夢魔

木野恵

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愛の鞭

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 あたたかい夢のおかげで今日も頑張ろうと意気込めていた。

 寂しくても、悲しくても、夢でみんなが応援してくれている。私だけのあたたかい場所。誰にも邪魔されない安全な秘密基地。

 そうやって寝起きは元気でも、いざ外へ出ると怖くて仕方がないのだった。

 いろいろな人の目、人の気配、怖い人がたくさんいて、自分は世界でひとりぼっちなんだって気持ちになる。

 どの人も怖くて誰にも会いたくなくて、ずっと家に、布団の中にいたくてたまらない。

 そんなある日のことだった。

 大人の男の人たちから野次を飛ばされ、周りを取り囲まれていた時だ。

 一体何の話かわからなかったけれど、とにかく怖くてたまらなかった。

 何の話をしてるのかわかってないでしょって言ってかばってくれる人もいたけれど、とにかく大人の男の人がもっと怖くてたまらなくなるできごとだった。

 庇ってくれた人、同じ保育所へ行っていた女の子のおかげで酷い目に遭わされずにすんだし、ムカデとサソリと名前を呼び間違えてしまったおかげで事なきを得ていたのを、大人になった今では理解できる。

 私は昔から区別のつかない子だった。

 区別がつかないというより、名前が覚えられなくて、名前がわからなくて、どっちがどっちの名前だったかを認識するのが苦手だった。

 全部同じに見えていたわけではないけれど、名前を覚えるのが壊滅的にへたくそだった。毒虫の中でも地を這う生き物で、特徴の違いを理解してはいても、名前がどっちがどっちだかわからないような、そんな子。

「ムカデとサソリを間違えるような馬鹿があんなことできるはずがない」

 そんなことを言われ、大笑いされていた。

 私を連れていた父親は顔を真っ赤にし、今日はもう帰れと言ってきたので、安心できる家に帰ってその日はすごした。

 帰れと言われて嬉しくてたまらなかった。家の中でも、布団の中、夢の中は私が唯一安心できる居場所だったから。

 外、とりわけ人のいる場所は私にとってはとても怖い場所だった。

 外といっても、人のいない山の中、河沿い、田んぼ道はとにかく落ち着くことができて、居心地の良い場所に他ならなかった。たくさんの人が暮らす世界にいるよりもずっと。

 人がとても怖かった。中でも、自分より大きな男の人。

 見下ろされるのが怖くてたまらなくて、どういうわけか血の気が引いて、とにかく怖くてたまらなかった。

 今なら思い出せるし、心当たりもあるから恐怖を少しだけ和らげることができる。

 昔からそういう怖い出来事ばかりで怖くなってしまっていたんだな。

 かばってくれて、優しくしてくれた眼鏡のおじさんもいたけれど、怖い人、意地悪な人の方が圧倒的に多くて、とにかく怖かった。

 そんな怖い記憶も思い出も、あなたが傍で一緒に背負っていてくれたんだ。

 今日はどんな夢が見られるかな?

 寝るのが楽しみでたまらなかった。夢を見るのがとにかく楽しくて楽しみでたまらない。

 今日みんなに会えたらどんな遊びをしようかな? どんなお話をしようかな? どんなお名前をつけようかな?

 現実での出来事なんかよりも、夢の中の出来事のほうがよっぽど関心があって楽しかった。絵本を読むのといい勝負。

 お布団の中にもぐり、夢見る時を心待ちにしながら目を閉じたけれど、その日の夢は幼い人間にとってはとても怖かった。

 その日の夜は忘れもしない、大きな蛇の夢だった。

 夜お布団で寝たはずだったのに、書斎として使われている狭い部屋で私は遊んでいた。

 床をクレヨンで落書きしたらダメだと言われていたけれど描き放題描いて怒られたからか、夢の中でもたくさん床に落書きをして、満足したから本棚から絵本を手にして読んでいる夢だった。

 誰からも注意されないと、悪戯や落書きは楽しさが半減してしまうのを体感した夢でもあった。

 誰からも止められず自由に描くのが楽しいこともあるけれど、禁止されていることほど燃え上がることもまたないのかもしれない。

 今思い返せば、そういう教訓も夢の中にはあったんだろう。

 現実そっくりで夢と思わせないようなよくできた夢。

 絵本に夢中になって、周りなんて気にもかけていなかった夢。

 いつの間にか茶色い壁がすぐそこまで迫ってきていると気づいたときにはもう手遅れで、最初は壁に挟まれたのかと思っていたけれど、信じられないくらい大きな蛇が巻き付いてきていることに気がついた。

