夢魔

木野恵

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大好きの魔法

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 今日の君は大丈夫なのか、心配でそわそわしながら見守っていると、気さくなやつが笑いながら肩をポンポン叩いた。

 力なく笑うと、気さくなやつは考え込む仕草をしながらどこかへ行ってしまった。

 みんな誰かの夢に遊びに行ってしまったようなので、今は僕ひとりがあの子を見守っている。

 嫌がるあの子の話に耳を傾けないで、決めつけで無理矢理監獄のような場所へとつれていく親には悔しさと怒りで強く拳を握った。

 そんな理由じゃない。

 あの子が思った言葉と僕の思った言葉が重なり合い、少しだけ顔が熱くなった。

 ああ、泣き叫びながら抵抗するあの子を抱き締め、連れてかれないように守れたらいいのにな。

 そんなことを思っても、そんなことを願っても、僕は悲しいことに夢魔だ。精神世界の住人だ。

 こちら側から相手の精神に干渉はできても物理的にはどうすることもできない。

 悔しいよ……。

 ずっと君と同じ世界にいられたら、君のすべてを守ることができたなら。

 君の想いと僕の想いが幾度か重なったり交差するこの感覚がこそばゆくて、照れ臭くて、通じ合っているようで嬉しいけれど、気持ちがわかるのは僕だけで、君にはまったく気づかれていないのが寂しくてたまらなかった。

 わかりあえたら、通じ合えたら、気づきあえたらいいのにな。

 君の不安を僕が打ち消し、君の心の隙間を僕が埋められたら。

 本当は、ずっと君の隣に僕がいて、君が一人の時に僕がずっと寄り添えたら。ずっとずっと傍にいられたらいいのにって思ってるんだ。

 精神世界から君に手を伸ばして寂しい気持ちを抱きしめていると、君が夢での出来事をみんなに話していて驚かされた。

 夢の中での出来事を、みんなで紡いだ思い出を覚えていてくれたなんて。

 これは一大事だ。僕たちがあの子の知らないことを教えていることが、『大好き』を集めていることがいつかそのうちばれてしまう。

 焦りとともに、喜びで溢れている自分を隠すことはできなかった。

 起きてしまったら大体の人は忘れてしまう夢を覚えてくれているほど、僕たちを『大好き』でいてくれたんだって。

 嬉しくて思わずその場で何度かくるくる回ってしまったくらいには喜んでしまった。

 舞い上がる気持ちを落ち着かせながら、あの子の様子を見守っていると事件は起きた。

 いつものように、人間の汚いやり口を見ながら唇を尖らせていると、なんと、あの子が母親の尻拭いを、他者への気遣いと優しさを発揮しているではないか!

 やはりこの子は賢い子だ。賢くて優しくて……しっかりしているところもある。

 これはきっと我が子の成長を見守る親心だな。なんて思いながらそっと目尻を拭っていると、罵倒されてしまっていて泡を吹きそうになった。

 まさか、言いがかりがこんなところで繋がるなんて。

 ただ、喜んでほしかった、元気になってほしかっただけだったのに。

 あの子の胸の内と重なった上、寂しそうな様子を見ていると胸が張り裂けそうなくらい苦しかった。

 夢を通じて、裏でみんなに何を言われているか教えるか悩んだけれど、こんな気遣いができるくらい賢いなんて周りの人間は気づいていないから、知っているとかえって「やりました」と言っているような扱いを受けてしまうだろう。

