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第弐拾弐話
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家主に迎え入れられて、佳朗は曲り家の裏口をくぐった。
外はあれほど寒かったのに、家の中は思ったよりも暖かかった。囲炉裏にかかった鉄瓶から上がる湯気が部屋を暖めているのだろう。竈にも弱い火が残っていた。
案内されて、靴を脱いで土間から上がる。コートを脱げば随分と身軽になったような気がした。
「寒かっただろう、温かい茶だよ」
佳朗の前に湯気の上がる湯呑みが差し出された。礼を言って手に取れば、心地よい温かさがじんわりと指先から広がっていく。一口含めば冷え切った口、喉、腹の中へと染み込んだ。
「ありがとうございます、生き返ります」
「ならばよかった」
穏やかに微笑む家主に、佳朗はどう返していいか分からず一頻り慌てた。それが緊張からなのか、初対面からなのかは分からない。
ただ清廉で崇高なものと接しているのだという高鳴りだけは理解していた。
佳朗の勘が人ではないと言っていた。
緊張をごまかすように茶を飲んでは眺め、飲んでは眺めをしていると、がららっと軽快な音を立てて裏口の扉が開かれた。
佳朗が通されたところは、裏口から入ってすぐの常居――端的に言うと居間のような部屋――であり裏口から入ってすぐの土間に面していた。常居には囲炉裏があり、土間にある台所で作られた食事などをいただく場となっているようだ。
その土間を数人の子供が駆けてくる。
「お月さま、ちゃんとお迎えできたよ」
わらわらと靴を脱ぎ捨てて土間から這い上ってくる。
お月さまと呼ばれた家主は、優しげに笑むと懐から菓子を取り出して子どもたちに配った。それを受け取ると子どもたちは歓声を上げながら、再び土間へ飛び降りて靴を履きそれぞれに駆け出していった。
佳朗は彼らの背に声を掛ける。特に考えずとも礼の言葉がまろび出た。
「お迎えありがとう」
「どーいたしましてー」
子ども特有の間延びした声が聞こえ、彼らはばいばいまたねと口々に言って手を振って出ていった。最後に小気味よく扉が閉まる。
嵐のようだった。
そんな嵐を思い返しながら、佳朗は家主に尋ねた。
「子どもたちは着物じゃないんですね」
「ああ、着物は楽だがやはり不便なことも多いからね。古い形式が必ずしも良いというわけではない。我が家は竈や囲炉裏を使っているが、他の家はすっかり電化製品だよ」
風情が吹き飛ぶ発言に、佳朗は驚きつつも気がついたことを伝えた。
「でも、どの家も煙が上がっていました」
先ほどこの丘から望んだ里は家々から柔らかな煙が上がっており、生活の合間に茅を燻しているように見えた。
佳朗がそう答えると、一瞬首を傾げた後ああと合点がいったように家主は答えた。
「時間がある日は、米だけは竈で炊いていると言っていたね。美味さが違うらしい」
そう言って、はっはっはと笑い声を上げた。その見た目よりも随分と男らしい笑いに釣られて、佳朗も笑った。
茶請けに煎餅をいただきながら彼の話を聞いてみると、どうやら夕餉の準備をしていたらしく、味噌汁に足そうと庭に細ネギを採りに出ていたらしい。ちょうど庭に出たら佳朗がいたのだそうだ。
そう言えばそうだったとネギの採り忘れを思い出し、物忘れが多くなっていけないねと外見に見合わないようなことを言って、彼はまた笑った。
佳朗がここはどのような里かと尋ねれば、長閑で自給自足の小さな里、夏は涼しい山風が里を通り抜け大層過ごしやすく、冬は東北らしく豪雪だが雪が積もれば屋内は暖かく存外過ごしやすいものだと話してくれた。
里の規模は十数軒だが、少し離れたところにも数軒はあり、その家々も入れて山里としているらしい。皆外からの買い入れもしつつ、庭や畑で採れた野菜を分けて過ごしているらしい。先程の子どもたちだけでなく、他の住人とも距離が近く、家族のような付き合いなのだと話し口から察せられた。
どうやら彼は、この里のご隠居のような立場にあるようだった。
「あの……そう言えば、お名前は」
呼ぶ名が分からず名を尋ねた。
「ああ、まだ名乗りをしていなかったか。私のことは月隠と呼んでおくれ」
月隠。
とても似合いの名だと思った。あの大きな月が姿を隠せば、これ程に美しいひとになるだろう。佳朗はそう思った。
佳朗ははっとして、自らも名乗った。
「俺は平坂佳朗と言います」
ペコリと頭を下げれば、月隠は「良い名だ」と笑んだ。
