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小夜の約束 2
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「バースィル」
名を呼ばれ顔を上げると、ブラントが奥から出てきた。驚いた顔でこちらにやってくる。
「この時間は初めてじゃないか」
「おう。この間はありがとうな、助かった」
彼が居ることを期待していたバースィルは、立ち上がってブラントに礼を言う。今日はそのために来たと言ってもよかった。もしかしたら気持ちの殆どを、ウィアルに会うためが占めているかもしれないが、それはそれ、これはこれだ。
「気にするな。そっちこそ、ご苦労さん」
ブラントは軽く手を振って、逆にバースィルを労ってくれる。
二人が話しているのは、先日のバースィルの夜勤仕事のことだ。実は、少々不測の事態があったのだ。
先日の夜間警らは、バースィルにとって初めての夜勤だった。その夜は、商業区南部にある飲み屋街で酔っ払い同士の喧嘩があり、組んでいたハンネスや衛士たちと共に駆けつけた。幸いにも大事とはならず、無事に事を収めることができた。
その功労者が、その喧嘩場に居合わせた陽気な酔っ払いの男だ。
ふらりふらりと騒ぎに混ざり込んできて、楽しげに喧嘩を囃し立てる。囃し立てられた方は妙に冷静になって大人しく拳を下ろした。その男のお陰で、怪我人なし、損壊なしと、無事に解決と相成ったのだ。
しかし、この男、酔っ払いとしてはたいそう質が悪かった。
喧嘩の当事者たちが詰め所に連れて行かれるところを一緒について行こうとするわ、周りに状況を尋ねるハンネスに絡むわで、衛士隊からもお手上げだと泣きつかれた。あの飄々と何でもこなすハンネスが、僅かでもイライラしているのを感じ取れたくらいなので、余程の相手だったのだろう。
放置するわけにもいかないと、バースィルがこの酔っ払いを家まで送ってやることになったのだ。
道すがら話してみれば、呑気で人当たりのよい男だった。こういう陽気さを、バースィルは嫌っていない。
その男の住まいは例の閑静な区画にあり、そこまで行ったところで、急に腹が空いたと言い出した。それで「行きつけのバーに行きたい」と言うので、ならそこまで届けるかとそのバーとやらへ足を延ばすことにした。
そうして向かった先が、バーとして営業中のランディアだったのだ。
店に入ってみれば男は常連だったと分かる。その後、彼の面倒はブラントが見てくれることになり、バースィルはお役御免となった。
「それで。夜も来てみようと思ったんだ?」
「ああ、そうだ。……バーのこと、誰も教えてくれなかった。ウィアルもだ」
少し不貞腐れて呟けば、ブラントは首を振る。
「騎士団に入りたてのお前が、酒の場に入り浸ってるなんて評判が悪いだろうさ。マスターなりの気遣いだと思うけどな」
「お前は?」
「バースィルは、酒が飲めないんだと思っていた」
ブラント曰く「夜になるときちんと帰るのでそう思っていた」とのことだった。「ガキじゃねえぞ」とバースィルがぼやけば「俺からしたら、随分若いさ」と片眉を上げて笑っていた。
ブラントの勧めた酒を頼み、前回読みかけだった本を手に取った。合間合間に楽しげに接客するウィアルを眺め、時々やってきてくれる彼と話をし、また本を読む。
いつものように過ごし始めれば、やはりここがランディアなのだと理解できる。居心地の良さ、穏やかな時間、細やかな心遣い。昼夜どちらも、ウィアルにとって大事な場所なのだなと理解できた。
酒のグラスが空になる頃には、店に来た時の落ち着かない気持ちは消え去っていた。
あっという間に時間が過ぎ、宿舎へ帰るために席を立つ。
門限などないし、明日は休みだから閉店まで居てもよかったのだが、元々バースィルは無理はしないと決めている。寝れる時に寝るのは、冒険者時代に決めたことだ。疲労を残しては支障が出ると理解していた。
