魔王が強くてニューゲームを始めるらしいので、次代の勇者を育成することになった。

青木十

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遭逢の物語

第八話

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 少しして無事落ち着いたのか、アレクが顔を上げる。いつものお利口な顔に戻っていた。

「泣いちゃってごめんなさい。ありがとう、ヴァル」
「お前、もう少しわがまま言っていいからな。我慢しなくていい」
「でも……」

 紫青の瞳が揺れる。
 そういうところ、そういうところだぞ。

「でもじゃない。それは子供がしていいこと、当たり前の特権だからな。無理なことは無理と言うが、できることくらいしてやるよ」
「うん、ありがとう……」

 アレクは軽くだが可愛らしく微笑んだ。

 それを見て安心した俺は、冷えた牛乳のカップを手に取り、その周りへ魔力を循環させた。徐々に温まっていくのがわかる。
 適温になったらアレクに手渡した。

「ほら、これも食っていいぞ」

 チョコレートを指でつまみ、アレクに差し出す。崩した木の実をチョコレートで固めた菓子だ。

「でも夜だから……」
「今日は特別。熊も一人で倒したしな。ほら、口開けろ」

 口元まで持っていき促してみた。
 観念したアレクが口を開けたところに、チョコレートを押し込んでやる。

「こら、俺の指まで食うな」

 俺はふふっと笑って指に残ったチョコレートを舐めながら、続きを話す。

「フォレストベアは結構強い。フォレストウルフの比じゃないんだよ。だから深追いはしてほしくなかった。けれど、無事倒せたことは喜ばしいことだ」

 そう言いながら、俺も牛乳を温め直して飲んだ。そして、チョコ菓子を摘んで自分の口に放り込む。

「これ美味いが、チョコが手につくな。冷やしてから食うといいのか」

 などと話しながら、指のチョコを舐め取った。
 うんともすんとも言わないアレクを見やると、両手でカップを握りしめて固まっている。

「どうした?」

 尋ねると左右に激しく首を振った。

「ならいいけど。美味かったか?」

 今度は大きく縦に振る。

「それはよかった。ほらこれで最後だぞ」

 俺は軽く笑いながら、更に一つをアレクの口に運んでやる。
 アレクは大きく口を開けて、ぱくりと口に含んだ。
 そして再びアレクの唇が俺の指先を少し食む。

「美味いか?」

 俺が再び尋ねると、アレクはこくこくと頭を縦に振った。

「はは、気に入ったならよかった。まだあるから今度また食べような」

 アレクは美味そうにもぐもぐしながら、こちらを見つめていた。

 俺も最後の一つを口に放り込み指をぺろりとして、残りの牛乳を飲み干す。牛乳の温かさで、チョコレートが溶けていく。

 そうか。
 チョコ菓子が溶けやすいんじゃなくて、牛乳を温めるのに魔法を使ったからだと思い至った。手に魔力を集めて、弱い炎属性の魔法を使ったから。その余韻で、俺の手が温かいんだな。

 チョコが溶け多めに残っている木の実をかじりながら合点がいった。

 二つのコップをトレイに戻して席を立つと、アレクも一緒に立ち上がる。

「どうした?」
「口をゆすごうと思って」

 偉いな、食べた後は寝る前に歯を磨けを守ってるのか。

「流しへ行くとまた体が冷える。ほれ」

 右手の人差し指を差し出すと、アレクは不思議そうに目を瞬かせた。

「咥えて」

 アレクは一瞬驚き少し逡巡した後、恐る恐るといった様子で、はむっと俺の指先を咥えた。口の中が温かい。
 あ、先に何するか説明すべきだったな。
 分からず動揺しているのか、舌は奥に引っ込んでいた。

 指先へ集中するように浄化の魔法をかける。

 生活が便利になる魔法は色々あって、先程の温める魔法や、今使っている軽い浄化の魔法がそうだ。これは少しでも同じ属性の魔法が使えれば、難しくなく使用することができる。
 軽い浄化の魔法は、汚れや穢れを落とすことができるので、傷口の洗浄から異物不要物の除去、食物や水をきれいにすることまで汎用的に使用可能なのだ。水属性の洗浄魔法と合わせれば、野営中にもそれなりに快適な生活を送れるというわけだ。

