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32 令嬢嫌いの王子様②
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「えっ……それって、どういう――」
「違うだろう、レイ」出し抜けに壁際に立っていたルーセル公爵令息が声を上げる。「何度も言っているが、あれは事故だ」
「事故なんかじゃないっ!」静かに震えていたレイが大音声で叫ぶ。「僕のせいなんだ……僕の……」
「大丈夫よ。落ち着いて。辛かったら、無理に話さなくてもいいわ」
わたしは前屈みになって、レイの背中に腕を伸ばしてゆっくりとさすった。彼の体温がじわりと伝わってくる。
しばらくして、レイが無言でわたしの手を握った。
「……君には、ちゃんと話したいと思う。親友には隠し事はしたくないんだ」
「そう」
レイはちょっと天井を仰ぎながら一息ついて、わたしの顔に向き直した。
「僕は王族だから、子供の頃から婚約者候補の令嬢が数人いたんだ……。それで、彼女たちと定期的に会う機会を設けていて……あの日も、複数の令嬢たちとお茶会をしていたんだよ」
わたしは彼の発する一言も聞き漏らさないように、じっと耳を傾ける。揺らぐ低音が痛々しかった。
「それで、特に僕に付き纏っている二人の令嬢がいて、毎度ベタベタしてくるから本当に嫌気がして……。つい、意地悪なことを言ってしまったんだ」
「意地悪?」
レイは頷く。
「そう。くっついてくる二人にどうにか離れて欲しくて、僕のことが好きなら森の奥に行って野生のベリーを取って来いって。王宮の裏の森にしか生えていない珍しいベリーが食べたいってさ」
レイの顔がぐしゃりと歪んだ。嫌な予感がして、悪寒が走る。
「それで……」彼は絞り出すように声を出す。「折り悪く森では狩りが行われていて、二人は…………」
彼の言葉は途絶えた。
再び真夜中のような深い沈黙が包み込む。
わたしは小刻みに震え続ける彼の手を強く握り返した。その手は氷のように冷たかった。
鎮痛が停滞した静けさのあと、レイが少し落ち着いた頃合いで口火を切る。今の彼に必要な言葉を伝えるのだ。これはローラント王国とは関係のない第三者のわたししか言えないことだわ。
わたしは刺すような視線を彼に向けて、
「それだけ……?」
「えっ?」
レイが顔を上げて困惑した表情をわたしに見せた。
「そんなことで、未だに令嬢を怖がっているの?」と、わたしは敢えて冷淡に言う。
彼は矢庭に気色ばんで、
「そんなことって! 自分のせいで人が死んだんだ! それを、そんなこととはなんだっ!?」
「三人よ」
「はっ……?」
「侯爵令嬢のわたしの命を守ろうとして死んだ人間の数」
「っ……!」
レイはたじろいだ様子を見せ、息を呑んだ。わたしは淡々と話を続ける。
「一人は毒味役、二人は馬車の事故で。全て……わたしのために自らの命を捧げて亡くなったわ」
「それは……。きっ、君の場合は本当に事故だろう? 僕のほうは――」
「これから、あなたが軍隊を指揮するときに判断を間違えて何十、何百の人間が死ぬかもしれないわ。二人の令嬢もそれと同じことよ。上に立つ者が浅慮で決断を誤った。そう遠くない未来に帝国と戦うときが来たら、同じことが起こる可能性があるでしょうね」
「…………」
レイは目を見張って、わたしを見る。
「その度にあなたは、今みたいにうじうじ悩んでいるの? そして戦友である兵士までも自身から遠ざけてしまう? 馬鹿馬鹿しいわね。――わたしたち高貴な身分の者は誰かの命の上に立つ使命があるの。いちいち悲劇のヒロインぶっていたら心がいくらあっても足りないわ。もちろん死者に感謝や敬意の念は忘れたらいけないし、自身の過ちも心に刻んでおかないといけないけどね」
わたしは彼の双眸を飲み込むような強い眼差しを送る。
そして一拍してから、
「だから……慣れなさい! わたしたちは慣れないといけないのよ。それがどんなに辛くとも」
「っ…………!」
レイはまだ目を見開いて硬直したままだ。心なしかさっきまで瞳を覆っていた悲しみの雨が晴れたような気がした。
わたしは幼い子供を安心させるようにふっと柔和に微笑んで、
「それに……わたしは死なないわよ、親友。ま、お婆ちゃんになったらいつかは寿命で死んでしまうけどね」
「オディール!!」
卒然とレイがわたしに抱き着いた。
「きゃっ……レ、レイ!?」
だんだん腕の力が強くなる。わたしは彼の体温を吸い込んだみたいに全身がパッと熱くなった。
彼はわたしの耳元でそっと囁く。
「君の言う通りだ。僕はとんでもない思い違いをしていたようだ。そうだ……僕は王族なんだよな。いつまでも子供みたいに駄々をこねたらいけなかった」
「そうね」
「君が気付かせてくれた。本当にありがとう」と、彼はこれまでにないくらいの眩しい笑顔を見せた。
「……いいえ、あなたのお陰よ」
「えっ?」
「わたしは、ここに来るまで婚約者のことしか見えていなかったわ。自分の世界は婚約者が中心だったの。でも、あなたや多くの人たちと出会って視野が広がったわ。こういう意見をあなたに言えるようになったのも、ローラント王国で出会った皆のお陰なの」
「それは、嬉しいな」
「ここに来て本当に良かったわ」
「僕も君に出会えて良かった。……オディールは僕の大切な人だ」
「えぇっ!?」
わたしは目を見張る。顔が爆発しそうなくらいに急激に熱を帯びた。
い……今、とんでもない言葉を聞いたきがする……。い、いえ、違うわよ、きっと。
レイは「親友」として大切だ、って思っているのよ。そうよ、そうに違いない。わたしたち同じ釜の飯を食った親友だもの。だから、大切な仲間、よね?
