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現
夢(中編)
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部活では仲良くしようとしてくれた子がいて、一緒に部活行こうと言ってくれて嬉しかった。
しかし、いざ一緒に行動してみれば、到着が遅くなったのを私のせいにして自分は悪くないと主張されたのでとても気分が悪く、それ以来一人で部活へ向かうことにした。
場所があっているのか不安な気持ちが強かったけれど、私のせいで遅れたと言われるよりずっと良いと思ったし、なんだかんだ言って一人で行動するのは気が楽だと思えた。
そうやって一人で行動していると、誰よりも部活の予定地に早く到着し、準備をすることだってできた。
でも、早く到着して準備をしたところで、一人で練習できることしか上達していかなかった。
一緒にする相手が必要な競技だったから。
だからなのか、サーブには特に自信があった。一人でできる練習だったから。
そうやって過ごしていると、自分がもう一人増えたらいいのになんて強く思わされる日々だった。
同じようにはやくきて、同じように練習して、同じように……。蹴落としあうのではなく、競い合って切磋琢磨する相手が欲しかった、たくさん練習して成長したかったから思ったことだった。
でもそんな願いは虚しく、同じように一緒に頑張れる人、一緒にがんばる人はそばにいなかった。
それでも、部活で運動に励むのはとても楽しかった。
歩いている蟻を見て和みながら、足の痛みに悲鳴をあげながら、先輩たちに優しくしてもらいながら、心配してくれた優しい人に少しずつ興味をもちながら、一生懸命頑張った。
部活の大会でよその高校の人に気になる人がいて、周りにからかわれながらもひっそりと応援したこともあった。
とても失礼な呼び方をしていた自覚はあったので大声でそう呼んだりはしなかったけれど、とても可愛い人だった。
あるとき、合同練習でその人がきたときは緊張して話しかけられなかった。
ものすごく綺麗な人だなと改めて思える人だったけれど、どれだけ綺麗で親しみやすくても男が苦手で怖かった。
この時の私はどうして男の人が怖くて苦手なのかなんてさっぱりわかっていなかった。
対面するのが怖くて、話しかけるのも話しかけられるのも怖くて、頭からサッと血の気が引いて、逃げろ、逃げろとひたすら頭の中で声が響くような、そんな状態だった。
理由を自覚していたわけではなかった。
ただ、とにかく怖かったから強がりながら避けていた。
声をかけられたときは嬉しくてたまらなかったけれど、少しだけ怖かった。
テストの時期になると、得意なはずの理系で躓いていたけれど、仲良くしてくれていた隣のクラスの子がヒントをくれてから飛躍的に理解ができて、テストで良い点数を取れた。
やっぱり理数は楽しくて大好きだと改めて思えたこと、担任の先生から、理数専攻除くと二位だと言われて嬉しかったこと、とてもたくさんの『嬉しい』がそこにあった。
一学期が終わり、夏休みのうちに課題をこなしつつ、間に合わない英文の翻訳、ありとあらゆるものを一生懸命こなすつもりでいたけれど、毎日のように部活があって、これ本当に夏休み中に終わらせられるのか? なんて不安になりながら両方頑張った。
早く走れない、足が痛い、体力がもたない、たくさんのないがあったけれど、家で課題をこなし、みんなに追い付きたくて走り込みをしてみたり、不得意なジャンプ中に足を伸ばすやつを練習したり、人の見ていないところでたくさんたくさん頑張った。
そのうち、部活のみんなで海へ行こうと誘ってもらえてすごく嬉しかった。
同学年の子と授業以外で海に行くなんてはじめての出来事だった。
夏休みの課題をこなし、英文の翻訳も間に合わせてこれてきて、少しずつ遅れを取り戻しながら部活も頑張っていたある日のこと。
部活への道中、白い鳩が溝の中にある段の上に乗っているのが見えた。
怪我をしているのか、右側の腹と胸辺りは血に染まり、頭にも少し血がついていた。
飛び立ちもしないでそこで身動きせずにじっとしているのを放っておけなかった。
病院へつれていかないと。
でも、どうやって連れていこうか。お金なんてないし、近くの病院なんて知らない。
悩みながらも、とりあえず鳩に手を差し伸べてみた。
おいで、おいで。
手を差し伸べて声を掛けてみたけれど、白い鳩は怖がっているのか、少しずつ動いて私から遠ざかっていく。
溝は肩幅より広めの幅と、私が入ったら胸元くらいまである深さで、道路側からどうやって鳩を拾い上げるかすごく悩んだ。
私の様子に気づいたらしき車に乗ったおばさんが、少し通り過ぎてから車を停め、一緒に鳩を助けようとしてくれた時だった。
鳩が溝の中を流れる水に飛び込んで流れてしまいそうになった。
