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現
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大学生活が始まるまでの間、ネトゲの友達に教えてもらった番組を楽しみながら教習所へ通い、ネトゲのフレンドと通話しながら相談もして何とか楽しみを見つけながら過ごしていた。
高校の同級生がたくさん教習所へきていて、学校とあんまり変わらない居心地の悪さの中で過ごした。
教習所にいるメンツがメンツだからなのか、高校での思い出を思い返すことが多かった。
修学旅行へ出かける朝のバスに乗る前、家で寝転んでいると手の甲の上をムカデが這ったことがあったり、墓参りにいって帰ったときに弟の足にヒルがついていたこともあったっけ。他にも、弟がムカデにかまれたり……。
弟にヒルがついたときには本で得た知識が役に立った。
死体を見に行くお話の中で、ヒルがあらぬところについてしまう話がでてくる。
そこにヒルがついてしまったときの対処法が書かれていたが、残念ながら作中の登場人物たちは火を起こす道具を持っておらず、ヒルをなくなく潰すというものだった。
墓参りでライターが手元にあったおかげで、書かれていた対処法を実際に試すことができた。
本で得た知識を母に説明すると、弟の足ごとあぶっていて目が飛び出そうになった。
炙られた弟は熱いと叫んでいる。
昔から母は傷口を思いっきりこするようにして薬を塗ることがあるような人だったから、そういうちょっとずつが苦手なようだった。
私が母に文句を言っていると、じゃあお前が代わりにやれと言われ、代わりにやることになった。
ライターを遠くから少しずつヒルに近づけ、弟に熱くないか聞きながら炙るとうまくいった。
ヒルは体を真ん丸にして縮こまり地面に落ちた。
本ってすごいと心から感動した実体験だった。
夢現で経験したお姫様抱っこに影響されて、腕を鍛え、よく話しかけてくるクラスメートをお姫様だっこしたこともあったっけな。
お姫様抱っこする側になるぞと意気込んでいたのは夢がきっかけだった。される側ではなくする側なのは、自分でも説明できないけれどなんとなく。
そのうち、いろいろなことを頑張っていると何を目指してるのかと言われるようになった。
何を目指しているかなんて、今まで考えたことがなかった。
ただひたすら楽しいから、夢中になれるから、やりたくてたまらないから……夢に触発されてやってみたいと思ったから……それ以外に何かいるのだろうか? という疑問と、普通の人って何か目指してないと何もやらないのかな? と考えるきっかけになってしまった。
先輩が亡くなってからは、いろいろな後悔をした。
先輩の前で悔しくて泣いてなかったなら、守るなんて約束されなかったんじゃないか、約束をちゃんと覚えていられて落ち着きがあったなら、先輩は死ななかったんじゃないか。それはもういろいろな後悔だ。
後悔する傍ら、正直なところ先輩に連絡を取ったことでこの一件に巻き込まれたことを恨んでいた。
先輩の友達なら、先輩が無茶してしまうとか思わなかったのだろうか……先輩がどういう人か知ってる人はもしかするといなかったんじゃないか?
恨みそうになりながら考えたことで気づけることがいろいろあった。
先輩はヘルメットをちゃんとつけて自転車通学をしているし、礼儀正しい生徒だった。
不良なんかじゃなく、ちゃんとルールを守る人だった。
私がいじめられているのを黙って見てないで拳を握って怒ってくれるくらい正義感が強い人だった。
でも、通っている高校がちゃんとしていないとか、不良が多いとかいう理由だけで同じような目で見られるのを気に病んでいたようだった。
駅からの帰り道で先輩と顔を合わせることがあり、話をしたときに聞いた内容から思ったこと、感じたことだった。
ちゃんとやってるのに、あそこの高校の子だからってだけでいろいろ言われると言っていたのを思い返し、いろいろなことを考えた。
先輩はきっと、見てほしかったんだ。ひとまとめにされるのでもなく、比べられるのでもなく、ちゃんと自分を見て認めてもらいたかったんだ、きっと。
弟ばかり褒められるとか、いつも比べられるし弟の方がミスが少なくて点数も良いし、全体的に成績が良いとか、劣等感を素直に話していると、先輩も比べられたり兄ばかり大事にされてるようなことを寂しそうに話していたっけ。
私もちゃんと見てほしかった。見て接してちゃんと知ってもらいたかった。比べられるんじゃなく、まっすぐ見て評価されたかった。
多分、一緒だったんだ。今更気づいても遅いけれど……。
酷い後悔の気持ちとともに、悲しくて苦しい胸の痛みに見舞われた。
そのうち、先輩のことばかりを考えるようになっていき、先輩が死んでしまったのは約束を守れなかったから、目の前で泣いてしまったから、全部自分のせいだという気持ちだけが一人歩きしていった。
そうでも思い込ませないと殺しに行ってしまいそうなくらい憎かったからでもある。
先輩が見てくれてたらいいなと思いながら演劇をして、先輩はどうしてほしかったのかを考え、先輩との思い出を思い返しながら自分の落ち度ばかりを探っている日々が続いていた。
もし先輩の気持ちがわかったならと考えずにいられなくて、人の気持ちがわかるようになりたいと願いながらずっと考え続けていた。
あからさまないじめを受けるようになってから、心の支えにした漫画が好きな子とたくさん話をするようになり、あるキャラクターの話が出た時にすごく嫌な気持ちになった。
このとき理由はわからなかった。
賭けをしてどんなに理不尽でも、邪魔されたせいでも、負けたら取り立てられる能力の話はみてるとなんか腹が立って、すごく嫌な話だった。
なんでこんな嫌な気持ちになるんだろう?
私にはわからなかった。
父方の祖母がしんどいといいながらどこかへいくことがたくさんあり、そのうち母と父が大喧嘩していた。
あとになって父親が入院する頃になり、母親から聞いた話によると、このときおばあちゃんが大金を宗教にいれたらしい。
祖母がなんの病気でどうして処方されたか知らないけれど、ハルシオンという薬をたくさん飲んでいたらしい。
その上、近所に住む人にそそのかされ、処方された薬で判断力がない状態でやられたことだったそうだ。
私はこのときなにも聞かされず、二人がどうして喧嘩してるのかわからないまま、おばあちゃんの好きなようにあちこちいかせてたらいいといってしまった。
父親はそれを聞いて、本人がこういってるのだからと言ったけれど、母親はかんかんになりながらなにも教えてへんからやと怒鳴っていた。
それを聞いて、何を知らないのか教えてほしいと言っても父親は黙っていて、母親はそれをみてさらに追及して怒っていた。
何で話してくれないんだろう。
家にいたくないと思った出来事の一つだった。
高校最後の体育で体操服を盗まれたと話していた子に長袖を貸したことがあった。
体育担当の先生に、最後くらい長袖着たら? と言われて持ってきていたから出来たことだった。
元々半袖でずっとやってたし、動けば頭から水被ったみたいに汗だくになるから長袖じゃなくても平気だった。
こんなに汗かくくらい体が熱くなって良かったって初めて思えた出来事だったし、先生の話に耳を傾けたから出来たことだった。
自分にとっては悩みの種だったことでも、何があるかわからなくて、何事も悪い面しかないわけじゃないなって思えてほんの少し元気になれた。
進路が決まってからはネトゲを久々にした。
まだ続けている人と交流が出来て嬉しかったし、チャットするのが本当に好きで楽しいと思えたけれど、心のどこかで仲良くなりたくない気持ちが芽生えていた。
仲良くなれたら嬉しい、好きな気持ちが通じて結ばれたらもっと嬉しいと思ったけれど、怖くて踏み出せなくて、大事に出来る自信がなかった。
そんなある日、親に置いていかれた日のことをネトゲ仲間に話してみると、厳しい言葉しかかけられなかった。
やっぱり、弟の根回しかな? それとも、この人は本当に私のこと嫌いなのだろうか。
この人は自閉症を公言していた女の子にも厳しすぎるように感じる接し方をしていた。
私の視点では女に厳しい女という印象のある人になっていくきっかけでもあった。
好きになった人との仲を押してるのかと思えば、横から割ってはいったり、仲良しアピールをこれ見よがしにしてきてなんだかよくわからなかった。
ただの性悪なのかな。
そういうことを繰り返され、そのうちそうやっていじめるために応援して味方のふりして攻撃してきたようにしか思えなくなっていった。
それに、せっかく優しい言葉をかけてくれるようにまでなったのに、いじめの道具にされているような目に遭わせて申し訳ないと思いもした。
亡くなった先輩が部活で二つ上の先輩に抱っこされたりしたあとに怒っていたことを連想する出来事でもあった。
無事に免許を取得し、大学から出された課題のレポートをこなすべく、ボランティアで作業所へお邪魔させてもらった。
作業所に電話をするのは私にとってとても緊張して勇気のいることで、お邪魔させてもらえたときはすごく安心できた。
そこでふれあった人たちは純粋で、私にもにこにこ笑いかけながら接してくれて、とてもあたたかく感じられた。
今までそんな風に接してもらえたことなんてなかったし、なんだか心が綺麗になるように思えた。
もちろん、少しずるしようとしてることもあった。同じ人間だから。
でも、ばれやすくてすぐ見つかって注意されてしまっていた。
同じ人間だけど、夢以外で過ごしてきたどの場所よりも居心地がよくて、みんなにこにこしていていい場所だと思えた。
障害があるかないかなんて、できることと出来ないことが違うだけだ。
でも、この居心地の良さは純粋だからなんじゃないかと思えて好きになれた。今まで過ごしてきたどこよりも心が楽で優しい気分のままでいられて素敵な場所。
今まで世間一般でいう健常者に囲まれて生きてきたけれど、そこでは得られなかった優しさや笑顔、居心地の良さの正体が具体的にわからないまま、みんなのことがすごく好きになれた。
蹴落とそうとしてこないし、正義感たっぷりの怒りに満ちた言葉も投げられない。みんな真っ直ぐ頑張っていて、あどけなくて無垢で眩しくて……綺麗だった。
将来こういう場所で働くのって良いなと思えた。心から。
作業所は閉所してしまう予定だったらしく、みんなバラバラの施設へいってしまうとのことだった。
行き先の施設の名前は今でも覚えているけれど、まだいるのだろうか?
