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脱衣所で服を脱ぎだす段階になって、「ごめん秋兄ィ、友達からラインが来ちゃったから先に入ってて!」と言われてしまい、俺は一足先に浴槽で手足を伸ばしていた。
「ふう~」
いやはや怒涛の一日だった。うーんと腕を伸ばすと、疲れが身体の節々からじんわりとお湯に溶けて流れていきそうに感じる。ここの家の風呂は広々としていて、なんとも羨ましい。
「やれやれ・・・・・・」
あれから気合を入れて取りくみ、課題の方もなんとか終わりの目処がついた。はあーと長い一息をつくと、先ほど二人で夕食の席を囲んだ時の嬉しそうな利玖の顔が浮かんでくる。
(あいつがあんな風にはしゃいでるとこ見るの、久しぶりだったかも・・・・・・)
本当に落ち込ませてしまっていたのかもしれない。そう思うと、心がシクシクと痛む。
「寂しくないわけないんだよなあ・・・・・・」
一人ごちて思いを馳せた。
利玖の母親がこの家を出て行ってしまったのは、あいつが小学校に入ったのとほぼ同時期だった。
詳細な理由は分からないけど、多分育児ノイローゼに近いものだったのではないかと近所では噂されている。
それ以来父親と二人暮らしになった利玖を少しでも支えなければと、俺も頻繁にこの家を訪れているわけだが・・・・・・。
落ち込む。
だからこそ、あいつの感情の機微にはしっかりと心を砕いていたはずだったのに。今日のことは本当に不覚だった。子供らしい勘違いだなどと言って笑い話にすることもできるが、やはり自戒して今後気をつけるべきだ。そのことを俺は肝に命じる。
(それにしても・・・・・・)
たゆたうお湯を、俺は両手で掬ってぱしゃりと顔にかけた。
何か違和感がある。
確かに利玖の言うとおりなのだ。昔から入り浸ってたこの家にもうじきあまり来れなくなることくらい、あいつには伝えたほうがいいはずだ。
なんで俺はあいつにインターンについて言わなかったんだっけ。
(・・・・・・・・・・・・)
思い出すのは、蒸し暑い夕方。
母親が消えてからまもなくしてショックのあまり利玖が家出をし、俺がほうぼうを探し回った日のこと。
その途中で、雨が降り出したんだったな。
(それから・・・・・・)
それから、・・・・・・どうなったんだっけ?
「・・・・・・ん?」
何か。
ざわめきに似た何かが、俺の胸に襲来していた。
ガラガラッ。
「秋兄ィ~。お待たせ」
「ん、お、おう・・・・・・」
裸になった利玖が浴室へと入ってきて、そこで俺の思考は途切れる。洗面器片手に浴槽の湯でざぶざぶとかけ湯をしている、その利玖の横顔をさりげなく盗み見た。
「~~♪」
のん気に鼻歌なんて歌ってやがる。
(・・・・・・大丈夫、そうだな。もう昼間のこと、気にしてない。・・・・・・はずだよな)
であれば、こちらがいつまでも顔色を伺っているのも変だろう。そう判断して俺は普段の調子で笑顔を作る。
「いやあ、あと一週間で夏休みだな~。小学生が羨ましいぜ、実はインターン行くの結構だるくてさあ」
そうおどけて見せると、浴槽に浸かって、タオルを照る照る坊主型にして湯に沈め空気を入れる遊びをしていた利玖が軽口をたたいてきた。
「秋兄ィ、そんなんで大学のレポートもいつもギリギリじゃん。落ちこぼれちゃうぞ~」
「なんだと~?」
わざとおどけた抑揚をつけて言い、その柔らかいほっぺをぷにぷにとつねってやった。
「いてててっ!やったな秋兄ィ~!」
「あははは!」
ばちゃばちゃとお湯が跳ねる音。幸せを絵に描いたら、こんな感じなのではないと思うような時間が流れていった。
*
ゴシゴシと、利玖が俺の背中をスポンジで擦ってくれている。
「ねえねえ。秋兄ィがインターン行くのってどんな会社なの?」