私は靴が濡れるのとか何もかもお構いなしで足を踏み入れ、鳩を抱き上げた。
鳩の体についていた血が制服のブラウスにつくのも、なにもかも気にしなかった。
おばさんが悲鳴を上げるのを背中に受けながら鳩を抱き上げにバシャバシャと進んだのは自分でもびっくりだった。
部活で使うタオルを濡れてしまった鳩をふくために使うのも、親が怒るかな? という気が少ししただけで特に抵抗も何もなかった。助けたくて必死だった。必死で、無我夢中で、他のことなんて何も考えなかった。
その様子を見ていたおばさんはとても優しい人で、学校まで車で送ってくれるというのだった。
溝に足を踏み入れたから水でぐしゃぐしゃだし、夏の暑い日で汗をかいていた上に臭い。よくみたらブラウスに血がべったりついていて、車を汚してしまうから断ろうとしていたけれど、乗っていってと何度も言ってもらえた。
それに加えて、助けさせてほしい、協力させてほしい、やりたくてやってるんだという温かい言葉に甘えさせてもらったので、遠慮しながらも乗せてもらうことにした。
日差しの強い、暑い日だった。夏だったから余計に。
鳩を抱えて歩いていたら、鳩が焼き鳥になっていたかもしれない。冗談だけれど。
おばさんの鳩への好意はきっと、何があっても忘れないだろう。こういう優しい人もいてくれたんだと、一緒に助けようと手を貸してくれた人もいたのだと。
学校へ着いてすぐに職員室へ行き、偶然居合わせた先生に保健室へついてきてもらい、包帯をもらって鳩の怪我したところに巻いてみた。
ド素人で上手に巻けた自信なんてなかったけれど、先生は上手に巻いてるねと言って褒めてくれた。
鳩に水を飲ませたくて、持っている冷却スプレーの蓋を器代わりにして水を与えても飲んでくれなかった。
どうして飲んでくれないのかがわからなくて、心配しながらその日も部活に励んだ。
帰りは親に迎えに来てもらうようになっていたので、迎えを待っている間は鳩の食べれそうなものを用意し、一緒にベンチのところで待った。
鳩は相変わらず何も食べてくれなかった。水も飲んでくれない。
私の腕時計にある穴をつつきはしたけれど、それだけだった。
どうしたらご飯を食べてくれるのか、そればかり考えて悩んだ。腕時計の穴をつついたから、穴の先にエサがあれば良いのかな?
たくさん悩んで考えて試しても、鳩はエサを食べなかった。
母が迎えに来てくれて、鳩と一緒に車に乗るとすごく驚かれた。
病院へ連れていきたいっていうと、母は父親に頼んで話してみてからなんていうのだ。
顧問の先生が役所で許可をとらないといけないと言っていたこと、病院へ連れていきたいことを父親へ伝えると、父が子供だった頃、動物病院に妹が拾った動物を連れていってもなにもしてくれなかった話を聞かされ、鳩を連れて行ってもらえることはなかった。
役所での手続きも、なにもさせてもらえなかった。
母は鳥インフルエンザを警戒していて、私のブラウスもタオルも汚いと喚きながら消毒していた。
鳩を部屋に入れてやりたかったけれど、ウィルスがあるのを警戒されてベランダに出されたままだった。
鳩は首を引っ込め、なんだか様子がおかしくて心配だった。
父親が調べて言うには、鳩は器の深い物に水をいれないといけないということだったけれど、どんな工夫をしても水を飲んでくれないし、ご飯も食べてくれなかった。
やっぱり病院へ連れていきたい。何もしないでそのままなのがすごく嫌だったけれど、私にはどうしようもない問題だった。
次の日はみんなで行こうと約束した海だった。
鳩を置いていくのが心配だったけれど、親が一緒にいるからきっと大丈夫だ。
愚かで間抜けな私はそう思ってみんなと一緒に海と温泉を満喫した。
海で泳いだからなのか、温泉であったまったからなのか、痛くてたまらなかった足の痛みが和らぎ、とても歩きやすくなれた思い出でもある。
すごく楽しかった。
家について鳩の様子を見ると、鳩が前に倒れた状態で伸びていた。
寝てるのかな?
パッと見た時に思ったのはそれだったけれど、目元を見たときに違うってはっきりとわかった。
死んでる。
眠っているだけのときと、死んでいるときとでは目元が全く違うのだ。
上手く言葉にあらわせないけれど、そこになにもない。言葉にするのがとても難しいけれど、生きているときにある色がそこにはなかった。生気というのか、血色というのかがそこにはなかった。
特に何かオーラが見えるわけでもなんでもないし、感じ取っただけだ。
あまりに唐突な出来事で言葉をなくしていると、母親が気づいたときには倒れていたということだった。
みんなと海に行かず、付き添っていれば良かった。ずっとそばにいればよかった。死なないって思っていた。
酷く後悔し、自分を酷く責めた。
半ば脅すような調子でもいいから、親に強くお願いしていればよかった。もっと頑固に主張すればよかった。聞き分けなんて悪かったらよかった。もっと、もっとなにかできることなんてなかったのだろうか?
