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第18笑『トイレ攻防戦』

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「ふー、ひどい目に遭った」

 一限目の授業中、疲れた私はため息交じりに昨日のことを反芻する。

 ホントあのまま無事に終わって良かった。

 私は元の傍観者に戻ったし、一度、笑いの場に貢献したからかピエロ君の満足も得られたようだ。

 私は本当にピエロ君のことが分からなくなっている。

 たまにこのクラスの支配者のような雰囲気をかもし出すこともあるが、基本的には笑いに一途ないじられ役だ。

 本当に気になって仕方が無い。


「もう、ピエロ君のこと分かんなくなってきた……」

 私はうつぶせたまま誰に聞こえずともつぶやく。

 私はピエロ君に惹かれていたんだろうか?

 それさえも分からなくなってきた。

 私がグダグダしている間に授業も終わり、ヒソヒソ声が聞こえて来た。

「そういえば、アイツ最近告白したらしいぜ!」

「いっそのことトイレで告白すればよかったのによー!」

「なんだよそれっ、どんな自己アピールだよ」

 時折、ちいさな含み笑いが聞こえてくる。


 そして私の横をマッハですれ違う影があった。



「ひゃあああああーーー!」



 そんなウワサ話を吹き消すように。

 甲高い悲鳴を残す男の子。

 彼の名は『トイレマン』。

 ピエロ君に次いでいじられる笑いの一柱、クラスの名物男優だ。

「いっけー、邪魔しろー!」

 その影を追うように大将が周りの取り巻き達に指示を出す。

 男達が何人かトイレマンを追ってクラスから飛び出していく。

 そしてクラス中がざわめき、我先へと後を追う。

 その先にはトイレマンの目差す場所、そして激しい攻防戦の舞台となる聖地がある。

 私達のクラスは三階にあり、階段の途中にトイレがある。

 だから教室を出たらトイレまでの道が見渡せる。


「わあああーーー!」


 大絶叫をかましながらトイレマンは階段をすべり下りるように駆け下り、一直線にトイレに向かう。

 だがいじめっ子たちが追いつくとその足に掴みかかる。

「ひゃうっ!」

 たまらず前につんのめり、ズボンとトランクスが脱げてしまい、大衆の面前で尻をさらしてしまう。

 とたんに笑いが起こる。

 だが彼は怯まない。

 いけ高々と主張を炸裂させる。


「排泄行為は全ての人間の権利だっ!」


 取り巻き達に、もみくちゃににされてもトイレマンは怯まない。

 むしろ堂々として主張を続ける。

「なぜ学校でトイレが出来ない? おかしいだろっ!」
 
 審議拒否中の国会議員達の乱闘めいた騒ぎを思い出す。

 だが、彼の勢いもココまでだった。


「ぐおおおおおーーー!」


 獣のような咆哮を上げてトイレマンが硬直する。

 末期症状だ。

「おおおおおーーたああすうけええーーー!」

 さっきまでの勢いはどこへやら。

 ろれつのまわらない口で必死に懇願するトイレマン。


「まあ、頃合か……」


 その場を指揮官のように見渡していた大将が拍手を打つと、取り巻き達は階段下をを封鎖、男子トイレの入口をも封鎖する。


 トイレマン逃げ場なし!


 トイレマンは一瞬、神妙な面持ちになったかと思うと。


「正当な排泄行為の前には、あらゆる犯罪は看過される」


 そう宣言して。

 すぐ隣で開いていた女子トイレへと躊躇なく飛び込む。

 取り巻きの一人がさりげなく入口をオープンし、女子トイレの中がさらけ出される。

 個室の扉はめずらしく入口に対して正対しており、トイレのドアを開けると丸見えだ。

 しかも二つある個室は片方がふさがっていて、残る隣の個室は立て付けが悪くてドアが取り外されていた。


 その場に立ち尽くし、天を仰ぐトイレマン。


 はるばるやってきたフロンティアがこんな地獄だったとは……。


 彼のそんな呟きが聞こえるようだ。


 だが、彼は意を決して。


「うがああああーーーー」


 死地に赴く兵士の如く、その開け放たれた個室へと飛び込んでいった。

 そして。


「うほおおおおおおーーーー!」


 快感とも断末魔とも取れない奇声を上げて排泄物をひり出す。

 たしかもちろんドアは開け放たれているので排泄の様子はどうしようもなく皆にさらされている。

「はっーはっはっはっーー!」

 クラスメイトの大爆笑が響く。

「あんだけ威勢よく言っといて」

「そこまでムキにならなくてもねー」

「ははっマジうける」

 トイレマンはそれどころではない。

 排泄に集中している。

 時折、嘲笑交じりの笑いも混じる。

「ふうっ……」

 そして突然、トイレマンのいる隣の個室の扉が開き、艶のある黒髪を纏った見目麗しい女性徒が優雅に姿を現した。

 その出立ちは紫式部のような貫禄がある。

 途端にざわめきが広がる。

 さっきウワサ話をしていた連中だ。

「……オイ、まさかあれ……」

「ああ、間違いない。トイレマンが告白した女の子だろ、確か一年先輩の『霧島』さんだよ。学園一の才女として有名な」



 普段の聡明な彼女なら、この状況の異様さを冷静に把握することが出来ただろう。

 そしてともすればトイレマンを庇い、大将達を断罪さえしたかもしれない。


 だが、今回は周囲を見渡すその前に。


「ぐおおおおおーーーー」


 不幸にも隣から聞こえる絶叫に気を引かれてしまったみたいだ。

 恐る恐る隣の様子を伺う彼女。

 一瞬、時が止まり、場の全ての者が固唾を呑んで見守る。


「……っ!」


 そして見た!
 見てしまった。

 懸命に排泄行為に没頭するトイレマンを。


「……ははっ」


 この階段の上からでも見える、

 力なく笑うトイレマンの顔……。

 こちらからは見えないが、彼女は無言で佇んでいた。

 今度こそ完全に時が止まった。

 そしてトイレマンの顔が絶望に染まり、その場でわなわなと震え出す。

 おそらく排泄物を見るような目でもされたんだろう。


「きゃああああああーー!」


 才女が出すにはあまりにも場違いな黄色い声を発して、周囲の状況を確認する余裕もなくその場から全力でフェードアウトしていく。

 そして周囲がざわめき始める。

「……終わったな」

「トイレで再会かあ……」

「救われない話だな……」

 気だるい空気が場を包む。


「でもトイレマンだから仕方ないかっ」

「だよねー!」



「あーっはっはっはっーー!」



 再び下卑た笑い声が場を包んでいく。



 トイレマンはその場で固まったまま、尻から滝の如く排泄を続け、さらにそれを押し流すかのように無言で涙を流し続けた。





 なんて、無慈悲な空間……そこは人権は愚か、身体的生存権以外全てが欠損している場だった。



「ああ、ほんと、吐き気がするわ」



 コレがまさに『人を犠牲にしなければ成り立たない笑いの構造』。



 そこでは誰もが皆、被害者になりうると言うのに……皆、自分に火の粉が降りかからないからと残酷な笑いを浴びせかけている。





 だが、この日の放課後、私が見た男は少し違った。
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