お世話になった作業所の従業員の方もみんなすごく優しくしてくれた。
警戒してるような人もいたけれど、最後は応援してくれて、信じてると言ってくれた。
どうしてそんなこと言ったのかわからないけれど、みんなが元気でいてくれたらと願わずにいられなかった。
レポートも終わり、下宿先も既に決まっていて、入居できるようになったので早速引っ越したけれど、頼んでいたはずのネット回線が通っておらず、周辺の地図もなにもわからなくて手詰まりになって実家へ帰った。
ネットが繋がっている予定だったから、地図の用意もなにもなくて何も出来なかったからというのが大きい。
実家に帰ると弟は私に怒っていた。
私にはどうしてそんなに怒っているのかがわからなかった。
何となく嫌われてるとしか思ってなかったから、帰ってきてほしくなかったんだろうとしか思えなかった。
ネトゲにログインしてみると、友達はビックリしたあと突っ込みをいれてきてちょっとだけ笑わされた。
笑っていると、安心したような穏やかなことをいっていて嬉しかった。
ネトゲの友達に教えてもらった番組が穏やかですごく面白くて、夢中になりながら笑って過ごしていると、ようやく回線が通ったらしい。
今度こそ本当に引っ越し、あっちで回線の良さに感動した。
実家ではたびたび回線が切れることが多く、繋がっても速度が遅い。
しかし、下宿先ではゲームがめちゃくちゃ滑らかに動き、今まで表示に時間がかかっていたブラウザが早めに開くようになって感動した。
快適すぎる……!
今までじっと我慢して待っていたのに、こんなに早く快適に開くなんて魔法のようだった。
実家を出て快適さを得られたもののひとつだった。
今度は父親が大きく印刷してくれた地図に加え、ネット回線もあるおかげであちこちいくことができた。
しかし、当初の私はそこまで勇気がなく、近場のスーパーで満足していた。
一人暮らし最初の自炊は忘れもしないキムチ鍋だった。
鍋の素と相性の良い具さえあれば、とても簡単に美味しく作ることが出来て感動したけれど、自炊史上最初にして最大の失敗はここからだった。
まだたくさん余っているにも関わらず、鍋に直接ご飯をいれてしまったのだ。それも結構な量を。
今まで家族四人暮らしで、作った鍋がすぐなくなっていたから気づかなかった、知らなかった罠がここに潜んでいたのを身をもって思い知るのは鍋を温め直した四回目頃のこと。
米が鍋の汁を吸ってぶよぶよな上に食感が最悪、ちっとも噛みごたえがないし、味は美味しいのになんか気持ちが悪い。
白菜も溶けて繊維だけが残り、米は食感がないのに白菜の繊維はビニールでも混入しているかのような口当たりで思わず吐きそうになる代物が出来上がっていた。
味はいいのに食感がどちらも最悪。かと言って、捨てるのはもったいないし抵抗がある。
食べ物を捨てるという考えがなかったので、残ったものを吐きそうになるのを耐えながら泣いて食べた。
食感がないからなのか、そこまで食べられなかったからなのか、すぐにお腹がすいてしまった。
でも食べるものが私の無知と経験の浅さで闇に飲まれた鍋しかない。
完食するまで嗚咽と涙にまみれながら一生懸命食べ続けた。何度他の物を食べたいと思ったかは覚えてない。
過ちの鍋を完食したときはまた違った涙を流しながらのガッツポーズを決め、もう鍋に直接米など入れぬと心に強く誓った。
しかし、これもポジティブに考えれば良い経験をしてひとつ成長したということ。
泣きながら、吐きそうになりながら食べた経験はきっと消えはしないし、もう繰り返すことはないだろう。
地獄のキムチ鍋だったなにかを食べ終え、入学式の日、母が下宿先にやってきた。
母が来るまでに鍋を食べきれて良かったと安堵しつつ、買ってきてくれたおにぎりをいつも以上にありがたく食べさせてもらった。ローソンの和風ツナマヨおにぎりだった。
おにぎりがこんなに美味しいと思ったこと今までなかったくらいに美味しくて、違う意味で泣きそうになりながらキムチ鍋のことを母親に話すと笑われてしまった。
私にとっては笑い事じゃないくらいにおにぎりが美味しくて天にものぼるような感覚だった。泣きながら食べたいくらい美味しかった。一人だったらボロボロ泣いていたと思う。
どん底の食事を続けたあとの普通のご飯はいつも以上にありがたく、こんな風に普通の飯が食えることのありがたさを身をもって思い知った。
もとからおにぎりが大好きではあったのに、ここまで美味しく感じられるなんて信じられないくらいだった。
いつもは食いしん坊で食べたりないくらいの量なのに、この日はおにぎり一個だけで満足できるくらいには心もお腹も満たされたけれど、母親はとても心配していた。
心配するのも無理はなかった。
いつもの私なら四個くらいペロリと平らげてしまうのに、一個だけなんて病気と思われる量の変化だっただろう。
さっきのキムチの話をもう一度母にして説明すると、もっと食べろといわれた。
言われるまま二個目に鮭ほぐしとゴマのおにぎりを頬張ると、胃が小さくなっていたのかキリキリ痛んだ。
それでもやはりうまいもんはうまい。
あまりに美味しかったおかげで二個目も食べ終え、一緒に入学式へ向かった。
入学式はあっという間に感じられた。
周りの人は知らない人ばかりで、今までのように知らない人にヒソヒソ言われることもじろじろ見られることもないのが新鮮で、とても心地よかった。
もう怯えることなんてないのだろうか? 人の不愉快な視線をかんじながら過ごさずにすむのだろうか?
でも大学には高校の知り合いや部活の大会で見かけた名前があった。
だから完全に安心はできなかった。
母親が私にやることたくさんで忙しそうだからといってすぐに帰ってから、新しく出来たやることを淡々とこなしていった。
やることがないって気楽で自由な反面、退屈な上に少しだけ不安だった。だから、やることが出来たのはすごく嬉しいことだった。
このまま出来ることが少しずつ減って消えてなくなっていったらどうしよう? 頭が悪くなったら? 早く走れなくなったら? 夢を見られなくなったら?
なにかが出来なくなるのが不安でたまらなかった。
その中でも一番怖かったのが、夢を見られなくなることだった。
ずっと夢を見ていたい。見れなくなるのが怖い。
夢は小さいころからずっと心強い友達で、時には怖くてもう見たくないものだったけれど、一番つらい時に人生を楽しく支えてくれたのが夢だった。
高校の時と同じくらい勉強して、同じくらい運動していたら見続けられるだろうか?
どうやって夢を見て、どうしたら夢を見られるのかずっとわからないまま過ごしてきたから、見れなくなるのがとても不安だった。
夢を見る確実な条件は寝る事しか知らない。夢を見る確実な条件なんて知らないからこその不安だった。
それにそもそも条件なんてものあるのだろうか?
そんな機械的に夢が見られたら、条件が決まっていたらこんなに不安な気持ちになんてなるわけがない。条件なんてきっとないんだ。
これからもずっと見ていたい。ひとりにしないで。どこにもいかないで。
現実でずっと孤独に頑張り続け、ようやくできたと思った友達に死なれて怖かった。他になにも失いたくなくてどうしようもなかった。夢にすがるしかなかった。
不安な気持ちに見舞われる反面で、勉強に集中して目標に向かって頑張り続けていたら辛いこともきっと忘れられるという前向きさがあった。
先輩が死んでしまったことはもうどうしようもない。生き返ってくることなんてない。だったら、先輩の分もしっかり生きないといけない。
そうやって自分に言い聞かせて大学生活は一生懸命勉強するぞと意気込んでいた。
大学では知らないこと、初めて知ることがたくさんあったけれど、普段私が一人で考え、周りの人に持ってきた疑問、考える癖、考え抜いて持つようになった答えや当たり前のことを聞く機会が増えた。
一人で考え続けて良かったと思えた上に、高校までと違い、席が自由に選べるのをとても喜ばしく思っていた。
目が悪いから見やすい場所を選んで座れて、ゼミというものが何かを知っていき、一人で行動する不安がある中、わからないことは質問してなんとかしていった。
高校でも一人だったのだから、大学でもひとりぼっちで平気だった。
しかし、あるときゼミでの自己紹介で、話しかけやすい人っぽい方が良いかなと思って気軽に声を掛けてくださいといった結果、人の良さそうな子がよく話しかけてくれるようになった。
「いつも一人で講義受けてて気になってた。ゼミの時に見かけて話しかけようって目つけてた」
そういって仲良くしてもらえるようになって嬉しかった。
他にも、いつもしていた気遣いをしただけでビックリするくらい褒められて喜んでもらえたのがとても嬉しかった。今まで何をしてもそんなに喜んでもらえたことなんてなかったのに。
大学では今までと違って友達ができるかもしれないなんて希望を持てそうになった出来事だった。
ただ、残念なことに本を読む人が周りにおらず、本の話をする相手がいなくて寂しい気持ちはここでも変わらなかった。
それに、話を面白いと言ってもらえはしても、理解できない、わからないと言われることが多かったし、話が合わないこともたくさんあって寂しさが消えることはなかった。
その上、仲良くしてくれる子ができて、その子の友達の友達で近所に下宿してる人がいるのを知って、四人で仲良くなっていけたのも最初だけだった。
最初だけだったし短かったけど、とても楽しい思い出だった。寂しかったけれど、とても楽しくもあった。
気遣いだけでなく、普通に話しているだけで面白いと言って笑ってもらえたのがとても嬉しかった。
みんなそれぞれ大学生活で楽しみにしていることがあって、これからしたいことがたくさんあって、不安なこととかわからないことを相談しあって楽しく時間を過ごしていた。
私は私で本気で勉強するつもりながら、今までなかった周りの反応があたたかくてとても嬉しくて、自分なりに大事にしようとしていた。
一回生のゼミでは英語を担当している先生が受け持ってくれて、真面目に頑張っているのをしっかり評価して見てくれていて嬉しく思えた。
しかし、慣れてきたのか私語をする人が増えてきたように思えた。
高校までと違って退出してもなにもいわれないのに、私語してまで講義室にいるのはなぜなのか、不思議でならなかった。
高いお金払ってまで何しに来てるんだろう?
