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空波遥の章

まだ見ぬ桜を

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 「あと、友達が悩んでたりしたらどうしたの?って聞くような優しさはしっかりあるよ。けど、嫌そうにしてたらそれ以上の詮索はしないと思う」
 「先生・・・・・・」
 処理が追いつかない。いや、それよりもオレはまず、一点どうしても確認したいことがあった。おろおろしながら追いすがるが、先生は我関せずだ。
 「あー着いた着いた。ほらそこ」
 もう時刻は八時半。目前に見えてきた“2-C”の教室を指差して、先生は足早にそこへ向かった。

 「あのっ、先生は・・・・・・」
 やっとのことで横に並び、オレは顔を上げて切り出そうとしたが。
 「ん?」
 「いや・・・・・・。何でも・・・・・・、ないです」
 まっすぐに向けられた先生の視線に、喉まで出かかった言葉はしゅるしゅると引っ込んでしまった。自分の気持ちをどう組み立てて切り出せばいいのか分からなかったのである。勢いづけて喋れる人間には少し憧れる。
 「ふふ。さっきより顔色が良くなったんじゃない?」
 「・・・・・・」
 オレの胸に溜まりに溜まっていたヘドロのような感情が、いつしか融解して流れ出ていっていた。
 「貧血かと思って心配しちゃったよ。この時期多いんだよねえ、まあ不慣れな環境に飛び込んでくる人が多いから、しょうがないね」
 「・・・・・・」
 ぼーっとしていたオレの目に、ふと窓の外の桜の樹が飛び込んできた。
 5月の落葉広葉樹。花びらは散り、残っているのは薄い緑の葉っぱだけだ。
 薄い薄い、目を凝らさないと認められないくらい薄い色の葉っぱ。一ヶ月前は、きっと綿菓子みたいな、入道雲みたいなピンクの塊が、こんもりとその枝にまとわれていたのだろう。
 そして、多分来年も。

 悩みすぎて少しやけっぱちになっていたのかもしれないし、もしかしたら朝からあまりに色んなことがありすぎて、思考がおかしくなっていたのかもしれない。積もり積もった救われたさでいっぱいになって、近くにあった縋れそうなものに縋っただけだったのかもしれない。

 別に何も変わってない。
オレは相変わらず人と関わるのが苦手な男子高校生だし、ここまでの事に何ら解決法は見つかっていない。
 けれど、ここに来て、何だか足を進めたくなることばかり起きていることは確かだった。
 左ポケットのクリスタルを握り締める。何も超常的なことを信じるタチではないが、オレはもしかしたらこの場所に連れてこられたのかもしれない。そう感じてしまう。
あの見知らぬ教室の、その白いドアの向こうへ、もう少し進んでみてもいいかもしれない。
 そう感じてしまうことは、確かだった。

 「大丈夫?朝ごはん食べた?きちんと栄養摂らないとだよ」
 「あっはい。食べました」
 聞かれて思わず嘘をついてしまう。ぎこちなさは健在だ。
 綺麗に咲いた桜の花を、晴れやかな気持ちで見ることのできる時なんて、ずっとずっと先のことかもしれない。けれど、桜は咲くんだ。来年も、そのまた来年も。

 「おお、よかったよかった。僕なんて人のこと言えなくてさ、今日も時間なくて適当に車の中で済ませちゃったんだよねえ」
 そう笑って教室のドアに手をかける先生。そのドアの向こうに何が待ち構えているのか想像すると、やっぱり底知れぬ恐怖を感じる。
 でも、もしかしたら「とりあえず教室行ってみて、色んなことはその後考えればいい」のかもしれない。

 このときのオレの心は、きっとこれから何年経っても明確に説明することはできないような気がする。
 ただ、ちょっとだけ、ちょっとだけ、知らない世界を覗いてみてもいいのかもしれない。

 そんな風に、思ってしまうのだった。

 「バナナ、いいよねえあれ。美味しいし栄養あるし車の中でも簡単に食べれてさあ」
 そんな先生の台詞に、上辺だけでない笑みを浮かべていることに気づく。そのことに驚く。
 
 今日一日、今日一日だけ。

 (・・・・・・何があっても、頑張ってみよう)
 そう静かに、一人胸に刻んだ。

 「けど皮捨てようと思って車から持って来たはずだったんだけどさ、職員室ついたらどこにもなくって。どっかで落としてきちゃったんだろうねえ。あはは、多分掃除の人が拾ってくれてるよね!」

「あのバナナ先生ですかー!!!」とオレがつっこもうとした寸前に、先生はもう「みんなおはよ~!」と言いながら、ガラガラっと勢いよく教室ドアを開けていた。
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