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プロローグ
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「マーガレット・ローヴァー公爵令嬢! 貴様とは婚約破棄をするっ!!」
幾多の鏡が監視するかのように、わたしたちを映している。
それらはギラギラと光を反射して、眼前の惨状をニタニタと笑いながら煽っているようだった。
舞台の中心には、わたし――公爵令嬢であるマーガレット・ローヴァーと、トマス・マークス王太子殿下。
そして、彼の隣にはリリアン・キャロット伯爵令嬢。彼女は愛しの王子様の腕に張り付きながら、くねくねとだらしなく立っていた。
ここは、大神殿の中枢である『女神の間』。
部屋中に大小さまざまな鏡が並べられて、中央の祭壇には見上げるほどに巨大な『聖なる大鏡』が鎮座していた。
「……どういうことですの?」
わたしは消えそうな声を振り絞って、トマス様に尋ねた。不意をついた彼の不穏な宣言に、一瞬だけ頭が真っ白になったが、ここで負けてはならないと思ったのだ。
鏡がわたしを見ている。
その表層に映る自分の姿は、凛とした立派な公爵令嬢でなければならないのだから。
トマス様は鼻で笑ってから、
「どうもこうも、言った通りだ。オレはお前とは婚約破棄をする。そして、新たにこのリリアン・キャロット伯爵令嬢と婚約することに決めたのだ!」
彼の朗々とした声が鏡に反響して、わたしに鋭く降り注いだ。無慈悲な残響が耳に残って、胸に刺さる。
ついに、この時が来たのね。
はじめに浮かんだ感想はそれだった。こうなることは分かっていた。
トマス様とキャロット伯爵令嬢が恋仲にあること。
そして……幼い頃から王妃教育を受けてきた自分より、彼女のほうが王妃になる適正があるということ。
全部、分かっていたのだ。
「トマス様、婚約破棄は正当な理由の上でしょうか? 国王陛下はご存知なのですか?」
それでも、今この場では、彼らに負けたくなかった。
わたしは理想の堂々たる公爵令嬢の姿を鏡に映しながら、厳しい声音で問い糺す。
「ち……」トマス様は僅かに怯んでから「父上には全てが終わったら報告するつもりだ」
案の定、彼の独断での行動なのね。一国の王太子が、呆れて言葉も出ないわ。
「順序が違いますわ。まずは国王陛下に――」
「それは聖なる大鏡に判断してもらえばいい。国王より、女神スペクルムにな」と、彼は大鏡を仰ぎ見た。
鏡は、真実を映す。
わたしたちにとって、王よりも国よりも、なにより女神の意思が大切なのだ。
……しかし、今回は分が悪い。
キャロット伯爵令嬢は、聖女の力に目覚めたと専らの噂だった。
即ち、その噂が事実なら、女神は彼女の味方をする可能性が高いのだ。
ふと、視線を感じた。
見ると、わたしの周りを鏡がぐるりと囲んで、険しい視線を送っている。
トマス様はにやりと笑って、
「真実は女神が知っている。――さぁ、裁判をはじめようか。真実の、な」
わたしは、背筋を伸ばして彼を正面から見据えた。
鏡の前で、弱々しい姿を見せてはならない。最後まで公爵令嬢として、恥ずかしくない姿を映さなければ。
少しだけ息を吐いてから、
「わたしは疚しいことなど何一つ行っておりませんわ」
己を奮い立たせるために、きっと彼を睨んだ。
「どうだか? お前、随分リリアンのことを疎ましく思っていたようだからな」
「それは……!」
ぐっと唇を噛む。言葉が出なかった。
それは……事実だからだ。
「ほうら見ろ! お前は、リリアンに嫉妬して彼女に多くの嫌がらせをしていたな!?」
「そんなこと――」
たしかに、わたしは彼女の才能に悋気を覚えていた。
でも、嫌がらせなんて、卑怯なことは決して行っていないわ。
「言い訳はいい。ただ一つ確実に言えることは……お前など王太子妃に相応しくないということだっ!!」
その時だった。
ドン――と、神殿の床が持ち上がったかと思うと、突如、ひっくり返したみたいに大地が激しく揺れ始めた。
「きゃあぁぁっ!! トマス様っ!」
「リリアンっ!」
愛する二人は抱いながら、床に跪く。ぎゃあぎゃあと猿みたいにうるさかった。
「なんなの……!?」
一方わたしは、なぜだか立ち上がったまま、身体が硬直してその場から動けなかった。
断末魔のような激しい揺れは続く。
でも、わたしの肉体は、不思議にも銅像みたいにびくともしなかったのだ。
――バリバリバリッ!!