「そっ、そ、そう言えば……」わたしは恥ずかしさでたまらなくなって、思わず話題を変えた。「レイは令嬢嫌いを克服したから、どうするつもり?」
「どうするつもり、って?」と、レイは眉根を寄せる。
「だ、だから……特に令嬢が嫌いじゃなくなったら令嬢と婚姻を結ぶのでしょう? そうしたら、その……あなたの恋人の若い騎士の方とはどうするの? 愛しているんでしょう? 愛妾にするの?」
「は……?」
微かに彼の声音が低くなった気がした。……え、なんで怒っているの?
「だからっ、競売会場に突入した日に密室で長い時間二人きりだったっていう噂の騎士よ。あなたの恋人の!」
「ぶはぁっ!!」
突如、壁と一体となっていたルーセル公爵令息が吹き出した。わたしもレイも仰天して彼を見る。
公爵令息は笑いを堪えながら、
「その若い騎士とは君のことだよ、オディオ」
「……………………えっ!?」
わたしは目を剥いて、凍り付く。
レイは殿方が好きじゃなかったの?
っていうか……若い騎士って、わたしっ!?
レイはなぜか放心状態で、ルーセル公爵令息はいつまでもゲラゲラと笑い転げていた。
「違うだろう、レイ」出し抜けに壁際に立っていたルーセル公爵令息が声を上げる。「何度も言っているが、あれは事故だ」
「事故なんかじゃないっ!」静かに震えていたレイが大音声で叫ぶ。「僕のせいなんだ……僕の……」
「大丈夫よ。落ち着いて。辛かったら、無理に話さなくてもいいわ」
わたしは前屈みになって、レイの背中に腕を伸ばしてゆっくりとさすった。彼の体温がじわりと伝わってくる。
しばらくして、レイが無言でわたしの手を握った。
「……君には、ちゃんと話したいと思う。親友には隠し事はしたくないんだ」
「そう」
レイはちょっと天井を仰ぎながら一息ついて、わたしの顔に向き直した。
「僕は王族だから、子供の頃から婚約者候補の令嬢が数人いたんだ……。それで、彼女たちと定期的に会う機会を設けていて……あの日も、複数の令嬢たちとお茶会をしていたんだよ」
わたしは彼の発する一言も聞き漏らさないように、じっと耳を傾ける。揺らぐ低音が痛々しかった。
「それで、特に僕に付き纏っている二人の令嬢がいて、毎度ベタベタしてくるから本当に嫌気がして……。つい、意地悪なことを言ってしまったんだ」
「意地悪?」
レイは頷く。
「そう。くっついてくる二人にどうにか離れて欲しくて、僕のことが好きなら森の奥に行って野生のベリーを取って来いって。王宮の裏の森にしか生えていない珍しいベリーが食べたいってさ」
レイの顔がぐしゃりと歪んだ。嫌な予感がして、悪寒が走る。
「それで……」彼は絞り出すように声を出す。「折り悪く森では狩りが行われていて、二人は…………」
彼の言葉は途絶えた。
再び真夜中のような深い沈黙が包み込む。
わたしは小刻みに震え続ける彼の手を強く握り返した。その手は氷のように冷たかった。
鎮痛が停滞した静けさのあと、レイが少し落ち着いた頃合いで口火を切る。今の彼に必要な言葉を伝えるのだ。これはローラント王国とは関係のない第三者のわたししか言えないことだわ。
わたしは刺すような視線を彼に向けて、
「それだけ……?」
「えっ?」
レイが顔を上げて困惑した表情をわたしに見せた。
「そんなことで、未だに令嬢を怖がっているの?」と、わたしは敢えて冷淡に言う。
彼は矢庭に気色ばんで、
「そんなことって! 自分のせいで人が死んだんだ! それを、そんなこととはなんだっ!?」
「三人よ」
「はっ……?」
「侯爵令嬢のわたしの命を守ろうとして死んだ人間の数」
「っ……!」
レイはたじろいだ様子を見せ、息を呑んだ。わたしは淡々と話を続ける。
「一人は毒味役、二人は馬車の事故で。全て……わたしのために自らの命を捧げて亡くなったわ」
「それは……。きっ、君の場合は本当に事故だろう? 僕のほうは――」
