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ハーレム第4章 ショタと俺
雲梯←なぜか読めない
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「へえ、赤火くんって結構優しいんだな」
まるで曲芸みたいに、するすると雲梯を登っていく赤火に向かって俺は言った。
「・・・・・・優しい?」
てっぺんへと到達した赤火は、こちらを見下ろして怪訝そうに言う。
「どこが?」
「だってさあ」
俺は雲梯の根元に寄りかかって、昼下がりの太陽の逆光を浴びる彼の顔を見上げた。
「お母さんに悪いと思ってるってことだろ、注射行けないの」
赤火は細い鉄の足場に器用に両脚を乗せ、どこかに掴まることもなく、奇跡みたいなバランスで地上2mの空中に座っている。運動神経すごいな。産まれた時から雲梯の上で暮らしてたんじゃないか。
「・・・・・・悪いっていうか、まあ、母さん俺が注射行かないってずっと言ってるから嫌な気持ちだろうなって思ってるだけ」
「そういうことだよ、俺が言ってるのも」
不意に吹いてきた強い風に散らされないよう、俺は声を張り上げる。
公園に植わる桜の樹が、枝を揺らして風に抵抗している。その先端にはいくつもの蕾がついている。ピンクの花が咲くまであともう少し。そうしたら、俺は大学生になって、赤火は小学生になるんだ。
俺と大城さんに連れられてかかりつけの西浦医院までやってきた赤火は、その入り口でまあ~ごねた。
自動ドアのまん前で、ビービー喚きながら子供がよくやる例のひっくり返って脚バタバタをやらかしたせいで、まず大城さんの盛大な雷が落ち、次に病院の奥から出てきた超半笑いの白髪黒縁メガネの院長に「おお~。大城甲子園クン!甲子園クンじゃないかよく来たね~。んん~?今日も暴れに来たのかうちの病院に。はっはっは僕は別にいいんだけどねはっはっは病院を壊したりしてくれなければ。まあ今日は比較的ヒマだから少しくらいなら時間遅れてもいいから。気が済むまで泣いたら来なさい」というありがたいお言葉をいただくに至った。甲子園クン、の由来は泣き声のトーンが例のサイレンとそっくりだからだって。ふ~ん。
予約の時間に遅刻可、とお墨付きをもらったということで、それじゃちょっと落ち着くまで近くの公園でゆっくりしましょうか、と相成ったわけだが・・・・・・。
恥ずかしい、情けないと嘆いている大城さんに、俺は「ちょっと気晴らしに他の用事とか済ませてきてきたらどうですか。今日は赤火君は俺が見ます」と申し出た。ためらう大城さんを、「ほら、俺春休み中でやることなくて暇持て余してるんですよ」「母も言ってたし、俺赤火君ともしかしたら気が合うかもって思うんです!」と口説く。
「・・・・・・」
大城さんは、何か言いたそうに口を開けたが、それに言葉がついていかない、という様子で一瞬固まった。実に不甲斐ないといった顔で俯く。
「・・・・・・すみません、私がさっき色々言ったからですよね」
「いえいえ。赤火君にピカレンジャーの話、もっと聞かせてほしいんです」と、俺は赤火を抱き上げた。ぶっちゃけ半分くらいただの勢いで出た台詞だった。なんかここまで来ちゃって後に引けなくなったというのもある。ほら、俺結構そういうとこある。場の空気に流されやすい。
いきなり知らない人と二人きりにされることになって嫌がるかと思いきや、赤火は無言のままで、そしてやけに神妙な顔つきをしていた。