それが素直な疑問だった。
休みの日、みんなで遊びに行ったこともあった。
カラオケにみんなでいき、すごく楽しんだ大切な思い出。ずっと続いてくれたらよかったのに思わざるを得ない思い出。
そうやって遊びに行っている間に、親が下宿先に来て二段ベッドを組み立てた上に新しいパソコンを置いていってくれた日でもあった。
上がベッド、下が机になっているもので、収納ができてすごく便利で快適な二段ベッド。
パソコンは今まで使っていたノートよりずっと高性能で、もっと早くブラウザが開けてすごく興奮したのを覚えている。
ノートパソコンでもここの回線なら十分早く開いて快適だったのに、それがさらに快適になったのだ。
親に感謝しながら勉強に励むと意気込んだきっかけの一つでもある。
二段ベッドはすごく気に入って大好きだったけれど、台所が薄暗くて誰かがこっちを見ているような気がして怖いことがあった。
それだけでなく、二段ベッドで起きて上体を起こすと、ベッドの下から誰かが見ているようなそんな気がしてとにかく怖かった。
気のせいだ、きっと気のせいだ。
私は昔から夜になると暗がりから何かがこちらを見ていると感じるようなことがたくさんあった。
親は気のせいだとか、見間違えだとか言ってくれたけれど、怖くて仕方のない出来事だった。
妖怪は好きでもそういった得体のしれない何かが怖くてたまらなかった。
小学生の頃、霊感なんてないと言われ続けてきたからそう思い込もうとしたけれど、鳥肌は立つし気配を感じてしまうのを止めることができなかった。
ある小説の映画がトラウマになっていて、その作品を作者が怒ってしまった理由に怪物の正体を勝手に作られたという話を思い出した。
そうだ、正体を自分で作ってしまえばいいんだ。
我ながら良い機転だったと今でも思う。
夢を見るのも昔からだし、夢に物語をつけ、見えない何かがこちらを見ていると感じる現象にも物語をつけることにした。
亡くなった先輩が心配で見てくれている物語を得体のしれないなにかにつけた。
一人だから寝ている間心配で見守ってくれているのだと。
怖い夢を見ちゃったら、寝ている間も気を引き締めるよう愛の鞭を振ってくれていることにした。
そうやって、物語をつけて正体をでっちあげ、寂しい気持ちを紛らわすように私の友達ということにした。
私なんかじゃ友達になんてなりたくないだろうけどさ。嫌だったらどっかよそへ行ってくれるだろう。
もし嫌じゃなかったら……ずっとそばで見守ってくれて、この気配が消えることなんてない。一石二鳥のやり方だった。
それに、ある小説で読んだ話によると、幽霊は元は人間なのだから死んでから急に化け物になんてなったりしない。
別に物語を読んですべて真に受けていたわけではないし、幽霊を信じ切っているわけでもなかったけれど、参考にはしていた。
そういう考え方やお話もある、つまり、そういう可能性があるのだと。
私はただ可能性を切り捨てずとりあえず信じてみただけだった。
いろいろな幽霊の本を読んで、いろいろな説として覚えていたから、いろいろなことを試した。
起きた時気配を感じたらとりあえず挨拶でもしてみることがあったし、ブログに文字を書くことで先輩に言いたかったことが伝わると良いなと思ったこともあった。
恥ずかしかろうが頭がおかしそうに見えようが、とりあえず物は試しでいろいろなことをしてみた。せっかくの一人暮らしだったから。
あるとき、最初に仲良くなった子の友達の誕生日プレゼントに、好きだといっていたアイドルグループのポスターと他二つを用意したことがあった。
中身がランダムのやつしか見つけられなくて、その子の好きな子がでてくれたらと思ったけれど、残念ながらでなかったらしい。
サプライズで誕生日プレゼントを用意して渡しているのを見た最初の子が私に「ずるい」と言ってきたのにはビックリさせられた。
抜け駆けなんてずるい、今度はみんなで用意しようと。
私は今までそんなこと言われたことがなかったし、集団でいつも一緒に授業を受けたり話したことなんてなかったから、普通はこういうのがずるいのだと思った出来事だった。
それ以来、四人で話した結果、ケーキ用意して日程立てて、プレゼントの用意をして、お金をもらうスタイルでいこうという話になった。
結局、任せるわと言われることが多いだけでなく、なぜか私が目の敵にされるようになったから、その一年だけそういうスタンスでいき、次の年からはなにもしなかった。
提案したのは私じゃないのに……。
前期が終わりに差し掛かる頃、私たち四人組とよく絡んでくるようになった子がいた。
その子の誘いで高校時代にしていたスポーツをもう一度するようになった。
けれど、入部届は部長がもらってくるシステムになっているらしく、入部は忘れられてできることはなかった。
5人目の子から部活の日程を聞き、部活がある時は参加させてもらった。
久々にラケットを振ると肩がすぐに筋肉痛になり、あまりに酷く筋肉痛になってしまったからか、シャトルが飛ばなくなってしまった。
肩を治してからもう一度顔を出させてもらい、たくさん褒めてくれる人がいたりして楽しく部活をしていると、ボランティア部の先輩の一人が顔を出してびっくりしたこともあった。
幽霊部員として在籍しているらしく、周りの人からいじられキャラとして扱われていてどういう反応をしたらいいかわからなかった。
内心ではどう思ってるかわからないというのは、自分が今までそうだったから思ったことだった。
中学生の頃は特に、周りの人からいろいろな言葉を投げかけられてすごく嫌だったけれど、適当に愛想良くしてきたからこそ、一緒になっていじろうと思えなかった。
夏休みの間、実家へ少し戻ってたくさん話をしてから下宿先へ戻って過ごした。
夏休みの間部活があるかもしれないし、近所で下宿している子とボランティアで募金活動をする予定があったり、いろいろなことがあったからだった。
その子の誘いで顔を出してみたボランティア部という場所での思い出。
先輩たちはとても意欲的で、私たちの学年とは比べ物にならないくらいしっかりしていて知性を感じられた。
生まれる年が早かったらなんて思わずにいられないくらいしっかりしていて格好良かった。
人見知りと男の人が怖い例のあれが鳴りを潜めつつあったけれど、やはり苦手なものは苦手だった。
物凄く緊張しながら先輩たちのボランティア計画を聞き、岡山の小さな公園で募金活動をした。
その公園では祭りが開かれており、色々な人が祭りを楽しんでいるのを見ながら、出入口付近で募金活動をした。
いろいろな人が募金をしてくれて、中でも印象に残っているのが、難病を抱えてそうな子を抱っこした父親と、赤と青のつけ毛でメッシュにしている金髪の浴衣美女。
難病そうな子を抱えたパパさんは願掛けも込めての募金だったのだろうか? なんて思いながらお金を受け取った覚えがある。
万札か千円札か、お札だったのは確かだけれど、目が悪くて具体的には見えていなかった。
どうかその子の病が治りますように。
お金を受け取りながら心の中でそっと願った。何となく胸騒ぎがするというか、涙がでてきそうになったためだ。
もしこれでその子がよくならず死んでしまったなら顔向け出来ないし、なんだかすごく申し訳ない気持ちになりそうだったからでもある。
私たちに非があるわけではないし、私の勝手な妄想かもしれない。
でも、小さい子も大好きだし、心から元気になってほしいと思ったから、どうか元気になれるようひたすら祈った。でも、どこかでこの子は助からないだろうという気がしていた。それでも、もし助かるなら助かってほしいと願った。
メッシュの人は褒め言葉が自然とでてきてしまうくらい綺麗な方で、私の言葉を聞いた先輩はビックリしながら周りの人に私のことをはなしていた。
人の容姿を褒めるのって、そんなに話題にされることなのかな?
話されるのを聞いていると照れ臭かったけれど、悪い言われ方じゃなく褒められていたから素直に嬉しくて顔が熱くなってきた。
ボランティアの打ち上げでご馳走とお酒をいただき、二次会でボランティア部にいる子の家にみんなでお邪魔した。
私と近所の子以外にも同学年でもう一人ボランティア部の人がいて、その子もまた近くに下宿しているのだった。
ボランティア部の先輩は個性的で面白く、先生との掛け合いもすごく面白かった。
打ち上げでも個性を発揮し、二次会でも大暴れ。
見ているだけでも楽しかったのに、名前でいじってくれたり、いろいろと楽しい話をして盛り上げてくれてすごいと心から思える人だった。
たくさん笑わせてくれる先輩に恵まれて本当に良かったと思った。
夏休み中、高校時代そうだったから部活が毎日あるものだと思って大学へ行き、体育館を使っている剣道部が終わるのを外で待っていた。
夏休み中の日程は何も聞いておらず、いつあるのかも知らなかった。
大会があるらしいから練習はあるものだと思って通い詰めていた。
簡単な素振りをしながら本を読んだり、なにもせずに本を読んだりして日陰で待っていると、剣道部の人たちが今日部活あるのか聞いてくれたり、打ち合いしようとしてくれたり、話しかけてくれたり親切にしてくれた。
結局、一人でカーテンをしめて一人で準備をして、一人で壁に向かって打つことが多かった。
人が来たのはたまにだけ。
みんな忙しいから、学年があがるとすることが増えるからと自分に言い聞かせ、下宿先で本を読んだりゲームをしたりしてすごしていた。
父親があんまりエアコンをつける人ではなく、30度を超えないとつけてはいけないというルールがあったから、部屋でも同じようにしていた。
窓をあけて扇風機をつけてすごしていたけれど、暑くて眩暈がして辛い日々が多かった。
親からの仕送りだけじゃいくら食費を削ってもどんどんお金が無くなる一方だった。
だから30度を超えてもエアコンをつけずに過ごすこともあった。
バイトしないとな。
小説だけに飽き足らず、ゲームの音楽も好きになり、楽譜を探して書き写したりもするようになった。
バイトで生活費を楽にできたら貯金してバイオリンを買いたいな。
そんなことを思いつつ、二学期どれだけ講義とれるか、受けるかわかってない状態で探すのは危ないと思ったから、夏休み中はゆっくり過ごした。
でもさすがに後期が始まる前にバイトした方がいいんじゃないかと思ったから、大学にある掲示板を見て、緊張しながら電話をかけて面接を受け、働かせてもらえることになった。
バイト先には同じ大学に通っている人が一人いた。
面識も何もない先輩だった。
今までまともな人付き合いなんてしたことなかったのにできるだろうか? 家の手伝いしか経験ないけどやれるかな?
