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静穏の一時 2
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そんなことを思い出しながら本を読んでいると、コーヒーの薫りと共にウィアルが訪れた。
「バースィルさん、少し休憩しましょう」
「あぁ、ありがとな」
テーブルへ置かれたコーヒーを自分のところへ引き寄せた後、もう一つは隣へ座る彼のためにと横へ寄せた。
ウィアルにソファを勧めれば、ゆるりと腰を下ろした。触り心地のよい布張りのソファは、彼の重さを受けて座面が沈む。落ち着いた色味の柔らかなクッションに身を任せれば、ウィアルは無意識だろう溜息を漏らした。
「落ち着いたか? 手伝えなくて悪いな」
「いえ、お手伝いしていただくわけには」
「分かってるよ」
困ったように僅かに笑うウィアルと、少し拗ねたように答えるバースィル。
どんなに忙しそうにしていても、バースィルは客だ。手伝うわけにもいかない。分かってはいるが、何かしたいと思ってしまいはする。
「それに、私の休憩に付き合っていただいているだけでも、とても助かっています」
穏やかに紡がれるウィアルの言葉は、バースィルも嬉しい。
それでも、もう少し、もう少しでいいから何かしてやりたいと考えてしまう。惚れた弱みというのはこういうことを言うのだろうか、ままならないものだ。
そんなことを思いながら、コーヒーに口をつけた。
深く煎られた苦味とコクが口の中に広がる。酸味が少なく、どっしりとした味わいで飲みごたえを感じられた。このような口当たりだが、飲み終えた後は苦味の中にほんのりとした甘さが感じられ、また口へと運んでしまう魅力があった。
共に出された皿には、一口サイズのパイだ。黄橙色のペーストが、生地で作られた格子の間から覗いている。かぼちゃだろうか。収穫が終わったかぼちゃは、さぞかし美味いだろう。すっかり秋が深くなり、そろそろ冬が来るのだなとバースィルは思った。
隣に座ったウィアルは、コーヒーを数口飲んでから共に持ってきた本を開いた。
少し赤みの強い褐色の革表紙には、蔦のフレームが金で押されていて、その中には何かしらの草花が描かれていた。傍らには何種類かの木の実か草の実だろうか。繊細なラインで描かれた美しい装幀だ。
その本は高名な錬金術師が記したもので、薬草の効能から栽培方法までを取り扱ったものだそうだ。先週から読み始めたのに、もう第五集を読んでいる。
バースィルと休憩をするようになってから、ヘンリーとブラントから「バースィルがいなくても休むように」と口酸っぱく言われるようになったらしく、渋々ながら休憩時間をきちんと取るようにしたと聞いている。読書が進んでいるということは、ちゃんと休めているということなのだろう。
少々速すぎる気がするが、もしかしたら休憩以外でも読んでいるかもしれない。そんな風に思いながら、バースィルは自分の読書の遅さを頭の隅に追いやった。
二人は、時々コーヒーを口に運びながら、静かに本を読み進めた。
近い距離にいながらも、沈黙に心細くなることもなく、安心感に似た心地よさが感じられる。ウィアルと話す時間も楽しいが、このような同じ時を過ごしているのだと実感できる時間も、バースィルには何ものにも変え難かった。
ふと、隣から聞こえていたページをめくる音が、止まっていることに気がつく。
ちらりと視線を送れば、ウィアルがこちらを見ていた。正確には少し下、座面の方だ。
そこにあるのは、二人の間に横たわっているバースィルの尾。赤い毛並みの長くてボリュームのある尾だった。
ウィアルの視線は、バースィルの尾を気にするように窺っていた。じぃっと見つめる視線を遊ばせるように、パタパタと尾を揺らせば、興味深そうに追ってくる。ウィアルのまるで純真な子供のような表情に、バースィルは思わず笑みが零れた。
「どうかしたか?」
「あ、いえ。……バースィルさんの尾、気持ちよさそうだなって」
少し目を細めたウィアルへ応えるように、少し浮かせて振ってみれば長い毛足がふんわりと揺れる。
「触ってみるか?」
「え、いや、ですが、その……」
「俺は、尾に触られたら責任取れっていうような種族じゃないから安心してくれ」
戸惑うウィアルに、少し笑いながらバースィルは尾を振った。
独自の身体的特徴を持つ種族は、部位に対する慣習にも違いがあることが多い。尾や耳、角、翼など、環境や文化において扱いが変わってくる。
傷つけられたりしないのであれば、赤狼にとっては他の部位と然程変わらない。狼の耳は、頭や人にとっての耳と変わらず、尾は中程から先にかけて触れるのは髪の毛を触れさせるくらいの認識に近い。知らぬ他人に触れられるのは好まないが、親しい間柄なら問題ないという感覚だ。
これは、その種族がその部位をどのように考えているかによるだろう。
種族や住んでいる地域によっては、耳や尾などの種族の特徴に触れるのは、番いのみと考える者たちもいるのだ。