背後からのそんな質問に、俺は「ん~」と一拍置いて答えた。
「赤ちゃんが使う道具とかを主に作ってる会社だよ。赤ちゃん用の服とか、おもちゃとか、ベビーフードとか」
「そうなんだあ」
「そうそう。それでこないだ、研修に行ってきたんだよ」
およそ一週間ほど前の記憶を辿る。取引先の企業は化粧品会社で、出産後まもない母親のためのケア用品なんかを開発しているとのことだった。ホルモンバランスや体調の変化で、直接肌に触れるものは限られてくるんだとか。出産した女性へのインタビュー動画や、資料も見せられた。新生児を抱きながらインタビューに答える母親達の顔つきは皆一様に優しく、心和むものだった。不思議とどことなく共感してしまう部分もあった気がする。
「へえ、どんな研修?」
無邪気に問われ、少ししまったと思った。母親がいないこいつにそのような話をするのはさすがに酷かもしれない。だが隠し立てするのも不自然だ。こいつは結構聡い部分がある。変に誤魔化してしまえば、そこからまたさっきみたいに不信感に繋がりそうだ。またトラブルになるのは御免である。
そこで俺はこう言った。
「えっとな、子供を育てるお母さんたちの負担が、少しでも軽くなるような便利な道具を作るための勉強会だったよ。世の中には大変な思いしながら子供を育ててる人がたくさんいるからな。みんなで助け合える社会になればいいよな」
明るく、かつ余計な含みなど感じさせない言い方をしたつもりだったが、内心やはりドキドキだ。だが、そんな心配をよそに利玖はあっけらかんとしたものだった。
「そうなんだあ」
そして、俺の首元をゴシゴシと洗い始める。肩のくぼみの辺りは、洗うのに集中したいらしい。
(よかった・・・・・・)
やっぱりいつもの利玖だ。いつかこんな瞬間が利玖にとっても俺にとっても宝物になる日が来るのかもしれない。何気ないひとときを懐かしく思い出せる日が。
こいつのことを想うなら、この当たり前の日常を当たり前に送らせてやることが一番なのだろう。
「いやあ、でも話聞くとなかなか忙しい職場みたいでさ。インターンの間はそれほどでもないだろうけど、来年就職した時が怖いなあ」
「・・・・・・じゃあ、やっぱり秋兄ィうちに来る時間少なくなるね」
ざばーっと、利玖が洗面器で俺の背中にお湯をかけながら言う。少し沈んだような声だった。ここが肝心なところだ。不安にさせてはいけない。俺は力強く言ってやる。
「うん。けど、心配することないさ。何かあったらすぐ隣の家にいるわけだしさ。何なら夜中だって、俺と話したくなったらうちに来ていいし。ラインもいっぱいするよ」
「うん・・・・・・」
沈黙を作ってはいけない。こいつに少しでもネガティブなことを考える隙を与えてはいけないのだ。矢継ぎ早に続ける。
「ははは。ていうか、そのうちお前のほうが友達とか学校で忙しくなって俺のことなんて忘れたりしてな。そんでさ、久しぶりに会ったらお前彼女作ってたりして。彼女といるときにばったり会って、そっけない対応されたら嫌だなあ~。ははは」
「それはない」
もちろん冗談で言ったことだった。なのに、思った以上にきっぱりと固く返されてしまった。
(なんか、今一瞬空気がピリついたような・・・・・・)
そんな風に頭をよぎるも、俺はいやいやと心の中で首を振る。
(考えすぎだって。気のせいだよ。気のせい気のせい・・・・・・)
やっぱり、こいつは今不安定な時期なんだ。子供と大人の境目なのだ。
俺の利玖。今は手を焼かされてばかりだけど、いつか背も伸びて身体も心も立派に成熟した大人になるんだ。いくら周りや本人が戸惑おうとも、その日は必ず来る。
そう。
来るに決まっているのだ。
利玖が一人の男になって、社会に出て結婚して、俺もそれを遠くから祝福して。
俺は何を怖がっているんだ?
