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静穏の一時 3
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「気にせず、触っていいぞ」
バースィルは尾をゆったりと一振りした後、ソファの中程へ横たわらせた。
ウィアルはじっと尾を見、バースィルの顔を見している。気を惹くために、ふぁさふぁさと数回振ってみる。
「失礼します……」
好奇心に負けたのか、そろりと手を伸ばすウィアル。恐る恐るの様が、幼子のように可愛らしく思えて、バースィルは再び笑みを零した。このような様子、普段のマスター然としたウィアルからは考えられない。
やがてそうっと置かれた手は、緩やかに柔く尾を撫でた。
触れられたくすぐったさと、触れてくれているという喜びからくるくすぐったさが、バースィルの心をそわそわむずむずさせた。
ウィアルと出会ったのはまだ新緑が眩しい初夏の頃。それから半年を要してやっとウィアルからの接触があったのだ。
色恋とは無縁の接触であるが、そこには目を瞑ろう。触れ合いが発生したということが重要なのだ。
そんな風に浮つく心持ちから、これでもかと振りそうになっている尾を、なんとか押し止める。さも落ち着いているかのような声を絞り出した。
「ウィアル、もう少しこっち来い」
手を止めたウィアルは、意図が分かっていないだろう顔でバースィルを見やる。
バースィルは、自らの尾を右手で掬い上げ、もう一度こちらへ寄るようにとウィアルに言った。ウィアルは言葉に誘われ、するりとこちらへと移動する。バースィルとの距離が縮まった。
それを確認したバースィルは、そっと自分の尾を放す。そうして尾を僅かに動かして、ウィアルの膝の上へと横たわらせた。
ようやく意図を理解したウィアルは、嬉しそうに笑みを浮かべ、またそろりと尾を撫でた。
バースィルは、自分の拙いアプローチに無性に恥ずかしさが増して、思わずコーヒーのカップに手を伸ばす。
少し冷めていたそれは、苦味が随分とはっきりとして、バースィルの心を落ち着けるのに一役買ってくれた。
それから暫くの間、ウィアルはご機嫌な様子で尾を撫で回していた。
「ふふっ、ふわふわして気持ちがいいですね」
バースィルの尾を膝に乗せたウィアルは、長い毛足を手櫛で梳かす。繊細な白い指が、赤い毛を撫で上げた。
少しはしゃいだウィアルが可愛らしい。そんな笑顔を見せられると、もっと喜ばせたくなってしまう。
少し尾先を振れば、楽しげに口元を綻ばせる。胴を巻くようにすり寄れば、優しく撫で返してくれた。
そんなウィアルの様子を楽しみながら尾を動かしていると、はたと気が付いたように撫でる手が止まる。そうしてウィアルは、バースィルの方へを視線を送り、申し訳無さそうに詫びた。
「すみません、気が散ってしまいますよね。不躾なお願いを聞いてくださり、ありがとうございました」
そう言って、尾から手を離してしまった。
バースィルのページをめくる手が止まっていたことに気がついたのだろう。
当の本人からしてみれば、正直なところ、本を読むよりウィアルと戯れている方が優先されただけだ。むしろそのことに集中していたのだから、気など散っていなかった。しかし、それをそのまま伝えるのは悪手だと、さすがのバースィルでも見当がつく。
少し居住まいを正しながら、適切な言葉を選ぼうと努力した。
「いや、触れてくれるのは、心地が良いし、落ち着けるんだよな。だからそうしてくれていた方が、本を読むのも捗る」
そうすると、少しだけこちらの様子を窺ったウィアルは、またそろそろと尾を撫で始めた。
きっと犬を愛でているような気持ちなのだろう。そのことに、バースィルは少し物足りなく思うも、ウィアルからの触れ合いは心を温かくさせるに十分であった。
愛でるような、労るような、気遣うような。それはたいそう優しい触れ方で、この時をずっと堪能していたいと思ってしまった。
心地良さに気持ちも落ち着いたバースィルは、本を読み進めることにした。またウィアルに気にされては敵わない。自然になるよう心がけて、視線を本へと戻した。
今読んでいる本は『魔物生態学』の装画版だ。
挿し絵が多く、ともすれば子供向けに取られてしまいそうなものであったが、その実、魔物の詳細な情報――能力や特徴、果ては生態まで――が記載されており、バースィルにはこれらが全て、かなり正確なものだと感じられた。
大陸内の魔物分布もまとまっており、少なくともバースィルが旅してきた西方から南方、そしてヴォールファルト王国までの内容はかなりの精度に思える。
バースィルの魔物に対する知識は、父から聞かされたり冒険者時代に得たりしたもので、実際に目にしてきたことも多い。その情報と照らし合わせると、下手な知識人が子供向けに書いたものとは到底思えない。
やはりここの本は、質の高いものが精査されているのではないかと考えられた。
それに、この本は騎士団も所有しておいた方がよいのではと思える程だ。
魔物討伐において必要な情報があるとバースィルは思う。討伐は戦いの場であり、ともすれば感覚に頼りがちになる。それが知識で補われるのであれば、騎士たちの助けになるだろう。