そんな不安な気持ちの中で頑張るぞと意気込んで挑んだバイトだった。
日配の納品物の期限を見てノートに書いてから冷蔵庫にしまう仕事を最初に教えてもらえた。それより先に教えてもらったのは、職場に来て最初にすること……着替えてから出勤を押すことだった。
講義が始まる前に慣れておきたいと思いながら頑張っていた。
あんまり居心地がいいとは思えなかったけれど、優しくしてくれる人もいて、あるSNSでよく職場での悩みを見かけるから職場とはしんどいところなのだと自分に言い聞かせていた。
なぜかプレッシャーや緊張を感じるような言い回しをされたり、すぐ怒られたりして挑戦するのを躊躇ってしまうようなことが多かった。
でも頑張って働かないと生活費がきついし、バイオリンを買いたい。
それにまだ始めたてだから頑張るぞ。
そう意気込む一方で、大学で受けた内容を仕事を覚えたことで忘れたらどうしようという不安があった。
自分がどれだけ覚えていられるか自信がなかったからでもある。
仕事一本だったらもっと上達速いかな?
そんなことを思いながら、生活や勉強面でも不安になりながら精一杯頑張った。
後期がはじまり、前期の終わり頃に絡んでくるようになった子がトラブルをよく持ち込んでくるようになった。
その子が連れてきた問題の多い子が、近所で下宿している子に付きまとったり根掘り葉掘り個人情報を聞いて迷惑をかけているから関わらせるなと言っているのに、わざわざ問題を持ち込んできて関わらせてくるから迷惑きわまりなかった。
近所で下宿していた子はグループから抜けていき、トラブルを持ち込む子がグループに入ってから悪い方向へ向かっていった。
最初に声をかけてくれた子はその子と仲良くなり、自分から約束を持ちかけておいて破ることがもっと増えていった。
私から約束を持ちかけたわけではないし、その子が遅れてきても怒ったりしなかったにも関わらず、たくさん謝ってきて次は守ると言っては破るの繰り返し。
あとで私がされる扱いだけれど、○○だったらできるよね? とか、約束だよと一方的に守らせようとする意地悪なこと一切言わなかったにも関わらず。
それどころか、忙しいから仕方がないとか、相手の事情を考慮した言い回しを心がけ続けてきた。
その子は口では謝り、今度は守ると自分で宣言しておいていつも破っていた。
それだけならいざ知らず、授業を一緒に受けたいなら隣で私語をしないでほしいとお願いしたのに、わざわざ隣の席に来ておしゃべりをするからすごくたちが悪かった。
あからさまにトラブルを持ち込んでくる子とばかりつるんでそっちを優先しているくせに、私と仲良くなりたいなんて口先だけ立派なことを言い、やってることは嫌がらせばかり。
あろうことか、相手の事情を考慮していつも我慢して優しい言葉をかけていたにも関わらず、返ってきた言葉が「忘れてくれて助かる」だった。
この人は表面上だけ愛想良くして良い子ぶり、多くの人から好印象を抱かれやすいけれど、中身がすかすかな上に自分にとって都合良い解釈をして相手を内心では見下しているタイプなのだと思わされたショックな言葉だった。
言葉の端に本音と本性がでていて、さすがにその言葉には頭に来た。もう関わらないでほしいとしか思えなかった。近寄ってこないでほしかった。
何が「忘れてくれる」だ。忘れられたらどれだけ苦しまずにすむかお前にわかるか。私の苦しみがわかってたまるか。
先輩のことをまた頭に浮かべる言葉でもあった。
覚えてる上で話してるんだよ。人を見下してるのかバカにしてるのか、どちらにしても不愉快きわまりなかった。
この子がよく話す、私と血液型が同じな上に似ている子の気持ちが何となくわかる気がした。
話に聞いただけで顔を合わせたこともない名も知らぬ子。多分、わかるといわれるのもいやがる可能性がある子。
血液型だけで人をわかった風に言われるのが嫌だし、相手の気持ちに沿って舵を切ったはずなのにいつの間にか悪者扱いされている。挙げ句の果てには目の敵にされ、広い心をもって我慢していたら人のことバカにしたかのような言い方をされ、耐えられるはずもなかった。
されて嫌なことわかっている上にその子から嫌われたと言って、繰り返したくない、今度は仲良くするなんて言っているのに、わざわざ嫌がるとわかっていることをしてきて理解に苦しんだ。
一方的に宣言していつも破って、責めてないのに勝手に申し訳なさそうに口先だけで謝って、周りの人間が可哀想とか言い出して、私が厳しいみたいな扱いされ出して、本当に勘弁してほしかった。
挙げ句の果てにはトラブル持ち込んでくる子が関わらせてきたやばいやつが私に喧嘩売ってきていい加減にしてほしかった。
これなら最初からずっと一人の方が良かった。
繰り返しだった。何度も何度も。
人の輪に加わるんじゃなかった。人と仲良くなんか、関わったりなんかしなければ良かった。
もしかしたらここでなら周りの人たちのような交遊関係が築けて、今までになかった生活が送れるかもしれないと思っていたけれどそんなことはなかった。どこも同じだった。
最初から一人だったなら、変に希望を持たず、どこへ行っても同じだとわかっていたなら……。
酷く後悔させられる学生生活だった。
ノートを見せるのはいつも私で、私が困っても誰も頼る人なんていない。
一人の方がずっとましだった。
頼むからもうこっちにこないでくれと言っても、しつこくその子はやってきて、一人に出来ないとか放っておけないなんて言ってきて、違う、そうじゃないといって叫びそうだった。
嫌がらせするのをやめてくれ!
付きまとってくるのはその子だけじゃなかった。
同じくゼミが同じだった子が、親しく話しかけてくるようになったけれど、顔も距離感もおかしいくらい近くて気持ち悪くて無理だと思わされることがあった。
それ以来それとなく距離をおいていたけれど、追いかけ回されたりしてすごく嫌な思い出だった。
まともな人いないのかな。
やっぱり一人の方が良かったと強く思わされた。
そのうち、夜中に最初に仲良くなろうとしてくれた子から名前を呼ばれ続けるノイローゼ気味な夢を見た。
頭がおかしくなりそうだった。
現実だけでなく、ネトゲでもいろいろな嫌なことがたくさんあった。
弟と仲の良い人がなぜかこれ見よがしに好きだと思った人と仲良しアピールしてきたり、ちょっと喧嘩腰で突き放したような態度をとり続けてくるようになった。
旦那がいる癖に男にばっかり愛想良くしているのを見続けてきたからそういう人なのだと思った。
どうせ私はガキだから相手になんてされない。
そのうちそういうことを思うようになった。
気になってる人がその嫌なことしてくる人の家の近くに引っ越したと聞いたときは胸が張り裂けそうなくらい痛くて辛かった。
これが失恋か。
相手になんてされるわけがなかった。
私は年なんて気にしないけど、相手は立派な大人だし、私みたいなやつを好きになる人なんていない。いるわけがない。
気にしないよう、背負って歩こうと覚悟をしたはずなのに、先輩のことが頭に浮かぶようにもなってきた。
なんでこんな目に遭うんだろうな。
本当に、一人だったらどれだけ良かったか。
胸にぽっかり穴が開いたような虚しさが満ちてきて、痛くてたまらなかった。
そんなときだった。
よく中学生の頃ゲームであちこち連れまわしてくれる人がいたことがあった。
すごく優しくて親切な人だと思っていた。
その人が久々に声を掛けてくれて、たくさんチャットをして、たくさん話して、通話がしたいと言われたからある媒体でフレンドになって通話をすることもあった。
中学の時、実は私のこと好きだったと言ってもらえて、すごく嬉しかった。
こんな私でも好きになってくれる人っていたんだ。
嬉しかったし、付き合おうということになったけれど、相手が何か言いづらそうにしていてどんな話かと身構えていた時だ。
実は嫁がいて子供もいると言い出したのだ。なんだか面白おかしい口調で。
最初はびっくりした。
え? それで付き合うってどういうこと?