自分でも訳の分からない感情が込み上げてきて、俺は無理矢理それを振り払うようにふざけて言った。
「ははは。何か、お前の結婚式に出る妄想とかしちゃったよ。気が早すぎだよなあ」
「・・・・・・」
返答はなかった。
あからさまにスベッてしまったか、もしくは呆れられたかとも思ったが、どちらも違ったらしい。
「なんでそんなに俺に彼女作ってほしいの?」
利玖は一言そう言って、真顔でこちらを見据える。
「それはそのー・・・・・・」
ざばあっ。
利玖が、再び俺の背中にお湯をかけて残っていた泡を落とす。そして、肩越しに俺の名を呼んだ。
「秋兄ィ」
それが、やたら風呂場に大きく響いた気がする。
「な、何・・・・・・?」
俺は背筋を伸ばしたまま、目線だけ僅かに送って後ろを見る。そこには険しい顔をした利玖がいた。
「やっぱり俺、不安だよ」
イライラしている。
「秋兄ィが、どんどん俺から離れてく気がする」
その言葉は、なぜだか俺の心にぐっさりきた。
「何言って・・・・・・!ひ、昼間言っただろ?職場はここからすぐだから!休みの日にはちゃんと会いに来るから!約束する!」
焦りのあまり、言い訳がましくなってしまった。しかも、大した効力はなかったらしい。
「秋兄ィ、いつか俺より仕事を優先するようになるんでしょ?秋兄ィと会う時間がどんどん少なくなって・・・・・・。いつかそれが普通になるんだ」
おかしい。普段駄々を捏ねているときの利玖は、こんな大人しい淡々とした口調ではない。
「そ、そんなこと・・・・・・」
なのに、なぜこんな凄みを感じるのだろうか。俺の方がしどろもどろになっているではないか。
「そんなの嫌だ」
ぽつりと言ったあと、後ろからがっしり抱きつかれる。突然のことに驚いていると、するりと臍の下辺りを手で撫でられた。
「ひぁっ!?」
誰にも言ったことはないが、実は俺はお腹周りがかなり弱い。股間全体がきゅうっと引っ張られてしまうような感覚に襲われて、思わず椅子の上で飛び上がる。
「り、利玖お前っ、何を・・・・・・、ひゃんっ!」
反射的に利玖の腕を押さえたが、もう彼はそこを手中に収めていたようだった。指を伸ばしてさらにその周辺をくるくる円を描くようにされてしまう。さらさらとした指で濡れた肌の上をなぞられるともうたまらない。
「ぅお゛、!?っ、あっ、い、いやぁっ、やめてぇぇっ!」
とうとう俺は両手で利玖の腕を掴み、がばっと跳ね除けた。裸の利玖が、ぴったり背中にくっついてる感触がはっきりと伝わる。
「利・・・・・・、」
震える呼びかけは、やや無感情な利玖の声によって遮られ。
「ねえ秋兄ィ。覚えてる?」
耳に直接吹き込むようにそっと囁かれた。背筋がゾクッとする。
「俺が一年生の時のこと。俺の母さん突然いなくなっただろ?俺、あの時寂しくて悲しくて、どうにかなっちゃいそうで、訳わかんなくなって、家出しちゃったんだよ」
「え・・・・・・」
突然何を言うのか。
「その後のこと、覚えてない?」
「その後の、こと?」
昼間のうたた寝の最中に見た夢を思い出す。あの日、突然消えた利玖を必死で探した。けれどあれは解決した。利玖はちゃんと見つかった。ちゃんと無事に見つかったではないか。
その後、どうしたかって?
