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9 ダイヤモンド鉱山③ 〜変な新入りに付き纏われている〜

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 今日の仕事が終わって夕食前に井戸で手を洗っているわたしの前に、一人の妖艶な女性が現れて、耳元でそっと囁いた。

「お疲れ様、侯爵令嬢。今日は災難だったわね」

「ガブリエラさん! ありがとうございます!」と、わたしは彼女から手渡されたハンカチを受け取る。

 彼女の名前はガブリエラさん。ダイヤモンド鉱山内におけるわたしの協力者だ。
 うねりのある亜麻色の髪に、強い意思が内包されたような深い青の派手な瞳。真っ赤な唇は情熱的で、殿方が引き込まれそうな蠱惑的な容姿をしていた。

 彼女もアングラレス王国の間諜の一人で、普段は情報収集のために踊り子として国中を転々と渡り歩いている。今回は表向きは鉱山での炊事や雑用を担当をしていた。


「もうっ、最悪なんですよ!」

 ぶーぶーと文句を垂れつつ、わたしはハンカチの裏側に隠された暗号を見た。
 坑夫のわたしと違って比較的自由に動ける彼女が事前に潜入をして、夜の鉱山の見張りの数や時間、巡回ルートなどを調べてくれていたのだ。

 わたしは暗号メモなど端っからなかったかのように、ハンカチを懐にしまって大仰に喚く。

「あの人のせいで、オレまで怒られちゃったんですから! そりゃ、むかっ腹が立ちますよ!」

「ふふふ。あたしのところまで噂が聞こえたわよ。オディオが新人と揉めてる、って」

「本当に失礼な人なんですから!」

「それって、僕のこと?」

「きゃっ――」

 出し抜けに背後から件の人の声が聞こえた。
 思わずオディールとしての素の叫び声が出てしまって、慌てて口を手で押さえて飲み込んだ。
 な……なんなのよ、もう! 今朝から心臓に悪すぎる!

「な、なんだよ!」と、わたしはレイを睨み付けた。ガブリエラさんは「あら。彼が噂の」と呑気そうに成り行きを見守っている。

「君が僕の噂をしているなと思って」と、彼はニコリと微笑む。その全てを見透かしたような余裕ぶった様子にむかついた。

「噂って、悪い噂だよ。オマエの悪口だ。――ガブリエラさん、行こう?」

 わたしは彼女の手を取って食堂へと足を進めた。すると、彼がわたしに並んで歩き始める。

「……なに?」と、わたしは眉をひそめた。

「なにって、食堂に行くんだろう?」

「付いて来るなよ」

「食事の時間だから食堂に行くのは当然じゃないか」

「…………」

 ため息をついた。なに、この人。軽々しく話しかけてくるし、しつこい。
 胸にどんどん込み上げていくムカムカを飲み込みながら、わたしは無視してひたすら前へ進む。

「あなたが噂の新人さんね?」と、ガブリエラさんが沈黙を破った。もうっ、こんな人、相手にしないでいいのに。

「そう。今日からここに来たんだ。名前はレイ。よろしく」

「あたしはガブリエラよ。分からないことがあればなんでも聞いてね。ちなみに、あたしはここでは食事と……ま、お坊ちゃん方にはまだ早いわね」彼女は艶っぽくウインクして「じゃ、あたしは準備があるから。お先」

 取り残されたわたしとレイ。
 気まずい沈黙を放置したまま、わたしたちは食堂へと向かった。



「……おい」

「ん?」と、レイは目を丸くして首を傾げた。

「ん、じゃない! なんでオレの隣の席に座るんだよ」

「固いこと言うなよ、親友」

「はあぁぁぁっ!? 誰が親友だ!?」

「料理、冷めるぞ」

「っ……!」

 わたしは彼のペースにこれ以上巻き込まれまいと、無言でスープを啜った。甘い野菜を味わいながらゆっくりと噛み砕く。
 ガブリエラさんの手料理は、今日もすっごく美味しいわね。過酷な労働のあとの空腹に幸せを注いでくれるわ。

「嬉しそうに食べるんだな」

「は……?」

 気が付くと、レイが興味深そうにわたしの横顔をじっと見つめていた。同時にわたしの高揚した気分がだだ下がりで、渋面を作る。

「いつも他の坑夫たちと一緒に食べているのか? 同じものを?」

「当たり前だろう? なに言ってるんだ」

 わたしは首を傾げる。ここで働いているんだから、仲間たちと一緒に食事を取るのは当然じゃないの。

「いや……」彼は顎に手を当ててしばし黙り込んでから「君は同年代の少年たちより小柄だから、もっと食べたほうがいいと思って」

「チビで悪かったなっ!」

 とうとう堪忍袋の緒が切れて、わたしは吸い込むように勢いよくスープとパンを口の中に入れて、ガタリと乱暴に立ち上がり、食堂をあとにした。
 どすどすと怒りの音を撒き散らしながら、自室へ向かう。

 本当に……なんなのよ、あの人はっ!
 今朝からずっと人のことを小馬鹿にしてきて、なんて無礼な人!
 もうっ、信じられない!!





◆ ◆ ◆





「オディールがローラントのダイヤモンド鉱山に潜入したそうだ」

 アングラレス王国の王子アンドレイは喜々として恋人のシモーヌ・ナージャ子爵令嬢に報告した。

「え? 本当に侯爵令嬢が鉱山に?」シモーヌは目を見張る。「信じられないわ」

 アンドレイはくつくつと笑って、

「あの女は俺に飼い慣らされているからな。命令をすればなんでもやるんだよ。馬鹿な女だろ?」

「うわぁー、最低な王子ね」と、シモーヌはアンドレイを非難しつつも可笑しそうにくすくすと笑っていた。

「利用できるものは最大限に使わないとな。――もうすぐ、君にダイヤモンドをプレゼントできる。楽しみに待っていてくれ」

「あたし、帝国のロイヤルクリスタルより大きなダイヤが欲しいわ」

「勿論だよ」アンドレイは背後からシモーヌを抱きしめた。「君に世界で一番輝くダイヤを捧げるよ」

「まぁっ、お上手」

 二人は軽くキスをする。

「そうだ、以前君が言っていたダイヤの粒の湯浴みもしようか」

「素敵だわ、アンドレイ」

 キスが深くなった。

「あの女は使えるだけ使って、最後の一滴まで搾り取らないとな」と、アンドレイは邪悪な笑みを浮かべた。

「最低な王子様ね」とシモーヌ。

「君のためなら悪魔にでもなるさ」

 アンドレイは灯りを消して、最愛の恋人をベッドに横たえる。

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