ひたすら後悔した。こんなに簡単に、こんなにすぐに死んでしまうなんて。
自分の無知さと愚かさと、もっとこうしていれば良かったという後悔の気持ちと……無力さが悔しくて悲しかった。
手を貸してくれたおばさんや先生になんていえば良いのだろうか。
手を貸してくれた人に顔向けできないし、何よりも鳩に対して申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
その次の日の部活で鳩の様子をみんなに聞かれて、言葉に詰まりながら正直に白状した。
帰ったら死んでしまっていたと。
落ち込んでいる私を気遣って、でも一緒に遊んだ思い出は良かったでしょ? なんて肯定してくれて、遊びに行ったことを後悔しないような言葉がけをしてくれて、みんなの優しさに泣きそうになった。
みんな優しい。
顧問の先生は厳しい言葉をくれたけれど、そういわれても仕方がないと思った。
人の厳しさを否定していたら、自分にとって都合の良い言葉しかかけてもらえなくなる。
中学生の頃にネトゲで知り合った人と接していて思ったこと、学んだこと、良いと思ったことだった。
先生は先生なりの思いやりがあって厳しい言葉をくれたのだと。
家に帰り、鳩を家の裏にある神社の木の下に埋めた。
命日を、白い鳩のことを忘れないよう、大事に覚え続け、何度か手を合わせに行きもした。
親はそれを不思議がっていた。
「金魚やハムスターが死んだときそこまでしなかったでしょう? 次の日に死んじゃったんだからどのみち助からなかったんだよ」
そう言われたけれど、親の指摘した出来事があったのは、私が小学生のときだったり、中学に入ったばかりの頃の話だ。
それに、飼っていたのと、助けようとして拾ったのとでは理由も事情も何もかも違っている。
忘れないよう、繰り返してしまわないように、メアドを鳩にまつわるものに変えた時、周りの人から重いって言われたりもしたけれど、私は忘れたくなくて、もうこれから先、同じようなことで後悔したくなくて、鳩との思い出ある数字と名前を愛用し続けた。
助けるためには無知では、簡単に折れては、言いなりになってはダメだった。どんな手を使ってでも病院へ行ってもらえばよかった。やれることやり切ってからだったらこんなに後悔しなかったんじゃないか?
強い後悔の気持ちから、繰り返さないように、忘れないよう胸に刻みつけた出来事だった。
夏休みの間に英文の翻訳を間に合わせたこと、いろいろなことをこなしたおかげで、二学期からは余裕をもってついていけるようになった。
課題が間に合わないと焦りながら部活も頑張って頑張って、頑張りぬいたからか、体力はまだましになったし、勉強にだいぶ追いついていけるようになれた。
一学期と比べて勉強に余裕ができて、自分の成長を実感できてとても喜ばしかった。
ちょっとずつ、確実に伸びてきてる。
一方で、文化祭は乗り気じゃなかった。
特に行きたい場所もなく、汗だくになりながらひっそりした場所で窓を開けて本を読んで過ごしていた。
文化祭を楽しむ気持ちがわからなかったこと、どこに行くべきか、何に興味を持てばいいのかわからなかったこと、読書が何より好きだったこと、一人でいるのが一番落ち着けたこと、人ごみにいると過呼吸になりそうで嫌だったこと、このときだけみんなで頑張ろうと呼びかけて仲間意識を持つのが気持ち悪くて吐き気がしたこと、一緒に楽しむ仲間がいなかったこと、いろいろな理由からだった。
部活を頑張って汗だくになっているときも、こうして汗だくになりながらひっそり読書をしているときも、汗のにおいが気になった。
中学生の頃は学校で飲まず食わずだったからか、汗をあんまりかかなかったけれど、高校生になってからは水筒の中身を飲んでもいい? なんて聞いたら不思議がられた上、飲まないと無理なくらい汗をかいたから必然と口にするようになった。
それに、高校からは給食ではなくお弁当だったことや、机を合わせて誰かと強制的に食べさせられるわけでもなかったし、弁当をよこせなんて言われなかったからご飯を普通に食べられた。
だからなのか、運動部だったからなのかはわからないけれど、とにかくとても臭かった。
みんなも汗をかいているはずなのに良い匂いがしていて、どうやっているのかわからなかった。
香水つけてるのかな? と思っていたけれど、制汗剤を使っているんだよと教えてくれる人がいた。
せいかんざい?
大袈裟な言い方をすると私の辞書にはない言葉だった。
せいかんざいが何かわからないなりに親に話して相談し、買ってもらうことができた。
お願いして買ってもらうのは、私にとって少し勇気のいることだった。
みんなが更衣室でシューッとやっているやつを制汗剤ということをここで初めて知った。
他にも、液体タイプのものもあったり、新しいことを知れてすごく嬉しくなれると同時に、みんなどこでこれの存在を知ったのかが気になった。
私は何も知らないんだな。
高校生になってから新しいことの連続で、とにかくたくさんぼこぼこにされて新鮮だった。
もちろん、殴る蹴るのぼこぼこではなく、勉強で躓いたり、運動でついていけなかったり、知らないことの山を前にして、自分の狭かった世界がどんどん広がっていくことや、自分がいかに未熟かを思い知れたという意味でのぼこぼこだ。
とても楽しかった。
できないことがたくさんあって、自分はまだまだ未熟でちっぽけで、まだまだ伸ばせる余地がある。
上には上がいる。
自分にそう言い聞かせ、どんどん能力を伸ばしていく夢を思い描いて学生生活を送っていた。それがとてつもなく楽しいことだった。
寝ているときの夢も幸せで満ち溢れていた。
とても楽しくて幸せになれる夢もあれば、部活でのことを反芻している夢もあって、夢の中でも鍛錬を積んでいるような気分になれたし、実際ちょっと成長できているのを実感した。
夢で練習をした次の日には、できなかったことができるようになっていた。
これは昔からよくあることで、夢の中で練習した成果だと大喜びしてきた。
頑張っている私を応援してくれているような温かさもあって、見ている夢以外にもなんだか見守ってくれる何かがいるようで、自己肯定感がとても高かった。
君はもっと成長できるよ!