「その時も、一緒に風呂入ってくれたでしょ?」
覚えてるよ。
俺たちはお互いずぶ濡れで、とにかく温めたかった。そこで風呂に入ったのだ。泣きじゃくる利玖を落ち着かせようとしたのもあった。一緒にお湯に浸かりながら、俺は優しく利玖をなだめていた。「利玖には俺がついてるからな」とか言って。
この家の、この場所だ。もちろん覚えてる。
「俺、寂しくて寂しくて」
ああ。
「急にすっごく秋兄ィに甘えたい気分になっちゃって」
思い出した。
「目の前に秋兄ィがいて、そしたらおっぱいがすっごく美味しそうに見えちゃって・・・・・・、俺、思わず秋兄ィのおっぱい吸っちゃったんだよ」
目の前がガラガラと崩れていくみたいだった。ひんやりと冷たい感覚が俺の足元から上って来る。
脱衣所で服を脱ぎだす段階になって、「ごめん秋兄ィ、友達からラインが来ちゃったから先に入ってて!」と言われてしまい、俺は一足先に浴槽で手足を伸ばしていた。
「ふう~」
いやはや怒涛の一日だった。うーんと腕を伸ばすと、疲れが身体の節々からじんわりとお湯に溶けて流れていきそうに感じる。ここの家の風呂は広々としていて、なんとも羨ましい。
「やれやれ・・・・・・」
あれから気合を入れて取りくみ、課題の方もなんとか終わりの目処がついた。はあーと長い一息をつくと、先ほど二人で夕食の席を囲んだ時の嬉しそうな利玖の顔が浮かんでくる。
(あいつがあんな風にはしゃいでるとこ見るの、久しぶりだったかも・・・・・・)
本当に落ち込ませてしまっていたのかもしれない。そう思うと、心がシクシクと痛む。
「寂しくないわけないんだよなあ・・・・・・」
一人ごちて思いを馳せた。
利玖の母親がこの家を出て行ってしまったのは、あいつが小学校に入ったのとほぼ同時期だった。
詳細な理由は分からないけど、多分育児ノイローゼに近いものだったのではないかと近所では噂されている。
それ以来父親と二人暮らしになった利玖を少しでも支えなければと、俺も頻繁にこの家を訪れているわけだが・・・・・・。
落ち込む。
だからこそ、あいつの感情の機微にはしっかりと心を砕いていたはずだったのに。今日のことは本当に不覚だった。子供らしい勘違いだなどと言って笑い話にすることもできるが、やはり自戒して今後気をつけるべきだ。そのことを俺は肝に命じる。
(それにしても・・・・・・)
たゆたうお湯を、俺は両手で掬ってぱしゃりと顔にかけた。
何か違和感がある。
確かに利玖の言うとおりなのだ。昔から入り浸ってたこの家にもうじきあまり来れなくなることくらい、あいつには伝えたほうがいいはずだ。
なんで俺はあいつにインターンについて言わなかったんだっけ。
(・・・・・・・・・・・・)
思い出すのは、蒸し暑い夕方。
母親が消えてからまもなくしてショックのあまり利玖が家出をし、俺がほうぼうを探し回った日のこと。
その途中で、雨が降り出したんだったな。
(それから・・・・・・)
それから、・・・・・・どうなったんだっけ?
「・・・・・・ん?」
何か。
ざわめきに似た何かが、俺の胸に襲来していた。
ガラガラッ。
「秋兄ィ~。お待たせ」
「ん、お、おう・・・・・・」
裸になった利玖が浴室へと入ってきて、そこで俺の思考は途切れる。洗面器片手に浴槽の湯でざぶざぶとかけ湯をしている、その利玖の横顔をさりげなく盗み見た。
「~~♪」
のん気に鼻歌なんて歌ってやがる。
(・・・・・・大丈夫、そうだな。もう昼間のこと、気にしてない。・・・・・・はずだよな)
であれば、こちらがいつまでも顔色を伺っているのも変だろう。そう判断して俺は普段の調子で笑顔を作る。
「いやあ、あと一週間で夏休みだな~。小学生が羨ましいぜ、実はインターン行くの結構だるくてさあ」
そうおどけて見せると、浴槽に浸かって、タオルを照る照る坊主型にして湯に沈め空気を入れる遊びをしていた利玖が軽口をたたいてきた。
「秋兄ィ、そんなんで大学のレポートもいつもギリギリじゃん。落ちこぼれちゃうぞ~」
「なんだと~?」
わざとおどけた抑揚をつけて言い、その柔らかいほっぺをぷにぷにとつねってやった。