扉を押して店を出ようとしたところ、見送りにとウィアルが共に来てくれた。
小さな庭の出口まで二人で歩き、バースィルは振り返る。
「見送り、ありがとな」
「いえ、こちらこそ。……バースィルさんがこの時間にいるのは、新鮮でいいですね」
「たしかに。俺もそう思う」
そうして一瞬の無言が訪れ、無性に離れ難い気持ちが湧いてくる。この時間がずっと続けばいいのに、そんなことをバースィルは思う。
どちらからともなく、取り留めのない話を口にした。今読んでいる本の話、興味のある本の話、コーヒーのこと、今度始める新しいメニューのこと、次の休みはいつだとか、買い出しにどこに行こうかとか、何気ない話を止め処なく交わす。
静かな声、相手にだけ聞こえるくらいの小さな声で、二人にだけ聞こえる、二人だけの会話。
ウィアルがどういう気持ちで、話に付き合ってくれているのかは分からない。それでも、バースィルにとってはとても価値のある時間だった。
バースィルは自分の単純さに呆れながらも、少しは特別な間柄に近づいたのではと感じていた。
穏やかな時間。人通りもなく静かな夜。見ているのは瞬いている星々と月だけ。
僅かとはいえ、ウィアルとこんな時間が過ごせるのなら。
「またこの時間にも来ていいか?」
次の約束を求めて、言葉がまろび出た。
大衆酒場はよく知っているが、このような瀟洒な空気は少し慣れない。ブラントとの会話ではないが、ああいう場ではたしかに飲み慣れていないと、バースィル自身も思う。
それでも、目の前のウィアルと一緒にいられる時間が取れるのなら、夜遅くだって吝かではない。
ウィアルは優しく笑んだ。自分より少しだけ大人なんだなと、バースィルに思わせる笑み。
「もちろん、お待ちしています」
「ああ。じゃあ、またな」
「はい、お気をつけて。おやすみなさい」
「ウィアルもおやすみ」
そう言いながら手を振って、バースィルは宿舎への帰路に着いた。
名を呼ばれ顔を上げると、ブラントが奥から出てきた。驚いた顔でこちらにやってくる。
「この時間は初めてじゃないか」
「おう。この間はありがとうな、助かった」
彼が居ることを期待していたバースィルは、立ち上がってブラントに礼を言う。今日はそのために来たと言ってもよかった。もしかしたら気持ちの殆どを、ウィアルに会うためが占めているかもしれないが、それはそれ、これはこれだ。
「気にするな。そっちこそ、ご苦労さん」
ブラントは軽く手を振って、逆にバースィルを労ってくれる。
二人が話しているのは、先日のバースィルの夜勤仕事のことだ。実は、少々不測の事態があったのだ。
先日の夜間警らは、バースィルにとって初めての夜勤だった。その夜は、商業区南部にある飲み屋街で酔っ払い同士の喧嘩があり、組んでいたハンネスや衛士たちと共に駆けつけた。幸いにも大事とはならず、無事に事を収めることができた。
その功労者が、その喧嘩場に居合わせた陽気な酔っ払いの男だ。
ふらりふらりと騒ぎに混ざり込んできて、楽しげに喧嘩を囃し立てる。囃し立てられた方は妙に冷静になって大人しく拳を下ろした。その男のお陰で、怪我人なし、損壊なしと、無事に解決と相成ったのだ。
しかし、この男、酔っ払いとしてはたいそう質が悪かった。
喧嘩の当事者たちが詰め所に連れて行かれるところを一緒について行こうとするわ、周りに状況を尋ねるハンネスに絡むわで、衛士隊からもお手上げだと泣きつかれた。あの飄々と何でもこなすハンネスが、僅かでもイライラしているのを感じ取れたくらいなので、余程の相手だったのだろう。
放置するわけにもいかないと、バースィルがこの酔っ払いを家まで送ってやることになったのだ。
道すがら話してみれば、呑気で人当たりのよい男だった。こういう陽気さを、バースィルは嫌っていない。