これは自分が自分に対して掛けている声なのだろうか? それとも、夢で一緒に遊んでいる何かの?
私は自分がナルシストだと思いたくなかったし、自分のことが嫌いなのに、こういう肯定的な言葉が頭の中にたくさん聞こえてきていて、温かくて、不思議でたまらなかった。
でも嫌な気はしなかった。
他の誰に聞こえるでもなく、私の中で聞こえて心が温かくなる、やる気がどんどん出てくるだけで悪い物じゃなかった。
私が何かに夢中になって、楽しく日々を過ごしていると、どんどん応援する声と肯定する声が強くなっていった。
どんどん、ますます楽しくて、もっともっと夢中になって、エスカレートしていった。
息が苦しくて、走っていると喉が焼けたような痛い感覚があったし、足が痛くてもう動けないくらいには痛かったけれど、動き続けているとなんとかなった。
一番つらいのは、中途半端に足を止めてしまった時、休んでしまった時だった。
足を動かし続けている間よりも、立ちっぱなしでいる間よりも、足を止めた後、座って休んでしまった後にもう一度動こう、立ち上がろうとしたときの痛みは心が折れそうだった。
頑張るのをやめると、遊びに夢中になっていると、課題を忘れていやしないか、このままだといけないという不安でたまらなくなるのと少し似ていた。
クロスカントリーという行事があるらしいけれど、私にはクロスカントリーがなにかわからなかった。
首をかしげながら周りの話を聞いていると、マラソンのようなものらしかった。
コースも何もわからなくて不安だったし、走るのが苦手だったけれど、同じクラスで仲良くなれそうな子と一緒に走りたくて、一緒に走ろうと言ってみると、ついてこれるならな、なんて言ってもらえた。
一生懸命ついていった。
足が痛くて、走るのが苦手なりに、苦しくても、吐きそうになっても、もっと仲良くなりたくて。
ついていっている途中、急に態度が冷たくなった子が仲良くなりたい子にだけ声をかけ、私にたいしてあからさまに嫌そうな雰囲気を出したのを尻目に、必死について走った。
最初の方でもう限界を越えて苦しくて死にそうだった中、仲良くなりたい子の提案でしりとりが始まった。
もう息が苦しくて死にそうな中で、一生懸命しりとりを返していると、仲良くなりたい子は先に行って欲しいと言うので、途中から一人で走ることになった。
気持ちを託された気に勝手になって、これはこのまま走りきらなければならないという使命感に似た何かがあって、足を止めることなくそのまま頑張って走った。
足が痛い、腕に感覚がない、呼吸で喉が痛くなりすぎて麻痺している、体のいたるところが痛い。
でも、それでも足を止めずに走りきった。
折り返し地点付近で、見知らぬ男の先輩が水の入ったコップを取って、飲んだあと捨てるときゴミ箱に入れ損なっているのを拾ったとき、一番苦しかった。
しかしそのあとも走り続け、限界を越えると苦しさが和らいだ。
テンポを乱すことなく、なるべくキープしていると楽になれるのに気づいた瞬間だった。少し乱れただけで地獄のような苦しみに見舞われる。
日の光の下、太陽の光すら痛くて、何もかもが痛くて、苦しくて、心が折れそうになりながらずっと走って走って走り続け、ようやくゴールへたどり着くことができた。
最後まで走りきったあとは目がチカチカして暗かったし、足が筋肉痛で動かなくなった。
階段を上がるとき思わず悲鳴をあげてしまうくらい痛かったし、本当に体が動かなかった。
部活で同じ学年の男子が、先生にクロスカントリーで部内一番だったらご褒美が欲しいと言っていたらしい。
私は部内の女子で一番になれていたようだったので、おこぼれでご褒美をもらうことができてとてもラッキーだった。
いつも部活で一番はやく走れていなかったどころか一番遅かった上に途中で歩くことがあったけれど、仲良くなりたいがために死に物狂いで走ってからは、部活でも早く走れるようになれた。
私が伸びるのはいつだって誰かと仲良くなりたいからだった。
周りからしたらいきなり能力が伸びただけだったのかもしれないけれど、実はこっそり頑張っていたから、芽を出す準備ができていたのだろうと私は思う。
あとは足を止めない根性と精神的な強さが必要だったんじゃないだろうか?
