魔王が強くてニューゲームを始めるらしいので、次代の勇者を育成することになった。

青木十

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『勇者ヴァルの物語』では語られない物語

女神の青 第一話

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 テーブルにごとりとグラスが置かれ、中に入っていた澄んだ氷がからりと崩れた。そこへ琥珀色の液体が注がれ、芳醇な薫りとややきつめの酒らしい匂いが広がっていく。ランタンから漏れ出た橙色の光で、更に煌めいて見えた。

「いい酒じゃないか」
「久々にヴァルが訪ねてきてくれたんだ。奮発もする」

 そう言って、我が友ラインハルトはグラスを手に取った。俺も同じように手に取る。カラリカラリと良い音が響いた。

「我がともがらの新たな生活に」

 ラインハルトの言葉に合わせて、グラスを合わせる。涼やかな音を立ててグラスが鳴った。
 気取った言葉選びに、俺は思わず笑いがこぼれた。

「なんだよそれ」
「とうとう観念して父親になったんだろう?」
「もっとマシな言い方はないのか」
「うーむ、適切だと思うがなぁ」

 口調と裏腹に、ラインハルトはにこやかだった。
 俺の勇者としての仲間の一人――騎士ラインハルトは温厚で寛容、気は回るし気は利くし、おおらかで闊達で好漢を絵に描いたような偉丈夫だ。少々俯瞰的なこの俺を以てしても、褒め言葉しか出てこない。王国最北端を治める辺境伯家の次男で、女神から授けられた盾を継いでいる。今は実家の寄子として伯爵位を賜っているそうだ。
 初めて会った時は、俺とは三つ違うが随分と人間のできた男だなと思ったものだ。生まれながらにして女神の騎士たらんとするは、このようなものなのだと。

 アレクを引き取って三ヶ月ほどが過ぎ、ラインハルトに相談事ができた俺は、王都に足を運んでいた。
 俺が訪れた部屋は、王国騎士団の一つ、黒章騎士団が使用している宿舎内にあるラインハルトの個室。彼が一人で王都に滞在する時は、いつもここに宿泊している。
 そこへ邪魔をしたのだった。
 先触れは出したとはいえ、夜分遅くに訪れた俺をラインハルトは快く迎えてくれた。

 上等の濃い酒を口に含みつつ、俺は苦笑する。椅子の背もたれが少し軋んだ。

「お前にとって俺はどう映っているんだか」
「情に厚く涙脆いけれど、他人には頓着しない。束縛も依存もしないしされるのも嫌。そのくせ、人が好きで堪らない。本当に絵に描いたような勇者だな」

 どういう表現だ。
 呆れた俺が、お前の勇者像はどうなんだよそれと更に笑うと、ラインハルトは小さく笑いながら溜息をついた。

「『勇者協定』の具現化。それがお前だと思っている」

 深い褐返色の瞳が、灯りに照らされて静かに揺れた。

 勇者協定。
 この大陸全土に布かれている協定で『勇者をどのように扱うか』を決めたものだ。
 勇者という存在を勇者の意思に反し、一国が専有しないように。
 勇者が成したどのような功績も、一国が独占しないように。

「多く決められたそれは、皆のものでありながら決して誰のものでもないと、勇者を定めたのだと私は感じているのだよ。まさしくヴァル、お前の在り方そのものだと思う」

 俺にとって親友の一人であり、歳近い兄のような存在であるラインハルトは、俺が俺らしく、そして人らしく生きることを望んでくれている。
 勇者というものは、人である前に女神の使徒、人らしさと縁遠く成りがちなのだ。

「自身のために時間を使おうと思い立ち行方をくらましたお前が、まさか次に会う時、子育てについて教えてくれと言ってくるとは夢にも思わなかったよ」
「行方はくらましてない。ラオーシュにもメディアナにも居場所はバレていた。お前だって報告は受けてたんだろ」
「そうは言ってもだ」

 そう言うなら、会いに遊びに来てくれたらいいのに。
 そんな子供じみた考えを溢す気にはなれず、俺は酒を口に含んだ。

「それで、あれから次代の勇者との生活はどうだ」
「悪くはない。恐ろしいくらいに手がかからなくて、逆に怖いがな」
「なるほどな」

 ラインハルトは、顎に手を当てながら小さく唸る。
 ラインハルトの家は三人の息子がいて、皆元気でやんちゃだ。いや、語弊があるか。末の息子以外は元気でやんちゃだ。末の息子はその全てを一身に受けて達観した子供に育っていたな。
 とにかく、その成長を知っている俺としては、次代の勇者アレクは、手間がかからなさ過ぎて正直不安になっているのだ。