頭が真っ白になりそうだったけれど、まあ聞いてくれというから耳を傾けることにした。
今まで決めつけで物を言われてきたから、とりあえず最後まで話を聞いてみようと思ったためだった。
奥さんに浮気をされて困っているし、離婚がしたいんだと辛そうに話しながら騙されたと怒っていた。
中学生の頃、母親が一人で寂しそうにしながら泣いていたこと、父親が朝早くにたびたび外に出てある方角を見てうろうろしてあからさまに様子が変だったことがあった。
母から浮気してるって相談をされたこともあったから、辛い気持ちに寄り添うことができた。
私は誰からも好かれたことないし、必要としてもらえたのが嬉しかったから役に立ちたいと思った。
利用されることしかなかったから、付き合おうとまで言ってくれたのが純粋に嬉しかった。
必要とされて、好きだと言ってもらえて、助けになりたいと心から思った。
でも、やはり本の話はできないし、なんか会話が噛み合わなかったり合わないと感じることはあれど、相手の話を楽しく思いながら聞いて、興味を持っているととても満足そうにしてくれて嬉しかった。
通話を繋げたまま相手がどこかへ行っている間に、奥さんが誰かと話しながらいやらしい声をあげているのが聞こえてくることがあった。
どうやら浮気されているのは本当らしい。
それだけでなく、帰ってきた相手の人が奥さんと口論しているのまで聞こえてきた。
鼻血出てるとか何してたのとか、関係ないとかそういった軽い言い合いだった。
その出来事があったから、少なくとも騙されてはいないのだと愚かな私は思った。
そのうち、会ってみたいと話をするようになり、会うには信頼がいると言われて恥ずかしい写真を撮るよう要求された。
さすがに嫌だったけれど、信じてくれないの? やら後ろめたくなるようなことを言われて渋々でもいやいやでも撮って送った。
捨てられるのが怖くて、必要とされないのが怖くて、仲良くしてもらえたのにまた嫌われるのが怖くてそうしただけだった。
本当は撮るのも見せるのも嫌だった。
誰と会話しても、どこへいっても、寂しい気持ちはなくならなかった。
むしろ、人と接すれば接するほど寂しくて胸の痛みが増していくばかりだった。
夢の話をできる人もおらず、読書の話をできる人もいない。
雑談でも話の合うジャンルはなく、本当の気持ちを隠して相手に合わせたらすごく喜んでくれるから自分の気持ちはほったらかして、相手の言うことを聞いて聞いて聞き続けてきた。
必要としてくれても、自分の言いたいことが言えないままだった。
この時点で私が自分の気持ちを素直に聞くことができたのは怖いという気持ちだけだった。
高校の同級生がたくさん教習所へきていて、学校とあんまり変わらない居心地の悪さの中で過ごした。
教習所にいるメンツがメンツだからなのか、高校での思い出を思い返すことが多かった。
修学旅行へ出かける朝のバスに乗る前、家で寝転んでいると手の甲の上をムカデが這ったことがあったり、墓参りにいって帰ったときに弟の足にヒルがついていたこともあったっけ。他にも、弟がムカデにかまれたり……。
弟にヒルがついたときには本で得た知識が役に立った。
死体を見に行くお話の中で、ヒルがあらぬところについてしまう話がでてくる。
そこにヒルがついてしまったときの対処法が書かれていたが、残念ながら作中の登場人物たちは火を起こす道具を持っておらず、ヒルをなくなく潰すというものだった。
墓参りでライターが手元にあったおかげで、書かれていた対処法を実際に試すことができた。
本で得た知識を母に説明すると、弟の足ごとあぶっていて目が飛び出そうになった。
炙られた弟は熱いと叫んでいる。
昔から母は傷口を思いっきりこするようにして薬を塗ることがあるような人だったから、そういうちょっとずつが苦手なようだった。
私が母に文句を言っていると、じゃあお前が代わりにやれと言われ、代わりにやることになった。
ライターを遠くから少しずつヒルに近づけ、弟に熱くないか聞きながら炙るとうまくいった。
ヒルは体を真ん丸にして縮こまり地面に落ちた。
本ってすごいと心から感動した実体験だった。
夢現で経験したお姫様抱っこに影響されて、腕を鍛え、よく話しかけてくるクラスメートをお姫様だっこしたこともあったっけな。
お姫様抱っこする側になるぞと意気込んでいたのは夢がきっかけだった。される側ではなくする側なのは、自分でも説明できないけれどなんとなく。
そのうち、いろいろなことを頑張っていると何を目指してるのかと言われるようになった。
何を目指しているかなんて、今まで考えたことがなかった。
ただひたすら楽しいから、夢中になれるから、やりたくてたまらないから……夢に触発されてやってみたいと思ったから……それ以外に何かいるのだろうか? という疑問と、普通の人って何か目指してないと何もやらないのかな? と考えるきっかけになってしまった。
先輩が亡くなってからは、いろいろな後悔をした。
先輩の前で悔しくて泣いてなかったなら、守るなんて約束されなかったんじゃないか、約束をちゃんと覚えていられて落ち着きがあったなら、先輩は死ななかったんじゃないか。それはもういろいろな後悔だ。
後悔する傍ら、正直なところ先輩に連絡を取ったことでこの一件に巻き込まれたことを恨んでいた。
先輩の友達なら、先輩が無茶してしまうとか思わなかったのだろうか……先輩がどういう人か知ってる人はもしかするといなかったんじゃないか?
恨みそうになりながら考えたことで気づけることがいろいろあった。
先輩はヘルメットをちゃんとつけて自転車通学をしているし、礼儀正しい生徒だった。
不良なんかじゃなく、ちゃんとルールを守る人だった。
私がいじめられているのを黙って見てないで拳を握って怒ってくれるくらい正義感が強い人だった。
でも、通っている高校がちゃんとしていないとか、不良が多いとかいう理由だけで同じような目で見られるのを気に病んでいたようだった。
駅からの帰り道で先輩と顔を合わせることがあり、話をしたときに聞いた内容から思ったこと、感じたことだった。
ちゃんとやってるのに、あそこの高校の子だからってだけでいろいろ言われると言っていたのを思い返し、いろいろなことを考えた。
先輩はきっと、見てほしかったんだ。ひとまとめにされるのでもなく、比べられるのでもなく、ちゃんと自分を見て認めてもらいたかったんだ、きっと。
弟ばかり褒められるとか、いつも比べられるし弟の方がミスが少なくて点数も良いし、全体的に成績が良いとか、劣等感を素直に話していると、先輩も比べられたり兄ばかり大事にされてるようなことを寂しそうに話していたっけ。
私もちゃんと見てほしかった。見て接してちゃんと知ってもらいたかった。比べられるんじゃなく、まっすぐ見て評価されたかった。
多分、一緒だったんだ。今更気づいても遅いけれど……。
酷い後悔の気持ちとともに、悲しくて苦しい胸の痛みに見舞われた。
そのうち、先輩のことばかりを考えるようになっていき、先輩が死んでしまったのは約束を守れなかったから、目の前で泣いてしまったから、全部自分のせいだという気持ちだけが一人歩きしていった。
そうでも思い込ませないと殺しに行ってしまいそうなくらい憎かったからでもある。
先輩が見てくれてたらいいなと思いながら演劇をして、先輩はどうしてほしかったのかを考え、先輩との思い出を思い返しながら自分の落ち度ばかりを探っている日々が続いていた。
もし先輩の気持ちがわかったならと考えずにいられなくて、人の気持ちがわかるようになりたいと願いながらずっと考え続けていた。
あからさまないじめを受けるようになってから、心の支えにした漫画が好きな子とたくさん話をするようになり、あるキャラクターの話が出た時にすごく嫌な気持ちになった。
このとき理由はわからなかった。
賭けをしてどんなに理不尽でも、邪魔されたせいでも、負けたら取り立てられる能力の話はみてるとなんか腹が立って、すごく嫌な話だった。
なんでこんな嫌な気持ちになるんだろう?
私にはわからなかった。
父方の祖母がしんどいといいながらどこかへいくことがたくさんあり、そのうち母と父が大喧嘩していた。
あとになって父親が入院する頃になり、母親から聞いた話によると、このときおばあちゃんが大金を宗教にいれたらしい。
祖母がなんの病気でどうして処方されたか知らないけれど、ハルシオンという薬をたくさん飲んでいたらしい。
その上、近所に住む人にそそのかされ、処方された薬で判断力がない状態でやられたことだったそうだ。
私はこのときなにも聞かされず、二人がどうして喧嘩してるのかわからないまま、おばあちゃんの好きなようにあちこちいかせてたらいいといってしまった。
父親はそれを聞いて、本人がこういってるのだからと言ったけれど、母親はかんかんになりながらなにも教えてへんからやと怒鳴っていた。
それを聞いて、何を知らないのか教えてほしいと言っても父親は黙っていて、母親はそれをみてさらに追及して怒っていた。
何で話してくれないんだろう。
家にいたくないと思った出来事の一つだった。
高校最後の体育で体操服を盗まれたと話していた子に長袖を貸したことがあった。
体育担当の先生に、最後くらい長袖着たら? と言われて持ってきていたから出来たことだった。
元々半袖でずっとやってたし、動けば頭から水被ったみたいに汗だくになるから長袖じゃなくても平気だった。
こんなに汗かくくらい体が熱くなって良かったって初めて思えた出来事だったし、先生の話に耳を傾けたから出来たことだった。
自分にとっては悩みの種だったことでも、何があるかわからなくて、何事も悪い面しかないわけじゃないなって思えてほんの少し元気になれた。
進路が決まってからはネトゲを久々にした。
まだ続けている人と交流が出来て嬉しかったし、チャットするのが本当に好きで楽しいと思えたけれど、心のどこかで仲良くなりたくない気持ちが芽生えていた。
仲良くなれたら嬉しい、好きな気持ちが通じて結ばれたらもっと嬉しいと思ったけれど、怖くて踏み出せなくて、大事に出来る自信がなかった。
そんなある日、親に置いていかれた日のことをネトゲ仲間に話してみると、厳しい言葉しかかけられなかった。
やっぱり、弟の根回しかな? それとも、この人は本当に私のこと嫌いなのだろうか。
この人は自閉症を公言していた女の子にも厳しすぎるように感じる接し方をしていた。
私の視点では女に厳しい女という印象のある人になっていくきっかけでもあった。
好きになった人との仲を押してるのかと思えば、横から割ってはいったり、仲良しアピールをこれ見よがしにしてきてなんだかよくわからなかった。
ただの性悪なのかな。
そういうことを繰り返され、そのうちそうやっていじめるために応援して味方のふりして攻撃してきたようにしか思えなくなっていった。
それに、せっかく優しい言葉をかけてくれるようにまでなったのに、いじめの道具にされているような目に遭わせて申し訳ないと思いもした。
亡くなった先輩が部活で二つ上の先輩に抱っこされたりしたあとに怒っていたことを連想する出来事でもあった。
無事に免許を取得し、大学から出された課題のレポートをこなすべく、ボランティアで作業所へお邪魔させてもらった。
作業所に電話をするのは私にとってとても緊張して勇気のいることで、お邪魔させてもらえたときはすごく安心できた。
そこでふれあった人たちは純粋で、私にもにこにこ笑いかけながら接してくれて、とてもあたたかく感じられた。
今までそんな風に接してもらえたことなんてなかったし、なんだか心が綺麗になるように思えた。
もちろん、少しずるしようとしてることもあった。同じ人間だから。
でも、ばれやすくてすぐ見つかって注意されてしまっていた。
同じ人間だけど、夢以外で過ごしてきたどの場所よりも居心地がよくて、みんなにこにこしていていい場所だと思えた。
障害があるかないかなんて、できることと出来ないことが違うだけだ。
でも、この居心地の良さは純粋だからなんじゃないかと思えて好きになれた。今まで過ごしてきたどこよりも心が楽で優しい気分のままでいられて素敵な場所。
今まで世間一般でいう健常者に囲まれて生きてきたけれど、そこでは得られなかった優しさや笑顔、居心地の良さの正体が具体的にわからないまま、みんなのことがすごく好きになれた。
蹴落とそうとしてこないし、正義感たっぷりの怒りに満ちた言葉も投げられない。みんな真っ直ぐ頑張っていて、あどけなくて無垢で眩しくて……綺麗だった。
将来こういう場所で働くのって良いなと思えた。心から。
作業所は閉所してしまう予定だったらしく、みんなバラバラの施設へいってしまうとのことだった。
行き先の施設の名前は今でも覚えているけれど、まだいるのだろうか?