それが、仲良くなりたい子についていくことで自分の中にある限界値のボーダーラインが新しく更新されたのだ。
部活を頑張っていて、なんだか見られているような気がしながら励んでいると、ある子が声を掛けてくれた優しい先輩に恋をしたと話していた。
少しショックだったけれど、私はどうせ誰とも仲良くなれないという気持ちがどこかにあったから、大人しく応援しようと思った。
友達ならもしかするとできる可能性を感じるけど、恋なんて私にはまったく縁のない話なのだからと。
しかし、いざ一緒に行動してみれば、到着が遅くなったのを私のせいにして自分は悪くないと主張されたのでとても気分が悪く、それ以来一人で部活へ向かうことにした。
場所があっているのか不安な気持ちが強かったけれど、私のせいで遅れたと言われるよりずっと良いと思ったし、なんだかんだ言って一人で行動するのは気が楽だと思えた。
そうやって一人で行動していると、誰よりも部活の予定地に早く到着し、準備をすることだってできた。
でも、早く到着して準備をしたところで、一人で練習できることしか上達していかなかった。
一緒にする相手が必要な競技だったから。
だからなのか、サーブには特に自信があった。一人でできる練習だったから。
そうやって過ごしていると、自分がもう一人増えたらいいのになんて強く思わされる日々だった。
同じようにはやくきて、同じように練習して、同じように……。蹴落としあうのではなく、競い合って切磋琢磨する相手が欲しかった、たくさん練習して成長したかったから思ったことだった。
でもそんな願いは虚しく、同じように一緒に頑張れる人、一緒にがんばる人はそばにいなかった。
それでも、部活で運動に励むのはとても楽しかった。
歩いている蟻を見て和みながら、足の痛みに悲鳴をあげながら、先輩たちに優しくしてもらいながら、心配してくれた優しい人に少しずつ興味をもちながら、一生懸命頑張った。
部活の大会でよその高校の人に気になる人がいて、周りにからかわれながらもひっそりと応援したこともあった。
とても失礼な呼び方をしていた自覚はあったので大声でそう呼んだりはしなかったけれど、とても可愛い人だった。
あるとき、合同練習でその人がきたときは緊張して話しかけられなかった。
ものすごく綺麗な人だなと改めて思える人だったけれど、どれだけ綺麗で親しみやすくても男が苦手で怖かった。
この時の私はどうして男の人が怖くて苦手なのかなんてさっぱりわかっていなかった。
対面するのが怖くて、話しかけるのも話しかけられるのも怖くて、頭からサッと血の気が引いて、逃げろ、逃げろとひたすら頭の中で声が響くような、そんな状態だった。
理由を自覚していたわけではなかった。
ただ、とにかく怖かったから強がりながら避けていた。
声をかけられたときは嬉しくてたまらなかったけれど、少しだけ怖かった。
テストの時期になると、得意なはずの理系で躓いていたけれど、仲良くしてくれていた隣のクラスの子がヒントをくれてから飛躍的に理解ができて、テストで良い点数を取れた。
やっぱり理数は楽しくて大好きだと改めて思えたこと、担任の先生から、理数専攻除くと二位だと言われて嬉しかったこと、とてもたくさんの『嬉しい』がそこにあった。
一学期が終わり、夏休みのうちに課題をこなしつつ、間に合わない英文の翻訳、ありとあらゆるものを一生懸命こなすつもりでいたけれど、毎日のように部活があって、これ本当に夏休み中に終わらせられるのか? なんて不安になりながら両方頑張った。
早く走れない、足が痛い、体力がもたない、たくさんのないがあったけれど、家で課題をこなし、みんなに追い付きたくて走り込みをしてみたり、不得意なジャンプ中に足を伸ばすやつを練習したり、人の見ていないところでたくさんたくさん頑張った。
そのうち、部活のみんなで海へ行こうと誘ってもらえてすごく嬉しかった。
同学年の子と授業以外で海に行くなんてはじめての出来事だった。
夏休みの課題をこなし、英文の翻訳も間に合わせてこれてきて、少しずつ遅れを取り戻しながら部活も頑張っていたある日のこと。
部活への道中、白い鳩が溝の中にある段の上に乗っているのが見えた。
怪我をしているのか、右側の腹と胸辺りは血に染まり、頭にも少し血がついていた。
飛び立ちもしないでそこで身動きせずにじっとしているのを放っておけなかった。
病院へつれていかないと。
でも、どうやって連れていこうか。お金なんてないし、近くの病院なんて知らない。
悩みながらも、とりあえず鳩に手を差し伸べてみた。
おいで、おいで。
手を差し伸べて声を掛けてみたけれど、白い鳩は怖がっているのか、少しずつ動いて私から遠ざかっていく。
溝は肩幅より広めの幅と、私が入ったら胸元くらいまである深さで、道路側からどうやって鳩を拾い上げるかすごく悩んだ。
私の様子に気づいたらしき車に乗ったおばさんが、少し通り過ぎてから車を停め、一緒に鳩を助けようとしてくれた時だった。
