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33 僕と一緒に
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ルーセル公爵令息があまりに長いことゲラゲラと笑ってうるさいのでレイが強引に外へ追いやって、今はわたしと彼の二人きりになった。
「まだ話していて大丈夫?」
「もちろんよ」
「そうか。具合が悪くなったらすぐに言ってくれ。実は今日の茶会に君を呼んだのは息抜きをして欲しいのもあるのだが、一番の理由は――」
――コン、コン。
そのとき、部屋の窓をなにかが叩く音がした。驚いて音のほうに目を向けると、
「オディール オディール」
「ヴェル!?」
なんとヴェルがはるばる大使館から王宮までやって来たのだった。
「おっ、鳥は今日も来たのか」
レイが窓を開けてヴェルを迎え入れる。エメラルドグリーンのその鳥は、慣れた様子で王太子の懐にピョンと飛び込んだ。
「お前、ヴェルって言うんだ?」
「ピャー!」
「そう言えば、お礼を言うのがまだだったわ。いつもこの子と遊んでくれてありがとう」
「とんでもない。僕にとっても良い息抜きになっているんだ。やっと名前が知れて嬉しいよ。これからもよろしくな、ヴェル?」
「ピャッ!」
「この子には自己紹介の仕方を覚えさせないといけないわね」
「オディール オディール」と、ヴェルは嬉しそうにレイに向かって鶏冠を広げる。
「ヴェル。オディールじゃなくて、こちらの方はレイモンド・ローラント王太子殿下よ?」
「レイ……ドロンカ!」
「レイモンド・ローラント王太子殿下」
「レイモン ド ローラント オデンカ」
「そうそう。レイモンド・ローラント王太子殿下」
「レイモンド・ローラント ハ オウタイシデンカ ソレダケガトリエサ」
「悪かったな」
「こら、ヴェル! ――ごめんなさい、この子、この言葉が気に入っているみたいで」
「アングラレスにいる頃からこの言葉を?」と、レイが微かに眉を曇らせた。
「そうね。ずっと……言っていたわ」
「そうか」
レイは黙って天井を仰ぐ。わたしも、なんとなく次に紡ぐ言葉が見つからなくて、ただ彼の腕の中にいるヴェルの体を撫でていた。
そう言えば、ヴェルと遊んでくれたことはちゃんとお礼を言えたけど、この子を通じでわたしを励ましてくれたことの感謝の気持ちはまだ述べていないわね。
「っ……」
ぼんやりと考えていると、またもや顔が上気して、もぞもぞした変な感覚に陥った。
さっきのレイの言葉も相まって、恥ずかしくて「ありがとう」ってその一言が口に出せない。こんな感情は初めてだ。
侯爵令嬢として、礼儀正しくしなさいって教育を受けてきたのに、なんで基本的なこともできないのだろう……。
「さっきの話の続きだけど」
わたしが黙り込んでいると、出し抜けにレイが口を開いた。
彼の紅い瞳が再びわたしを捉えて、ドキリと心臓が飛び跳ねた。
「つ、続き……?」
「そう。今日、オディールに王宮に来てもらったのは……そろそろ返事を聞かせてもらおうと思って。動くなら早いほうがいい。――答えてくれるか?」
「っ……そ、そうね。分かったわ。わたしは――……」
言葉が出なかった。
返答しようにも、その先が口から出てこないのだ。パクパクと魚みたいに唇だけが上下する。
もう答えは決まっているのに、それを言葉に出すのが……怖い。
だって、口にしたらこれまで積み上げてきた自分の人生を否定することになるから。
またゼロからやり直すことに、そこはかとない恐怖を覚えたのだ。
「わたしは……」
レイは戸惑いを隠せないわたしの様子を見てふっと微笑んでから、
「今日のドレスは君に凄く似合っていると思う。君は本当はどんなドレスが好きなんだ?」
「えっ?」不意を突いた質問に目を丸くしながらも「そ、そうね。やっぱり今日みたいにシャープで大人っぽいデザインが好きだわ。装飾は最低限でシンプルに、長身を活かしたスマートなドレスがいいわね」