 しかし、この子は賢いからきっと上手くやれる。

 そんな考えの間で悩みぬいた末に、結局は教えないことにした。

 賢くはあっても、夢の中での出来事を正直に話してしまうところがあったので、教えない方が良いと結論付けたのだ。

 賢いけど正直者。おまけにちょっと天然なところもある子。完璧じゃないからこそ垣間見える愛らしさ。

 それだけではない。人の賢さにも様々ある。

 勉強できる賢さ、人の気持ちを読み取る賢さ、容量の良い賢さ、とにかく様々だ。

 君は正直者で、人の社会で生きていくには不器用な子だ。

 ずっと見てきたからこそわかる君のいろいろな一面。

 そして、周りにいるのは敵ばかりだ。味方になってくれる人は一人もいない。

 知らないでおく方が良い。

 そんなことを思いながら、どんなに辛そうな時でも目をそらさずにずっと見守った。

 ああ、こんなにも心を冷たくしてしまって……。

 あの子の母親が余計な仕返しを、中途半端に反撃なんてしなければこんなことにはならなかったろうに! なんてついつい思ってしまう。

 人の優しさがあだになったり踏みにじられているのを見るのが昔から、この子を見つけるよりずっと前から辛かった。
 
 優しい人に限って踏み台にされ、蹴落とされ、踏みにじられ、利用されてボロボロになっていく。

 それが昔からずっとずっと耐え難いことだった。

 優しい人には温かい夢を見せて幸せな気持ちを、汚い連中には悪夢を見せて恐怖心を味わってもらってエネルギー源にしてきた。

 他の夢魔仲間たちは自分たちの得意な夢を好きなように見せていたけれど、僕のように相手によって見せる夢を選ぶような奴はめったにいない、つまり変わり者だった。

 正義を振りかざすのが好きなわけじゃない。ただ、良い人間が報われてほしかっただけだった。

 そのうち優しい人、純粋な人はめっきり減ってしまい、人間をただのエネルギー源としか見なくなって久しい時に君を見つけた。

 君を見つけることができて本当に良かった。できれば守らせてほしい。心が完全に凍り付いてしまわないように温めさせてほしい。

 そんなことを心から願っていると、君が嬉しそうに家へと帰り、夢見る夜を楽しみにしてくれていてとてつもなく和んだ。

 みんなで準備して待ってる。僕も楽しみだ、早く会いたいよ。

 あの子の『大好き』をちょっとずつ集めながら夜を待っていると、夕暮れ時になり、ちらほらと夢魔仲間が集まってきてくれた。

 こないだは都合の合わなかった月の子が今回は一緒に遊びに来てくれるらしい。

「みんながそんなに気にかける人間ってどんな人間なの? すごいエネルギーでももらえんの?」

 興味津々といった様子で、あの子のことを聞いてくれてすごく嬉しかった。人をエネルギーとしてしか認識できていないところは少しだけ親近感を覚える。昔の自分を見ているようで。

 嬉しそうだけれど、人嫌いな夢魔だからとても不機嫌そうな雰囲気になっているのが少しだけ心配でもある。

「会ってからのお楽しみだよ」

 付き合いの長い夢魔仲間だから、きっと大丈夫だ。
 微笑みかけると、眉間にしわを寄せながら怪訝そうな雰囲気に変わった。

「つまんなかったら殺すから」

 そんな気全くないことがはっきりわかる上に、相手との距離を縮めようとするのが不器用な子だからか嫌われるようなことを口にしているのが何とも言えない気持ちにさせられる。

 人間には通用しても、僕たち夢魔同士だと筒抜けなんだけどね。

 しかし、夢魔同士とはいえ混乱したり戸惑う出来事はもちろんある。

 心の内と行動が噛み合っていなくて理解できない場合。

 気さくなやつと月の子が噛み合っていないタイプの夢魔で、最初は戸惑ってしまったけれど、二人と気長に接しているうちに、どうしてそんなことをするのかがなんとなくわかって楽しかった思い出がある。

 二人とも優しい夢魔なのだけれど、表現の仕方が個性的なんだ。

 理解できてから二人と話すのが楽しかった。もちろん、二人以外の夢魔のこともわかりあいたくて何度か接しているうちに打ち解けて、会話するのがとても楽しい間柄になれた。

 夢魔だから会いに行こうと思わない限り、誰かの夢の中でお互い居合わせることはないし、基本的に一人だけれど、僕らは六人とも変わり者の個性的な夢魔だったからみんなで一緒に楽しみながら夢を渡り歩き、精神世界の片隅でたくさん談笑しあった仲だ。