鳩が溝の中を流れる水に飛び込んで流れてしまいそうになった。
私は靴が濡れるのとか何もかもお構いなしで足を踏み入れ、鳩を抱き上げた。
鳩の体についていた血が制服のブラウスにつくのも、なにもかも気にしなかった。
おばさんが悲鳴を上げるのを背中に受けながら鳩を抱き上げにバシャバシャと進んだのは自分でもびっくりだった。
部活で使うタオルを濡れてしまった鳩をふくために使うのも、親が怒るかな? という気が少ししただけで特に抵抗も何もなかった。助けたくて必死だった。必死で、無我夢中で、他のことなんて何も考えなかった。
その様子を見ていたおばさんはとても優しい人で、学校まで車で送ってくれるというのだった。
溝に足を踏み入れたから水でぐしゃぐしゃだし、夏の暑い日で汗をかいていた上に臭い。よくみたらブラウスに血がべったりついていて、車を汚してしまうから断ろうとしていたけれど、乗っていってと何度も言ってもらえた。
それに加えて、助けさせてほしい、協力させてほしい、やりたくてやってるんだという温かい言葉に甘えさせてもらったので、遠慮しながらも乗せてもらうことにした。
日差しの強い、暑い日だった。夏だったから余計に。
鳩を抱えて歩いていたら、鳩が焼き鳥になっていたかもしれない。冗談だけれど。
おばさんの鳩への好意はきっと、何があっても忘れないだろう。こういう優しい人もいてくれたんだと、一緒に助けようと手を貸してくれた人もいたのだと。
学校へ着いてすぐに職員室へ行き、偶然居合わせた先生に保健室へついてきてもらい、包帯をもらって鳩の怪我したところに巻いてみた。
ド素人で上手に巻けた自信なんてなかったけれど、先生は上手に巻いてるねと言って褒めてくれた。
鳩に水を飲ませたくて、持っている冷却スプレーの蓋を器代わりにして水を与えても飲んでくれなかった。
どうして飲んでくれないのかがわからなくて、心配しながらその日も部活に励んだ。
帰りは親に迎えに来てもらうようになっていたので、迎えを待っている間は鳩の食べれそうなものを用意し、一緒にベンチのところで待った。
鳩は相変わらず何も食べてくれなかった。水も飲んでくれない。
私の腕時計にある穴をつつきはしたけれど、それだけだった。
どうしたらご飯を食べてくれるのか、そればかり考えて悩んだ。腕時計の穴をつついたから、穴の先にエサがあれば良いのかな?
たくさん悩んで考えて試しても、鳩はエサを食べなかった。
母が迎えに来てくれて、鳩と一緒に車に乗るとすごく驚かれた。
病院へ連れていきたいっていうと、母は父親に頼んで話してみてからなんていうのだ。
顧問の先生が役所で許可をとらないといけないと言っていたこと、病院へ連れていきたいことを父親へ伝えると、父が子供だった頃、動物病院に妹が拾った動物を連れていってもなにもしてくれなかった話を聞かされ、鳩を連れて行ってもらえることはなかった。
役所での手続きも、なにもさせてもらえなかった。
母は鳥インフルエンザを警戒していて、私のブラウスもタオルも汚いと喚きながら消毒していた。
鳩を部屋に入れてやりたかったけれど、ウィルスがあるのを警戒されてベランダに出されたままだった。
鳩は首を引っ込め、なんだか様子がおかしくて心配だった。
父親が調べて言うには、鳩は器の深い物に水をいれないといけないということだったけれど、どんな工夫をしても水を飲んでくれないし、ご飯も食べてくれなかった。
やっぱり病院へ連れていきたい。何もしないでそのままなのがすごく嫌だったけれど、私にはどうしようもない問題だった。
次の日はみんなで行こうと約束した海だった。
鳩を置いていくのが心配だったけれど、親が一緒にいるからきっと大丈夫だ。
愚かで間抜けな私はそう思ってみんなと一緒に海と温泉を満喫した。
海で泳いだからなのか、温泉であったまったからなのか、痛くてたまらなかった足の痛みが和らぎ、とても歩きやすくなれた思い出でもある。
すごく楽しかった。
家について鳩の様子を見ると、鳩が前に倒れた状態で伸びていた。
寝てるのかな?
パッと見た時に思ったのはそれだったけれど、目元を見たときに違うってはっきりとわかった。
死んでる。
眠っているだけのときと、死んでいるときとでは目元が全く違うのだ。
上手く言葉にあらわせないけれど、そこになにもない。言葉にするのがとても難しいけれど、生きているときにある色がそこにはなかった。生気というのか、血色というのかがそこにはなかった。
特に何かオーラが見えるわけでもなんでもないし、感じ取っただけだ。
あまりに唐突な出来事で言葉をなくしていると、母親が気づいたときには倒れていたということだった。
みんなと海に行かず、付き添っていれば良かった。ずっとそばにいればよかった。死なないって思っていた。
酷く後悔し、自分を酷く責めた。
半ば脅すような調子でもいいから、親に強くお願いしていればよかった。もっと頑固に主張すればよかった。聞き分けなんて悪かったらよかった。もっと、もっとなにかできることなんてなかったのだろうか?