「お前との生活に慣れ始めたら、同年代と関わらせたほうがいいかもしれないな」
「たしかに」
「メディアナのところのエルとうまくやれそうなんだろう? あの子は人の機微に敏感で、深入りせず、かと言って薄情でもない。
 そうであるなら、うちのリーンハルトと関わらせようか。あれは他人に対して不干渉の嫌いがあって無害だし、リーン自身もそういう付き合い方を好む」

 俺の脳裏に二人の顔が浮かんだ。
 人懐っこく面倒見は良いが、人との距離を保つのがうまいエル。
 人の愛情の重さを苦手とし深入りはしないし、他人にもそう接するリーンハルト。
 アレクは大人しいし聞き分けがよく、指示に従いがちなところがある。引っ張ってくれるような我の強い者よりも、押し付けることをしない者と交流させるほうがいいのかもしれないな。
 俺はラインハルトの提案に同意する。

「ありがたい話だ。それにちょうど騎士団の世話になりたいと思っていたから、渡りに船だな」
「ああ、その話は、ヴォルフガング将軍から下りてきていたな」
「お、じゃあ尚更だな」
「いいのか? 辺境防衛でなくて」

 ラインハルトは俺の方を見ながら心配そうに尋ねた。
 辺境防衛とは、魔族領との境にあたる辺境を防衛する辺境青盾騎士団の任務のことだ。
 俺が言葉の意味を図りかねていると、そのまま言葉が続いた。

「お前なら辺境を選ぶと思ったんだが。レベルも上げたいだろうし」
「それは俺自身の場合だろ。アレクは俺の半分でいいらしいから、そこまで厳しくする予定はないんだ」

 俺はメディアナに言われた言葉を思い返す。
 俺の半分程度で良いって言ってたものな。それなら、あんな激戦区に放り込まなくてもいいはず。

「俺はアレクを、お前の言葉を借りるなら――人らしく育てたい」

 この言い方には語弊がありはする。
 俺とて、多くの愛情を以て、人たらんと育てられたのだ。
 それでも、俺自身にそれが欠如してしまっていた。
 俺は自ら使徒たらん道を選んでしまったのだ。
 ならば、その欠如に至る道をアレクには選ばせたくない。

「まず、レベルの話はしない!」

 俺が強く宣言すると、ラインハルトは大きく笑った。

「そうだな、そう、そうだ、尤もだ。絶対にレベルの話はしない方がいい」

 楽しげに笑うラインハルト。

 俺が人の枠を抜けてしまった大きな原因は、人が皆、女神から与えられている数値、レベルと呼ばれる概念だ。
 そして、そのレベルを上げることへの執着。
 その執着に駆り立てられレベルを上げ続けた俺は、人の域を抜け出てしまったのだ。
 理論上は人であれば上げることはできる、しかし先ずもって上げはしないだろう領域まで上げてしまい、俺は自分が徒人ただびとではなかったと理解したのだ。
 幼いながら悟ってしまったのだった。

 ともすれば重くなる話を、このように笑ってくれる。ラインハルトの人柄には助けられてばかりだ。
 彼の笑い声を聞きながら、俺は続けた。

「しかし、上げられる数字があるのなら上げたくなるものだろう? そこに数字があるんだからな」

 得意げに言う俺に、肩を震わせて笑うラインハルト。
 この空間がとても心地よかった。
 これが、子供の頃からのこれが続いたのなら、俺は行方をくらますことはなかったし、辺境に住まうこともなかったろう。
 しかしそうはならなかった。
 魔王討伐後、自由を許されたのは、勇者協定に守られた俺だけだったのだから。

 そういう気持ちが心を過ぎった時、入口の扉がノックされた。

「やっと来たな」
「ん? 来客か? 俺は居ても大丈夫か?」
「もちろんだとも」

 俺の問いへ闊達に返したラインハルトは、扉へと足を向ける。
 ガチャリと開いた扉から顔を出したのは――

「なーんか楽しい話するらしいって聞いて、来ちゃった」
「ラオーシュ」
「なんで僕には声をかけてくれなかったの」

 もう一人の我が親友、ラオーシュだった。
 日差しのような白金の髪をサラリと揺らして、部屋へと入ってくる。
 俺はお前と会うつもりはなかったんだが……。
 俺はラインハルトを見やったが、にこやかにいつものような人の良い笑みを浮かべていた。

 ラインハルトは、もう一つグラスを出してきて、ラオーシュにも酒を振る舞った。
 酒の質の良さに感嘆を漏らしながら、ラオーシュは話に加わろうと切り出した。

「楽しそうな雰囲気だけど、何の話をしていたんだい?」
「ヴァルがまだレベルを上げたいと言うから笑っていた」
「ははは、それは笑っちゃう話だね」

 酒で口を潤わせながら、ラオーシュも愉しげにする。

「ラオーシュ、お前までそう言うのか」

 言葉とは違い、俺の口から漏れた声はなんとも穏やかだった。
 俺たち三人は時を経ても三人のままでいたい。
 昔の小さな願いが思い出された。
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