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39 王太子殿下の来訪
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ローラント王国の王太子を乗せた馬車は、ついにアングラレス王国の王宮まで辿り着いた。
国の代表として王子であるアンドレイ様と、その婚約者のわたしが王太子を出迎える。わたしたち二人を中心に、側には高官たちがずらりと並んで高貴なる方の到着を待っていた。
冬の冷たいの空気のようなピリリとした感触が肌を伝う。いよいよ彼が来るのね……そう思うと胸が高鳴った。
隣に立つアンドレイ様は涼しい顔をして側近と打ち合わせをしている。ふと目が合うと、感情のこもっていない笑みを浮かべてきた。
「よくぞはるばるお越しくださった、レイモンド王太子殿下」明るい声音でアンドレイ様が口火を切った。「かねてより隣国とは厚誼を結びたいと存じておりましたので、貴殿とこうやってお会いできて嬉しく思います」
「出迎えありがとう、アンドレイ王子。私も以前より貴国とは誼を通じたいと考えていた。建国記念という輝かしい祭典に参列できて誇りに思う」
二人は固い握手をした。彼らの表層は笑顔が張り付いていたけど、どちらも偽りの仮面を被っているわね……と、すぐに察した。
アンドレイ様がパーティーでわたしの断罪を行おうとしている情報は入手していた。
彼はそれがローラント王国への宣戦布告になると分かっているのかしら?
訴える予定の相手は隣国の王太子ですもの。外交問題になるのは必至だ。
彼のことをお慕いしていた頃は見えなかったけれど、浅慮さや思い込みの激しいところがあるのを発見して、本当になんでこんな人のことが世界で一番素敵だと思っていたのだろう……って、不思議だわ。
「侯爵令嬢、久し振り」と、レイはこちらに目を向ける。
「ご機嫌よう、レイモンド王太子殿下」わたしは教科書通りのカーテシーをした。「ローラント王国では大変お世話になりましたわ」
思わず綻びそうになる口をキュッと引き締める。
久し振りにレイに会えてとっても嬉しくて飛び上がりそうだったけど、歓喜する想いをギュッと圧縮して意識の下に閉じ込めた。……今は我慢よ、オディール。
「とんでもない。私も有意義な時間が過ごせて良かったよ」
「恐れ入りますわ、殿下」
「私からも礼を言わせていただきます。婚約者がとてもお世話になったと伺っております。彼女がご無礼を働いていないと良いのですが」
「いやいや、謙遜はよしてくれ。貴公の婚約者は立派な淑女だな。我が国の令嬢たちにも見習って欲しいくらいだ。素晴らしい婚約者で羨ましいよ」
「そっ、そうですか……。それは良かった」
アンドレイ様は少し目を見開いて驚きの表情でわたしを見た。
この女のどこが立派だ……とでも思っているのかしら。彼からのわたしの評価はすこぶる低いので、そう思われても仕方がないかもしれないわね。
簡単な挨拶が終わるとアンドレイ様が先導して王太子殿下を滞在先のゴルコンダの間へと案内を始める。
わたしはルーセル公爵令息と並んで二人の後ろに控えるのだけど――、
「変なドレス……ぷぷっ」
レイが擦れ違いざまにわたしにしか聞こえないくらいの小声で呟いた。目を剥いて彼を見るとニヤニヤと意地悪そうに笑っている。
思わず彼を睨み付けた。するとフイッとわざとらしく視線を逸らされる。
わたしたちの一瞬のやり取りに気付いた様子の公爵令息が、両手を合わせて目線で「ごめん」と訴えて来る。
変なドレスなのは自分が一番分かっているわよ!