 浄化の魔法を指先からアレクの口の中へと流し込む。
 俺の魔力がゆったりと口の中に広がっていくのが分かった。体温とはまた別の、魔力の熱がふんわりと温かさを伝えてくる。

 こういう魔法はとても便利だ。
 口の中がきれいになるので、さっぱりするし歯磨きをする必要もない。

 魔法ばかりに頼っていると困ると思うので、俺は普段あまり使わないが、今日は特別だ。久々に色々と魔法を使ったし、一回くらい増えても変わらないだろ。
 それに、魔力を消費するといつもよりよく眠れる気がする。ラオーシュに話したら、極大魔法ならともかく生活補助程度の魔力消費はただの気分だよと否定されたが。あいつも魔力多いからなぁ。ま、俺がそう思うでいいんだよ。

「ほい、これで今日は歯を磨かなくても大丈夫。お前も使えると思うから、たまにならずるしてもいいぞ」

 俺がにんまり笑うと、アレクも同調してこくこくとうなずいている。
 そういや、魔法の訓練もしないとなぁ。

「あの……」
「ん?」
「ヴァルは? ヴァルは歯を磨きに行っちゃうの?」

 もしかして、自分だけずるしてるから気になるのか。
 俺も指先を咥えて、口内に浄化の魔法を施す。

「今終わった。これでおんなじ、な?」

 そうやって軽く笑うと、アレクは少し気恥ずかしそうに言う。

「なら、一つわがままを言ってもいい?」
「なんだ? 言ってみろ」

 ランタンの灯りを反射して、アレクの瞳はキラキラと光っていた。
 俺はそれを青い宝石のようだと思った。
 灯りが揺れて、アレクの瞳もキラリと揺れる。

「ここで、一緒に寝てほしい……」

 そう言うと、アレクはぎゅと袖を掴んできた。

 なんだ、寂しくなったのか。
 子供らしい願いに、小さく笑みがこぼれる。
 こういう機微はまったく気にしていなかったな。

 結果的には一人寝させても問題なかったわけだが、子供で一人寝に慣れてるってあまり良くない気がする。お貴族様の慣習などは分からんが、アレクの場合はそれだけじゃない問題を孕んでいるわけで。
 これは時が来るまでには解決しておかなきゃならないことだな、と腹に決めた。

「おう、いいぞ。枕と追加の毛布を持ってくるから、少し待ってろ」

 ぱああっと聞こえてきそうな愛らしい笑顔でアレクはうなずく。

 俺はトレイを片付け、枕と毛布を手に戻ってくる。
 部屋を照らしていたランタンは、覆いを少し広げ光の加減を減らした。


 ラオーシュが「泊まる時は大きいベッドがいい!」と言ったので、我が家のベッドは俺の物も客間の物もゆとりがある。二人も余裕だ。客間が三つあるのは、あいつらが揃って泊まりに来てもいいようにだ。今は一つ埋まってしまったけれど、示し合わせて来れるほど暇じゃないだろうしいいだろう。

 寝転がったアレクに毛布を重ねがけて、俺もベッドに入る。
 アレクが俺の腕にそっと手を添えてきたので、抱え込んでやった。

「ヴァル、あたたかい」
「それはよかった」

 柔らかい光が揺れて、アレクの瞳が煌めいていた。
 女神の青、少し紫がかった青い瞳。
 じっと見る俺に気が付いたのか、アレクも俺の方をじっと見ている。
 どうしたと尋ねてやると、

「ヴァルの瞳、金色でキラキラしてる」

と嬉しそうに言った。

「そうか。アレクの瞳もキラキラしている、女神の青だ」
「ヴァルと同じが良かった」
「そうか? 青は女神の加護があると言われているぞ。きっとお前の一助となる」

 アレクの頭を撫でてやると、アレクはふんわりと微笑んだ。細まった瞳がキラリキラリと揺れる光を反射している。
 ゆっくりゆったりと撫でていると、アレクの瞼が徐々に重たくなっていく。