バースィルは尾をゆったりと一振りした後、ソファの中程へ横たわらせた。
ウィアルはじっと尾を見、バースィルの顔を見している。気を惹くために、ふぁさふぁさと数回振ってみる。
「失礼します……」
好奇心に負けたのか、そろりと手を伸ばすウィアル。恐る恐るの様が、幼子のように可愛らしく思えて、バースィルは再び笑みを零した。このような様子、普段のマスター然としたウィアルからは考えられない。
やがてそうっと置かれた手は、緩やかに柔く尾を撫でた。
触れられたくすぐったさと、触れてくれているという喜びからくるくすぐったさが、バースィルの心をそわそわむずむずさせた。
ウィアルと出会ったのはまだ新緑が眩しい初夏の頃。それから半年を要してやっとウィアルからの接触があったのだ。
色恋とは無縁の接触であるが、そこには目を瞑ろう。触れ合いが発生したということが重要なのだ。
そんな風に浮つく心持ちから、これでもかと振りそうになっている尾を、なんとか押し止める。さも落ち着いているかのような声を絞り出した。
「ウィアル、もう少しこっち来い」
手を止めたウィアルは、意図が分かっていないだろう顔でバースィルを見やる。
バースィルは、自らの尾を右手で掬い上げ、もう一度こちらへ寄るようにとウィアルに言った。ウィアルは言葉に誘われ、するりとこちらへと移動する。バースィルとの距離が縮まった。
それを確認したバースィルは、そっと自分の尾を放す。そうして尾を僅かに動かして、ウィアルの膝の上へと横たわらせた。
ようやく意図を理解したウィアルは、嬉しそうに笑みを浮かべ、またそろりと尾を撫でた。
バースィルは、自分の拙いアプローチに無性に恥ずかしさが増して、思わずコーヒーのカップに手を伸ばす。
少し冷めていたそれは、苦味が随分とはっきりとして、バースィルの心を落ち着けるのに一役買ってくれた。
それから暫くの間、ウィアルはご機嫌な様子で尾を撫で回していた。
「ふふっ、ふわふわして気持ちがいいですね」
バースィルの尾を膝に乗せたウィアルは、長い毛足を手櫛で梳かす。繊細な白い指が、赤い毛を撫で上げた。
少しはしゃいだウィアルが可愛らしい。そんな笑顔を見せられると、もっと喜ばせたくなってしまう。
少し尾先を振れば、楽しげに口元を綻ばせる。胴を巻くようにすり寄れば、優しく撫で返してくれた。
そんなウィアルの様子を楽しみながら尾を動かしていると、はたと気が付いたように撫でる手が止まる。そうしてウィアルは、バースィルの方へを視線を送り、申し訳無さそうに詫びた。
「すみません、気が散ってしまいますよね。不躾なお願いを聞いてくださり、ありがとうございました」
そう言って、尾から手を離してしまった。
バースィルのページをめくる手が止まっていたことに気がついたのだろう。
当の本人からしてみれば、正直なところ、本を読むよりウィアルと戯れている方が優先されただけだ。むしろそのことに集中していたのだから、気など散っていなかった。しかし、それをそのまま伝えるのは悪手だと、さすがのバースィルでも見当がつく。
少し居住まいを正しながら、適切な言葉を選ぼうと努力した。
「いや、触れてくれるのは、心地が良いし、落ち着けるんだよな。だからそうしてくれていた方が、本を読むのも捗る」
そうすると、少しだけこちらの様子を窺ったウィアルは、またそろそろと尾を撫で始めた。
きっと犬を愛でているような気持ちなのだろう。そのことに、バースィルは少し物足りなく思うも、ウィアルからの触れ合いは心を温かくさせるに十分であった。
愛でるような、労るような、気遣うような。それはたいそう優しい触れ方で、この時をずっと堪能していたいと思ってしまった。
心地良さに気持ちも落ち着いたバースィルは、本を読み進めることにした。またウィアルに気にされては敵わない。自然になるよう心がけて、視線を本へと戻した。
今読んでいる本は『魔物生態学』の装画版だ。
挿し絵が多く、ともすれば子供向けに取られてしまいそうなものであったが、その実、魔物の詳細な情報――能力や特徴、果ては生態まで――が記載されており、バースィルにはこれらが全て、かなり正確なものだと感じられた。
大陸内の魔物分布もまとまっており、少なくともバースィルが旅してきた西方から南方、そしてヴォールファルト王国までの内容はかなりの精度に思える。
バースィルの魔物に対する知識は、父から聞かされたり冒険者時代に得たりしたもので、実際に目にしてきたことも多い。その情報と照らし合わせると、下手な知識人が子供向けに書いたものとは到底思えない。
やはりここの本は、質の高いものが精査されているのではないかと考えられた。
それに、この本は騎士団も所有しておいた方がよいのではと思える程だ。
魔物討伐において必要な情報があるとバースィルは思う。討伐は戦いの場であり、ともすれば感覚に頼りがちになる。それが知識で補われるのであれば、騎士たちの助けになるだろう。
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