「・・・・・・本当に、いいんでしょうか?」
大城さんが俺の顔色を伺うように言う。あと一息。俺はためらわずに返した。
「大丈夫ですよ!気になさらないでください!夕飯の時間までにはおうちまで送り届けますね!」
なるべく相手に不信感を与えないような、爽やかかつ堂々とした語り口を意識してそう言い切る。
そのかいあったのか知らないが、大城さんはしばらく俺と赤火を交互に見て、ふうと一つため息をつき、「・・・・・・すみません。よろしくお願いします」と頭を下げた。
「はい!お役に立てるか分かりませんけど頑張ります」
「・・・・・・優しいですね」
「いえいえ、そんなことは全く!本当に赤火君と仲良くなりたいだけです!」
ぶんぶん顔の前で手を振る俺に、大城さんはまた少し困ったように笑って、「何か悪さしようとしたら遠慮なく思いっきり叱ってやってくださいね」と言い、そして赤火に対しては
「あまりお兄ちゃんに迷惑かけるんじゃないのよ」と言い残す。
そして去っていこうとする大城さんの背中に向かって、俺はぽそっと、「・・・・・・それに」と呟いた。
「ちょっと、もったいないなーって気がしたんです」
「え?」
「あ、いえ何でも」
振り向いた大城さんに再度笑顔を見せて、俺は赤火を抱きなおした。
俺に密着する赤火の身体は軽く頼りなく、そして温かかった。
眠たくなるような春の午後の公園。二人足を踏み入れると、赤火は繋いでいた俺の手を振りほどいて歓声を上げながら雲梯の方へ走って行ってしまった。雲梯好きなんだ。好みが渋いな。
「赤火君、お腹治ったのか」
小石を踏みしめる足音を追いかけながらそう言うと、彼の表情が一瞬固まる。
「・・・・・・さ、さっきは本当に痛かったんだよ、嘘じゃないよ」
まるで何かから逃れようとするかのように、うろうろと目が泳ぐ。
「疑ってなんてないさ」と俺は笑った。
「病院、行きたくなかったんだよな。行きたくなさすぎてお腹にきちゃったんだろ、分かる分かる。・・・・・・病院行くときいつもそんな感じなのか?」
「・・・・・・」
赤火は顔をしかめてぎゅっと雲梯の梯子を握り、うなるように搾り出した。
「お母さんが、いつも怖い顔して行きなさい行きなさいって言うから。・・・・・・でも、俺は、注射って痛いだけじゃなくて、その・・・・・・、待ってる間に周りの匂いかいだりとか、注射とか薬が並んでるの見たりしてるのが嫌なの。・・・・・・それで段々怖くなってくる」
「そっかそっか。うん、分かるよ」
優しく言うと、赤火はますます難しい顔になる。その顔は、さっきの大城さんの顔と似ていた。
「俺が病院行くの嫌って言うと、お母さんいつもすごく悲しそうな顔する」
「・・・・・・うん」
「・・・・・・だから、このままじゃいけないなって、早く病院行かなきゃって、思う。思う、けど・・・・・・」
「けど?」
か細くなる声。まるで、悲壮な表情を浮かべる彼自身まで一緒に消えていってしまいそうだ。
「・・・・・・思ってると・・・・・・こう、胸のところがぎゅううってなって。それで、苦しい、どうしようって思うと、だんだんお腹まで痛くなってくるの」
やっとそこまで言うと、はあと嘆息し。
「そしたらそれ見てお母さんがまた怒る」
赤火の掴む梯子の辺りを、小さな蟻が一匹とつとつと上を目指して登っていた。赤火がそれを追うように目線を上昇させる。春の太陽が、柔らかく、柔らかく上を向いた彼の目を焼いている。耐えかねて、幼い彼はぎゅっと両目を瞑った。
