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32 梅雨の晴れ間

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やり場のない気持ちをかかえながらも、またバタバタと忙しく日々が過ぎ、気づけば七月の初週に入っていた。

今日は土曜日。休日だ。
待ちに待った週末ではあるが、暖雪は疲れた身体に鞭打って無理やり八時前に起床した。
「ううー、だるい……」
今週の仕事もなかなかハードだったから、当然といえば当然だ。だが今日は必ずこの時間に起きると決めていた。

(貴重な梅雨の晴れ間だからな。今日中に洗濯機三回回さなきゃ)

昨日までずっとぐずついた天気が続いていて、今日を逃すと当分まともに洗濯ができる日がない。そういうわけで、思い切ってシーツ類を洗ってしまおうと考えているのだ。

プラス、トイレ掃除も済ませ、水回りも綺麗にする予定だ。家全体に掃除機もかけたい。あとシャツ類にアイロンも。時間を無駄にすることなく動かなければ。
ぼんやりしつつも顔を洗い身支度を済ませて、キッチンで立ったまま職場からもらってきたお菓子で簡単な朝食を摂った。昼は大海がミートソースのパスタを作ると張り切っていたので、今はこれくらいでよい。

「……」
片手に持ったカップで牛乳を流し込み、暖雪はちらりと大海の部屋へ通じるドアを見やる。
部屋の主は、今はいない。
大海も同じく今日は休みなのだが、何でも美大時代の後輩が早朝着の飛行機で日本に遊びに来るらしい。出迎えに行くため、大海は暖雪がまだ寝ている時間に空港へと出かけていったのだ。
それならそのまま後輩とゆっくり遊んでくれば、と声かけはしたが、”ううん、お茶だけで帰って来るよ。俺も来週分の常備菜のストックとか作りたいしさ”と爽やかに返されてしまった。

「ほんと、見かけによらずマメで真面目なやつだよなあ」
一人ごちて、暖雪は洗濯を開始する。まずはベッドからシーツをひっぺがし、洗濯機に放り込む。蓋を開けると、既に持ち主の手によって大海の分のシーツが洗濯機の中に入れられているのが目に入った。
比べるのはだめと分かっていても、頭の中を例の税務課の新人のことがよぎってしまう。

繁忙期明けに、実は暖雪は彼女から個人的に相談を受けていた。
なんと、市役所を辞めたいと言うのだ。

”なんかここにいてもみんな忙しそうで仕事も教えてくれないし、もう出勤するのが嫌です。ていうか課長、……あの人、あれやれこれやれって言うだけで、こっちの気持ちとか全然分かってなくないですか?”
休憩室を兼ねたカフェテリアで向かい合い、カフェラテ片手にそう言われた暖雪は、思わず脱力しそうになる。

(うーーーん、……本当に辞めたいっていうなら仕方ないけど)

新人なので気づかないのも無理はないかもしれないが、課長は忙しいと口調が荒くなるものの、一人一人の職員に仕事が集中しないよう調整してくれていたり、不要な業務を削れるよう上に掛け合ってくれたりするなど、役所の中ではかなり話の分かる方の上司なのである。
というか、”みんな仕事教えてくれない”とこうも目の前ではっきり言われると、ここまで色々とサポートしてきた暖雪としては何だかなあという気持ちになる。

(結局、“俺個人的にはあまり勧めないけど、転職するなら若いうちがいいよね”ってかなりぼかした言い方しちゃったなあ。大丈夫かなあ……)

連鎖的に、最近課長がやたら疲れた顔や態度を自分にばかり見せてくることも思い出してしまった。他の職員にはそんなことはしないのに、暖雪にだけは“早良ぁ、俺今月の残業時間すでに見たくない領域なんだけど”などと、ぐったりした声で分かりやすくアピールしてくる。
膨大な業務を抱えていて心に余裕がないのは理解できるが、その度に手を止めて笑顔で気遣うこっちとしても大変だ。

偉い人から聞いた、“仕事は9割人間関係”という言葉の意味はこれかと心底身に染みてくるのだった。

「はあ。……余計なこと考えてないで、あいつが帰ってくるまでに一通りのこと終わらせないと」

数日ぶりに、大海と穏やかにゆっくり時間を取っての食事だ。彼の職場での話だって聞いてやりたい。洗濯機を起動させてから、暖雪は「よしっ」と自分を掛け声で奮い立たせ、掃除用のブラシを手に取った。



玄関からガタガタと音がして、「ただいまー!」と大海が家に戻ってきたのは、ちょうど暖雪が洗濯物の第二陣を干しかけていた時だった。

「おう、おかえ……」
「雪ちゃーん!」
取り出そうとした洗濯ネットを放置して顔を出した瞬間、大股で歩いてきた大海が急に目の前に現れ暖雪は泡を食う。

「うおっ、びっくりした!」
思わずのけぞる暖雪を見て、大海は破願した。
「じゃーん!!」
そして彼が片手の鞄から勢いよく取り出したものを見て、暖雪はきょとんとする。
「何これ……?」

大海の手にあるのは、暖雪には見なれない飲料のボトルだった。中に鮮やかな赤色のジュースらしきものが入っている。印字は英語のみのところを見ると、外国製の商品だろうか。

「これはねえ、アメリカではメジャーなブランドが作ってるクランベリージュースなんだ」
なぜか誇らしげにそう言った大海は、そのパッケージが暖雪によく見えるようくるくると目の前で回転させるような動作をする。

「ふうん?」
首をかしげ、暖雪はそれに合わせて視線をあちこち動かした。

大きな商品ロゴらしきもののバックに、広大な赤い果実で埋め尽くされた農場らしき場所のイラストが描かれている。中央では、帽子をかぶった人物が何やら作業をしている模様だ。
なるほどこれが本場のクランベリー畑ということなのだろうか。
それにしても彼の真意が読み取れない。なぜ大海はこのジュースにここまではしゃいでいるのだろう。

その理由は、数拍置いて大海の口から飛び出た衝撃の台詞で明らかになる。

「ふふ、実はこれねえ、……俺がデザインしたパッケージなんだよー!」
「……へ?」

驚きのあまり、暖雪は今聞いたことと眼前にあるものの存在とがすぐに結び付かなかった。間抜けな声を出したきりしばらくその場に佇むこと数秒。直後暖雪は喉の奥から「えええ、うええええーー!?」と全く意味をなさない音を発した。そのまま何度も、大海の顔とその手に握られたジュースのボトルの間で目線を行き来させる。
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