……と、叫びたい気分になったが、ぐっと堪える。
今日のわたしのドレスは婚約者の大好きなピンクのパステルカラーで、リボンとフリルをふんだんに使って、少女趣味のようなそれはもう可愛らしい姿だ。きっとナージャ子爵令嬢だったらよくお似合いでしょうね。
せめてもの抵抗でサーモンピンク系の多少は落ち着いた雰囲気のドレスにしたのだけれど……やっぱりわたしには似合わなかった。でも、婚約者を油断させるためにも今まで通りのオディールでいろ、って言われているんだから仕方ないじゃない。
って言うか、レイがそうしろって言い出したのに、なによ、あの態度。本当に腹が立つわ! 久し振りに再会した喜びも吹き飛んじゃった。
「では、私たちはこれで。式典までどうぞごゆるりと」
「ありがとう。明日は楽しみにしているよ」
ゴルコンダの間に王太子一行を案内して、わたしたちは辞去した。
本当はレイともっと話したいのだけれど、彼は隣国の王太子でわたしは王子の婚約者。そんなこと、許されないわよね……。
「ご機嫌よう、王太子殿下」
名残惜しさをそっと遠くへ放り投げて、わたしは丁寧にカーテシーをした。
本当はもっとレイと話したい。あのときみたいに手を握って欲しい。あのときみたいに強く抱き締めて欲しい――……そんな想いを胸に抱えながら静々とアンドレイ様のあとに続いた。
駄目よね、わたしは今はまだアングラレス王国王子の婚約者。そんなことをやったら、それこそ本当に不貞になってしまう。アンドレイ様の思う壺だわ。
でも、もうレイへの気持ちが止められそうにない。彼と離れてからこの想いはどんどん大きくなってしまう。そのうち膨れすぎて破裂して潰れてしまいそう。
わたしは、どうすればいいの?
彼が言っていた「君の好きなことを一緒にやろう」という言葉を、信じていいのよね……?
「残らなくて良かったのか?」
王子執務室に戻ると出し抜けにアンドレイ様が訊いてきた。
「えっ……と、どういうことでしょう?」
わたしは平静を装いながら首を傾げた。
自分の心を読まれたのかと、心臓がドキリと跳び上がりそうになる。
「ほら、例の……」彼は声を潜める。「籠絡の仕上げだ。色仕掛けでもやったらどうだ?」
「あぁ……」わたしは軽く息を吐いて「婚約者の前でそんな愚かな行動は起こせませんことよ?」
「それもそうだな」と、アンドレイ様はふっと笑った。
殿下こそ恋人の元へ行かなくてよいのですか……と聞きたくなるのを呑み込んで、
「では、わたしは当日の最終確認がありますので失礼いたしますわ」
「あぁ、明日は宜しく頼む」
「えぇ。最高の建国記念日にいたしましょう」と、わたしは素知らぬ顔でニコリと笑う。
◆ ◆ ◆
「今日のオディールは変なドレスだったな」レイモンドは側近と二人きりになるなりくつくつと笑った。「これまであんな妙ちくりんな格好をしてたのか。あはは」
「笑いごとじゃねぇっ!」と、フランソワは彼の眼前で大声を上げた。
レイモンドは顔をしかめながら耳を塞いで、
「は? だって、おかしいだろう? まるで幼女が着るような愛らしいドレスだぞ? 美人な彼女には合っていないだろう」
「たしかにハッキリ言って侯爵令嬢に似合ってないが――って、違う! 外で彼女にちょっかいを出すなよ!」
「別に、あれくらい周囲にバレてないだろう」
「オレにはバッチリ聞こえたが!?」
レイモンドは眉根を寄せて、
「フランソワはちょっと僕に近過ぎなんだよ。もっと離れてろよ」
「あれが適切な距離だ! いいか、侯爵令嬢はまだアンドレイ王子の婚約者なんだから馬鹿な真似はするなよ」
「分かってるよ」
「お前の双肩にはローラントの国民の命運が掛かっているんだぞ!?」
「……大丈夫だ。ちょとからかっただけだ。もう、しない。自重する」
「頼むぞ」
「はいはい」
フランソワは為政者としてのレイモンドのことを信頼していた。だが我が主はジャニーヌ侯爵令嬢のこととなると、どうも暴走し始めるようだ。具体的に言うと、馬鹿になるのだ。