その華奢な身体に、重いものを色々背負ってるんだろうな。大人は気づこうともしないけど。彼らは彼らなりに、目の前に起こったことをどうにか処理して、前に進もうと精一杯なんだ。
俺だってそうだったはずなんだよな。・・・・・・あの時、今の赤火みたいに。今の俺からしたら取るに足らないようなことで頭を悩ませていた時。俺は・・・・・・。
大人から、何て言ってもらいたいと思っていたんだっけなあ。
「・・・・・・お母さんを困らせたいわけじゃないのに」
やんちゃな今までのイメージとは違う彼のそんな言葉に、俺はちょっと驚く。
「そうなんだ」
「そうだよ、だって俺、兄弟多いからお母さんいつも世話大変なんだ。仕事もしてるからすごく忙しいんだ」
拗ねていたり、寂しがっているような口調ではなかった。急に大人びたような。冷静に身の回りのことを視て、子供ながらに噛み砕いて自分の胸に落とし込んで・・・・・・、そうやって幼いながらに出した結論を語っているように、俺の耳には響く。
「・・・・・・だから、俺がなかなか注射行かないでいやだいやだって泣いてたら、・・・・・・お母さん嫌だろうなあ」
そのまま彼は片足を梯子にかけ、そのままもう片足、もう片足と登っていく。
その後ろ姿を見送りながら、俺は自分の表情がほどけていくのを感じていた。
そして、「へえ、赤火くんって結構優しいんだな」と、雲梯のてっぺんまで、まるで曲芸みたいにするする登っていく赤火に向かって俺は言う。
ここまで来た自分の判断は、多分間違っていなかった、と思いながら。
「・・・・・・なあひかり」
雲梯のてっぺんに腰掛ける赤火は空を見上げ、その角度のまま話しかけて来た。
「んー?なんだ?」
ていうかいつの間にか呼び捨てにされてるな。
「・・・・・・なんで、俺についてきてくれたんだ?」
「・・・・・・さあ、なんでだろう」
「おい」
間抜けな声で首を傾げる俺に、すごい勢いで振り返った赤火の突っ込みが入った。俺は首をますます傾げて笑う。なーんちゃって、と一言置いて、青空をバックに座り込む少年に言った。
「・・・・・・君はさあ、本当はきっとすごく強い子だって思ったからだよ」
真顔の俺を、赤火が「はあっ?」と凝視する。
「・・・・・・いや、そんな顔することないじゃん」
ちょっと傷つく。
「ひかりが変こというからだろ。よく周りからも変わったヤツっていわれるだろ!せーごーせーがないんだよ」
「・・・・・・」
結構傷つく。
「あー、分かった。悪かった、えーとだな、さっきさ、赤火君俺にピカレンジャーのこと教えてくれたじゃんか。その時の君の顔がな、すごくすごくかっこよくて、そんで」
強く見えたんだよ、と俺は言った。
「・・・・・・意味わかんない」
赤火はますます顔をしかめて俺を見下ろす。俺はあははと笑った。
「だからな、つまりな、ヒーローに憧れて、自分もそうなりたいって真っ直ぐな気持ちの子は、きっともうみんなすごく強くなれてるんだってこと。なりたいって言ってたじゃないか。ヒカリみたいに、強い人に」
「・・・・・・」
「本当にかっこよかったぜ、さっきの赤火君。ヒカリのこと大好きだってきらきらした顔で言ってた赤火君。きっとどんなことにも立ち向かえる、強い人になれるんじゃないかな。」サッカーだってそのためにやってるんだろ?」
雲梯の端の、赤火の小さな手にぎゅっと力が籠るのが見えた。
「・・・・・・でも、俺、・・・・・・怖くて、注射行けない」