刹那、耳をつんざくようなけたたましい金属音が鳴って、わたしの目の前にある聖なる大鏡が…………、
儚くも、粉々に割れた。
破片はまるで雨のように、乾いたわたしの全身に降り注ぐ。
それは、時間の動きがゆるやかになったかのように、ゆっくりと、でも確実にぐさぐさと肌に突き刺さって――、
わたしの記憶はそこで途切れた。
幾多の鏡が監視するかのように、わたしたちを映している。
それらはギラギラと光を反射して、眼前の惨状をニタニタと笑いながら煽っているようだった。
舞台の中心には、わたし――公爵令嬢であるマーガレット・ローヴァーと、トマス・マークス王太子殿下。
そして、彼の隣にはリリアン・キャロット伯爵令嬢。彼女は愛しの王子様の腕に張り付きながら、くねくねとだらしなく立っていた。
ここは、大神殿の中枢である『女神の間』。
部屋中に大小さまざまな鏡が並べられて、中央の祭壇には見上げるほどに巨大な『聖なる大鏡』が鎮座していた。
「……どういうことですの?」
わたしは消えそうな声を振り絞って、トマス様に尋ねた。不意をついた彼の不穏な宣言に、一瞬だけ頭が真っ白になったが、ここで負けてはならないと思ったのだ。
鏡がわたしを見ている。
その表層に映る自分の姿は、凛とした立派な公爵令嬢でなければならないのだから。
トマス様は鼻で笑ってから、
「どうもこうも、言った通りだ。オレはお前とは婚約破棄をする。そして、新たにこのリリアン・キャロット伯爵令嬢と婚約することに決めたのだ!」
彼の朗々とした声が鏡に反響して、わたしに鋭く降り注いだ。無慈悲な残響が耳に残って、胸に刺さる。
ついに、この時が来たのね。
はじめに浮かんだ感想はそれだった。こうなることは分かっていた。
トマス様とキャロット伯爵令嬢が恋仲にあること。
そして……幼い頃から王妃教育を受けてきた自分より、彼女のほうが王妃になる適正があるということ。
全部、分かっていたのだ。
「トマス様、婚約破棄は正当な理由の上でしょうか? 国王陛下はご存知なのですか?」
それでも、今この場では、彼らに負けたくなかった。
わたしは理想の堂々たる公爵令嬢の姿を鏡に映しながら、厳しい声音で問い糺す。
「ち……」トマス様は僅かに怯んでから「父上には全てが終わったら報告するつもりだ」
案の定、彼の独断での行動なのね。一国の王太子が、呆れて言葉も出ないわ。
「順序が違いますわ。まずは国王陛下に――」
「それは聖なる大鏡に判断してもらえばいい。国王より、女神スペクルムにな」と、彼は大鏡を仰ぎ見た。
鏡は、真実を映す。
わたしたちにとって、王よりも国よりも、なにより女神の意思が大切なのだ。
……しかし、今回は分が悪い。
キャロット伯爵令嬢は、聖女の力に目覚めたと専らの噂だった。
即ち、その噂が事実なら、女神は彼女の味方をする可能性が高いのだ。
ふと、視線を感じた。
見ると、わたしの周りを鏡がぐるりと囲んで、険しい視線を送っている。
トマス様はにやりと笑って、
「真実は女神が知っている。――さぁ、裁判をはじめようか。真実の、な」
わたしは、背筋を伸ばして彼を正面から見据えた。
鏡の前で、弱々しい姿を見せてはならない。最後まで公爵令嬢として、恥ずかしくない姿を映さなければ。
少しだけ息を吐いてから、
「わたしは疚しいことなど何一つ行っておりませんわ」
己を奮い立たせるために、きっと彼を睨んだ。
「どうだか? お前、随分リリアンのことを疎ましく思っていたようだからな」
「それは……!」
ぐっと唇を噛む。言葉が出なかった。
それは……事実だからだ。
「ほうら見ろ! お前は、リリアンに嫉妬して彼女に多くの嫌がらせをしていたな!?」
「そんなこと――」
たしかに、わたしは彼女の才能に悋気を覚えていた。
でも、嫌がらせなんて、卑怯なことは決して行っていないわ。
「言い訳はいい。ただ一つ確実に言えることは……お前など王太子妃に相応しくないということだっ!!」
その時だった。
ドン――と、神殿の床が持ち上がったかと思うと、突如、ひっくり返したみたいに大地が激しく揺れ始めた。
「きゃあぁぁっ!! トマス様っ!」
「リリアンっ!」
愛する二人は抱いながら、床に跪く。ぎゃあぎゃあと猿みたいにうるさかった。
「なんなの……!?」
一方わたしは、なぜだか立ち上がったまま、身体が硬直してその場から動けなかった。
断末魔のような激しい揺れは続く。
でも、わたしの肉体は、不思議にも銅像みたいにびくともしなかったのだ。
――バリバリバリッ!!
刹那、耳をつんざくようなけたたましい金属音が鳴って、わたしの目の前にある聖なる大鏡が…………、
儚くも、粉々に割れた。
破片はまるで雨のように、乾いたわたしの全身に降り注ぐ。
それは、時間の動きがゆるやかになったかのように、ゆっくりと、でも確実にぐさぐさと肌に突き刺さって――、
わたしの記憶はそこで途切れた。
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