「じゃあ、好きな色は? いつも着ていたパステルカラー?」
「いいえ。わたしは……赤が好き。太陽のように熱く燃える情熱的な真っ赤な色が」
「真っ赤でシンプルなドレスか……。それを着て君はなにをしたい?」
「そうね……まずは舞踏会で踊りたいわ。いつもの淑女のお上品ぶった退屈なダンスじゃなくて、本能のままに身体を動かすような激しいダンスを」
「それから? 他にやりたいことは?」
「それから、貴族や王子の婚約者なんて重苦しいものは脱ぎ捨てて街に遊び歩きたいわ。屋台で買った食べ物をその場でぱくついたり、カフェで議論したり、人気の芝居小屋で風刺的な演劇を立ち見したり、のんびりと川沿いを散歩したり」
「行きたいのは街だけ?」
「ヴェルと一緒に草原を走り回ったり、森を散策したり、ドレスの汚れなんて気にしないで彼と思い切り遊びたいわ」
「あとは? なにをしたい?」
「あとは……身分に関係ない友人をたくさん作って、使用人のいない手作りのパーティーを開いて朝まで馬鹿騒ぎをしたいわ。料理も飲み物もわたしが用意するのよ。わたしは心から笑い合えるような友をいっぱい作りたい」
「貴族としては? どうなりたい?」
「視野を広げて多角的に物事を見られるような賢明な貴族でありたいわ。もちろん義務は果たすし威厳や品格は落とさないようにするけど、領民と対話ができる貴族になりたい。わたしの考えを一方的に押し付けるんじゃなくて、互いに意見を交換して一緒に国を作り上げるの」
「他にやり残したことは? 君はなにを希望する?」
「そうね……。わたしは、心から尊敬できる、愛する人と一緒になりたい。たとえ政略結婚になっても、互いに信頼して支え合うような最高のパートナーになりたいわ」
「そうか……」
レイはふっと軽く息を吐いた。
彼の紅い瞳が星空のように、きらめいた。
「分かった。君のやりたいこと、全部やろう」
そして、彼はわたしの双眸をじっと見つめながら、おもむろに右手を突き出す。
「……僕と一緒に」
わたしは迷わず彼の手を握る。
強く、
ぎゅっと、強く。
「まだ話していて大丈夫?」
「もちろんよ」
「そうか。具合が悪くなったらすぐに言ってくれ。実は今日の茶会に君を呼んだのは息抜きをして欲しいのもあるのだが、一番の理由は――」
――コン、コン。
そのとき、部屋の窓をなにかが叩く音がした。驚いて音のほうに目を向けると、
「オディール オディール」
「ヴェル!?」
なんとヴェルがはるばる大使館から王宮までやって来たのだった。
「おっ、鳥は今日も来たのか」
レイが窓を開けてヴェルを迎え入れる。エメラルドグリーンのその鳥は、慣れた様子で王太子の懐にピョンと飛び込んだ。
「お前、ヴェルって言うんだ?」
「ピャー!」
「そう言えば、お礼を言うのがまだだったわ。いつもこの子と遊んでくれてありがとう」
「とんでもない。僕にとっても良い息抜きになっているんだ。やっと名前が知れて嬉しいよ。これからもよろしくな、ヴェル?」
「ピャッ!」
「この子には自己紹介の仕方を覚えさせないといけないわね」
「オディール オディール」と、ヴェルは嬉しそうにレイに向かって鶏冠を広げる。
「ヴェル。オディールじゃなくて、こちらの方はレイモンド・ローラント王太子殿下よ?」
「レイ……ドロンカ!」
「レイモンド・ローラント王太子殿下」
「レイモン ド ローラント オデンカ」
「そうそう。レイモンド・ローラント王太子殿下」
「レイモンド・ローラント ハ オウタイシデンカ ソレダケガトリエサ」
「悪かったな」
「こら、ヴェル! ――ごめんなさい、この子、この言葉が気に入っているみたいで」
「アングラレスにいる頃からこの言葉を?」と、レイが微かに眉を曇らせた。
「そうね。ずっと……言っていたわ」
「そうか」
レイは黙って天井を仰ぐ。わたしも、なんとなく次に紡ぐ言葉が見つからなくて、ただ彼の腕の中にいるヴェルの体を撫でていた。