「だーいじょうぶだって!誰にでも怖いものはある、どんなに強い人にだってな」
俺は一息大きく吸うと、「“ヒカリ”にだってあると思うぜー!多分な!」と付け加えてやる。不安な顔をする彼に届くように、こう語りかけた。
「だから俺は赤火君の注射付いていってあげたいなと思ったんだ!怖いものがあるなんて恥ずかしいことじゃないのに。強い赤火君が!本当はすっごく強いはずの赤火君が、注射が怖くてサッカーの試合出れないなんて!怖いなら誰かに後ろに付いてきてもらって、その人に力を貸してもらえばいいんだ!ほんの少しのきっかけで怖いものにも立ち向かえるかもしれないのに!」
赤火は俺から目を反らすことなく口を少しぽかんと開けて、まるで産まれたばかりの赤ちゃんみたいに・・・・・・、世界中のあらゆるものを初めて今見た、というような表情をしている。
そんな彼に、俺は今度はこう言葉を投げかけた。
「大丈夫だ。君は。大丈夫だ。自分のことしか見えてないんじゃなくて、お母さんのことちゃんと思いやれる強さがあるじゃないか。たまたま注射が苦手だっただけだよ、君は。だから大丈夫」
「・・・・・・」
赤火は視線を遠くにやり、口元をぎゅっと真っ直ぐに結ぶ。そんな表情もできるんだな。今、彼の中で、どれだけの激しい葛藤がなされているのだろうか。テレビの中で怪人に立ち向かおうとするヒーローにも引けを取らないくらい、大きな運命の瀬戸際に、今彼は立っている。
「注射、本当は行かなきゃって思ってるんだろ」
「・・・・・・うん」
「行ってさ、サッカーの試合出ようぜ。俺が応援しててやるからさ」
さっき大城さんにしたのと同じ。最後の一押しだ。その沈みかけの刹那、一層強く輝く太陽を、瞳に反射させる彼に俺は訴えた。
赤火はためらいがちにこちらへと向き直る。
「・・・・・・ひかり」
眩いオレンジを、二つもその目に宿して。
「ん?」
怯えながらも、やっと振り絞ったその声。
「つ、ついてきて・・・・・・くれるか?その・・・・・・、病院まで・・・・・・!」
「当たり前だ!言っただろ!」
俺はニカッと笑って彼の真下まで歩みよった。
「さ、赤火君」
「ひかり・・・・・・、っって、うわっっ!!???」
腰を浮かしかけた赤火がぐらりとバランスを崩して、雲梯から滑り落ちた。
「うわわっっ!!っと、あぶねえっ!!」
真下に控えていた俺の腕に、ぼすっと音を立てて赤火の身体が落ちてくる。ギリギリセーフ。
「大丈夫か?」
「び、びっくりしたあっ、・・・・・・って、な、ど、どこ行くんだよっ!?」
スタスタと歩き出した俺に赤火が慌てる。軽い口調で答えた。
「この状況で行くとこっつったら決まってるだろ。お医者さん、待ってるぞ」
「ちょちょちょちょ、ちょっと待って!まだ心の準備がっ」
「何だよ、決心したんじゃなかったのかよ」
「っ、うぅう・・・・・・」
腕の中で縮こまる少年に、俺は優しく語りかける。
「“ひかり”がお前についてやってるんだぞ、まだ怖いの?」
「・・・・・・」
俺の言葉に、僅かにその瞳の色を変える。確かにこれはちょっと禁じ手だったような気はするが・・・・・・。
なあ“ヒカリ”。
俺は、その偉大なヒーローに心の中で呼びかける。
こんな時なのに俺ときたら変身前のお前の顔すらはっきり思い出せないくらいのうっすーい一視聴者ですまん。だけどさ、ちょっとくらい・・・・・・。お前のファンだって言う男の子が今、一世一代の戦いに赴こうとしてるんだ。ちょっとくらいさ、いいだろ?