その男の住まいは例の閑静な区画にあり、そこまで行ったところで、急に腹が空いたと言い出した。それで「行きつけのバーに行きたい」と言うので、ならそこまで届けるかとそのバーとやらへ足を延ばすことにした。
そうして向かった先が、バーとして営業中のランディアだったのだ。
店に入ってみれば男は常連だったと分かる。その後、彼の面倒はブラントが見てくれることになり、バースィルはお役御免となった。
「それで。夜も来てみようと思ったんだ?」
「ああ、そうだ。……バーのこと、誰も教えてくれなかった。ウィアルもだ」
少し不貞腐れて呟けば、ブラントは首を振る。
「騎士団に入りたてのお前が、酒の場に入り浸ってるなんて評判が悪いだろうさ。マスターなりの気遣いだと思うけどな」
「お前は?」
「バースィルは、酒が飲めないんだと思っていた」
ブラント曰く「夜になるときちんと帰るのでそう思っていた」とのことだった。「ガキじゃねえぞ」とバースィルがぼやけば「俺からしたら、随分若いさ」と片眉を上げて笑っていた。
ブラントの勧めた酒を頼み、前回読みかけだった本を手に取った。合間合間に楽しげに接客するウィアルを眺め、時々やってきてくれる彼と話をし、また本を読む。
いつものように過ごし始めれば、やはりここがランディアなのだと理解できる。居心地の良さ、穏やかな時間、細やかな心遣い。昼夜どちらも、ウィアルにとって大事な場所なのだなと理解できた。
酒のグラスが空になる頃には、店に来た時の落ち着かない気持ちは消え去っていた。
あっという間に時間が過ぎ、宿舎へ帰るために席を立つ。
門限などないし、明日は休みだから閉店まで居てもよかったのだが、元々バースィルは無理はしないと決めている。寝れる時に寝るのは、冒険者時代に決めたことだ。疲労を残しては支障が出ると理解していた。
扉を押して店を出ようとしたところ、見送りにとウィアルが共に来てくれた。
小さな庭の出口まで二人で歩き、バースィルは振り返る。
「見送り、ありがとな」
「いえ、こちらこそ。……バースィルさんがこの時間にいるのは、新鮮でいいですね」
「たしかに。俺もそう思う」
そうして一瞬の無言が訪れ、無性に離れ難い気持ちが湧いてくる。この時間がずっと続けばいいのに、そんなことをバースィルは思う。
どちらからともなく、取り留めのない話を口にした。今読んでいる本の話、興味のある本の話、コーヒーのこと、今度始める新しいメニューのこと、次の休みはいつだとか、買い出しにどこに行こうかとか、何気ない話を止め処なく交わす。
静かな声、相手にだけ聞こえるくらいの小さな声で、二人にだけ聞こえる、二人だけの会話。
ウィアルがどういう気持ちで、話に付き合ってくれているのかは分からない。それでも、バースィルにとってはとても価値のある時間だった。
バースィルは自分の単純さに呆れながらも、少しは特別な間柄に近づいたのではと感じていた。
穏やかな時間。人通りもなく静かな夜。見ているのは瞬いている星々と月だけ。
僅かとはいえ、ウィアルとこんな時間が過ごせるのなら。
「またこの時間にも来ていいか?」
次の約束を求めて、言葉がまろび出た。
大衆酒場はよく知っているが、このような瀟洒な空気は少し慣れない。ブラントとの会話ではないが、ああいう場ではたしかに飲み慣れていないと、バースィル自身も思う。
それでも、目の前のウィアルと一緒にいられる時間が取れるのなら、夜遅くだって吝かではない。
ウィアルは優しく笑んだ。自分より少しだけ大人なんだなと、バースィルに思わせる笑み。
「もちろん、お待ちしています」
「ああ。じゃあ、またな」
「はい、お気をつけて。おやすみなさい」
「ウィアルもおやすみ」
そう言いながら手を振って、バースィルは宿舎への帰路に着いた。
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