 気がついたとたん、視点が一人称から三人称に変わり、巻き付かれている自分と、巻き付いてきている蛇、その頭の上にいる男の人を天井のどこかから眺めている夢になった。

 夢の中で視点がうつるのはよくあること。

 視点がうつって夢だと気づいたけれど、気づけば怖くないというわけでもなく、幼い私は心の底から、魂の底から震えあがった。

 殺される、食べられる、死ぬ。

 まだそんなにきつく締め上げられているわけではなく、もがけば抜け出せるかなと思えるくらい緩かったけれど、腕も体と一緒に巻かれていたから外に出して足掻くころには抜け出せないくらいにきつく締められていた。

 苦しい、息ができない、めまいがする。

 しかし、それ以上きつく締められることはなく、人の適応能力なのか、アドレナリンかなにかによる作用なのか、苦しさの中に少しだけ気持ち良さを感じ、ちょっとだけ安心しだしたころだ。

 急に締め付けが強くなり、骨がきしんで折れてしまいそうになる感覚に見舞われると、視点が一人称に戻り、蛇の大きな口が迫ってくるところで目を覚ました。

 夢の中で締め付けられていたのに、いつの間にか現実でも息を止めていたらしい。

 現実の自分が恐怖で息を飲む音と感覚がきっかけで起きることができたようだった。

 普通に呼吸できることの安心感と心地のよさ、普段当たり前にしていることのありがたみを噛みしめながら、目だけで周りの様子を確認する。

 怖い。

 蛇がどこかに潜んでいないか、警戒しながら聞き耳を立て、目を凝らし、鼻を利かせ、肌で空気を感じ取る。

 蛇なんてどこにもいない。夢は夢だったらしい。

 恐怖心がすうっと落ち着いて引いてくるのを感じた。先ほどまでの不安が嘘だったかのよう。

 何かに恐怖心を吸い取られているかのような不思議な感覚があったけれど、夢だと気づいたから引いていったものだとこの時は思い込んでいた。

 あなたが消えなくて良かった。

 辛い思いをしないように、苦しまないように、遠慮しなくてもたくさん『吸精』してよかったのにって思うけれど、あなたなりの愛だったんだ。

 蛇の怖い夢を恐怖心を忘れないようにするためか、これから先何度かみることになったけれど、それはそのときがきたらまたお話しようと思う。

 初めて見た蛇の怖い夢をきっかけに、ふと目を向けた先に蛇がいることが多くなった。

 生垣の上でとぐろを巻いている蛇を見つけた時はみんなにすごいと褒めてもらえて、冷たかった心が少しだけ温かくなって嬉しかったな。

 これから幼稚園生になっていろんな人と遊ぶときにも、高い木の上に白い蛇がいるのを見つけて、みんなで石を投げて倒したりもした。

 蛇の死体を見た時、可哀想なことをした、いくら怖いからってそんなことするべきじゃなかったと思ったけれど、周りの人には理解されず、良い子ぶってるなんて思われてしまったっけ。

 みんなで倒した白い蛇の話をすると、父親から白い蛇は神様の使いと言われていて縁起が良いのだというお話を聞いたりもして、余計に悪いことをしたと反省したこともあった。

 なんとなく、ベランダの外が気になって戸をあければ蛇が壁を張っていたこともあったり、自転車で信号待ちをしている間、縁石に足を置いて、ふと気になって足の方を見たら蛇が張っていたり、とにかく視線の先に蛇がいることが多くなった。

 当時の私は怖い蛇の夢を見てから、夢を見るのが怖くなっちゃってしばらくは夢を見られなかった。本当に怖くてたまらなかったから。

 それに、蛇をよく見つけられるようになってからずっと不思議に思っていたけれど、私のために振るわれた愛の鞭の成果が出ていたんだね。

 今までもこれから先も、みせてくれた夢は全部ではなくても、みんなからの愛と思いやりで溢れていたんだね。

 黒い蛇や茶色い蛇の怖い夢ばかりだったけれど、白い蛇だけは不思議な夢、癒される夢、仲良くなれる夢が多かったのは、殺してしまった罪悪感を和らげようとしてくれていて、蛇も大好きでいられるようにするため、白い蛇も大好きになったから取り上げちゃわないようにするためにみせてくれてたんだって今なら思えるよ。

 ありがとう、私の大好きで大切な家族たち。

 怖いこと、不安なこと、辛いことがあっても、理不尽なことがあっても、修行の一環として捉えられるきっかけにもなれた怖い夢だった。
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