お世話になった作業所の従業員の方もみんなすごく優しくしてくれた。
警戒してるような人もいたけれど、最後は応援してくれて、信じてると言ってくれた。
どうしてそんなこと言ったのかわからないけれど、みんなが元気でいてくれたらと願わずにいられなかった。
レポートも終わり、下宿先も既に決まっていて、入居できるようになったので早速引っ越したけれど、頼んでいたはずのネット回線が通っておらず、周辺の地図もなにもわからなくて手詰まりになって実家へ帰った。
ネットが繋がっている予定だったから、地図の用意もなにもなくて何も出来なかったからというのが大きい。
実家に帰ると弟は私に怒っていた。
私にはどうしてそんなに怒っているのかがわからなかった。
何となく嫌われてるとしか思ってなかったから、帰ってきてほしくなかったんだろうとしか思えなかった。
ネトゲにログインしてみると、友達はビックリしたあと突っ込みをいれてきてちょっとだけ笑わされた。
笑っていると、安心したような穏やかなことをいっていて嬉しかった。
ネトゲの友達に教えてもらった番組が穏やかですごく面白くて、夢中になりながら笑って過ごしていると、ようやく回線が通ったらしい。
今度こそ本当に引っ越し、あっちで回線の良さに感動した。
実家ではたびたび回線が切れることが多く、繋がっても速度が遅い。
しかし、下宿先ではゲームがめちゃくちゃ滑らかに動き、今まで表示に時間がかかっていたブラウザが早めに開くようになって感動した。
快適すぎる……!
今までじっと我慢して待っていたのに、こんなに早く快適に開くなんて魔法のようだった。
実家を出て快適さを得られたもののひとつだった。
今度は父親が大きく印刷してくれた地図に加え、ネット回線もあるおかげであちこちいくことができた。
しかし、当初の私はそこまで勇気がなく、近場のスーパーで満足していた。
一人暮らし最初の自炊は忘れもしないキムチ鍋だった。
鍋の素と相性の良い具さえあれば、とても簡単に美味しく作ることが出来て感動したけれど、自炊史上最初にして最大の失敗はここからだった。
まだたくさん余っているにも関わらず、鍋に直接ご飯をいれてしまったのだ。それも結構な量を。
今まで家族四人暮らしで、作った鍋がすぐなくなっていたから気づかなかった、知らなかった罠がここに潜んでいたのを身をもって思い知るのは鍋を温め直した四回目頃のこと。
米が鍋の汁を吸ってぶよぶよな上に食感が最悪、ちっとも噛みごたえがないし、味は美味しいのになんか気持ちが悪い。
白菜も溶けて繊維だけが残り、米は食感がないのに白菜の繊維はビニールでも混入しているかのような口当たりで思わず吐きそうになる代物が出来上がっていた。
味はいいのに食感がどちらも最悪。かと言って、捨てるのはもったいないし抵抗がある。
食べ物を捨てるという考えがなかったので、残ったものを吐きそうになるのを耐えながら泣いて食べた。
食感がないからなのか、そこまで食べられなかったからなのか、すぐにお腹がすいてしまった。
でも食べるものが私の無知と経験の浅さで闇に飲まれた鍋しかない。
完食するまで嗚咽と涙にまみれながら一生懸命食べ続けた。何度他の物を食べたいと思ったかは覚えてない。
過ちの鍋を完食したときはまた違った涙を流しながらのガッツポーズを決め、もう鍋に直接米など入れぬと心に強く誓った。
しかし、これもポジティブに考えれば良い経験をしてひとつ成長したということ。
泣きながら、吐きそうになりながら食べた経験はきっと消えはしないし、もう繰り返すことはないだろう。
地獄のキムチ鍋だったなにかを食べ終え、入学式の日、母が下宿先にやってきた。
母が来るまでに鍋を食べきれて良かったと安堵しつつ、買ってきてくれたおにぎりをいつも以上にありがたく食べさせてもらった。ローソンの和風ツナマヨおにぎりだった。
おにぎりがこんなに美味しいと思ったこと今までなかったくらいに美味しくて、違う意味で泣きそうになりながらキムチ鍋のことを母親に話すと笑われてしまった。
私にとっては笑い事じゃないくらいにおにぎりが美味しくて天にものぼるような感覚だった。泣きながら食べたいくらい美味しかった。一人だったらボロボロ泣いていたと思う。
どん底の食事を続けたあとの普通のご飯はいつも以上にありがたく、こんな風に普通の飯が食えることのありがたさを身をもって思い知った。
もとからおにぎりが大好きではあったのに、ここまで美味しく感じられるなんて信じられないくらいだった。
いつもは食いしん坊で食べたりないくらいの量なのに、この日はおにぎり一個だけで満足できるくらいには心もお腹も満たされたけれど、母親はとても心配していた。
心配するのも無理はなかった。
いつもの私なら四個くらいペロリと平らげてしまうのに、一個だけなんて病気と思われる量の変化だっただろう。
さっきのキムチの話をもう一度母にして説明すると、もっと食べろといわれた。
言われるまま二個目に鮭ほぐしとゴマのおにぎりを頬張ると、胃が小さくなっていたのかキリキリ痛んだ。
それでもやはりうまいもんはうまい。
あまりに美味しかったおかげで二個目も食べ終え、一緒に入学式へ向かった。
入学式はあっという間に感じられた。
周りの人は知らない人ばかりで、今までのように知らない人にヒソヒソ言われることもじろじろ見られることもないのが新鮮で、とても心地よかった。
もう怯えることなんてないのだろうか? 人の不愉快な視線をかんじながら過ごさずにすむのだろうか?
でも大学には高校の知り合いや部活の大会で見かけた名前があった。
だから完全に安心はできなかった。
母親が私にやることたくさんで忙しそうだからといってすぐに帰ってから、新しく出来たやることを淡々とこなしていった。
やることがないって気楽で自由な反面、退屈な上に少しだけ不安だった。だから、やることが出来たのはすごく嬉しいことだった。
このまま出来ることが少しずつ減って消えてなくなっていったらどうしよう? 頭が悪くなったら? 早く走れなくなったら? 夢を見られなくなったら?
なにかが出来なくなるのが不安でたまらなかった。
その中でも一番怖かったのが、夢を見られなくなることだった。
ずっと夢を見ていたい。見れなくなるのが怖い。
夢は小さいころからずっと心強い友達で、時には怖くてもう見たくないものだったけれど、一番つらい時に人生を楽しく支えてくれたのが夢だった。
高校の時と同じくらい勉強して、同じくらい運動していたら見続けられるだろうか?
どうやって夢を見て、どうしたら夢を見られるのかずっとわからないまま過ごしてきたから、見れなくなるのがとても不安だった。
夢を見る確実な条件は寝る事しか知らない。夢を見る確実な条件なんて知らないからこその不安だった。
それにそもそも条件なんてものあるのだろうか?
そんな機械的に夢が見られたら、条件が決まっていたらこんなに不安な気持ちになんてなるわけがない。条件なんてきっとないんだ。
これからもずっと見ていたい。ひとりにしないで。どこにもいかないで。
現実でずっと孤独に頑張り続け、ようやくできたと思った友達に死なれて怖かった。他になにも失いたくなくてどうしようもなかった。夢にすがるしかなかった。
不安な気持ちに見舞われる反面で、勉強に集中して目標に向かって頑張り続けていたら辛いこともきっと忘れられるという前向きさがあった。
先輩が死んでしまったことはもうどうしようもない。生き返ってくることなんてない。だったら、先輩の分もしっかり生きないといけない。
そうやって自分に言い聞かせて大学生活は一生懸命勉強するぞと意気込んでいた。
大学では知らないこと、初めて知ることがたくさんあったけれど、普段私が一人で考え、周りの人に持ってきた疑問、考える癖、考え抜いて持つようになった答えや当たり前のことを聞く機会が増えた。
一人で考え続けて良かったと思えた上に、高校までと違い、席が自由に選べるのをとても喜ばしく思っていた。
目が悪いから見やすい場所を選んで座れて、ゼミというものが何かを知っていき、一人で行動する不安がある中、わからないことは質問してなんとかしていった。
高校でも一人だったのだから、大学でもひとりぼっちで平気だった。
しかし、あるときゼミでの自己紹介で、話しかけやすい人っぽい方が良いかなと思って気軽に声を掛けてくださいといった結果、人の良さそうな子がよく話しかけてくれるようになった。
「いつも一人で講義受けてて気になってた。ゼミの時に見かけて話しかけようって目つけてた」
そういって仲良くしてもらえるようになって嬉しかった。
他にも、いつもしていた気遣いをしただけでビックリするくらい褒められて喜んでもらえたのがとても嬉しかった。今まで何をしてもそんなに喜んでもらえたことなんてなかったのに。
大学では今までと違って友達ができるかもしれないなんて希望を持てそうになった出来事だった。
ただ、残念なことに本を読む人が周りにおらず、本の話をする相手がいなくて寂しい気持ちはここでも変わらなかった。
それに、話を面白いと言ってもらえはしても、理解できない、わからないと言われることが多かったし、話が合わないこともたくさんあって寂しさが消えることはなかった。
その上、仲良くしてくれる子ができて、その子の友達の友達で近所に下宿してる人がいるのを知って、四人で仲良くなっていけたのも最初だけだった。
最初だけだったし短かったけど、とても楽しい思い出だった。寂しかったけれど、とても楽しくもあった。
気遣いだけでなく、普通に話しているだけで面白いと言って笑ってもらえたのがとても嬉しかった。
みんなそれぞれ大学生活で楽しみにしていることがあって、これからしたいことがたくさんあって、不安なこととかわからないことを相談しあって楽しく時間を過ごしていた。
私は私で本気で勉強するつもりながら、今までなかった周りの反応があたたかくてとても嬉しくて、自分なりに大事にしようとしていた。
一回生のゼミでは英語を担当している先生が受け持ってくれて、真面目に頑張っているのをしっかり評価して見てくれていて嬉しく思えた。
しかし、慣れてきたのか私語をする人が増えてきたように思えた。
高校までと違って退出してもなにもいわれないのに、私語してまで講義室にいるのはなぜなのか、不思議でならなかった。
高いお金払ってまで何しに来てるんだろう?