「これから、あなたが軍隊を指揮するときに判断を間違えて何十、何百の人間が死ぬかもしれないわ。二人の令嬢もそれと同じことよ。上に立つ者が浅慮で決断を誤った。そう遠くない未来に帝国と戦うときが来たら、同じことが起こる可能性があるでしょうね」
「…………」
レイは目を見張って、わたしを見る。
「その度にあなたは、今みたいにうじうじ悩んでいるの? そして戦友である兵士までも自身から遠ざけてしまう? 馬鹿馬鹿しいわね。――わたしたち高貴な身分の者は誰かの命の上に立つ使命があるの。いちいち悲劇のヒロインぶっていたら心がいくらあっても足りないわ。もちろん死者に感謝や敬意の念は忘れたらいけないし、自身の過ちも心に刻んでおかないといけないけどね」
わたしは彼の双眸を飲み込むような強い眼差しを送る。
そして一拍してから、
「だから……慣れなさい! わたしたちは慣れないといけないのよ。それがどんなに辛くとも」
「っ…………!」
レイはまだ目を見開いて硬直したままだ。心なしかさっきまで瞳を覆っていた悲しみの雨が晴れたような気がした。
わたしは幼い子供を安心させるようにふっと柔和に微笑んで、
「それに……わたしは死なないわよ、親友。ま、お婆ちゃんになったらいつかは寿命で死んでしまうけどね」
「オディール!!」
卒然とレイがわたしに抱き着いた。
「きゃっ……レ、レイ!?」
だんだん腕の力が強くなる。わたしは彼の体温を吸い込んだみたいに全身がパッと熱くなった。
彼はわたしの耳元でそっと囁く。
「君の言う通りだ。僕はとんでもない思い違いをしていたようだ。そうだ……僕は王族なんだよな。いつまでも子供みたいに駄々をこねたらいけなかった」
「そうね」
「君が気付かせてくれた。本当にありがとう」と、彼はこれまでにないくらいの眩しい笑顔を見せた。
「……いいえ、あなたのお陰よ」
「えっ?」
「わたしは、ここに来るまで婚約者のことしか見えていなかったわ。自分の世界は婚約者が中心だったの。でも、あなたや多くの人たちと出会って視野が広がったわ。こういう意見をあなたに言えるようになったのも、ローラント王国で出会った皆のお陰なの」
「それは、嬉しいな」
「ここに来て本当に良かったわ」
「僕も君に出会えて良かった。……オディールは僕の大切な人だ」
「えぇっ!?」
わたしは目を見張る。顔が爆発しそうなくらいに急激に熱を帯びた。
い……今、とんでもない言葉を聞いたきがする……。い、いえ、違うわよ、きっと。
レイは「親友」として大切だ、って思っているのよ。そうよ、そうに違いない。わたしたち同じ釜の飯を食った親友だもの。だから、大切な仲間、よね?
「そっ、そ、そう言えば……」わたしは恥ずかしさでたまらなくなって、思わず話題を変えた。「レイは令嬢嫌いを克服したから、どうするつもり?」
「どうするつもり、って?」と、レイは眉根を寄せる。
「だ、だから……特に令嬢が嫌いじゃなくなったら令嬢と婚姻を結ぶのでしょう? そうしたら、その……あなたの恋人の若い騎士の方とはどうするの? 愛しているんでしょう? 愛妾にするの?」
「は……?」
微かに彼の声音が低くなった気がした。……え、なんで怒っているの?
「だからっ、競売会場に突入した日に密室で長い時間二人きりだったっていう噂の騎士よ。あなたの恋人の!」
「ぶはぁっ!!」
突如、壁と一体となっていたルーセル公爵令息が吹き出した。わたしもレイも仰天して彼を見る。
公爵令息は笑いを堪えながら、
「その若い騎士とは君のことだよ、オディオ」
「……………………えっ!?」
わたしは目を剥いて、凍り付く。
レイは殿方が好きじゃなかったの?
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