 嘘だろ? コロッセオのやつらですらまだ説得しきれてないんだぞ?」

 イフリートの慌てる様子を見てクロウが大笑いした。

「はっはっは! 確かにこれは面白いもんだ! 精霊ノーム様。あなたの話に耳を傾けて本当に良かった! いっつも眠たそうにしてるこいつが目を見開いてるなんて、初めて決闘で負かせた時以来だ!」

 腹を抱えて大笑いし始めたクロウの横腹にイフリートが軽く拳をぶつけた。

「うるせえよ! いつになったら領民全員を説得してくれんだよ! ノームに先を越されちまうなんてよー……やっぱ自分でなんとかするしかねえのかなー」

「でも、ご自慢の青い炎じゃ焼き切れないんだろ? なんとか説得しきってみせるからさ……自由になったら一緒に旅しながら決闘しまくって美味い飯もたくさん食おうぜ」

 友達同士なのか。

 だから精霊と距離感が近いように思えたんだ。

 見ていて心が温まってくる。人の友情を見られるのってなんだか良いな。

 ここでもどういうわけか笹倉のことが頭に浮かんだ。

 宮本と笹倉の二人も、こういう風に笑い合える日がきたらいいのにな。

 他人の交友関係に口出ししたり勝手な思いをぶつけるのは余計なお世話に違いないだろうし、自分でも勝手すぎると思ったけれど、そんなことを思ってしまうくらい見ていて良いものだった。

 仲良し二人に癒されていると、ノームがイフリートの背後にこっそりと回り込んでいるのが見えた。

 まさか……!

「てい!」

 ショベルを大きく振りかぶり、鎖へと打ち付けたが壊れなかったようだ。

 突然の出来事にイフリートとクロウは背中をびくつかせて振り返っている。

「なにしてんだノーム」

「もしかして面白いものってイフリートのリアクション以外になんかあったのか?」

 驚きと仄かな怒りを滲ませたイフリートに対して、クロウはノームのすることに興味津々といった様子だ。

「だめだー。私のショベルと腕力じゃだめだー。こんなときショベルの英雄がいてくれたらなー」

 ノームがこちらをちらちら見ながら、ショベルを鎖にガンガンとやっている。

 やれやれ……。壊せる保証なんてないのに。あのときノームの鎖を壊せたのだって、ただの偶然だったかもしれないのに。

 顔がだんだん赤くなってくるのを感じながら、ショベルを片手に鎖のある方へ歩み寄るのを全員が見ていて余計恥ずかしくなった。

 腰にしまっているあの枝もほんのりと熱くなっているような気がするけれど、きっと照れくさくて体温が上がっているだけだ。

 重たい鉄のショベルを振りかぶり、鎖へと打ち付けると一撃で壊すことができた。空中庭園ではたくさん打ち付けなければならなかったのに。新品だから切れ味がよかったのかな?

「はあ?!」

 イフリートは素っ頓狂な声をあげ、口をあんぐりとあけたまま言葉を失ってしまったようだ。

 クロウは目を見開いて鎖とショベルと僕の顔をそれぞれ順番に繰り返し見つめるだけで言葉を発していない。

 ずっと黙っていたミケとシロは短い歓声を上げて以降口元を抑えて黙ったまま僕を見つめている。

 非常に気まずい!

 自分でも驚きを隠せなかったけれど、周りの人間はそれ以上に驚いていた。ノームを除いて。

「ほらね! 面白いでしょ! 私の、いや、私たちのヒーロー! ヒロくんだよ!」

「お前大人しそうな顔してやるじゃねえか! お前の名前にヒーローって意味も加えたらいいんじゃねえか?!」

 クロウとノームは大はしゃぎだ。

 クロウはよっぽど嬉しかったのか、イフリートに抱きついて肩まで組んでいる。

 ミケとシロは拍手喝采でこちらを見ていて余計に照れくさい。

 そんな中、イフリートは顔を真っ赤にしながら浮かない顔をしていて少しだけ嫌な予感がした。

「……いけ」

「ん? どうした? イフリート?」

 クロウが心配そうにイフリートに尋ねていて嫌な予感が的中したことを悟った。

「出てってくれ! 一人にしてくれ! こんな屈辱……クロウに負けて以来だ! ほっといてくれー!」

 イフリートは顔を真っ赤にして喚き散らしたかと思えば翼を広げてどこかで飛んで行ってしまった。

 その様子を見てノームはゲラゲラ笑っている。

「イフリートったら相変わらずだなあ! プライド高くって屈辱的な目に遭ったらすぐ怒って一人になりたがっちゃってさ!」

「あーわかる。初めてあいつに勝った時もそういやこんなんだった。相変わらずだなあまったく」

 クロウもノームと一緒になって笑ってしまっている。

「追いかけなくていいの?」

 もしかして、悪いことしたと思ってるのは僕だけなのかな?

「あー……いいんだいいんだ。いっつもああだ。頭が冷えたら勝手に戻ってくるから」

「そういうとこも相変わらずなんだ」

 ノームとクロウが共通の知人イフリートを介して仲良さそうにしているのも見ていて心が和んで良いと思えた。

 僕は案外好きなものが多いんだな。

 新しい発見に心が温まっていると、イフリートがふらふらと戻ってきた。

 先ほどのような怒った顔ではなく、初対面の時の眠たそうな顔つきだ。

「戻ってきたか。ねぼすけ眼の癇癪持ちが」

 クロウがあったかい笑顔で迎えると、イフリートは項垂れた状態で口を開いた。

「俺もノームもさ、千と数百年ずっと縛られてたんだぞ。俺なんか、武闘派だと思ってたのにさ……こんな大人しそうな顔したもやしに簡単に鎖を絶ち切られてさー……。俺が今までどんだけ鎖を燃やして壊そうとしたと思う? 決闘で負けた以上に悔しくて虚しくて、一体今まで何してたんだって……」

 深いため息をついているイフリートをクロウは優しく抱きしめていた。

「俺だって似たような気持ちだったぜ。領民の説得、なんのためにやってたんだろうなあ……」

 二人は抱き合うと少しだけ嬉しそうにしながらすすり泣いていた。

「そっとしとこっか」

 ノームはからかうでもなく、ミケとシロと僕にウィンクしながら提案し始めたので感心させられた。

「それならいい場所が」

「温泉なんていかがでしょう」

 ミケとシロの提案にノームと大喜びで頷いた。

 クロウとイフリートのすすり泣きを背に、ミケとシロの後を僕らはついて行った。
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