それが素直な疑問だった。
休みの日、みんなで遊びに行ったこともあった。
カラオケにみんなでいき、すごく楽しんだ大切な思い出。ずっと続いてくれたらよかったのに思わざるを得ない思い出。
そうやって遊びに行っている間に、親が下宿先に来て二段ベッドを組み立てた上に新しいパソコンを置いていってくれた日でもあった。
上がベッド、下が机になっているもので、収納ができてすごく便利で快適な二段ベッド。
パソコンは今まで使っていたノートよりずっと高性能で、もっと早くブラウザが開けてすごく興奮したのを覚えている。
ノートパソコンでもここの回線なら十分早く開いて快適だったのに、それがさらに快適になったのだ。
親に感謝しながら勉強に励むと意気込んだきっかけの一つでもある。
二段ベッドはすごく気に入って大好きだったけれど、台所が薄暗くて誰かがこっちを見ているような気がして怖いことがあった。
それだけでなく、二段ベッドで起きて上体を起こすと、ベッドの下から誰かが見ているようなそんな気がしてとにかく怖かった。
気のせいだ、きっと気のせいだ。
私は昔から夜になると暗がりから何かがこちらを見ていると感じるようなことがたくさんあった。
親は気のせいだとか、見間違えだとか言ってくれたけれど、怖くて仕方のない出来事だった。
妖怪は好きでもそういった得体のしれない何かが怖くてたまらなかった。
小学生の頃、霊感なんてないと言われ続けてきたからそう思い込もうとしたけれど、鳥肌は立つし気配を感じてしまうのを止めることができなかった。
ある小説の映画がトラウマになっていて、その作品を作者が怒ってしまった理由に怪物の正体を勝手に作られたという話を思い出した。
そうだ、正体を自分で作ってしまえばいいんだ。
我ながら良い機転だったと今でも思う。
夢を見るのも昔からだし、夢に物語をつけ、見えない何かがこちらを見ていると感じる現象にも物語をつけることにした。
亡くなった先輩が心配で見てくれている物語を得体のしれないなにかにつけた。
一人だから寝ている間心配で見守ってくれているのだと。
怖い夢を見ちゃったら、寝ている間も気を引き締めるよう愛の鞭を振ってくれていることにした。
そうやって、物語をつけて正体をでっちあげ、寂しい気持ちを紛らわすように私の友達ということにした。
私なんかじゃ友達になんてなりたくないだろうけどさ。嫌だったらどっかよそへ行ってくれるだろう。
もし嫌じゃなかったら……ずっとそばで見守ってくれて、この気配が消えることなんてない。一石二鳥のやり方だった。
それに、ある小説で読んだ話によると、幽霊は元は人間なのだから死んでから急に化け物になんてなったりしない。
別に物語を読んですべて真に受けていたわけではないし、幽霊を信じ切っているわけでもなかったけれど、参考にはしていた。
そういう考え方やお話もある、つまり、そういう可能性があるのだと。
私はただ可能性を切り捨てずとりあえず信じてみただけだった。
いろいろな幽霊の本を読んで、いろいろな説として覚えていたから、いろいろなことを試した。
起きた時気配を感じたらとりあえず挨拶でもしてみることがあったし、ブログに文字を書くことで先輩に言いたかったことが伝わると良いなと思ったこともあった。
恥ずかしかろうが頭がおかしそうに見えようが、とりあえず物は試しでいろいろなことをしてみた。せっかくの一人暮らしだったから。
あるとき、最初に仲良くなった子の友達の誕生日プレゼントに、好きだといっていたアイドルグループのポスターと他二つを用意したことがあった。
中身がランダムのやつしか見つけられなくて、その子の好きな子がでてくれたらと思ったけれど、残念ながらでなかったらしい。
サプライズで誕生日プレゼントを用意して渡しているのを見た最初の子が私に「ずるい」と言ってきたのにはビックリさせられた。
抜け駆けなんてずるい、今度はみんなで用意しようと。
私は今までそんなこと言われたことがなかったし、集団でいつも一緒に授業を受けたり話したことなんてなかったから、普通はこういうのがずるいのだと思った出来事だった。
それ以来、四人で話した結果、ケーキ用意して日程立てて、プレゼントの用意をして、お金をもらうスタイルでいこうという話になった。
結局、任せるわと言われることが多いだけでなく、なぜか私が目の敵にされるようになったから、その一年だけそういうスタンスでいき、次の年からはなにもしなかった。
提案したのは私じゃないのに……。
前期が終わりに差し掛かる頃、私たち四人組とよく絡んでくるようになった子がいた。
その子の誘いで高校時代にしていたスポーツをもう一度するようになった。
けれど、入部届は部長がもらってくるシステムになっているらしく、入部は忘れられてできることはなかった。
5人目の子から部活の日程を聞き、部活がある時は参加させてもらった。
久々にラケットを振ると肩がすぐに筋肉痛になり、あまりに酷く筋肉痛になってしまったからか、シャトルが飛ばなくなってしまった。
肩を治してからもう一度顔を出させてもらい、たくさん褒めてくれる人がいたりして楽しく部活をしていると、ボランティア部の先輩の一人が顔を出してびっくりしたこともあった。
幽霊部員として在籍しているらしく、周りの人からいじられキャラとして扱われていてどういう反応をしたらいいかわからなかった。
内心ではどう思ってるかわからないというのは、自分が今までそうだったから思ったことだった。
中学生の頃は特に、周りの人からいろいろな言葉を投げかけられてすごく嫌だったけれど、適当に愛想良くしてきたからこそ、一緒になっていじろうと思えなかった。
夏休みの間、実家へ少し戻ってたくさん話をしてから下宿先へ戻って過ごした。
夏休みの間部活があるかもしれないし、近所で下宿している子とボランティアで募金活動をする予定があったり、いろいろなことがあったからだった。
その子の誘いで顔を出してみたボランティア部という場所での思い出。
先輩たちはとても意欲的で、私たちの学年とは比べ物にならないくらいしっかりしていて知性を感じられた。
生まれる年が早かったらなんて思わずにいられないくらいしっかりしていて格好良かった。
人見知りと男の人が怖い例のあれが鳴りを潜めつつあったけれど、やはり苦手なものは苦手だった。
物凄く緊張しながら先輩たちのボランティア計画を聞き、岡山の小さな公園で募金活動をした。
その公園では祭りが開かれており、色々な人が祭りを楽しんでいるのを見ながら、出入口付近で募金活動をした。
いろいろな人が募金をしてくれて、中でも印象に残っているのが、難病を抱えてそうな子を抱っこした父親と、赤と青のつけ毛でメッシュにしている金髪の浴衣美女。
難病そうな子を抱えたパパさんは願掛けも込めての募金だったのだろうか? なんて思いながらお金を受け取った覚えがある。
万札か千円札か、お札だったのは確かだけれど、目が悪くて具体的には見えていなかった。
どうかその子の病が治りますように。
お金を受け取りながら心の中でそっと願った。何となく胸騒ぎがするというか、涙がでてきそうになったためだ。
もしこれでその子がよくならず死んでしまったなら顔向け出来ないし、なんだかすごく申し訳ない気持ちになりそうだったからでもある。
私たちに非があるわけではないし、私の勝手な妄想かもしれない。
でも、小さい子も大好きだし、心から元気になってほしいと思ったから、どうか元気になれるようひたすら祈った。でも、どこかでこの子は助からないだろうという気がしていた。それでも、もし助かるなら助かってほしいと願った。
メッシュの人は褒め言葉が自然とでてきてしまうくらい綺麗な方で、私の言葉を聞いた先輩はビックリしながら周りの人に私のことをはなしていた。
人の容姿を褒めるのって、そんなに話題にされることなのかな?
話されるのを聞いていると照れ臭かったけれど、悪い言われ方じゃなく褒められていたから素直に嬉しくて顔が熱くなってきた。
ボランティアの打ち上げでご馳走とお酒をいただき、二次会でボランティア部にいる子の家にみんなでお邪魔した。
私と近所の子以外にも同学年でもう一人ボランティア部の人がいて、その子もまた近くに下宿しているのだった。
ボランティア部の先輩は個性的で面白く、先生との掛け合いもすごく面白かった。
打ち上げでも個性を発揮し、二次会でも大暴れ。
見ているだけでも楽しかったのに、名前でいじってくれたり、いろいろと楽しい話をして盛り上げてくれてすごいと心から思える人だった。
たくさん笑わせてくれる先輩に恵まれて本当に良かったと思った。
夏休み中、高校時代そうだったから部活が毎日あるものだと思って大学へ行き、体育館を使っている剣道部が終わるのを外で待っていた。
夏休み中の日程は何も聞いておらず、いつあるのかも知らなかった。
大会があるらしいから練習はあるものだと思って通い詰めていた。
簡単な素振りをしながら本を読んだり、なにもせずに本を読んだりして日陰で待っていると、剣道部の人たちが今日部活あるのか聞いてくれたり、打ち合いしようとしてくれたり、話しかけてくれたり親切にしてくれた。
結局、一人でカーテンをしめて一人で準備をして、一人で壁に向かって打つことが多かった。
人が来たのはたまにだけ。
みんな忙しいから、学年があがるとすることが増えるからと自分に言い聞かせ、下宿先で本を読んだりゲームをしたりしてすごしていた。
父親があんまりエアコンをつける人ではなく、30度を超えないとつけてはいけないというルールがあったから、部屋でも同じようにしていた。
窓をあけて扇風機をつけてすごしていたけれど、暑くて眩暈がして辛い日々が多かった。
親からの仕送りだけじゃいくら食費を削ってもどんどんお金が無くなる一方だった。
だから30度を超えてもエアコンをつけずに過ごすこともあった。
バイトしないとな。
小説だけに飽き足らず、ゲームの音楽も好きになり、楽譜を探して書き写したりもするようになった。
バイトで生活費を楽にできたら貯金してバイオリンを買いたいな。
そんなことを思いつつ、二学期どれだけ講義とれるか、受けるかわかってない状態で探すのは危ないと思ったから、夏休み中はゆっくり過ごした。
でもさすがに後期が始まる前にバイトした方がいいんじゃないかと思ったから、大学にある掲示板を見て、緊張しながら電話をかけて面接を受け、働かせてもらえることになった。
バイト先には同じ大学に通っている人が一人いた。
面識も何もない先輩だった。
今までまともな人付き合いなんてしたことなかったのにできるだろうか? 家の手伝いしか経験ないけどやれるかな?
