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2 賑やかな辺境伯と今後の展望
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「ど、ど、どういうことですのっ!?」
正気に返って再び勢いを取り戻した時は、わたしは辺境伯の屋敷のベッドに横たえられていた。
「どういうことって……そういうことだよ」と、彼は肩をすくめる。
「わ、わたしっ……なにもっ、聞いていないっ……!」
「まぁ、その怪我だからゆっくり説明できなかったんだろう。――じゃ、悪いが少しだけ我慢してくれ」
次の瞬間、彼の手の平から大きな水の塊が現れたと思ったら、みるみるわたしの全身を包み込んだ。
驚いて目を見張って、身体が水の中で浮遊していることに気付く。
でも、まるで水分なんて存在しないかのように、息も出来るし肉体も乾いたままかのように軽かった。
ひんやりとして心地いい。水中を泳ぐ魚はこんな気分なのかしら。これなら、スイスイとどこまでも進んでいけそうね。
「よしっ! 終了!」
彼が両手を叩くと、水の塊は泡みたいにパッと消えた。
わたしは、元通りのベッドに横たわった形になる。
「とりあえず傷は治療したけど、疲労やらなんやらはまだ残っていると思うから、落ち着くまではしばらくは安静だな」
気が付くと、ずっと苦しかった身体が軽やかになっていた。彼の言う通り、あんなにズキズキと痛んだ傷だらけの肉体は、すっかり元の状態に戻っていたのだ。
「あ……ありがとうございます……」
「なぁに、これくらい」彼はけたけたと豪快に笑う。「本当はすぐにでも歓迎会を開きたいけど、それは君の傷が全て完治してからにしようか。――病は気から、だからな!」
「あ……」
恥ずかしくなって顔を伏せる。二の句が継げなかった。
おそらく、彼は王都で起こった事件を知っているのだと思う。わたしが、惨めにも王太子殿下から婚約破棄をされたことを。
身体の傷は癒えても、心の傷は本人の気持ち次第だから……。
「じゃ、早く元気になってくれ!」
もごもごと狼狽えていると、彼はわたしの頭をちょんと軽くつついてから、踵を返した。
◇
「…………」
辺境伯から僅かに触れられた額が熱かった。懐かしい気持ちに胸がじんと温かくなる。
彼――デニス・アレッド辺境伯のことは鮮明に覚えていた。
彼が王宮で迷子になっていたところを、夜会の会場まで連れて行ったんだっけ。
あの頃はもうトマス様の婚約者として厳しい王妃教育を受けていて、周囲からも未来の王族だと扱いを受けていて、気軽に会話できるような人物も皆無だった。
まだ幼かったわたしは、好奇心で彼に話しかけたのだ。
彼はよく喋ってよく笑う人で、会場までの少しの時間だったけど、強く記憶に残っている。未来の王妃だと忖度しない彼とは、自然に会話が生まれて、とっても楽しかった。
お母様から「はしたないから決して片えくぼを見せないように」って、いつもきつく言われていたのに、それも忘れてケラケラと笑っちゃって、あとで誰かに見られなかったかヒヤヒヤしたわ。
「王命で辺境伯と婚姻を結ぶということは……もうトマス様とは破談になったのよね……?」
わたしとトマス・マークス王太子殿下は、よくある政略結婚だ。
でも、貴族の家門に生まれたからには仕方のないことだと思った。わたしは将来の国母になるために、子供の頃から必死で努力をしたつもりよ。
でも……わたしには向いていなかった。
才能がない、というのが正解かしら。
本当は人見知りが激しくて、人と話すのが苦手で。引っ込み思案で、声も小さかったし、あがり症で、人前に立つとよく頭が真っ白になって……。
こんな人間が王宮の中心である王妃なんて務まるわけがなかった。
わたしの交流関係の構築の下手さにトマス様も辟易していたのか、いつの間にか彼との定期のお茶会の頻度もどんどん減っていった。
そんな時、トマス様はリリアン・キャロット伯爵令嬢と出会ったのだ。
彼女は既に社交界の華だった。
波打つピンクブロンドの髪は目を引いて、生き生きとしたつぶらな瞳、華奢な身体は庇護欲が掻き立てられるようで、常に殿方たちから囲まれていた。
人懐っこくて、会話上手で、あの眩しいくらいの明るい笑顔は、太陽みたいに周囲まで明るく照らしていた。彼女の側にいると、みんな自然と笑顔に溢れていた。