ひたすら後悔した。こんなに簡単に、こんなにすぐに死んでしまうなんて。
自分の無知さと愚かさと、もっとこうしていれば良かったという後悔の気持ちと……無力さが悔しくて悲しかった。
手を貸してくれたおばさんや先生になんていえば良いのだろうか。
手を貸してくれた人に顔向けできないし、何よりも鳩に対して申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
その次の日の部活で鳩の様子をみんなに聞かれて、言葉に詰まりながら正直に白状した。
帰ったら死んでしまっていたと。
落ち込んでいる私を気遣って、でも一緒に遊んだ思い出は良かったでしょ? なんて肯定してくれて、遊びに行ったことを後悔しないような言葉がけをしてくれて、みんなの優しさに泣きそうになった。
みんな優しい。
顧問の先生は厳しい言葉をくれたけれど、そういわれても仕方がないと思った。
人の厳しさを否定していたら、自分にとって都合の良い言葉しかかけてもらえなくなる。
中学生の頃にネトゲで知り合った人と接していて思ったこと、学んだこと、良いと思ったことだった。
先生は先生なりの思いやりがあって厳しい言葉をくれたのだと。
家に帰り、鳩を家の裏にある神社の木の下に埋めた。
命日を、白い鳩のことを忘れないよう、大事に覚え続け、何度か手を合わせに行きもした。
親はそれを不思議がっていた。
「金魚やハムスターが死んだときそこまでしなかったでしょう? 次の日に死んじゃったんだからどのみち助からなかったんだよ」
そう言われたけれど、親の指摘した出来事があったのは、私が小学生のときだったり、中学に入ったばかりの頃の話だ。
それに、飼っていたのと、助けようとして拾ったのとでは理由も事情も何もかも違っている。
忘れないよう、繰り返してしまわないように、メアドを鳩にまつわるものに変えた時、周りの人から重いって言われたりもしたけれど、私は忘れたくなくて、もうこれから先、同じようなことで後悔したくなくて、鳩との思い出ある数字と名前を愛用し続けた。
助けるためには無知では、簡単に折れては、言いなりになってはダメだった。どんな手を使ってでも病院へ行ってもらえばよかった。やれることやり切ってからだったらこんなに後悔しなかったんじゃないか?
強い後悔の気持ちから、繰り返さないように、忘れないよう胸に刻みつけた出来事だった。
夏休みの間に英文の翻訳を間に合わせたこと、いろいろなことをこなしたおかげで、二学期からは余裕をもってついていけるようになった。
課題が間に合わないと焦りながら部活も頑張って頑張って、頑張りぬいたからか、体力はまだましになったし、勉強にだいぶ追いついていけるようになれた。
一学期と比べて勉強に余裕ができて、自分の成長を実感できてとても喜ばしかった。
ちょっとずつ、確実に伸びてきてる。
一方で、文化祭は乗り気じゃなかった。
特に行きたい場所もなく、汗だくになりながらひっそりした場所で窓を開けて本を読んで過ごしていた。
文化祭を楽しむ気持ちがわからなかったこと、どこに行くべきか、何に興味を持てばいいのかわからなかったこと、読書が何より好きだったこと、一人でいるのが一番落ち着けたこと、人ごみにいると過呼吸になりそうで嫌だったこと、このときだけみんなで頑張ろうと呼びかけて仲間意識を持つのが気持ち悪くて吐き気がしたこと、一緒に楽しむ仲間がいなかったこと、いろいろな理由からだった。
部活を頑張って汗だくになっているときも、こうして汗だくになりながらひっそり読書をしているときも、汗のにおいが気になった。
中学生の頃は学校で飲まず食わずだったからか、汗をあんまりかかなかったけれど、高校生になってからは水筒の中身を飲んでもいい? なんて聞いたら不思議がられた上、飲まないと無理なくらい汗をかいたから必然と口にするようになった。
それに、高校からは給食ではなくお弁当だったことや、机を合わせて誰かと強制的に食べさせられるわけでもなかったし、弁当をよこせなんて言われなかったからご飯を普通に食べられた。
だからなのか、運動部だったからなのかはわからないけれど、とにかくとても臭かった。
みんなも汗をかいているはずなのに良い匂いがしていて、どうやっているのかわからなかった。
香水つけてるのかな? と思っていたけれど、制汗剤を使っているんだよと教えてくれる人がいた。
せいかんざい?
大袈裟な言い方をすると私の辞書にはない言葉だった。
せいかんざいが何かわからないなりに親に話して相談し、買ってもらうことができた。
お願いして買ってもらうのは、私にとって少し勇気のいることだった。
みんなが更衣室でシューッとやっているやつを制汗剤ということをここで初めて知った。
他にも、液体タイプのものもあったり、新しいことを知れてすごく嬉しくなれると同時に、みんなどこでこれの存在を知ったのかが気になった。
私は何も知らないんだな。
高校生になってから新しいことの連続で、とにかくたくさんぼこぼこにされて新鮮だった。
もちろん、殴る蹴るのぼこぼこではなく、勉強で躓いたり、運動でついていけなかったり、知らないことの山を前にして、自分の狭かった世界がどんどん広がっていくことや、自分がいかに未熟かを思い知れたという意味でのぼこぼこだ。
とても楽しかった。
できないことがたくさんあって、自分はまだまだ未熟でちっぽけで、まだまだ伸ばせる余地がある。
上には上がいる。
自分にそう言い聞かせ、どんどん能力を伸ばしていく夢を思い描いて学生生活を送っていた。それがとてつもなく楽しいことだった。
寝ているときの夢も幸せで満ち溢れていた。
とても楽しくて幸せになれる夢もあれば、部活でのことを反芻している夢もあって、夢の中でも鍛錬を積んでいるような気分になれたし、実際ちょっと成長できているのを実感した。
夢で練習をした次の日には、できなかったことができるようになっていた。
これは昔からよくあることで、夢の中で練習した成果だと大喜びしてきた。
頑張っている私を応援してくれているような温かさもあって、見ている夢以外にもなんだか見守ってくれる何かがいるようで、自己肯定感がとても高かった。
君はもっと成長できるよ!