これは側近である自分がしっかりと彼の手綱を握らなければ、と気を引き締める。
一方、レイモンドは笑ってはいたものの、内心は物凄くつまらなかった。心臓にグサグサと棘が刺さった気分だった。
オディールとアンドレイが二人並んだ姿を見ると、ムカムカした黒いものが腹の底から込み上がって来た。不愉快で仕方がない。早く……早くあの二人を引き剥がしたくてたまらなかった。
会えない間にオディールへの想いは肥大するばかりで、本当は彼女を抱き締めたかった。
だが、自分は隣国の王太子。愛する人を守るためにも今は我慢のときだと、何度も自身に言い聞かせていた。
それぞれの思惑を抱えながら、短い夜はすぐに明ける……。
国の代表として王子であるアンドレイ様と、その婚約者のわたしが王太子を出迎える。わたしたち二人を中心に、側には高官たちがずらりと並んで高貴なる方の到着を待っていた。
冬の冷たいの空気のようなピリリとした感触が肌を伝う。いよいよ彼が来るのね……そう思うと胸が高鳴った。
隣に立つアンドレイ様は涼しい顔をして側近と打ち合わせをしている。ふと目が合うと、感情のこもっていない笑みを浮かべてきた。
「よくぞはるばるお越しくださった、レイモンド王太子殿下」明るい声音でアンドレイ様が口火を切った。「かねてより隣国とは厚誼を結びたいと存じておりましたので、貴殿とこうやってお会いできて嬉しく思います」
「出迎えありがとう、アンドレイ王子。私も以前より貴国とは誼を通じたいと考えていた。建国記念という輝かしい祭典に参列できて誇りに思う」
二人は固い握手をした。彼らの表層は笑顔が張り付いていたけど、どちらも偽りの仮面を被っているわね……と、すぐに察した。
アンドレイ様がパーティーでわたしの断罪を行おうとしている情報は入手していた。
彼はそれがローラント王国への宣戦布告になると分かっているのかしら?
訴える予定の相手は隣国の王太子ですもの。外交問題になるのは必至だ。
彼のことをお慕いしていた頃は見えなかったけれど、浅慮さや思い込みの激しいところがあるのを発見して、本当になんでこんな人のことが世界で一番素敵だと思っていたのだろう……って、不思議だわ。
「侯爵令嬢、久し振り」と、レイはこちらに目を向ける。
「ご機嫌よう、レイモンド王太子殿下」わたしは教科書通りのカーテシーをした。「ローラント王国では大変お世話になりましたわ」
思わず綻びそうになる口をキュッと引き締める。
久し振りにレイに会えてとっても嬉しくて飛び上がりそうだったけど、歓喜する想いをギュッと圧縮して意識の下に閉じ込めた。……今は我慢よ、オディール。
「とんでもない。私も有意義な時間が過ごせて良かったよ」
「恐れ入りますわ、殿下」
「私からも礼を言わせていただきます。婚約者がとてもお世話になったと伺っております。彼女がご無礼を働いていないと良いのですが」
「いやいや、謙遜はよしてくれ。貴公の婚約者は立派な淑女だな。我が国の令嬢たちにも見習って欲しいくらいだ。素晴らしい婚約者で羨ましいよ」
「そっ、そうですか……。それは良かった」
アンドレイ様は少し目を見開いて驚きの表情でわたしを見た。
この女のどこが立派だ……とでも思っているのかしら。彼からのわたしの評価はすこぶる低いので、そう思われても仕方がないかもしれないわね。
簡単な挨拶が終わるとアンドレイ様が先導して王太子殿下を滞在先のゴルコンダの間へと案内を始める。
わたしはルーセル公爵令息と並んで二人の後ろに控えるのだけど――、
「変なドレス……ぷぷっ」
レイが擦れ違いざまにわたしにしか聞こえないくらいの小声で呟いた。目を剥いて彼を見るとニヤニヤと意地悪そうに笑っている。
思わず彼を睨み付けた。するとフイッとわざとらしく視線を逸らされる。
わたしたちの一瞬のやり取りに気付いた様子の公爵令息が、両手を合わせて目線で「ごめん」と訴えて来る。
変なドレスなのは自分が一番分かっているわよ!