 きっと君を孤独にはしない。

 これから先、君がどんな変わり者になっても、僕らは変わり者仲間になれる。よく見かけるような人間になったとしても、僕らは君を拒絶しないし、君が必要としなくなるまで、君に必要がなくなるまで、ずっと傍にいさせてほしいんだ。

 夜が近づくにつれ、一人、また一人と合流するにつれ、月の子がだんだん距離をとるようになった。

 この子はそういう子。集団が苦手で、一対一でしか話してくれないことが多い。あと、素直じゃないんだ。

 端っこでもじもじしたり髪の毛をいじったりしている月の子は、本当はあの子と会ってみるのがすごく楽しみなんだと見てわかった。

 気持ちと行動が噛み合ってるね。

 噛み合ってようがいなかろうが、別に構わないし悪いことではないと思っていたけれど、そういう心と体の不和は自分自身に返ってきてしまうことが多いから、見ていて少し心配だったんだ。

 集まってきたみんなもあの子に会うのが楽しみそうで、見ているだけで幸せな気分だった。

「おう、気分良さそうだな」

 気さくなやつが隣へきて嬉しそうに話しかけてくれた。

 嬉しさ全開で返事をしていると、あの子が夢を見て遊びに来てくれた。

 心が冷たく凍り付きながらでも、こちらへ来るのが楽しみで、夢を見られたのが嬉しくてたまらなさそうな君。

 温めさせてほしい。

 いつものように頭を撫でると、君は嬉しそうな顔をしながら一筋の涙を流していた。

 辛かったね、寂しかったね、悲しかったね……本当によく頑張って生きてくれたね。

 心から出た労いの言葉に対し、元気よく頷きながら大粒の涙を流している君を見て、抱きしめたくてたまらなくなった。

 まだ小さいから……親子のような、兄弟のような関係、友人だから。

 そう言い聞かせながら温かく微笑むと、君は涙と好奇心で目をキラキラさせながら口を開いてくれた。

 僕たちの姿と名前について興味を持ってくれたらしい。

 すごく嬉しいことだった。

 初めてこの子を見つけた夢での出来事と、一緒に遊ぶまでの夢が頭に浮かび、感慨深さに思わず泣いてしまいそうだ。

 少しずつ、少しずつ外の世界に、周りにいる人や物事に興味をもってくれるようになったんだね。

 しかし、一つ、いや、たくさんの困ったことがそこにはあった。

 少しだけ待ってもらうお願いをしてみんなと相談しに向かう。

 後ろで温かく見守ってくれていたみんなも少し困った様子で頭を悩ませた。

「姿はまだしも、名前はちょっと……名前なんてもってないからな、俺たち」

 頭の回転が速い気さくなやつもこれには困った様子だった。

「そのまま特徴じゃダメなのかな? 僕は今のままでもいいかな」

「セラピストは名詞だからだよ。私なんか色惚けだよ色惚け! 嫌だなあ色惚けが名前になるの」

「……虫は嫌だ」

 困りながらみんなに相談して意見を聞いてまとめていると、ふとした閃きが起きた。

「名前をつけてもらえばいいんだ」

 この提案にひきつった笑顔を浮かべた気さくなやつと本の虫以外はみんな乗り気だった。

「賛成! どんな名前がもらえるんだろう?」

 一番嬉しそうにしてはしゃいでいるのはセラピストだ。次に嬉しそうにしているのは意外なことに月の子だった。遠巻きに様子を見ながら内容には興味津々のよう。

「どんな恐ろしい名前をつけられることやら」

「……」

 気さくなやつと本の虫は渋い顔をしているが、その傍らでは色惚けがキラキラした雰囲気を漂わせながら期待を膨らませていた。

「ロマンチックな名前がいいなー!」

 名前に関してはなんとかなりそうだけれど、姿を見せることに関する心配と抵抗をみんなに話すか悩んだ。