月隠は立ち上がったかと思うと土間へ下り、「ネギがなくとも味噌汁はうまかろう」と言って、竈の方から飯椀と汁椀を盆に乗せて戻ってきた。
佳朗の目の前に出された白米と豆腐と青菜の味噌汁は、ほかほかと温かい湯気を浮かばせ美味そうな匂いを漂わせてくる。二つ添えられた小鉢には金平牛蒡と大根の漬物がそれぞれ入っていた。佳朗の腹が、くうと一度だけ鳴った。
恥ずかしげに腹を隠す佳朗の隣に座りながら、月隠は残りの椀を自分の前に置いた。
椀から手を離すと胸元で両手のひらを合わせる。白くたおやかな指が寄り添い、重なって一つになったように見えた。そうして涼やかな声が一言。
「いただきます」
洗練された所作で手を合わせる月隠に見とれつつも、佳朗も手を合わせた。「いただきます」と感謝を込めて口にし、箸へと手を伸ばした。
まずはと艷やかな白米を一口、箸で運んだ。運ぶだけで甘く豊かな香りが鼻腔をくすぐる。口の中へ届けば、甘い風味とともに柔らかさの中にもしっかりとした弾力を感じて、食べ応えのある米だった。
次は味噌汁の入った汁椀を手に取り、箸でひと混ぜした。温かい湯気とともに漂う味噌の香ばしい豊かな香りが食欲をそそる。椀に口づけ、ゆっくりと流し込めば、味噌の風味と甘さ、はっきりとした塩加減がとにかく旨く感じられた。
これはご飯がすすむやつだ。
佳朗ははふはふと米を食べ、味噌汁を口に含んだ。具の豆腐と青菜も口に運ぶ。また味噌汁を口にした。
金平も漬物も箸休めにちょうどよく、また箸が進む所以にもなった。
夢中に箸を運んでいると、視線を感じてはたと隣を見る。
ゆったりとこちらを見守る彼の瞳は、青みがかった黒色で、それはまるで夜空のような深みを持っていた。キラキラと青の欠片が遊色のように浮かんでいる。瞳一つとっても言葉では言い表せられないくらいに美しい。
「構わない。たんとお食べ」
月隠の優しい言葉に、佳朗は「あの……とても美味しいです」とはにかんだ。
こんなにおなか空いてたんだ。
自分では数十分、一時間もないくらいだと思っていた。しかし十三時過ぎに遠野へ到着し、直ぐに行動したにも拘わらず、夕餉の時間だというのであれば早くとも午後五時頃だろう、約三時間もの間彷徨っていたことになる。
その間ずっと山道を歩いていたことになる。
だが、佳朗はそれも正しくないと理解していた。時間の廻りが違うのだと思う。差を持たすこと、曖昧にさせることができるのだろうと。
迷い家。
佳朗は理の違う世界に足を踏み入れたのだと理解していた。
外はあれほど寒かったのに、家の中は思ったよりも暖かかった。囲炉裏にかかった鉄瓶から上がる湯気が部屋を暖めているのだろう。竈にも弱い火が残っていた。
案内されて、靴を脱いで土間から上がる。コートを脱げば随分と身軽になったような気がした。
「寒かっただろう、温かい茶だよ」
佳朗の前に湯気の上がる湯呑みが差し出された。礼を言って手に取れば、心地よい温かさがじんわりと指先から広がっていく。一口含めば冷え切った口、喉、腹の中へと染み込んだ。
「ありがとうございます、生き返ります」
「ならばよかった」
穏やかに微笑む家主に、佳朗はどう返していいか分からず一頻り慌てた。それが緊張からなのか、初対面からなのかは分からない。
ただ清廉で崇高なものと接しているのだという高鳴りだけは理解していた。
佳朗の勘が人ではないと言っていた。
緊張をごまかすように茶を飲んでは眺め、飲んでは眺めをしていると、がららっと軽快な音を立てて裏口の扉が開かれた。
佳朗が通されたところは、裏口から入ってすぐの常居――端的に言うと居間のような部屋――であり裏口から入ってすぐの土間に面していた。常居には囲炉裏があり、土間にある台所で作られた食事などをいただく場となっているようだ。
その土間を数人の子供が駆けてくる。
「お月さま、ちゃんとお迎えできたよ」
わらわらと靴を脱ぎ捨てて土間から這い上ってくる。
お月さまと呼ばれた家主は、優しげに笑むと懐から菓子を取り出して子どもたちに配った。それを受け取ると子どもたちは歓声を上げながら、再び土間へ飛び降りて靴を履きそれぞれに駆け出していった。
佳朗は彼らの背に声を掛ける。特に考えずとも礼の言葉がまろび出た。
「お迎えありがとう」
「どーいたしましてー」
子ども特有の間延びした声が聞こえ、彼らはばいばいまたねと口々に言って手を振って出ていった。最後に小気味よく扉が閉まる。
嵐のようだった。
そんな嵐を思い返しながら、佳朗は家主に尋ねた。
「子どもたちは着物じゃないんですね」
「ああ、着物は楽だがやはり不便なことも多いからね。古い形式が必ずしも良いというわけではない。我が家は竈や囲炉裏を使っているが、他の家はすっかり電化製品だよ」