そんな不安な気持ちの中で頑張るぞと意気込んで挑んだバイトだった。
日配の納品物の期限を見てノートに書いてから冷蔵庫にしまう仕事を最初に教えてもらえた。それより先に教えてもらったのは、職場に来て最初にすること……着替えてから出勤を押すことだった。
講義が始まる前に慣れておきたいと思いながら頑張っていた。
あんまり居心地がいいとは思えなかったけれど、優しくしてくれる人もいて、あるSNSでよく職場での悩みを見かけるから職場とはしんどいところなのだと自分に言い聞かせていた。
なぜかプレッシャーや緊張を感じるような言い回しをされたり、すぐ怒られたりして挑戦するのを躊躇ってしまうようなことが多かった。
でも頑張って働かないと生活費がきついし、バイオリンを買いたい。
それにまだ始めたてだから頑張るぞ。
そう意気込む一方で、大学で受けた内容を仕事を覚えたことで忘れたらどうしようという不安があった。
自分がどれだけ覚えていられるか自信がなかったからでもある。
仕事一本だったらもっと上達速いかな?
そんなことを思いながら、生活や勉強面でも不安になりながら精一杯頑張った。
後期がはじまり、前期の終わり頃に絡んでくるようになった子がトラブルをよく持ち込んでくるようになった。
その子が連れてきた問題の多い子が、近所で下宿している子に付きまとったり根掘り葉掘り個人情報を聞いて迷惑をかけているから関わらせるなと言っているのに、わざわざ問題を持ち込んできて関わらせてくるから迷惑きわまりなかった。
近所で下宿していた子はグループから抜けていき、トラブルを持ち込む子がグループに入ってから悪い方向へ向かっていった。
最初に声をかけてくれた子はその子と仲良くなり、自分から約束を持ちかけておいて破ることがもっと増えていった。
私から約束を持ちかけたわけではないし、その子が遅れてきても怒ったりしなかったにも関わらず、たくさん謝ってきて次は守ると言っては破るの繰り返し。
あとで私がされる扱いだけれど、○○だったらできるよね? とか、約束だよと一方的に守らせようとする意地悪なこと一切言わなかったにも関わらず。
それどころか、忙しいから仕方がないとか、相手の事情を考慮した言い回しを心がけ続けてきた。
その子は口では謝り、今度は守ると自分で宣言しておいていつも破っていた。
それだけならいざ知らず、授業を一緒に受けたいなら隣で私語をしないでほしいとお願いしたのに、わざわざ隣の席に来ておしゃべりをするからすごくたちが悪かった。
あからさまにトラブルを持ち込んでくる子とばかりつるんでそっちを優先しているくせに、私と仲良くなりたいなんて口先だけ立派なことを言い、やってることは嫌がらせばかり。
あろうことか、相手の事情を考慮していつも我慢して優しい言葉をかけていたにも関わらず、返ってきた言葉が「忘れてくれて助かる」だった。
この人は表面上だけ愛想良くして良い子ぶり、多くの人から好印象を抱かれやすいけれど、中身がすかすかな上に自分にとって都合良い解釈をして相手を内心では見下しているタイプなのだと思わされたショックな言葉だった。
言葉の端に本音と本性がでていて、さすがにその言葉には頭に来た。もう関わらないでほしいとしか思えなかった。近寄ってこないでほしかった。
何が「忘れてくれる」だ。忘れられたらどれだけ苦しまずにすむかお前にわかるか。私の苦しみがわかってたまるか。
先輩のことをまた頭に浮かべる言葉でもあった。
覚えてる上で話してるんだよ。人を見下してるのかバカにしてるのか、どちらにしても不愉快きわまりなかった。
この子がよく話す、私と血液型が同じな上に似ている子の気持ちが何となくわかる気がした。
話に聞いただけで顔を合わせたこともない名も知らぬ子。多分、わかるといわれるのもいやがる可能性がある子。
血液型だけで人をわかった風に言われるのが嫌だし、相手の気持ちに沿って舵を切ったはずなのにいつの間にか悪者扱いされている。挙げ句の果てには目の敵にされ、広い心をもって我慢していたら人のことバカにしたかのような言い方をされ、耐えられるはずもなかった。
されて嫌なことわかっている上にその子から嫌われたと言って、繰り返したくない、今度は仲良くするなんて言っているのに、わざわざ嫌がるとわかっていることをしてきて理解に苦しんだ。
一方的に宣言していつも破って、責めてないのに勝手に申し訳なさそうに口先だけで謝って、周りの人間が可哀想とか言い出して、私が厳しいみたいな扱いされ出して、本当に勘弁してほしかった。
挙げ句の果てにはトラブル持ち込んでくる子が関わらせてきたやばいやつが私に喧嘩売ってきていい加減にしてほしかった。
これなら最初からずっと一人の方が良かった。
繰り返しだった。何度も何度も。
人の輪に加わるんじゃなかった。人と仲良くなんか、関わったりなんかしなければ良かった。
もしかしたらここでなら周りの人たちのような交遊関係が築けて、今までになかった生活が送れるかもしれないと思っていたけれどそんなことはなかった。どこも同じだった。
最初から一人だったなら、変に希望を持たず、どこへ行っても同じだとわかっていたなら……。
酷く後悔させられる学生生活だった。
ノートを見せるのはいつも私で、私が困っても誰も頼る人なんていない。
一人の方がずっとましだった。
頼むからもうこっちにこないでくれと言っても、しつこくその子はやってきて、一人に出来ないとか放っておけないなんて言ってきて、違う、そうじゃないといって叫びそうだった。
嫌がらせするのをやめてくれ!
付きまとってくるのはその子だけじゃなかった。
同じくゼミが同じだった子が、親しく話しかけてくるようになったけれど、顔も距離感もおかしいくらい近くて気持ち悪くて無理だと思わされることがあった。
それ以来それとなく距離をおいていたけれど、追いかけ回されたりしてすごく嫌な思い出だった。
まともな人いないのかな。
やっぱり一人の方が良かったと強く思わされた。
そのうち、夜中に最初に仲良くなろうとしてくれた子から名前を呼ばれ続けるノイローゼ気味な夢を見た。
頭がおかしくなりそうだった。
現実だけでなく、ネトゲでもいろいろな嫌なことがたくさんあった。
弟と仲の良い人がなぜかこれ見よがしに好きだと思った人と仲良しアピールしてきたり、ちょっと喧嘩腰で突き放したような態度をとり続けてくるようになった。
旦那がいる癖に男にばっかり愛想良くしているのを見続けてきたからそういう人なのだと思った。
どうせ私はガキだから相手になんてされない。
そのうちそういうことを思うようになった。
気になってる人がその嫌なことしてくる人の家の近くに引っ越したと聞いたときは胸が張り裂けそうなくらい痛くて辛かった。
これが失恋か。
相手になんてされるわけがなかった。
私は年なんて気にしないけど、相手は立派な大人だし、私みたいなやつを好きになる人なんていない。いるわけがない。
気にしないよう、背負って歩こうと覚悟をしたはずなのに、先輩のことが頭に浮かぶようにもなってきた。
なんでこんな目に遭うんだろうな。
本当に、一人だったらどれだけ良かったか。
胸にぽっかり穴が開いたような虚しさが満ちてきて、痛くてたまらなかった。
そんなときだった。
よく中学生の頃ゲームであちこち連れまわしてくれる人がいたことがあった。
すごく優しくて親切な人だと思っていた。
その人が久々に声を掛けてくれて、たくさんチャットをして、たくさん話して、通話がしたいと言われたからある媒体でフレンドになって通話をすることもあった。
中学の時、実は私のこと好きだったと言ってもらえて、すごく嬉しかった。
こんな私でも好きになってくれる人っていたんだ。
嬉しかったし、付き合おうということになったけれど、相手が何か言いづらそうにしていてどんな話かと身構えていた時だ。
実は嫁がいて子供もいると言い出したのだ。なんだか面白おかしい口調で。
最初はびっくりした。
え? それで付き合うってどういうこと?
頭が真っ白になりそうだったけれど、まあ聞いてくれというから耳を傾けることにした。
今まで決めつけで物を言われてきたから、とりあえず最後まで話を聞いてみようと思ったためだった。
奥さんに浮気をされて困っているし、離婚がしたいんだと辛そうに話しながら騙されたと怒っていた。
中学生の頃、母親が一人で寂しそうにしながら泣いていたこと、父親が朝早くにたびたび外に出てある方角を見てうろうろしてあからさまに様子が変だったことがあった。
母から浮気してるって相談をされたこともあったから、辛い気持ちに寄り添うことができた。
私は誰からも好かれたことないし、必要としてもらえたのが嬉しかったから役に立ちたいと思った。
利用されることしかなかったから、付き合おうとまで言ってくれたのが純粋に嬉しかった。
必要とされて、好きだと言ってもらえて、助けになりたいと心から思った。
でも、やはり本の話はできないし、なんか会話が噛み合わなかったり合わないと感じることはあれど、相手の話を楽しく思いながら聞いて、興味を持っているととても満足そうにしてくれて嬉しかった。
通話を繋げたまま相手がどこかへ行っている間に、奥さんが誰かと話しながらいやらしい声をあげているのが聞こえてくることがあった。
どうやら浮気されているのは本当らしい。
それだけでなく、帰ってきた相手の人が奥さんと口論しているのまで聞こえてきた。
鼻血出てるとか何してたのとか、関係ないとかそういった軽い言い合いだった。
その出来事があったから、少なくとも騙されてはいないのだと愚かな私は思った。
そのうち、会ってみたいと話をするようになり、会うには信頼がいると言われて恥ずかしい写真を撮るよう要求された。
さすがに嫌だったけれど、信じてくれないの? やら後ろめたくなるようなことを言われて渋々でもいやいやでも撮って送った。
捨てられるのが怖くて、必要とされないのが怖くて、仲良くしてもらえたのにまた嫌われるのが怖くてそうしただけだった。
本当は撮るのも見せるのも嫌だった。
誰と会話しても、どこへいっても、寂しい気持ちはなくならなかった。
むしろ、人と接すれば接するほど寂しくて胸の痛みが増していくばかりだった。
夢の話をできる人もおらず、読書の話をできる人もいない。
雑談でも話の合うジャンルはなく、本当の気持ちを隠して相手に合わせたらすごく喜んでくれるから自分の気持ちはほったらかして、相手の言うことを聞いて聞いて聞き続けてきた。
必要としてくれても、自分の言いたいことが言えないままだった。
この時点で私が自分の気持ちを素直に聞くことができたのは怖いという気持ちだけだった。
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