その背中を押すために、お前の名前を拝借したってさ。
「・・・・・・“ヒカリ”のフィギュア、ちゃんと持ってるか?」
「・・・・・・服のポケットに入ってる」
「よし、なら安心だな。行くぞ!」
意気揚々とそう言うと、再び吹いてきた春の暖かい風に消しとばされてしまいそうな声で、赤火が「・・・・・・うん」と言うのが聞こえて、そして・・・・・・。
「・・・・・・ありがと」と聞こえたような気がしたが。
もしかしたらそれは風の音と混ざった赤火の吐息を、俺が聞き違えただけだったかもしれない。
白髪黒縁メガネの院長が、「おおー、ここまで辿り着いたのか甲子園クン、ここから出たくば私を倒すのだわっはっは」と余計な演出をしてきたので俺は引き攣った笑みを浮かべた。赤火は顔中びしょ濡れになるほどの涙をしとど垂らしながらも“ヒカリ”のフィギュアをひっしと握り締め、俺と抱き合うような格好で注射を完遂した。
最中、俺はひいひいと泣き声を漏らす赤火の背中をずっとポンポンあやし続け、「だーいじょうぶだって、ほら、怖くない、怖くない」と励まし続ける。未就学児といえどもその抱きつく力はすさまじく、ことが終わったあとの背中と腰は完全に痺れ、俺はふらふらと帰路に着いた。
ただ。
発狂せんばかりの勢いでお礼を言ってくる大城さんに受け渡した赤火の、「ひかり!プロペラ杯来週だから!!C市の市民グラウンドでやるから!絶対見に来いよ!時間は九時な!!!」と、泣き腫らした瞼で作られたドヤ顔を見ることができたのは、十分な報酬であった。
まるで曲芸みたいに、するすると雲梯を登っていく赤火に向かって俺は言った。
「・・・・・・優しい?」
てっぺんへと到達した赤火は、こちらを見下ろして怪訝そうに言う。
「どこが?」
「だってさあ」
俺は雲梯の根元に寄りかかって、昼下がりの太陽の逆光を浴びる彼の顔を見上げた。
「お母さんに悪いと思ってるってことだろ、注射行けないの」
赤火は細い鉄の足場に器用に両脚を乗せ、どこかに掴まることもなく、奇跡みたいなバランスで地上2mの空中に座っている。運動神経すごいな。産まれた時から雲梯の上で暮らしてたんじゃないか。
「・・・・・・悪いっていうか、まあ、母さん俺が注射行かないってずっと言ってるから嫌な気持ちだろうなって思ってるだけ」
「そういうことだよ、俺が言ってるのも」
不意に吹いてきた強い風に散らされないよう、俺は声を張り上げる。
公園に植わる桜の樹が、枝を揺らして風に抵抗している。その先端にはいくつもの蕾がついている。ピンクの花が咲くまであともう少し。そうしたら、俺は大学生になって、赤火は小学生になるんだ。
俺と大城さんに連れられてかかりつけの西浦医院までやってきた赤火は、その入り口でまあ~ごねた。
自動ドアのまん前で、ビービー喚きながら子供がよくやる例のひっくり返って脚バタバタをやらかしたせいで、まず大城さんの盛大な雷が落ち、次に病院の奥から出てきた超半笑いの白髪黒縁メガネの院長に「おお~。大城甲子園クン!甲子園クンじゃないかよく来たね~。んん~?今日も暴れに来たのかうちの病院に。はっはっは僕は別にいいんだけどねはっはっは病院を壊したりしてくれなければ。まあ今日は比較的ヒマだから少しくらいなら時間遅れてもいいから。気が済むまで泣いたら来なさい」というありがたいお言葉をいただくに至った。甲子園クン、の由来は泣き声のトーンが例のサイレンとそっくりだからだって。ふ~ん。
予約の時間に遅刻可、とお墨付きをもらったということで、それじゃちょっと落ち着くまで近くの公園でゆっくりしましょうか、と相成ったわけだが・・・・・・。
恥ずかしい、情けないと嘆いている大城さんに、俺は「ちょっと気晴らしに他の用事とか済ませてきてきたらどうですか。今日は赤火君は俺が見ます」と申し出た。ためらう大城さんを、「ほら、俺春休み中でやることなくて暇持て余してるんですよ」「母も言ってたし、俺赤火君ともしかしたら気が合うかもって思うんです!」と口説く。
「・・・・・・」