風情が吹き飛ぶ発言に、佳朗は驚きつつも気がついたことを伝えた。
「でも、どの家も煙が上がっていました」
先ほどこの丘から望んだ里は家々から柔らかな煙が上がっており、生活の合間に茅を燻しているように見えた。
佳朗がそう答えると、一瞬首を傾げた後ああと合点がいったように家主は答えた。
「時間がある日は、米だけは竈で炊いていると言っていたね。美味さが違うらしい」
そう言って、はっはっはと笑い声を上げた。その見た目よりも随分と男らしい笑いに釣られて、佳朗も笑った。
茶請けに煎餅をいただきながら彼の話を聞いてみると、どうやら夕餉の準備をしていたらしく、味噌汁に足そうと庭に細ネギを採りに出ていたらしい。ちょうど庭に出たら佳朗がいたのだそうだ。
そう言えばそうだったとネギの採り忘れを思い出し、物忘れが多くなっていけないねと外見に見合わないようなことを言って、彼はまた笑った。
佳朗がここはどのような里かと尋ねれば、長閑で自給自足の小さな里、夏は涼しい山風が里を通り抜け大層過ごしやすく、冬は東北らしく豪雪だが雪が積もれば屋内は暖かく存外過ごしやすいものだと話してくれた。
里の規模は十数軒だが、少し離れたところにも数軒はあり、その家々も入れて山里としているらしい。皆外からの買い入れもしつつ、庭や畑で採れた野菜を分けて過ごしているらしい。先程の子どもたちだけでなく、他の住人とも距離が近く、家族のような付き合いなのだと話し口から察せられた。
どうやら彼は、この里のご隠居のような立場にあるようだった。
「あの……そう言えば、お名前は」
呼ぶ名が分からず名を尋ねた。
「ああ、まだ名乗りをしていなかったか。私のことは月隠と呼んでおくれ」
月隠。
とても似合いの名だと思った。あの大きな月が姿を隠せば、これ程に美しいひとになるだろう。佳朗はそう思った。
佳朗ははっとして、自らも名乗った。
「俺は平坂佳朗と言います」
ペコリと頭を下げれば、月隠は「良い名だ」と笑んだ。
月隠は立ち上がったかと思うと土間へ下り、「ネギがなくとも味噌汁はうまかろう」と言って、竈の方から飯椀と汁椀を盆に乗せて戻ってきた。
佳朗の目の前に出された白米と豆腐と青菜の味噌汁は、ほかほかと温かい湯気を浮かばせ美味そうな匂いを漂わせてくる。二つ添えられた小鉢には金平牛蒡と大根の漬物がそれぞれ入っていた。佳朗の腹が、くうと一度だけ鳴った。
恥ずかしげに腹を隠す佳朗の隣に座りながら、月隠は残りの椀を自分の前に置いた。
椀から手を離すと胸元で両手のひらを合わせる。白くたおやかな指が寄り添い、重なって一つになったように見えた。そうして涼やかな声が一言。
「いただきます」
洗練された所作で手を合わせる月隠に見とれつつも、佳朗も手を合わせた。「いただきます」と感謝を込めて口にし、箸へと手を伸ばした。
まずはと艷やかな白米を一口、箸で運んだ。運ぶだけで甘く豊かな香りが鼻腔をくすぐる。口の中へ届けば、甘い風味とともに柔らかさの中にもしっかりとした弾力を感じて、食べ応えのある米だった。
次は味噌汁の入った汁椀を手に取り、箸でひと混ぜした。温かい湯気とともに漂う味噌の香ばしい豊かな香りが食欲をそそる。椀に口づけ、ゆっくりと流し込めば、味噌の風味と甘さ、はっきりとした塩加減がとにかく旨く感じられた。
これはご飯がすすむやつだ。
佳朗ははふはふと米を食べ、味噌汁を口に含んだ。具の豆腐と青菜も口に運ぶ。また味噌汁を口にした。
金平も漬物も箸休めにちょうどよく、また箸が進む所以にもなった。
夢中に箸を運んでいると、視線を感じてはたと隣を見る。
ゆったりとこちらを見守る彼の瞳は、青みがかった黒色で、それはまるで夜空のような深みを持っていた。キラキラと青の欠片が遊色のように浮かんでいる。瞳一つとっても言葉では言い表せられないくらいに美しい。
「構わない。たんとお食べ」
月隠の優しい言葉に、佳朗は「あの……とても美味しいです」とはにかんだ。
こんなにおなか空いてたんだ。
自分では数十分、一時間もないくらいだと思っていた。しかし十三時過ぎに遠野へ到着し、直ぐに行動したにも拘わらず、夕餉の時間だというのであれば早くとも午後五時頃だろう、約三時間もの間彷徨っていたことになる。
その間ずっと山道を歩いていたことになる。
だが、佳朗はそれも正しくないと理解していた。時間の廻りが違うのだと思う。差を持たすこと、曖昧にさせることができるのだろうと。
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