命導の鴉

isaka+

文字の大きさ
上 下
37 / 76
第二章 遠き日の約束

三幕 「翡翠の角」 四

しおりを挟む
「俺とジゼルが前衛、アスとタラスは後方支援だ。いいな、行くぞ」
 皆が頷いたことを確認し、ヴェルノとジゼルがゆっくり前に進みはじめた。
 にわかにコモラの角が輝くと、フッっとコモラが視界から消えた。
 一陣の風が駆け抜けるが如く一瞬で間合いを詰めてきたコモラの角をヴェルノが紙一重で躱し、刃を振るう。
 しかし、その刃は空を切った。
 ヴェルノが剣を構え直した時には、既にかなり離れた場所までコモラは移動していた。
「恐ろしく速いな」
「どうするの、お父さん。あの速さだと剣を当てるのはかなり難しいよ」
「多分風音系の魔力で速力を強化しているんだろう。魔力切れを待つか、それとも・・・」
 ヴェルノが対処方法を思案している中、今度はジゼルに対してコモラが突進する。
「ちょっ、速っ!」
 ジゼルはかろうじてコモラの角を剣で受け流し突進を回避した。
 コモラはそのままヴェルノ達から離れた場所まで駆け抜けると、体を翻し、次の突進の準備に入った。
「魔力切れまで悠長に待ってられないな。・・・アス!コモラと俺たちの間の地面に出来るだけ沢山の歪で小さいクッションを散らして固定してくれ!」
 アスは言われた通り、無数の小さく歪なクッションを生成し地面に撒き散らすと、それぞれを大地に固定した。
「これで、どうなるの?」
 ジゼルが剣を構え直しながら確認する。
「気休めかもしれないが、足元にブヨブヨしたものが多数あれば、幾分か走りにくくなるかと思ってな。さぁどうなるか」
 コモラが再度突進を開始する。今度は後方のアスとタラスに照準を定めていた。
 アスとタラスが咄嗟に身構える。
 ヴェルノの考えが見事にハマったようで、クッションに足を取られているコモラの速度は先程より大分遅い。
「逆(さか)の風!」
 タラスが両手を前に突き出し、突進力を欠いたコモラに向かって風音系の魔操で突風を起こす。
 コモラの突進力は更に弱まるが、それでも十分に速い。
 その突進をかろうじて回避したアスが剣を振るう。
 風音系で速力を増した剣はコモラの背中を捉え、背中から腹にかけて縦に剣が入る。
 表皮が硬かったこともあって致命傷とはならなかったが、血の吹き出し方を見るにそれなりに深い傷であることが伺えた。
 コモラはその場に留まると、自身を切りつけたアスに怒りをぶつけるかのように思いっきり頭を横に払い、角を叩きつける。
 角を剣の腹で受け止めたアスは、そのまま大きく吹き飛ばされた。なんとか受け身をとるも、着地の際に体勢を大きく崩してしまう。
 すぐさま、コモラが加速を始め、よろめくアスに向かって突進する。
「風の縦刃!」
 タラスが素早く手刀を振り下ろすと、突進を阻害するかのように風の刃が連続して2本、コモラの側面に向かって放たれる。
 コモラは放たれた風の刃を避けるために突進の軌道をずらし、旋回するようにアスの目の前を駆け抜けた。
 風の刃が放たれると同時に、コモラが旋回するであろうと予測して行動していたヴェルノとジゼルが、その進路を塞ぐように立ちはだかる。
 二人を回避する軌道を取るにはあまりにも短い距離だったためか、コモラはそのままヴェルノとジゼルの間を駆け抜けようと加速した。
 その足を払うようにジゼルが剣を振るうと、コモラが剣を躱すために大きく跳躍する。
「すまない。これで終いだ」
 宙に浮いて回避行動が取れなくなったコモラに向かって、ヴェルノが跳躍し真っ赤に染まった剣を思いっきり振り抜く。
 肉を切り裂く不快な斬撃の音の後、空中で交差したヴェルノとコモラが大地に着地する。
 これ以上動けないと悟ったのかコモラはゆっくりとその場に伏せて、小さく鳴き声をあげた。
 コモラの前足の付け根から背中にかけて斜め一直線に刻まれた斬撃の痕から大量の血が溢れ出す。刃は心臓にまで達していた。
 ヴェルノが剣についた血を払うと、振り向いてゆっくりとコモラに近づく。
 コモラは抵抗の色を見せず、ただ澄んだ瞳でヴェルノを見た。
「最早助からないだろうが、せめてその痛みからは解放してやりたい」
 ヴェルノがゆっくりと剣を頭上に振り上げた。
「まって!」
 剣を振りおろそうとしたヴェルノをジゼルが制止する。
「ジゼル、可哀想だが仕方無いんだ。分かってくれ」
「そうじゃない!あそこ!」
 ジゼルが叫びながら指差す方向に一同が視線を向ける。
 そこは当初コモラが何かを守るように伏していた場所であった。
「あっ」
 ジゼルが何を指しているのかを理解したアスはすぐにその場所に駆け寄る。
 そこには、今ほど戦ったコモラよりも一回り小さく白い毛並みをした子供のコモラの遺体があった。体には無惨にも無数の矢が刺さっており、所々白い毛が血で赤く染まっている。
「ひどい・・・」
 ヴェルノ達もアスの後を追って来て、その惨状を目の当たりにする。
 その惨状を見たジゼルは目に溢れんばかりの涙を溜め、俯いた。
「・・・ジョフレ達は誘引香で誘き寄せられた子供のコモラを先に狩っていたのか」
「多分、子供の遺体を使って本命を誘き寄せたんでしょうね。成体のコモラは疑い深く誘引香には引っかかりにくいでしょうから・・・」
 俯いていたジゼルがその場にしゃがみ、そっと子供のコモラの体に手をあてる。
「怖かっただろうね・・・」
 軽く体を撫でてからジゼルは皆の方を向く。
「・・・お父さん、アス、この子をあのコモラのところまで連れていってあげたい」
 大粒の涙をこぼすジゼルの頭をヴェルノが優しく撫でる。
「ああ、そうだな。みんなで連れてってあげよう」
 3人はゆっくりと丁寧に子供のコモラを抱え上げると、息も絶え絶えになっている親コモラの元へ連れて行き、その横にそっと安置した。
 ジゼル達が見つめる中、親コモラはしばらくの間、慈しむように子供の体に顔をすりつけ、やがてその命の鼓動を止めた。
しおりを挟む

処理中です...