「おやすみ、アレク。よい夢を」

 俺の声へ応えるように、僅かに視線を送り返しながら再び微笑みを浮かべた後、アレクは青の瞳をゆっくりと閉じた。すぐに安らかな寝息が聞こえてくる。今日は疲れただろうしな。たっぷり眠ってくれ。


 ――女神の青。
 女神サフィーアと同じ青の色。

 女神は、白磁を思わせる滑らかな肌に、澄んだ空のようにも深く広がる海のようにも見える青の髪と瞳を持った美しい女性神だという。
 彼女を敬うこの大地の人々は、青を女神の青と呼び、焦がれ尊び祝福の象徴の一つとしてきた。青であれば、どのような青であっても彼女からの寵愛と祝福、そして加護があると。
 子が生まれその子供が青を有していたら、彼女からの祝福があるのだと親は喜ぶ。青がなくとも、青いものを授けその子の誕生を祝う。その青により女神の加護があると、心からその子供の幸福を女神に祈るのだ。
 俺がアレクへ送ったショートソードに青の宝石が嵌め込まれているのも、同じ理由だ。

「女神の祝福があらんことを」

 俺もアレクの幸福を願い言葉を口にする。
 多くの親が願ったであろう思い。
 小さく紡がれた俺の言葉、俺のおもい。

 女神の青を有するアレクも、きっと両親に喜ばれて生まれ育ったことだろう。両親を失いつらいことがあったとしても、二親はこの子が悲しむことも苦しむことも望まない。アレクが生まれた時、彼は二人から幸多からんことを願われたはずだ。
 そのことを俺が伝え、叶えていかなくてはならない。
 その機会を与えられたことが、彼女の祝福の一つであると俺は思いたいのだ。

 そうであるのであれば――

「我が勇者の加護を、我が子であり我が弟子、俺のアレクに」

 そう念いを口にし、アレクの額に唇を落とした。

 勇者が与える祝福による加護。
 俺が勇者たり得る力の一つ。
 女神が与え賜うた勇者の御業、勇者の権能。

 この加護がどれくらいの効果を持っているのか、正直なところ、俺は理解していない。この加護を人に与えたことはあっても、使われたことはないからだ。
 しかし過去の神託を信じるのであれば、この加護があればアレクの身に万が一のことが起きたとしても避けることができるだろう。
 そう女神が言った、仰せられたのだ。

 勇者にならできる、勇者であるのだからできる、と。

 女神の言葉を信じるのであれば、俺のできる範囲にはなるが勇者の加護が与えられたはずだ。
 アレクが望めば、俺はこの子を助くことができる。
 勇者である俺にはそれが可能なのだ。

 この加護が、アレクの力となるように。
 この加護が、アレクの守護となるように。

 この俺の加護で、俺がアレクを護ることができるように。

 アレクを撫でながら、俺は心よりそのことを祈念する。


 ――俺にはその力が、それを為せる力があるのだから。



 最後の一撫でをした後、手を伸ばしてランタンの灯りを消した。
 アレクの肩を抱いて毛布の中へ深く潜る。

 人と眠るなんて久々だ。
 アレクの体温は子供らしく温かで、俺の瞼もすぐに重くなり始める。
 今日は色々あったけれど、アレクが無事でよかった。
 話も聞くことができて本当によかった。

 俺たちはちゃんと家族になれる。

 そう思いながら、俺はゆったりと微睡みに沈んでいった。


 ◇


 朝っぱらからでかい音を響かせ、寝室の扉が開かれた。

 最近伸びてきた長い足で扉を押し開け、ずかずかと入ってくる気配がする。
 重い頭を動かしてそちらを確認すると、スキレットのオムレツをひっくり返しながらうんざりした顔でアレクが言った。

「おい、ヴァル、朝だぞ、いい加減起きろ」

 あぁ、女神よ。
 毎日ぼやいてすまないが、やっぱり俺は子育てには向かなかったんじゃないだろうか。
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