頭の回転も早くて、他者を思いやり、時には計算ずくな言動は、陰謀渦巻く王宮で十分に戦っていける能力だった。
そんな彼女とトマス様が恋に落ちるのに時間はかからなかった。
分別のある彼女は彼との仲を必死で隠しているようだったけど、恋に浮ついた心は自然と漏れているみたいで、わたしもすぐに気付いた。
二人が木陰でキスをしている姿も、何度も目撃した。
……惨めだった。
彼女は、自分が欲しいものを全て持っている。
王宮内も、彼女を中心とした新たな派閥が出来上がっていっていた。彼女を王太子妃にと持ち上げる勢力が出てくるのも時間の問題だろう。
――そんな風に考えている頃、神殿で彼から婚約破棄を告げられたのだ。
「っ……!」
ふと、鏡の中の自分と目が合った。
リラックスしていた身体が、途端に強張る。
鏡は、真実を映す。
幼い頃から、鏡に映る己を意識しなさいと何度も言われてきた。気高く、美しく。鏡の中の公爵令嬢は、完璧でないといけないのだ。
以来、わたしは鏡の世界を生きている。立派で模範的な公爵令嬢として。
「本当のわたしは、どこにいるのかしら……?」
その時、雷に打たれたかのように、ふと閃いた。
わたしはこれから、知らない土地で知らない人たちに囲まれて暮らすことになる。彼らは王都での公爵令嬢のことを何も知らないのだ。
これは、チャンスなんじゃないかしら?
一からの人間関係の構築。一からマーガレットという人間の存在を示す機会。
そう、どんなしがらみからも縛られない……新しいマーガレットとして、独り立ちするチャンス!
天啓のように考えが浮かんだら、背中に羽がはえて今にも籠から飛び立せそうな気分になった。
辺境伯とは仮面夫婦になって、一人で生きていこう。
きっと彼も、長い期間この地に住んでいて、愛する女性が存在するはず。わたしは彼らの邪魔をしないように、ひっそりと一人で暮らすのよ。
もう、人と人の隙間に挟まれて、神経を擦り減らすこともない。苦手な社交もしたくない。
ここでは、今までの自分を知っている人物はいないのだから、なりたい自分として振る舞っていいのよ。
突然未来が明るくなって、目の前に花輪の道が出来ていく。
「わたしは……ここで自立をするわ!!」
正気に返って再び勢いを取り戻した時は、わたしは辺境伯の屋敷のベッドに横たえられていた。
「どういうことって……そういうことだよ」と、彼は肩をすくめる。
「わ、わたしっ……なにもっ、聞いていないっ……!」
「まぁ、その怪我だからゆっくり説明できなかったんだろう。――じゃ、悪いが少しだけ我慢してくれ」
次の瞬間、彼の手の平から大きな水の塊が現れたと思ったら、みるみるわたしの全身を包み込んだ。
驚いて目を見張って、身体が水の中で浮遊していることに気付く。
でも、まるで水分なんて存在しないかのように、息も出来るし肉体も乾いたままかのように軽かった。
ひんやりとして心地いい。水中を泳ぐ魚はこんな気分なのかしら。これなら、スイスイとどこまでも進んでいけそうね。
「よしっ! 終了!」
彼が両手を叩くと、水の塊は泡みたいにパッと消えた。
わたしは、元通りのベッドに横たわった形になる。
「とりあえず傷は治療したけど、疲労やらなんやらはまだ残っていると思うから、落ち着くまではしばらくは安静だな」
気が付くと、ずっと苦しかった身体が軽やかになっていた。彼の言う通り、あんなにズキズキと痛んだ傷だらけの肉体は、すっかり元の状態に戻っていたのだ。
「あ……ありがとうございます……」
「なぁに、これくらい」彼はけたけたと豪快に笑う。「本当はすぐにでも歓迎会を開きたいけど、それは君の傷が全て完治してからにしようか。――病は気から、だからな!」
「あ……」
恥ずかしくなって顔を伏せる。二の句が継げなかった。
おそらく、彼は王都で起こった事件を知っているのだと思う。わたしが、惨めにも王太子殿下から婚約破棄をされたことを。
身体の傷は癒えても、心の傷は本人の気持ち次第だから……。
「じゃ、早く元気になってくれ!」
もごもごと狼狽えていると、彼はわたしの頭をちょんと軽くつついてから、踵を返した。
◇
「…………」
辺境伯から僅かに触れられた額が熱かった。懐かしい気持ちに胸がじんと温かくなる。
彼――デニス・アレッド辺境伯のことは鮮明に覚えていた。