これは自分が自分に対して掛けている声なのだろうか? それとも、夢で一緒に遊んでいる何かの?
私は自分がナルシストだと思いたくなかったし、自分のことが嫌いなのに、こういう肯定的な言葉が頭の中にたくさん聞こえてきていて、温かくて、不思議でたまらなかった。
でも嫌な気はしなかった。
他の誰に聞こえるでもなく、私の中で聞こえて心が温かくなる、やる気がどんどん出てくるだけで悪い物じゃなかった。
私が何かに夢中になって、楽しく日々を過ごしていると、どんどん応援する声と肯定する声が強くなっていった。
どんどん、ますます楽しくて、もっともっと夢中になって、エスカレートしていった。
息が苦しくて、走っていると喉が焼けたような痛い感覚があったし、足が痛くてもう動けないくらいには痛かったけれど、動き続けているとなんとかなった。
一番つらいのは、中途半端に足を止めてしまった時、休んでしまった時だった。
足を動かし続けている間よりも、立ちっぱなしでいる間よりも、足を止めた後、座って休んでしまった後にもう一度動こう、立ち上がろうとしたときの痛みは心が折れそうだった。
頑張るのをやめると、遊びに夢中になっていると、課題を忘れていやしないか、このままだといけないという不安でたまらなくなるのと少し似ていた。
クロスカントリーという行事があるらしいけれど、私にはクロスカントリーがなにかわからなかった。
首をかしげながら周りの話を聞いていると、マラソンのようなものらしかった。
コースも何もわからなくて不安だったし、走るのが苦手だったけれど、同じクラスで仲良くなれそうな子と一緒に走りたくて、一緒に走ろうと言ってみると、ついてこれるならな、なんて言ってもらえた。
一生懸命ついていった。
足が痛くて、走るのが苦手なりに、苦しくても、吐きそうになっても、もっと仲良くなりたくて。
ついていっている途中、急に態度が冷たくなった子が仲良くなりたい子にだけ声をかけ、私にたいしてあからさまに嫌そうな雰囲気を出したのを尻目に、必死について走った。
最初の方でもう限界を越えて苦しくて死にそうだった中、仲良くなりたい子の提案でしりとりが始まった。
もう息が苦しくて死にそうな中で、一生懸命しりとりを返していると、仲良くなりたい子は先に行って欲しいと言うので、途中から一人で走ることになった。
気持ちを託された気に勝手になって、これはこのまま走りきらなければならないという使命感に似た何かがあって、足を止めることなくそのまま頑張って走った。
足が痛い、腕に感覚がない、呼吸で喉が痛くなりすぎて麻痺している、体のいたるところが痛い。
でも、それでも足を止めずに走りきった。
折り返し地点付近で、見知らぬ男の先輩が水の入ったコップを取って、飲んだあと捨てるときゴミ箱に入れ損なっているのを拾ったとき、一番苦しかった。
しかしそのあとも走り続け、限界を越えると苦しさが和らいだ。
テンポを乱すことなく、なるべくキープしていると楽になれるのに気づいた瞬間だった。少し乱れただけで地獄のような苦しみに見舞われる。
日の光の下、太陽の光すら痛くて、何もかもが痛くて、苦しくて、心が折れそうになりながらずっと走って走って走り続け、ようやくゴールへたどり着くことができた。
最後まで走りきったあとは目がチカチカして暗かったし、足が筋肉痛で動かなくなった。
階段を上がるとき思わず悲鳴をあげてしまうくらい痛かったし、本当に体が動かなかった。
部活で同じ学年の男子が、先生にクロスカントリーで部内一番だったらご褒美が欲しいと言っていたらしい。
私は部内の女子で一番になれていたようだったので、おこぼれでご褒美をもらうことができてとてもラッキーだった。
いつも部活で一番はやく走れていなかったどころか一番遅かった上に途中で歩くことがあったけれど、仲良くなりたいがために死に物狂いで走ってからは、部活でも早く走れるようになれた。
私が伸びるのはいつだって誰かと仲良くなりたいからだった。
周りからしたらいきなり能力が伸びただけだったのかもしれないけれど、実はこっそり頑張っていたから、芽を出す準備ができていたのだろうと私は思う。
あとは足を止めない根性と精神的な強さが必要だったんじゃないだろうか?
それが、仲良くなりたい子についていくことで自分の中にある限界値のボーダーラインが新しく更新されたのだ。
部活を頑張っていて、なんだか見られているような気がしながら励んでいると、ある子が声を掛けてくれた優しい先輩に恋をしたと話していた。
少しショックだったけれど、私はどうせ誰とも仲良くなれないという気持ちがどこかにあったから、大人しく応援しようと思った。
友達ならもしかするとできる可能性を感じるけど、恋なんて私にはまったく縁のない話なのだからと。
応援ありがとうございます!
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