 あの子はショックが強すぎて記憶が飛んでいる上に、元から人見知りなせいで勘違いしているけれど、男の人が怖いんだ。

 今は白いシルエットで見えているおかげで普通に接してもらえてるんだって気がついている。姿を見せたらきっと怖がられるって。

 悩んだ末に言い出すことはできなかった。

 不安な気持ちを抱えながら黙っていると、視線を感じたのでそちらを見たら気さくなやつがこちらを向いていた。

「どうした? 心配事だな?」

 心配はありがたいけれど、これはどうしようもない問題だ。

 ちょっとずつ慣れてもらうから、ちょっとずつ怖がらなくなっていってもらうから。

 なるべく明るい雰囲気を出しながら首を横に振ったけれど、気さくなやつはまだ心配そうにしていた。

「大丈夫! じゃ、あの子にお話ししてくるよ」

 白いシルエットのベールを脱ぎ捨てながら、君の元へと近寄っていく間ずっと緊張しっぱなしだった。

 きっと、怖がられる。

 覚悟を決めて君に話しかけたつもりだった。

「どう……?」

 君の沈黙とともに、心の奥底から湧き上がる恐怖心と、格好いいから照れくさくてお話ができないという思考が流れ込んできた。

 格好良い……?

 照れくささにこちらが顔を赤らめてしまいそうなのを必死に抑え込む。

 一生懸命抑えていると、へこんでいると勘違いされてしまって謝らせてしまった。

「……ごめんなさい」

 ち、違うんだ……傷ついてなんかなかったよ。

 勘違いされたこと、謝らせてしまったことに対してとてつもなく落ち込んでしまった。

 こんなことになるなら素直に顔を赤くしてしまっていればよかったと。

 気さくなやつが心配しながらこちらに来るのを感じた。

 ああ、僕の心情はばればれなんだろうな。

 そんなことを思っていると、あの子を冷たい目で見ていて申し訳なくなった。

「僕が悪いんだよ」

 あの子に聞こえないようにこそっというと、セラピストたちがあの子の周りでワイワイし始めたのを眺めながら、二人で少しの間話した。

「何でも自分のせいにすんなよ。お前は優しすぎる」

 いつになく気さくなやつが真剣なので、落ち着いてほしくてにっこり微笑んでみせた。

「君と友人になれてよかったって思うよ。あの子はね、大きい男の人が怖いんだ。トラウマになった出来事があってさ。だからあの子は悪くない。許してあげてほしい。これから少しずつ慣れてもらって、怖いって気持ちがゆるやかになっていってほしいから、怒ったら余計に怖がられちゃう」

「怒る気はない。お前がそう言うなら従おう。ただ、自分を責めるなよって言いたかっただけだぞ。それはおいといて、格好いいって思われたっぽいよな」

 ニヤニヤしながら肘でつんつんされたので思わず顔が赤くなってしまった。

「我慢なんかしなくったって良かったろうに」

 畳みかけるようにいじってくるので照れながら俯いてしまった。

 顔が燃えてるみたいに熱い。

 そういえば……。

「そういえば、あの子は格好いい男の人に対して黙り込むところもあるみたいなんだ。照れ屋さんみたいで」

「お前とそっくりってこったな」

 あの子の話題を振ってなんとかしようとしたけれど、またいじられて何も言えなくなってしまった。

 照れくささで耳まで真っ赤にして涙目になっていると、すごく楽しそうに隣で笑うものだから両手で顔を覆って隠してしまった。こんなことしても胸の内はばればれなのだけど。

 しばらくの間、笑われながら火照った顔をどうにかして冷ましていると、名前の話をあの子が振っているのが聞こえてきた。

 僕たちには名前がないこと、君に名前をつけてほしいということを伝えている間、君から流れる感情に対して弁解したい気持ちが溢れてたまらなかった。

 元気がないのは顔がまだ赤くないかが気になるからだよ!