彼が王宮で迷子になっていたところを、夜会の会場まで連れて行ったんだっけ。
あの頃はもうトマス様の婚約者として厳しい王妃教育を受けていて、周囲からも未来の王族だと扱いを受けていて、気軽に会話できるような人物も皆無だった。
まだ幼かったわたしは、好奇心で彼に話しかけたのだ。
彼はよく喋ってよく笑う人で、会場までの少しの時間だったけど、強く記憶に残っている。未来の王妃だと忖度しない彼とは、自然に会話が生まれて、とっても楽しかった。
お母様から「はしたないから決して片えくぼを見せないように」って、いつもきつく言われていたのに、それも忘れてケラケラと笑っちゃって、あとで誰かに見られなかったかヒヤヒヤしたわ。
「王命で辺境伯と婚姻を結ぶということは……もうトマス様とは破談になったのよね……?」
わたしとトマス・マークス王太子殿下は、よくある政略結婚だ。
でも、貴族の家門に生まれたからには仕方のないことだと思った。わたしは将来の国母になるために、子供の頃から必死で努力をしたつもりよ。
でも……わたしには向いていなかった。
才能がない、というのが正解かしら。
本当は人見知りが激しくて、人と話すのが苦手で。引っ込み思案で、声も小さかったし、あがり症で、人前に立つとよく頭が真っ白になって……。
こんな人間が王宮の中心である王妃なんて務まるわけがなかった。
わたしの交流関係の構築の下手さにトマス様も辟易していたのか、いつの間にか彼との定期のお茶会の頻度もどんどん減っていった。
そんな時、トマス様はリリアン・キャロット伯爵令嬢と出会ったのだ。
彼女は既に社交界の華だった。
波打つピンクブロンドの髪は目を引いて、生き生きとしたつぶらな瞳、華奢な身体は庇護欲が掻き立てられるようで、常に殿方たちから囲まれていた。
人懐っこくて、会話上手で、あの眩しいくらいの明るい笑顔は、太陽みたいに周囲まで明るく照らしていた。彼女の側にいると、みんな自然と笑顔に溢れていた。
頭の回転も早くて、他者を思いやり、時には計算ずくな言動は、陰謀渦巻く王宮で十分に戦っていける能力だった。
そんな彼女とトマス様が恋に落ちるのに時間はかからなかった。
分別のある彼女は彼との仲を必死で隠しているようだったけど、恋に浮ついた心は自然と漏れているみたいで、わたしもすぐに気付いた。
二人が木陰でキスをしている姿も、何度も目撃した。
……惨めだった。
彼女は、自分が欲しいものを全て持っている。
王宮内も、彼女を中心とした新たな派閥が出来上がっていっていた。彼女を王太子妃にと持ち上げる勢力が出てくるのも時間の問題だろう。
――そんな風に考えている頃、神殿で彼から婚約破棄を告げられたのだ。
「っ……!」
ふと、鏡の中の自分と目が合った。
リラックスしていた身体が、途端に強張る。
鏡は、真実を映す。
幼い頃から、鏡に映る己を意識しなさいと何度も言われてきた。気高く、美しく。鏡の中の公爵令嬢は、完璧でないといけないのだ。
以来、わたしは鏡の世界を生きている。立派で模範的な公爵令嬢として。
「本当のわたしは、どこにいるのかしら……?」
その時、雷に打たれたかのように、ふと閃いた。
わたしはこれから、知らない土地で知らない人たちに囲まれて暮らすことになる。彼らは王都での公爵令嬢のことを何も知らないのだ。
これは、チャンスなんじゃないかしら?
一からの人間関係の構築。一からマーガレットという人間の存在を示す機会。
そう、どんなしがらみからも縛られない……新しいマーガレットとして、独り立ちするチャンス!
天啓のように考えが浮かんだら、背中に羽がはえて今にも籠から飛び立せそうな気分になった。
辺境伯とは仮面夫婦になって、一人で生きていこう。
きっと彼も、長い期間この地に住んでいて、愛する女性が存在するはず。わたしは彼らの邪魔をしないように、ひっそりと一人で暮らすのよ。
もう、人と人の隙間に挟まれて、神経を擦り減らすこともない。苦手な社交もしたくない。
ここでは、今までの自分を知っている人物はいないのだから、なりたい自分として振る舞っていいのよ。
突然未来が明るくなって、目の前に花輪の道が出来ていく。
「わたしは……ここで自立をするわ!!」
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