楽園 空中庭園編

木野恵

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機会と離別

僕の名前は

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笹倉大熊猫ささくらぱんだくん。変わった名前だねえ」

 すべてはあの日から始まった。

 担任が読み上げた名前にクラスのみんなが目を丸くし、クスクス笑い始める。

 呼ばれた本人は顔を真っ赤にしながら拳を握りしめ打ち震えていた。キッと担任を睨みつけ、睨まれた先生の顔から表情が消えた。その先生の様子をみてクラスのみんなは静まり返り、パンダと呼ばれた生徒のほうをチラチラ見て様子をうかがい始めた。

 笑いを止めなければ……。

 わかっていたのだが、笑い上戸な僕には歯止めが効かず、クスクス笑いっぱなしでいてしまった。

 今思い返すと、本当に悪いことをしたって思っている。いじめられても仕方なかったんじゃないかとも思う。

「おいお前、名前はなんていうんだ」

 笹倉くんが僕の方を向き、怒りに満ちた表情でそう聞いてきたとき、ようやく笑いが止まってくれるとともに、僕の気持ちを恐怖が覆い尽くしていくのを感じた。恐怖によって笑いが止まったという方が正しいのかもしれない。

「名前はなんていうんだよ、お前。人の名前聞いてクスクス笑ってたけどさ」

 縮み上がり笹倉を見つめていると再度尋ねられた。別に、笑っていたのは僕だけではないのだが、ずっとクスクス笑っていたのだから目を付けられるのは当然だ。

悠木裕樹ゆうきひろきです……」

 あまりの圧力に同級生にも関わらず敬語になってしまった。

「漢字は? 書いてみろ。前の黒板にだ」

 威圧的な態度を崩さぬまま、少し口元に笑みを浮かべ、そう命じてきた。

 担任はどうしたものかと慌てていたが、責められる対象が僕に定まりほっとしたのか、少し厳しい目線で僕をみてきていた。言われたとおりに早く書けと言わんばかりにだ。

 みんなの視線を背中に感じながら、黒板に悠木裕樹と書いた。

 何がおかしかったのだろう、笹倉は突然クスクス笑い始め、だんだん盛大に笑い始めたのだ。周りもそれにあわせて笑い始めていた。

 僕は訳が分からないまま、黒板の前で立ちすくんでいた。

「お前、その漢字ゆうきゆうきとも読めるよな。どうせなら苗字も名前も一緒にしてゆうきでいいんじゃねえのか?」

 確かに、僕の名前はゆうきって読める。でもそんなよくわからない言いがかりに納得いくはずがなかった。

 周りのみんなや担任は、なるほど、だから笑みを浮かべていたのかと、納得したような顔をし、ここで文句を言おうものなら、自分も無理やりな『いちゃもん』をつけられ標的にされてしまいかねないといった感じで誰も反論する人はいなかった。

 僕はどうしたらいいのかわからず、とりあえずいつものように笑って誤魔化そうと思い、ぎこちない笑みを浮かべてみた。すると笹倉から表情が消え、みるみるうちに怒りに染まっていくのがわかった。

「何笑ってんだよ、ドMかお前」

 するとクラスのみんなも奇妙なものでも見るような目で僕を見始め、担任も信じられないといった表情になった。

 僕はますますどうしたらいいのかわからず、俯き、頭が真っ白になっていった。

 担任の先生は様子を見かねたのか、この嫌な流れを終わりにしてくれたように感じた。

「今日は始業式だし、解散しましょう!」

 僕は少し安心しつつ、自分の席にもどろうとしたが、戻る途中女子がヒソヒソ話しているのが聞こえ、笹倉がずっと僕を睨んでいるのも感じていた。

 楽しいはずの高校生活が、キラキラネームを笑ってしまったがために崩れ去ろうとしていた。



 次の日、昨日の今日なので暗い気持ちのまま高校に着いた。

 まだ笹倉は来ていないらしく、少し胸を撫で下ろしたが安心するにはまだ早かった。問題は笹倉が来た後なのだから。

 荷物を整頓し、席で落ち着くために本を読んでいると、クラスメイトが声をかけてきた。

「あの、ゆうきくん。お願いがあるんだけど……」

 僕は目をしばたたかせ、首を傾げた。

 僕に何の用だろうか。

「実は僕、今日、日直なんだけど、代わりにやってくれないかな? 暇みたいだし」

 そういいながら僕が手にしていた本に視線をやり、また僕をみてきた。

 どういう意味だろうか。

 かたまっている僕に対し、頼んだよ! といって走り去っていってしまった。

 僕は別に暇じゃないし、本を読んでいたかったんだけどな……。

 仕方なく、まずは黒板消しから掃除をし、黒板は雑巾で綺麗にした。他に何かすることがあったかなって考えていると一限目が始まる時間になりそうだったので席に着き、本を読んで残り僅かな時間を潰した。

 一限目の先生が教室に入り、感嘆の声をあげているのをみて僕はなんだか嬉しくなった。

「今日の日直は素晴らしい! 黒板も黒板消しもこんなに綺麗にして……。君たちの高校生活第一日目から清々しいね!」

 しかし、賞賛は僕へ向けられたものではなく、日直に向けられたものだった。

 でも僕は目立とうとしてやったわけじゃないし、喜んで欲しかっただけなので心の中でにんまりと笑っていた。

 そのはずなのだが、僕に頼みごとをしてきた日直は否定せずに元気よく返事をしているのを聞いて、少しモヤモヤしてしまうのを感じた。

 別に僕は褒められたくてしたわけじゃないのに、どうしてモヤモヤしてしまうのだろう……。



 複雑な表情をしている悠木を笹倉が見てニヤニヤしていたのを知っているのはおそらく誰もいなかっただろう。

 苦しめ、どんどん苦しめ、お前も俺と同じ苦しみを味わえ。普通の名前を親につけてもらえたお前たちが憎い。俺にこんな名前をつけた親が憎い、憎い憎い憎い憎い。

 来る日も来る日も、日直になる生徒から仕事を頼まれてしまうようになった。

 頼んでこない人もいたが、次回その人が日直になった時は頼まれるようになってしまった。

 僕はゆっくり本を読みたいのに、そんな時間もくれないまま日直の仕事に明け暮れ、慣れてきたのか手際も質もよくなってくるのを感じ、本を読む余裕もできるようになった。

 それを見ているのがつまらなかったのか、笹倉が少し意地悪をしてくるようになった。黒板消しを隠して探させたり、チョークの粉を受ける淵に虫の死骸を置いてきたり、授業の様子をまとめるノートを隠すようになった。

 その度に僕は必死になって探し、虫の死骸を嫌々処理し、なんとかいつもみたいに仕事をこなせるように頑張ったが、本を読む時間はほとんどなくなってしまった。



 少しずつ元気がなくなり、いつも不安そうな表情をしている悠木をみて笹倉は心がすっとなるのを感じたが少し物足りなく、モヤモヤした何かを感じていた。

 もっともっと苦しめてやりたい。もっと絶望の淵に叩き落としてやりたい。
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