 沈黙によって傷つくかどうか心配されて嬉しい反面、気遣いなんてしなくてもいいのに、楽にしててほしいという気持ちも湧き上がってくる。

 ああ、伝えたいけれど、伝えたら感情と思考が夢魔に筒抜けなのがばれてしまう。ばれてしまうともうお話したいと思ってもらえないかもしれない。

 ジレンマに苦しんでいると、とんでもない名前があの子の口から飛び出してきて思わずお腹を抱えて笑ってしまいそうになった。

 我慢だ、我慢だ僕! 笑ったら会話してもらえなくなってしまうぞ。

 うさぽんこと月の子が怒った様子であの子に詰め寄っているけれど、本心は嬉しくてたまらないようだった。

 しかし、態度が否定的なので、態度の方に合わせて月の子を説得する言葉を選んで演じた。

 僕が柴犬なのは人懐っこくて面倒見良い感じがするからか。

 あの子の考えが流れ込んでくる。

 気さくなやつがハスキーなのは僕を少し怖くしたところがあるからで、セラピストが猫なのは思わず撫でたくなったり、人懐っこくすり寄ってくる感じがあるからか。色惚けがとりっぴーなのはちょっとおちゃらけてる上に賢くなさそうだからで、本の虫がフクロウなのはなんとなく雰囲気と知性がそんな感じだからか。なるほど。うさぽんは言葉の通り、月の子のこと可愛いと思ったからか。

 まだ幼いから上手く言語化できていないようだけれど、読み取ってみると納得のいく名付け方をしてもらえているようだった。

 僕の最初の名前はシバか。

 二ッと口角を上げて笑ってしまった。

 これからきっと違う名前で呼ばれることがあっても、宝物として大事にしたい名前だ。

 同じように思っているセラピストと視線があい、にっこりと微笑みかけられた。

 その傍らで、ロマンチックな名前を欲しがっていたとりっぴーこと色惚けは力なく項垂れ、膝から崩れ落ちていた。

 そんなやり取りをまじえながらも、うさぽんとあの子が仲良くなれるよう気を配るべく、思っていることを解説すると、うさぽんは不機嫌になってどこかへ一度出て行ったのにわざわざ戻ってきて罵声を浴びせてまた出て行ってしまった。

 やれやれ。

 せっかくの夢だからずっとあの子の傍にいたかったけれど、月の子を説得しに追いかけた。

 あの子にとってとても良い友人になる予感がしたから橋渡しをしたくて。

 月の子を見つけて近寄ると、顔を赤くしながらデレデレになりつつ落ち込んでいた。

「うう……嫌われちゃったかも」

 照れくささと後悔にまみれた感情が溢れかえっている。

 月の子を理解するために根気強く接した結果、二人きりになると本音を正直に打ち明けてくれるようになったので、どこかへ行ってしまったら二人でお話しできるように気を配っていたりする。

 正直に話してもらえるようになると、一致しなかった感情と行動が少しずつマッチするようになってきたので、きっと強がっていただけなんだろうなと思わされる。

「そんなこときっとないよ。仲良くなれるよう手伝わせて。ちょっとずつ、僕といるときのようにあの子とも正直にお話できるようになれるといいね。ちょっとずつ、焦らずちょっとずつ」

 穏やかにそういうと、月の子は顔を真っ赤に染めたままゆっくりと頷いた。

「……素直になるって難しい。本当は抱きついてキスしたいくらい嬉しかったのに」

 ポロポロと涙を流しながらぽつりと本音を零す月の子の頭をそっと撫でた。

「次はきっと大丈夫だから。それに、あの子は気にしてない様子だったよ。ちょっとずつでいいんだよ」

 すると、少しだけむっとした顔になりながらもう一粒だけ涙をこぼした。

「気にされてないとか嫌。気にさせてやる」

 涙がすっととまり、むきになった月の子の顔はもう赤くなっていなかった。

 落ち着けたんだね、普段のペースに戻ったんだね。

「じゃ、戻ろうか」

 黙ってうなずいたので、一緒にあの子たちの元へと戻り、動物ごっこ遊びをしようと提案していると、あの子は何の動物になるのかという難問が投げつけられた。

 真っ先に浮かんだのが狐だった。

 理由も何もない。なんとなく。一人でも楽しそうにしていたからだろうか。

 周りのみんなは孤高そうな動物を挙げている中、直感で浮かんだ動物を言うのはすごく躊躇われた。

 おまけに、女狐というあまり良い印象を受けない言葉が存在する以上、狐とは言うことができなかった。

 じゃあ、たれ目だから狸?