「いてててっ!やったな秋兄ィ~!」
「あははは!」
ばちゃばちゃとお湯が跳ねる音。幸せを絵に描いたら、こんな感じなのではないと思うような時間が流れていった。
*
ゴシゴシと、利玖が俺の背中をスポンジで擦ってくれている。
「ねえねえ。秋兄ィがインターン行くのってどんな会社なの?」
背後からのそんな質問に、俺は「ん~」と一拍置いて答えた。
「赤ちゃんが使う道具とかを主に作ってる会社だよ。赤ちゃん用の服とか、おもちゃとか、ベビーフードとか」
「そうなんだあ」
「そうそう。それでこないだ、研修に行ってきたんだよ」
およそ一週間ほど前の記憶を辿る。取引先の企業は化粧品会社で、出産後まもない母親のためのケア用品なんかを開発しているとのことだった。ホルモンバランスや体調の変化で、直接肌に触れるものは限られてくるんだとか。出産した女性へのインタビュー動画や、資料も見せられた。新生児を抱きながらインタビューに答える母親達の顔つきは皆一様に優しく、心和むものだった。不思議とどことなく共感してしまう部分もあった気がする。
「へえ、どんな研修?」
無邪気に問われ、少ししまったと思った。母親がいないこいつにそのような話をするのはさすがに酷かもしれない。だが隠し立てするのも不自然だ。こいつは結構聡い部分がある。変に誤魔化してしまえば、そこからまたさっきみたいに不信感に繋がりそうだ。またトラブルになるのは御免である。
そこで俺はこう言った。
「えっとな、子供を育てるお母さんたちの負担が、少しでも軽くなるような便利な道具を作るための勉強会だったよ。世の中には大変な思いしながら子供を育ててる人がたくさんいるからな。みんなで助け合える社会になればいいよな」
明るく、かつ余計な含みなど感じさせない言い方をしたつもりだったが、内心やはりドキドキだ。だが、そんな心配をよそに利玖はあっけらかんとしたものだった。
「そうなんだあ」
そして、俺の首元をゴシゴシと洗い始める。肩のくぼみの辺りは、洗うのに集中したいらしい。
(よかった・・・・・・)
やっぱりいつもの利玖だ。いつかこんな瞬間が利玖にとっても俺にとっても宝物になる日が来るのかもしれない。何気ないひとときを懐かしく思い出せる日が。
こいつのことを想うなら、この当たり前の日常を当たり前に送らせてやることが一番なのだろう。
「いやあ、でも話聞くとなかなか忙しい職場みたいでさ。インターンの間はそれほどでもないだろうけど、来年就職した時が怖いなあ」
「・・・・・・じゃあ、やっぱり秋兄ィうちに来る時間少なくなるね」
ざばーっと、利玖が洗面器で俺の背中にお湯をかけながら言う。少し沈んだような声だった。ここが肝心なところだ。不安にさせてはいけない。俺は力強く言ってやる。
「うん。けど、心配することないさ。何かあったらすぐ隣の家にいるわけだしさ。何なら夜中だって、俺と話したくなったらうちに来ていいし。ラインもいっぱいするよ」
「うん・・・・・・」
沈黙を作ってはいけない。こいつに少しでもネガティブなことを考える隙を与えてはいけないのだ。矢継ぎ早に続ける。
「ははは。ていうか、そのうちお前のほうが友達とか学校で忙しくなって俺のことなんて忘れたりしてな。そんでさ、久しぶりに会ったらお前彼女作ってたりして。彼女といるときにばったり会って、そっけない対応されたら嫌だなあ~。ははは」
「それはない」
もちろん冗談で言ったことだった。なのに、思った以上にきっぱりと固く返されてしまった。
(なんか、今一瞬空気がピリついたような・・・・・・)
そんな風に頭をよぎるも、俺はいやいやと心の中で首を振る。
(考えすぎだって。気のせいだよ。気のせい気のせい・・・・・・)
やっぱり、こいつは今不安定な時期なんだ。子供と大人の境目なのだ。
俺の利玖。今は手を焼かされてばかりだけど、いつか背も伸びて身体も心も立派に成熟した大人になるんだ。いくら周りや本人が戸惑おうとも、その日は必ず来る。
そう。
来るに決まっているのだ。
利玖が一人の男になって、社会に出て結婚して、俺もそれを遠くから祝福して。
俺は何を怖がっているんだ?