大城さんは、何か言いたそうに口を開けたが、それに言葉がついていかない、という様子で一瞬固まった。実に不甲斐ないといった顔で俯く。
「・・・・・・すみません、私がさっき色々言ったからですよね」
「いえいえ。赤火君にピカレンジャーの話、もっと聞かせてほしいんです」と、俺は赤火を抱き上げた。ぶっちゃけ半分くらいただの勢いで出た台詞だった。なんかここまで来ちゃって後に引けなくなったというのもある。ほら、俺結構そういうとこある。場の空気に流されやすい。
いきなり知らない人と二人きりにされることになって嫌がるかと思いきや、赤火は無言のままで、そしてやけに神妙な顔つきをしていた。
「・・・・・・本当に、いいんでしょうか?」
大城さんが俺の顔色を伺うように言う。あと一息。俺はためらわずに返した。
「大丈夫ですよ!気になさらないでください!夕飯の時間までにはおうちまで送り届けますね!」
なるべく相手に不信感を与えないような、爽やかかつ堂々とした語り口を意識してそう言い切る。
そのかいあったのか知らないが、大城さんはしばらく俺と赤火を交互に見て、ふうと一つため息をつき、「・・・・・・すみません。よろしくお願いします」と頭を下げた。
「はい!お役に立てるか分かりませんけど頑張ります」
「・・・・・・優しいですね」
「いえいえ、そんなことは全く!本当に赤火君と仲良くなりたいだけです!」
ぶんぶん顔の前で手を振る俺に、大城さんはまた少し困ったように笑って、「何か悪さしようとしたら遠慮なく思いっきり叱ってやってくださいね」と言い、そして赤火に対しては
「あまりお兄ちゃんに迷惑かけるんじゃないのよ」と言い残す。
そして去っていこうとする大城さんの背中に向かって、俺はぽそっと、「・・・・・・それに」と呟いた。
「ちょっと、もったいないなーって気がしたんです」
「え?」
「あ、いえ何でも」
振り向いた大城さんに再度笑顔を見せて、俺は赤火を抱きなおした。
俺に密着する赤火の身体は軽く頼りなく、そして温かかった。
眠たくなるような春の午後の公園。二人足を踏み入れると、赤火は繋いでいた俺の手を振りほどいて歓声を上げながら雲梯の方へ走って行ってしまった。雲梯好きなんだ。好みが渋いな。
「赤火君、お腹治ったのか」
小石を踏みしめる足音を追いかけながらそう言うと、彼の表情が一瞬固まる。
「・・・・・・さ、さっきは本当に痛かったんだよ、嘘じゃないよ」
まるで何かから逃れようとするかのように、うろうろと目が泳ぐ。
「疑ってなんてないさ」と俺は笑った。
「病院、行きたくなかったんだよな。行きたくなさすぎてお腹にきちゃったんだろ、分かる分かる。・・・・・・病院行くときいつもそんな感じなのか?」
「・・・・・・」
赤火は顔をしかめてぎゅっと雲梯の梯子を握り、うなるように搾り出した。
「お母さんが、いつも怖い顔して行きなさい行きなさいって言うから。・・・・・・でも、俺は、注射って痛いだけじゃなくて、その・・・・・・、待ってる間に周りの匂いかいだりとか、注射とか薬が並んでるの見たりしてるのが嫌なの。・・・・・・それで段々怖くなってくる」
「そっかそっか。うん、分かるよ」
優しく言うと、赤火はますます難しい顔になる。その顔は、さっきの大城さんの顔と似ていた。
「俺が病院行くの嫌って言うと、お母さんいつもすごく悲しそうな顔する」
「・・・・・・うん」
「・・・・・・だから、このままじゃいけないなって、早く病院行かなきゃって、思う。思う、けど・・・・・・」
「けど?」
か細くなる声。まるで、悲壮な表情を浮かべる彼自身まで一緒に消えていってしまいそうだ。
「・・・・・・思ってると・・・・・・こう、胸のところがぎゅううってなって。それで、苦しい、どうしようって思うと、だんだんお腹まで痛くなってくるの」
やっとそこまで言うと、はあと嘆息し。
「そしたらそれ見てお母さんがまた怒る」
赤火の掴む梯子の辺りを、小さな蟻が一匹とつとつと上を目指して登っていた。赤火がそれを追うように目線を上昇させる。春の太陽が、柔らかく、柔らかく上を向いた彼の目を焼いている。耐えかねて、幼い彼はぎゅっと両目を瞑った。