人族たちも何かしらあるように、そういう文化であるという違いでしかない。不要なトラブルは避けるべきだが、一番重要視すべきは、それを他人に押し付けないことだとバースィルは考えている。
「バースィルさん、少し休憩しましょう」
「あぁ、ありがとな」
テーブルへ置かれたコーヒーを自分のところへ引き寄せた後、もう一つは隣へ座る彼のためにと横へ寄せた。
ウィアルにソファを勧めれば、ゆるりと腰を下ろした。触り心地のよい布張りのソファは、彼の重さを受けて座面が沈む。落ち着いた色味の柔らかなクッションに身を任せれば、ウィアルは無意識だろう溜息を漏らした。
「落ち着いたか? 手伝えなくて悪いな」
「いえ、お手伝いしていただくわけには」
「分かってるよ」
困ったように僅かに笑うウィアルと、少し拗ねたように答えるバースィル。
どんなに忙しそうにしていても、バースィルは客だ。手伝うわけにもいかない。分かってはいるが、何かしたいと思ってしまいはする。
「それに、私の休憩に付き合っていただいているだけでも、とても助かっています」
穏やかに紡がれるウィアルの言葉は、バースィルも嬉しい。
それでも、もう少し、もう少しでいいから何かしてやりたいと考えてしまう。惚れた弱みというのはこういうことを言うのだろうか、ままならないものだ。
そんなことを思いながら、コーヒーに口をつけた。
深く煎られた苦味とコクが口の中に広がる。酸味が少なく、どっしりとした味わいで飲みごたえを感じられた。このような口当たりだが、飲み終えた後は苦味の中にほんのりとした甘さが感じられ、また口へと運んでしまう魅力があった。
共に出された皿には、一口サイズのパイだ。黄橙色のペーストが、生地で作られた格子の間から覗いている。かぼちゃだろうか。収穫が終わったかぼちゃは、さぞかし美味いだろう。すっかり秋が深くなり、そろそろ冬が来るのだなとバースィルは思った。
隣に座ったウィアルは、コーヒーを数口飲んでから共に持ってきた本を開いた。
少し赤みの強い褐色の革表紙には、蔦のフレームが金で押されていて、その中には何かしらの草花が描かれていた。傍らには何種類かの木の実か草の実だろうか。繊細なラインで描かれた美しい装幀だ。
その本は高名な錬金術師が記したもので、薬草の効能から栽培方法までを取り扱ったものだそうだ。先週から読み始めたのに、もう第五集を読んでいる。
バースィルと休憩をするようになってから、ヘンリーとブラントから「バースィルがいなくても休むように」と口酸っぱく言われるようになったらしく、渋々ながら休憩時間をきちんと取るようにしたと聞いている。読書が進んでいるということは、ちゃんと休めているということなのだろう。
少々速すぎる気がするが、もしかしたら休憩以外でも読んでいるかもしれない。そんな風に思いながら、バースィルは自分の読書の遅さを頭の隅に追いやった。
二人は、時々コーヒーを口に運びながら、静かに本を読み進めた。
近い距離にいながらも、沈黙に心細くなることもなく、安心感に似た心地よさが感じられる。ウィアルと話す時間も楽しいが、このような同じ時を過ごしているのだと実感できる時間も、バースィルには何ものにも変え難かった。
ふと、隣から聞こえていたページをめくる音が、止まっていることに気がつく。
ちらりと視線を送れば、ウィアルがこちらを見ていた。正確には少し下、座面の方だ。
そこにあるのは、二人の間に横たわっているバースィルの尾。赤い毛並みの長くてボリュームのある尾だった。
ウィアルの視線は、バースィルの尾を気にするように窺っていた。じぃっと見つめる視線を遊ばせるように、パタパタと尾を揺らせば、興味深そうに追ってくる。ウィアルのまるで純真な子供のような表情に、バースィルは思わず笑みが零れた。
「どうかしたか?」
「あ、いえ。……バースィルさんの尾、気持ちよさそうだなって」
少し目を細めたウィアルへ応えるように、少し浮かせて振ってみれば長い毛足がふんわりと揺れる。
「触ってみるか?」
「え、いや、ですが、その……」
「俺は、尾に触られたら責任取れっていうような種族じゃないから安心してくれ」
戸惑うウィアルに、少し笑いながらバースィルは尾を振った。
独自の身体的特徴を持つ種族は、部位に対する慣習にも違いがあることが多い。尾や耳、角、翼など、環境や文化において扱いが変わってくる。
傷つけられたりしないのであれば、赤狼にとっては他の部位と然程変わらない。狼の耳は、頭や人にとっての耳と変わらず、尾は中程から先にかけて触れるのは髪の毛を触れさせるくらいの認識に近い。知らぬ他人に触れられるのは好まないが、親しい間柄なら問題ないという感覚だ。
これは、その種族がその部位をどのように考えているかによるだろう。
種族や住んでいる地域によっては、耳や尾などの種族の特徴に触れるのは、番いのみと考える者たちもいるのだ。
人族たちも何かしらあるように、そういう文化であるという違いでしかない。不要なトラブルは避けるべきだが、一番重要視すべきは、それを他人に押し付けないことだとバースィルは考えている。
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