そう言えば、ヴェルと遊んでくれたことはちゃんとお礼を言えたけど、この子を通じでわたしを励ましてくれたことの感謝の気持ちはまだ述べていないわね。
「っ……」
ぼんやりと考えていると、またもや顔が上気して、もぞもぞした変な感覚に陥った。
さっきのレイの言葉も相まって、恥ずかしくて「ありがとう」ってその一言が口に出せない。こんな感情は初めてだ。
侯爵令嬢として、礼儀正しくしなさいって教育を受けてきたのに、なんで基本的なこともできないのだろう……。
「さっきの話の続きだけど」
わたしが黙り込んでいると、出し抜けにレイが口を開いた。
彼の紅い瞳が再びわたしを捉えて、ドキリと心臓が飛び跳ねた。
「つ、続き……?」
「そう。今日、オディールに王宮に来てもらったのは……そろそろ返事を聞かせてもらおうと思って。動くなら早いほうがいい。――答えてくれるか?」
「っ……そ、そうね。分かったわ。わたしは――……」
言葉が出なかった。
返答しようにも、その先が口から出てこないのだ。パクパクと魚みたいに唇だけが上下する。
もう答えは決まっているのに、それを言葉に出すのが……怖い。
だって、口にしたらこれまで積み上げてきた自分の人生を否定することになるから。
またゼロからやり直すことに、そこはかとない恐怖を覚えたのだ。
「わたしは……」
レイは戸惑いを隠せないわたしの様子を見てふっと微笑んでから、
「今日のドレスは君に凄く似合っていると思う。君は本当はどんなドレスが好きなんだ?」
「えっ?」不意を突いた質問に目を丸くしながらも「そ、そうね。やっぱり今日みたいにシャープで大人っぽいデザインが好きだわ。装飾は最低限でシンプルに、長身を活かしたスマートなドレスがいいわね」
「じゃあ、好きな色は? いつも着ていたパステルカラー?」
「いいえ。わたしは……赤が好き。太陽のように熱く燃える情熱的な真っ赤な色が」
「真っ赤でシンプルなドレスか……。それを着て君はなにをしたい?」
「そうね……まずは舞踏会で踊りたいわ。いつもの淑女のお上品ぶった退屈なダンスじゃなくて、本能のままに身体を動かすような激しいダンスを」
「それから? 他にやりたいことは?」
「それから、貴族や王子の婚約者なんて重苦しいものは脱ぎ捨てて街に遊び歩きたいわ。屋台で買った食べ物をその場でぱくついたり、カフェで議論したり、人気の芝居小屋で風刺的な演劇を立ち見したり、のんびりと川沿いを散歩したり」
「行きたいのは街だけ?」
「ヴェルと一緒に草原を走り回ったり、森を散策したり、ドレスの汚れなんて気にしないで彼と思い切り遊びたいわ」
「あとは? なにをしたい?」
「あとは……身分に関係ない友人をたくさん作って、使用人のいない手作りのパーティーを開いて朝まで馬鹿騒ぎをしたいわ。料理も飲み物もわたしが用意するのよ。わたしは心から笑い合えるような友をいっぱい作りたい」
「貴族としては? どうなりたい?」
「視野を広げて多角的に物事を見られるような賢明な貴族でありたいわ。もちろん義務は果たすし威厳や品格は落とさないようにするけど、領民と対話ができる貴族になりたい。わたしの考えを一方的に押し付けるんじゃなくて、互いに意見を交換して一緒に国を作り上げるの」
「他にやり残したことは? 君はなにを希望する?」
「そうね……。わたしは、心から尊敬できる、愛する人と一緒になりたい。たとえ政略結婚になっても、互いに信頼して支え合うような最高のパートナーになりたいわ」
「そうか……」
レイはふっと軽く息を吐いた。
彼の紅い瞳が星空のように、きらめいた。
「分かった。君のやりたいこと、全部やろう」
そして、彼はわたしの双眸をじっと見つめながら、おもむろに右手を突き出す。
「……僕と一緒に」
わたしは迷わず彼の手を握る。
強く、
ぎゅっと、強く。
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