その華奢な身体に、重いものを色々背負ってるんだろうな。大人は気づこうともしないけど。彼らは彼らなりに、目の前に起こったことをどうにか処理して、前に進もうと精一杯なんだ。
俺だってそうだったはずなんだよな。・・・・・・あの時、今の赤火みたいに。今の俺からしたら取るに足らないようなことで頭を悩ませていた時。俺は・・・・・・。
大人から、何て言ってもらいたいと思っていたんだっけなあ。
「・・・・・・お母さんを困らせたいわけじゃないのに」
やんちゃな今までのイメージとは違う彼のそんな言葉に、俺はちょっと驚く。
「そうなんだ」
「そうだよ、だって俺、兄弟多いからお母さんいつも世話大変なんだ。仕事もしてるからすごく忙しいんだ」
拗ねていたり、寂しがっているような口調ではなかった。急に大人びたような。冷静に身の回りのことを視て、子供ながらに噛み砕いて自分の胸に落とし込んで・・・・・・、そうやって幼いながらに出した結論を語っているように、俺の耳には響く。
「・・・・・・だから、俺がなかなか注射行かないでいやだいやだって泣いてたら、・・・・・・お母さん嫌だろうなあ」
そのまま彼は片足を梯子にかけ、そのままもう片足、もう片足と登っていく。
その後ろ姿を見送りながら、俺は自分の表情がほどけていくのを感じていた。
そして、「へえ、赤火くんって結構優しいんだな」と、雲梯のてっぺんまで、まるで曲芸みたいにするする登っていく赤火に向かって俺は言う。
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「・・・・・・なあひかり」
雲梯のてっぺんに腰掛ける赤火は空を見上げ、その角度のまま話しかけて来た。
「んー?なんだ?」
ていうかいつの間にか呼び捨てにされてるな。
「・・・・・・なんで、俺についてきてくれたんだ?」
「・・・・・・さあ、なんでだろう」
「おい」
間抜けな声で首を傾げる俺に、すごい勢いで振り返った赤火の突っ込みが入った。俺は首をますます傾げて笑う。なーんちゃって、と一言置いて、青空をバックに座り込む少年に言った。
「・・・・・・君はさあ、本当はきっとすごく強い子だって思ったからだよ」
真顔の俺を、赤火が「はあっ?」と凝視する。
「・・・・・・いや、そんな顔することないじゃん」
ちょっと傷つく。
「ひかりが変こというからだろ。よく周りからも変わったヤツっていわれるだろ!せーごーせーがないんだよ」
「・・・・・・」
結構傷つく。
「あー、分かった。悪かった、えーとだな、さっきさ、赤火君俺にピカレンジャーのこと教えてくれたじゃんか。その時の君の顔がな、すごくすごくかっこよくて、そんで」
強く見えたんだよ、と俺は言った。
「・・・・・・意味わかんない」
赤火はますます顔をしかめて俺を見下ろす。俺はあははと笑った。
「だからな、つまりな、ヒーローに憧れて、自分もそうなりたいって真っ直ぐな気持ちの子は、きっともうみんなすごく強くなれてるんだってこと。なりたいって言ってたじゃないか。ヒカリみたいに、強い人に」
「・・・・・・」
「本当にかっこよかったぜ、さっきの赤火君。ヒカリのこと大好きだってきらきらした顔で言ってた赤火君。きっとどんなことにも立ち向かえる、強い人になれるんじゃないかな。」サッカーだってそのためにやってるんだろ?」
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「・・・・・・でも、俺、・・・・・・怖くて、注射行けない」
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そんな彼に、俺は今度はこう言葉を投げかけた。
「大丈夫だ。君は。大丈夫だ。自分のことしか見えてないんじゃなくて、お母さんのことちゃんと思いやれる強さがあるじゃないか。たまたま注射が苦手だっただけだよ、君は。だから大丈夫」
「・・・・・・」