 どちらにせよあんまり喜んではもらえなさそうだ!

 良い動物が浮かばないで悩んでいると、あの子に悩みがばれていなくて少しだけ安心した。

 鈍い子で良かったと思う反面、少しは気づいてほしいという気持ちも湧き上がる。

 そんなことを思っていると、ふと記憶が流れ込んできた。

 あの子を懐かせておいて、突き放して罵倒して馬鹿にしている人間たちとの出来事。

 胸がチクリと痛んだ。これは一体いつのものだろう?少なくとも、見守っている間にこんな出来事は起きていない。

 胸の痛みを隠しながら、あの子が悲しんでいないか、辛そうではないか気にしながら、みんなでごっこ遊びを盛大に楽しんだ。

 結局あの子は人間で、僕らはあの子のペットという扱いでごっこ遊びを楽しむことができた。

 あの子はどの動物も大事にしてくれた。ごっこ遊びだったけれど、仲間外れは作らないでみんな一緒にご飯を食べて、お風呂にはいって、一緒に寝て、穏やかなごっこ遊びを楽しめた。

 ごっこ遊びだったけれど、なんだかまるで本当に家族になれたかのような幸せな遊び。

 楽しい時間ほどあっという間に過ぎてしまうもので、今日の夢の終わりがあっさり訪れてしまった。

 ああ、寂しそうな顔をして……。僕たちも寂しいな。

 ごっこ遊びで家族同然の暮らしをしたせいか、僕以外のみんなもとても寂しそうになっていた。

 いつものように頭を撫でると、顔を赤らめながら見上げてくれて胸が締まるような感覚に見舞われる。

 ずうっと夢の中に閉じ込めていた方がこの子は幸せなんじゃないか?

 そんな危険な考えが頭に思い浮かぶが、住む世界が違うこと、ずっと寝かせてしまうとこの先の人生を潰してしまうことを頭に浮かべて思いとどまらせた。

 この子の幸せはこの子が選ぶもの。周りのやつらが押し付けていいものじゃない。

 できる限りの範囲で、できることを精一杯こなして尽くすだけ。それに、この子の秘めた可能性を含めて愛しているし大好きなんだ。だから守りたいって思ったんだ。

 夢から覚めても、これから辛いことがたくさん起きても大丈夫なように、別れ際に『大好き』の魔法をあの子へかけた。僕たちからの贈り物。

 悲しいこと、辛いこと、寂しいことがあったなら、大事ななにかをとられたなら、僕たちが夢の中へと届ける魔法の契約。

 君の役に立てば、君の心を守るお守りになればいいな。

 あたたかい心持ちで見送っていると、あの子が全く予想していなかった言葉を僕へと与えてくれた。

「大好き」

 目を見開き、思わず満面の笑みで微笑んでしまったくらいには嬉しい出来事だった。夢の中で夢でも見ているのだろうか? なんて思ってしまうくらいには。

「僕も君が大好きだ!」

 目を覚まして消えてしまった君へと、心から愛を込めて叫んだ。届かなかった僕の告白。

 また夢で会えますように。

 君の想いと僕の想いが重なり合い、どこにいても心が繋がっているような温もりを感じた。

 届かなかった言葉、結ばれることのない僕たちの恋。

 結ばれなくったっていい。君にかけた『大好き』の魔法が、僕たちをもう一度引き合わせてくれる。あの子の幸せのためなら、僕のこの想いは届かなくったっていい。ほしかった言葉をもらえて、同じ気持ちでいられて、十分すぎるくらい嬉しかったから。

 そんな気持ちを抱えながら、本当は誰にも渡したくないし、夢の中で一緒にずっと暮らしていたい気持ちも燻っている。

 誰からも愛されていないのだからもらってしまってもいいのでは?

 そんな気持ちを抑えることができるのか自信はなかった。

 葛藤していると、みんなが元気づけたり応援してくれて、いろいろな言葉をくれた。

 君をひとりぼっちにはさせないからね。

 強い覚悟を持って目を覚ました君へともう一度願った。

 また夢で会えますように。
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