……と、叫びたい気分になったが、ぐっと堪える。
今日のわたしのドレスは婚約者の大好きなピンクのパステルカラーで、リボンとフリルをふんだんに使って、少女趣味のようなそれはもう可愛らしい姿だ。きっとナージャ子爵令嬢だったらよくお似合いでしょうね。
せめてもの抵抗でサーモンピンク系の多少は落ち着いた雰囲気のドレスにしたのだけれど……やっぱりわたしには似合わなかった。でも、婚約者を油断させるためにも今まで通りのオディールでいろ、って言われているんだから仕方ないじゃない。
って言うか、レイがそうしろって言い出したのに、なによ、あの態度。本当に腹が立つわ! 久し振りに再会した喜びも吹き飛んじゃった。
「では、私たちはこれで。式典までどうぞごゆるりと」
「ありがとう。明日は楽しみにしているよ」
ゴルコンダの間に王太子一行を案内して、わたしたちは辞去した。
本当はレイともっと話したいのだけれど、彼は隣国の王太子でわたしは王子の婚約者。そんなこと、許されないわよね……。
「ご機嫌よう、王太子殿下」
名残惜しさをそっと遠くへ放り投げて、わたしは丁寧にカーテシーをした。
本当はもっとレイと話したい。あのときみたいに手を握って欲しい。あのときみたいに強く抱き締めて欲しい――……そんな想いを胸に抱えながら静々とアンドレイ様のあとに続いた。
駄目よね、わたしは今はまだアングラレス王国王子の婚約者。そんなことをやったら、それこそ本当に不貞になってしまう。アンドレイ様の思う壺だわ。
でも、もうレイへの気持ちが止められそうにない。彼と離れてからこの想いはどんどん大きくなってしまう。そのうち膨れすぎて破裂して潰れてしまいそう。
わたしは、どうすればいいの?
彼が言っていた「君の好きなことを一緒にやろう」という言葉を、信じていいのよね……?
「残らなくて良かったのか?」
王子執務室に戻ると出し抜けにアンドレイ様が訊いてきた。
「えっ……と、どういうことでしょう?」
わたしは平静を装いながら首を傾げた。
自分の心を読まれたのかと、心臓がドキリと跳び上がりそうになる。
「ほら、例の……」彼は声を潜める。「籠絡の仕上げだ。色仕掛けでもやったらどうだ?」
「あぁ……」わたしは軽く息を吐いて「婚約者の前でそんな愚かな行動は起こせませんことよ?」
「それもそうだな」と、アンドレイ様はふっと笑った。
殿下こそ恋人の元へ行かなくてよいのですか……と聞きたくなるのを呑み込んで、
「では、わたしは当日の最終確認がありますので失礼いたしますわ」
「あぁ、明日は宜しく頼む」
「えぇ。最高の建国記念日にいたしましょう」と、わたしは素知らぬ顔でニコリと笑う。
◆ ◆ ◆
「今日のオディールは変なドレスだったな」レイモンドは側近と二人きりになるなりくつくつと笑った。「これまであんな妙ちくりんな格好をしてたのか。あはは」
「笑いごとじゃねぇっ!」と、フランソワは彼の眼前で大声を上げた。
レイモンドは顔をしかめながら耳を塞いで、
「は? だって、おかしいだろう? まるで幼女が着るような愛らしいドレスだぞ? 美人な彼女には合っていないだろう」
「たしかにハッキリ言って侯爵令嬢に似合ってないが――って、違う! 外で彼女にちょっかいを出すなよ!」
「別に、あれくらい周囲にバレてないだろう」
「オレにはバッチリ聞こえたが!?」
レイモンドは眉根を寄せて、
「フランソワはちょっと僕に近過ぎなんだよ。もっと離れてろよ」
「あれが適切な距離だ! いいか、侯爵令嬢はまだアンドレイ王子の婚約者なんだから馬鹿な真似はするなよ」
「分かってるよ」
「お前の双肩にはローラントの国民の命運が掛かっているんだぞ!?」
「……大丈夫だ。ちょとからかっただけだ。もう、しない。自重する」
「頼むぞ」
「はいはい」
フランソワは為政者としてのレイモンドのことを信頼していた。だが我が主はジャニーヌ侯爵令嬢のこととなると、どうも暴走し始めるようだ。具体的に言うと、馬鹿になるのだ。
これは側近である自分がしっかりと彼の手綱を握らなければ、と気を引き締める。
一方、レイモンドは笑ってはいたものの、内心は物凄くつまらなかった。心臓にグサグサと棘が刺さった気分だった。
オディールとアンドレイが二人並んだ姿を見ると、ムカムカした黒いものが腹の底から込み上がって来た。不愉快で仕方がない。早く……早くあの二人を引き剥がしたくてたまらなかった。
会えない間にオディールへの想いは肥大するばかりで、本当は彼女を抱き締めたかった。
だが、自分は隣国の王太子。愛する人を守るためにも今は我慢のときだと、何度も自身に言い聞かせていた。
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