自分でも訳の分からない感情が込み上げてきて、俺は無理矢理それを振り払うようにふざけて言った。
「ははは。何か、お前の結婚式に出る妄想とかしちゃったよ。気が早すぎだよなあ」
「・・・・・・」
返答はなかった。
あからさまにスベッてしまったか、もしくは呆れられたかとも思ったが、どちらも違ったらしい。
「なんでそんなに俺に彼女作ってほしいの?」
利玖は一言そう言って、真顔でこちらを見据える。
「それはそのー・・・・・・」
ざばあっ。
利玖が、再び俺の背中にお湯をかけて残っていた泡を落とす。そして、肩越しに俺の名を呼んだ。
「秋兄ィ」
それが、やたら風呂場に大きく響いた気がする。
「な、何・・・・・・?」
俺は背筋を伸ばしたまま、目線だけ僅かに送って後ろを見る。そこには険しい顔をした利玖がいた。
「やっぱり俺、不安だよ」
イライラしている。
「秋兄ィが、どんどん俺から離れてく気がする」
その言葉は、なぜだか俺の心にぐっさりきた。
「何言って・・・・・・!ひ、昼間言っただろ?職場はここからすぐだから!休みの日にはちゃんと会いに来るから!約束する!」
焦りのあまり、言い訳がましくなってしまった。しかも、大した効力はなかったらしい。
「秋兄ィ、いつか俺より仕事を優先するようになるんでしょ?秋兄ィと会う時間がどんどん少なくなって・・・・・・。いつかそれが普通になるんだ」
おかしい。普段駄々を捏ねているときの利玖は、こんな大人しい淡々とした口調ではない。
「そ、そんなこと・・・・・・」
なのに、なぜこんな凄みを感じるのだろうか。俺の方がしどろもどろになっているではないか。
「そんなの嫌だ」
ぽつりと言ったあと、後ろからがっしり抱きつかれる。突然のことに驚いていると、するりと臍の下辺りを手で撫でられた。
「ひぁっ!?」
誰にも言ったことはないが、実は俺はお腹周りがかなり弱い。股間全体がきゅうっと引っ張られてしまうような感覚に襲われて、思わず椅子の上で飛び上がる。
「り、利玖お前っ、何を・・・・・・、ひゃんっ!」
反射的に利玖の腕を押さえたが、もう彼はそこを手中に収めていたようだった。指を伸ばしてさらにその周辺をくるくる円を描くようにされてしまう。さらさらとした指で濡れた肌の上をなぞられるともうたまらない。
「ぅお゛、!?っ、あっ、い、いやぁっ、やめてぇぇっ!」
とうとう俺は両手で利玖の腕を掴み、がばっと跳ね除けた。裸の利玖が、ぴったり背中にくっついてる感触がはっきりと伝わる。
「利・・・・・・、」
震える呼びかけは、やや無感情な利玖の声によって遮られ。
「ねえ秋兄ィ。覚えてる?」
耳に直接吹き込むようにそっと囁かれた。背筋がゾクッとする。
「俺が一年生の時のこと。俺の母さん突然いなくなっただろ?俺、あの時寂しくて悲しくて、どうにかなっちゃいそうで、訳わかんなくなって、家出しちゃったんだよ」
「え・・・・・・」
突然何を言うのか。
「その後のこと、覚えてない?」
「その後の、こと?」
昼間のうたた寝の最中に見た夢を思い出す。あの日、突然消えた利玖を必死で探した。けれどあれは解決した。利玖はちゃんと見つかった。ちゃんと無事に見つかったではないか。
その後、どうしたかって?
「その時も、一緒に風呂入ってくれたでしょ?」
覚えてるよ。
俺たちはお互いずぶ濡れで、とにかく温めたかった。そこで風呂に入ったのだ。泣きじゃくる利玖を落ち着かせようとしたのもあった。一緒にお湯に浸かりながら、俺は優しく利玖をなだめていた。「利玖には俺がついてるからな」とか言って。
この家の、この場所だ。もちろん覚えてる。
「俺、寂しくて寂しくて」
ああ。
「急にすっごく秋兄ィに甘えたい気分になっちゃって」
思い出した。
「目の前に秋兄ィがいて、そしたらおっぱいがすっごく美味しそうに見えちゃって・・・・・・、俺、思わず秋兄ィのおっぱい吸っちゃったんだよ」
目の前がガラガラと崩れていくみたいだった。ひんやりと冷たい感覚が俺の足元から上って来る。
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