赤火は視線を遠くにやり、口元をぎゅっと真っ直ぐに結ぶ。そんな表情もできるんだな。今、彼の中で、どれだけの激しい葛藤がなされているのだろうか。テレビの中で怪人に立ち向かおうとするヒーローにも引けを取らないくらい、大きな運命の瀬戸際に、今彼は立っている。
「注射、本当は行かなきゃって思ってるんだろ」
「・・・・・・うん」
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「大丈夫か?」
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「っ、うぅう・・・・・・」
腕の中で縮こまる少年に、俺は優しく語りかける。
「“ひかり”がお前についてやってるんだぞ、まだ怖いの?」
「・・・・・・」
俺の言葉に、僅かにその瞳の色を変える。確かにこれはちょっと禁じ手だったような気はするが・・・・・・。
なあ“ヒカリ”。
俺は、その偉大なヒーローに心の中で呼びかける。
こんな時なのに俺ときたら変身前のお前の顔すらはっきり思い出せないくらいのうっすーい一視聴者ですまん。だけどさ、ちょっとくらい・・・・・・。お前のファンだって言う男の子が今、一世一代の戦いに赴こうとしてるんだ。ちょっとくらいさ、いいだろ?
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「・・・・・・“ヒカリ”のフィギュア、ちゃんと持ってるか?」
「・・・・・・服のポケットに入ってる」
「よし、なら安心だな。行くぞ!」
意気揚々とそう言うと、再び吹いてきた春の暖かい風に消しとばされてしまいそうな声で、赤火が「・・・・・・うん」と言うのが聞こえて、そして・・・・・・。
「・・・・・・ありがと」と聞こえたような気がしたが。
もしかしたらそれは風の音と混ざった赤火の吐息を、俺が聞き違えただけだったかもしれない。
白髪黒縁メガネの院長が、「おおー、ここまで辿り着いたのか甲子園クン、ここから出たくば私を倒すのだわっはっは」と余計な演出をしてきたので俺は引き攣った笑みを浮かべた。赤火は顔中びしょ濡れになるほどの涙をしとど垂らしながらも“ヒカリ”のフィギュアをひっしと握り締め、俺と抱き合うような格好で注射を完遂した。
最中、俺はひいひいと泣き声を漏らす赤火の背中をずっとポンポンあやし続け、「だーいじょうぶだって、ほら、怖くない、怖くない」と励まし続ける。未就学児といえどもその抱きつく力はすさまじく、ことが終わったあとの背中と腰は完全に痺れ、俺はふらふらと帰路に着いた。
ただ。
発狂せんばかりの勢いでお礼を言ってくる大城さんに受け渡した赤火の、「ひかり!プロペラ杯来週だから!!C市の市民グラウンドでやるから!絶対見に来いよ!時間は九時な!!!」と、泣き腫らした瞼で作られたドヤ顔を見ることができたのは、十分な報酬であった。
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【集中して治療をして早く治す】
それがこの病院のモットーです。
※この物語はフィクションです。
実際の病院、治療とは異なることもあると思いますが暖かい目で見ていただけると幸いです。
病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない
月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。
人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。
2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事)
。
誰も俺に気付いてはくれない。そう。
2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。
もう、全部どうでもよく感じた。
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